「吉川」級軽巡洋艦
 

 八八(cm)艦隊計画において計画された大型軽巡。排水量1万トンを超える重巡並の船体に60口径6インチ三連装砲5基15門と四連装61センチ魚雷発射管四基を装備する重武装と、その独特の形状から「ギター」と呼ばれた高性能通信アンテナを持ち、ジェーン年鑑に特別解説が掲載されたほどの艦であったが、同級の生涯には不運と不名誉が付きまとった。 

 きっかけとなったのは、昭和○○年の海軍大演習中に発生した、演習中の衝突事故である。戦隊旗艦の位置に就いていた同級三番艦「阿部」艦尾にネームシップの「吉川」が衝突し、「阿部」は大破航行不能となった。
 演習は中止され、「阿部」は同級二番艦「柳川」に曳航され横須賀へ入港、調査が行われたが「阿部」の被害は甚大であり、舵機、推進軸が全壊したばかりか艦体全体に歪みが生じ、調査に当たった技官は「修理不能、廃艦」の判定を下した。この調査結果を聞いた「阿部」艦長は責任感からか精神に異常を来たし病院へ収容された。
 事態を重く見た海軍当局は直ちに査問会の開催を決定、証人として戦隊三番艦の位置にあり、事故の一部始終を目撃していた「柳川」艦長を召喚した。
 査問会の席上で「柳川」艦長は「吉川」艦長の操艦ミスが事故の主因であると主張、その他、「吉川」艦長がネームシップの自艦を差し置いて三番艦の「阿部」が戦隊旗艦に選ばれた事に日頃から不満を漏らしていたとの証言もあり、査問会は「吉川」艦長が半ば故意に艦を追突させたと断定。「吉川」艦長は軍籍剥奪の上銃殺と言う、最も厳しい処分を受け、事故から半年後に隆山軍刑務所で刑を執行された。
 なお、「吉川」も修理不能と判定され、「阿部」と共に艦籍抹消、解体された。この一件で「縁起の悪い艦」とされた同級は当時呉で艤装中の四番艦の工事を中止、改設計のうえ「柏木」級として就役させ、「柳川」一隻が残されるのみとなった。

 しかし、残された「柳川」は後の対米戦で目覚しい活躍を見せ、特に通商破壊活動では多数の商船を撃沈。「孤独の狩猟者」と仇名された。しかし、終戦直前の第二次ニ・ニ六事件で反乱軍に与し、米特使乗艦攻撃のため出撃したが、この直前の改装で同艦と「柏木」の間に装備されていた情報連携装置のため位置を特定され、熾烈な追撃を受けた。その際に強烈な対空砲火に物を言わせ、空母「千鶴」の攻撃隊を退け、「柏木」率いる第八十八駆逐隊にも少なからぬ手傷を負わせたものの、最後には「柏木」の集中砲火により撃沈された。
 
 

軽巡洋艦「吉川」級(元ネタ:リーフ「痕」より吉川、阿部貴之、柳川刑事)

基準排水量10800トン
全長198メートル
全幅20メートル
機関出力98000馬力
速力34ノット
兵装
主砲60口径15.5センチ三連装砲×5
両用砲65口径10センチ連装砲×4
魚雷発射管63センチ4連装×4
機銃25ミリ三連装×8 同連装×6
40ミリ4連装×6 同連装×8(「柳川」第一次改装後)
搭載機水上機×3
同級艦「吉川」「阿部」「柳川」
 
 

軽巡洋艦改「吉川」級「柏木」(元ネタ:リーフ「痕」より柏木耕一)

基準排水量10650トン
全長198メートル
全幅20メートル
機関出力100000馬力
速力35ノット
兵装
主砲60口径15.5センチ三連装砲×4
両用砲65口径10センチ連装砲×6
機銃40ミリ4連装×8 同連装×8
搭載機水上機×2
同級艦「柏木」(2番艦以降は建造中止)