<千堂>級装甲巡洋艦(改<大庭“超甲巡”詠美>級、もしくは<超超甲巡>級)

 <大庭“超甲巡”詠美>級装甲巡洋艦は、当初50口径31センチ3連装砲塔を3基搭載する予定であったが、主砲が38センチ砲に換装されるというドイツの<シャルンホルスト>級巡洋戦艦に対抗するため、建造中に50口径41センチ連装砲塔に変更されて完成した。同級2番艦として建造されていた<千堂>も同様の改修を受けて完成するはずであったが、先に完成した<大庭“超甲巡”詠美>が、戦艦と同じ主砲を搭載していながら装甲がそれに見合うものではないという防御上の欠点を持っていたことにより、これを是正するため<千堂>の建造は一時中断され、対応策が艦政本部で検討された。
 装甲を厚くするという案も出されたが、そんなことをするくらいなら始めから<新城“穂高”さおり>級高速戦艦を建造した方が良いとまで言われ、性能的に中途半端になる<千堂>は建造中止、解体の一歩手前までに追い込まれた。そんな中、1人の人物が<千堂>を救った。その人物とは、亡命ドイツ人技術者コミック・ツェット4等軍属(中佐待遇)である。彼は「試製Z砲」の秘匿名称で呼ばれる新型砲の開発責任者であった。

 その「試製Z砲」とは、砲口の口径は38センチだが砲尾の口径は41センチというこれまでに類を見ない砲――99年式55口径41センチ口径減退砲(またの名をゲルリッヒ砲)――であった。この砲の原理は、発射された砲弾が、だんだん細くなる砲身を進むにつれ圧迫され、その圧力によって加速、砲口から高速で飛び出すというものである(ホースから水を出す際、その口を狭めると水が勢いよく出ることを想像するとわかりやすい)。ツェットは、このときすでに試射段階に入っていたこの口径減退砲を<千堂>に搭載することを主張した。実際、試射においてこの砲は約1100m/秒という凄まじい初速を記録しており、その運動エネルギーは<高瀬“大和”瑞希>級の46センチ砲をも上回っていた。<千堂>はこの化け物砲を搭載し、敵戦艦を専門に撃破せよというのだ。
 口径減退砲はその構造上、砲身命数が短く、無駄弾が撃てないという欠点を持っていた。そのため砲戦時には命中がかなり期待できる距離までに接近しなければならない。それに必要なのが<大庭“超甲巡”詠美>級が持つ速力であった。しかし装甲の薄さがやはり問題であった。必中距離に接近するまでには、当然敵の反撃もある。しかも想定する主敵は大火力の戦艦であった。そこで、砲塔を1基減じ、その分の重量を防御強化に当てることが考えられた。口径減退砲の初速なら、低進弾道で命中率も高い。砲を多数搭載する必要もない。
 かくして、主砲を55口径41センチ口径減退砲連装2基に、装甲を対41センチ砲防御に変更して<千堂>の建造は再開された。が、再開直後にまた新たな変更を余儀なくされる。アメリカ海軍の新型戦艦が33ノット以上の速力を有するという情報と、ドイツ海軍の新型戦艦が41センチ以上の主砲を搭載するという情報がもたらされたのである。これらに対抗するため、<千堂>はオリジナルとはますます一線を隠していった。

 様々な問題に巻き込まれながらもどうにか完成した<千堂>は、36ノットの速力と最大400ミリの舷側装甲を持つに至っていた。甲板装甲はオリジナルと変わらない125ミリである。舷側装甲の厚さに対する甲板装甲の薄さは、同艦が遠距離砲戦を想定していないためである。<千堂>が砲戦距離に入る前――敵弾が大角度で落下する間――は速力と機動力を生かして敵弾を回避、砲戦距離に突入すると直線行動に移らなければならず、そのときは敵弾落下角も小さく、命中する個所は主に舷側となるからである。ただし主砲射撃指揮装置はいざという時に備えて遠距離砲戦が可能なものとされた。
 <千堂>に36ノットの高速を保証する機関は、出力21万馬力の高圧缶である。この機関は<高瀬“大和”瑞希>級とほぼ同じものが採用され、特に<千堂>は、<森川“雲龍”由綺>級の建造を優先させる為に建造中止となった<高瀬“大和”瑞希>級2番艦<武蔵>のために用意された機関が流用されている。
 重装甲高出力の代償として、<千堂>の排水量は約4万トンまでに増大している。この重量増加に伴う安定性の低下は、甲板装甲厚が変わらなかったことと高い位置にあった第2砲塔がなくなり重心が低くなったことによって相殺されている。航空儀装は重量軽減のため全廃され、その部分は一段高められ煙突のある甲板と同じ高さとなり、ダメージコントロール強化のため増員された乗組員の居住区となった。煙突は機関出力増大のために若干大きめとなった。
 <大庭“超甲巡”詠美>と比べると、外見は全体的に面影を残しつつも変化し、性能も大きく変わっていることから、同艦は<千堂>級として<大庭“超甲巡”詠美>級とは区別された。なお、改<大庭“超甲巡”詠美>級とも、<超超甲巡>級(<超甲巡>を超える性能から)とも称された。<大庭“超甲巡”詠美>級の3番艦以降も<千堂>級として建造されるはずであったが、分厚い装甲に高出力機関、そして口径減退砲と、とにかく高コストになる要因が多すぎた。大蔵省に残されている当時の予算報告書を見ると、<千堂>級1隻の予算で、<大庭“超甲巡”詠美>級が2隻建造できる値が記されている。さらにこの時期、すでに同盟国のイギリスはドイツ第3帝国と戦争状態に突入しており、日本はこの英国の救援をしなければならなかった。この状況下、軍令部も連合艦隊司令部も、そして新たに設立された海上護衛総隊も、「ある程度柔軟に使える艦」を多数求めていた(実際、火力、装甲、速力に劣る<大庭“超甲巡”詠美>は大戦中、あらゆる任務で活躍している)。その点<千堂>級は高性能ではあるが、あまりにも艦隊決戦に特化した艦であり、(予算、生産性の問題から)数をそろえるのも難しかった。結局、<千堂>級の建造は2番艦の<九品仏>までで、3番艦からはまた<大庭“超甲巡”詠美>級として建造されている。
 

 <千堂>級装甲巡洋艦
[要目]・基準排水量 40200トン ・全長 244メートル ・全幅 28メートル ・機関出力 210000馬力 ・速力 36ノット
[兵装]・55口径41センチ口径減退砲連装2基 ・65口径10センチ高角砲連装8基
[装甲]・舷側400ミリ ・甲板125ミリ ・砲塔480ミリ
[同型艦]<千堂> <九品仏>
 

 <千堂>と<九品仏>はほぼ同時に完成し、それから数ヵ月後に対米戦が勃発した。この時点での日本海軍は、英国支援のため八八(cm)艦隊計画艦も含む戦力の一部を大西洋方面に投入しており、その中には就役間もない<高瀬“大和”瑞希>も含まれていた。<澤田“信濃”真紀子>はまだ造船台の上。そのような状況下で、ダニエルズ・プラン戦艦16隻、そして条約明け後に建造された<アラバマ>級2隻(残り2隻は当時未完成)を主力とする米太平洋艦隊の戦艦群と正面きって戦うのには一抹の不安があった。そのため海軍も<千堂>と<九品仏>の対戦艦戦隊(通称「ブラザー2」)に期待するところが大きかった。

 内南洋マーシャル諸島沖で行われた日米海軍の艦隊決戦(後に「マーシャル沖海戦」と呼称)において、<千堂><九品仏>はその期待に200パーセント応えた。砲撃をかいくぐって敵艦隊に肉薄、1艦良く3艦を征し、戦隊で敵戦艦6隻を撃沈するという大戦果を挙げたのであった。その中には米艦隊旗艦<サウスダコタ>も含まれている。もっとも、敵に肉薄するその戦い方ゆえ敵の集中射撃を浴び、両艦とも判定中破の損害を受けている。<千堂>のある乗組員は、敵弾の降り来る中、最大戦速で突撃する状態はまさに「修羅場」であったと回想している。海戦自体も連合艦隊の大勝利に終わり(その主な要因としては、戦闘開始早々に<千堂>が米太平洋艦隊司令部をその旗艦ごと撃沈し、指揮系統を崩壊させたことである)、戦争は以後空母機動部隊同士の戦いとなった。
 修理完了後の「ブラザー2」戦隊は一時期機動部隊の護衛任務にもついていたが(この間<千堂>は「第2次ビキニ沖海戦」で防空軽巡<桜井>を救出する戦闘を経験している)、
2度目の日米艦隊決戦「トラック沖海戦」でも戦艦キラーとして活躍、対米講和後の第3次世界大戦でも多数のドイツ艦を海の藻屑と変えている。

 第2次、第3次両大戦における<千堂><九品仏>の活躍は、両艦の艦長を抜きにしては語れないであろう。この2人は海兵同期の親友同士であったが、その性格はまるで違った。<千堂>艦長は良識をわきまえた人物で、部下の面倒見が良く、絵と漫画を描くことを生きがいとしていた。その自分の作品を機会があるごとに艦内に展示、もしくは配布し、乗組員からの好評を集めていた。なお乗組員たちは、艦長のその趣味から、主砲41センチ口径減退砲を「艦長のGペン」と呼んでいたという。
 それに対し、<九品仏>艦長は、海軍でも知らぬ物はいないほどの名物男で、普段の言動から思想的に危険であるという誤解も受けていた(特に共産主義者としての誤解が多く、一部ではナチスに傾倒しているという噂もあったが、本人は「ナチスだろうが何だろうが帝国に仇なすものは我輩が沈めてくれる」と否定したという)。無能の評価には程遠い人物ではあったが、彼の部下は彼を嫌わないまでも気味悪いという印象を抱いていた。マーシャル沖海戦で<インディアナ>を轟沈せしめた際にも、2つに折れて沈み行く<インディアナ>を眺めながら、「我輩のヴァルハラにようこそ、まい同志」と呟いたことが副長により確認されている。そのときの表情はまさに「地獄の支配者」の様であったとその当時の副長は後に語っている。

 大戦後も、<千堂><九品仏>はその快速による緊急展開能力を生かして、1985年に長年の酷使による老朽化で引退するまで活躍した。その間日本が関わったすべての海外紛争に投入され、いつしか「ブラザー2」戦隊は「本土を遥か離れたところから壁のように帝国の安全を守る」という意味から「壁際戦隊」と国民から呼ばれるようになった。なお1963年に両艦は後部砲塔を撤去、そこにミサイル発射機とミサイル庫を設置する改装を受け、「ミサイル装甲巡洋艦」となっている。<千堂><九品仏>引退後、これまで両艦が担っていた「海外展開の尖兵」の役割は、現役復帰し近代化改装された<高瀬“大和”瑞希>、<澤田“信濃”真紀子>、<大庭“超甲巡”詠美>、そして新型の打撃巡洋艦<朝日>が引継いでいる。

 引退後の<千堂><九品仏>はその後数年に渡る予備艦状態を経て結局解体された。しかし「艦長のGペン」こと<千堂>の99年式55口径41センチ口径減退砲は1門が船の科学館に屋外展示され、当時の面影を残している。