<新城“穂高”さおり>級戦艦  
(Sinzyou“Hotaka”Saori Class,IJN)

 <長谷部“高千穂”彩>に続く<金剛>、<扶桑>級代艦として計画された高速戦艦。

 旧式化した<金剛>級代艦として建造された<長谷部“高千穂”彩>級(同型艦無し)は期待された以上の能力を発揮した。様々な実験的な試みは貴重なデータを日本海軍(とその同盟国海軍)にもたらし、また実戦でも高速戦艦としてのメリットを存分に発揮した。
 だが、<金剛>級の退役によって引き起こされた高速打撃艦の不足は日本海軍に深刻な不安を抱かせた。仮想敵国であった合衆国海軍は多数の高速戦艦の建造計画を打ち出しており、また高速打撃艦不足を<長谷部“高千穂”彩>一隻で補えるとは日本海軍は考えることができなかったのである。
 <新城“穂高”さおり>級はこうして計画された。日本海軍は<長谷部“高千穂”彩>で得た新機軸を本級で本格的に取り入れ、高速戦艦の“完成品”と呼ぶべきものを作り出そうとしたのである(また、これには本級を<大和>級のテストベットにするという考えもあった)。  
 <長谷部“高千穂”彩>がベースとなっているだけあり、本級は非常にうまくまとまった艦となった。
 まず主砲は、<長谷部“高千穂”彩>でその有効性が証明された50口径40センチ砲を三連装三基九門装備していた。これは<長谷部“高千穂”彩>で問題点が指摘された四連装砲塔を改めた形となっている。この形は以後の日本戦艦数隻――<大和>級や<白根>級――に受け継がれることとなる。
 また、防御機構はこれも<長谷部“高千穂”彩>で採用された船体構造そのものを防御機構にして考えるという方式が取られた。
 出力に関しては、砲門の減少、設計の簡略化にともない、<長谷部“高千穂”彩>より1ノット増加――34ノット――したが、高圧艦の問題点も引き継いでしまった(これは高速性を維持するために問題点を知りつつ採用された)ため、時に“から回り”してしまうこともあり、テンションが高いときと低い時の差が激しい艦となった。
 本級は予算の都合上<長谷部“高千穂”彩>と同じく一隻のみの建造となったが、その高速性と機動性により敵味方問わず強引な戦法で他の艦を引きずりまわし、40年代に発生した全ての戦争に活躍した。
 なお、本級は隠語として「さおりん」の名称が一般化していた。これ本級艦内で配られていた艦内新聞「八八アミューズメント新聞 さおりんといっしょ」(さおりんは著者のペーンネーム)が艦内にとどまらずGF全体で大好評となり、いつのまにやら「さおりん」の名が定着してしまったこと原因がある。
 

<新城“穂高”さおり>級の戦歴

 <新城“穂高”さおり>級の初陣は、彼女にとっては悪夢のような状況で発生した。標的艦<太田>暴走事件。後に皮肉にも日本の電波兵器の大発展に寄与することになる日本軍艦同士の戦いに参加したのだった。
 無人操作実験中、最新射撃装置を装備していたため(あるいは“電波”の影響か)正確無比な射撃を続ける<太田>に対し、すでに多くの艦が傷付いていた。<新城“穂高”さおり>は戦場に到着するなり、射撃訓練中であった試作砲弾(後の三式弾)をもちい反撃にうつった。彼女はその砲弾しか装備していなかった。
 第一斉射から第四斉射まではすべて命中しなかった。彼女と訓練に立ち会っていた<長瀬>特殊電波兵器試験艦が戦線から離脱していたことが原因だった。<長瀬>は<太田>のハッキングを試みたが失敗、被弾し、航行不能となっていた。
 独力で、しかも試作砲弾で立ち向かった<新城“穂高”さおり>だったが、いかに最新鋭艦対標的艦でも命中がなければ意味はない。
 <太田>の反撃は第四斉射が終了した直後に行われた。<太田>の砲弾は運悪く<新城“穂高”さおり>の文字通り“首”といえる前部福砲にダイレクトヒット、誘爆をひきおこさせた。このときの艦長の「夢…だよね」というセリフは名言の一つとなる。
 だが、艦長はもちまえの気の強さと元気のよさで被害を最小限に食い止めるように指示、ダメージコントロールを成功させる。この時点になると軽巡<藍原>および多数の人員の努力によって<太田>のいき足と射撃は鈍っていた。
 <新城“穂高”さおり>艦長は損害を気にせず(内心では幽霊を見たときのような恐怖をあじわっていたが、虚勢でのりきっていた)近距離に近づき、試作砲弾を全力で放った(その弾道はあまりにも美しくまた直線的だったので、これを見たものは口々に彼女の射撃を「火の玉のスパイクみたいだった」と述懐している。これにより以後三式弾での射撃は「火の玉スパイク」と呼ばれることとなる)。
 外し様もない距離での射撃は<太田>に大損害を与えた。これを(公式には)とどめとし、<太田>はやっとのことで沈黙する。
 犠牲は大きかった。だが、電波兵器に有効性――特に電探の有無による効果――、そして三式弾の対艦(対空ではない)効果などが確認され、それらをせめてものなぐさめとして事件は終了した。

 事件は関係者の心におおきな傷を残した。(これについては<太田>暴走事件のドキュメンタリー小説、「雫」がベストセラーとなっている)。中には錯乱して寝こむ人間もいた。
 だが、<新城“穂高”さおり>の艦長を含む乗組員は違った。「火の玉スパイク」でとどめをさせたことに誇りすら抱いていた。これ以後の<新城“穂高”さおり>の竹を割ったような性格と活躍の原因と言える。 
 <新城“穂高”さおり>の活躍は大戦時にふたたび注目される。彼女はあの有名な遊撃部隊<アウトラルバスターズ>を<太田>事件に参加した三艦と組み、火の玉スパイクを引っさげさらなる活躍を見せることとなったのだ。彼女は出来る限り無線を開放するという派手な行動で<アウトラルバスタ―ズ>の砲戦打撃戦力として活躍した。
 

要目 
全長  246メートル     機関出力  15000馬力  
全幅  33メートル      最大速力  33.5ノット
基準排水料  43000トン
兵装
主砲  50口径40センチ砲三連装三基
副砲  50口径15.2センチ連装四基