〈大庭“超甲巡”詠美〉

 本級は一般に言われるように、ドイツで建造された〈シャルンホルスト〉級巡洋戦艦に対抗する目的で建造された訳ではなく、当時、対米戦におけるドクトリンのひとつであった、水雷戦隊による大規模な夜襲の際の旗艦として建造された。また、旧式化が明らかになっていた〈金剛〉級高速戦艦に代わる空母機動部隊向けの大型護衛艦としての運用も考慮されている。
 基本的には対〈シャルンホルスト〉級として建造されていたわけではなかったが、同タイプの艦として〈シャルンホルスト〉級の存在も無視できず、同級が主砲を〈ビスマルク〉級と同一の38.1センチ砲に換装するという情報を手に入れた海軍は、建造途中だった本級の主砲を、当時「実力は〈宮内“13号艦”レミイ〉以上」と噂されていた〈長谷部“高千穂”彩〉用に生産されていた新型の41センチ連装砲に変更している。結果、本級は大戦末期にドイツが建造した最後の大型水上戦闘艦、〈マッケンゼン〉級(O級)巡洋戦艦と酷似したシルエットを持つことになる。
 対独戦においては遣欧艦隊の中核として空母の護衛から本業の水上夜戦など、華々しい任務を数多くこなし、当時の新聞には「北海の女帝」とまで賞されたという。

 だが、「北海の女帝」は一般の評価の割に、いくつかの欠点を内包した艦であった。
 まず第一に、あくまで敵重巡洋艦の撃破を目的としていたため、間接防御に留意されてはいたものの、絶対的な装甲厚はせいぜい対20センチ砲防御程度に過ぎず(さすがに弾薬庫だけは強化され、対36センチ砲防御となっていた)、41センチ砲を搭載しながら、戦艦相手の正面切った砲戦は不可能同然だった。また、射撃指揮装置にしても31センチ砲用のものに簡単な改修を加えたもののみとなっており、遠距離砲戦能力も皆無に等しかった(演習における評価では、遠距離砲戦の散布界は「極メテ劣悪」とまで言われている)。

 戦後、その欠点から「〈大庭“超甲巡”詠美〉よりも〈長谷部“高千穂”彩〉を」などと言われ、早々に保管艦扱いになった〈大庭“超甲巡”詠美〉だったが、70年代以降、海軍における水上打撃力の見直しが図られた結果現役復帰、対空誘導弾をはじめとした多数の新型兵器を搭載するなどの改装を受け(そのなかで最も目立つものは、「沈みにくい」前衛哨戒艦として、新型防空システムを搭載した特異な艦橋構造だろう)、2000年現在も海軍の水上打撃部隊の中核として現役にあり、93年に勃発した湾岸動乱では、イラク懲罰攻撃の海軍における第一陣として44式巡航誘導弾によるバクダッド攻撃に参加したことも記憶に新しい。