軽巡洋艦〈長瀬〉(英連邦海軍嚮導駆逐艦〈セバスチャン〉)
Light Cruiser "Nagase" ,IJN(Destroyer-Leader "Sebastian" ,RN)
【元ネタ:セバスチャン/To Heart/Leaf】


 本級は八八艦隊計画における補助艦艇の増勢の一環として建造された。当時すでに、後の日本製軽巡洋艦の標準となる5500t級の計画が進められていたが、補助戦力として増勢が明らかであった、二等駆逐艦によって編成される二線級部隊あるいは潜水艦隊の旗艦として建造された(※1)。
 基本的な設計は日本初の軽巡洋艦、〈天竜〉級の設計を一部改めた(機関の重油専焼化、魚雷発射管の改正)のみに止まり、シルエットは5500t級軽巡洋艦をコンパクトにしたようなものとなった。
 しかし、隆山条約による補助艦の規制と、主力艦戦力維持を目的とした大規模な海軍の予備艦指定は〈長瀬〉をも襲った。二線級部隊であるならば、わざわざ平時から高い充足率を保つ必要はない。潜水艦隊旗艦もまた同様。戦時(特に艦隊決戦)において潜水艦隊旗艦に軽巡洋艦が必要なのは、水上偵察機による高い索敵能力で潜水艦の低い策敵能力を補うために過ぎない。平時の旗艦はそれこそ潜水母艦で十分過ぎる。
 そして、〈長瀬〉は艦籍を現役におきながら宿泊艦として、柱島の片隅で保管されることになる。この間には多くの逸話が残されている。曰く、対米戦を企図した「闇の連合艦隊」に編入されただの、艦長(名目上最低限の乗員は与えられていた)は上陸の度に盛り場に出ては殴り合いの喧嘩をしただの……ともあれ列挙に暇がない。
 しかし、正式に残された記録にはこの間の〈長瀬〉についての記述はない。また、歴代艦長で喧嘩が理由で問題を起こした経験を持っている者もいない。このことについてはむしろ、〈雄蔵〉にまつわる様々な伝説と同類のものと考えて良い。

 〈天竜〉に次ぐ最古参の軽巡洋艦であったことから、42年頃には廃艦、解体される予定だった〈長瀬〉の運命を変えたのは、ドイツのポーランド侵攻に端を発する第二次世界大戦の勃発であった。10年原則に伴い、海軍の拡張を可能な限り抑えてきた英国海軍は、主力艦戦力こそ一定の戦力を備えていたが、補助艦艇については、合衆国大西洋艦隊を対抗戦力――敵に加えた場合、不足する可能性が目に見えていた。
 英国は補助艦の整備を急ぐとともに、窮余の策として同盟国である日本に対して補助艦の提供を依頼した。日本海軍は直ちに旧式化していた〈睦月〉級駆逐艦とともに、英国に対して戦時貸与の形で〈長瀬〉を英国海軍に譲渡した。ちなみに〈長瀬〉の機関は長年予備艦同然の状態で維持されていたため、その艦齢に比して機関の状態が極めて良好だった。
 すでに、一部の大型駆逐艦が2000tを上回る排水量を持っていたことから英国海軍は1940年、〈長瀬〉を嚮導駆逐艦に分類、〈セバスチャン〉と改名して英国海軍籍に編入した(ちなみに、この異例とも言える命名には「魔女」が絡んでいたという説もあるが、これは俗説に過ぎない)。また、この際補給の便を考え、武装を英国式のものと換装している。なお、61cm魚雷発射管に代えて装備された53.3cm魚雷発射管もその一つだったが、シンガポール工廠で搭載された発射管は旧式の備蓄品で火薬式の発射装置だった。このため、魚雷を一斉発射した場合、落雷を思わせる大音量が響いたという。

 ともあれ、〈セバスチャン〉の名を与えられた〈長瀬〉は英国最後の残照を飾るのに相応しい活躍を示した。
 第二次ゼーレーヴェ作戦では、艦砲射撃に出撃したドイツ海軍装甲艦〈春原“リュッツオウ”七瀬〉に魚雷2本を命中させ、艦砲射撃続行を諦めさせている。惜しむらくはそれが英国製の空気魚雷であったことだった。もし日本海軍が保有していた酸素魚雷ならば(※2)〈春原“リュッツオウ”七瀬〉を撃沈に追い込むことも可能だっただろう(※3)。

 第三次大戦では東洋艦隊に所属、かつての僚艦――そこにはかつて海軍大演習で死闘を繰り広げた〈来栖川“紀伊”綾香〉や、八八(cm)艦隊計画における対米邀撃計画では護衛する対象であった〈来栖川“長門”芹香〉とともに、インド洋の制海権確保に奔走した。
 それだけの錚々たる戦歴に恵まれながら、ただの一度も大損害を受けることなく戦い抜いた幸運艦〈セバスチャン〉は、その後故郷である日本に返還されている。そして現在も、日英友好の証――あるいは、帝国が生き抜くために「信義に厚いサムライの国」ということを示さなければならない時代があったことの印として、現在も横須賀の海軍公園に〈来栖川“長門”芹香〉に付き従うように展示されている。

 なお、〈長瀬〉の艦名は41年に建造された大型工作艦、そして60年代に就役した反応動力推進巡洋艦にも引き継がれている。

(※1) 八八艦隊による人員・予算の問題から、補助任務に使用できる艦について、人員及び経費を圧縮する必要は計画段階で既に存在していた。
(※2) 最終的に、日本海軍は酸素魚雷を英国に対して供与しなかった。ただし、最大の理由は魚雷の規格でも、日本海軍の秘密主義でもなく、酸素魚雷運用のための設備(特に酸素発生装置)を増設するための期間を英国が嫌ったためであった。
(※3) とはいえ〈春原“リュッツオウ”七瀬〉は修理に2ヶ月近い損害を受けており、修理された時には〈ダンケルク〉作戦自体が終了していた。

【要目】
[新造時]
排水量:3250t
全長:157m
全幅:13m
武装:50口径14cm砲 単装4基
    8cm高角砲 単装2基
    61cm連装魚雷発射管(固定式) 2基
[〈セバスチャン〉]
排水量:3540t
全長/全幅は新造時と同様
武装:4インチ連装高角砲 3基
    40mmポムポム砲 6基
    53.3cm4連装魚雷発射管 2基
    ヘッジホッグ 1基 他