〈宮内“伊吹”レミイ〉型巡洋戦艦     Miyauchi-Ibuki-Lemmy Class , IJN

 〈保科“天城”智子〉型巡洋戦艦に次ぐ、八八艦隊計画における巡洋戦艦の第二シリーズであり、八八艦隊計画最終艦。

■建造にいたる経緯
 本艦型は当初、合衆国海軍が建造した〈サウスダコタ〉級戦艦に対抗するため、〈来栖川“紀伊”綾香〉と同様、41cm砲を12門搭載する計画であった。しかし、〈サウスダコタ〉級に対する優位が得られないと判断されたため計画を変更、通常型の「戦艦」としては初めて46cm砲を搭載する「巡洋戦艦」として建造が開始された。
 計画通り完成したならば、あらゆる状況において敵戦艦・巡洋戦艦に対して優位に立つことのできる高速戦艦という、ポスト・ジュトランドタイプの巡洋戦艦の特徴を具現化したような艦になったと推測できる。だが、史上初の大規模軍縮条約として知られる隆山軍縮条約会議が、本艦型の運命を大きく変えた。
 このとき、合衆国は主砲口径を最大16インチに制限することが合衆国から提案――一説には、合衆国が、当時〈13号艦〉という秘匿呼称以外公表されていなかった〈宮内“伊吹”レミイ〉型の46cm砲搭載をつかんでいたため、といわれているが、第三次世界大戦(および合衆国崩壊)の混乱により資料が散逸しているため定かではない――されたのだ。最終的には当時唯一18インチ(457ミリ砲)を搭載した艦、〈フューリアス〉級軽巡洋戦艦を保有していた英国のみが超16インチ級主砲を搭載する艦の保有を認められる形で妥結することになった。
 16インチ以上の主砲搭載の原則禁止という会議の意向を受けた海軍は、直ちに〈宮内“伊吹”レミイ〉型の設計を主に武装の面で変更することになった。この際、せめて〈サウスダコタ〉と同等の砲門数を確保すべきと、当初案の41cm砲3連装4基搭載という意見も出されていたが、「保有」という既成事実を押し通すことで戦艦、特に新型高速戦艦の保有数においては合衆国との均衡を図ろうとしていたことから、46cm砲用砲架に、小改造を加えて半ば強引に41cm砲を搭載する形――つまり、〈来栖川“長門”芹香〉と同じ、41cm砲8門――で本艦型は完成することになった。

■概要
〈第一状態〉
 竣工から、「第二状態」への改装までの間、〈宮内“伊吹”レミイ〉型は45口径41cm連装砲塔を4基搭載する、〈来栖川“長門”芹香〉型を大型化したような巡洋戦艦として運用された。このときの評価は、「(他の八八艦隊計画艦に比べると)中途半端な巡洋戦艦」とされることが多かった。事実、砲力としては八八艦隊計画艦中最低クラス、また、速力も〈保科“天城”智子〉型に比べてもせいぜい1ノット優速な程度であり、それだけでみるならば戦艦でもなければ巡洋戦艦としてもいささか鈍足な、どっちつかずの艦といえた。
 加えて、「第二状態」を持つ性格上、本艦の詳細は機密とされたことから、同型艦については艦名と概略性能のみが公表されていたため、国民からの親しみを集めるものではなかった――公表された写真は4番艦〈宮内“戸隠”シンディ〉のみであり、「第一状態」での写真はネームシップの〈宮内“伊吹”レミイ〉に次いで多い。
 また、排水量的には〈来栖川“紀伊”綾香〉を大幅に上回る大型艦でありながら、基本的な舵の構造は旧来のタイプであったため操舵特性に問題を抱えており、特に1番艦〈宮内“伊吹”レミイ〉などは、敵味方問わず衝角攻撃を行いかねない程であった(事実、重巡洋艦〈藤田〉は演習において、何度か衝突の危機にさらされていた)。

〈第二状態〉
 本級が所謂「第二状態」として再就役したのは、合衆国が隆山条約から脱退を表明した、1936年のことである。旧来の三年式45口径41cm砲に換えて、新式の94式45口径46cm砲が搭載された。
 本砲は、〈フューリアス〉をテストベッドとして改良が重ねられたものであり、冶金技術の向上によって、当初搭載が予定されていた砲に比べて30%の軽量化に成功していた。なお、〈高瀬“大和”瑞希〉型に搭載された50口径46cm砲は実質的に本砲の砲身延長型であった。余談ではあるが、もしこの技術的な蓄積がなければ、〈高瀬“大和”瑞希〉型への50口径砲搭載は見送らねばならなかっただろう、といわれている。
 この砲を搭載するため、同級4隻は一時的に英国に派遣されている。またこのとき、派遣先の英国で3番艦〈宮内“阿蘇”あやめ〉を除く3隻は計画中であった〈高瀬“大和”瑞希〉のテストベッドとして、実験的に塔型艦橋を採用(艦橋基部は英国式の箱型艦橋だった)したため、「ガイジンさん」などと苦笑混じりに呼ばれることもあった。なお、これは、〈比叡〉で試験された塔型艦橋が46cm砲の爆風に耐えうるかどうか、という点の試験でもあった。ただし、〈宮内“阿蘇”あやめ〉は期間的に改装が間に合わないと判断されたため、46cm砲への換装のみが行われた。
 その後の大規模な改装としては、ミッドウェイ海戦で受けた損傷修復を機に、副砲の撤去と、高角砲の増設を行っている。
 軍縮条約の制限上、不本意な姿となって完成した本級だったが、その後、太平洋戦争や、第三次世界大戦で示した戦果は八八艦隊計画艦の中でも有数のものであったと評価できるだろう。

■戦歴
 改装後、暫くの間インド洋、大西洋方面で英国海軍と協同し、示威行動についていた本級だったが、日米間の緊張激化とともに(また、英国海軍の本国艦隊重視政策もあって)連合艦隊に再度編入されることになる。そして、日米最初の大規模水上戦、第一次マーシャル沖海戦では第4戦隊(角田少将)を構成、参加している。
 このとき、第4戦隊は撤収を始めた合衆国艦隊に対して肉薄、〈ワシントン〉を含む、合衆国艦隊の後衛部隊を壊滅に追い込んでいる(ただし、彼らの後衛戦闘によって旗艦〈マサチューセッツ〉など、損傷艦の一部が脱出に成功している)。
 マーシャル沖海戦、東アジア艦隊追撃戦と、赫々たる戦果を上げた〈宮内“伊吹”レミイ〉とその同型艦だったが、その後のミッドウェイ海戦では〈宮内“伊吹”レミイ〉を除く全艦が中破以上の損害を受けることになった。
 このため第4戦隊は一時的に解隊、軽微な損傷でおさまっていた〈宮内“伊吹”レミイ〉は第5艦隊に配備され、満州からシベリアに侵攻した合衆国陸軍に対する補給寸断の役割を担った。
 このとき、彼女が示した執拗な追撃は、「まるであれは優れたハンターが水鳥を追い詰めているようであった」と、第2次アッツ沖海戦で乗艦が撃沈され捕虜となった大型巡洋艦〈アラスカ〉艦長、アーレイ・バーク大佐(当時)は面会に来た中立国新聞記者に語っている。

 第三次世界大戦においては、旧式化していたことから主にインド洋方面におけるドイツ水上艦部隊の捜索撃滅などの任務についている。なお、停戦後、最も状態のよかった〈宮内“戸隠”シンディ〉を除いて全艦が予備艦指定を受けている。
 〈宮内“戸隠”シンディ〉については兵学校付けの練習艦として改装を受け、現在も静態保存ながら江田島の海軍兵学校敷地内に係留されている。なお、同艦は今日においてもかつての乗組員をはじめとした有志の手によって、塵ひとつ残らないほどの清掃が毎日行われている。これには、一時期、係留とは名ばかりで放置同然だった〈宮内“戸隠”シンディ〉をみた元乗組員が、「これでは内務長に怒鳴られる」として、基金を集めて維持管理事業をはじめたという、嘘のようないきさつがあったといわれている。
 とはいえ、〈宮内“戸隠”シンディ〉の歴代内務長が清掃には気を使っていたという(ミッドウェイ海戦後、損傷修復のために工廠に引き渡す際にも、可能な限りの清掃が行われていたという、工廠側の記録もある)ことは事実らしい。

■要目
〈第一状態:竣工時〉
排水量 53,000トン
全長 257m
全幅 32m
速力 32ノット
武装 主砲 45口径41cm砲 連装4基
   副砲 50口径14cm砲 12門
   高角砲 45口径12cm高角砲 4門
   53.3cm魚雷発射管 8筒(水中)
搭載機 水偵・観測機 計4機
    観測用気球運用可能

〈第二状態:太平洋戦争開戦時〉
排水量 60,500トン
全長 260m
全幅 33m
速力 31ノット
武装 主砲 45口径46cm砲 連装4基
   副砲 50口径14cm砲 8門
   高角砲 40口径12.7cm連装高角砲 6基
搭載機 水偵・観測機 計4機

〈最終状態:第三次世界大戦開戦時〉
排水量 61,900トン
全長 260m
全幅 33m
速力 30.5ノット
武装 主砲 45口径46cm砲 連装4基
   両用砲 50口径12.7cm連装両用砲 12基

同型艦 〈宮内“伊吹”レミイ〉
    〈宮内“鞍馬”ジョージ〉
    〈宮内“阿蘇”あやめ〉
    〈宮内“戸隠”シンディ〉 (1968年 練習艦に類別変更)

練習艦〈宮内“戸隠”シンディ〉(1968年)
排水量 59,500トン
全長 260m
全幅 32m
速力 26.5ノット(規定での上限)
武装 主砲 45口径46cm砲 連装3基
   両用砲 50口径12.7cm連装両用砲 4基
   ※旧三番主砲の位置には訓練生区画等が追加されている