因みに<保科>という艦名は長野県を流れる「保科川」から名付けられたのだが、極めて異例な事に
この艦の名付け親はある皇族の手によって決められたらしい。(噂として、昭和初期に保科村をお忍びで
訪れた際いたく感動されたとか、その地の名を記した日本酒を御気に召されたとか、酷いのになると
御泊りになった旅館で、西洋女中服を身に纏い眼鏡を掛け関西弁を話す若女将に轟沈されたという
与太話もあったのだが、あくまでも噂止まりであって確証は未だにされてない。)
完成まで波乱万丈含みの本艦ではあったが、実戦投入後の活躍は目覚ましく、敵であるUボートに
対しては、「晴嵐」から投下される収束対潜弾が絶大な効果を発揮し(その対潜弾が投下後分裂し、
逃げる間も無い敵潜を一瞬で葬りさる所を見た乗組員達はまるで炎のツッコミの様だったと、
口を揃えて供述していた。)、敵であるUボート船長達から『(送り)狼殺し』と呼び恐れられ、味方である
護衛船団に対しては見事な統制力を発揮し、何時しか「委員長」【注2】の異名を受ける様になった。
(流石に、護衛船団天使の『<牧村>級砲塔運搬艦』の統制力と比べるには無理ですが・・・)
第三次世界大戦休戦後に<保科>級は、対潜ヘリ搭載型巡洋艦として大改装する事になり、
艦政本部から改装案が出されたが、「この案では、改装日数と費用が掛かり過ぎる」と軍令部が反発し、
危うく問題が複雑化するところだったが双方による協議の結果、妥協案として当初の案を<保科>に、
軍令部側の(設計を簡略化した)改装案を<猪名>に施す事で、一応の合意に達した。
双方の改装案だが、軍令部案を採用した<猪名>の場合は、艦尾甲板にあるカタパルト等を撤去し
その上にヘリコプター発着甲板を被せただけの改装(水上機の格納庫は、そのままヘリのそれとして
流用している。)であったが、<保科>の場合は、格納庫より後ろの部分を撤去した後、その場所に
船殻を上乗せする形で船内格納庫を設置し、新たに保守整備用の格納庫とエレベーターを設置する
という大規模な改装となった。
〔あまりの変わり様に、一部の口の悪い<猪名>乗組員は<保科>の後部甲板を指し「あんな重い
モノを乗せて転覆しないか?」と言い、それにカチンと来た<保科>乗組員も「そりゃあ、(後部甲板が)
つるぺた真っ平らなら関係無いね」と言い返した為、<保科>と<猪名>の乗組員同士が
取っ組み合いの大乱闘になってしまったという、弊害(?)まで起こってしまったのは一部では有名な話である。〕
色々な意味で話題となった<保科>級ではあったが、その能力と戦果に国内だけでなく(敵味方問わず)
諸外国も絶賛し、特にロシア海軍は<保科>級と殆どの部分で酷似している<モスクワ>級ヘリ空母
(コードネーム『ホシナスキー』)を建造してしまうぐらい惚れていたと伝えられている。
・【注1】 捕獲したドイツ製の発動機をコピーした熱田エンジンを、英国製のマーリンエンジンに換装した
「晴嵐」の通称。性能・整備性・信頼性などは元の機体よりアップしたが、組織・技術上の
パラダイム・シフトに乗り遅れ、主力機と成り得なかった。
・【注2】 この愛称の元ネタはその当時、試験的にTV放送が開始した時と同時に放映されたドラマ
『2年B組木林先生』に出演しているヒロインの内の一人、「保科智子」の渾名からきている。
[要目] ・全長180m ・全幅18.5m ・機関出力11万馬力 ・最大速力33.5ノット
・基準排水量10900トン
[兵装] ・主砲60口径15.5サンチ砲三連装二基 ・両用砲65口径10サンチ砲連装四基
[搭載機] <保科>晴嵐8機 <猪名>瑞雲7機(それぞれ、主に対潜用に運用)
[同級艦] <保科> <猪名>