■「フォール・アウト」作戦

 合衆国満州派遣軍が最後に行った組織的抵抗。
 43年の「ロスト・エンジェル」作戦の失敗は、北太平洋方面、ダッチハーバー?アリューシャン?シベリアの補給線の分断という結果を生んだ。このため、合衆国満州派遣軍は組織的抵抗が不可能な状況に追い込まれていた。
 幸い、沿岸からの攻撃を予想し、内陸に分散配置されていた補給物資はそれなりの数を残しており、持久そのものは可能だった。
 だが、満州派遣軍の攻勢能力喪失を確認した日本軍は、空母勢力の回復とともに中部太平洋方面での総反攻を開始、44年にはハワイ防衛のため撤退していたミッドウェイ諸島を無血占領、ハワイを攻撃圏内に収める段階に至っていた。
 「フォール・アウト」作戦はこういった状況の中、満州派遣陸軍航空隊残余兵力による反撃作戦として立案された。
攻撃目標は日本北部における最大の軍事・民生共用の造船プロダクションセンター、苫小牧造船所。あえて札幌市街が目標から外された理由は、公式には海軍航空隊千歳飛行場の哨戒圏に近かった、ということになっている。ともあれ、主力はアラスカ経由で少数が持ち込まれたB?29“ガディム”。また、その護衛としてすでに旧式化しているものの、速度的には未だ同等程度の性能を持ち、航続力の面でも不足はないP?38が編入された。また、助攻として、「ロスト・エンジェル」作戦生き残りのB?17“ラルヴァ”によるソウル爆撃も計画されていた。
 そして44年9月。
 満州派遣軍は、自らの存在を示すかのように、「フォール・アウト」作戦を決行した。
 結果からいえば、攻撃隊の消耗(帰還率約10%、この中には損傷機も含まれる)に比して、日本に与えた損害は微小なものにとどまっていた(攻撃隊の損害の中には、苫小牧近郊で試験が行われていた〈奮龍〉対空誘導噴進弾によって撃墜されたものもあった)。
 だが、微小とはいえ例外もないわけではなかった。投下された500ポンド爆弾によって、建造中の戦時標準船2隻が損傷、潜水艦1隻が船台から落下、大破している。
 この結果、満州派遣軍は備蓄物資のほとんどを消耗(特にガソリンの面で顕著だった)、結果、終戦を待つことなく、ハワイ陥落の翌日、満州派遣軍は降伏することになる。