まずは確認です。1940年末から1941年中頃の大西洋戦線の簡単な年表です。RSBC史実も参考にしました。
1940.8 アドラーアングリフ発動(第1次英本土航空戦開始)
11 日本海軍、第2次遣英艦隊派遣
空母<千鶴(初代)>の悲劇(第9次遣英船団護衛戦)。
1941.5 <ローレライ>作戦。日英艦艇大損害。
独軍、アゾレス進駐。
1941.6 アゾレス沖海戦。日英空母部隊壊滅。
国際状況(1941年中盤)
戦局の焦点は英本土と大西洋(北アフリカは序盤)。ドイツは英本土上陸に向けて全力を傾け、積極的な海空作戦を実施。日英は艦隊戦力、航空戦力ともに大消耗。合衆国はドイツに対し兵器援助。大戦にはいまだ未参戦。ソ連は沈黙。
と、まぁ、このような感じになるとおもいます。重要なのは5月6月に日英艦隊がかなりの損害を負っていることです。とくにアゾレス沖海戦。空母戦力の激減はドイツに英本土侵攻を決意させるに充分な理由と考えます(それでも英国旧式戦艦群は健在ですが)。あと、英国空軍が英本土航空戦を1年も戦えたのか? という疑問もありますが、これは日本からの援助によって可能ではないかと思います(6月までに敗北)。ドイツ空軍も合衆国からの援助によって空爆を続けられたと思いますし。
で、ゼーレーベ発動が独ソ戦開始直後の6月とすると、アゾレスの直後でドイツ海軍にとってはかなり忙しいことになりそうですが、これはアゾレス沖海戦を6月初旬、ゼーレーベ発動を下旬とすればなんとかなりそうです。空母艦載機は予備を用意しておいた、とか。
ソ連がゼーレーベのタイミングを狙っての侵攻については問題ないと思います。田舎泥棒的手腕はソ連の十八番ですし(笑)。
余談ですが、クレタが1944年まで持っているのは、本来(史実)ならば4月に発動されるはずのクレタ侵攻作戦は6月(予定の)英本土攻略のために空挺部隊戦力の温存をヒトラーが決めたため中止された、というのはどうでしょうか?