東部戦線試案

・独ソ戦開始時期
 第一次ゼーレヴェ作戦における、イギリス本土上陸作戦開始直前、
「義勇艦隊として、イギリス上陸作戦に参加」
という名目で、ドイツ近海に進出していたバルチック艦隊が、突如キールなどのドイツ港湾施設の攻撃を開始。
 それに伴い、ソ連地上軍も奇襲攻撃を開始。
 最初の一撃で、港湾施設や侵攻作戦用の補給物資などイギリス上陸作戦に必要な物に大損害を受けたため、第一次ゼーレヴェ作戦は実行不可能に。

・独ソ戦、最初の方の経過
 ヒトラーは、まず最初にイギリスを打倒することを優先。増援部隊や物資を西部戦線に集中投入することに。
 ろくに物資も回ってこない東部戦線を実質的に管轄するのは、ソ連参戦に伴い、参謀総長についたグデーリアン将軍。
 史実で彼が参謀総長の座にあった1944中盤〜1945初めまで、東部戦線でグデーリアンが行った施策が成功したという設定(グデーリアンの最初の構想通りの『国民突撃隊』の編成や、『夏至』作戦の成功など)で、一時はオーデル川まで押された戦線を戦争開始時の独ソ国境を越えて、押し戻すことに成功する。

・バルチック艦隊の最後
 第2次ゼーレヴェ作戦で、英本土が陥落した後、幾つかの特殊部隊に支援されたドイツ軍の攻撃によって、レニングラード陥落。その際のドイツ艦隊の攻撃によって、バルチック艦隊も壊滅。
 ただし、この時のドイツ艦隊は、英本土陥落時の戦闘で大損害を受けており、戦艦は1隻だけで(何にするかは未定)、後は小艦艇ばかりで、元イギリス軍の艦艇も多数混じっている状態。
 具体的な時期は未定ですが、第2次ゼーレヴェ作戦との絡みも考えると、1943年の春〜夏頃か?