ドイツ関連

「第一次大戦後、ベルサイユ講和条約によって海軍軍備についても大幅な制限を受けたドイツ海軍だったが、その技術者については引く手数多といっても過言ではなかった。特に、日英同盟に基づいて(そして半ば見栄で)送り込んだ最新鋭戦艦を水漬く屍にされてしまった(その中には完成当時世界最大の戦艦であった〈扶桑〉も含まれる)大日本帝国海軍は、その敵手であったドイツ海軍の技術について興味を抱いており、技術者の獲得に異常なまでの熱心さを見せていた。
 とはいえ、あくまで平時の工作であり、対独戦末期、陸軍技術本部の長瀬中佐が中心になって動いた、〈帳簿の落書き〉作戦(ドイツにおける反応兵器および、ロケット技術者獲得計画)のような、半ば拉致めいた工作が行われた訳ではなく、あくまで能力がありながら、海軍の縮小によって職を失った造船官を招聘するものであり、あくまで公然活動の一つであった。
 隆山条約の締結、発効(と、すでにほとんどの艦が建造に入っていたこと)に伴い八八(cm)艦隊計画艦に彼らが携わることはなかったが、条約失効後建造された艦の設計に、彼らの持っていた技術が大幅に投入された事は周知の事実である……」