小松「九九式装甲均土器」
 

 関東大震災と所得倍増計画によってブルドーザーはより広く国民に知られ、なおかつ日本全国に
ブルドーザが広まった。注1
第2次世界大戦、第3次世界大戦と2度の大戦を潜り抜けた一つの支援車両があった。その名は小松「九九式装甲均土器」である。

 既に、陸軍は第一次世界大戦で西部戦線に参戦した経験から、戦車、飛行機などの有効性に気がついていた。むろん関東大震災時も戦車の武装を外し排土板を取りつけた均土車両を提供し活躍したが、小松のトラクターである「D10」型よりも大型であったが、エンジンの信頼性が低かった為、現場では小松のトラクターの方が目立ってしまった。と、いう軍にとっては散々な結果であった。面子をつぶされた陸軍はその後、戦車の迅速な機械化に血道を上げることになったのであった。注2
 その後小松製作所は「D10」型をベースにガソリンエンジン搭載型ブルドーザー「G10」型ブルドーザーを完成させた。その後「G20」「G35」「G50」ブルドーザーを開発していった。
しかし、市場の方からもっと維持費を低く押さえられないかと言う客からの声に答え、「G10」型ブルドーザーにディーゼルエンジンを積んだ「D10」型ブルドーザーを発売したが、エンジンの信頼性が非常に低く市場での評価は散々であった。

 その頃陸軍は、「小松製一号均土器」の性能に改めて驚愕し、既に旧式になっている95式中戦車の車体を改造したブルドーザーの製作を小松製作所に依頼した。小松サイドもディーゼルエンジンの設計のノウハウを得るチャンスとみてすぐさまこの依頼に応じることになった。
1940年の夏の頃であった。そしてそれから3ヶ月後、小松製作所「粟津工場」にて、試作第一号機が完成した。すぐさま満州や台湾で耐久テストが行われたが、特にこれといった問題も起こらずすぐさま正式採用され「九九式装甲均土器」として正式採用された。
なお、派生型として装甲兵員輸送車や、戦車回収車などが数多く発生した。三式中戦車を中心にそれらの派生型車両を編成した機甲師団が生まれたのは言うまでも無い。注3
なお、この装甲均土器は多くの飛行場の滑走路の修復工事やざんごう工事に大活躍したのはいうまでも無い。

 仕様 
  小松「九九式装甲均土器」
  全長   4,5メートル
  全幅   1,7メートル
  全高   2,6メートル
  エンジン 三菱製 直6 15リッターディーゼル 1500回転/230馬力
      後に小松 V8 17リッターディーぜル 1600回転/340馬力
  最高速度 舗装路で時速40キロ
       不整地で時速25キロ
  総重量  20トン
  牽引能力 60トン
 
注1
  農村部も含んでという意味である。
注2
  専ら英国からの技術提供であった。むろんディーゼルエンジンの技術もそうである。
注3
  兵員になる人間の殆どがブルドーザもしくはトラクターの操縦によって機械の基礎をすくなくても
 マスターしていたので教育する時間が少なくて済んだので編成もすばやく行うことが出来た。