「隆山世界」歴史年表
(皇紀二六六三年冬版改)
作成:dai氏
調整:MURAJI氏



  (これ以前の歴史は、我々の知るものと同じである)
一五〇〇年頃 能登半島七尾湾に未確認飛行物体墜落、隆山付近に天然の良港出現
一六〇〇年頃 関ヶ原の合戦の功により、隆山藩発足
一八六二年 英仏、南北戦争に協調介入
一八六三年 南北戦争終結・南部連合結成。以後の英米関係極度に悪化
一八九八年 イギリス、ロシアよりカナダ・アリューシャン列島購入
一八九九年 合衆国、工業生産高世界一に
一九〇一年 舞鶴鎮守府開庁、予算問題から延期(最終的に隆山へ変更)
一九〇五年 日露戦争終結・日本、大陸から叩き出される
一九〇八年 日露戦争後の対露脅威に備えるため、石川県隆山に鎮守府設置
一九一四年 第一次世界大戦勃発
一九一五年 合衆国、英国・南部連合の妨害を排してパナマ運河建設
  Uボート、ルシタニア号を撃沈。米、参戦見合わせが確定的
  好景気を背景に、合衆国南北関係雪解けムード
一九一六年 合衆国、ハワイ併合
一九一八年(年内) ロシア革命発生に伴うシベリア出兵・合衆国、満州並びに沿海州占領
     一一月 日本、樺太占領
一九一九年 ドイツ軍、パリに迫るものの、経済的苦境より自壊
一九二〇年 合衆国、戦時債務の肩代わりとして、英よりアリューシャン列島租借
  シベリア出兵中止
  陸軍青年将校団大軍拡の海軍と扱いの違いに強い不満
一九二一年〇二月二六日 陸軍、クーデター計画。日本政府、間一髪でこれを阻止
   (第一次二、二六事件)
   陸軍、更なる大軍縮。ただし統帥権問題は未解決
   以後、統帥権を盾に海軍独裁の時代(〜四三年)が続く
     (同年暮) 隆山軍縮条約締結・日本、八八艦隊の保有を確保 (ただし補助艦はごく少数)
一九二四年頃 戦車開発特務機関<ヨシノ機関>成立
一九二七年 張作霖支援に回った合衆国、張作霖政府を承認(通称、『満州国』)
一九二九年一〇月二四日 世界恐慌始まる。合衆国南北関係、再び悪化
一九三四年〇一月 隆山条約の戦艦代艦規定より日英米、代艦建造開始
  (各艦四〇cm砲九門
  日:<高千穂>級 二隻 英:<KGX>級 二隻米:<ミネソタ>級三隻(四番艦、隆山条約失効につき建造中)
     〇三月 <橋本>事件発生(重巡<橋本>沈没)
一九三五年 <伊勢>級改装の論議・最終的には<月島>級特殊電波兵器試験艦へ改装
      〇八月 イタリア、エチオピアへの軍事侵略を断念し、保護国化
一九三六〜三七年 スペイン内乱の隙をつき、フィリピン独立
 日英中、これを承認。米独西、これを認めず
一九三七年〇一月〇一日 隆山条約失効。無条約時代へ
一九三八年〇四月〇八日 トラック島での海空合同の大演習(秘匿名称<降霊実験>)
  演習中「海軍甲事件」勃発し、戦艦<幽霊部長“陸奥”>沈没
     (年内) 北崎・エンジニアリング・ヨーク社(略称Key)設立
     (年末) 汚職事件「海軍骨董品事件」摘発。これにより戦艦<高倉”武蔵”みどり>建造中止に
一九三九年〇三月 標的艦<太田>暴走事件 <新城“穂高”さおり>参加
     〇九月〇一日 第二次世界大戦開戦
     一〇月〇一日 第一次遣英艦隊編成 日本、戦艦八隻を基幹とする艦隊を派遣
     一二月一三日 ラプラタ河口沖海戦 <綺堂“グラフ・シュぺー”さくら>鹵獲
     (冬頃) 内蒙古の綏遠で日本製戦車装備の中国国府軍鉄牛部隊、ソ連製戦車を装備した中国共産党戦車部隊に敗北
  外蒙古から侵入を図ったソ連の「共産義勇軍」を日本の「中華民国派遣軍事顧問団」が撃破。
一九四〇年(春頃) 「共産義勇軍」指揮官ジューコフ将軍、責任を取らされ銃殺
     〇六月 フリージア沖海戦
   高速魚雷艇<椎名“MTB”繭>部隊、ドイツ輸送船団を撃破
      〇六月〇八日 ウエストフィヨルド沖海戦。仮装航空巡洋艦<愛沢“シャルンホルスト”ともみ>、艦隊航空兵力の有効性を証明。
     〇九月 英空母<グローリアス>追撃戦・<保科“天城”智子>級戦艦参加
     一〇月二八日 イタリア、WWUに参戦・ギリシャ及びエジプトへ侵攻開始
     一一月 第二次遣英艦隊編成(空母二、重巡二基幹)
       (同月) 合衆国大統領選、対日強硬派のロング大統領当選
     一二月〇八日 日本、海上護衛総隊設置
一九四一年〇一月 米独伊三国同盟交渉開始
     〇五月〇五日 英軍、第一次タラント奇襲
  伊艦隊が出港していたため、空振りに終わる
  第一次タイガー船団護衛部隊、イタリア輸送船団を補足
        (同日) 『地中海のキツネ狩り』海戦(ソードフィッシュ夜間雷撃)
          一八日 ドイツ海軍、『ローレライ』作戦発動<日野森“ビスマルク”あずさ>追撃戦・〜二七日まで)
  日英艦隊は<日野森“ビスマルク”あずさ>の撃沈に失敗したばかりか大損害を受け、後の英本土陥落の遠因はここにあると言われる
     〇六月二二日 ドイツ軍、ソ連侵攻(バルバロッサ作戦)
     〇七月二二日 パンテレリア沖海戦
   <霧島”ローマ”佳乃>、<国崎”デューク・オブ・ヨーク”往人>と交戦
     〇九月 米独伊三国同盟締結・同時に対独武器貸与法成立
     (同月) 合衆国、「スペインからの要請に応え」フィリピンへ兵力派遣
     (同月) <隆山>作戦 合衆国義勇艦隊改装空母<エディフィル>沈没
     〇九月三〇日 ドイツ軍、モスクワ攻略
一九四二年頃 <辛島>就役・対米謀略番組「Heart to Heart」放送スタート
一九四二年〇三月 第三次遣英艦隊編成。空母<千鶴>、戦艦<高瀬“大和”瑞希>等派遣
     〇三月〇八日 合衆国巡洋艦、日本艦に対して突発的照射を浴びさせ、偶発戦闘勃発
        一五日 合衆国、日英に対する報復措置として旧式戦艦四隻のドイツ供与を決定
        二六日 ハル・ノート通告
     〇四月〇七日 マルタ沖海戦(日英側:ペスタデル作戦、伊独側:ヘラクレス作戦)
      (〜一一日)  日英側:戦艦一〇隻(内三隻沈没)空母三隻(内一隻沈没)
   独伊側:戦艦 九隻(内四隻沈没)空母一隻
        〇八日 日米開戦 日本海軍、遣英艦隊のほぼ全力を引き上げ
        (同日) 在満州米航空隊による日本本土(舞鶴)空襲
        一二日 <波号無人試製第一二潜水艦>(HMX-12 マルチ艦)の幻の活躍開始
        三〇日 ミッドウェー海戦・日本敗北(空母一損失、空母二並びに戦艦三大破)
     〇五月後半 米軍、マーシャル諸島占領
     〇五〜〇九月 北太平洋で、アッツ島を巡る水上艦同士の戦い多発
      〇六月 第二次バトル・オブ・ブリテン開始。
     〇七月 合衆国、トラック占領
     〇七月一六日 英本土にて、ジェット戦闘機(<Air>)史上初の実戦参加
     〇九月 <折原“筑波”みさお>沈没(合衆国潜<アーチャーフィッシュ>による)
     〇九月〇八日 第二次ゼーレヴェ作戦(英本土上陸作戦)発動
   臨時混成戦闘団「High mansion family」の戦い
   英本土は陥落するが、残存の英連邦軍は世界各地で抵抗を継続
         一二日 「EX計画」によるカナダ脱出戦。
        〜一四日 <神奈備”イリジスティブル”命>、追撃部隊を殲滅するも消息不明
     一〇月 合衆国、パラオ占領
     一一月〇七日 空母<千鶴(U)>、戦艦<テルピッツ>撃沈 (初の航空機での戦艦撃沈)
      一一月中旬 東部戦線でソ連冬季反攻 モスクワに迫るもVK四五〇一<アルクェイド”ティーゲルT”ブリュンスタッド>の機動防御により撃退される
     一二月〇八日 大日本帝国、ハワイ侵攻(「藤堂プラン」発動)
        二四日 在満州合衆国軍、最後の大規模日本本土空襲作戦発動(「フォールアウト」作戦)
一九四三年〇一月三〇日 東太平洋海戦 GF及び合衆国太平洋艦隊壊滅
  日本側:空母一二隻(内三隻沈没)戦艦二〇隻(内四隻沈没)
  合衆国側:空母九隻(内四隻沈没)戦艦二四隻(内七隻沈没)
       ※合衆国空母数には、護衛空母二〇隻を含まず
          三一日 工作艦<広場“ヘパイストス”まひる>、日本駆逐艦に襲撃される
     〇二月〇一日 南部連合、北進開始(第二次南北戦争開戦)。対日休戦ムード頂点に
        一四日 日米休戦締結
        二六日 第二次二・二六事件発生(海軍の日米休戦反対派が主導)
   軽空母<折原“吉野”浩平>や戦艦<来須川“紀伊”綾香>、反乱艦隊と死闘(大島沖海戦など)
  スターリン爆殺される。共産主義体制は崩壊し、以後ロシアは集団
      (夏頃) 指導体制に(軍閥二十七派閥の割拠)
  ドイツ軍、ウラル山脈にまで戦線を押し広げる
     〇八月一一日 第二次タラント奇襲(『Last regrets』作戦)
一九四四年〇七月 英連邦、反応兵器独自開発を断念・日本と統合(『D計画』)
     一〇月頃 クレタ島撤収作戦
     一一月 日英、スエズ撤退作戦
      一二月 ヒトラー、日英に一方的休戦を宣言(WW二、実質的に終結)
     (この頃) イギリス、連邦制に移行
一九四五年〇四月頃  カナダのケベック州、英連邦に反旗。ヴィシー政権に帰属
     〇四月一二日 大ドイツ帝国南部に謎の国籍不明機が墜落(<フッケバイン>
  回収作戦)
     〇五月〇七日 南部連合、無条件降伏
一九四五〜四七年 イタリア軍、エチオピア・ソマリア等、東アフリカ方面へ侵攻
一九四八年〇五月一三日 第三次世界大戦勃発
   ドイツ、ワシントンとフィラデルフィアを核攻撃
        一七日 ファンディ湾海戦
   米:戦艦 四隻……内沈没一隻、大破二隻
   独:戦艦級七隻……内大破三隻、中破二隻
   合衆国海軍、大西洋方面での作戦能力損失
     (この頃) 日本、国場内閣成立
     〇六月 ドイツ軍パナマ侵攻、これを占領
  アメリカ大西洋艦隊残存艦艇は、運河占領寸前に太平洋に
  脱出
     一〇月二一日 カナダ戦線で捕獲した<八車“七式中戦車”文乃>を視察し
  たヒトラー、新型戦車開発を指示
     一一月頃 「ブルー・アイス」作戦
   日本軍、<“フィリブス・ウニーテス”ココロ>鹵獲
      一二月 日英軍、ソコトラ島占領
一九四九年〇一月〇一日 日英米三国同盟成立
     (初頭) 同盟軍、パナマ奪回
     (年内) メキシコ湾海戦をはじめとするカリブ海航空撃滅戦
     〇八月〇八日 マルティニーク島に侵攻した日英米艦隊に対し、<桜塚“シュリーフェ
  ン”恋>他の欧州連合艦隊が夜戦を挑み完勝するが、輸送船団の撃
  滅には失敗(第一次ウィンドワード海戦)
         二〇日 マルティニーク島地上戦で、ドイツ軍のアインバウム戦闘団が全滅
   その後、マルティニーク島周辺では一九五〇年二月に欧州連合軍
  が撤退するまで激戦が繰り広げられる
      〇九月 <岡本“伊三七三”みなみ>、大西洋からジブラルタルを突破して地中
  海に潜入。多数の艦船を撃沈
      一〇月 日英同盟、アデン侵攻
      一〇月二六日 中部大西洋海戦、日英米対独仏の空母部隊の激突。
一九五〇年〇一月 日英同盟、レイキャビク侵攻
      〇二月一五日 ウィンドヒル島沖海戦
   <氷村“アドミラル・シェア”遊>、日本海軍の<鷹城“摩耶”唯子>
   <千堂“鳥海”瞳>を翻弄するも<綺堂“グラフ・シュペー”さくら>
  に撃破される
        二二日 伊領マッサワ陥落
      〇三月〇一日 カサブランカ沖海戦。日対伊仏の水上砲撃戦。
        二七日 伊領エジプトの現状を憂うナセル、スエズ作戦に関して日本
  と了解
     〇六月〇六日 北米戦線にて合衆国軍の大反攻作戦「上帝(オーバーロード)」開始
     〇六月頃 ポートスーダン陥落
     〇八月〇六日 「ブラッディ・オマハ」ことオマハ包囲戦(ポケット)(〜二〇日)
   ドイツ軍は包囲脱出に成功するが重装備の殆どを失う
      〇八月上旬 水上機母艦<千紗>が装甲巡洋艦<千堂>に補給中、爆発事故発生
      〇八月二一日 ニューヨーク沖海戦(<柿>船団を巡る艦隊決戦)
   日英米枢軸側:戦艦<高瀬'大和"瑞希>他
   欧州連合国側:戦艦<皆瀬“フォン・ヒンデンブルク”葵>他
   この海戦により、ドイツ北米艦隊壊滅。
      〇九月〇八日 日英同盟、スエズ奪回
   <遠野“グラーフ・ツエッペリン(U)”みちる>沈没。
        二六日 北米戦線カンザス州にて「マウント・ホムラー大戦車戦」
      一〇月一七日 <鷺ノ宮“ビューロー”藍>、ロンドン民政府管区へ出発
      (秋頃) 日英米枢軸軍が実行したルイジアナ強襲上陸作戦「剣号作戦」、
  惨憺たる大敗北に
一九五一年〇一月二六日 <里村“海鳳”茜>、クレタ島奪回作戦で大破(後に解体)
        二八日 ドイツ潜水艦、日本本土を反応弾攻撃(<舞波><小百合>沈
  没)
     〇七月 ドイツ正規空母<橘“フォン・リヒトホーフェン”天音><美咲“ヘルマン・
  ゲーリング”彩>竣工
     〇七月一〇日 日英軍シチリア侵攻。同時並行でジブラルタル奪回作戦始
 
        三〇日 第二次マルタ沖海戦 英伊、共に大損害
   <国崎“デユーク・オブ・ヨーク”往人>他沈没
     一〇月一二日 アイルランド沖航空戦(〜一五日)
   ドイツ軍は「日本機動部隊殲滅」と報ずるが、実際の戦果は無し
   反対にドイツ空海軍の航空攻撃戦力は壊滅
        二一日 『Last regretsU』作戦開始。残存イタリア艦船壊滅。
      一一月一二日 <多上”レジナ・マルゲリータ”愛姫>、英軍の爆撃で大破転覆
        二〇日 <春原“リュッツオウ”七瀬>、SY四四A船団を襲撃するが、護
  衛の<綺堂“グラフ・シュぺー"さくら>によって返り討ちに
一九五二年〇一月 英本土奪回作戦「アーク・エンジェル」発動 欧州連合軍これ
  に対し、迎撃作戦「北の暴風」を発動、北大西洋全域で激戦
   この戦闘の結果、欧州連合水上部隊は壊滅。英本土に枢
  軸軍が上陸し、終戦までに独軍をドーバー海峡に追詰める
     〇一月一五日 <神尾“イラストリアス”観鈴>、ドイツ潜水艦により沈没
        三〇日 日本海軍第七航空艦隊、<報復>作戦発動
   反応動力装甲空母<インディカ“ユンナ”>大破着底
     〇四月〇八日 <御剣“伊二三"一角>、反応弾輸送中の重巡<ブリュッヒャー>
  撃沈
      〇一月二五日 エオリア諸島砲撃(伊海軍最後の作戦)
     (春頃) イタリア情報部のアルコン少将、密かに「置換」作戦開始
     〇六月〇三日 ロンドンにて一斉蜂起
        〇八日 ヒトラー、日本本土への全面反応兵器攻撃準備を指示
     〇七月一八日 イタリアでクーデター発生、チアノ逮捕
        二〇日 国防軍によるクーデター(背後にハイドリヒの影)・ヒトラー
  暗殺
  第二代総統ロンメル、休戦提案(ポツダム宣言)
        二六日 イタリア臨時統領アオスタ公、ポツダム宣言受諾決定
        二七日 ヒトラー暗殺直前に発令された総統特務命令第六六六号の存
  在発覚
     〇八月一一日  ドイツ反応動力潜<A九>vs日本反応動力潜<亜一二>、北
  極海での 死闘(〜一五日)
        一五日 休戦成立(第三次世界大戦、実質的に終了)
          (同日) 細菌爆弾搭載の<平野”Z六六一マリアナウティカ”深雪>追撃戦
   首謀者のアルコン少将が殺害された事により戦闘終了
     〇九〜一〇月 ウラル戦線でロシア軍の大攻勢が行われるが。<アルクェイド
  “ティーゲルU”ブリュンスタッド>の活躍でドイツ軍はロシア
  軍を殲滅
   ロシア軍指導者ミハイル・ロア・バルダムヨォン(初代)戦死
一九五三年〇二月 装甲巡洋艦〈槙原“愛鷹”愛>、大型貨物船と衝突事故
     〇三月末 <桜井“朝日(あさひ)”>への反応弾道弾搭載計画が中止
     (冬頃) ウラル戦線で<“マルダー”レン>実戦初参加
一九五四年 大作仮想戦記映画「鋼鉄のビューティーガール」公開(監督:
  円谷英二)
一九六一年 ドイツ、有人宇宙飛行を成功させる
一九六三年 激化するドイツと日本の宇宙開発競争の中、日本で陸・海・
  航空に次ぐ四つ目の独立軍種として「航宙軍」が独立
一九六四年 ドイツで「宇宙軍」設立
一九六〇年代 日本海軍内の有志が、後に「こみっくパーティー」となる
  同人誌即売会の第一回を退役軍人会館で初開催
一九八五年夏頃 華中戦線の鄭州において<“四七式歩兵戦闘車”翡翠><“四五
  式装輪戦車”琥珀>実戦参加
一九九五年 宇宙戦艦<高倉“武蔵”みどり>(二代目)完成
     〇六月〇六日 WWW勃発(〜一九九六)
     一〇月 ドイツ軍のレーザー装甲車<モールデアー(殺人鬼)>実験中
  隊が、ロシア二七派閥の一つの混沌派戦闘部隊と交戦
   混沌派首領フォワブロ・ロワイン戦死
一九九六年〇一月三一日 サマーラ攻防戦(ロシア戦線)
   <アルクェイド“ティーゲルV”ブリュンスタッド>等を装備し
  た「朱い月」戦闘団の死闘により、ロア派第一八代指導者が戦死
     一〇月二九日 ベルリンにおいて、ナチス保守派によるクーデターが発生(〜
  三一日)するが失敗に終わり、これを機にナチス第三帝国崩壊
一九九八年 湾岸紛争(〜一九九九)
二一世紀初頭 国際的テロの多発
二〇一〇年代 東欧での紛争に陸上攻撃型巡洋艦<高町“不破”恭也>介入
二〇一三年 ソマリア近海にて<ノエル・エーアリヒカイト>と<イレイン>の
  戦い
二〇四七年 ヲルラ来襲
 〜四九年 接触戦争・合衆国消滅(WWX)
二一七二年 第一次オリオン大戦開戦(〜九七年)
   
   
 


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