日本帝国兵部省造兵本部長神奈備祐哉造兵大将(勲一等・侯爵)提供写真展示施設
神奈備写真館エントランスホール・壱ノ館「海ノ宮」



「歴史虚像 No.11(-0.1)[2003年12月]号 帝国海軍特務艦隊〜勝利を支えた鋼鉄の乙女達〜」表紙の「艦のみの」画像と、そのキャプション
『遣欧艦隊所属時の電子作戦艦<琴音>。ジブラルタル在泊時のものと思われるが、明確な撮影時期は不明である。
元乗員が所蔵していたものなのか、裏面には墨痕鮮やかに
「父チャンハ元気。ネコッチャノ好キナ海豚サンノ群二心慰メラレル日々」
───この後投入される苛烈な戦いの日々を目前とした、最後の穏かなひとコマであった……』



定期整備を終えサン・ディエゴ沖を航行中のCVB-01<広場”バンカーヒル”まひる>。全体のレイアウトがよく判る写真である。
竣工当時の面影は既に無く、アングルド・デッキを備えたこの姿からは本艦の出自が戦艦改装の超大型工作艦だったという事実を想像する事は事実上不可能に近いと言えよう。



1995年、WW4最末期、全ての制約より解き放たれ、反逆の対地巡航ミサイルを放つ東米・アメリカ連合国(東部連合)防空武器庫艦<”ミリィ”ミレニアム>。
反逆を察知した接収チームが突入する直前に放たれたこのミサイルは、黄昏逝く東部連合の虚栄の象徴、ボストンに屹立するウォーターゲイト・ビル―大統領府をターゲットにしていた。
数十分後、これらのミサイルは全弾が大統領府に命中。ビルを粉微塵に爆砕し第四次世界大戦の幕を引く契機となる。


<北の暴風>作戦時に喪われた<橘“フォン・リヒトホーフェン”天音>級以来、実にほぼ四半世紀ぶりに計画・建造され、バルト海での出動公試中CBRN(対化学・生物・放射性・核)兵器汚染除洗機構の動作確認の為汲み上げた深層海水を散布し甲板を濡らすドイツ海軍超大型正規空母<牧野“フリードリヒ・デア・グロッセ”那波>。
当艦の設計建造は部内に混乱を巻き起こし、空母先進国である日本より「流れ着いた(盗み出された)」<轟天>型の概念設計図を元に艦内火災発生時の損害応急対策・CBRN環境下における航空機運用能力の維持確保に意を払うなど前作で得られた戦訓、反省を活かし今迄に無く斬新、実戦的・意欲的な内容が盛り込まれた結果──彼女は事前の発表や予想とは一転、従来のドイツ空母とはうって変わってシンプル且つ涼しげな艦容となった。



1945年、WWII.一方的休戦……戦勝と三度にも及ぶ大破からの艦隊復帰を記念する満艦飾を施した<日野森“ビスマルク”あずさ>。その生涯最初の苦難を乗り切った直後の姿である。
退色こそしているもののこの時期としては珍しいカラー写真であり、同時に第1次近代化改装“OVA”施工による防御甲板の変更に伴う重心降下対策の為緩く波打った上甲板、米仏系の水中防御を導入し著しく増設・拡幅されたバルジ……18in.砲戦艦群と対戦した戦訓から旧来の設計思想を刷新、他国のポスト隆山条約型新戦艦と同様の一層防御に大改修され“異母姉妹”とも言える日本新戦艦群を髣髴とさせる艦容が見て取れる、軍艦史的にも貴重な一葉である。




泊地に憩う空母<千鶴(II)>。戦史に名高い、戦艦<テルピッツ>撃沈(初の航空機での戦艦撃沈)を成し遂げる直前、英本土で撮影された一葉である。
舷側艤装の細目が明瞭に見て取れるとともに、日本航空母艦建造技術の集大成であり、同時に日本艦隊空母の系譜の終末に位置する当艦のシャープかつ
母性的な面影を余す所無く今に伝えている。(写真(?)・文:神奈備 祐哉卿)



「Sisters」
遥かな祖国への帰途に付く<スフィー>級。手前H.M.S.Sphie。奥側H.M.S.Rian。1952年8月24日の撮影。
―――力及ばず遂に再び祖国を見ることなく倒れ逝った幾多の戦友、そして喪われた全ての者達を悼む半旗を掲げての帰還だった。



西暦1943年1月30〜31日にかけての東太平洋海戦時、殺到する駆逐艦<ホーム>、そして米巡洋艦群を単艦相手取る「艦隊決戦の最終兵器」、重巡<゛御影゛すばる>。
合衆国側観測機(機種不明)のガンカメラにより撮影されたもの。至近弾により奔騰する水柱、弾破片を受け破断した蒸気配管から大量の水蒸気が噴出する様など、見るものに水上砲戦と言う「修羅場」の姿が伝わってくる一葉である。



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