日本帝国兵部省造兵本部長神奈備祐哉造兵大将(勲一等・侯爵)提供写真展示施設
神奈備写真館エントランスホール・弐ノ館「空ノ宮」



1949年、スペイン・バルセロナ港の船着場前に佇むコロン記念柱上空を飛び抜ける▲の群。国策企業、ノースロップ・ホルテン社発足式典の後、
支持基盤を固める為挨拶がてらスペイン各地を“巡業”した際に撮影された一葉である。
クリストーバル・コロン……ジェノヴァ生まれの提督、コロンブスの立像が指し示す新大陸より飛来した翼たち。
この時飛び去った翼たちが伝統的にマドリードとの間に対立を抱えるこのカタルーニャの人々にすら熱狂的に受け入れられ今日に至るとは、さしもの彼にも想像の埒外であった事だろう。


・・・さてこれは!? すみません、管理人も忘れてます



1949年シアトル。初陣に向かうXB-47<南条”ストラトジェット”紗也香>原型6号機の離陸風景。
急遽主翼の改修を終えたばかりの同機までもが投入されたこの爆撃行の標的とされたのは、ロッキー山脈東麓に展開したSS弾道弾部隊だった。
――任務達成後、同機は戦史に名高い「目標は全て破壊。追伸、我に追い付くメッサー無し!」を打電する事になる。



1994年5月8日、初公開されたDa631A<鷺澤”ウーフー”美咲>。
ワーグナーの”ワルキューレの騎行”が鳴り響く御披露目の最中、命名の際の写真である。



1994年、広報撮影用のフォーメーションを組みバンクするMDF-22<彩坂”ラプター”愛美>01”The Spirit of America”、
及びF-117<井上”ナイトホーク”光輝>17号機”Sioux”。翌年の動乱の足音も聞こえぬ、春麗らかな頃の事であった。



北米分割線上空。90度スライスバックによるゼロ・ドップラー運動直後破天荒な大迎角ピッチ・アップ―――
「シンカイ・ハブ」を披露、天を衝き<白河”アドラー”ことり>の放った誘導弾を回避する三七式戦闘機<鳴風”晨風”みなも>。僚機が捉えたものである。
戦技としての有効性が疑問視されていた失速後機動「シンカイ・ハブ」が実戦で行なわれた瞬間を捉えたこの画像は、世界の航空関係者を瞠目させた。



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