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隆山世界世界史年表

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隆山世界における世界史

 隆山鎮守府第三掲示板のエピソードと歴史虚像付属の年表に、2006年の海兵隊戦記以降の隆山鎮守府出版物、ワールドウォーバ−ズミュージアム及び「歴史幻想003」までの東方飛行隊関連出版物において掲載された出来事などをまとめ、日本とロシア以外の部分を抽出したものです。なお、東方飛行隊関連のものは削除してあり、出版物発行時に、こちらで組み込むつもりです

1962年:アメリカ南北戦争勃発。英仏、南北戦争に協調介入

1863年:アメリカ南北戦争終結・南部連合結成。以後の英米関係、極度に悪化。

1898年:イギリス、ロシアよりカナダ・アリューシャン購入

1899年:合衆国、工業生産高世界一に

1904年:日露戦争勃発

1905年5月27日〜28日:日本海海戦(ツシマ沖海戦)。日本帝国海軍連合艦隊、バルチック艦隊を撃破する。

1905年6月:ロシア軍の限定攻勢により日本陸軍潰走。同月末の第二次奉天会戦により、満州における日本陸軍の戦線は崩壊。陸軍部隊は旅順へと撤退しなんとか戦線を再構築する。

この頃?:旅順から出撃した挺身騎兵部隊――通称「秋山支隊」が奉天を襲撃。ロシア帝国元極東総督アレクセーセフ、極東方面軍総司令官リネウィッチ、ロシア帝国第1軍司令官クロパトキン、旅順から出撃した日本の挺身騎兵部隊によって捕虜になる。
司令部の壊滅と補給路の切断によりロシア帝国満州方面軍は攻勢を停止。ロシア帝国内部で講和の雰囲気が高まる。

1905年7月末:大韓帝国の親露派勢力、民衆を扇動して日英資本の大韓帝国縦断鉄道を破壊すると共に対日宣戦布告。英国、日英同盟の規定に従って大韓帝国へと宣戦布告。威開映から出動した海兵隊が首都である漢城を占領する(漢城事変)

1905年8月:英露協定成立。朝鮮半島は北緯38度を境にして英露で分断される。

1905年:ポーツマス条約締結
    合衆国、戦時債務の対価として旅順を租借しポート・アーサーと改名。アジア艦隊を配備

1914年:第一次世界大戦勃発

     英仏及び南部連合、対独宣戦布告。
     南部連合、ジョン・パーシング陸軍大将を司令官とする欧州派遣陸軍(CSARER)を派遣する
     日本、ドイツ領青島を攻略。北フランスへと大規模な陸軍部隊を派遣

1915年:合衆国、英国・南部連合の妨害を排してパナマ運河建設。

:Uボート、ルシタニア号を撃沈。同時期に(第一次世界大戦への)参戦見合わせが確定。

    :好景気を背景に合衆国南北関係雪解けムード

   2月:英仏及び南部連合海兵隊によるガリポリ上陸作戦(〜1916.1)

1916年2月21日:ドイツ、ヴェルダン要塞への攻撃開始

 5月31日:第一次ジュットラント海戦。日英戦艦部隊、ドイツ高海艦隊と激突。戦艦〈扶桑〉沈没

(年内)   :合衆国ハワイ併合

1917年:ロシア革命。ロマノフ朝崩壊。翌年ニコライ2世一家は処刑されるも、アナスタシア皇女のみは親衛隊の生き残りによって難を逃れ、列強の保護のもとシベリアに潜伏する。

1918年:ロシア革命に伴う出兵で合衆国満州占領。日本、樺太占領。

1918年:ドイツ軍、西部戦線にて第三次皇帝攻勢を開始、パリの前面にまで迫る

10月28日:第二次ジュットランド海戦。英国のバルト海侵攻に対して出撃した高海艦隊と英艦隊との戦闘。英艦隊、消耗した高海艦隊を追撃。以降、高海艦隊は基地に逼塞し、北海の制海権は英国に移る。

1919年:ドイツ軍、パリに迫るも経済的苦境により自壊

1920年:合衆国、戦時債務の肩代わりとして英よりアリューシャン列島租借

1921年(暮):隆山会軍縮条約締結。

1927年:張作霖支援に回った合衆国、張作霖政府を承認(通称『満州国』)

1929年10月:世界恐慌始まる。世界経済のブロック化の進行。日本及び南部連合は英国の経済圏に入り難を逃れる。各国の経済ブロックから締め出された合衆国、孤立主義を深める。(※1)
アメリカ南北関係、再び悪化
       1934年1月:隆山条約の戦艦規定により日米英、代艦建造開始(各艦40冕9門)
       日:<高千穂>級 2隻
       英:<KG后箋蕁 2隻
       米:<ミネソタ>級3隻(4番艦、隆山条約失効に付き建造中)

1934年:スターリンの大号令により、中小艦艇の大規模な増強及び〈ソビエツキー・ソユーズ〉級戦艦10隻、〈クロンシュタット〉級重巡洋艦10隻の建造を目標とする海軍大増強計画が始まる。ソヴィエト連邦、日英と対立する合衆国にリサーク・アカーキヴェッチ・ゴドルフ少将とイアーコフ・イヴァノヴィッチ・チュロフ少将を留学生としてプロヴィデンス海軍兵学校と米海軍機動部隊に派遣する。同様に、合衆国から造船技術者を呼び、大型戦艦建造の技術を手に入れる。戦車生産用の資材まで根こそぎ建造に投入し、最終的には〈ソユーズ〉級5隻、〈クロンシュタット〉級5隻が完成する一方で、戦車の生産効率は著しく低下する

1935年8月:イタリア、エチオピアへの軍事侵略を断念し保護国化

  (この頃):合衆国領満州において在満米軍と抗米ゲリラとの抗争激化。 
日英の援助を受けた中国国民党政府、国際連盟において満州国の存在否定と領土の返還を声高に主張し連盟の決議を得る。国際連盟に加盟していない合衆国は決議を無視するも、経済制裁を被り輸出産業に影響が出始める。
ディール政策の失敗の表層化と輸出不振に焦るルーズベルト政権、満州経営に注力し、日英陣営との対立を深める。
 中国国民党政府、合衆国製品の流入に伴う中国民族資本の相次ぐ倒産により、大規模な米貨排斥運動を開始 
合衆国、満州国の戦備強化のため、駆逐艦によるアムール川遡航計画を発動、シアトルから軍需物資を積んだ輸送船団を出港させる
        日本、密かに抗米ゲリラへと資金援助、さらに艦隊を派遣してオホーツク海の封鎖作戦を行う。

 9月25日:合衆国アジア艦隊、輸送船団支援のために旅順を出港

   28日:合衆国アジア艦隊、封鎖任務に就く日本艦隊と交戦し撃退される。合衆国国内において対日開戦論が高まる

  10月:ソ連、合衆国の輸送船団を拿捕。日英と歩調を合わせ、国際連盟にて軍需物資の搬入とアムール川遡行計画を厳しく非難する。英国がバミューダ海域に18インチ砲戦艦2隻を含む艦隊を派遣し、ソ連がザバイカル大演習と称して極東に大部隊を集結させたことによって、合衆国は遺憾の意を表明し引き下がる

1936年:スペイン内戦勃発。合衆国政府は密かにフランコ政権と接触し、戦後の中南米における相互の勢力圏尊重、南部連合との同盟破棄などを条件に、艦隊を含む他国を圧する規模の義勇軍と供与兵器を送り込む

1936年〜1937年:スペイン内乱の隙を付きフィリピン独立。日英中、これを承認。米独西、これを認めず

1937年1月1日:隆山条約失効。無条約時代へ突入。

(年内):スペイン、内戦時への援助の見返りとして合衆国にキューバを貸与する

11月:合衆国、大統領選で対日強硬派のヒューイ・ロング当選

1938年:ソヴィエト海軍、合衆国から設計図面を購入し巡洋艦〈キーロフ〉と〈ヴォロシローフ〉を軽空母に改装。翌年〈観月《アドミラル・コルチャコフ》さおり〉、〈観月《アドミラル・エッセン》しおり〉として完成しバルチック艦隊に編入される

1938年:ロング政権。海軍の大拡張計画(二次ヴィンソン・トランメル計画)を承認

1939年9月1日:ドイツ、ポーランドに侵攻。英仏、独に宣戦布告し第二次世界大戦が勃発する

1939年冬:ソヴィエト軍事顧問団による共産軍機甲部隊が中華民国機械化部隊及び日本軍事顧問団を撃破する

1940年春頃:外蒙古から侵入を図ったソ連の「共産義勇軍」を日本の「中華民国派遣軍事顧問団」が撃破。共産義勇軍司令官ジューコフ将軍、銃殺される

10月28日:イタリア、WW胸伽錙ギリシャ、エジプトへ侵攻開始

1941年1月:米独伊三国同盟交渉開始

5月5日:第一次タラント奇襲。イタリア艦隊が出港していたため、空振りに終わる

:第一次タイガー船団護衛部隊、イタリア艦隊を補足

(同日) :「地中海のキツネ狩り」作戦(ソードフィッシュ夜間雷撃)

 

5月18日:ドイツ海軍、「ローレライ」作戦発動。ビスマルク追撃戦(〜27日まで)日英艦隊は追撃に失敗しただけでなく大損害を受ける。後の英本土陥落の遠因はここにあると言われる

6月22日:ドイツ、ソ連侵攻(「バルバロッサ」作戦)開始

  7月22日:パンテレリア沖海戦。〈霧島《ローマ》佳乃〉、〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉と交戦

  9月:米独伊三国同盟締結。同時に対独武器貸与成立

  (同月):合衆国、スペインからの要請に応えフィリピンに兵力派遣

(同月):「隆山」作戦。合衆国改装空母〈エディフェル〉沈没

9月30日:ドイツ軍モスクワ攻略

1942年頃:エル・アラメインの戦い。

  3月15日:合衆国、日英に対する報復措置として旧式戦艦4隻のドイツ供与を決定

3月26日:ハル・ノート通告

4月7日〜11日:マルタ沖海戦(日英側:「ペスタデル作戦」、独伊側:「ヘラクレス作戦」)
     日英側戦艦10隻(うち3隻沈没)、空母3隻(うち1隻沈没)
     独伊側戦艦9隻(うち4隻沈没)、空母1隻

4月8日:日米開戦 日本海軍、遣英艦隊のほぼ全力を引き上げ

(同日):在満州米航空隊、日本本土空襲開始

4月30日:ミッドウェー海戦・日本敗北(空母1隻喪失、空母2並びに戦艦3大破)      太平洋戦線の大幅悪化を受けて英国派遣船団の派遣は停止。大西洋の制海権は独潜水艦隊と合衆国「義勇」艦隊の跳梁によって失われる

  5月後半:合衆国、マーシャル諸島を占領

5月〜9月:北太平洋で、アッツ島を巡る水上艦同士の戦い多発

  6月:第二次バトル・オブ・ブリテン開始

7月:合衆国、トラック占領

  7月16日:英本土にてジェット戦闘機〈Air〉史上初の実戦参加

 9月8日:独軍第二次「ゼーレーヴェ」作戦(英本土上陸作戦)発動
     カレー沖海戦(英呼称:ドーヴァー沖海戦)。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を中心とする独艦隊、戦艦3隻を喪失、2隻大破、装甲艦1隻大破、駆逐艦多数に損傷という大きな損害を被るも、英戦艦〈ハウ〉を撃沈、〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を大破させて英海軍の攻勢を凌ぎきり、ドッガー・バンク以南の英本土近海の制海権を確保する

    9日:独軍降下猟兵部隊及び空輸歩兵師団、ホーキンジ、リムニの飛行場を制圧

 12日:独軍、カンタベリーに突入
    英海軍、「EX計画」によるカナダ脱出戦 (〜14日)
       英空母〈神奈備《イリジスティブル》命〉、追撃部隊隊を殲滅するも消息不明

      13日:独軍、アスホードを占領

(同月):英国本土にて臨時編成戦闘団「High mansion family」の戦い

                23日:ロンドン陥落

       独軍グロス・ドイッチュラント師団の突撃工兵中隊、国会議事堂の尖塔にハーケンクロイツ旗を掲げる。

独軍武装SS親衛旗アドルフ・ヒトラー師団(LSAH)、ビッグ・ベンに突入し、制圧。

      英本土は陥落するが残存の英連邦軍は世界各地で抵抗を継続

10月:合衆国、パラオ占領

11月7日:空母〈千鶴()〉、戦艦〈テルピッツ〉撃沈(初の航空機での戦艦撃沈)

12月8日:大日本帝国、「葉」号作戦(「藤堂プラン」を発動しハワイへと侵攻。
        日本海軍機動部隊、オアフ島を空襲

  12月22日:日本軍、ハワイを占領。合衆国、ハワイ奪回に対し、早期の奪回を唱える大統領と現段階での戦力での作戦は困難と主張する海軍が対立

     

12月24日:在満米軍、最後の大規模日本本土空襲作戦発動「フォールアウト作戦」

 (冬頃):東部戦線でソ連冬季反攻。モスクワに迫るも到達できず

 この頃?:アナスタシア女王、日本へと入国。シベリア公国建国のための協力を取り付ける。翌年、シベリア公国独立を宣言

1943年1月1日:日本軍、サンフランシスコを爆撃。西海岸を支持基盤とする議員、連邦政府と海軍に早急な対応を要求する

1月30日:東太平洋海戦 GF(連合艦隊)及び合衆国太平洋艦隊壊滅
         日本側:空母12隻(うち3隻沈没)、戦艦20隻(うち4隻沈没)
         合衆国:空母9隻(内4隻沈没)、戦艦24隻(内7隻沈没)
          ※合衆国空母数には護衛空母20隻を含まず

      31日:合衆国海軍工作艦〈広場《ヘパイトス》まひる〉、日駆逐艦に襲撃される

2月1日:南部連合、北進開始(第二次南北戦争開戦)。合衆国国内の対日講和ムード頂点に

2月14日:ヒューイ・ロング大統領、弾劾を受け辞任。ウェンデル・ウィルキーが大統領に就任
日米休戦締結

8月11日:英空母〈神尾《イラストリアス》観鈴〉、〈リアン〉による第二次タラント奇襲作戦(「Last regret」作戦)。伊空母〈アキラ〉大破着底、タンカー4隻沈没。さらに陸上の燃料タンクの大部分を破壊する。これによってイタリア海軍は積極的な行動が不可能になり、英軍の地中海からの撤退作戦を成功させる大きな要因となる

1943年夏頃:スターリン爆殺される。共産主義体制は崩壊しウラル山脈以東に撤退。以後ロシアは軍閥の集団指導体制に。
ドイツ軍、戦線をウラル山脈にまで押し広げる

1943年末〜1944年初頭:ドイツ軍、ウラル西北部のボルクタ一帯にて攻勢をかけるも、ソ連軍残党部隊に撃退される。
この頃からボルクタ一帯は「リュージン・ツィタデル戦区」と呼称され、さらにこの頃から始まった異常気象によって数十年雪と氷に閉ざされた地域となる。

この頃?:日本帝国特務機関の手引きによってシベリア経由でソ連軍事技術者の脱出が相次ぐ。沿海州地域を拠点としたロシア軍閥(通称「スミレ派」)、特務機関と協力して技術者の身柄を保護。日本帝国との間にコネを持つようになる

1944年1月:合衆国軍、南部連合の保護占領下にあった英領ジャマイカに上陸

7月:英連邦、反応兵器開発を日本と統合
    南部連合軍、ジャマイカから撤退

10月:メキシコ湾海戦。劣勢を打開すべく出撃した南部連合戦艦部隊と合衆国軍戦艦部隊の戦闘。この戦いで南部連合海軍は〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉をはじめとする戦艦の中核を失い、事実上壊滅する

 10月頃:英軍、クレタ島撤収作戦

 11月:日英、スエズ撤退作戦

1 2月:ヒトラー、日英に対し一方的に休戦を宣言。WW2、実質的に終結

この頃:イギリス、連邦制に移行

1945年1月:合衆国軍、フロリダに上陸

    4月上旬:自由フランス及び亡命英国政府、ニューファンドランド島の南側のフランス領ミクロン島への航空基地を設営
ドイツ、同盟国フランスの領土を守ると宣言しカナダへと独仏合同艦隊を派遣。
ケープ・ブレトン島沖海戦(フランス側呼称はルイスバーグの復讐戦、またはアカディー海戦)。
独仏艦隊、現地の日英機動部隊を撃退しミクロン島を奪回する。戦艦〈インフレクシブル〉と空母〈アーク・ロイアル〉を撃沈された英機動部隊はケープタウンを経由しオーストラリアへと撤退する(※2)

4月頃:カナダのケベック州、英連邦に反旗。ヴィシー政権に帰属。独仏連合軍、作戦「赤の場合」を発動。ケベックのクーデター騒ぎに乗じてニューブランズウィックへも侵攻、英軍はオンタリオとノヴァスコシアへと後退する。(※3)

        南部連合首都のアトランタ陥落
        南部連合空母〈ゲティスバーグ〉及び〈端本《リプライザル》久美子〉、独伊へ亡命。また、ジョゼフ・マッカーシ―上院議員など南部連合政府首脳部や高官の欧州や日本への脱出が相次ぐ

    5月7日:南部連合政府、ワシントン宣言を受諾し無条件降伏(※3)

(年内):ドイツから追放されたユダヤ人たちがパレスチナにイスラエルを建国する

1945年〜47年:イタリア軍、エチオピア、ソマリア等、東アフリカ方面へ侵攻

1947年3月15日:ドイツ、ノイエス・リヒト島にて反応弾実験に成功(※4)

1947年10月14日:アドルフ・ガーランドがDFS346ロケットグライダーによって音速突破を達成

1940年代半ば〜後半頃?:シ日協定に基づいて大規模日系移民団がシベリアに渡る。
志田一平日本帝国海軍中将、シベリア公国に帰化。二人の息子も帰化し、それぞれ名前を「アンドレイ・シダーノフ」、「ケンジンスキー・シダーノフ」とロシア風に改める
ディミトリー・メドウェーデフ元ソ連海軍一等兵、シベリア公国へと脱出し帰化。シベリア公国海軍に入隊する。
 「スミレ派」軍閥、日本帝国の仲介により公国に帰順し消滅する。

1948年5月13日:第三次世界大戦勃発。ドイツ、反応弾搭載のA-10弾道弾によってワシントンとフィラデルフィアを攻撃。
合衆国大統領ウェンデル・ウィルキー、ワシントンにて被爆し死亡。フィラデルフィアの合衆国大西洋艦隊は壊滅的な損害を被る。

         同時にドイツ軍はカナダと合衆国東部にて侵攻作戦を開始。

      17日:ファンディ湾沖海戦。合衆国海軍、大西洋方面での作戦能力喪失。
          米:戦艦4隻(うち1隻沈没、2隻大破)
         独:戦艦級7隻(内3隻大破、2隻中破)

  6月2日:ドイツ、ワシントンを占領。(※4)

  6月:ドイツ軍、パナマに侵攻し、これを占領。米大西洋艦隊の残存艦隊は運河占領寸前に太平洋に脱出。
  この頃?:ドイツから帰還したジョゼフ・マッカーシー、アメリカ連合国(東部連合)の建国を宣言(※5)

11月頃:日英軍、ソコトラ島侵攻(「ブルー・アイス」作戦)
     日本軍、〈フィリブス・ウニーテス〉を捕獲

 12月:日英軍、ソコトラ島占領

1949年1月1日:合衆国大統領代行を務めるトマス・デューイ上院議員、ハワイにて日英同盟への参加に調印。日英米三国枢軸成立

    2月15日:「贖罪」作戦。合衆国海兵隊、日本帝国海軍陸戦隊、パナマに上陸初頭:枢軸軍、パナマ奪回
   パナマ奪回作戦の支援にあたる合衆国海軍第58.1任務部隊及び第58.2任務部隊、ドイツ軍の反応弾頭搭載型弾道弾と対艦ミサイルの飽和攻撃によって壊滅的打撃を被る。空母4隻、戦艦2隻と、マーク・ミッチャー大将、マッケーン中将といった指揮官を失う。一方、ドイツ太平洋航空軍も出撃戦力の5割を喪失し、事実上の作戦能力を失う

(年内)  :日英枢軸軍、キューバに侵攻。グァンタナモを占領するも、その後、数々の野戦飛行場を巡って戦線は膠着状態となる。
メキシコ湾海戦を始めとして、カリブ海全域において航空撃滅戦を意図した多数の海・空戦が勃発する。

     7月:メキシコ湾海戦。日米対独の空母部隊の対決。初の共同作戦となった日米 機動部隊の連携は悪く、日本海軍第2機動艦隊は大損害を被る

     8月6日:日英米枢軸軍、「ジョゼフィーヌ(皇后)」作戦を発動。自由フランス軍を先頭にヴィシー・フランス領のマルティニーク島に上陸する。

            8月8日:マルティニーク島に侵攻した日米英艦隊に対し〈桜塚《シュリーフェン》恋〉ほかの欧州連合艦隊が夜戦を挑み完勝するが、輸送船団の撃滅には失敗する(第一次ウィンドワード海戦)

     8月20日: マルティニーク地上戦においてドイツ軍「アインバウム」戦闘団が全滅。その後マルティニーク島周辺では1950年2月に欧州連合軍が撤退するまで激戦が繰り広げられる

    (この頃?):日本海軍第1機動艦隊、大西洋に進出
          統合航空軍インド洋航空集団、紅海沿岸に集結していた欧州側航空戦力の撃滅を目的として「I」作戦を発動。戦略航空軍隷下の〈富嶽〉による方面の港湾爆撃及び機雷によるスエズ封鎖と、前線の航空基地に対する航空撃滅戦を行う。
この結果、インド洋航空集団は積極的な攻勢能力を喪失するも、アラビア半島南部の独伊航空戦力に大損害を与えることに成功する。

 

     9月:〈岡本《伊373》みなみ〉、大西洋からジブラルタルを突破して地中海に潜入。多数の艦船を撃沈

10月:日英同盟、アデン侵攻

     10月26日:中部大西洋海戦(ケイマン諸島沖海戦)。
日英米と独仏伊の空母機動部隊の激突。独仏伊機動部隊は執拗な攻撃で日米英の空母に大損害を与えるも多くのベテランパイロットを失い、海軍航空戦力を大幅に低下させる結果となる

     1940年末期?:スペインにてアメリカ人ジョン・ノースロップとホルテン兄弟がノースロップ・ホルテン社を設立する

1950年1月1月:日本海軍第1機動艦隊、アイスランドを急襲。喉元に刃を突き付けられた形になった欧州連合がカリブ海から欧州方面へと航空戦力を帰還させたことによってカリブ海方面の圧力は減少する

     2月15日:ウィンドヒル島沖海戦
          〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉、日本軍の重巡〈鷹城《摩耶》唯子〉〈千堂《鳥海》瞳〉を翻弄するも護衛艦〈さくら〉によって撃破される

2月22日:伊領マッサワ陥落

3月1日:カサブランカ沖海戦。日対伊仏の水上砲撃戦

3月27日:伊領エジプトの現状を憂うナセル中佐、スエズ作戦に関して日本と了     解

    5月5月:エジプトにおいてナセル中佐を中心とした「自由将校団」の叛乱勃発

6月6日:北米戦線にて合衆国軍中心の大反攻作戦「上帝(オーバーロード)」開始
         カナダ国境沿いに五大湖を目指す北方軍、オマハからセントルイスへと突破する中央軍、テキサスを打通しメキシコ湾岸を目指す南方軍が進撃。
中央軍指揮下のアメリカ第8軍の機動突破によって、ドイツ中央軍集団はなし崩しに撤退に追い込まれる
         ドイツ軍の反撃によりミシシッピ川前面で進撃は停止する

     

6月頃:ポート・スーダン陥落

    6月30日:独空母〈アンティータム〉追撃戦。〈アンティータム〉の喪失により、ドイツ北米艦隊の正規空母は文字通り全滅
カリブ海航空撃滅戦事実上終結。カリブ海の制空権は日英米枢軸側に渡る。また一連の戦いで欧州連合の駆逐艦の大量消耗が引き起こされたため駆逐艦建造が優先され、欧州陣営の通商路防御に影響を及ぼす

             7月:グルダフィ沖海戦。イタリア海軍、空母3隻を一挙に喪失。公開近辺の制海権とソマリアを失う
       伊領エジプト、日英の援護を受けた自由将校団により陥落
独伊によるスエズ運河閉塞作戦失敗
日本軍、〈富嶽〉によるプロエスティ油田及び合成石油向上を狙った戦略爆撃作戦を開始
      

    (夏頃):日英豪満連合軍、カリブ海で大攻勢。キューバ全域や島嶼部への野戦飛行場の大規模建設、空中給油機の導入などによって航空撃滅戦を優位に進める

    (半ば頃):日英米枢軸軍、カリブ海の制海をほぼ完全確保。カリブの要衝マルティニークから出撃する潜水艦と、グァンタナモ−レイキャビク航路を護衛する機動部隊によって欧州連合の北大西洋航路は閉鎖されたも同然となる

8月6日:「ブラッディ・オマハ」ことオマハ包囲戦(〜20日)
         ドイツ軍は脱出に成功するが重装備のほとんどを失う

 8月21日:ニューヨーク沖海戦 (輸送船団を巡る〈高瀬《大和》瑞希〉対〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルグ?葵〉の決戦)
          この海戦によりドイツ北米艦隊壊滅

9月8日:日英同盟、スエズ奪回
         〈《グラーフ・ツェッペリン供佞澆舛襦喞惜

9月26日:北米戦線カンザス州にて「マウント・ホムラー戦車戦」勃発

    10月頃:独仏海軍「オクトーバーフェスト(学園祭)」作戦を開始。独戦艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉、仏戦艦〈篠宮《アルザス》悠〉、仏空母〈君影《シャンンプレン》百合奈〉によって臨時編成のノルトマン戦闘グループを編成し、大西洋における複数の襲撃作戦を開始する

10月16日:ノルトマン戦闘グループ、アイスランドに向かう英輸送船団を襲撃しこれを撃破する

      同日:欧州連合の大西洋制海権喪失の噂によって起こった騒擾状態の鎮静化のために〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉、ロンドン民政管区へ出発

         17日:キューバへの進撃中に〈君影《シャンプレン》百合奈〉が機関故障を起こしたため、〈君影《シャンプレン》百合奈〉〈篠宮《アルザス》悠〉はノーフォークへと撤退。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は単独で作戦を続行

  同日夜:〈桜塚《シュリーフェン》恋〉、グァンタナモの枢軸軍基地を砲撃し、陸上基地や停泊していた輸送船団に大打撃を与える

   (秋頃)  :日英米枢軸軍が実行したルイジアナ強襲上陸作戦(「剣」号作戦)、惨々たる大敗北に。

(年末) :ドイツ中央軍集団壊滅。枢軸軍、ミズーリ河畔のカンザス・シティに到達
ドイツ海軍、カリブでの敗北を認め、積極攻勢から英国諸島周辺海域と北米東岸の防備へと方針変更。またカリブ海での輸送船と護衛艦の大量喪失と建造計画の混乱により、欧州と北米を結ぶ大西洋航路の維持に重大な支障をきたすようになる

1951年1月26日:空母〈里村《海鳳》茜〉クレタ奪回作戦で大破(後に解体)

1月28日:ドイツ潜水艦、日本本土反応兵器攻撃。駆逐艦〈舞波〉、〈小百合〉     沈没

    7月:独正規空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉竣工

7月10日:日英軍、シチリア侵攻。同時並行でジブラルタル奪回作戦始動。

7月30日:マルタ沖海戦・英伊、共に大損害
          英戦艦〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉他沈没

     夏頃:レイキャビクから出撃した日本第2機動艦隊、欧州沿岸を襲撃。北海と大西洋に面した地域と沿岸航路に壊滅的な打撃を与える

    10月10日:日本第2機動艦隊、ドイツ占領下の英本土を空襲

    10月12日:アイルランド沖航空戦。ドイツは「日本機動部隊全滅」。と報ずるが実際の戦果はナシ。反対にドイツ空海軍の航空攻撃戦力は壊滅

    10月21日:「Last regret供弸鄒鏗始。残存イタリア艦隊壊滅

     (秋頃): 日英米枢軸軍、ミズーリ州を奪回。独軍戦線に突出部を形成する

    11月12日:伊戦艦〈多上《レジナ・マルゲリータ》愛姫〉、英軍の爆撃で大破転覆

       20日:独装甲艦〈春原《リュッツオゥ》七瀬〉、グァンタナモとレイキャビクを結ぶSY44A船団を襲撃するが護衛部隊の〈さくら〉によって返り討ちに。

11月:自由フランス軍、コルシカ奪回

     冬:ドイツ軍、日英米枢軸軍のミズーリ突出部南翼に対して攻勢を開始(バルジの戦い)

         (年末):ドイツ海軍、根拠地をキールからバルト海のリガへと移動

1952年1月:枢軸軍、英本土奪回作戦「アーク・エンジェル」発動。欧州連合軍これに対し迎撃作戦「北の暴風」を発動。北大西洋全域で激戦
この戦闘の結果欧州連合水上部隊は壊滅。英本土に枢軸軍が上陸し終戦までに独軍をドーバー海峡に追い詰める。
        枢軸軍、北海の制海権を確保。大型空母11隻からなる機動部隊と高速戦艦6隻の水上砲戦部隊、そして英国本土奪回軍を援護する英米の戦艦数隻を展開させる

    1月15日:英空母〈神尾《イラストリアス》観鈴〉、ドイツ潜水艦により沈没

    1月25日:エオリア島砲撃(イタリア海軍最後の作戦)

    1月30日:日本帝国海軍第7航空艦隊、「報復」作戦を発動。反応動力空母〈《インディカ》ユンナ〉大破着底

    3月9日、10日:統合航空軍、全噴進式戦略爆撃機〈飛鳥〉によるベルリン空襲。〈飛鳥〉の実戦参加により、欧州全域が爆撃圏内に納められる。

    4月8日:伊23、反応弾輸送中の重巡〈ブリュッヒャー〉を撃沈

    (春頃)  :イタリア情報部アルコン少将、密かに「置換」作戦開始

    6月:英本土奪回作戦の第2段階として英国南部上陸作戦(「コロネット」作戦)が開始される

    6月3日:ロンドンにて一斉蜂起

    6月9日:ロンドン駐留ドイツ軍、ヒトラーのロンドン破壊命令を無視して降伏。英本土奪回作戦、事実上の終了

    7月15日:イタリアでクーデター発生。2代目統領チアノ逮捕

7月20日:国防軍によるクーデター、ヒトラー暗殺

7月26日:第2代総統ロンメル、休戦提案(ポツダム宣言)

    7月26日:イタリア臨時統領アオスタ公、ポツダム宣言受諾を決定

    7月27日:ヒトラー暗殺直前に発令された日本との全面反応兵器戦争を命令する総統命令666号の発覚

    8月11日:ドイツ反応動力潜〈A9〉vs日本反応動力潜〈天沢《亜12》郁未〉、北極海での死闘(〜15日)

8月15日:日独休戦成立、(第三次世界大戦、実質的に終了)

     (同日):細菌爆弾搭載の〈平野《Z661マリアナウティカ》深雪〉追撃戦、首謀者のアルコン少将が殺害されたことにより戦闘終了

    9月〜10月:ウラル戦線でロシア軍の大攻勢が行われるが〈アルクェイド《ティーゲル供侫屮螢絅鵐好織奪鼻咾粒萍でドイツ軍はロシア軍を殲滅
           ロシア軍指導者ミハイル・ロア・バルダムヨォン(初代)戦死

(年内?):「〈A9〉事件」を受けて、日独首脳間に直接電話回線(ホットライン)が引かれる

    1953年:ドイツ、ウラル戦線で「アインナッシュ」作戦を発動。腑海林派を殲滅し支配地域をウラル東麓にまで広げる
      独歩兵戦闘車〈《マルダー》レン〉」実戦初参加

1957年9月:東部連合戦闘機F-8U〈クルセイダー〉、DMZ(非武装地帯)を越えて合衆国へと亡命。合衆国、東部連合間の緊張増大、DMZ近辺で小競り合いが頻発する。8日後、東部連合軍機、〈クルセイダー〉が保管されていた合衆国軍基地を空襲、迎撃に上がった合衆国空軍のF-107〈ペンシラー《アドヴァンスド・セイバー》カナ〉の迎撃をかいくぐり機体を破壊する。後に政治取引によって、合衆国は亡命者を受け入れる一方で、修復した機体を東部連合に返還する

1958年:合衆国海軍、カリブ海艦隊を再創設。初代司令長官にJ・F・ケネディ海軍少将が就任する

1960年代初頭:シベリア公国のMiG-25戦闘機が超低空で日本の防空網を突破し函館に着陸。日本帝国、北方の防空警戒網の拡大と強化を推進

1960年代前半:シベリア公国、国土の大規模改造。大都市の地下交通や幹線道路を中心とした交通網の整備と湿地の開拓、さらには核戦争を想定して大規模シェルターや山岳地帯の岩盤をくりぬいた半地下基地等を建設。「土建国家」と揶揄される

1960年代: イタリアに残されていた植民地であるリビアから油田が発見され、「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げる
東部連合、ミシシッピ川に沿ったDMZ(非武装地帯)に北米分轄要塞線――通称「カエサルライン」の着工を開始。(※6)

1961年:ドイツ、有人飛行を成功させる

1964年:ドイツで「宇宙軍」設立

1965年:ロシア軍閥諸派及びシベリア公国、ドイツに対し大規模攻勢を開始するも撃退される(通称「月面侵攻作戦」)。この後、敗北の責任の擦り付け合いから軍閥間の内戦が激化する。

この頃?:プラハの春事件勃発。日本においても日米安保条約の見直しや中国内戦への介入反対を叫ぶ学生運動が激化する

1967年:第三次中東戦争。イスラエル、電撃戦に次ぐ電撃戦をもってアラブ連合軍を圧倒。シナイ半島を制圧し、スエズ東岸にまでその領土を広げる。アラブとの友好関係を重視する英国、イスラエルに武器の禁輸を通告し、日本もそれに倣う

1960年代後半:シベリア公国、「月面侵攻作戦」の大失敗を受けて軍の大規模近代化に着手する

1970年代: シベリア公国及びロシア各地において共産主義テロリスト「紅の派閥」によるテロが頻発。シベリア公国においても「ハバロフスク不動産ビル立て篭もり事件」を中心にテロが頻発するが、80年代に鎮静化する

1973年10月6日: 第4次中東戦争(〜19日)。シリア、エジプトの先制攻撃を受けたイスラエルは窮地に追い込まれるも、なんとか盛り返し引き分けに持ち込む。米西以共同開発の主力戦車〈メルカヴァ〉(〈アイリ〉)実戦初参加。10日までに停戦ラインを越えたシリア軍を壊滅させたイスラエル軍は反攻に転じ、11日にシリア領内へ侵攻。アラブ側はイラク、ヨルダン、サウジアラビアが立て続けに参戦し、イスラエル軍との激戦を展開するも、イスラエル軍はシリアの首都ダマスカスを長距離砲で攻撃できる位置を確保したまま防御に転じる。

1970年代後半:東部連合、カエサル・ラインの建設をほぼ完了するも、配備されている兵装の更新などによって、細部の建設や改装は90年代まで続けられる。(※7)

1980年代:合衆国レーガン政権、2隻の大型空母を中心として旧式主力艦の近代化改装・新鋭艦艇の建造を含む艦隊整備計画に着手する(60隻艦隊構想)
 イラン・イラク戦争勃発

1982年:フォークランド紛争勃発

1980年代前半:「紅の10月」事件。シベリア公国海軍、国家社会主義者に強奪された新鋭潜水艦を北極海で撃沈。

1985年(夏頃): 華中戦線の鄭州において共産軍大攻勢。国民党軍を大幅に後退させる。

      (この頃?):大ドイツ帝国第3代総統ラインハルト・ハイドリヒ、心筋梗塞で倒れる。総統代行となったクルト・ワルトハイム、情報解放や経済改革を実行しようとするも、党内基盤の弱さと守旧派の抵抗にあって改革は進まず。1995年勃発の第四次世界大戦は、国境紛争を一挙に片づけて経済復興の時間を稼ごうとしたドイツの動きに端を発する

1992年:国共内戦終結。中華民国政府は台湾へ脱出するが、大陸沿岸部には点々と中華民国守旧派メンバーの勢力が虫食い状態で残ることになる。

1995年6月6日:第四次世界大戦勃発。
         イタリア、中立を宣言(ただし航空部隊を北米に派遣)
         東部連合の陸上戦略投射艦〈ミラルカ《フランクリン・ブキャナン》〉によるキューバ全域への大規模巡航ミサイル攻撃。グァンタナモ軍港に停泊していた空母〈小出《葛城》由美子〉をはじめとした機動部隊は大損害を受け、グァンタナモ基地は機能停止。
         ドイツ軍、ウラル戦線にて大攻勢を開始、一時的にウラル山脈東麓の主要都市を制圧する
         ドイツ海空軍、「コンテスト作戦」を開始。アイスランドの日本軍航空基地を攻撃、機能停止に追い込む。
                 日英米枢軸軍、潜水艦発射式の巡航ミサイルによるベルリン・パリ攻撃作戦を発動するも、欧州陣営対潜部隊の活躍により失敗に終わる

    10月:ドイツ軍のレーザー装甲車〈モールデアー〉実験中隊がロシア軍閥混沌派戦闘部隊と交戦。混沌派首領フォアブロ・ロワイン戦死

1996年初頭:ロシア軍閥諸派及びシベリア公国連合軍、ウラル戦線においてドイツに対して反撃。ドイツ軍、ボルガ川以東を放棄して撤退。

   1月30日:サマーラ攻防戦。〈アルクェイド《ティーゲル后侫屮螢絅鵐好織奪鼻を装備した「朱い月」戦闘団の死闘により、ロア派第18代指導者が戦死

   4月30日: 合衆国空軍ステルス攻撃機、東部連合各所のレーダーや中継基地を破壊。これを皮切りに合衆国空軍は制空権をアパラチア山脈近辺にまで拡大。連日にわたってデトロイド、ピッツバーグといった大都市へ巡航ミサイルによる爆撃作戦が開始される
ドイツ空軍、第44戦闘航空団を北米へと派遣し航空撃滅作戦――「ボーデンプラッテ」を開始。北米中南部の航空優勢を奪取する。

1996年年内?:第二次ニューヨーク沖海戦。日米英枢軸軍、損害を出しながらもGETTO艦隊を撃破し東大西洋の制海権を確保するも、英本土への打通作戦は中止となる。
       日米海兵隊、フロリダへ上陸し、ケープ・カナベラル基地を占領。以後、休戦まで日米軍がフロリダ南部を確保し続ける
             東部連合大統領リチャード・ニクソン、叛乱を起こした防空武器庫艦〈ミレニアム〉の巡航ミサイルによってボストンの大統領府ビルごと吹き飛ばされて爆死。副大統領ビル・クリントン、第3代大統領に就任。(休戦発効後に辞任)

   10月29日:ベルリンにおいてナチス保守派によるクーデター発生(〜31日)するが失敗に終わり、これを機にナチス第三帝国崩壊

1998年:湾岸戦争(〜99年3月)
     日英、合衆国、伊、仏及びスペインを中心とした各国、大規模な陸海空軍部隊を中東に派遣
     米空母〈広場《バンカーヒル》まひる〉、イラク軍の航空攻撃により大損害を受ける
     日本帝国航空軍の〈聖山〉爆撃隊、バグダッドの地下司令部を攻撃しサダム・フセイン大統領を殺害する。イラク新政権、多国籍軍と休戦協定を結ぶ。

1990年代末期〜21世紀初頭:この頃までに国家社会主義陣営、経済的苦境により自壊
             大ドイツ帝国、ドイツ連邦共和国として発足。大ドイツ帝国時代の各管区は各々独立し、ユトレヒト大管区からベルギー、ネーデルランド、ルクセンブルクのベネルクス三国が復活。ノルウェー、デンマーク、ポーランド、チェコ、セルビア、ギリシャといった国々も復活する。
             旧ロシア地区ではウクライナと旧バルト三国が独立。その他の旧東方植民地地域はクリミア州(旧ゴーテン大管区)、ベロルシア州(旧オストラント大管区)、サンクト・ペテルブルク州、バルバロッサ・ロシア州としてドイツ本国と連邦国家を構成。
             ウラル山脈とボルガ川に挟まれた地域にロシア人の再植民が進む。
             第四次世界大戦で得た領土の配分を巡ってロシア軍閥間の内紛が激化する
             カフカスにおいて諸民族間の紛争勃発
(この頃?):数十年続いたリュージン・ツィタデル戦区周辺の異常気象が終息する

2000年代初頭:小平死去。人民解放軍は分裂して軍閥化。中華人民共和国は崩壊して内戦状態となる

2013年:ソマリア近海にて〈ノエル・エーアカリヒト〉と〈イレイン〉の戦い

2047年〜49年:ヲルラ来襲、合衆国消滅(接触戦争、WW)

2172:第一次オリオン大戦開戦(〜97年)


(※1) 日本が英国の経済圏に入り云々〜の部分は「レッドサン・ブラッククロス密書」掲載の年表の記述より

(※2) 隆山鎮守府第三掲示板の〈愛沢《ライン》ともみ〉の記事では4月と記載されているが、同じく第三掲示板の〈フィーリア〉級護衛艦の記事では5月と記載されている。また、〈愛沢《ライン》ともみ〉の記事では英機動部隊に〈千鶴()〉が加わっている。

(※3)  南部連合政府が脱出した場所について〈雛岸《スカイレイダー》希〉の記事ではフロリダと書かれているが、〈端本《チーニョ》久美子〉の記事ではテキサス州ヒューストンとなっており、食い違いが出ている。ただし双方の記事とも出版物として発行されてはいないので、敢えて首都の位置を描かないという選択肢もありうると考える。

 また、南北戦争においてアメリカが分断国家になったことを強調するために、南北戦争以降の合衆国の首都はワシントンではなくボストンであること、そして第二次南北戦争の終結後にワシントンが首都になったことをどこかに記載しておきたいと考える。

(※3) 「レッドサン・ブラッククロス密書」に掲載された年表の記載より抜粋

(※4)  「レッドサン・ブラッククロス密書」に掲載された年表の記載より抜粋

 (※5) 2013年2月22日の隆山チャットにおけるさたびー氏の発言によると、東部連合の建国宣言は1948年内とのこと。おそらく、ワシントンが占領された6月頃になるのではないかと考えるが、さたびー氏に確認の必要あり

(※6) 隆山鎮守府関連の年表やエピソードには書かれていないが、カエサル・ラインは隆山世界を象徴する存在の一つと考えて、ふぇんりあの判断により記載した。なお、着工の年月は2013年2月22日の隆山チャットにおけるさたびー氏の発言によるもの

(※7) 70年代後半の建設ほぼ完了という部分は〈ミレニアム〉の記事より。2013年2月22日の隆山鎮守府チャットにおけるさたびー氏の発言によると、70年代に終わったのはあくまで地形の変更であり、要塞線に長距離砲やミサイルの更新などによって90年代においても細部の改装や近代化工事がなされているとのこと