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日本帝国陸軍 装甲戦闘車両の系譜

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日本帝国陸軍 装甲戦闘車両の系譜

中戦車/主力戦車

〈芳野《八九式中戦車》雨音〉

 史実の八九式戦車と同じ。

〈瀬能《九七式中戦車チハ》英理子〉

 カヴィナンターの車体に、史実九七式戦車に似た形状の砲塔。主砲は57价札ノン砲。

〈瀬能《九七式改中戦車》英理子〉

 史実カヴィナンターの車体に史実九七式改中戦車に似た砲塔を搭載。長砲身47仞鐚嵋い鯀備。黎明期のイスラエルにも軍事援助として送られた。

〈穂村《一式中戦車チヘ》悠夏〉

〈瀬能《九七式改中戦車》英理子〉を改装した車体に九〇式機動野砲を車載化した主砲を搭載したもの。ソ連の軍事援助を受けた中共軍のT-34とはなんとか互角に渡り合えるようになったもの、あくまで「つなぎ」としての要素が強く、北アフリカ戦線で戦ったドイツ戦車に対しては非常に分が悪かった。ハワイ侵攻作戦にも参加。(史実クルセイダーの車体に、史実における三式中戦車に似た砲塔を搭載。)

〈穂村《一式中戦車改》悠夏〉

 第二次世界大戦が小康状態となった1940年代半ばに行われた、〈穂村《一式中戦車》悠夏〉の改装計画によって誕生した車輌で、新規生産の他に在来車からの改装も多く行われた。
 主砲を四式高射砲を改装した53口径75仞鐚嵋い亡港し、外に露出していた駐退機にも装甲カバーーが装備された。(※1)
 第三次世界大戦時には旧式化が著しかったが、〈八車《七式中戦車》文乃〉の配備がいきわたるまでは〈《三式中戦車》チハヤ〉と共に日本軍戦車舞台の主力を務め、マルティニーク初頭攻略戦においては戦車第1連隊第1中隊に配備された車両が、ヴィシー・フランス軍の弦羸鐚崢綱た鳩燭噺潦僂棒錣辰討い襦
 第三次世界大戦時には多くの車両に成形炸薬弾対策として、シェルツェン風の増加装甲が装備され、旧南部連合軍の主力戦車M42〈フォレスト〉と酷似した形状となっている。 第三次世界大戦後半以降は軍事援助としてイスラエルにも供与された。

(※1) 国民党軍から供与されたボフォース社製の高射砲をライセンス生産したもの

〈三式中戦車《チハヤ》〉

 ドイツ軍重戦車に対抗を目的として開発された車両で、T-34をベースにした車体に軍事援助と引き換えに国民党軍から入手した46口径88佶(FLAK18)を改装した主砲を装備している。
 初陣のハワイ侵攻作戦では合衆国軍の新鋭戦車であるM4〈シャーマン〉を圧倒し、北アフリカにおけるイギリス軍の撤退援護作戦においても、ドイツ軍の新鋭戦車であるパンターと互角の戦いぶりを見せている。
 第三次世界大戦のソコトラ島上陸作戦においても海軍陸戦隊に配備された車両が現地のイタリア軍と交戦し、〈八車《七式中戦車》文乃〉が全戦車部隊に配備されるまでは日本軍戦車部隊の主力を務めた。
 後にはシベリア公国をはじめとしてロシア軍閥各派にも譲渡され、T34/88として使用された。

  外見はT-34/85の砲塔を角ばった熔接製のものにして、56口径88佶い魑佑瓩深臻い鮠茲擦心兇検K標耄篭化のために操縦主ハッチは撤去。

〈八車《七式中戦車》文乃〉

 第三次世界大戦以降における日本軍の主力戦車であり、二一式、三四式といった戦後型戦車の基礎となった車輌。第三次世界大戦時には大量生産されて、日本陸軍/海軍陸戦隊のみならず、同盟国軍にも大量に供与され、合衆国軍ではM7J〈グラント〉、イギリス軍では〈センチュリオンMk.機咾箸靴道藩僂気譴拭
 大戦中期以降には足回りをクリスティー式からトーションバー式に変更した〈八車《七式中戦車改》文乃〉が配備され、合衆国名M7A1J〈グラント〉、イギリス名〈センチュリオンMk.供咾箸靴道藩僂気譴燭世韻任覆、第三次世界大戦末期以降、ドイツとの紛争を続けるロシア軍閥にも供与され、独自に製作した鋳造砲塔と搭載と細部の改修を経て、〈T-55〉として長く使用された。
 第三次世界大戦終結後には、エンジンをディーゼルに換装した〈八車《七式中戦車改三型》文乃〉が登場。合衆国軍ではM7A2J〈グラント〉、イギリス軍では〈センチュリオンMk.掘咾箸靴道藩僂気譴紳勝▲ぅ好薀┘襪任脇手した車両に大改造を施して、80年代まで第1線で使用されていた。

派生型
七式改   → 足回りをクリスティー式からトーションバー式に換装
七式改二型 → 鋳造砲塔に換装
七式改三型 → ディーゼルエンジンに換装

 

〈二一式中戦車〉

 七式中戦車の車体の細部を改良し、史実74式戦車のものを延長したような鋳造砲塔を搭載。主砲は100佶いらヴィッカース社製のL7型105佶い亡港。合衆国軍ではM60J〈スーパーグラント〉として使用され、国民党軍には〈六一式坦克〉の名で、第三次世界大戦後に独立した満州国警察予備隊においても〈61式特車〉として使用された。

〈三四式中戦車〉

 上記〈二一式戦車〉の車体、砲塔に簡易複合装甲を装備し、射撃統制装置の近代化を図った物。史実におけるヴィッカースの輸出用AFV(FV403?)に似た形状

 

〈蒼崎《四八式中戦車》青子〉

 近代化を続ける執罐譽パルト系列や世界各地の紛争においてドイツによる軍事顧問団が装備する〈アルクェイド《ティーガー》ブリュンスタッド〉といったドイツ戦車に対し、〈八車《七式中戦車》文乃〉系列の改装と近代化という泥縄的な対応に追われてきた日本陸軍が「〈アルクェイド《ティーガー后侫屮螢絅鵐好織奪鼻咾搬佚に戦える戦車」を目指して開発した主力戦車。
  90年台前半には主砲を44口径127亞蟾佶いら55口径127亞蟾佶い亡港した〈蒼崎《四八式中戦車》青子〉改の配備が始まり、第四次世界大戦直前には 車長用CITVの装備、電子装備品のデジタル化を進めた〈蒼崎《四八式中戦車》青子〉改二型が開発されて、遣米兵団に優先的に配備されただけでなく、現存する在来車両も急ピッチで大量に改二型への改装がなされていき、日本陸軍機甲部隊の主力となった。
 湾岸動乱時には第四次世界大戦の戦訓を加味した結果、発煙弾のみならず対人榴弾等も混載した各種擲弾発射機の大幅な増設、サイドスカートの重装甲化、対トップアタック装甲が追加がなされている。
 合衆国海兵隊においてはM90A2〈アーチボルド〉として採用され、シベリア公国陸軍にもT89〈バグラチオン〉として首都防衛に当たる第1親衛騎兵師団のみに配備されている。さらに近年ではエジプト、サウジアラビア、クウェートといった中東諸国や満州国、オーストラリアでも配備が始まっている。
 形状はフルスケールまで拡大した90式戦車。車体は転輪1つ分延長した90式戦車で、砲塔前面は90式戦車のものを大型化して、チャレンジャー2のように傾斜させた形状。


重戦車

〈六式重戦車《オニ》〉

 海軍の高角砲を改装した127佶い鯀備。車体形状及び足回りの改良などによって、〈六式改重戦車》に改装され、主にカナダ戦線において活躍した。
 その常軌を逸した火力と装甲はイギリス軍将兵から〈ファイティング・モンスター〉と形容され、機動力よりも火力、防御力を重視する「オニの血」とでも言うべき思想は、後にイギリス軍に〈軋摩《コンカラー》紅摩〉重戦車や〈遠野《チーフテン》槙久〉、〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉及び〈遠野《チャレンジャー2》秋葉〉といった重量級MBTを生み出させる原動力となった。
  (デザインは史実61式戦車の車体を50トン台まで大型化し、史実五式中戦車の砲塔をを搭載し、コンカラーの足回りに換装した感じ。)

〈《十式中戦車》ヤマノカミ〉

 珊羹点鐚屐劵譟璽凜А咾筺劵譟璽凜Л供咫△修靴醜羹点鐚屐卞嘉隋團疋薀奪悒鵝娵亜といったドイツの重戦車に対抗して開発された車両であり、名前こそ「中戦車」と名乗っている物の、は60t近い重量とドイツの珊羹点鐚屐劵譟璽凜А咾筺卞嘉隋團疋薀奪悒鵝娵亜咾汎韻検峙‘偉呂塙發に標耄呂鮖った対戦車兵器」というコンセプトを考慮すると、中戦車というよりは限りなく重戦車に近い車輌であった。
 第三次世界大戦終結後も遣米兵団の独立戦車大隊に多く配備された他、合衆国軍にもM103J〈イタカ〉として配備され、第三次世界大戦終結後には油田と石油化学工業の中心地であり、東西冷戦の最前線であるテキサス州を防衛する第7軍団と海兵隊の重戦車大隊を中心に使用された。
  後には、射撃統制装置を換装したM103A1J〈イタカ〉やエンジンをディーゼルエンジンに換装したM103A2J〈イタカ〉も配備されている。
 (74式戦車の車体を転輪2つ分延長した車体にM103の砲塔と127仞鐚嵋い鯀備した車輌)