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南部連合海兵隊潜水艦隊

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南部連合海兵隊潜水艦隊

南部連合における潜水艦運用の始まりは、第一次南北戦争にまで遡る。
 当時、合衆国海軍の封鎖下にあったサウスカロライナ州チャールストンでは、ホレース・L・ハンレーという元弁護士の指揮の下、史上初の潜水艦の実戦投入準備が進められていた。
 だが、壮大な目標に反して、先行きは暗かった。試験運行の度にトラブルが発生、乗組員ごと水没する光景が繰り返され、「味方殺し」「北軍よりも南軍を殺した数の方が多い」という悪評を戴いていた。
 そして1863年、ハンレーらが苦闘している間に、ゲティスバーグの戦いをリー将軍指揮下の北ヴァージニア軍が制し、英仏が介入してきた事で、第一次南北戦争は南部の勝利によって幕を閉じる。南部連合の沿岸の各都市も封鎖を解かれ、〈ハンレー〉が実戦に投入される機会は失われた。
 そして戦後、南部が再建時代に入ると、軍は急速に潜水艦に対する興味を失っていった。当然だろう。元々彼らが〈ハンレー〉に目をつけたのは封鎖線突破の為であり、それが無くなったのであればこのような胡乱で、味方殺しの悪名を持つ代物など不要だった。海軍が第一に目指すべきは封鎖をされない為の、合衆国艦隊に対抗出来る強力な外洋海軍であり、交易路を封鎖されては今度こそ負けなのだ。
 かくして海軍から見切りをつけられた〈ハンレー〉だが、捨てる神あれば拾う神あり。この未知数の船に興味を抱いたのは、何と南部連合海兵隊だった。第一次南北戦争で幾度と無く合衆国軍後方への奇襲や合衆国艦船への襲撃を行っていた彼らは、潜水艦の持つ隠密性に目をつけたのだ。
 このような艦なら、自分達の任務――後方地帯への襲撃に最適なのではないか?
 こうして〈ハンレー〉は海兵隊に譲渡され、彼らの手で試験航海と運用実験が続けられた。
 もっとも、これも長くは続かなかった。幾度目かの試験航海の際、これまでにも幾度と無く繰り返されてきた光景――沈没事故が起こり、〈ハンレー〉はそのまま行方不明となったのだ。
 これを契機に、海兵隊ですら潜水艦に見切りをつけた。この当時の潜水艦は人力で動く鉄の筒のようなもので、輸送できる人員(兵員でないことに注意)もたかが知れていた。元々、19世紀半ばの技術で「潜水艦」を建造しようという事自体無茶だったのだ。
 計画は中止され、海兵隊による潜水艦運用のノウハウは倉庫の奥深くに仕舞い込まれた。
 なお、〈ハンレー〉はその後1世紀以上もの間行方不明となっていたが、第四次世界大戦後に民間調査団体によって、サウスカロライナ州チャールストンの沖合いの海底に埋まっていたのが発見されている。

 南部連合において潜水艦に再び脚光が当てられるのは、20世紀に入ってからとなる。
 南部連合海軍においても、他の列強諸国と足並みを揃えるように艦隊型潜水艦の開発が始まり、やがて第一次世界大戦の勃発とドイツのUボートの活躍がそれをさらに加速させた。
 終戦後、海軍が賠償として入手したUボートを調査し、灰色狼の優れた技術を盗もうと躍起になっていた頃、海兵隊内の誰かが半世紀前に自分達の先達が行っていた実験を思い出した。
 ドイツ人が運用していたような輸送用の潜水艦があれば、カリブ海における作戦にうってつけではないか?
 ここで海兵隊から海軍に対して、潜水艦の共同開発が持ちかけられた。
 我々はカリブ海の島嶼戦も想定している。特に兵員輸送用の潜水艦があれば、孤立した諸島などに、ヤンキーに気づかれること無く部隊を送り込める。
海軍の潜水艦と設計を共有する形で我が軍用の潜水艦の開発に協力してくれるならば、予算面でも協力しよう。
 隆山条約締結後、合衆国海軍に対抗する形で海軍増強を開始していた南部連合海軍にとっては、悪い話ではなかった。
 こうして海軍と海兵隊は共同で潜水艦開発に乗り出すのだが、ここで海兵隊側からさらなる要求があった。
 輸送任務に特化した潜水艦だけでなく、海兵隊独自の、攻撃任務に使用可能な潜水艦を保有すべきではないか?
 現代の我々からすれば馬鹿げた意見を述べたのは、英国軍・ANZAC軍と共にガリポリ戦に参加した海兵隊員だった。
 彼らは英国陸海軍の馬鹿げた縄張り争い、そして目の前で友軍の輸送船が、Uボートを始めとする同盟軍の潜水艦に何隻も沈められるのを間近で目撃していた。
 海兵隊の輸送潜水艦には同意した海軍も、さすがにこれには難色を示した。百歩譲って輸送任務は認めるとしても、艦船に対する攻撃は明らかに海兵隊という軍種の任務から外れている。そう反論する海軍に対し、海兵隊はこう答えている。
 ならば尋ねるが、海軍にそんな余力があるのか?
隆山条約が事実上、各国の艦隊増強の追認条約になった結果、合衆国は三年計画艦隊を嬉々として進めている。
 君達南部連合海軍は、それに追いつくので手一杯だ。あれもこれもと欲張って、この上潜水艦作戦にまで手を広げていていいのかね?
 何も海兵隊が海軍の任務を横取りしようというわけではない、ただ多少の肩代わりをしようといっているだけだ。何も艦隊型の巡航潜水艦を欲しているわけではない、ただ計画中の輸送潜水艦に「ちょっと」魚雷を積ませてもらえばいいのだ。そもそも海軍が主戦場と想定しているカリブ海は、我々にとってもいつか戦うべき場所だ。ならばそこにおける潜水艦運用のドクトリンに、我々海兵隊の潜水艦も加えても損はあるまい?
 何なら、沿岸部での海図調査や湾口封鎖も請け負おう。それは我々の任務にも必要不可欠だ。元々孤島や沿岸への上陸作戦の為に潜水艦を欲したのだから。

 海兵隊の提示した一連のプランは、海軍を紛糾させた。海兵隊のマッチョどもは脳味噌まで筋肉か。調子に乗りやがって、何様のつもりだ?!
 だが、この論争は予期せぬ方面からの介入によって決着する。ミシシッピ・ルイジアナ・アーカンソーなど、ミシシッピ川に面した南部各州の議員らが海軍に圧力をかけてきたのだ。
 今日では、この政治的調停は単純に、三州が「軍部に恩を売っておきたい」――単に海兵隊にも潜水艦を運用させるだけで良い――と考えての結果だとされている。州権が伝統的に強い南部連合において、この介入は決定的だった。それに海軍としても、カリブ海における任務の何割かを海兵隊が担ってくれるというのなら、それはそれで有難かったのだ。そもそも決戦海軍建造に向けて驀進する海軍にとって、潜水艦での攻撃任務など二の次、三の次だった。
 かくして南部連合海兵隊潜水艦隊は正式に発足した。司令部はルイジアナ州ニューオーリンズの海軍潜水艦隊司令部に併設され、メキシコ湾、そしてカリブ海を主戦場と位置づけ、部隊編成が始まった。
 当初は輸送潜水艦による上陸・輸送作戦、そして艦船への攻撃(第一次南北戦争のように、そして一次大戦初期のUボートのように、敵艦船への斬り込みまで想定していた)を想定していたが、徐々に任務は拡大していく。
 海軍からの要求によって水上機を搭載した哨戒型、かつて自分達が半ば冗談で言った湾口封鎖用の機雷敷設型、第二次南北戦争が始まると、ミシシッピ川での運用も視野に入れた小型潜水艇まで開発された。
 どうも海軍は、自分達の範疇外(そう彼らが判断した事)については、各軍にその任務を押し付けたように思える。これはミシシッピ川を管轄する陸軍船舶工兵隊、空軍河川特別警備航空隊も同様だった(さすがに河川砲艦戦隊は海軍の所属に残ったが)。
 ここまでくると海兵隊自身も何か間違っていると思えてくるが、一度手にした装備、部署を容易に手放す事などできようもない。彼らもまた、一種の官僚組織なのだ。
 後年、東部連合海兵隊が排水量2万トン級の超大型強襲揚陸潜水艦を計画した際、同海兵隊の退役少将が「我が軍の上層部は馬鹿なのではないかと思った」と述べているが、連合海兵隊内部ではこうした意見こそ少数派だった。上記のような歴史的背景から、少なくともアメリカ連合海兵隊の人間にとっては、「海兵隊が運用する潜水艦」とは当たり前の存在だったのだ。

 そして、第二次南北戦争、そして後には第三次世界大戦、連合海兵隊潜水艦隊は活躍する運命にある。
 カリブ海の島々への奇襲上陸や破壊活動、輸送船舶への攻撃、ミシシッピの大河でのコマンド作戦――三次大戦後、ニクソンによる大軍拡が始まると海兵隊潜水艦隊は解体され、彼らが担っていた任務は海軍潜水艦隊に移された(戻されたとも言う)。
 そして冷戦下、海軍の潜水艦から出撃した海兵隊コマンド部隊が、中南米などでの任務で勇名を馳せるようになるが、それはまた別の話である。