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東部連合海軍五大湖艦隊スペリオル湖戦隊

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東部連合海軍五大湖艦隊スペリオル湖戦隊

 第二次南北戦争終結後、合衆国の予算は国内及び旧南部の復興に回され、五大湖方面の戦力回復は後回しにされた。
 これは戦争で膨れ上がった軍の再編成と、英本土の陥落によりカナダ方面の緊張状態が低下した事が大きい(合衆国はカナダ単独での対米戦など絵空事だと断定していたし、カナダ人自身もそう考えていた)。
 1946年にはケベック州が共和国として分離独立した結果、さらに戦争の可能性は低下した。
 未だ旧南部国内に反乱勢力(その代表がパットンが指導する『見えざる南部帝国(インビジブル・エンパイア・オブ・サウス)』である)を抱える合衆国では、北部国境を固める余裕はないしその必要もない。そもそもケベックの背後にいるのはフランス本国政府、そして友好国たるドイツではないか――そのような考えが主流派だった。
 その『友好国』から『敵軍』が雪崩れ込んでくる可能性など、誰も考えていなかったのだ。
 そのような理由から、第三次世界大戦が勃発した当時、五大湖一帯は一種の空白地帯となっていた。
 カナダ側には日英加軍が展開していたが、それも49年までには駆逐され、面積的に日本列島本州にも匹敵する五大湖地帯は、欧州連合の支配するところとなった。
 建前としては五大湖工業地帯は装いも新たに復活した「アメリカ連合(東部連合)」のものだったが、実際は遥々欧州からやって来たドイツ人のものだった。
 デトロイトやシカゴからはドイツ人の発注により戦車や各種車両、戦争機材が吐き出され、本来の主だった西方の合衆国人に向けて放たれる。
 戦線がロッキー山脈に到達し、西海岸が反応弾の劫火に焼かれる頃には、東方にいる人々の誰もがこう思っていた――この戦争はまもなく終わる、それも西の最果てで。彼らは自分達の考えが48年5月13日までのヤンキーとさして変わらない事に気づいていなかった。
 そして1950年6月6日。開戦から約2年の時を経て開始された枢軸軍(その主役は言うまでも無くアメリカ合衆国陸軍だ)の反攻作戦〈大君主〉により、戦線は一気に東へと押し戻された。
 さらにカナダ方面でも枢軸軍が反撃、マニトバ、オンタリオを経て、ローレンシア台地に雪崩れ込もうとしていた。
 この段階で東部連合内でも、それまで手付かずだった(より正確にはドイツ人が手を触れさせなかった)五大湖、特に当面の戦場となるスペリオル湖の防衛が論議される事となった。
 陸軍は前線やドイツ軍の後方支援で手一杯な為、特にこの一帯に詳しい旧合衆国五大湖方面軍の人員がかき集められる。
 シカゴやミルウォーキーで進められていたモニター艦や河川砲艦の再就役作業が早められ、東海岸からも航空隊が呼び寄せられた。

 ここで目立つのが、旧南部連合海兵隊、それも潜水艦隊の参加である。
連合海兵隊はそれまで小規模な部隊で枢軸軍戦線後方に潜入しての破壊活動などに従事していたが、五大湖が戦場になると聞き及び、特に潜水艦隊が直訴しての部隊参加を要求してきたのだ。
 これは戦後の発言権確保を睨んでの事だが、それまでの他の軍の「華々しい活躍」に比べ、海兵隊の行っている作戦が「地味」で目立たない(破壊活動が目立っては困るのだが)事に対する不満の爆発でもあった。
 再戦力化の最中で海兵隊本隊の参加こそ難しいが、潜水艦隊は余力がある。
五大湖沿岸ならば、敵地後方への上陸作戦も可能だ。開戦当初の第一次五大湖戦ではフランス海軍歩兵も活躍したというではないか。ロクな実戦経験のない蛙野郎に出来て、我ら栄光の海兵隊に出来ない筈がない!
 ――極めて不純な動機だったが、結局この要求は受け入れられた。
 ドイツ人にも分かっていたのだ。それがどんなに怪しげな、意味不明な部隊だろうと、義勇SSよりはマシだろうと。〈ネイサン・フォレスト〉を始めとする北米で新規に編成されたアメリカ人武装SS部隊の「武勇」はすでに両軍に知れ渡っていた。

 こうして集められた東部連合五大湖戦隊は、前述したように、旧合衆国海軍五大湖艦隊と旧南部連合海軍・海兵隊からなる臨時編成部隊であり、主力は旧合衆国海軍のモニター艦他の河川砲艦群、海兵隊の潜水艦戦隊、さらにシカゴでの改装で、試験的に対地攻撃用ロケット弾発射装置を装備されていた怪しげな外輪輸送船まで混じっていた(最後の艦については、後に東部連合が就役させた世界初の陸上攻撃艦〈ヴァージニア〉建造のテストベッドだったと言われている)。
 なお、オンタリオまで進出してきた枢軸軍将兵はこれらの部隊を畏怖を込めて「スペリオル湖の巨竜」と呼んでいた。