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第二次南北戦争における人事資料

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合衆国

政府関係者

  • ヒューイ・ロング

 合衆国大統領、南部系。中国大陸の市場を巡って対日英強攻策を唱えて当選。隆山軍縮条約からの脱退と海軍増強三年計画「ヴィンソン・トランメル」を中心とした大軍拡を行う一方で、南部連合へは極端な融和策政策をもって臨んだが、大軍拡と相容れない宥和政策は南部連合に多大な恐怖感と合衆国に対する不信感を植え付けることに終わった。
 ドイツ、イタリア、スペインにおけるファシズム陣営台頭後は積極的にファシズム陣営に接近し、スペイン内戦への介入、さらに第二次世界大戦勃発後には大規模な対独軍事援助(レンドリース)法案を制定して、ドイツのヨーロッパ制覇に多大な貢献をした。さらに日本を挑発することによって太平洋戦争を起こし、日英に勝利しかけるものの、南部連合を信用しすぎたために、奇襲にあって五大湖周辺にまで攻め込まれるという失態を演じた結果、栄光から一転して合衆国史上最低の大統領の烙印を押される。

  • ウェンデル・ウィルキー

 第二次南北戦争中に失脚したロングに変わって大統領となり、対南部戦争を指導してアメリカ統一を成し遂げた「英雄」。
  だが、ロング政権以来の親ドイツ路線はそのまま受け継がれ、治安維持という名目でカナダに大軍を派遣したドイツへの危機感を訴える軍首脳の意見を入れるれることはなかった。
 第三次世界大戦初頭においてドイツによるワシントンDCへの反応弾攻撃により死亡。

  • ハリー・S・トルーマン

 合衆国経済界の重鎮。第二次南北戦争終結後、合衆国占領下の南部地域の復興に尽力する。ロング同様南部系。

合衆国陸軍

  • ジョージ・マーシャル

 陸軍参謀総長として第二次南北戦争における陸軍の最高司令官として活躍。1940年代半ば以降のドイツの扇動によるケベック独立運動の支援と、それに伴った治安維持を名目としたカナダへの大軍の派遣といった、周辺の不穏当化からウィルキー大統領に対独戦備の充実を進言するも受け入れられなかった。
 ドイツによる合衆国侵攻が間近であることを悟って、自分の後任として目をかけていたアイゼンハワーを西部軍司令官として脱出させた後、陸軍参謀総長としての責任を果たすためにワシントンDCに残留。ドイツの反応弾攻撃により死亡する。

  • ドワイト・D・アイゼンハワー

 第二次南北戦争においては本土軍司令官として対南部戦を指揮した。第三次世界大戦勃発直前に西部軍司令官として転任。大戦勃発後は合衆国陸軍総司令官として対独戦を指揮した。
第三次世界大戦終結後、死亡したウィルキーの代行をしていたデューイ大統領の後を継いで合衆国大統領に就任。日本からの援助を引き出して戦災で荒廃した国土の復興に尽力する。

  • アルバート・ウェデマイヤー

 アイゼンハワーの参謀

  • ヘンリー・アーノルド

 陸軍航空隊司令官

  • カーチス・ルメイ

 陸軍航空隊第21航空軍司令官。第二次南北戦争後半の南部連合各都市への戦略爆撃の指揮を執る。

  • サイモン・バックナー

 アラスカ・アリューシャン方面軍司令官であったが、第二次南北戦争末期に行われたフロリダ上陸作戦―「アイスバーグ」作戦の司令官に任命される。第二次南北戦争終結後、合衆国南部地域治安維持軍司令官に就任するが、就任直後の1945年8月8日、ヴァージニア州ウィリアムズバーグ空港において旧南部連合残党によるテロにより死亡する。

  • ロバート・アイケルバーガー

 バックナー死亡後に南部地域治安維持軍司令官に就任。続発する南部連合残党によるテロの鎮圧のために、大規模な残党狩りと並行した占領地における民間人からの銃器没収政策―通称「オペレーション・シェリダン」を実行する。

  • マーク・クラーク

 第5軍司令官。第二次南北戦争後半にアーカンソー、ミシシッピ州の交通の要所であるメンフィスの攻略を目的として「ショー・ウィンド」作戦を実行するが、ずさんな計画により作戦は失敗。参加した合衆国第101空挺師団に大損害を与える結果を招いてしまう。

  • マクスウェル・テイラー

 合衆国第101空挺師団司令官。「ショー・ウィンド」作戦においてメンフィスに降下するも南部連合軍の包囲によって当地に篭城、生き残った2割の兵員と共に何とか脱出に成功する。作戦終了後、クラークを殴り飛ばす。

  • ジェームズ・ヴァンフリート

 砲兵部隊指揮官。1945年2月、アラバマ州バーミンガムの解囲を目的とした南部連合軍による攻勢作戦―「春の足音」作戦において、「ヴァンフリート火力」と呼ばれる配下の砲兵部隊の集中運用によって、南部連合機甲部隊を撃退する。

合衆国海軍

  • アーネスト・キング

 第二次南北戦争時における海軍司令長官

  • ハズバンド・E・キンメル

 前太平洋艦隊司令官。ロング大統領との対立により予備役編入されていたが、南北開戦とロング大統領の失脚によって現役に復帰。水上砲戦部隊の指揮を執る。

  • ウィリアム・F・ハルゼー

 「ブル」の異名をとる空母機動部隊指揮官であるが、第二次南北戦争時には予備役編入されていた。第三次世界大戦において合衆国海軍作戦部長を務める。

  • レイモンド・スプルーアンス

 1945年4月に行われたフロリダ半島上陸作戦―「アイスバーグ」作戦において合衆国海軍第58任務部隊司令官を務める。

  • マーク・ミッチャー

 空母部隊指揮官。第二次南北戦争時には第37任務部隊指揮官を務める。第三次世界大戦勃発後、日英米共同の枢軸海軍空母部隊指揮官としてパナマ奪回作戦に参加して戦死する。

  • トマス・キンケード

 水上砲戦部隊指揮官

  • ジェス・オルデンドルフ

 水上砲戦部隊指揮官。戦艦部隊による対地支援砲撃の専門家であり、その技術はカリブ海諸島を巡る戦いを重ねるごとに洗練され、「アイスバーグ」作戦における対地支援砲撃はその真骨頂というべきであった。

  • モートン・デイヨー

 水上砲戦部隊指揮官

  • ノーマン・スコット

 第二次南北戦争においては巡洋艦戦隊の指揮を執る。第三次世界大戦勃発後に行われた合衆国海軍による反抗作戦―「リターリエイト」作戦に参加し、ファンディ湾において戦死する。

  • アーレイ・バーク

水雷戦隊指揮官

  • リッチモンド“テリブル”ターナー

 水陸両用戦隊指揮官。太平洋戦争のハワイ攻防戦において日本軍の捕虜となっていたが、日米停戦と共に復帰。第二次南北戦争におけるパナマ奪回作戦の指揮を執る。第三次世界大戦末期のイギリス本土奪回作戦―「アークエンジェル」作戦においては枢軸国侵攻船団司令官を務める。

  • ロバート・A・ハインライン

 合衆国海軍技術大佐。後に世界的なSF作家として有名になる

  • ジョン・F・ケネディ

 合衆国海軍中尉。魚雷艇PT109の艇長として、カリブ海諸島を巡る戦いに参加した。1945年4月に起こった南北海軍最後の機動部隊決戦―「フロリダ東方沖海戦」においては駆逐艦に乗り組み、撃墜された南部連合海軍のジョージ・H・W・ブッシュ中尉を救助する。第二次南北戦争後も海軍に残留するが、第三次世界大戦中に西側に亡命。
 1950年代には少将に昇進してカリブ海艦隊司令官を務めるがその後に退役し政界入り。後に大統領に就任する。

合衆国海兵隊

  • アレキサンダー・ヴァンデクリフト

 第二次南北戦争時には第1海兵師団長としてパナマ奪回作戦、ジャマイカ攻略をはじめとする数多くの戦いの指揮を執る。
 第三次世界大戦において日英との同盟成立後に行われたパナマ奪回作戦―通称「贖罪」作戦においても合衆国海兵隊司令官として再びパナマでの戦闘を指揮する。その後、大戦末期のイギリス本土奪回作戦―「アークエンジェル」作戦にも参加。

  • ジョン・クリスチャン・ファルケンバーグ

 合衆国海兵隊大佐。ヴァンデクリフトの副官


アメリカ連合国

第一次南北戦争〜第一次世界大戦の人物

  • ジェファーソン・デイヴィス

 初代大統領。第一次南北戦争を指導した「独立の英雄」。戦後は若い黒人子弟の教育に専念し、リー大統領時代に制定された「奴隷禁止法」、「公民権法」といった一連の黒人奴隷解放法案にも大きく関わった。なお、彼が黒人子弟を教育した場所は没後に「ジェファーソン・デイヴィス記念学校」と改名されている。

  • ロバート・エドワード・リー

 第一次南北戦争において北ヴァージニア軍を率いて多くの勝利をもたらした南部連合最大の名将。
 戦後は周囲の声に押されて第2代大統領に就任。英仏を中心としてヨーロッパ諸国から独立国家としての承認を受けて南部連合の国際的地位を高めると共に、バハマ諸島、フロリダ海峡、キューバを結ぶ海域を死守してヨーロッパ諸国との連絡線を維持するという「リー・ドクトリン」を制定。これ以降。「リー・ドクトリン」は南部連合の外交、国防戦略の支柱となっていく。
 また、国内の工業化が遅れていたために第一次南北戦争において苦戦を味わった経験から、工業を中心とした国内産業の育成に努める一方で、農業資本家からの強い反対を抑えつつ、「奴隷禁止法」や「公民権法」といった多くの黒人奴隷解放政策を実行するなど、内政面でも多くの功績を残し、1873年に病死するまで南部の発展に尽力したため、後に「南部連合の父」と呼ばれる。

  • ジェームズ・ロングストリート

 第一次南北戦争においては北部への迅速な侵攻によって勝利を収めようとするリーに対し、合衆国軍を国土に引き込んでの持久戦を主張するが聞き入れられなかった。
 戦後、第4代大統領に就任。合衆国と国境を接する州を「決戦州}に指定し、侵攻してくる合衆国軍を国土に引き込んで出血を強要する一方で英仏による援軍を待つ。といった国防戦略―通称「ロングストリート・ドクトリン」を制定。アトランタへの首都移転やリッチモンドの要塞都市化を進めた。

  • トマス・J・ジャクソン

 第一次南北戦争で活躍し、戦後も陸軍に残留。メキシコとの国境紛争―通称「第二次米墨戦争(南墨戦争)」時には南部連合陸軍司令官を務める。レモンを齧る習慣と気難しい性格は生涯変わらなかった。

  • ジェイムズ・E・B・スチュアート

 第一次南北戦争において大活躍し、戦後、一躍国民的な人気者となった騎兵将校。戦後、メキシコとの国境紛争において前線で指揮を執っている最中に戦死する。

  • ネイサン・B・フォレスト

 第一次南北戦争において遊撃騎兵部隊を率いて合衆国軍を翻弄した、南部連合最も偉大と言われる騎兵将校。しかし極端な人種差別主義者であり、捕虜となった黒人兵の虐殺を指示するといった面もあった。
 戦後は軍を退役。「奴隷禁止法」や「公民権法」といった一連の黒人解放法案に反対して同志的な退役軍人たちと共に「古きよき南部社会」を護らんとする団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」を立ち上げ、自らを「大魔王」と称してその中心的存在になるも、KKKが規模の拡大と共に退役軍人の互助会から過激な暴力団体に変貌していくにしたがって、自らKKKの解散を宣言した
 なお、KKKは日英との関係が親密化した1920年代半ばのパーシング大統領の時代に犯罪組織に指定され、主だったメンバーが収監されるなどの強力な弾圧を受けたが、その時点においては南部連合のみならず、合衆国においても大小の同様な組織が存在しており、21世紀の今日においても合衆国、東部連合両国の内部において、それなりの影響力を持っているといわれている。

  • ウィリアム・C・クァントレル

 第一次南北戦争においては遊撃隊を率いてカンザス・ミズーリ州を荒らしまわったが味方地域も略奪の対象とし、民間人を虐殺するといった盗賊団紛いの行為は軍の内部からも多大な非難を受け、戦後に軍を追放された。
 クァントレル自身は1865年に行われた他先住民との戦争に義勇兵として赴いて戦死するが、不可解なことに第一次南北戦争後、南部連合社会の一部ではクァントレルを義賊として賞賛する声もあったという。
 余談ではあるが、第二次南北戦争において戦線後方の集積所や飛行場に度々奇襲攻撃をかける南部連合軍のコマンド部隊に手を焼かされた合衆国軍は彼らを〈クァントレル・ギャング〉と呼んで忌み嫌っていた。

  • ジョン・C・ペンバートン

 第一次南北戦争においてはヴィクスバーグ要塞の司令官として同地を死守した。戦後に軍を退役して薬局を開き、清涼飲料水の販売を行うが、後に、それを基にしたコカ・コーラ社を設立した。コカ・コーラ社は南部独立、第二次南北戦争と合衆国による統一、第三次世界大戦による東西分断と、それ以降の日独冷戦時代から現在に至るまで、本社は常にアトランタにあり、アメリカ連合国を代表する清涼飲料水として国家社会主義陣営のみならず、日英、そして合衆国といった西側諸国においてすら高い人気を誇っている。
 合衆国に本社を持つペプシ・コーラ社とはライバル関係に当たり、21世紀の今日も清涼飲料水市場を巡って世界中で激戦を繰り広げている。

  • フランクリン・ブキャナン

 海軍提督。リー大統領の提唱した「リー・ドクトリン」において、合衆国軍艦隊の迎撃を目的とした「フロリダ海峡決戦」の実現に尽力し、戦後は第一次南北戦争で大打撃を受けた南部連合艦隊の再建に努めた。その名は後に史上最大の戦略陸上攻撃艦に受け継がれている。

  • ウッドロー・ウィルソン

 第10代大統領。個人としては第一次世界大戦への参戦に反対していたが、「ツィンメルマン・ノート事件」によって激昂した世論に後押しされて欧州へと派兵を行った。
 戦後、国際連盟の設立を提唱。同時に常任理事国となった南部連合の国際的地位を大きく引き上げた。

  • ジョン“ブラック・ジャック”パーシング

 陸軍士官学校卒業後、第6騎兵連隊に配属されて、先住民との戦いにおいて黒人で編成された騎兵部隊を率いて活躍、「ブラック・ジャック」の異名を奉られる。
 1914年のメキシコ遠征軍の司令官、第一次世界大戦における南部連合欧州派遣軍(CSARER)司令官を務め、第一次世界大戦終結後、南部連合総軍元帥の称号を得る。
 1921年に南部連合第11代大統領に就任。国際協調ムードの雰囲気の中、合衆国との経済、文化交流を進め、また尉官時代に駐在武官として日本に滞在していたことから、比較的親日家であったため、日本とも交流増進を進める一方で、公然と人種差別を叫ぶKKKを強力に弾圧した。
 一方、第一次世界大戦において戦場となったフランスの国土が著しく荒廃するのを見ていたため、侵攻してくる合衆国軍を国土に引き込んで持久戦に持ち込むという従来の国防戦略を批判し、開戦と共に積極的に北進を行い、戦場を敵国に求める「反ロングストリート・ドクトリン」を提唱する一派の中心人物でもあった。
 第二次南北戦争終結後の1946年に失意のうちに死亡した。

  • ジョージ・ティルマン

 1847年生まれ、サウスカロライナ州出身。ティルマン艦隊の構想者。第一次南北戦争にも参加しており、1910〜20年代の南部連合海軍の重鎮であった。

  • ジェブ・スチュアート・ジュニア

 第一次南北戦争で活躍し、その後のメキシコとの国境紛争で戦死したジェブ.スチュアート将軍の息子で、元南部連合陸軍騎兵大佐。第一次世界大戦においては南部連合欧州派遣軍に所属する騎兵連隊長として欧州戦線に参加した。


南部連合政府関係者

  • ジェイク・フェザーストン

 南部連合第14代大統領。第一次世界大戦においては砲兵連隊の下士官として欧州戦線に参戦していた。後に政界入りし、ジョン・ガーナー大統領の副大統領を務めたが、ガーナー暗殺未遂事件以後、南部連合政府の実権を握ったため、一部では暗殺未遂事件の首謀者ではないかと囁かれている。
 1930年代半ば以降の合衆国の大幅な軍拡によって煽られた南部連合国内の恐怖心とガーナー大統領によって起こされた南部連合の内政、外交における政治的混乱の打破を目論み、南部連合の後見国ともいえるイギリスの本土陥落による衰退と、太平洋戦争における合衆国海軍の消耗を目の当たりにして、合衆国に打撃を与えるべく北進を決意。第二次南北戦争を起こす。

  • ジョン・ナンス・ガーナー

 南部連合第13代大統領。テキサス州出身。スペイン内戦時のフィリピン独立宣言真っ先に承認することによってスペインとの関係を悪化させるなど、行き当たりばったりの外交、内政政策を行ったことにより南部連合の政治的立場を悪化させる。その結果、在任中に暗殺未遂事件が起こり、任期の後半からは副大統領であるフェザーストンに実権を奪われることとなった。ある意味、南部連合の崩壊を早めた人物といえる。

  • ジョン・C・ステニス

 1901年生まれ、ミシシッピ州出身。アメリカ連合国上院議員。南部連合上院軍事委員長として合衆国の「ヴィンソン・トランメル計画」に対抗し、「第二次ジョンソン艦隊計画」を推進する。

南部連合陸軍

 1884年生まれ、ヴァージニア州出身。ジョン・パーシングによるメキシコ遠征に参加し、第一次世界大戦においては南部連合欧州派遣軍(CSARER)の少佐として南部連合初の戦車部隊を指揮して大突破作戦を敢行。戦後は南部連合戦車部隊の創設、拡大と陸軍の機械化に尽力する。
 第二次南北戦争においてはテネシー軍司令官として緒戦の快進撃の立役者となるも、1944年12月にチャタヌーガで包囲されて脱出。後に軍籍を離脱し、第二次南北戦争末期から戦後にかけて地下組織である〈アメリカ騎士団〉、〈見えざる南部帝国〉とを指揮し、合衆国軍に対するテロ行為を指示する。
 第三次世界大戦勃発後、武装蜂起した南部連合残党部隊を率いて東部連合に参加。戦後、東部連合総軍元帥、陸軍参謀総長に就任して「20世紀のスティリコ」と呼称されるが、1953年12月に「交通事故」で死亡する。

  • オマー・ネルソン・ブラッドレー

 テネシー軍参謀長。戦争後半にチャタヌーガで包囲されたときに、最後の出撃を主張するパットンを殴って脱出させた後、テネシー軍残存部隊と共に合衆国軍に降伏した。
 第二次南北戦争終結後、統一された合衆国軍に入隊。その温厚、誠実かつ有能な人柄から、元南部連合出身者でありながら、合衆国軍においても将校、下士官双方から多大な信頼を寄せられ、第三次世界大戦勃発後には重職を歴任し、アイゼンハワーの右腕的な役割を担った。
 戦後、合衆国陸軍元帥に昇進、陸軍参謀総長となる。

  • ウォルター・ベデルスミス

 南部連合陸軍長官。第三次世界大戦勃発後に東部連合に参加。ジョゼフ・ケネディと共に第三次世界大戦間の東部連合を代表する政治家となり、独自の派閥を形成するが、ニクソンが権力基盤を強化するにいたって彼の派閥に組し、戦後のニクソンの独裁体制下において東部連合情報局(CIA)の長官として権力を振るう

  • ダグラス・マッカーサー

 第二次南北戦争時における北ヴァージニア軍司令官。1944年4月に行われた合衆国軍の反撃によって、フィラデルフィアを包囲する北ヴァージニア軍が二重包囲状態に陥った時に、大統領命令によって単身脱出した(実際には知己の議員に大統領に圧力をかけさせたといわれてる)
 第三次世界大戦勃発後に東部連合軍に参加し、東部連合陸軍長官となるが、戦後の旧南部連合勢力による叛乱事件において、叛乱軍に組した戦車によって陸軍庁舎を砲撃され、死亡する。

  • ジョゼフ・ウェンライト

 北ヴァージニア軍参謀長。マッカーサーの脱出後、フィラデルフィアで包囲された北ヴァージニア軍の指揮を執り、合衆国軍に降伏する。

  • ウォルトン・ウォーカー

 テネシー軍に所属する第20機甲師団の師団長。「ブルドッグ」の異名を持つ猛将であり、パットンの愛弟子。第二次南北戦争末期、チャタヌーガで包囲され上官であるブラッドレーと共に部下を率いて合衆国軍に投降した。
 第二次南北戦争終結後、統一された合衆国軍に入隊。第三次世界大戦後半における一大反攻作戦―「オーバーロード作戦」においてはネブラスカ方面を進撃する合衆国軍部隊の指揮を執り、かつての上官であり、恩師でもあったパットン率いる東部連合戦車部隊と激戦を繰り広げた。そして「マウント・ホムラー戦車戦」において陣頭指揮を執っている最中に、指揮車が被弾して戦死する。

  • クレイトン・エイブラムス

 陸軍教導機甲連隊に所属する戦車将校。1944年8月に行われた、リトルロックの合衆国軍集積所を狙った攻勢作戦―「ミシシッピの護り」作戦において、〈エイブラムス〉戦闘団を指揮して、合衆国軍に大打撃を与えた
 第二次南北戦争終結後、統一された合衆国軍に入隊。第三次世界大戦時には戦車部隊指揮官及び軍参謀として活躍する一方で、1951年秋のミズーリ突出部に対するドイツ、東部連合軍の反攻作戦―通称「バルジの戦い」においては孤立した合衆国軍空挺部隊に対する救援部隊の指揮官として、自ら先鋒部隊の戦車に搭乗して陣頭指揮を執っている。
 戦後は1960年代半ばから70年代初頭にかけて、合衆国、スペイン、イスラエル共同開発の新型戦車M1〈アイリ〉の開発チームの中心人物となった。
 前線指揮官時代の歴代搭乗車に書かれた「サンダーボルト」のニックネームで有名である。

  • ラルフ・スミス

 南部連合パナマ防衛部隊、陸軍側の指揮官

  • マシュー・B・リッジウェイ

 第二次南北戦争開戦時には南部連合第82空挺師団の師団長。緒戦におけるジャマイカ占領作戦においては、自ら先頭に立ってパラシュート降下を敢行した。後に転出し、第二次南北戦争後半においては軍司令官及び参謀を務めた。
 第二次南北戦争終結後、統一された合衆国軍に入隊。第三次世界大戦を戦い抜き、1960年代半ばから後半にかけて合衆国陸軍参謀総長を務める。

  • トッシュ・クレイ

 南部連合教導機甲連隊に所属する戦車将校。南部連合消滅後にドイツに脱出し、旧南部連合将兵で編成された義勇武装SS旅団<ジュート>に参加。第三次世界大戦勃発後に帰国し、東部連合軍の戦車部隊指揮官として第三次世界大戦を戦った。
 戦後、東部連合第1機甲師団<ニューディサイズ>司令官となるが、1954年に起こった旧南部連合派閥の武装蜂起事件において、反乱軍首謀者として東部連合全軍に決起を呼びかけるが失敗し、粛清された。

  • ラファイエット・プール

 南部連合陸軍第3装甲師団第32機甲連隊に所属する戦車兵軍曹、テキサス州出身の元ボクサーであり、常にカウボーイブーツを着用していた豪傑。第二次南北戦争終結後、合衆国軍に入隊。第三次世界大戦において各地を転戦するが、「オーバーロード」作戦における戦闘で搭乗する戦車が被弾、自身も片足を失って前線から退く。その後は戦車関連の教官を務めた。第二次南北戦争時の愛車のニックネームは[イン・ザ・ムード]及び[イン・ザ・ムード鏡]

南部連合海軍

  • ジョン・タワーズ

 海軍司令長官。南部連合でも珍しい第二次世界大戦戦前からの航空主兵主義者。航空機によるフィラデルフィア奇襲作戦を立案、指揮する。

  • ホレイショ・マクモリス

 海軍参謀長

  • チェスター・ニミッツ

 潜水艦隊司令長官であったが、1945年3月に起こった第二次南北戦争における最後の機動部隊決戦―「フロリダ東方沖海戦」においては、潜水艦隊のみならず実働部隊全てを統括する指揮官を務めた。
 第二次南北戦争後、統一された合衆国海軍に入隊し、第三次世界大戦においては合衆国海軍司令長官を務める。

  • ジョン・S・マッケーン

 南部連合空母機動部隊司令官。第二次南北戦争後に統一された合衆国海軍に入隊、第三次世界大戦において日英米枢軸海軍58.2任務群司令官としてパナマ奪回作戦にして戦死する

  • トマス・スプレイグ

 南部連合護衛空母部隊司令官として第二次南北戦争緒戦のパナマ上陸作戦を支援するが、第一次パナマ沖海戦において<伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉を中心とした合衆国軍機動部隊の攻撃を受け、配下の護衛空母もろとも戦死する。

  • クリストフ・レッド

 南部連合海軍の潜水艦<コッド・フィッシュ>艦長。「フロリダ東方沖海戦」に先立ち、新造潜水艦<ホレース・L・ハンレー>の艦長として合衆国空母部隊を奇襲で混乱させ、南北海軍最後の艦隊決戦を演出する。
 第二次南北戦争終結後に統一された合衆国海軍に入隊するも、第三次世界大戦勃発と共に東部連合に参加。開戦初頭にフィラデルフィアで合衆国空母<ボクサー>を撃沈し、「合衆国海軍の疫病神」のあだ名を付けられる。

  • ケーン・エイモス

 レッドの副長であるが、実質的には子分に近い存在。

  • ジミー・カーター

 南部連合海軍中佐。レッド一味に振り回される常識人。

  • ウォーデン・エイスワース

 巡洋艦戦隊指揮官

  • ジョージ・デヴァイン

 第二次南北戦争末期、新鋭戦艦<テキサス>、巡洋戦艦<ジョン・C・ペンバートン>、<ジョン・H・モズビー>を中心とするテキサス戦隊の指揮官として日本に亡命。

  • アーネスト・エヴァンズ

 駆逐艦<ジョンストン>に乗り組み、「メキシコ湾海戦」、「フロリダ東方沖海戦」に参加する

  • ジョージ・H・W・ブッシュ

 南部連合海軍航空隊に所属する攻撃機搭乗員。第二次南北戦争末期の「フロリダ東方沖海戦」において最新鋭の艦上攻撃機BT2C<フリゲート・バード>に搭乗し、合衆国軍空母<伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉に雷撃をかけるも撃墜され、後席員と共に漂流する羽目になる。
数時間後、ジョン・F・ケネディ中尉の乗り組む合衆国軍駆逐艦に救助され、これがきっかけとなり第二次南北戦争終結後の合衆国政界に人脈を築くことに成功した。
戦後、1990年代前半から半ばにかけて合衆国大統領となり、第四次世界大戦を指導。侵攻してきた東部連合軍を撃退し、休戦に持ち込むことに成功するも、強硬な態度を前面に押し出した交渉態度のために東部連合との歩みよりは進まず、さらに戦後の内政面による失政によって荒廃した国土の復興はなかなか進まなかった。

南部連合空軍

  • ウィリアム・ミッチェル

 元合衆国陸軍准将。独立した空軍の必要性を説くと共に、上層部を批判したため軍法会議にかけられ、南部連合に亡命した。後に南部連合空軍司令官として、空軍の戦略航空軍化を推進。第二次南北戦争停戦後、試作爆撃機を強奪してボストン爆撃に向かうが、撃墜されて戦死する

  • ジェームズ・ドゥーリットル

 ミッチェルの副官

  • チャック・イェーガー

 南部連合空軍大尉、第二次南北戦争においては戦闘機搭乗員として活躍。停戦時に起こったミッチェル反乱事件においては、強奪された試作爆撃機を追跡し撃墜する。
第二次南北戦争後は合衆国軍に入隊。第三次世界大戦を戦い抜き、戦後は合衆国空軍中将となった

  • クレア・リー・シェンノート

 南部連合空軍大佐。1893年生まれ、テキサス州出身。1930年代にソ連の援助を受けた中国共産党軍、合衆国軍の援助を受けた満州国に配備されている満州国陸軍航空隊や在満合衆国陸軍航空隊に対抗するために、国民党軍が編成した傭兵飛行隊「フライング・タイガース」の指揮官として中国大陸で戦闘機部隊を指揮して実戦経験を積んだ。
戦闘機を重視しているため、大型爆撃機偏重ともいえるミッチェルとは対立している

  • アイラ・エーカー

 南部連合空軍中将。1886年生まれ、テキサス州出身。大型爆撃機を装備する第8航空軍司令官であり、合衆国の都市に対して、夜間爆撃を中心にした攻撃作戦を推進するも、合衆国軍の夜間戦闘機P61<ブラック・ウィドウ>の登場によって増加する爆撃機の損害に頭を悩ませる。

  • ネイサン・フォレスト3世

 南部連合空軍将校。第三次世界大戦勃発後に東部連合空軍に入隊し、戦後は東部連合空軍長官を務めた。一時的にロバート・ケネディの上官ともなる。