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大砲列伝(六式のための覚え書き)

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対戦車砲についての覚え書き

九四式37粍速射砲

 日本陸軍初の本格的対戦車砲。九四式以前に使用されていた十一年式歩兵砲の後継として開発された。同一口径だが、九五式軽戦車等に装備された九四式37粍戦車砲とは砲弾互換性はない。
 九四式は1930年代中葉に開発された、ラインメタル3.7 cm PaK 36やボフォース37mm対戦車砲といった列強の対戦車砲と威力面では同等だった。実際、国府軍の戦車部隊に随伴した軍事顧問団の速射砲部隊は、綏遠で共産軍が使用するBT-7やT-26といったソ連製戦車に痛撃を与えている。近年、ドイツ経由で発見された旧ソ連側からの資料では、涸れ川からの出水で追撃が止まった、という巷説とは異なり、共産軍を指導していたコミンテルンの軍事顧問が、無理な追撃による損害を恐れ、追撃を中止している。 しかし軽量化のために砲尾の強度に問題があり、新型砲弾の試験中に脱栓事故を起こすなど、陸軍は威力向上に限界を感じた事から、口径を大型化した新型砲の開発に着手する。
 また、試製九七式47粍速射砲の開発中止に伴い、国共内戦で入手した3.7 cm PaK 36や、そのソ連製であるM1930 37mm対戦車砲を参考に、全面的に砲尾を改修した新型砲も併せて開発された。この砲は、既存の九四式とは砲弾互換性がないため、九八式37粍対戦車砲として制式採用された。
 硬芯徹甲弾の使用により、九八式は九四式と比べて威力は向上したものの、短期的な延命策に過ぎなかったため、空挺部隊など一部を除き、ほとんどの九八式は一式機動57mm速射砲の制式採用とともに一式に置き換えられている。
 また、機関部を自動化した派生型が双発夜間戦闘機用の武装として使用されている。

試製九七式47粍速射砲

 九四式37粍速射砲の威力不足対策として、九七式中戦車に装備された九七式47粍戦車砲と同時期に開発された速射砲。九四式37粍戦車砲および速射砲とは異なり、九七式47粍戦車砲とは同一砲弾を使用する。
 口径を大型化するとともに、薬莢容積の増大を図ることで対装甲能力の向上を図った。
 試験結果は優良だったが、新砲塔九七式中戦車に対する砲弾および砲の割り当てが急務とされ、開発は打ち切られた。しかし、その資材はより強力な一式機動57粍速射砲の開発に引き継がれ、一式機動57粍速射砲の早期の実用化に役立つことになった。

一式機動57粍速射砲(儀拭Ν況拭

 九四式37粍速射砲および、九八式37粍速射砲の後継として、試製九七式47粍速射砲の拡大版として開発された対戦車砲。後に英国製QF6ポンド砲との砲弾共通化が図られた況燭盂発された。
 試製九七式47粍速射砲の開発中止に伴い、陸軍は陳腐化する九八式37粍速射砲の後継となる対戦車砲を早急に必要としていた。早期の実用化を図るため、陸軍は試製九七式47粍速射砲を拡大する形で対戦車砲の開発を指示。砲脚や防楯など、多くの部品を試製九七式47粍速射砲から流用することで1939年には完成、40年には応急整備準備にかかり、一部部隊は制式採用年度以前より配備が進められた。
 制式採用された1941年には、対英協力体制の結果、同時期に実戦投入された6ポンド対戦車砲の砲弾生産を請け負ったこともあって、薬室を改正し、6ポンド対戦車砲用砲弾を使用可能にした況燭開発され、以後生産された砲は況燭謀一された。また、英国に技術資料とバーターで売却された況燭榔冢∨諸国に供与され、各国軍で使用されている。
 「T‐34ショック」の結果、ドイツ戦車が急速な性能向上を果たしたことでより強力な対戦車砲の配備が求められた。しかし、米国の主力だったM4中戦車に対しては一式でも充分に有力であること、またほどなく米国とは講和し、対独戦にしても自然休戦状態となったため、後継となる対戦車砲は戦後になるまで配備されず、戊式75mm高射砲や九九式高射砲、九〇式野砲への高速徹甲弾の配布で対応した。
 また、海軍陸戦隊では第三次世界大戦中盤まで一式機動57粍速射砲を使用し続けた。このため、1945年からは装弾筒付高速徹甲弾が配備され、小口径砲故の威力不足を補っている。なお、後継として採用されたのは12糎高速ロケット砲である。

四式七糎半対戦車砲

 オードナンスQF17ポンド砲をコピー、国産化した対戦車砲。
 1942年、完成したばかりの17ポンド砲の技術資料を、ジェットエンジンを始めとした各種の技術資料とともに対英軍事支援とバーターで購入、国産化。
 購入した当時は英国でも砲架の開発が遅れていたために、砲架は当時日本軍の主力野砲だった機動九一式十糎榴弾砲のものに改修を加えて使用している。このため左右の旋回角度が対戦車砲としては限定されていた。なお、この点は、英本土戦を目前に、早期の実用化のために25ポンド砲用砲架と組み合わされた25/17ポンド砲と共通した問題だった。なお、英連邦軍自体はその後、カナダで開発中だった専用の砲架を実用化、完成型を装備している。
 重量3トンに達する大型砲ということもあり、対戦車砲としては一式機動57粍速射砲を置き換えるに至らず、程なく導入された旧ソ連製85mmD-44野砲が、第三次世界大戦における日本陸軍の主力対戦車砲となった。
 主力対戦車砲とはならなかったものの、17ポンド砲そのものは戦車砲に転用され、三式砲戦車の改良型に搭載された。また、17ポンド砲と合わせて入手した新型の装弾筒付高速徹甲弾は以後開発された国産戦車砲/対戦車砲で多用されている点において、日本陸軍における対戦車砲・戦車砲の技術面での底上げに大いに役立った。

五式8糎半対戦車砲

 旧ソ連がZiS-3師団砲の後継として1943年に開発に着手した85mm師団砲。日露軍事協定に基づき開発を引き継ぐ、という名目で技術陣を招聘、対戦車砲として実用化にこぎ着けた。D-48対戦車砲としてロシア帝国(シベリア皇国)軍でも採用、21世紀に入っても一部の軍閥では現役の野砲として使用されている。
 日本陸軍においては、1946年から第三次世界大戦停戦までの期間を通じて歩兵連隊の対戦車中隊の主力対戦車砲として配備された。高速徹甲弾を使用した場合、1000メートルで180mm(RHA換算、90度)の装甲を貫通できた。かつ、野砲として開発されていたということもあって榴弾も用意されており、歩兵部隊の直射火力支援にも使用可能な点が評価された。威力不足が指摘されていた一式機動57粍速射砲および、九〇式機動75粍野砲を置き換える形で急速に配備された。
 第三次世界大戦中に、ドイツ製重戦車に対する威力不足が指摘されたことから、装弾筒付高速徹甲弾や成形炸薬弾も配備され、大戦を通じて歩兵連隊の中核的な対戦車火力として重宝された。

七式10糎対戦車砲

 七式10糎対戦車砲の原型となったのは、1940年に九二式十糎加農砲の後継砲として開発に着手されていた高威力十糎加農砲。ただし、師団砲兵を10cm榴弾砲に、軍砲兵を15cm榴弾砲を装備することに方針が転換された結果、対戦車砲および戦車砲向けに再度の設計変更が加えられている。主に師団対戦車隊に配備された。
 仕様変更の結果、七式中戦車に採用された七式10糎戦車砲、九八式10糎高角砲と砲弾の共通化が図られている。七式10糎対戦車砲の配備に伴い、海軍が根拠地防空用の高射砲として装備していた九八式10糎高角砲の一部にも、緊急用として七式用の砲弾が配布されていたケースがある。
 ただし、七式戦車砲用の砲弾を使用した場合、装薬の燃焼速度と砲身長の問題から、七式10糎戦車砲と比べると威力面でわずかに劣る。このため、通常は専用の砲弾を使用することになっている。これは同一原型の砲である六式重戦車が装備する六式十糎戦車砲も同様。
 なお、七式十糎戦車砲では六式/八式用の砲弾は使用することができない。現場での誤用を防ぐため、六式/八式向けの砲弾は薬莢の長さが七式向けの砲弾に比べて僅かに長くなっている。
 師団対戦車隊、あるいは独立対戦車中隊向けの対戦車砲としては、第三次大戦中に十式13糎対戦車砲が開発されたが、装弾筒付高速徹甲弾の投入により、威力不足を露呈しなかったこと、十式13糎対戦車砲自体が十式戦車の主砲と生産設備を共有しており、戦車砲への配備が優先されたことから、生産は平行して行われており、多くの師団は八式を継続して装備していた。