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合衆国海軍五大湖艦隊

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合衆国海軍五大湖艦隊

 第二次米英戦争以来、合衆国にとっての北部国境地帯は、南部のメキシコと並ぶ緊張地帯だった。
 1863年の南部連合独立後は対英仏関係の悪化やフェニアン戦争(アイルランド系移民による英領カナダ侵攻)により、さらに拍車がかかり、合衆国陸軍は南部の国境地帯と並んでカナダ方面を重視し、20世紀初頭には対英戦争計画(レッドプラン)の一環として対加戦争計画(クリムゾンプラン)が制定され、特に合衆国有数の工業地帯たる五大湖周辺には大規模戦力が集中配備された。米英戦争後に締結されたラッシュ=バゴット協定、いわゆる五大湖軍縮条約も廃棄され、海軍は五大湖艦隊を1812年以来半世紀ぶりに復活させた。
 つまり、20世紀前半の合衆国は国土の南北に敵国を抱えていたわけだ。
 対カナダ戦の戦略的な目標は、1812年当時のようなカナダ併合ではなく、対英戦争勃発の際に先制攻撃でカナダ、特に五大湖周辺地帯を占領し、英国の拠点として利用されるのを防ぐ事だ。
 近辺には民間飛行場に偽装した軍用滑走路が建設され、五大湖には海防戦艦(合衆国海軍では歴史的背景からモニター艦と呼んでいた)が配置された。
 だが、このように準備された銃口は、実際には当初想定していたのとは正反対の方向に向けて放たれることになる。
 1943年2月、第二次南北戦争勃発。同年11月に第二次北部侵攻作戦〈ハリケーン〉が発動され、豪雪荒ぶ中、パットン指揮下のテネシー軍が長駆北上。ドイツ軍もかくやというような電撃戦の末、シカゴに突入してきた。
 合衆国有数の工業都市であるシカゴを防衛する為合衆国陸軍も周辺の戦力をかき集めての市街戦を展開、そんな中で五大湖艦隊は湖上からシカゴ防衛隊を支援する。
 湖岸ぎりぎりまで接近したモニター艦が12インチ砲で艦砲射撃を行い、湖面を遊弋する外輪空母〈ウルヴァリン〉〈セイブル〉から強引に飛び立った艦載機が地上を掃射する。
 南部連合もこれに対抗して空軍を投入し、湖上を舞台に壮絶な航空戦が展開された。
 最終的に外輪空母は全艦が大破、モニター艦も大半が撃沈されたものの、彼女達の献身は南部の猛攻を防ぎきり、遂には叩き返す原動力となったのだった。