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英国王立海兵隊

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英国王立海兵隊(Royal Marines)

 海兵隊の元祖的存在であり、現在各国が保有する海兵隊のルーツは、元をたどればここに行き着く。その創設は1664年。日本ではまだ江戸時代の頃の話である。
 艦内警備・砲台警備などを目的として創設され、当時の兵員は1200名。海軍大臣だったのがヨーク公爵であった事から、当初は「ヨーク公爵およびオールバニーの海軍歩兵連隊」と呼称されていたが、間もなくもっと簡潔に「提督の連隊」と呼ばれるようになり、「海兵隊」の名称が登場するのは1672年の事である。なお、創設当時は陸軍の所属であった。

 海軍大国イギリスにおける海兵隊の活躍は目覚しく、1704年の対仏・対西戦争においてはジブラルタル要塞を巡る攻防戦で決定的な役割を演じた。以来スペイン軍とは宿命的なライバル関係にある。

 1755年、陸軍から海軍の管轄に移されると共に、規模を拡大し、戦力は3個師団にまで増えている。1802年には正式名称も「海兵隊」となった。
 この当時、イギリスはアメリカ独立戦争やナポレオン戦争、第二次英米戦争と立て続けに大規模な対外戦争を行っているが、海兵隊はいずれの戦争においても目覚しい戦果を上げ、その地位を不動の物にした。
 海兵隊士官である事は名誉なこととされ、帆船小説の傑作「ホーンブロワー」シリーズの一作「勇者の帰還」では、主人公ホーンブロワーがその功績に対して海兵隊大佐に任命されるシーンがある。これは任務は無いが生涯給与が支払われる、名誉ある地位だった。

 第一次大戦時はガリポリ上陸作戦において勇名を馳せ、アンザック軍や南部連合海兵隊と共同して任務に従事し、失敗に終わった作戦の中でも最も前進した部隊として知られる。

 こうして順調に実績を重ねてきた王立海兵隊であったが、第二次大戦は蹉跌の連続であった。1940年にノルウェー防衛のために派遣された王立海兵隊は欧州本土の英軍と同様敗北を喫し、海に追い落とされた。そして、英本土に上陸してきたドイツ軍を相手に、英雄的かつ絶望的な抗戦を展開し、多くの人々の英本土脱出を支援した後にほぼ全滅している。開戦時8万を数えた海兵隊員は、英本土陥落後には実に2万を切るまでに消耗していた。

 しかし、彼らは不屈だった。1948年の第三次世界大戦直前には、本土からの脱出者やカナダなどで徴募した人員を軸に兵力50000、8個旅団の兵力を再建する。
 まず初期の激戦地ソコトラ島での上陸作戦に参加。その後、地中海ルートで本国を目指す英軍の進むところ、常に王立海兵隊は尖兵として欧州連合軍と対決した。特に最大の激戦となったのはマルタ島奪還作戦である。
 第二次大戦では守りきれず敵に委ねたマルタの住民に詫びるように、海兵隊は果敢な戦闘を繰り広げ、ついにはこの島を奪い返す事に成功した。しかし、その代償はきわめて大きく、投入された5個旅団が事実上戦闘力を失うほどの激戦だった。
 
 こうした大損害に加え、第三次大戦後は欧州連合とドーバーを挟んで対峙するという戦略的環境もあり、王立海兵隊は水陸両用戦部隊から特殊戦部隊への改編を図った。兵員は整理されて2個旅団、15000名となり、その代わり機動性を大幅に向上させた。特に王立海兵隊特別舟艇部隊(SBS)は高名な特殊空挺部隊(SAS)と並ぶ、英国軍きっての特殊戦部隊として知られている。

 中東戦争やアフリカ各地の紛争に派遣され、英国の国益保護のために戦っていた王立海兵隊が最も大規模な戦いを経験したのは、1982年のフォークランド紛争である。アルゼンチンに占領された島々に上陸した王立海兵隊は奪還作戦の重要な局面において決定的な働きを見せ、フォークランド諸島を英国の手に取り戻すのに多大な貢献を見せた。

 1995年現在では総兵力15000名を2個旅団に分けて配備し、各旅団は3個のコマンド部隊を配下に置く。主な装備は〈アルビオン〉級ヘリコプター母艦を筆頭に揚陸戦艦艇12隻、ヘリコプター120機、VSTOL戦闘攻撃機40機。陸戦兵力としては合衆国海兵隊の機動打撃旅団同様に装輪装甲車多数を配備している。