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ディキシーパージ概要

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ディキシーパージ概要

あるいは南部連合の終焉

終わりの始まり

 第三次大戦終結後の東部連合内では、ドイツの後押しを受けるマッカーシーら政府首脳部、ニクソンら旧合衆国東海岸派の実務官僚、そしてパットンが指導する軍部の三者が、互いに牽制しつつもこの新たな祖国を治める為、緩やかな協調体制をとっていた。
 だが、扇動政治家にして神輿としてのマッカーシー、実務を取り仕切るニクソン、そして軍を司るパットンという、20世紀の三頭政治とでも呼ぶべき体制は、終戦後一年足らずで崩壊する事となる。東部連合軍の軍旗問題(伝統のサザンクロスバナーから、鉤十字を意匠に取り入れた「クロスバナー」へ変更するか否か)やマッカーシーとニクソンの路線対立(親独協調を基本とするマッカーシズム/ドイツと一定の距離を保ち、独自の路線を目指すニクソニズム)がその前触れだったが、直接の引き金となったのは三頭の一角、東部連合陸軍参謀総長ジョージ・S・パットンの「交通事故死」だ。
 ボストンの東部連合政府官邸でのニクソンとの会談に向かったパットンの乗用車が崖から転落し、東西南北アメリカを通じてもっともその名を知られた陸軍軍人は、遂にその悲願――戦場で死ぬ事無くその波乱に満ちた生涯を閉じた。

 この一報を受け、南部連合時代からのパットンの部下だったトッシュ・クレイ中将率いる陸軍第一機甲師団〈ニューディサイズ〉が蜂起、国防総省を占拠し軍上層部を人質に取り、全軍に対し「古き良き南部の再興」を呼びかけた。
 だが、その決意は同胞による砲火によって沈黙させられる。
 他の東部連合軍各部隊は〈ニューディサイズ〉の決起を明確な国家の危機と断じ、国防総省に対する直接武力鎮圧をもって返答とした。
 彼ら〈ニューディサイズ〉の最大の誤りは、自分達の行動が他国に及ぼす影響を完全に見落としていた事にある。
 終戦間もない頃の軍の反逆による混乱は、一歩間違えれば再度の亡国――合衆国、あるいはドイツによる軍事介入を招きかねない。
 「真なる南部連合の復活」? 大ドイツ帝国北米軍管区の間違いじゃないのか? それが決起演説を聴かされた各部隊の正直な反応だった。
 決起から僅か数日(パットンの死から数えても一週間足らず)、他国が何らかのリアクションを見せる暇もない程の、しかも徹底的な早業だった。在米ドイツ軍が何らかの行動を起こす暇も無かったほどだ。
 こうして所謂「将軍達の反乱」は収束したが、その余波は東部連合そのものを揺るがす大変革、その始まりに過ぎなかった。


迷走する連合

 反乱終結後、誰がこの武装蜂起の首脳者なのか?という疑問に真っ先に手がつけられた。直接の指導者は前述の〈ニューディサイズ〉師団長クレイ中将だが、その裏にいるだろう「真の首謀者」は誰なのか。
 だが、その調査は予想以上に難航した。軍憲兵隊の徹底的な調査にもかかわらず、指導者と断定しうる人物が出てこなかったのだ。
 これは蜂起の初期段階で〈ニューディサイズ〉が軍部を「人質」として扱った事も影響している。
 協力者という形でなら、海軍司令部の提督数名や元ボルティモア市長などが摘発(後者は後に自決)されたが、全体の蜂起を指揮したと思しき人物は依然不明のままだった。
 全軍に対する蜂起演説もクレイ中将が自ら行っており、さらに国防総省占拠の際、ダグラス・マッカーサー陸軍長官を殺害している事(マッカーサーは第二次南北戦争中、『栄光の北ヴァージニア軍を見捨てて逃げ出した男』として旧南部出身者からは憎悪の対象とすらみなされていた)、「古き良き南部の再興」という一見もっともな、しかしその実態はあやふやなスローガンのみを掲げていた事からも、彼らがどれだけの見込みを持って決起に望んでいたのかは甚だ疑問である。
 結局のところこの反乱は、「パットン死す」に激昂した一部急進派による発作的な反乱、そう考えるのが妥当だった。
 だが、それだけで終わらせなかった者がいた。


最後の努力

 リチャード・ニクソン。三頭政治の一角にして、旧合衆国東海岸諸州出身者らを束ねる実務派官僚のリーダーである。彼は「将軍の反乱」を元に、大々的なマッカーシー批判を開始したのだ。

 今回反乱を起こした部隊は旧南部連合出身の部隊である。
 これは同じ旧南部出身で、かつてドイツからの支援を受けてアメリカに帰還したマッカーシー大統領にも責任があるのではないか?
 そもそも彼らは決起の目的として「古き良き南部の再興」を掲げている。実は彼らの背後にいるのは大統領その人であり、ドイツと軍部を後ろ盾に、今度こそ「南部の亡霊」を蘇らせようとしているのではないか!

 現在の我々の目からすれば、これは言いがかり以外の何者でもない。前述したように〈ニューディサイズ〉の反乱は、急進的な一部部隊が暴走しただけであり、マッカーシーには何の関係もない。だが、やはり前述したように、事件には犯人、全ての責任を背負ってもらう生贄の羊が必要だった。
 ニクソンの狙いは、パットンという精神的主柱、マッカーサーという実務的指導者(二度目の国家分裂という混乱の中で曲がりなりにも東部連合陸軍を組織化したマッカーサーの軍政家としての能力は、旧南部連合出身者も渋々ながら認める事だった)を失い弱体化した軍部と手を組み、マッカーシーら、ドイツの強い影響下にある現政府首脳部を一掃する事だった。
 元々ニクソンら実務派官僚達は、旧南部連合残党であるマッカーシーらを快く思ってはいなかった。ドイツとの同盟を維持する上での「神輿」として担いではいたが、それ以上の忠誠などは誓っていなかった。
 彼らがマッカーシーを大統領として認めていたのは、そうでなければ東部連合というドイツの強大な軍事力と南部連合の残党、そして生き残る事を優先した旧合衆国諸州が結託してでっちあげた国家が、幻想の如く消えてしまいかねなかったからだ。
 そこにきてのパットンの死、そして軍の暴発である。
 一般にはパットンの死は「交通事故死」を装ったニクソンによる暗殺、そう思われている。しかし最近ではこの説は揺らいできている。当時空軍長官を勤めていたネイサン・フォレスト契い残した回顧録によると、パットンの死を知らされた時ニクソンは側近に対し「お前がやったのか?」と尋ねたというのだ。
 だが、彼の死が単なる事故か、それとも謀略かは関係なかった。
 東部連合成立時、真っ先に政府へ参加した事からも分かるように徹底的な機会主義者であるニクソンにとっては、絶好の好機に変わりはなかったのである。

 それは一方の当事者たる軍も同じだった。そもそも、「将軍達の反乱」以前の軍部は、事実上パットン一人が押さえていたようなものだった。戦後、マッカーシーとニクソンの対立が表面化する中、軍の中堅将校(その多くはかつて、第二次南北戦争でパットンの下で戦った男達だった)らは上官に対し、両者に先んじての軍による政権掌握――クーデターを進言した。
 だが、それらの声に対しパットンは一言「南部連合軍人は、政府に対しての反乱はしないものだ」と答えたという(もっと端的に「NUTS!」と怒鳴りつけたという資料もある)。
 ジョージ・スミス・パットンという男にとっては、それは当たり前の事だった。
 士官学校で南部連合政府に忠誠を誓ったその日から、自身は偉大なる先輩、リーやジャクソン、スチュアート、パーシングらと同じ南部連合陸軍軍人となった。現在の東部連合が、かつての南部連合の後継である以上、それがどんな形であっても忠誠を尽くす。それこそが栄光あるパットン一族に連なる者として、自身に課した誓いだった。
 この有りようをして、日本のある歴史家は、パットンの事をローマ帝国末期の将軍になぞらえ「20世紀のスティリコ」「最後の南部人」と呼んだ。
 加えてパットン自身、自分が政治家には向いていない事を自覚していた。自身はあくまで陸軍軍人であり、それ以上の事柄は己の手に余る。
 三次大戦勃発までの潜伏期間中には南部連合残党の組織化を行ってはいたが、これもあくまで「ジョージ・パットン将軍」としての自分を飾りとして、組織を軍隊式に纏め上げたのであって、政治手腕とは別のものと考えていた。彼はお飾りの大統領になる気は微塵もなかったし、クーデター云々についても同様だった。
 後の視点から見れば、この時点で第一機甲師団の暴発とその失敗は決定していたといえる。彼らは自分達が担ぎ上げるべき人物の意向すら無視して、武装蜂起の準備を進めていたのだ。

 このように、上官という蓋によって抑えられていたものが、その重石がなくなった途端に、一人の軍人の発作的な行動で部隊が反乱を起こすなどという事が知れ渡っては、軍の威信は地に落ちる。
 事実として、当時の東部連合軍がそのような存在だったという事は関係なく、彼らには誰でもいい、軍を騙し、手玉に取り、反乱などという不名誉な事件を起こさせた「真犯人」が、組織を維持する為にどうしても必要だったのだ。


ニクソンの勝利

 かくして軍部はニクソンと手を組んだ。互いが互いの利益の為に、残った一人をスケープゴートに仕立て上げるのだ。
 こうして、軍部の暗黙の了解の下、ニクソンによるマッカーシー批判、さらには彼に(つまりかつての南部連合に)連なる者に対する粛清劇の幕は上がる。
 それは「国家を混乱させた罪」の名の下に、公職追放という形で行われた。
実際のところ、東部連合において「旧南部連合シンパ」は膨大な数に上った。かつての南部連合に属していたという条件なら、単純な話国民の半分は該当してしまうのだ。
 しかし、それら全てを粛清するというのは、物理的にも政治的にも不可能だった。北米の東半分を統治するには人材がいくらあっても足りない。物理的なジェノサイドなどもっての外だった。
 〈ニューディサイズ〉の蜂起を圧倒的軍事力で叩き潰したのは、国内の混乱による他国(具体的には合衆国とドイツ)の介入を未然に防ぐため。大規模パージなど起こせば、弱体化した東部領内に嬉々として「進駐」して来ることだろう。どちらの側になるにしろ、待っているのは再度の亡国。絶対に許容出来る結末ではなかった。仮にそれを強行すれば、今度こそ東部連合全軍が「本気で」反乱を起こすだろう。
 ゆえに、パージの対象は「将軍達の反乱」の捜査において浮かび上がった者達が中心となった。軍民通じての南部連合出身者、とりわけマッカーシー派や反乱に対し同情的だった人間が、職を追われた。
 また、この粛清劇には隠された意図として、ドイツの影響力の排除が挙げられる。ニクソンは親独のマッカーシー派を政権から排除する事で、東部連合がドイツからある程度の距離を置く事を暗黙のうちに宣言したのである(完全な独立ではない)。

 こうして、マッカーシー派を排除し、ドイツの影響力も低下させ、ある程度の自由を得たニクソンは東部連合第二代大統領(本来は南部連合から連なる『アメリカ連合』なのだから、通算で数えるべきなのだが)に就任。連合憲法の一部改正により、以後40年もの間、大統領職を務めることになる。
 そして、大統領と軍部の間で、ある一つの協定が結ばれる。
 お互いにもう二度と「南部連合の再興」など企てず、亡国に繋がる行動は起こさない。軍はこれまで通りニクソンを支持し、国家を守る為に忠誠を誓う。大統領はそれを受け、東部連合をドイツにも、合衆国にも渡さぬよう導いていく。
この時、この協定をもって、「アメリカ南部連合」という存在は歴史上のものとなった。「今」を生きるために彼らは「過去」と決別したのだ。