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M4〈ジャクソン〉(ファイアフライ)

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M4〈ジャクソン〉(ファイアフライ)


第二次南北戦争中に南部連合陸軍が対戦車戦闘の切り札として投入した戦車。合衆国陸軍の主力戦車でありながら敵国の手で新型主砲を搭載され、自らの母国と同胞と戦うという数奇な運命を辿り、北米大陸やウラル戦線、果ては第三次大戦でも活躍した。

その日まで―南部連合陸軍戦車小史―


第二次大戦の最中、北米を分断する長大な国境線で合衆国と対峙する南部連合陸軍は大きな問題を抱えていた。来るべき再度の南北衝突において主役となるべき陸軍、その主力戦車の性能不足である。
第二次南北戦争勃発前の南部主力戦車は英国の〈カビナンター〉のエンジンを換装し、事実上再設計したM40〈スチュアート〉、そして〈スチュアート〉に代わる次期主力戦車として在南部英国軍事顧問団との共同設計で開発され、配備が進められていたM42〈フォレスト〉だった。共に南部陸軍の伝統として速度を重視した、現代の騎兵たる戦車である。本来ならば43年の時点で主力師団の戦車は〈フォレスト〉に更新される予定だったのだが、海空軍の拡張プランに予算を盗られて部隊配備が遅々として進まず、南北開戦の時点でも〈スチュアート〉が依然として多数を占めていた。
だが、第二次大戦勃発と続く戦況は、これらを装備した南部連合軍に大きな疑問を投げかけた。原型車両の開発開始が38年の〈スチュアート〉はともかく、二次大戦勃発後に開発された〈フォレスト〉ですら、列強が配備する主力戦車の前では性能不足であることが、各地から伝えられる情報によって明らかになって来たのだ。
各地から伝えられる戦況報告、それらの分析によって浮かび上がる列強戦車の威力は、必要充分な能力な能力を持つ筈の〈フォレスト〉をして疑問を抱かせるに充分なものだった。ことに同盟国である英国が直面したドイツ戦車部隊の猛威は、従来の英国戦車の血統では太刀打ち不可能と思わせるものだった。さらに追い討ちをかけたのが、合衆国陸軍主力戦車、M4〈シャーマン〉の存在だった。漏れ伝わる情報から判断するに、この南部人にとっては忌むべき名を持つ戦車は、ドイツ戦車ほどには際立って高性能な部分は無いが、主砲、装甲、機関―各部の能力がバランスよくミックスされた「偉大なる凡作」というべきものだった。そして合衆国では、これと同じ車両が今も続々と量産されているという。その事実は南部連合首脳部を恐怖させた。この戦車では奴らに勝てないのではないか?

誕生


戦前のこうした不安は、〈セカンドインパクト〉作戦の発動―南部連合による合衆国侵攻作戦の発動後に現実のものとなった。作戦自体は奇襲に成功し、ドイツもかくやというような破竹の進撃を見せるも、各地で合衆国戦車部隊と衝突した南部連合戦車部隊からは無数の報告が寄せられていた。要約すれば―この戦車では奴らに勝てない。正に戦前の不安の通りだった。
陸軍は頭を抱えた。本来の主力たるべき〈フォレスト〉も充分な数が揃わず苦労しているというのに、その肝心の〈フォレスト〉が役立たずとは言わないまでも、確実に「勝てる」戦車ではなかったのだから。〈フォレスト〉を補完する、攻撃力に優れた戦車が必要だった―だがどうする? 一から対戦車用戦車を設計していたのでは戦争に間に合わない。既存の兵器から改装するにしても、適当な装備があるのか? 苦悩する陸軍首脳部の元へ一つのプランが持ち込まれたのはそんな時だった。
教導機甲師団や英国軍事顧問団らで構成されるチームが発案したプラン―合衆国のM4〈シャーマン〉に、新開発の17ポンド砲を搭載する―それが提出されたプランの骨子だった。
アイデアの出所が英国軍事顧問団という事からも分かる通り、この17ポンド砲、南部連合で計画されたものではない。元々は英本土で計画されていた新型戦車の主砲として企画されたものを、ドイツ軍の上陸という非常事態に伴い国内資産を海外へ脱出させるエクソダス計画、その中で南部へと流れ着いたものだ(※1)。軍事顧問団から渡された概念図を完成させたそれは、演習場の試験で高い性能を示し―M4はおろか、日英から伝えられた独ソ戦車の装甲(と仮定した試験用の装甲板)すら貫く貫通力。陸軍首脳部はこれに飛びつき、直ちに量産が決定される。南英共同の開発チームが提示したプランはこの新型砲を、南部連合軍が進撃していった後に放棄されていた大量のM4に搭載する事を進言していた。曰く、我々が求めている戦車を一日でも早く、一秒でも早く前線に送り出すにはこれしかない。常に予算を圧迫され、真に望む兵器を兵士に託せなかった開発者達の苦渋の決断だった。それを理解する上層部も、苦い思いと共にそれを是とした。
かくて決定は下された。ヤンキーの戦車に、ジョンブルの主砲を。M4〈ジャクソン〉、またの名を〈ファイアフライ〉と呼ばれる事になる、17ポンド砲戦車の誕生の瞬間だった。

※1 似たような経緯で南部連合には英国で開発された試作兵器群が多数流れ込んでいる。多くはトンデモな品であったり、役に立たない駄作だったりするが、中には使える物も含まれていた。ダムバスター然り、パンジャンドラム然り。17ポンド砲も数少ない「使える」兵器の一つだった。

羽化


M4から〈ジャクソン〉への改装自体は、ごく単純なものだった。要約すれば砲塔を改装し、後部にカウンターウェイトを設置、本命たる17ポンド砲を据え付ける。拍子抜けするほどだったが、今の南部連合にはそういった「お手軽な改装」こそが必要とされていた。
試作車両は教導機甲師団の下で運用試験が行なわれ、その尽くをパスした。既存の技術、安定した技術力の組み合わせが生んだ勝利である。
そしていざ正式採用という段階になってちょっとした問題が起きた。名前である。南部人として〈シャーマン〉なる戦車に乗る事など矜持が許さない(※2)。結局南部連合における規準に従い、第一次南北戦争における英雄の名をとって〈ジャクソン〉と命名された(南部連合最高の英雄たるリー将軍の名はどうかという意見も出たが、元が捕獲品の車両につけるのはどうか、来るべき『真の南部連合新型戦車』に取っておくべきではないかという意見に従い却下された)。ちなみに英国軍事顧問団からは、その強力な火力を欧州における獰猛な昆虫になぞらえて〈ファイアフライ(蛍)〉と呼んでいて、合衆国でもこう呼んでいる。
かくて南部連合陸軍の切り札となった〈ジャクソン〉だったが、即南部陸軍将兵に対する福音とはならなかった。考えてみれば当然だが、〈ジャクソン〉の母体は捕獲車両。そうそう数があるわけでもない。初戦こそ大量の遺棄車両を確保できたが、合衆国軍が混乱から立ち直って以降は手に入るものといえば破壊されたものばかり。装備ごと亡命してくる連中もいないではないが、そういった連中が毎度毎度戦車を抱えてくるとも限らなかった。運良く無傷で確保できた物にしても、確保した部隊は中々M4を手放したがらなかった。いくら強力な主砲に換装出来るとはいえ、貴重な戦力を一時とはいえ後方に送る余裕など早々あるものではなかった。結果、数少ない17ポンド砲に換装されたM4〈ジャクソン〉は陸軍最精鋭たる教導機甲師団と、M4を使い慣れた〈北方大隊〉に優先的に配備された。車体の問題については代替案として、既存の車体に強引に搭載した自走砲が製作され、各地で猛威を振るった。
なお、合衆国戦車への切り札が他国製兵器の塊という事実は南部の戦車兵らにとっても複雑なものだったらしく、〈北方大隊〉(※3)のある戦車部隊など「装備も人も外国製、メイド・イン・CSAなのはコカ・コーラだけ(※4)」と揶揄されている。

※2 実際前線では、捕獲した車両の名前が〈シャーマン〉と聞いて搭乗を拒否する兵もいた(もっともこの中には、〈ジャクソン〉と命名された途端喜んで搭乗する兵もいたとか……)
※3 合衆国からの亡命者・脱走兵で構成される部隊で、その立場上合衆国製の兵器をそのまま装備していた。後に第600歩兵師団として再編され、戦争最後期には北方州兵第一機械化歩兵師団〈メリーランド第一〉、同第二機械化歩兵師団〈コネティカット・ヤンキー〉となる。
戦後同部隊に所属していた将兵は合衆国政府によって戦犯に指定されたため、パットンの組織する地下組織に潜伏したり、遥々ドイツへ脱出する者もいた。
※4 第一次南北戦争時、ヴィクスバーグ要塞司令官だったジョン・ペンバートンが退役後に起こした会社。南北統一と東西分裂後も本社は変わらずアトランタにあり、合衆国のペプシ・コーラと今日も熾烈なシェア争いを繰り広げている。

〈ジャクソン〉の戦歴(第二次南北戦争編)

第二次南北戦争における〈ジャクソン〉の最も有名な活躍といえば、やはり44年8月の〈ミシシッピの守り〉作戦であろう。ミシシッピ川西岸に展開する合衆国軍に対し実施された南部連合空軍の大規模航空攻勢〈ファウンデーション(土台)〉によって航空優勢を確保すると同時にミシシッピ方面軍が一斉に戦線を突破、油断していた合衆国軍を蹴散らしながら一路西へ突進。合衆国側は奇襲の衝撃と、作戦開始に先立ちミシシッピ戦線後方に浸透していた〈リッチモンド〉特務大隊(※5)による各種妨害工作によって状況が掴めないまま各地で分断あるいは撃破されていった。
この作戦において主攻となったクレイトン・エイブラムス中佐指揮下の〈エイブラムス〉戦闘団(※6)装備の〈ジャクソン〉は期待に違わぬ活躍を見せ、進撃ルート上に立ち塞がる合衆国のM4を、その17ポンド砲で文字通り「吹き飛ばして」行き、作戦目標であるリトルロック―この方面の合衆国軍の補給の中枢―へ突進していく。
合衆国側はこの時点で漸く初動の混乱から立ち直り、リトルロック前面に虎の子の新型戦車部隊をかき集め、同時に支援の戦闘爆撃機を呼び寄せる―が、この時、第二次南北戦争における最大の悪夢が幕を開ける。既に合衆国軍では戦域一帯に南部のコマンド部隊が侵入している事に気付いていたが、それによって疑心暗鬼に陥ったある部隊が「砲塔のでかい〈シャーマン〉は敵だ!」という報告を誰彼構わず伝えてしまったのだ。
この報告により、新型戦車―M4〈シャーマン〉90ミリ主砲搭載型がリトルロックに展開した事を知らされていなかった各部隊が同士討ちを始め、防衛線は南部と戦う前に大損害を受けてしまう。さらにこの段階で〈ジャクソン〉部隊が侵攻してきた為に戦場は混沌と化し、合衆国戦爆の「航空支援」の下で遂に戦闘団はリトルロックに突入。エイブラムス中佐自身の率いる〈ジャクソン〉(愛称”サンダーボルト供函砲鮴萋に、市内から周辺に渡り備蓄されていたガソリンから武器弾薬、食料に渡る補給物資の尽くを焼き払った。結局守備隊は態勢を立て直せぬまま、〈エイブラムス〉戦闘団は燃え盛るガソリンの吹き上げる黒煙に紛れて撤退、〈ミシシッピの守り〉作戦は終結した。
ミシシッピ川渡河に向けて集結していた各師団の半壊、そしてそれらを養うはずだった膨大な備蓄の焼失―これにより合衆国軍のスケジュールは大きく狂い、ミシシッピ渡河は45年初頭まで見送られた。もっとも、この時の90ミリ砲型M4の大損害が合衆国陸軍に新型重戦車(M26)の早期実戦投入を決意させ、テネシー州オールドストア・ハウスの戦いでのテネシー方面軍の敗北と、チャタヌーガでの降伏に繋がるのだから、皮肉な話だった。
しかし、ミシシッピでの勝利も合衆国という巨大な戦争機械を止める事は出来ず、翌1945年初頭に合衆国軍はミシシッピを渡河、4月にはフロリダ半島に侵攻する。〈ジャクソン〉を始めとする17ポンド砲の眷属、そして漸く間に合った新型戦車群も各地で奮戦していたが、4月末に首都アトランタが陥落。5月7日、南部連合は合衆国に膝を屈した。

※5 陸海軍ならびに海兵隊の精鋭で攻勢された特殊部隊。合衆国軍の装備に身を包み、東部あるいは西部訛りの英語を話し、合衆国の風習等を叩き込まれ、戦線後方での攪乱・破壊活動を主任務とする。合衆国からは第一次南北戦争で暴れまわった悪名高い南軍遊撃隊になぞらえて〈クァントレル・ギャング〉と忌み嫌われていた。この部隊には〈北方大隊〉出身の兵士も多数見受けられ、酷い時では捕虜も取らずに全員射殺される事もあった。
※6 教導機甲師団と第600歩兵師団から人員をかき集めて編成された戦闘団。基幹人員がアグレッサー部隊として編成された師団と元合衆国将兵で固められている為、細かな装備を除けば傍目には合衆国陸軍機甲部隊にしか見えなかった。〈ミシシッピの守り〉作戦時は〈ジャクソン〉の他に少数のM4〈ベトレイヤー(=裏切り者)〉(捕獲したM4の車体に〈フォレスト〉の主砲を載せた物)、〈バイソン〉自走砲などを装備していた。

〈ジャクソン〉戦車の戦歴(戦後〜第三次大戦編)


第二次南北戦争後の〈ジャクソン〉戦車の運命は大きく二つに分かれる。即ち、北米と欧州にだ。
南部連合の降伏後、南部軍も武装解除されたが、合衆国に反発する旧軍軍人らも多く、そうした人々は武器・装備弾薬を持ったまま地下に潜伏した。そうした物資はパットンらの組織する反合衆国レジスタンスに流れ、来るべき日、いつかあの南部の旗を掲げる日の為に隠匿されたが、その中には数両の〈ジャクソン〉も含まれていた(戦争中に改装されたものから、戦場で遺棄されたM4と17ポンド砲を戦後に合体させた「非純正品」まで素姓は様々だったが)。そうした車両も、第三次大戦初頭における〈春の目覚め〉作戦―旧南部連合残党の一斉蜂起に投入された(※7)。
一方ヨーロッパの〈ジャクソン〉だが、何故南部連合の戦車がアメリカ大陸から遥々ヨーロッパまで渡ったかというと、マッカーシーの暗躍の結果といえる。第二次南北戦争末期、滅び行く南部の地から脱出した南部連合軍の残党がいた。ドイツの庇護下に入り、南部連合自治大臣を名乗ったジョゼフ・マッカーシーは来るべき「大陸反攻」の為、一人でも多くの南部連合兵士を必要としており、本土からの脱出を繰り返し呼びかけていた。〈ジャクソン〉乗りをはじめとする戦車兵達―主に教導機甲師団や〈北方大隊〉など、合衆国に捕まるとロクな目には合わないだろう連中ばかりだった―はそれに乗ったと言う訳だ。
南部降伏の混乱に乗じて彼らは北米から欧州へ渡る輸送船に装備込みで潜り込み(当時既にドイツ軍はカナダに侵攻していたから、『訳あり』の船を一隻北米航路に送り込んでも注目されなかった)、欧州へ上陸。紆余曲折の末にドイツ軍内部に取り込まれ、表向きは「アメリカ人義勇SS装甲旅団〈南方(ジュート)〉」となる。
これまで、三次大戦までの彼ら旧南部連合残党部隊については、主にアグレッサー部隊―つまりそれまでと何ら変わらない任務に就き、ドイツの同業者相手に合衆国機甲部隊を「演じて」いるとされてきた。しかし近年の研究で、それ以外の場所、ソヴィエト・ロシアの残党との戦闘が続くウラル戦線にもこの部隊が投入されていたらしいという事が明らかになってきた。例としては、これまで「カフカスを移動中のスペイン義勇師団“青”のM4戦車」と紹介されてきた写真が分析の結果、細部の装備が異なる、戦車の主砲が明らかにスペインのM4と比べて長い―という風に(※8)。
48年、ドイツによる合衆国侵攻作戦〈ゴールド〉に先立ち彼ら〈南方〉は極秘にカナダに移送され、マンシュタインの指揮下に入った。彼らには44年のミシシッピの再現が求められたのだ。その期待に違わず、北米総軍の先陣に立った〈南方〉(※9)は合衆国守備隊を時には欺き、時には吹き飛ばして、東部諸州に雪崩れ込んだ。同時に各地に潜伏していた南部連合残党も武装蜂起、北米全土を魔女の大釜となさしめた。

南部の残光


第三次大戦が終わりを迎えた時、北米大陸に生き残っている〈ジャクソン〉は少なかった。ドイツと東部連合首脳部の暗闘の巻き添えを受け、常に激戦地に投入されていたからだ。〈ジャクソン〉最後の戦い、それはこの戦車が常にそうであった様に、友軍との戦闘だった。東部連合の「英雄」、ジョージ・パットン将軍。彼の死に伴い発生した東部連合の内紛、ウォーターゲート事件(近年ではその実態は、ニクソンを始めとする一派による旧南部連合勢力へのカウンタークーデターだというのが定説である)。第四次大戦を終え、東西の雪解けが進む今日でも極端に資料の少ないこの事件において、稼動する〈ジャクソン〉はその全てが旧南部連合勢力、「いつかあの南部の旗を」と誓った仲間の下に集い―一両も残さず破壊されたという。

異国の地で生まれ、常に同胞に、もっとも強大な敵に立ち向かい、終わりを迎えるその日まで戦い続けた〈ジャクソン〉。蛍のように儚く、しかし強く輝き続けた戦車が失われた時、生みの親たる南部連合もまた終りを迎えたのは、何かの運命だろうか。

※7 〈春の目覚め〉作戦の資料として、〈ジャクソン〉の砲塔から指示を出すパットンらしき人物を写した写真が残されている。
※8 これを証明する資料として、旧南部連合陸軍軍人にして終戦時の東部連合陸軍第一機甲師団師団長、ウォーターゲート事件で粛清されたトッシュ・クレイ中将(死亡時)の手記が近年発見され、東西アメリカでベストセラーになっている。「アリスの懺悔」というタイトルのそれは、かの〈エイブラムス〉戦闘団の下で戦い、義勇SS旅団〈南方〉の一員としてドイツから帰還し、さらには三次大戦を戦い抜いた歴戦の鉄騎兵が記した一級の資料であり、日本でも出版が計画されているとの事で、期待が深まるところである。
※9 6月6日のボストンでのアメリカ連合復活宣言(マッカーシー宣言)に伴い名称を変更している。東部連合陸軍第一機甲師団〈ニューディサイズ〉。それがかつての南部連合陸軍最強戦車隊の新たな名だった。