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〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉

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〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉 Panzerschiff Kidou-ADMIRAL GRAF SPEE-Sakura,KM

jANIS・ivory「とらいあんぐるハート」綺堂さくら


 ヴェルサイユ条約による制限下で最大の戦力を持つべく建造された装甲艦3姉妹、〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉はそれぞれ数奇な運命をたどったが、なかでも末妹〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は流転の末に、日本海軍の艦艇として長い生涯を送ることになった。

 1939年9月1日のポーランド侵攻に先立つ8月21日、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉はヴィルヘルムスハーフェン軍港を出発して南大西洋へ向かった。ノルウェー西岸を北上した後、24日にフェロー諸島とアイスランドの間を抜け南西に転じ、28日にアゾレス諸島沖に達した。そして攻撃解禁日となる9月26日までにブラジル沖に到達している。
 9月30日に〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は最初の獲物を得た。英国商船〈クレメント〉(5000トン)である。以後、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は立て続けに獲物を狩り続け、11月には喜望峰を越えてモザンビーク海峡にまで達している。この時期、チャーチル首相は「吸血鬼」とも「餓狼」とも〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉をののしっている。それほど〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は英国に重大な損害を与えていた。日本からの援助物資を運び込む海路の一方を封鎖されてしまったも同然だったからだった。
 緊急な対処を求められた日英海軍は共同部隊で〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を狩り立てることとした。英海軍の重巡洋艦〈エイジャックス〉、〈アキリーズ〉、〈エクセター〉の3隻と日本海軍の第八八駆逐隊〈春雨〉、〈若葉〉、〈初霜〉、〈初春〉(各々の無線符丁は〈サクラ〉、〈アズサ〉、〈カエデ〉、〈ハツネ〉)の4隻からなる「フォースG」が編成され南大西洋に展開した。
 〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉と「フォースG」は12月13日に南米ラプラタ河口沖で激突した。 1対7の劣勢にも関わらず〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は奮戦し、重巡3隻にダメージを与え、さらに第八八駆逐隊の旗艦〈春雨〉を大破せしめている。それでも衆寡敵せず、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は中立国ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込んだが、同じくモンテビデオに入港した〈春雨〉以下の駆逐隊将兵が第八八駆逐隊司令の磯貝大佐を先頭に接舷切り込みを敢行。帆船時代もかくやという白兵戦の末、第八八駆逐隊は〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を鹵獲することに成功した。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉のラングスドルフ艦長は銃撃戦のさなかに戦死している。
 勝者たる〈春雨〉は浮力を保てずモンテビデオ港内に沈没してしまったが、磯貝司令は「フォースG」隊司令ハーウッド代将の『承認』を得て、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を応急修理の後に第八八駆逐隊の旗艦として日本へ回航することとした。なお〈春雨〉の将兵は失われた駆逐艦をしのんで艦名を春雨の頃に咲く花(と無線符丁)から採り、〈さくら〉と改名している。

 日本ではドイツ技術の調査研究ののち、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉の使い途に困惑していた。最大速力こそ29ノットに達していたが、クランクシャフト破損の危険性があることから全力航行は滅多にできないため機動部隊に随伴できない上に、主砲の28センチ砲弾を日本では供給できなかったからである。結局、海上護衛総隊で海防艦群の指揮艦として使うことになった。大艦でありながらも菊花紋章のつかない、「装甲海防艦」という少々奇怪な類別になったが、海上護衛総隊では〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉に敵水上艦の襲撃からの盾になることと、居住性の劣悪な〈雛山〉級海防艦を支援する(特に医療関係の)ことを求めたのである。
 兵装は日本式に換装された。〈相田《最上》響子〉級からはずされた長15センチ主砲三連装6門を2基前後に搭載し、長10センチ連装高角砲4基8門、ボフォース40ミリ機銃8基を装備した。そのほか水上機カタパルトと魚雷発射管は撤去され、爆雷投射装置が設置されている。レーダーとソナーは英国製を国産化したものに換えられた。2列に並んだ舷窓はふさがれ、艦首も鋭角なクリッパー・バウに改装されている。
 主機はMAN社製ディーゼルのままだった。戦前のドイツ技術移入のおかげで部品の供給の目処が立っていたからである。定期的にオイル漏れが激しくなる癖もパッキンを早めに交換することで対処できた。
 第2次世界大戦と第3次世界大戦とのわずかな戦間期には再改修をうけ、対空対潜水艦戦能力の向上を図って一対の測角測距レーダーと曳航式の聴音機を備えた。これらの装備は乗組員から「犬耳」と「しっぽ」と呼ばれている。
 改装なった〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は期待に違わぬ活躍を見せた。ディーゼル機関がもたらす長大な航続力は船団護衛に適していたし、1万トン以上の船体の余裕から病院船としての機能も持ち、ヨーロッパ調のシックな内装と併せて海防艦群の将兵から絶大な支持を得た。海防艦群はまるで小鳥や犬猫のように本艦の周りに集った。彼らにとってはもはや〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉はかつての「化け物」や「吸血鬼」ではなく「恋人」となっていた。

 第3次大戦において日英米枢軸のパナマ運河奪回後、カリブ海をめぐるドイツ海軍と日本海軍の戦いの最中、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉はかつての僚艦〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉と交戦することとなった。
 〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉は昼間は島陰に潜んで航空機の探索を逃れ、夜間に商船団の航路に高速で侵入し攻撃を加えていた。これは日本の商船団におびただしい出血を強いた。わずか二週間やそこらで15隻、18万トン近くを撃沈したのである。海水に濡れてしまい使いものにならなくなった積み荷もあわせればそれ以上の数量にのぼった。グアンタナモを前線基地としている日本陸海軍はたちまち燃料弾薬、交換部品の不足する状況に追い込まれた。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉が護衛艦群を率いて大西洋へ「帰還」したのは、日本軍不利の状況が極まっていたときであった。
 1950年2月15日、ジャマイカ島の南方ウィンドヒル島沖合いで〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉と交戦を開始したのは、グアンタナモより「吸血鬼」討伐に派遣されていた〈鳥海〉級巡洋艦〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉だった。
 8インチ(20.3センチ)主砲を両艦あわせて16門を備えた巡洋艦(第3砲塔は射撃管制電探に換装されていた)は、28センチ砲とはいえ6門しか備えていない敵を簡単に撃破できる筈だった。舷側と砲塔の装甲も強化してある。しかし燃料切れ寸前では能力を十分に発揮できるはずもない。
 氷村《アドミラル・シェア》遊 〉は〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉の放つ主砲弾を軽々と回避した。逆に〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉の巨大な上部構造物に狙いを付けて主砲弾をたたき込み炎上させている。〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉はまるで貧血患者のようによたつき、〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉に翻弄されるのみだった。
 〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は被弾炎上を起こしている2艦を救うため主砲を放ちつつ突撃した。単艦での突撃だった。軽空母〈野々村《龍驤》小鳥〉と海防艦群は護送していた船団につけて分離している。
 15センチ砲弾は〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉の装甲に弾かれてしまったが、〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉の注意を引きつけ、かつ〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉に回頭する時間を与えた。その間に〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉の艦長相川中佐は〈鷹城《摩耶》唯子〉艦長T城大佐を呼び出し、「てめえ、この、いい加減にしろ!莫迦!」と隊内無線(TBS)で怒鳴りつけた(相川中佐とT城大佐は同期だがハンモックナンバーは後者がずっと上だった)。
 喝を入れられて目を覚ましたのか、〈鷹城《摩耶》唯子〉の放った弾は〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉を挟叉した。これに〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉が驚愕している隙に〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は後ろに回り込み、後部指揮所と煙突に直撃弾を撃ち込んだ。
 その後は一方的な戦いになった。〈鷹城《摩耶》唯子〉〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉の艦首に大穴を開ける。〈千堂《鳥海》瞳〉の艦長は「私にもやらせなさい」と〈鷹城《摩耶》唯子〉に無線で伝え、すぐさま〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉の前部主砲塔を海へたたき落とした。今や〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉は火災を起こし、浮かべる屑鉄とも言うべき状態になってしまっていた。その有様でも「ワスレルナ ワガドイツミンゾクノクルシミヲ ワスレテハナラヌ」と発光信号で〈綺堂《グラフ・シュぺー》さくら〉に送っている。その闘志はたたえられて然るべきかもしれない。それに対し〈綺堂《グラフ・シュぺー》さくら〉が何と返信したかは、記録に残っていない。
 結局のところ〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉は沈まなかった。日本側の被害も大きく、〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉は燃料切れとなり、また上部構造物に被害を受けていた。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉も舷側装甲を打ち抜かれて相当量の浸水を起こしていた。追撃は断念せざるを得なかった。そして先に分離していた船団と会合し、燃料を補給したあと、ともにグアンタナモへ帰還したのである。
 余談になるが、〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉はよろばうようにしてドイツ北米艦隊の根拠地フィラデルフィアへハバナを経由してたどり着き、応急修理の後ドイツ本国へ回航された。しかしアイスランドから飛来した〈富嶽〉の爆撃を受けキール軍港で大破横転してしまっている。〈富嶽〉隊は艤装中の〈皆瀬《ヒンデンブルク》葵〉級2番艦〈縁《デア・フリート・ランデル》早苗〉をねらっていたのであるけれども。

 〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は、カリブ海、そしてデンマーク海峡での〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉との再度の同級艦同士での戦い以後も船団護衛に従事し続けた。第3次世界大戦終結後は大型護衛艦〈長岡《加賀》志保〉に代わって海上護衛総隊の総旗艦に任命されることもあり、海上の女王ともいうべき空母群に負けない存在感を示している。80年代にはいってからは練習艦となった。相変わらず将兵から愛され続け、新造された当初と変わらぬ美しい容姿で演習航海に出ており、次代を担う海軍将兵を多数育て上げている。
 90年代半ばの第4次世界大戦ののち大ドイツ帝国は崩壊し、今では日英の新たな同盟国となっている。そして〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は日独友好の象徴としてかつての母港ヴィルヘルムスハーフェンへ親善寄港し、ドイツ連邦共和国海軍(ブンデス・マリーネ)の盛大な歓迎を受けた。
 そして西暦2000年代に入っても退役の声は聞こえてこない。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は、永遠の恋人として今も海上に在るのだ。

要目(竣工時)

  • 全長     186.0メートル
  • 全幅     21.3メートル
  • 主機 MAN MZ42/58型ディーゼル8基2軸
  • 機関出力  55400hp
  • 最大速力  26ノット
  • 基準排水量 12100トン

兵装(竣工時)

  • 主砲 55口径28センチ砲3連装2基
  • 副砲 55口径15センチ砲単装8基
  • 高角砲 8.8センチ連装砲3基
  • 魚雷 53.3センチ4連装水上発射管2基
  • 装甲
    • 舷側80ミリ
    • 甲板45ミリ
    • 砲塔160ミリ

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