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〈六式重戦車《オニ》〉/〈六式重戦車改〉

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〈六式重戦車《オニ》〉/〈六式重戦車改〉

元ネタ「雨月山の鬼」(「痕」/Leaf)

 なお、以下の記事は情報公開以前に製作されたものであり、近年、新たに公開された新情報に基づいた改定がなされる可能性が高いことをお断わりしておく

 陸軍が試作した四番目の重戦車であり、〈八車《七式中戦車》文乃〉と平行して生産された日本最後の重戦車

 本車は、昭和17年、来栖川重工業雨月工場でL9の試作番号で試作が開始された。 一般に知られている「鬼」という別名は、試作段階当時はまだ片仮名二文字による分類名称が存続していたためである(オ→重戦車 ニ→4番目であり、「四号重戦車」を意味している)。
 当初、九八式8儿蘯曜い鯏觝棔∩位盟甲110(傾斜角なし)の50t級戦車として設計された本車だったが、当時、陸軍の仮想的であったソ連邦が85佶い鯏觝椶靴申点鐚(KV-85、IS-1)を開発しつつあるということから計画が変更され、10儖幣紊梁膰径砲が必要とされた。これは二つの理由から来ている。
 一つは、大陸及び、欧州派遣軍の戦訓を分析した結果、榴弾の発射数が徹甲弾の発射数を上回っていた内部報告書が影響している(※1)。このため、主な用途として「中戦車の火力支援」が含まれていた重戦車の主砲もまた、ある程度の榴弾威力が必要とされた。
 次に、開発が進められているとされたドイツ重戦車群への対抗である。実際、北アフリカ戦線に投入されたVK4501(ティーガー試作型)はその重装甲から最新鋭の三式中戦車であっても強敵であり、その後継として開発が進められていた重戦車群(ティーガー2、マウス)を正面切って撃破できる性能は次世代の重戦車に必要不可欠といえた。開発者は後に「『野獣』を狩る『狩猟者』がこの戦車における唯一の開発思想だった」と語っている。
 なおこのとき、海軍の旧式砲であった40口径八九式12.7儿盂冕い筍苅妓径三年式12冕い眛瓜に考慮されたが、装填手の負担(※2)と単位時間当たりの発射速度から、純粋な平射砲の50口径三年式12.7冕い選定されている。

 このような理由から、本車は同種の砲を搭載していたJS-1重戦車試作車(ソ連邦崩壊の結果、軍事援助の代償として入手した)を参考に開発された。しかし、砲弾搭載数を増大し、また、ある程度の発射速度を維持するため、装填手は2名(砲弾と装薬)とされた結果、砲塔は4人乗りの大型砲塔となり、それに伴い、車体も大型となっている。
 また、装甲は砲塔前面で152(傾斜角40度)に達しており、戦闘距離での88佶い猟招發紡僂┐Δ詈となっていた。火力も圧倒的だった。初速910m/秒に達する高初速砲は、既存のあらゆる戦車を遠距離から撃破可能な戦闘能力を有していた。
 しかし、日本戦車としては空前の重装甲、大火力を実現した結果、重量は60tを超え、エンジンは旧式航空機用発動機(川崎がライセンス生産していたBMW系液冷エンジン)を二基使用しながら、最高速度は路上でも40km/hに達していない。さらに使い慣れた旧式航空機用発動機を転用しているとはいえ、エンジンを複数搭載していることから同期の面で問題があり、エンジン周りの不調も深刻だった。また、サスペンションは旧来の弦巻バネ方式であり、変速機の信頼性不足と相まって、足回りについては脆弱さを抱えることとなってしまった。
 さらに中東方面の自然停戦も相まって、昭和21年、六式重戦車として制式採用された本車だったが、本格的な量産は行われることはなかった。(近衛戦車師団所属の独立重戦車連隊向けに約100両が生産されたのみ)
 本車が再び注目されたのは、その重装甲と火力が、実戦配備されつつあったドイツ重戦車に対しても有効と判断されたためであった。このため、オド計画と呼ばれた新戦車開発計画(後の〈八車《七式中戦車》文乃〉)の保険として、戦車学校の要望から改良が指示された。オド車自体は既存戦車技術の集大成というべき戦車であったことから、六式重戦車の改良指示はむしろ、五式を潰された戦車派による意趣返しに近いところがあった。
 改良点は主に重量軽減と足回りに集中している。 避弾経始を重視した、強い傾斜のついた新砲塔を採用、加えて側面、後面の装甲をあえて削減することにより、重量の軽減を図っている。また、車体についても同様で、特に車体前面は傾斜を強めることで、装甲の増加を図ることなく実質的な防弾性能の向上を図っている。
 また、足回りについても捕獲したM4中戦車のサスペンションを参考としたボギー式サスペンション(水平配置のコイルスプリングを使用)とし、信頼性の向上に努めている。加えて、発動機もオド車(後の〈八車《七式中戦車》文乃〉)と同じ、マーリンのデチューン版に変更され、パワーウェイトレシオの改善と信頼性の向上が図られている。

 第三次世界大戦が勃発した際、六式重戦車は現有戦車としては唯一パンテル兇紡个靴突グ未卜てる戦車として期待されており、唯一の装備部隊だった近衛第1独立重戦車連隊も隷下の1個大隊程度ながら、開戦直前のカナダに送り込まれている。
 〈八車《七式中戦車》文乃〉の試作型とともにカナダでの防御に投入された。
 初の実戦参加は〈八車《七式中戦車》文乃〉と同様、オタワ解囲戦だった。右翼(南方)から迂回を図った実験小隊はパンテルD型から構成される戦車隊と交戦、遠距離からの砲撃戦で大隊規模の敵戦車に大損害を与えて撤退させるという戦果を挙げている。(※3)
 またこのとき混乱したドイツ軍は「敵の新型駆逐戦車が投入された」と誤認情報を後方に送っている。
 後退戦であり、最終的には1両のみが回収されるだけの損害を被ったものの、交戦記録から、〈八車《七式中戦車》文乃〉と並んでドイツが開発しているであろう重戦車群に対抗しうることが判明したため、六式改は〈八車《七式中戦車》文乃〉と平行して生産されることが決定した。また、この決定にはパンテル兇紡亶魁⊂〕できる戦車を1両でも多く欲していた戦車関係者の要求の他、六式の生産中止以後も細々であるが生産ラインが維持されていたため、一から生産ラインを構成しなければならない〈八車《七式中戦車》文乃〉に比べて生産転換に必要な期間が少ないという点も影響している。

 主に北米戦線に投入された六式重戦車改は、基本的に師団直属の独立重戦車大隊に配備され、〈八車《七式中戦車》文乃〉が配備されるまでの間、北米戦線を支えた影の立役者となった(※4)。また、〈八車《七式中戦車》文乃〉の数が十分に揃い、六式改自体もそれなりの生産数に達した50年9月には、砲戦車中隊の一部にも配備されることとなった。
 しかし、〈八車《七式中戦車》文乃〉に比べて、分離装填式の主砲を採用していることに起因する主砲発射速度の問題、また機動力の問題を抱えていた六式は〈八車《七式中戦車》文乃〉の増産によって生産規模は縮小、〈八車《七式中戦車》文乃〉改良(制式名称は〈《十式中戦車》ヤマノカミ〉とされた)の12.7冕づ觝椶決定したことによって六式系列の改良は中止されることとなった。
 また、生産も〈八車《七式中戦車》文乃〉改良型の試験が順調に進み、採用がほぼ本決まりとなった50年初頭には予備消耗部品の生産程度に押さえられ、実質的には生産終了といっても問題はなかった。
 だが、「オニ」の命脈は絶たれたわけではなかった。〈《十式中戦車》ヤマノカミ〉に搭載された新型砲塔は六式重戦車改の本格改正案(長12.7冦祥冕い療祥僂寮鐚嵋づ觝椣)として設計された物であった。「鬼の血」は確かに、日本戦車の流れの中に存在し続けている。
 派生型自体はその性格上多くはないが、一八式短距離地対地弾道弾の自走発射機に車体の設計が転用された他、戦後しばらくの間、北米分断線の一部では砲塔を特火点として用いていた(ただし、70年代には全てが撤去されている)。

 

 現在、六式及び六式重戦車改は、千葉の機甲学校資料館に六式が1両、陸軍戦車博物館(大阪砲兵工廠跡地)に六式改が2両(うち1両は動態保存)残存している

要目(括弧内は六式)

重量:57t
全長:11.5m
全幅:3.8m
全高:6.0m
最低地上高:0.4m


機関:マーリン改 1.000馬力(川崎 BMW改 450馬力×2)
最大速度:42km/h (35km/h)

主砲:五式12.7兩鐚嵋
その他武装:武式12.7亠ヾ慄(車長用ハッチ、対空用 六式は非装備)
       同12.7亠ヾ慄(主砲同軸)
        (7.7亠―藤鈎)

装甲厚()
〈砲塔〉
前面 152(152)
側面 100/80)
後面 50(80)
上面 25(25)
〈車体〉
前面 80(120)
側面 50(50)
後面 50(50)
底面 25(25)

乗員:5名[内訳:車長、操縦主、砲手、装填手2名(1名は無線手兼任)]

 (※1) 一般には徹甲弾が多用されていると思われているが、むしろ榴弾の発射数が多いのは事実である。また、検証として榴弾が用意されていなかった英国戦車が歩兵や対戦車砲相手に苦戦したことが挙げられる。
 (※2) 八九式12.7儿盂冕ぁ∋闇式12儿盂冕い箸發毎暇(装薬と砲弾が一体化弾薬を使用)であり、薬嚢式の三年式12.7冕い鉾罎戮徳填手の負担が大きいと判定された。実際、六式12.7冦祥冕い鯏祥僂靴振綣粟鐚嵋い鯏觝棔「究極の『狩猟者』」として完成された六式重戦車改二(試作のみ)、またその砲塔を搭載した〈十式中戦車《ヤマノカミ》〉は半自動装填装置を備えている。
 (※3) 徹甲弾の直撃を砲塔側面に受けたあるパンテルは、弾薬が誘爆した結果、車体全体がばらばらになる程の損害を受けている。
 (※4) 元戦車兵の従軍記者が「敵戦車を狩るためだけに存在する狩猟者のようだ」と記事に残している。この『狩猟者』という名前は六式重戦車改の非公式な愛称として知られるようになった。
 また、余談として勝手な名称をつけることで知られる、静岡に本社を置く模型会社は70年代初頭、六式改のキットに『Type6 “Hunter” Heavy Tank』という名前をつけて販売していた。(ちなみに99年、新金型で発売された六式改のキットは制式名称に改められている)。