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〈野々村《龍驤》小鳥〉

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〈野々村《龍驤》小鳥〉 Aircraft Carrier Nonomura-RYUJYOU-Kotori,IJN

jANIS・ivory「とらいあんぐるハート」野々村 小鳥



 隆山海軍軍縮条約の制限外(排水量1万トン以下)枠を使って建造された1万トン級の軽空母。世界初の純空母で実験艦的性格の強い〈《鳳翔》マルチ〉を改良し、実用的にした設計と言える。1933年5月9日、横須賀にて竣工した。
 海軍航空隊の黎明期にあって、〈野々村《龍驤》小鳥〉は〈千鶴〉、〈《鳳翔》マルチ〉と共に航空隊の育成に大きく貢献した。航空隊の面倒見の良さでは〈千鶴〉と〈《鳳翔》マルチ〉を大きく凌いでおり、搭乗員や整備員へのアンケートでは「お嫁さんにしたい度ナンバーワン」を取っているほどである(注1)。
 しかしながら本艦の設計には、小さな船体に対して過大な性能要求が軍令部より達せられことから無理があり、復元性や回頭性、舵の反応の鈍さなど運動性能に劣るところがあった。その主機にもいささかの問題を抱えており、初めての機関の運転時には潤滑不足のためなのか始動性が非常に悪く、三度目の挑戦でようやくタービンが回るようになった。小さい船体に大きな機関を押し込むからだ、と造船士官は憤っている。結局、竣工直後に機関の改修や復元性をあげるためにバルジの増設工事をおこなった。
 さらにアンテナが低いせいか、発信が他艦に届きにくいことがしばしばで、「人見知りする」艦としても有名だった。「人見知りする」というのはいくつかの艦には通信がはっきり届くからであり、その数少ない例外には〈相川《古鷹》真一郎〉(機〈鷹城《摩耶》唯子〉〈千堂《鳥海》瞳〉(のちに〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉と〈泊龍〉が加わる)などがあった。

 1935年(昭和10)の後期大演習において〈野々村《龍驤》小鳥〉は第四艦隊の旗艦を務めた。この年の第四艦隊は〈野々村《龍驤》小鳥〉と〈《鳳翔》マルチ〉両空母の直衛隊を主隊とし、それに第4水雷戦隊が加わって編成される。合同すべき第4水雷戦隊は特型駆逐艦10隻からなる精強な部隊だった。
 当時の海軍の編成には第四艦隊なるものはない。戦艦部隊の第1艦隊と巡洋艦部隊の第2艦隊の「敵」として、演習時に臨時編成されるのである。その際に空母に与えられた任務は、襲撃訓練の標的になることだった。空母を来寇する敵戦艦とみなし、水雷戦隊の妨害を排除しつつ戦艦部隊と巡洋艦部隊が襲撃を繰り返すのである。
 9月26日、演習は急遽中止され、北太平洋での哨戒任務に切り替えられた。シアトルを出航した米領満州への輸送船団を捕捉し、拿捕するのである。〈野々村《龍驤》小鳥〉と〈《鳳翔》マルチ〉は先に函館を出航した第4水雷戦隊と会合すべく、風雨と波の荒い三陸沖を進んだ。この時、三陸沖は予想進路を外れた台風の暴風圏内にあり、ようやく会同できた第四艦隊は巨大な波浪に振り回され続けた。
 夜が明けた頃には、第四艦隊が甚大な損害を被ったことが判明した。〈《鳳翔》マルチ〉は飛行甲板前端がへし曲げられ、格納庫内の航空機も損傷していた。〈野々村《龍驤》小鳥〉は艦橋が圧潰し、舷外通路や高角砲座は潰され、繋止索がちぎれた航空機が格納庫内を暴れ回って整備員を押しつぶしていた。〈野々村《龍驤》小鳥〉の格納庫隔壁には「赤い花」が咲いているという惨状を呈していたのである。幸いなことに整備班長が航空機から燃料を全て抜き取っており、このために火事は最小限でくい止められた。
 空母のみならず、第4水雷戦隊の損害もひどいもので、特型駆逐艦〈初雪〉と〈夕霧〉の2隻が艦首を切断され、その他の艦では構造材にクラックが発生していた。損害が少ないのは大正時代に建造された駆逐艦のみという有様だった。これが後世に言う「第四艦隊事件」である(注2)。 この後〈野々村《龍驤》小鳥〉はドック入りし、艦首甲板の段上げと艦橋構造の強化をおこなっている。

 第2次世界大戦が勃発すると、空母としては最小ながらも第2次遣英艦隊の一員として欧州へ派遣され、艦隊防空や船団護衛に従事している。艦載機は新鋭機、零式艦上戦闘機と九九式艦爆を搭載した(注3)。水上艦艇の少ないドイツ海軍が相手であるため、対艦攻撃機である九七式艦攻の必要はないとされたためである。
 船団護衛ではムルマンスク行きのPQ船団護衛作戦に参加したが、ノルウェー沖にてJu87の降爆を受けて飛行甲板を大破してしまった。飛行甲板に1発(つむじ押しの刑)、両舷に至近弾が1発ずつ(うにゅーの刑)である。この大破後、ローサイスにドック入りして応急修理をうけ、遣英艦隊の引き上げに伴って日本へと帰還した。
 そして軽空母〈野々村《龍驤》小鳥〉は戦闘には向かないと判断されたため、海上護衛総隊へと所属が変更された。これは発足以来、戦力の不足と連合艦隊への戦力抽出に泣いていた護衛総隊にとっては朗報となった。インド、蘭印と日本本土を結ぶ長大なシーレーンの防備に、空母が〈梓丸〉に〈浅間丸〉級数隻だけでは足りないからだ。早速、〈野々村《龍驤》小鳥〉は自身に比べて犬猫のように小さい〈雛山〉級海防艦や二等駆逐艦を引き連れて、ヒ船団の護衛に従事した。 しかしミッドウェーでの敗北により空母の不足をかこつ連合艦隊は以前の決定を覆し、蘭印から戻ってきた〈野々村《龍驤》小鳥〉を北太平洋戦線に慌ただしく投入した(注4)。この作戦のみ、という約束のもとでだが、〈野々村《龍驤》小鳥〉は家事のできない父親の面倒を見るべく奮戦する孝行娘のように、航空機運搬(「買い物」と呼称された)や航空支援(「料理」または「洗濯」と呼称)に太平洋を駆けずり回るのである。
 斯くして航空支援を与えるべく参加した第2次アッツ島沖海戦で、〈野々村《龍驤》小鳥〉は長年にわたる付き合いの〈相川《古鷹》真一郎〉(機を失うことになった。
 重巡〈相川《古鷹》真一郎〉(機の艦長は、「〈野々村《龍驤》小鳥〉を守る」、「〈鷹城《摩耶》唯子〉を守る」、「二艦とも守る」、という三択で最後の選択肢を選び、合衆国軍機の攻撃に対して自らを囮とし、被雷浸水して果てたのだった。〈野々村《龍驤》小鳥〉〈鷹城《摩耶》唯子〉と共に霧域へ避難できたが、その時間を稼ぎだした代償に沈没した〈相川《古鷹》真一郎〉(機の生存者を捜して、戦闘の休止後に同海域を巡り、副長相川少佐に率いられたカッター群を救い出している。

 太平洋戦争終結後の僅かな時間を用いた第3次改装の際に油圧式カタパルトを設置している。そしてカタパルトを付けた結果、甲板下に艦橋を置けなくなったので島型艦橋に改められ、戦闘指揮所DDWS(注5)がもとの羅針艦橋下に設置された。さらに飛行甲板の艦首までの延長もあわせておこなわれている。
 改装後の艦形に対して「アダルト・バージョンだ(注6)」と喜ぶものもいれば、「(コンパクトな)以前のままの方がよい」と主張する者もまた多い。航空兵装として対潜装備の九九式艦爆と回転翼機を搭載した。

 海上護衛作戦においては〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉〈鷹城《摩耶》唯子〉と戦隊を組むことが多く、通称をトライアングル戦隊といった。その際、戦隊司令を〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉艦長相川中佐がつとめる慣例であった(注7)。排水量1万4千トンの装甲艦が先頭を行き、装甲艦を上回って1万6千トンにもなる重巡洋艦が追従し、二艦のあとを1万トンちょっとの〈野々村《龍驤》小鳥〉が一所懸命に付いていく姿は、凸凹トリオとして護衛艦隊の名物であった。なお、前述の二艦の他にも〈千堂《鳥海》瞳〉とコンビを組むこともあり、〈千堂《鳥海》瞳〉の軍楽隊と〈野々村《龍驤》小鳥〉の合唱隊とのコンビネーションは帝国海軍屈指のものと評判を取っている。もっとも、そう評されても〈野々村《龍驤》小鳥〉の方ではへにょへにょに照れるばかりであったが。
 連合艦隊主力がパナマ運河をドイツから奪回した後、〈野々村《龍驤》小鳥〉〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉とともにカリブ海からアイスランドまでの護衛作戦に参加した。このとき〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉の襲撃を受けかけたが、相川艦長率いる〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉がガードを固めており、また海防艦と輸送船団とともに直接護衛隊から分離されたことで難を逃れている。
 大事に守られていた〈野々村《龍驤》小鳥〉だったが、ドイツ北米艦隊水雷戦隊〈ティーア〉の執拗な追跡に遭ったことがあった。その際は「早く(あっちに)いってしまえ」とばかりに自らの12.7センチ高角砲で敵に一撃を与え、あとは一目散にグアンタナモの管制海域へと駆け込んでいる。この「事件」は、おとなしい〈野々村《龍驤》小鳥〉が珍しくも攻撃したということで評判となり、誰が名付けたか、「フライパン・アタック」と呼ばれている。
 第3次世界大戦中盤以降は〈安土〉級護衛空母の増勢がなったことから、〈野々村《龍驤》小鳥〉に無理をさせる必要が無くなったと判断されて本土近海からでることは少なくなった。航空教育隊の所属となった〈野々村《龍驤》小鳥〉は、数多くの空母航空隊要員を育成して対独戦に貢献し、また友好的中立国の中華民国に供与された〈安土〉級護衛空母〈泊龍〉の面倒を見たりした。

 第三次世界大戦終結後は、航空教育からもはずされて横須賀に係留されていた。そのまま解体されるかに想われたが、初代〈千鶴〉は戦没し、〈《鳳翔》マルチ〉は給油艦となったことから、海軍最古の空母である〈野々村《龍驤》小鳥〉の保存運動が澎湃として起こった。海軍航空に多大な貢献を為した「小さな幼なじみ」を忘れてはならない、と。
 そして歴代の搭載機、複葉の十式艦戦から零式艦戦、艦攻、艦爆、回転翼機までを搭載した状態で、〈野々村《龍驤》小鳥〉を晴海の「船の博物館」に保存展示することが決定された。
 彼女は海軍航空隊の基礎を定めた艦として、今でも多大な敬意を寄せられているのである。

注1:外観は良いものの改装空母であるために軍艦としては扱いづらい〈千鶴〉、実験艦のため何かと作業の手際が悪い〈《鳳翔》マルチ〉(ちなみに両者共に食事が壊滅的な有様だった)と比較して、三番目に建造された〈野々村《龍驤》小鳥〉は空母として完成の域に達していたのである(食事のうまさでは海軍トップ・クラスだった)。
注2:哨戒任務は、艦隊司令部が移乗した〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉が引き継いでいる。この後に、輸送船団を巡って〈由風〉と合衆国駆逐艦、〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉〈相川《古鷹》真一郎〉(機らが合衆国極東艦隊と砲撃を交わす「オホーツク海戦」が生起している。
注3:九九式艦爆は6番爆弾(60kg)が主武装だった。なお、のちに37ミリ機関砲1門を胴体下に搭載し、自由オランダ軍の〈彗星〉部隊の先例としてドイツ軍相手に猛威を振るっている。
注4:護衛総隊の参謀大井篤大佐は「世界で一番、連合艦隊が嫌いだ」とまで罵っている。
注5:初期型(1型)ではただ艦や機の場所を表示するだけだったのが改良され、次世代では行動可能時間の予測まで表示し(2型)、最終発展型では探知範囲の増大から表示を簡易化、必要に応じて詳細情報が表示されるシステム(3型)に改良された。〈野々村《龍驤》小鳥〉に搭載されたのは1型であり、最後までそのままだった。
注6:まともな空母になった、の意か?
注7:〈鷹城《摩耶》唯子〉の艦長T城大佐は相川中佐に徹底して頭が上がらなかったらしい。さらに〈野々村《龍驤》小鳥〉〈鷹城《摩耶》唯子〉とだけでコンビを組むことも多かったが、その際も戦隊旗艦は〈野々村《龍驤》小鳥〉がつとめた。〈野々村《龍驤》小鳥〉〈千堂《鳥海》瞳〉とがコンビを組んだ時には〈千堂《鳥海》瞳〉がイニシアチブを取っているので、〈鷹城《摩耶》唯子〉艦長の性格かもしれない。

要目(第2次改装後)

  • 全長 180.0メートル
  • 全幅 20.78メートル
  • 主機 艦本式オール・ギヤード・タービン2基2軸
  • 主缶 ロ号艦本式重油専焼缶
  • 機関出力 65000hp
  • 最大速力 29kt
  • 基準排水量 10600トン
  • 公試排水量 12575トン
  • 飛行甲板 156×23メートル 昇降機2基

兵装

  • 高角砲
    • 40口径12.7センチ砲連装4基
  • 機銃
    • 25ミリ連装機銃2基
    • 13ミリ連装機銃6基
  • 搭載機
    • 32機(常用24機、補用機8機)