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〈鳴風《晨風》みなも〉

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日本航空機製造 三七式戦闘機〈鳴風《晨風》みなも〉 NAMCO Type37 Multi-Role Fighter Shinpu

(元ネタ Wind -a bless of Heart-(minori) より 鳴風みなも)

 日本航空機製造によって70年代末に長距離迎撃機として開発・採用された三七式戦闘機〈鳴風《晨風》みなも〉は、80年代以降、日本帝国航空軍の主力機となった。

 三七式戦闘機〈鳴風《晨風》みなも〉は、ドイツ空軍の保有する長距離・高速爆撃機をアリューシャン上空で迎撃する長距離迎撃機として設計された試作機、〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉から生み出された最初の機体として知られている。
 日本最大の航空機メ−カーの一つとして知られる中島飛行機と、日本航空機製造(※1)が共同で開発した〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉は、当時軌道往還機の流体試験を担当していた極超音速機開発チームの研究成果を元に、ストレーキによって機首と滑らかにつながった大面積の主翼、第推力のエンジンを収めた副胴をもつデザインを持っていた。これによって本来迎撃機であれば必要ない、高い運動性を備え、ただ遠距離から誘導弾を射つだけでなく、かなり積極的に、援護の戦闘機相手であっても交戦を挑むことが可能になっていた。また、データリンク装置及び機載コンピュータによって、高度な相手の行動の予測が可能となっており、何度か行われた試験では相手の行動を予知したかのように行動できた。
 しかし〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉は採用されなかった。この理由には諸説あるが、ほぼ同時期に行われた二六式を使用して行われたいくつかの実験に予算が奪われた、とされている(※2)

 三七式戦闘機はこの〈鳴風《MX/(N/T)-10》琴葉〉を原型とした最初の機体として、日本航空機製造によって長距離迎撃機として開発された。低翼面加重の機体と大出力エンジンという組み合わせにより、高い空中性能を実現するというコンセプトは〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉を強く引き継いでいる。この思想は、ドイツにおいてヨハネス・ボイド大佐がエネルギー空戦理論として理論化したものであったが、むしろ、可能な限り軽量な機体に大出力のエンジンを搭載するという日本機にとって常識に近い設計思想を引き継いだとものというべきだった。あるいは、このコンセプトを踏襲する限り、既に主力制空戦闘機として制式採用されることが決まっていたというべきかも知れない。あとは「いい女」――優れた戦闘機として完成するならば。
 大仰角での失速特性を改善する大型のストレーキを持ち、主翼と胴体を滑らかに一体化し、そして胴体下部にカタマラン式にエンジンナセルを備えて中央部にも一部揚力を負担させる設計は〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉を引き継いでいる。ただし、主翼は機体付け根部分で胴体と一体化した後退翼(※3)となっており、前縁及び後縁のフラップにより、飛行状態に合わせて常に最適な状態を取るようになっている。この方式はコニカルキャンバを採用し、重量の軽減を優先したMe280〈白河《アドラー》ことり〉とは逆のアプローチとなっている。また、ストレーキに加えてクローズド・カップリング式にカナードを備え、維持旋回性能、離着陸特性を改善、加えてCCV機に必要不可欠な静的安定性を備えている。
 操縦機構は三重のフライトコンピュータによって制御されている。このフライトコンピュータは通常、最大荷重+8.5G〜12.5G、迎え角30〜35°の範囲で制限がかかっているが、約15kgの力で操縦桿をいっぱいに引くとリミッター解除スイッチが作動、制限を解くようになっている。このシステムは第四次世界大戦において特に熟練搭乗員によって活用され、緊急時の機動などに活用されている。ただし、最もこのシステムが役に立つのは実戦ではなく、航空祭のデモ飛行だったが。
 また、運動性の向上策として、翼の表面を流れる風――気流を制御するため、少量の高圧空気を表面に噴射するシステムを搭載している。フライトコンピュータと連動したこのシステムは当時としては画期的であり、システムの都合上小さな風を起こす程度――反動制御に用いるほどのものではなかったが、失速速度の低下や、失速状態前後の機動性向上に大きく役立っている。
 長距離捜索、多目標追尾/同時攻撃能力を持つFD-27(N1)を納めるために大型化するレドームと、良好な前方視界を維持するため、機首は長く、垂れ下がれ気味のものとなり、操縦席も良好な前方視界を確保するため、機体前方に配置された。加えて統合航空管制システム〈ハーモニカ〉装置のC型を装備している。通称〈クロマチック〉と呼ばれるそれは、一つのチャンネルに4つのデータ回線を保持できるシステムで(操作時の複雑ささえ解決できたならば)戦闘機用のこの種のシステムとしては十分な性能を備えている。
 エンジンは川崎が満を持して開発したフ37ターボファンエンジンを採用している太平洋条約機構側の低バイパス比ターボファンエンジンとしてはF110と並ぶ、推力と信頼性に優れた戦闘機用エンジンで、アフターバーナー使用時の推力は12,500kgで、第四次世界大戦でライバルとなったMe280の装備したBMW090とほぼ互角の推力だった
 武装は固定武装としてホ157 30亠ヾ慄い鯏觝棔また、10箇所の強化ポイントに、空対空誘導弾8型、10型〜12型の空対空誘導弾や爆弾等、あるいは増加タンクなど、最大で8tまでの機外装備を搭載可能となっている。
 このような点が評価され、三七式戦闘機〈鳴風《晨風》みなも〉は防空軍長距離戦闘機のコンペテイションに勝利し、防空軍向けの長距離戦闘機として採用された。
 国際市場へのデビューは、本格的な実戦配備が始まる前、81年に行われたファーンボロ航空ショーだった。しかし、展示飛行は行われず、地上展示のみに留まっている。国内外で始めて展示飛行が行われたのは、翌年の百里基地航空祭だった。この時実施された展示飛行では、前進しながら90度を越える大仰角ピッチアップ――搭乗員の名をとって、「シンカイ・ハブ」と呼ばれたその機動は〈鳴風《晨風》みなも〉の存在を各国の航空関係者に印象付けることになった。
 だが、配備当初の運用は、合衆国のF-15、あるいはドイツのMe280とは異なり、日本本土にかかる屋根のその上、本土防空における「屋上」、北太平洋上空に進出し、〈ハーモニカ〉装置を用いてただ会敵を待つ任務だった。海外、特に経済的に余裕のある満州国及びオーストラリアからは購入のオファーがあったとされているが、あくまで日本のために作られたシステム海外での運用について任務適合性に問題があるという理由により固辞されている。
 その状況が変わったのはかつて〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉計画を推進していた人々が影響力を発揮しはじめた80年代半ば以降だった。中曽根内閣による対独強硬政策は、必然的に航空戦力の質的拡充を必要としており、彼らはそれに合わせて主力戦闘機として〈鳴風《晨風》みなも。を装備することを望んだ。前線配備の戦術戦闘機として制式採用された四三式支援戦闘機〈丘野《陽光》ひなた〉は軽快ではあったが、主にレーダーなどの面で劣っており、制空戦闘機としては能力的に不十分と判断されていた。十分な運動性を持った〈鳴風《晨風》みなも〉は防空戦闘機にとどまらない長距離制空戦闘機としても配備されることになった。
 このとき、長距離任務を想定した航空糧食の機内供給試験まで行われている。とはいえ、〈鳴風《晨風》みなも〉の操縦席は幾ら大型戦闘機とはいえ専用の設備を設けられるほど広いわけではなく(※4)機上で広げられた弁当は正視できないものになってしまい、以降、この種の試験は諦められている。
                  ◆
  制空戦闘機としての立場を得た〈鳴風《晨風》みなも〉だったが、主力となるには未だステップを必要としていた。エンジン推力や運動性といった目に見える点においては、世界唯一の前進翼戦闘機、〈藤宮《剣》望〉が上回るという下馬評を得ていた。また、運動性に優れた〈鳴風《晨風》みなも〉の影響を受け、Me280〈白河《アドラー》ことり〉の改良やその後継機が開発されているという情報もあり、〈鳴風《晨風》みなも〉の改良は急務だった。また、軍備の効率化に伴うデュアルロール化という問題も、完全な主力戦闘機となるための道に立ちはだかっていた。ただ高嶺の花として制空戦闘にのみ特化していられるほど、日本の財政は余裕があるわけではない。
 「主力戦闘機」の座を射止めるため、日本航空機製造の技術陣は〈鳴風《晨風》みなも〉に大幅な改良を加えていった。祁燭箸靴得式採用されたこの型は、小は操縦席――操縦桿とスロットルに全ての操作系を配置し、多用途CRTとヘッドアップディスプレイの表示で操作を行う方式への変更や、操縦桿の、感圧式のサイドスティックへの変更といった、高G環境での操作性向上を中心としたもの――から、大は機体全体の、電子隠密性を意識したデザインの変更といった点にまで及んだ。また、エンジンも二次元式の推力変更装置を取り付けたフ37U特(推力14,000)に変更されている(※5)
 レーダーおよび射撃統制装置についても〈クロマッチック〉装置はそのまま残されているが、レーダー及び射撃装置は日本電気の開発したFD011に変更され、地上動目標探知、地形追随、合成開口の各モードにも対応、地上攻撃も対応できるようになっている。
 また、自己防衛システム自体も、機体の改修にあわせて強化されている。チャフ・フレアーディスペンサーの容量が拡大され、その形状から「たこ焼き」と呼ばれる投射体の数は異常なまでに多数搭載された。
 祁燭砲覆蝓見違えるようにデザインが変わった〈鳴風《晨風》みなも〉(※6)の配備は90年代より急ピッチで行われ、一線級の部隊は第四次世界大戦の開戦までには改編を終えている。しかし、配備はあくまで戦闘航空隊――制空戦闘機部隊にとどまり、戦闘爆撃航空隊への配備は比較的スローペースに留まっていた。一部は戦闘爆撃航空隊にも配備されたが、多くはそれに伴って運用の転換、制空を主とする方向へとシフトしていった。
 もちろん、それらの航空隊でも地上攻撃訓練は行われており、時には損傷の判定を受けた〈丘野《三六式電子哨戒機》真〉を援護するため、かなり親密な地上掃射を行って対空火器を制圧し、周囲を唖然とさせることもあった。
 また、90年夏に行われた大規模な空地共同演習、「祭」号演習では紺を基調とした夜間迷彩が施され(※6)、防空網制圧任務の一環として、電子妨害と対電探誘導弾による支援の元、意図的に射撃を誘発させる任務にも投入された。特に音や風に反応して舞い上がる曳光弾を回避する姿は、同行した機体のカメラに収められ、後に軍の広報部から広く公表された。
 運用上の問題はともかく、〈鳴風《晨風》みなも〉の配備は進み、90年代半ばには即応状態にない航空隊さえも同機を配備する(といっても、大半は祁燭稜枷によって代替された初期型の儀燭筬況燭世辰燭)ほどになって。欧州連合、太平洋条約機構ともに高級大型機を保有する国の大半がハイ・ローミックスによる「ダブルヒロイン」体制の配備を行ったのに対して、日本の戦備体制は少数派に属していることは間違いない。
 もちろん、完全な単一機種装備というわけではない。通称OD部隊と呼ばれた海洋打撃航空集団向けには四〇式戦闘機〈藤宮《剣》望〉や四三式戦闘攻撃機〈藤宮《青嵐》わかば〉が配備され、また前線部隊向けには〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉の末娘、〈丘野《陽光》ひなた〉が配備されている。が、〈鳴風《晨風》みなも〉以外の機体については補助的な役割にとどまっていた。
 海外配備については言うまでも無い。初登場以降、海外からのオファーが多かったものの、あくまで国内配備を優先したため、海外への輸出自体は(少なくとも第四次世界大戦までは)行われていない。

 日独の力の均衡による平和――あるいは冷戦という「夢」を見続ける力が限界に達した事で始まった第四次世界大戦では、名実ともに航空軍の主力として運用された。名実ともに航空軍にとってのパートナーとしての立場を明確にしつつあった〈鳴風《晨風》みなも〉にとってもまた衝撃だった。北米ではなく永田町で行われたいくつかの交戦の結果、ほとんど唯一の後援者だった大型戦闘機配備推進派が責任を取らされる形で軍から消えることになったのだ。大型戦闘機の重点配備は結果として国家全体のリソース配分をゆがめ、艦隊防空能力の相対的減少――その結果がメキシコ湾での惨劇というわけだった。
 この人事劇の結果、一度は相対的な立場が変わり、他の国と同様のハイ・ロー・ミックスへとシフトする方向へと検討されたが、もはやただの長距離迎撃機ではなくなった、侵攻戦闘機としての訓練を受けたみなもドライバーの嘆願(※8)や、すでに戦時であり、方針を転換すること自体が退歩と判断されたことから、ハイ・ロー・ミックスへの転換は中止され、〈鳴風《晨風》みなも〉は長期にわたり、日本空軍の主力としての立場を得ることになった。

 第四次世界大戦に発生した偶発核戦争最大の危機となった通称〈彩〉(ひかり)部隊事件にも〈鳴風《晨風》みなも〉は大きな役割を果たしている。
 当時、日本帝国の核報復戦力の一翼を担っていた〈月代《彩光》彩〉が突如核装備で出撃、在米空軍戦力がこの追跡・阻止にあたったこの事件では、捕捉できなかった最後の〈月代《彩光》彩〉を捕捉する際に〈鳴風《晨風》みなも〉に装備された〈クロマチック〉装置が発見の決め手となった(ただし、捕捉した〈鳴風《晨風》みなも〉はその後、追尾の支援に当たった〈丘野《三六式電子哨戒機》真〉をかばうかたちで撃墜されてしまっているが)。

 第四次世界大戦は双方が戦略的な決定打を失い、第三帝国首脳部がクーデターにより崩壊したことで終戦に至った。終戦による軍縮の影響は言うまでも無く〈鳴風《晨風》みなも〉にも無縁ではなかった。だが、ハイ・ロー・ミックスへの転換が失敗に終わっていること、また、その「ロー」にあたる〈丘野《陽光》ひなた〉のグレードアップにしても、米独の新型戦闘機に対抗しうる物ではないことから、次期戦闘機が決定する2010年代まで日本航空軍の実質的主力であることは確実である。
 実際、祁燭鮓況燭箸靴董機体における複合材料の使用比率を高め、また主翼を一体整形の複合材製に変更、また索敵機材も改良したタイプが日本航空機製造の手で試作、納品され、2001年の風音基地航空際で初のお目見えを果たしている。濃紺と部分的に白をあしらった特別塗装のため、「メイドタイプ」とも呼ばれている。この祁燭硫良型は(予算が通過した場合)既存の儀拭↓況燭鬟螢廛譟璽垢垢襪たちで採用されることが大筋で決定しているといわれている。
 また、さらに旧式化し、順次退役する二六式戦闘爆撃機〈月代《彩光》彩〉を代替する侵攻戦闘爆撃機としても、祁燭鮓況燭箸靴慎‖里寮澤廚進んでいるといわれており、〈鳴風《晨風》みなも〉と日本航空軍のつながりはますます深くなるとみられている。

■主要生産型

儀拭  仝況慎 フ37を搭載
況拭  ー舁彑源嵯拭▲譟璽澄爾覆匹魏修。フ37を搭載。
況寝  エンジンをフ37FU特に変更したアップデート型
祁拭  ゝ‖侶曽を改修した性能向上型
試製厳拭´祁燭魴變眠宗運動性能向上を狙った試作型
試製〈晨風改戦爆〉…祁燭鮓況燭箸靴真攻攻撃機、複座

■性能諸元(況)

全幅 14.70m
全長 22.10m
全高 6.32m
翼面積 62.0平方m
自重 18400
発動機 川崎 フ37 (推力12,500)2基
最大速度 M2,35(2500km/h―高空)
実用上昇限度 18800m
航続距離 3300km(高空、速度950km時)
武装
 固定武装 ホ-157 30亠ヾ慄ぃ洩隋(150発)
 爆装最大8000埖
乗員 1名

■註

(※1) 第三次世界大戦終結後の不況の影響から、複数の航空機メーカーが合併して1959年に成立。
 どちらかといえば空軍の技術実証機開発と民需航空機を得意としており、ワイドボディ旅客機の先駆けとなったYS-300シリーズは、PACTO領域の中距離航空路線を席巻した。ちなみに、空軍が1980年代に実用化にこぎつけた空中警戒管制機〈紫光院《紫雲》霞〉はYS-330をベースとしている。

(※2)この「試験」は実際には二六式〈月代《彩光》彩〉のアップデート計画だった。

(※3)〈鳴風《MX(N/T)-10》琴葉〉は、オージー翼と呼ばれる、S字に近い前縁ラインをもつ翼平面形を採用していた。

(※4)〈鳴風《晨風》みなも〉のヴァリエーションの一つ、四三式戦闘攻撃機〈藤宮《青嵐》わかば〉は簡易型ながらギャレーを装備し、軽食程度なら機上で摂ることができた。ただし、これは長距離飛行が日常茶飯事の海洋打撃航空集団向けの機体という点を差し引く必要がある。

(※5)F-22〈彩坂《ラプター》愛美〉などが採用した、推力変更板による推力変更装置ではなく、ノズル自体が可動する。なお、取り付け方向は垂直からそれぞれ左右15度傾けられており、横方向の推力変更が可能となっている。

(※6)初のお目見えとなった91年の日米合同演習「コープ・サンダー」への往路、誘導役の〈丘野《三六式電子哨戒機》真〉が目視で確認できず、合流に失敗しかけるという一幕もあった。
 ちなみに、〈丘野《三六式電子哨戒機》真〉はその「哨戒機」と分類されていたが、実際には三一式邀撃機の機体を流用し、電子戦装備を多数装備した電子戦機兼防空制圧任務用の機体である。その能力は「自らを対象にした電子的な『力』を完全に無効化できる」というメーカーの売り口上を裏切らないものだった。

(※7)この任務に投入された期待は、夜間の視認性を低下させるため、紺色をベースに直線的に塗り分けられたスプリッター迷彩が施された。この塗装は搭乗員から「浴衣塗装」と呼ばれている

(※8) このときの〈鳴風《晨風》みなも〉部隊の状況については嘆願書の一節にある、「もはや我々はた待つだけの戦力ではない」に強く現れている。