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〈名無し《ナハティガル》〉

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フォッケウルフTa254〈名無し《ナハティガル》〉 Focke Wulf Ta254 NACHTIGALL Strategisch Aufklarungflugzeug

Circus「水夏〜SUIKA〜」名無しの少女

概要


 ドイツの戦略偵察機。初飛行は1945年8月2日。半世紀以上に渡って偵察機の主力を担い、21世紀の現在も現役である。
 出現当時、戦闘機や高射砲の届かない高度を高速でフライパスし、通常では「目に見えない」偵察機として写真情報を持ち帰った。
 その出自ははっきりしなかったが、ワルトハイム総統の情報公開政策によって近年になって公開された資料によれば、原型は英国ウェストランド社の〈ウェルキン〉高高度戦闘機ということが判明した。ドイツ機というより英国機のような雰囲気を持つために囁かれていた「異国人ではないか」という噂が実証されたわけである。

 ウェストランド〈ウェルキン〉は英空軍の1940年7月の要求仕様F4/40に基づいて製作され、高度1万3千メートルで戦闘可能な戦闘機になる筈であった。ところが機体設計や与圧キャビンの開発は順調に進展したものの、心臓たる高高度用マーリン61エンジンが不調をきたしてしまっていた。さらに戦争が英国に不利に進展したことから、新型戦闘機の開発は北崎エンジニアリング・ヨークのジェット戦闘機〈AIR〉を除いて取りやめられることになり、心臓に病を抱えた少女はひっそりと息絶えたのである。
 その此岸にも彼岸にも、世界中のどこにも行き場の無くなった魂を拾い上げたのが、ドイツの誇る「飛行機の神様」クルト・タンク博士であった。一説にはウェストランド社の工場跡のゴミ捨て場で拾ったとも言われるが、彼が英国視察で〈ウェルキン〉に目を付けて持ち帰ったのは確かである。タンクは〈ウェルキン〉の高高度性能に注目したのだった。
 当時のタンクは、自身の提案したFw190の液冷エンジンへの換装強化案が空軍省に却下されて少々くさっていた(注1)。空軍としてはタンクに戦闘爆撃機Fw190Fシリーズの改良と、ジェット戦闘機Ta183〈フッケバイン〉(注2)の製作に邁進して欲しかったのである。それでもタンクは〈ウェルキン〉の改良に没頭してユモ213Eを2基搭載した高高度戦闘機Ta154として送り出し、タンク自らの操縦で高度1万3千において750キロの速度を叩き出してのけた。
 空軍省はTa154の高高度性能と速度に着目し、陳腐化していたユンカースJu86Pの後継機とすることを決めた。同時期に長距離偵察機として開発されていたアラドAr234は高高度性能に難があったのだ。かくして、夭逝した少女に戦略偵察という新たな仕事が与えられたのだった。 要求仕様はさらに引き上げられ、ドイツ滑空研究所(DFS)の試作偵察ロケット・グライダーDFS228に匹敵する上昇高度2万、速度800キロとされた。
 タンクは果敢にこの難題に挑戦し、機体の徹底した重量軽減とエンジンのジェットへの換装で応えた。重心位置の変更に応じて機首を延長し、コクピットを前進させ、主翼は原型よりもさらに細長いアスペクト比の大きい翼が採用された。必要強度の限界近くまで薄くされたジュラルミンの胴体は誤って落とした工具でへこむほどである。また降着装置も軽量化のために自転車式に胴体下に2組の車輪を装備し、主翼を支える補助車輪は離陸した時点で投棄される仕組みとされた。翼内はインテグラル・タンクとされて大容量の燃料タンクとなっている。
 エンジンはBMW003A−2を主翼のナセルに装着した。高度と速度を稼ぐために、ブースト用として燃焼室に水素含有率の高いコーン油を噴射する装置を取り付けてある。このため本機の周囲には焼きもろこしの匂いがすることになった(注3)。コーン油の原料には日本の北海道産生食用とうもろこしが最適とされたが敵国から輸入するわけにはいかず、次点のイタリア、ポー川流域産のとうもろこしが輸入されている。なお合衆国侵攻後はアイオワ、イリノイ両州産のとうもろこしが使用された。

 機体の再設計とエンジンの換装に伴い、形式番号をTa254と改め、名称も〈ナハティガル〉とされた。サヨナキドリ(ナイチンゲール)の意である。欧州においてサヨナキドリは死を告げる鳥とされている。本機の向かうところ、死が告知されるのだ。
 本機の初飛行をつとめたのは、赤い飛行服に身を固めたハンナ・ライチェだった。彼女の操縦で偏西風を使って1万8千まで上昇し、時速800キロ以上を出した。要求に僅かに届かないが空軍は満足している。
 そこにヒトラーがくちばしをはさんだ。「天才的ひらめき」により、成層圏からの爆撃を企てたのである。けれどもタンクが、カメラで撮影したフィルムを運ぶだけで精一杯で、爆撃などという死神の鎌を振るうようなことはできない、と答えるとヒトラーは納得して引き下がった。もっとも、ヒトラーは自身のアイデアを実現させるべく空軍省に命じ、それは成層圏をマッハ3で疾駆するメッサーシュミットMe770〈ワルキューレ〉爆撃機に結実することになる(注4)。
 制式化されたTa254は改良を加えつつ生産に移され、総計で100機余りが作られた。その活動範囲は広く、ロシア奥地や中東、地中海、北米、カリブ海と、ドイツ軍の赴くところ、その先駆けとして本機の姿が見られている。その姿を見た者は「死」に近いことを知り、恐れおののき、本機を忌み嫌った。
 60年代後半には単発機へと全面改修された。エンジンを推力7700キロのBMW075−B13とし、全長全幅ともに延長されて、上昇限度は2万7000にまで上がっている。航続距離も6500キロに及んだ。
 領空侵犯をしての撮影任務自体は人工衛星が主体となったが、より詳細な情報は航空機によらねばならない。ドイツではマッハ3オーバーを出す戦略偵察機Fw171〈シュヴァルツフォーゲル〉を開発したが、調達価格や運用費の高騰もあって日独冷戦の終結で全機が退役した。本機に代われる航空機は無く、今後もドイツはTa254を用いていくと見られている。

 戦略情報を収集する任務もあって、本機には国籍標識など一切描かれず、機体を黒く塗りつぶしている。そして存在がそこにあっても見えないし、存在しないものとされている。それは徹底したもので、ドイツは近年になるまで本機の名称どころか存在すらも明らかにしなかった。日本でTa254を「名無しの偵察機」と呼ぶのは、これに起因する。
 そして心優しい少女は、戦略情報を総司令部に確実に届けるため、今も空を飛び回っているのだ。

注1:Fw190のエンジン換装には空軍省も乗り気だったのだが、メッサーシュミット社の政治工作で却下という決定が下された。これに「使用人の息子(補助戦闘機の意)だからというのか!」とタンクは憤慨したといわれる。
注2:第3次世界大戦におけるドイツ空軍の主力防空戦闘機となった。Ta183Aは直線翼のジェット戦闘機として完成し、B型以降で40度の後退翼を持って時速1000キロ近い速度を誇った。生産機数は1万5千機を越え、ジェット戦闘機としては最大の数になった。
注3:日本の三菱〈神尾《百式司偵改》晴子〉では、ジェット・エンジンのブーストとしてアルコールを用い、専用タンクは「一升瓶」と呼ばれた。なおコクピット内にアルコールが漏れてしまってパイロットがへべれけになった事故が発生している。
注4:推力15トンのユモ093ターボジェット6基を搭載し、英本土と日本本土を反応弾で焼き払うために配備された。超音速飛行時にはデルタ翼の両端が下向きに倒れる「リピッシュの耳」が特徴である。しかしHe666〈ヤーパンボムバー〉に比較して高価に付くことと、迎撃ミサイルの高性能化により、80年代には全機が退役した。数機がヨーロッパ宇宙局(ESA)に譲られて宇宙往還機〈ゼンガー〉の実験に従事している。

要目(A型)

  • 全   長 15.1m
  • 全   幅 24.38m
  • 全   高  4.6m
  • 重   量 5,350kg
  • 全備重量 17,833kg
  • エンジン  BMW003A−2(推力1,050kgf)2基
  • 最大速度 850km/h(高空)
  • 上昇限度 18,100m
  • 航続距離 4,830km
  • 滞空時間 6.5時間(機内燃料のみ)
  • 乗   員 1名


赤く染め上げた空


「行くな!お嬢っ!」
 クルトの声は轟音にかき消された。Ta254は目標「クランケンハオス(病院)」、つまりキューバ島にとりついた枢軸軍の根拠地グアンタナモへと飛び立った。
「くっ」
 きびすを返して、自機の格納庫へと向かった。馴染みの整備長に準備を頼み、自室へと戻る。飛行服を着込んで格納庫に戻ったときには、すでにTa152Hの点検は済まされ、暖気も十分にされて滑走路に引き出されていた。
「ありがとう」
 機体左側の乗降ステップに足をかけて操縦室に身体を入れた。整備員によってベルトを付けられている間に計器の点検をおこなう。全て正常。燃料も増槽を含めて満タンである。
 クルトは整備員らに離れるよう、手を振った。整備員達が機体を離れていく。直属の飛行隊司令ばかりでなく、タンパ市内での交通事故で亡くなった基地司令の代理を努める副司令も来ていた。同時にうなずき合った。
 計器盤中段の下にある操作レバーを回して、機首のカウル・フラップを全開状態へとする。チョークが外された。滑走路上で旗が振られる。障害はない。スロットル・レバーを前へと押し込む。ユモ213E液冷倒立V方12気筒エンジンが咆吼を上げてプロペラを凄まじい勢いで回転させ、機体はするすると前進した。プロペラのピッチを大きくしフラップを開いて、さらにスロットル・レバーを前へ押していく。Ta152Hは猛然と加速して、比較的短い滑走距離で機体が浮かび上がった。車輪が地面から離れた。
 クルトは降着装置を収納させ、フラップを定位置に戻した。機首を急角度にして高度を無理矢理上げ、スロットルを全開のまま南へと向かう。
 1949年現在のジェット機では未だできない、全くの緊急発進だった。そうしなければならない理由があった。
「チナツ、チナツ、ヒロシ。お嬢がそちらに向かった」
 ナルート周辺に潜む諜者からの発信が複数確認されたのだ。これまでにない兆候である。何かあると見て良い。
 つまり、お嬢の乗るTa254の前途に、枢軸軍の迎撃網が待ちかまえている。そして今、フロリダとキューバにおいて成層圏で戦えるのは、クルトのTa152Hだけなのだ。

 クルトの乗るTa152Hは、数奇な経緯によって制式化された戦闘機だった。傑作機Fw190の強化型としての液冷エンジン換装型Fw190Dは、メッサーシュミット社の政治力によって葬り去られている。空軍はジェット機への移行を急ぎ(戦争の終結によってスローダウンしたが)、Fw190は戦闘爆撃機のF型が優先されることになった。F型は第3次世界大戦においても、Ar234と並んで対地攻撃の主力として活躍している。
 一度却下されたD型を再設計したTa152に出番は無いはずであった。しかし、Ta154の成功と続くTa254の実用化が成層圏の重要性を空軍省に再認識させ、さらに合衆国の排気タービンを搭載した戦闘機の存在、日本で生産されるだろう高高度用マーリン・エンジン搭載爆撃機の脅威を考慮すれば、これまで以上の高度で戦う機体が必要になった。しかし、それにはこれまでの主力機Bf109では機体ポテンシャルの発展限界から対応は難しく、そこでTa152が脚光を浴びたわけである。既存のFw190と相当数の部品を共用化できることも採用の一因だった。かくてTa152は採用され、ジェット戦闘機Me262の数が揃うまでの短い間、ルフトヴァッフェの主力戦闘機として空を駆けたのである。
 そして1949年には、ルフトヴァッフェの主力戦闘機は駆逐機上がりの双発機Me262から、単発のMe298とTa183に切り替わりつつあった。それらは北米戦線へ重点的に配備されており、カリブ海へはまだ少数だけだった。しかしキューバの重要性が認識されたため、機種更新が進められつつある。それはプレーリーの戦線に充当すべき戦力の南方進出の端緒であり、以後も北米からの戦力抽出が相次いで、翌年の「オーバーロード」作戦による戦線崩壊の主要な一因となったのである。
 Ta152の生産の大半はDB605LAを備えたC型だったが、対成層圏爆撃機用としてH型が少数生産された。H型は、三速二段過給器を備えたユモ213Eを心臓に持ち、全幅14メートルになるアスペクト比の大きい、ひょろ長い翼を与えられている。これによりTa152Hは高度1万で750キロ以上の快速を発揮することができ、増糟無しで1500キロの航続距離はTa254の長距離護衛すらも可能とした。
 いうなれば過去に死にかけたTa152Hは、「名無しの偵察機」から命の半分を分け与えられた存在なのである。

 フロリダ海峡を飛び越えると、空域管制がナルートから、シエゴ・デ・アビラにあるバーンホーフへと切り替わった。コール・サイン〈アルキメデス〉で応答した。
 お嬢は大西洋からグアンタナモ上空に進入する航路を取っている。クルトと〈アルキメデス〉はキューバ島右岸に沿って南下した。直線経路を取った甲斐があり、オルギン上空でようやく併走することが出来た。
 先行するTa254の黒い姿が、前方の遙か高空に見える。高度1万でも1320hpを発揮するユモ・エンジンは快調な音を立てていたが、時速650キロで巡航する〈アルキメデス〉では追いすがるのがやっとだった。
 すでに枢軸軍の警戒レーダー網に探知されているはずである。機載レーダーFuG218〈ネプツーン〉の陰極管には、高度7千付近で警戒にあたっている枢軸軍機の反応がある。視認もできた。1個中隊ほどの機数がいた。こちらと同航している。彼らに急上昇を仕掛けてくる兆候はない。
 杞憂で済めばよいのだが。そう、クルトが考えたとき、お嬢の機体が揺らいだ。二本あるはずの排気煙が一本になっている。片方のエンジンがフレーム・アウトを起こしてしまったのだ。キャニュラー式燃焼器のユモ系ジェット・エンジンと違い、アニュラー式燃焼器のBMWエンジンは高高度での吹き消しは発生しないはずだが、とんでもないところで起きてしまったのである。
 「半分の命」となった、お嬢の機体は高度と速度を下げつつあった。そして、それを見済ましたかのように、先程の飛行中隊が十数条の白煙を吹き上げて一気に上昇していった。彼らはお嬢を包み込むように機動していた。
 クルトはゴーグルを掛けた。Revi16B射撃照準器のスイッチを入れる。照準レチクルが反射ガラスに浮かび上がった。機関砲弾は装填済みで、試射は済ませてある。
 そして、お嬢を守るため、彼らの前に壁となって立ちふさがるべく、愛機に鞭を入れて急上昇した。

                            ◆

 チナツ一番のコール・サインを持つ、日本統合航空軍の七条(ななじょう)大尉は少しばかり不機嫌だった。彼の操る機体は、統合航空軍がMe298に対抗するために新型の重戦闘機、立川七式戦闘機〈《旭光》委員長〉、それの「カコ」と呼ばれる改造5型である。
 今年の7月7日から急な開発と改造が行われた機体に不満があるのではない。オリジナルは遷音速域で逆効きを起こすなど操縦性の癖が強く(コツを掴めば扱いやすかったらしい)、改善されたとはいえ「カコ」もまた扱いやすい機体とは言い難かった。しかし、原型より延長された主翼は大気をよくつかみ、与圧キャビンの空調は快適で、7千の高度では酸素マスクと電熱服の必要が無いほどであった。
 任務にも不満は無い。なにか大きな作戦が動き出すらしく、グアンタナモ湾には続々と艦船が集結しつつあった(翌年にアイスランド占領作戦が実行された)。ために警戒が厳重となって、七条らに侵入してくるドイツ高高度偵察機の撃墜が命じられた。彼の「チナツ」は「名無しの偵察機」対策の為に産み出された、もう一人の死神なのである。
 山と海に挟まれた小さな村、常盤村の素封家稲葉家の当主が妾に産ませた七条は、無茶な程に冒険好きで、東京の大学在学中に、家宝の壺を売った金で内戦真っ最中の大陸に出かけて銃火をくぐったり、または賭け麻雀で東京湾に沈められかけたりしている。何事もケセラセラと笑い飛ばせ、そういうときにこそ生きている実感がある、というのが彼の言い分だった。さらには熱狂的な大阪タイガースのファンでもある。ラジオ中継にはかじりつき、対東京ジャイアンツ戦ではタイガースが勝っても負けても食堂で大騒ぎを演じている。ちなみに勝った時は同僚に大判振る舞い、負けたときは下戸なのに酒をあおって潰れる、というのがおおむねのパターンである。
 統合航空軍に志願してパイロットとなったのは、面白そうだからというのが最大の動機だった。幸いにも適性があり、見る間に練達の戦闘機乗りへと成長している。であれば、軍でも経験者の少ない成層圏での迎撃作戦は願ってもないことなのだ。
 ならば七条中尉の不満の原因はというと、迎撃の配置である。彼と僚機のチナツ二番は敵機の前方を抑えることを期待されており、実際に銃撃をする機会などあろう筈もなかったのだ。攻撃を担当するのは、空中指揮をとっている白石飛曹長と、隊長の伊吹少佐か、さもなければ目標の左右を押さえる者達だった。ズームアップしながら加速し、同等以上の速度で追いすがって後方から一撃する戦法である。戦技研究の末にTa254に対するには、それより他に無いと分かっていた。 とはいえ、突撃命令が発せられるや、不愉快な気分などどこかに消し飛んだ。折良く、目標は片肺になったらしく高度を急速に下げていた。
 七条中尉は機首を上げて加速させつつ、さらに増速ロケットのスイッチを入れた。機体後部に取り付けられた三本のロケットが長大な炎を吐き出し、猛烈な加速を七条機に与え始めた。

 強い重力加速度に耐えながら、ロケットをそんな風に使うものではない、とドイツ人は言うかもしれないなと七条中尉は考えた。ドイツの宣伝するヴェルナー・フォン・ブラウン博士の成果に憧れを抱いていたからだ。成層圏のさらに上に広がる群青の空を見て、故郷の常盤村で野宿しながら、天から降ってきそうなほどの星を見上げたときのことを思い浮かべた。
 星の世界に手が届こうという時代である。しかし彼には届かない。生き延びることができて、短期現役動員を解除された後は、闘病中の父の跡目を継ぐという未来しか、七条には無いのだ。
 想いを振り切り、前を見据える。目標を追い越して前方へと展開する。ブースターの役目を終えたロケットを切り離した。チナツ二番もきっちりと付いてきている。
 戦闘高度は1万5千、重戦〈《旭光》委員長〉でも行動限界に近い高度である。目標もそこまで高度を下ろしていた。あとは目標に追随している白石飛曹長と伊吹少佐が銃撃して終わりだ。ちょっとつまらないな、七条はそう思った。
 しかし、無線に悲鳴や罵声が飛び込んできた。後方を見やると、味方機が後落して高度を落としてしまっている。
 目標の後方にひょろ長い翼を持った、黒い影が見えた。左右の排気管から炎を吐きつつ突進してくる、レシプロ戦闘機だった。

                            ◆

 燃料を使い切った増槽を切り離した。それだけで、ぐんと加速が伸びるのが分かった。クルトはパワー・ブースト用のMWガスの噴射スイッチを入れた。
 12本の排気管から長大な火炎が吹き出す。スロットル全開のところに亜酸化窒素を吹き込まれてユモ213Eは猛り狂った。風を切り裂いて〈アルキメデス〉は突進する。その加速力はジェットに全く劣らない。
 照準の向こうで、敵機の姿が見る間に大きくなった。後下方からの奇襲。お嬢のTa254から後方に引き離されていて、敵の注意を引かなかったのが功を奏したのである。
 射点に付こうとしていた編隊長機(白石飛曹長機)に銃撃を見舞った。横滑りで逃れようとした敵機は動きが大きすぎて滑るように脱落していった。火は噴いていない。姿勢を立て直したときには相当に高度を落としているはずだ。敵機に再攻撃の機会は無い。撃墜が目的ではなく、射点に付かせないこと、お嬢が無事に敵管制空域を抜け出すことが大事なのである。
 次は脱落した編隊長機に替わって射点につこうとしていた機を狙った。しかし僚機の脱落に驚いたのか、機動が大きく、動揺して勝手に落ちていった。成層圏での戦闘に慣れていないらしい。ここでは急な機動は厳禁なのだ。
「済まないが、ここを通す訳にはいかないんだ」
 クルトは笑みを浮かべつつ、お嬢の左右に展開する敵機を追い払った。撃墜6機の記録しかないクルトだが操縦の巧さは空軍でも最優秀クラスである。でなければTa254の長い主翼を滑走路面にぶつけずに着陸させられることなどできはしない。戦闘的ではない性格のために、少ない撃墜機数に甘んじているだけなのだ。
 しかし、今のクルトは十分以上に戦闘的な気分になっていた。お嬢を守る為ならば、彼女が幸せになるならば、幸せな時間を過ごせただけ自分の命を彼女に返す積もりである。
 お嬢にまとわりついていた敵機の大半を脱落させた。けれども、進路前方を抑えていた敵機二機が、運動エネルギーをへらさないように大きく旋回するのが見えた。成層圏での戦い方を心得た操縦士らしい。
 さらに加速して、お嬢の前に出た。敵機も旋回を終えて、正面から相対する態勢となった。空は蒼黒くなりつつあるが、まだ幾分赤みを残している。
 彼我の相対速度は音速を越えていた。

 慣れている。
 七条中尉は敵レシプロ戦闘機の巧みな機動を見て、そう感じた。勝てるか?敵に対して嫉妬すら覚えた。こちらは燃料事情が苦しく、高高度訓練はわずか数回だけ。いや、あいつを落とさねばならない。そして目標も撃破するのだ。
 七条のこれまでの生涯で、最も渇望するものができた。あの命が欲しい。巡ってきた攻撃の機会に血が猛った。
 チナツ二番と無線で軽く相談して、速度を殺さないように大きく旋回した。旋回を終えた後は七条が護衛のレシプロ機を攻撃し、二番が目標の偵察機を落とすことになる。
 高度1万5千の大気は極めて薄い。さしものネ210〈ニーン〉エンジンもあえぎ、加速がしづらい。それでも大柄なサイズに比して軽い機体の恩恵もあって、旋回を終えて1千キロに近い速度で突進する。

 照準レチクルの中の姿が瞬く間にはみ出そうになる。クルトは操縦桿の発射ボタンを押し込んだ。軸内砲の30ミリ弾と主翼付け根から20ミリ弾が打ち出された。機体下部から空薬莢が滝のように流れ落ちる。全開射撃の反動がクルトと機体を振るわせた。

 敵レシプロ機が目標の前に出ていた。その優雅さすら感じさせる華奢な姿は、七条には黒い壁を押しつけてくるように映った。
 見る間に迫る。照準レチクルの中の黒い姿に向かって、七条中尉は操縦桿の発射ボタンを押し込んだ。機体側面の20ミリ機関砲から高速の徹甲炸裂弾が放たれた。

 一瞬の撃ち合い。すれ違った。

 七条中尉は敵機のプロペラが吹き飛び、エンジンが破砕されてオイルが吹き出したのを見た。同時に外板が切り裂かれ、エアスクープに飛び込んだ銃弾が圧縮機を破壊してエンジンを一気に停止させた。
 チナツは、役目を終えて満足したように赤く染まった空を落ちていった。

 クルトは敵機のあちこちの外板が吹き飛ぶのを見た。同時に衝撃が来た。キャノピーが粉々に割れて飛び散った。
 お嬢が何か叫んだようだった。聞こえるはずもないのに。しかしクルトの耳には、はっきりと聞こえた。
「どうして出てきたのっ、クルト!いやだっ、私を一人にしないでっ!」
 泣かないで欲しい。つらいだろうけれど、自分のことを忘れないでくれれば、それでいい。自分を犠牲にして他人を助けるのも、他人が自分を犠牲にして助かるのも、どちらも正しいんだ。人間なのだから。
 がんばれ。さよなら。ありがとう。
 声は届かない。お嬢のTa254がクルトの上を追い越していった。敵二番機の攻撃は失敗したのだ。夕暮れの中を、お嬢は家に帰るだろう。
 〈アルキメデス〉は、守るべき人に命を分け与えて抜け殻となったかのように、赤く染まった空を落ちていった。

                            ◆

 錐揉みに入ろうとしていた機体を立て直し、七条中尉は滑空態勢をとった。エンジンは残骸と化してしまい、推力を全く発生させていない。雲の下はすでに夕焼けになっている。シエラ・マエストラの山並の端に夕日が当たり、白く照り輝いていた。
 その夕暮れの空に二つの黒い影が現れ、接近してきた。Fw190。七条の顔は強ばった。友軍とドイツ軍の勢力圏が伯仲する辺りにまで来てしまったのだ。並んで飛ぶような格好になった。
 ドイツ基地へ強制着陸させられるなら自爆しようと七条中尉が決意した時、右のFw190のパイロットが手を振った。さらに盛んに進路の左側を指さしている。そちらを見ると、まだ点でしかないが確かに友軍の基地があった。夕日に滑走路が光っている。確かボンバイエという名の基地の筈だ。
 ドイツ機のパイロットらは、バイバイという風に手を振ると、機首を翻して去った。ドイツ人が去った後になってチナツ二番がやってきて誘導をおこなった。七条中尉は泣き出した。何故涙が出てくるのか分からない。
 機体が基地手前の陸稲の田に突っ込んで停止して、七条中尉は、う〜んと大きく伸びをした。
「さて、還るかあ」

 紫煙がゆらゆらと、魂のように空へと昇っていった。空はバカみたいに快晴、今日も暑くなるだろう。陽光は恐ろしく強い。まともに目を開けていると、目が潰れそうなほどである。
 ロメオ・イ・ユリエタをくゆらせて、クルトは〈アルキメデス〉の操縦席から、呆けたように空を見上げていた。なにか夢でも見ていたようだった。
 エンジンに被弾し、キャノピーが破壊されて与圧が破れた後、機体は急降下し始めた。一瞬、気を失っていたらしく、気が付いたときには、高度は6千を割ろうかとしていた。それからは長大な翼でもってグライダーのように滑空し、サトウキビ畑に胴体着陸を試みた。しかし着陸したものの、なかなか停止せず、集落に突っ込んでしまって、村の中心にある礼拝堂の前でようやく止まったのだった。主翼は途中の民家に引っかかって壊れてしまった。そして怪我がないことを確かめると、そのまま一眠りしたのである。
 さて、ここはどこだろう。スペイン語が分からないので、ここがドイツ軍支配地域なのか、はたまた枢軸軍支配域なのか、まるで見当がつかない。村に誰かいれば聞くこともできるが、村人達は戦火を恐れて逃げ出していた。
 村の入り口と思しき辺りに土煙が立った。友軍のキューベル・ワーゲンだった。
「ハウザー大尉でありますか?自分はヤーンケ少尉であります。こちらの…」
 うん、とうなずいて機体から下りたクルトの胸に、赤い飛行服を着込んだ小柄な女性が、勢い良く飛び込んできた。銀色に輝く髪が揺れる。リリン、と鈴の音がした。
「忘れ物を取りに来たよっ!」