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〈氷室《リシュリュー》微〉

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〈氷室《リシュリュー》微〉 Batiment de Ligne ”Richelieu”

カクテルソフト/「univ〜恋・はじまるよっ〜」「univ〜愛・おまたせっ〜」氷室 微

バーティマン・ド・リーニュ


 隆山条約の結果をふまえて1922年に制定された長期計画による戦列艦の第二陣(フランスでは戦艦ではなく、Batiment de Ligne=戦列艦に区分されている)。なお、艦のエンブレムはスミレをモチーフにしている。
 設計主任はベテラン造船官であるレジーゼ・ペィエルド。第一次大戦後にドイツから研修に来ていた設計者達と共同して商船を設計したこともある彼だが、今回はその「同門の出」であるアムリタ設計局設計の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級を期せずして追うような形で地道に設計作業が進められていた。
 そうこうしている内に1935年に締結された英独海軍協定はフランスに大衝撃を食らわせた。英国は頼りにならないこと、そしてさらに強大な戦艦が必要だということ。そして例の砲の開発が進んでいることも。それを完成後に搭載できるように設計し、独伊新戦艦をフランス単独で排する艦、ヒロインにはヒロイン。公式には35000トン型と公表されたが実質4万トンを超える巨艦として設計された。見た目は〈三好《ダンケルク》育〉級の拡大型と言ってしまえばそれまでだが、フランス独自の技術を駆使してなしうる限りの戦闘力向上を目指している。
 本級の最大の特徴である38センチ4連装砲塔は重さが実に2475トンもあり、「4連装砲塔による防御区画短縮」と「4連装砲塔による砲塔の巨大化」を天秤にかけたギリギリの大きさで、被弾時の損傷を想定して連装砲塔を左右に合体させた構造、当然揚弾機構も左右別々。巧妙な装填機構により分/2発の発射速度を実現し、さらには装薬を通常より多く装填する「スーパーチャージ」を使うことで初速を高めて接近戦での威力増大を図っている。
 この砲(モデル1935)のバーペットは後々での46センチ3連装砲塔(モデル1939)との交換を想定してやや大きく設計されており、ヴィシー側に残った2番艦以降は後に換装されている。
 防御は舷側に320ミリ(傾斜15度)、水平防御として機関部と弾火薬庫の上部にそれぞれ150ミリと170ミリの装甲を張り、更に内側に薄めの装甲(それぞれ50ミリ/舷側は傾斜35度)を配置し、これにより分厚い一枚目の装甲を射抜いた弾片や衝撃で飛び散った自分自身の装甲を防御する方式をとった。これに重装甲の主砲塔、重油等の液体による液層防御とエボナイトによる浮力維持構造を含めた6層にも及ぶ水雷防御構造を含めるとその防御力は極めて優秀であり、実戦でもその優秀性をいかんなく発揮している。 艦橋は三層に重なった射撃装置を持つ背の高いもので、その後方に45度傾けた煙突と後部マストを一体化した特異なマック構造の後部艦橋、中部両舷に一基づつ、後部に正三角形に配置された副砲である15.5センチ3連装砲。艦尾の一段下がった位置に装備されたカタパルト。これらの装備を詰め込んだ巨艦を31ノット(公試では32ノット)の高速で走らせるために15万馬力の機関で直径8メートル(2番艦以降は7メートル)もある巨大なスクリューを回す。
 これら斬新なアイデアが盛りだくさんだが実用性はどうなのか?という疑問が常につきまとうのはフランス兵器の宿命であり、他国にはなかなか使いこなせるものではなかった。たとえば当時の同盟国である日本は建造中の〈長谷部《高千穂》彩〉の主砲に同方式の装填装置を採用したが、故障続出で戦闘では惨憺たる結果に終わっている。
 2隻づづが35年と37年計画で建造されたがドイツ侵攻によるフランス降伏、そしてその後に現れた二つのフランスによって降伏前に唯一就役していた〈氷室《リシュリュー》微〉は自由フランス側につき、未成だった3隻がヴィシー側として竣工している。


ノルウェー


 英独海軍協定に合わせたように35年8月に起工された〈氷室《リシュリュー》微〉はWW2開戦とともに建造を(フランスとしては)急いでどうにか40年1月9日に竣工。艦長は潜水艦出身のブロウ大佐。副長はサカーズ少佐で艦内の雰囲気は家庭的、かつコックの料理の腕前も素晴らしかった。
 大西洋艦隊旗艦となって最初の出撃はノルウェー。鉄鉱石と基地欲しさに上陸して進撃する独軍の目的地はナルヴィク。それを守るべきドイツ海軍は期待の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級はまだ建造中。主力の〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉級の主砲は28センチ。対してこちらは38センチ。その主砲サイズは歴然としている。日本からも助っ人として〈保科《天城》智子〉級の第3戦隊が来ているが東洋人ごときに何が出来る。 〈氷室《リシュリュー》微〉に将旗を掲げるド・ラボルト中将は軽巡洋艦〈エミール・ベルタン〉と駆逐艦11隻に揚陸部隊を護衛させ、自らは〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉〈佐々井《グロアール》夕奈〉を伴ってナムソスとナルヴィクに向かいう。そしてこれという妨害を受けず上陸、そしてドイツ上陸部隊を英軍とともに破砕すべく進撃していった。独軍はこれに耐えられず撤退を続ける。このまま行けばドイツ軍敗北もありえただろう。
 だがもたもたしている間に思わぬところから横槍が入った。フランス本国がドイツの電撃戦の前に敗北、西部戦線が崩壊した。ノルウェーなんかほっといて早く戻れ。もう少しのところまでドイツ軍を追い詰めながらフランス軍は撤収するほかない。上陸部隊を輸送船に収めると仏艦隊は帰還への途についた。傘になってかかってくるドイツ軍のことを考えて〈氷室《リシュリュー》微〉は最後尾につく。
 6月8日、ドイツ艦隊が英輸送船団を攻撃しているという至急伝が入り大西洋艦隊は護衛部隊を分離、29ノットで進撃した。このまま行けば〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉と〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉との砲撃戦に入れるだろう。〈保科《天城》智子〉〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉も助っ人として少し離れたところを進んでいる。合わせたら5対2と圧倒的な差だ。
 と、その時上空からドイツ機がふらふらと飛んできて〈氷室《リシュリュー》微〉に爆弾を投下した。見た目からしてベルリン博物館展示物のようなFi167ではあったがその低空性能は垂直降下が出来る程であり、狙ったように〈氷室《リシュリュー》微〉の2番砲塔に爆弾を「タッチ」させることに成功した。当然この程度で戦艦が沈む訳はないが。
「・・・かなり大きかったな」
そのFi167パイロットは後にそう話している。
 損害はともかく、慌てたのはフランス側である。水上機母艦(実は特設空母)〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉からの機体か?それにしてはフロートがない。ということはドイツ空軍がノルウェーまで進出、そして偵察機を運用していることになる。戦艦は航空機で沈められっこないが輸送船が叩かれるのはまずい、偵察機に発見されたと推定した大西洋艦隊は撤退を決定。次にやってくるDo17やJu87に気をつけつつ帰還への途についた。そして出迎えてきた〈斉藤《ノルマンディー》倫子〉の部隊と合流、ブレスト港に入港している。
 ノルウェー作戦は「ドイツの敵は英国であり、フランスではない」という謀略の勝利だった。ドイツは先天的ライバルである英仏両国を離間させようと常日頃努力し、その一部は今回実を結び、そして員数外の「アルバイト」〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉とその航空隊はただ1機でフランス戦艦を追い払うという大戦果を挙げ、その存在を高めている。


自由フランス軍


 1940年6月18日、〈氷室《リシュリュー》微〉は巡洋潜水艦〈シュルクーフ〉や駆逐艦、それに兵士や避難民を詰め込んだ輸送船を伴ってブレストを脱出、プリマスに到着した。本国政府はその3日後にドイツに降伏。後継として第一次大戦の英雄ペタン元帥を代表に担ぎ出し、中部フランスの田舎町ヴィシーに親独政権が樹立された(後に政府はボルドーに移転したが、そのまま第三次大戦終結までヴィシー・フランスと通称された)。
 しかし一方では戦車師団長であるド・ゴール将軍のように反独を掲げるものもあり、海軍の方もヴィシー政権での海相となったフランソワ・ダルラン提督につくか、それともダルランと衝突して予備役に追いこまれていたエミール・ミュズリエ提督が6月24日に設立した自由フランス海軍(FFNF)につくか兵士達は微妙な立場に立たされていた。それを眺める英国としては自国の港にいるフランス艦艇が妙な行動を起こす前に手を打たなければならない。
 まずはするべきことはポーツマスに移動していた〈氷室《リシュリュー》微〉と〈斉藤《ノルマンディー》倫子〉他をどうするか。この2隻がヴィシー側に付かれると大変なことになる。ドイツや傀儡政権(ヴィシー政権)の約束など信用しない英国は所要の措置を講じた。
 7月2日未明、停泊する〈氷室《リシュリュー》微〉〈斉藤《ノルマンディー》倫子〉を英海兵隊が説得。両艦艦長以下の乗員は自由フランス海軍への編入を条件として両艦を平和裏に引き渡すことで承認をとった。しかし1隻だけ例外がいた、〈シュルクーフ〉。艦長が離れた隙に英仏双方の水兵がピストルの撃ち合いを始め双方に死傷者を出してしまったのだ。理由は何か不明だがこの惨状に怒った同艦のシェルフィーク艦長と乗員達は乗りこんで来た英兵を艦から追い出してポーツマスを出港。追跡を振り切って大陸側に逃亡してしまった。彼らはブレスト到着後に独仏側に大歓迎を受けた後、勇躍Uボートとともに大西洋に乗りだすことになる、そして41年4月に日本空母〈梓丸〉と稀有な砲撃戦を展開する運命が待っていた。
 これを〈氷室《リシュリュー》微〉艦長ブロウ大佐は複雑な、そして痛恨の想いで見ていた。彼はかつて〈シュルクーフ〉艦長だった。その艦が小さな争いから離れていく。袂を分かつとも無事であれ、そう口には出さず願った。
 他の艦船はそのまま自由フランス海軍に編入。足らない乗員は古い艦から回してもらったり英海軍からの派遣員で埋め合わせ、ロレーヌ十字旗の元〈氷室《リシュリュー》微〉は自由フランス艦隊旗艦、つまり「ヒロイン」として幾多のイベントをこなしていくこととなる。
 最初の任務は船団護衛任務。英戦艦は新鋭の〈キング・ジョージ5世〉級を除いては軒並み10ノットで5000海里程度。楽に10000海里(しかも15ノットで)走れる〈氷室《リシュリュー》微〉は意外にもこういう任務に適していた。それにどのドイツ通商破壊艦に対しても性能的に優位に立てる。というか日本遣英艦隊が戦艦ばっかりな上に船団護衛をなかなかやりたがらないので肩代わりをするしかなかった。輸入の4分の3を海路に頼り海外にも多数の植民地を持つフランスはこのあたりについては理解しており、スムーズに進んだ。


ローレライの後部隊


 そんな折、〈氷室《リシュリュー》微〉は北大西洋ではぐれた水上機を収容した。母艦が沈んで「捨て猫」のような状態になったらしい。
 この「捨て猫」みたいな機体はF4F−3S。フランスが空母用にF4Fを発注した時に水上機母艦用の水上戦闘機も一緒にグラマン社に発注。グラマン社では降着装置をフロートに取り替え、水平尾翼にフィンを取り付けて対応したが、仏降伏を理由として3機だけ引き渡されて後は中止されている。真の理由は最高速度他の性能が素晴らしいこと(512km→388km)になってしまったためらしいが。
 さてこの機体、〈斉藤《ノルマンディー》倫子〉艦長はいたく(というか暴走気味に)気に入っていたが彼女には航空儀装がない。結局しばらく基地で預かって貰った後日本の給兵艦〈牧村〉が「里親」になって日本に連れて帰っている。
 そして41年5月、ドイツは「ライン演習」の名の元、新鋭戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と重巡〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉を出撃させた。これに対し英側も迎撃に向かい〈ロドネー〉が轟沈、〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉が張り倒された(アイスランド沖海戦)。
 プライドをいたく傷つけられた英国側は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉攻略のためある限りの兵力を抽出することになる。そのことはSL74船団を護衛する〈氷室《リシュリュー》微〉〈アンソン〉〈ドーゼットシャー〉にも伝えられる。船団はコルベットや護衛駆逐艦に任せてドイツ戦艦を追え。
 ここで護衛の最強艦である〈氷室《リシュリュー》微〉が分離することは、この時点で所在不明の〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉がやって来た時に船団が好き放題沈められることになる。誰かは残らなければならない。
「残りましょう」
 ブロウ艦長の一言で〈氷室《リシュリュー》微〉が残ることになった。英国の顔を立てた・・・それとも〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉達が来ることを予期したのかそれは判らない。結局両艦は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の「ヘルプ」に回り〈アンソン〉と〈ドーゼットシャー〉は沈むことになり、〈氷室《リシュリュー》微〉は船団を損害無しで届けている。
 この場面に〈氷室《リシュリュー》微〉がいればどうなっていたか。それは仮想戦記作家が考えることだ。ただ今まで言われていた「所詮フランス艦」という評価はデータが揃ってきた今日、「〈氷室《リシュリュー》微〉がほとんどの距離で〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を上回る」という評価に覆っていることを追加しておこう。


奪回戦


 話を少し戻して、自由フランス軍は足場固めも兼ねてヴィシー側植民地攻略に乗り出した。40年9月のダカール攻略作戦には失敗したものの11月にはガボン、明けて41年春にはイタリアに占領されたソマリアを英軍とともに奪回していた。
 さらには自由フランスは太平洋にも手を伸ばした。最大の目標はフランス領インドシナ(仏印)、本国から離れ、孤立状態のここにはフランス極東艦隊と陸軍・空軍部隊が配備されていた。とはいえ勢力は小さく本国が倒れて以来士気も萎え気味。それに付け込んだ日本は仏降伏直後に「中国への援助ルート遮断」「東南アジアの安定」等々の理由をつけて進駐を要求。半分恫喝気味の要求に対し、総督であるカトルー大将は「生存のためやむなし」と大人しく進駐を受け入れた。
 これに対して新たな本国(?)となったヴィシー・フランスはカトルー将軍を弱腰と決め付けて解任、代わりに極東艦隊司令のドクー中将を総督の座につけた。だが総督の首をすげ替えたからといって仏印軍が強くなる訳はない。挙句12月28日、タイがチャンスとばかりに攻め込んできた。まさに泣きっ面に蜂。
 当初はタイ軍が有利だったが、翌年2月17日のコーチャン沖海戦でフランス極東艦隊はタイ艦隊に完勝、小さいながらも「艦隊決戦」に勝利したことは流れをフランス側に傾け、戦争は一進一退の長期戦の構えを見せ始めていた。
 この状態を観た日本は調停に入る。この状態を放置しておけばどこから他国がしゃしゃり出てくるか判ったものではない。仏印を安定化しておかないと後々面倒なことになる。ましてや仏印が合衆国に助けを求めたらシャレにも何にもならない。
 そこにソマリア奪回戦を終えた自由フランス艦隊である。これは使える。既に進駐している日本が出てくれば仏印側としては全面占領と考えざるを得ないであろう。だが自由フランスなら「フランス奪回」という大義名分が使える。早速日本はタイと仏印に働きかけた。既に合衆国が調停をしようと申し出ている。彼等がしゃしゃり出る前に決着をつけなければ仏印に合衆国勢力がのさばってしまいかねない。
 渋るタイは援助でごまかし、どのみち日本に抵抗する意思も戦力もない仏印は戦争前の国境を維持すること、日本進駐軍の一部撤退させることを引き換えにこれに応じ、同時に自由フランス側への帰属を表明した。理由はいくらでもつけられるが、結局は「生存のためやむなし」だ。
 サイゴン沖に自由フランス艦艇がうろつき、背後には日本が睨みを効かせている状態で何が出来る。だいたい停戦協定を結んだのは〈氷室《リシュリュー》微〉の後甲板ではないか。ヴィシー政府は解任を要求したが、ドクー総督にしてみれば「だったら戦力よこせ」と言いたかっただろう。自由フランスは戦艦を始めとする戦力を持ってきてくれた。ではお前等はどうなんだ?少なくとも仏印中に日の丸が掲げられることは阻止した。それでいいだろう。
 そして41年冬ド・ゴールは次の手を打った。ニューファンドランド沖にあるサン・ピエール島とミクロン島占領である。ここは北米大陸では唯一のヴィシー側領土でありここを占領することは戦略と士気の向上に繋がる。船団護衛のためにハリファックスにいた〈氷室《リシュリュー》微〉は12月23日、護衛にコルベット3隻だけを連れて出撃。こんなに少ないのはカナダや合衆国の事前了解をとっていないからであり、出港理由も訓練と称していた。
 12月24日。〈氷室《リシュリュー》微〉は乗せていた陸戦隊(自艦乗員で編成)を護衛艦に移乗させると周辺警戒に移り、陸戦隊はこれという抵抗もなく両島を占領し作戦自体は成功裏に終った。
 この時点では後の仏独軍上陸への口実となるとは誰も考えられず、それどころかドイツ勢力が米大陸までやってくるなど占い師かSF作家くらいしか予想せず、更にはこれがあのマルテニィークへ繋がるなどと予想するにはタイムマシンが必要だろう。


要目(〈氷室《リシュリュー》微〉:新造時)

  • 基準排水量 39820トン
  • 常備排水量 48900トン
  • 全長 250.9メートル
  • 全幅 35.5メートル
  • 喫水 9.7メートル
  • 主機 パーソンス・タービン4基/4軸
  • 主缶 スラ・インドレット缶6基
  • 出力 150000馬力(オーバーロード時:180000馬力)
  • 速力 31ノット
  • 航続力 15ノットで10600海里
  • 兵装
    • 45口径38センチ4連装砲2基
    • 55口径15.2センチ3連装砲5基
    • 45口径10センチ連装高角砲6基
    • 37ミリ連装機銃4基
    • カタパルト1基
    • 水偵3機

同型艦

  • 〈氷室《リシュリュー》微〉 1940年1月9日竣工 
  • 〈ルミラ《ジャン・バール》デュラル〉 1940年6月15日就役(1944年2月12日竣工)1950年南大西洋海戦で沈没
  • 〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉 1945年1月29日竣工 1952年1月25日ノース海峡夜戦で大破、翌26日シリー諸島沖で沈没
  • 〈持田《ガスコーニュ》祥子〉 1948年5月10日竣工 1952年1月25日ノース海峡夜戦で沈没