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〈日野森《ビスマルク》あずさ〉

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ドイツ第三帝国海軍戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉 Schlachtschiff Hinomori-BISMARCK-Azusa,KM

カクテル・ソフト「Piaキャロットへようこそ!2」日野森あずさ

建造の経緯

 ドイツの送り出した超弩級の戦艦(ヒロイン)。水上艦兵力整備計画「Z計画」中のF級1番艦である。基準排水量4万2千トン。47口径38センチ砲連装4基8門。55口径15センチ両用砲連装6基12門。10.5センチ連装高角砲8基16門。全長251m、全幅36m。主機には高圧高圧のワグナー缶を使用し、3軸で最大出力15万馬力を発揮した。最大速力は30.8ノット。
 設計開始は1933年。設計主任はアムリタ設計局のエーヴェルス造船官。建造はブローム・ウント・フォス造船所である。当時の列強各国の新戦艦に足並みを揃えて、35000トン型、38センチ砲搭載艦として発表されたが、実際には排水量が公表した数値を大幅に超過していた。進水は1939年、竣工は1941年1月となった。
 第1次世界大戦の戦艦〈バイエルン〉級を参考に設計された防御構造は、新開発の〈ヴォータン〉装甲板と相まって極めて強固なものとなり、ポスト・ジュットランド型ドイツ戦艦の完成形となった。以後のH級やR級といった巨大戦艦は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉のストレートな拡大型と言って良く、本級の完成度の高さが良く分かる。
 その防御構造は水平防御を厚くして(120ミリ)垂直防御を薄目(320ミリ)にするなど遠距離砲戦に配慮し、内部区画を細分してドイツ式構造防御方式を完成させた。実に総重量の40%が装甲に費やされることとなり、日英の1クラス上の戦艦とも互角に砲戦を戦うことができたのである。
 主砲は日本八八cm艦隊の標準より小口径の38センチであるが、砲身長が長く、初速と弾重量を加味すれば41サンチ砲に近距離戦では打撃力で劣らない。反面、中距離から遠距離では対甲板打撃力が大幅に減少することになった。最大仰角は35度で、この時の射程距離は36,000メートルを超えた。 同級艦〈ティルピッツ〉との外観の識別ポイントは水上機回収用の大型クレーンが第1甲板上に装備されていることと、煙突頂部の塗装が銀灰色であることである。〈ティルピッツ〉のクレーンはさらに1段上の甲板に装備され、煙突頂部は黒色に塗装されていた
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はドイツ海軍にあって長く使用されており、西暦2000年現在、〈高瀬《大和》瑞希〉(〈澤田《信濃》真紀子〉はGF旗艦だが実質的に保管艦状態、〈長岡《加賀》志保〉は護衛艦に改装)、〈霧島《ローマ》佳乃〉らと共に世界でも数少ない現役状態の戦艦である。

ローレライの呼び声〜ローレライ作戦〜

 1941年5月18日、正午。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は重巡〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉と共に、燃料タンクを満載にしてゴーテンハーフェンを出航した。シェラン島の西側水路(大ベルト)を抜けてカテガット海峡に入り、ノルウェーの海岸沿いに北上、ベルゲンのグリムスタ・フィヨルドに寄港した。
 この航路にリンデマン艦長は疑問を覚えていた。キール運河を通過して北海を北上すべきではなかったのだろうか?スウェーデンにいる英国のエージェントに発見されたであろうし、所在を通報されては通商破壊ができなくなってしまう。海軍総司令部は何を考えているのだろうか。〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉を率いていたリュッチェンス提督ならば、その程度のことが分からないはずではないであろうに。
 ベルゲンではここまでの航海で消費した分の燃料1000トンを補充している。大西洋で通商破壊をおこなうには十分なはずだった。
 ドイツ艦隊がベルゲンに寄港した事実を確認した英国本国艦隊は全艦警戒態勢に入った。ドイツ艦隊は大西洋にて通商破壊作戦を展開するものと推測された為である。この年の3月には〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が通商破壊戦を繰り広げ、追撃の末にブレストに逃げ込んでいる。同じ轍を踏むわけには行かないのだ。グリーンランド・英国本土間の諸海峡の警戒を厳にするよう、指令が発せられた。

 5月21日。ベルゲンを偵察してきた偵察機の写真解析が終了し、本国艦隊司令部に届けられた。写真には〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉の姿はなかった。 21時00分。本国艦隊司令長官トーヴィー提督は直ちに、ホランド中将が率いる〈《フッド》柳也〉級巡洋戦艦〈ロドネー〉と〈KGV〉級戦艦〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉、駆逐艦6隻を出航させた。

 5月22日、05時00分。ベルゲンより北上を続けていたリュッチェンス提督は、護衛の駆逐戦隊を分離し帰投させた。駆逐艦らはトロンヘイムへ向かった。グリーンランド海域は霧に包まれているとの気象情報が入った。そのため北極海での給油を取りやめている。デンマーク海峡に英巡洋艦がいるとの情報は届けられ、さらに本国艦隊出動の情報も入った。
 19時45分、フォースA(サー・ジョン・トーヴィー)はスカパフローより出撃した。戦艦〈キング・ジョージ浩ぁ咫空母〈ヴィクトリアス〉、巡洋艦4隻、駆逐艦6隻からなる艦隊である。

 5月23日、19時15分。ドイツ艦隊を発見したのは、デンマーク海峡に展開していたフォースP(ウェイク・ウォーカー)だった。〈ケント〉級重巡〈サフォーク〉、〈ノーフォーク〉級重巡〈矢野《ノーフォーク》真士〉からなる小艦隊は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉発見の報を打電した後、直ちに追跡を開始した。〈サフォーク〉が装備している最新型の水上捜索271型RDF(波長10センチ)は、濃霧をもすかして発見したのだ。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の射程距離に入らないよう、水平線ぎりぎりの距離で追っていく。
 〈サフォーク〉は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉のラダール・ゲレート「ゼータクト」の照射を受け、その電波の波長がメートル波(波長80センチ)であることを確認した。英国(と日本)では10センチ波(マイクロ波)に移行しつつある。 〈サフォーク〉は「古いRDFを使用している」とフォースAと本国海軍省あてに打電した。
 平文の発振を傍受した〈日野森《ビスマルク》あずさ〉では激怒した。ドイツで心血を注いで開発された最新鋭のラダール・ゲレートを罵られたのだ。
 22時00分。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は、〈サフォーク〉を射程距離に納めると発砲を開始。追撃戦の末、無礼者な〈サフォーク〉を撃沈した。これが〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の撃沈スコアの最初である。
 〈《ノーフォーク》真士〉は幾度か挟叉されたが、濃霧の中に逃げ込めた。以後、〈矢野》ノーフォーク》真士〉の執拗な追跡がおこなわれる。まるで一目惚れした少女を追いかける少年のように。 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は追えなかった。主砲射撃の衝撃により「ゼータクト」の発振クリスタルが壊れたのだ。支援のUボートが替わりを持ってくるか、ドイツ支配下の港に入らなければ修理できない。前途に暗雲がたちこめ始めた。

 5月24日、05時53分。スカパ・フローを先行出撃していた〈ロドネー〉と〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉が迫ってきた。本来はフォースPと会同して、3対2の優勢を確保してから決戦に望む筈であったが、会同するより先に接敵が始まったのだ。
 しかし、数の優位を確保したとしても英国艦隊には問題があった。〈ロドネー〉は艦齢20年の老嬢であり、逆に〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は主砲装置の工事が未完了で、造船所キャメル・レアード社の技術者を乗せたまま出撃してきたのだ。
 ドイツ艦隊と英国艦隊は互いに砲火を交わし始めた。最初に命中弾を得たのは〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉の20センチ主砲であった。〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉は的確に〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉へ砲弾を送り込み続ける。
 そして砲戦が続いたのは僅か6分間だった。06時00分。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の主砲弾が巡洋戦艦の薄い水平装甲(76ミリ)を貫き、主砲弾火薬庫を誘爆せしめたのである。〈ロドネー〉は瞬時に轟沈し、生存者は海に投げ出された3名のみだった。
 〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は艦橋に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の強烈なビンタの一撃を受けた。リーチ艦長と掌信号長の二人を除いた艦橋要員が戦死するという損害を受け、煙幕を張りつつ退避を開始した。艦橋の損傷以外にも、工事未了が災いして主砲発射ができなくなっていたのだ。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉による打撃以外にも、〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉の2弾によって艦尾水線下の船殻を貫通され、600トンも浸水してしまった。
 このアイスランド沖海戦はドイツの完勝だった。しかし中破した〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は、〈矢野》ノーフォーク》真士〉に座乗するウォーカー少将の指揮下に入り、なおも追撃を続行している。長い一日となるのだった。
 その頃、HX127船団から〈レヴェンジ〉級戦艦〈レゾリューション〉が、SL74船団からは〈《フッド》柳也〉級巡洋戦艦〈アンソン〉と重巡〈ドーセットシャー〉が抽出されて、フォースAと会同すべく航路を変更していた。ジブラルタルからはフォースH(巡洋戦艦〈リナウン〉、空母〈アーク・ロイアル〉、軽巡〈シェフィールド〉ほか)が北上している。
 そしてフェロー諸島海域を哨戒していたフォースT(重巡洋艦〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉、軽空母〈野々村《龍驤》小鳥〉ほか)も〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃に加入していた。 これらの艦隊が会同すれば圧倒的に優勢な砲火と雷撃で〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を叩きつぶせるはずであった。海軍戦力では、日英両国はドイツの追随を許していないのだ。
 18時00分。〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は再び接敵し、砲戦を挑んだ。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉も足蹴りの砲撃をお見舞いしたが砲弾は互いにあたらず、砲戦もすぐに終了した。
 23時30分。深夜にも関わらず昼間のように明るい中、フォースAより新鋭〈イラストリアス〉級空母〈ヴィクトリアス〉の雷撃機ソードフィッシュ9機による攻撃を試みた。しかしながらこの攻撃は失敗に終わった。空母のみらず搭乗員も新鋭すぎたのだ。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉は両用砲と高角砲に俯角をつけて射撃をおこない、ソードフィッシュの進路前に水柱をたてて雷撃を阻んでいる。
 その直後、〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉が三度、挑む。砲戦距離は28、000m。が、つれない態度といわんばかりの、少しばかりの砲戦で追い払われた。
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉首脳部では、ビンタを張っても、足蹴りをお見舞いしても、つれなくしても、尚も接触を図る〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉のしつこさに困惑していた。執拗きわまりない英国人気質に不気味さを感じた、といっても良い。

 5月25日、午前。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉に座乗するリュッチェンス提督は、ブルターニュ半島のサン・ナゼールへ向けての変針を命じた。日英艦隊が終結し始め、その圧倒的な戦力で〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の大西洋侵入を許さないことが判明してきたからだった。通商破壊作戦の要諦は、敵艦と戦わないことにある。さらにヒトラーは大型水上艦の喪失には神経質な態度を示していたのだ。 リンデマン艦長は反対した。ここまでに損傷はほとんど無く、燃料もまた十二分にあること、追撃されているとはいっても燃料は無限ではないのでどこかの時点で引き返すはずであり、捜索網をかいくぐれる可能性は高い、ということを主張した。強硬な反対にあったリュッチェンス提督は、遂に「ライン演習」作戦の真実の狙いをうち明けた。納得したリンデマン艦長は回頭を操舵室に命じた。
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は180度に近い大回頭をおこなった。その運動の結果、〈矢野》ノーフォーク》真士〉は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を失探してしまった。ドイツ艦隊にとって望外の幸運といえる。しかし〈日野森《ビスマルク》あずさ〉首脳部は、その事実に気づかず、自ら位置を暴露してしまった。本国へ向けて「追撃ウク」と打電してしまったのだ。
 位置を標定した英国海軍省は、直ちにフォースAのトーヴィー提督あてに連絡した。フォースAは〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の位置を見失って迷走していたのだ。
 午後、誰が言い出したかは不明なのだが、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉では偽装煙突をたてる工事が始められた。煙突が1本のところを2本に増やせば、英国艦との誤認が生じるかも知れないからだ。事実、この偽装煙突は効果を発揮した。リンデマン艦長は、「非番のものはタバコをもって(偽装)煙突に集合するように」という通達を出している。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉艦内の空気はリラックス・ムードだった。
 その頃、日英艦隊はUボートが出没する海域に入った為、対潜運動を強いられて追撃の速度は極端に鈍っていた。彼らの焦りは深まる一方だった。

  5月26日。大ブリテン諸島西方では、日英の飛行艇部隊が対Uボート哨戒を行っていた。日本部隊はLEAF(ロングレンジ・エスコート・エア・フォース)と名乗っている。97式大艇の垂直尾翼には双葉の茶葉のマークが描かれている。
 10時15分。その内の1機、橋本中尉機が〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を発見していた。しかし彼は報告しなかった。「ドイツ艦は煙突が1本のみ」という先入観から、偽装煙突を立てていたドイツ艦を南下中の英国艦隊と判断してしまっていたのだ。橋本中尉はろくに接近もせずに航過してしまった。 当時の日本海軍航空部隊の索敵能力は、お世辞にも高いとは言えない。攻撃偏重のあおりで優秀な人材はすべて攻撃部隊に組み込まれていたからだ。為に日本海軍は1942年のミッドウェー海戦において、索敵の軽視による大敗を喫している。
 索敵を重視するようになるのは山口多聞が機動部隊遊撃戦を開始してからである。ミッドウェーでの大敗後、稼働可能な正規空母は〈緒形《瑞鶴》理奈〉と〈神岸《蒼龍》ひかり〉の僅か2隻のみになっており、これ以上の空母喪失は戦争に敗北することを意味していたからだ。
 しかし、この時点の日本海軍は索敵軽視の悪癖をさらけ出したままだった。橋本中尉らが「ドイツ艦隊を見落としていたこと」に気づくのは全てが終わった5月29日以降である。この失態にLEAFの司令は頭を抱えて嘆いた。
 後知恵ではあるが、5月26日時点で捕捉し決戦に持ち込んでいれば日英軍の勝利になった筈なのだ。ドイツが想定していた決戦海域をずらしてしまえば、それは単なる各個撃破の対象でしかない。孤立無援の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉をアイルランド西方海域で叩きのめしていたならば、その後の第2時世界大戦の展開は随分と違ったものとなった筈である。その場合、日英同盟、ドイツ(大欧州)、合衆国の三極体制が形成されたであろうと推測され、その魅惑的な想定に基づく仮想戦記は数多い。
 フォースAのトーヴィー提督は、未だ捕捉できないでいるドイツ艦隊に対して切り札を投入する事に決した。スコットランドのクライド湾で出動準備を整えているフォースSと、北アイルランドのベルファストにいるフォースZである。
 この時点で燃料不足により帰投せざるをえなくなる艦がでてきてもいた。特に駆逐艦は前日の迷走がたたって、進出限界点に達し始めていた。駆逐艦には〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を護衛しつつ帰還するよう、命じた。なればこそ、新たな艦隊を追撃に投入することで火力の不足を補おうとしたのだ。
 フォースSは41センチ砲10門の巡洋戦艦3隻、〈岡田《赤城》〉、〈松本《愛宕》〉、〈吉井《高雄》〉からなる高速戦艦部隊。フォースZは、世界最大の18インチ砲8門を持つ〈宮内《阿蘇》あやめ〉と〈宮内《鞍馬》ジョージ〉である。高速の〈保科《天城》智子〉級でドイツ艦隊の前途を押さえ、〈宮内《阿蘇》あやめ〉と〈宮内《鞍馬》ジョージ〉の打撃力で決着を付ける目論見であった。歴戦の〈ロドネー〉を葬った〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を逃がすわけにはいかない。英国海軍の面子がかかっている。あらゆる手段をもって殲滅しなければならない。フォースS、及びZはアイリッシュ海を南下して大西洋へと向かった。
 12時00分。北上しているフォースHより空母〈アーク・ロイアル〉が第1次の攻撃隊を放った。ベテランで構成された攻撃隊は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉への雷撃に見事に成功した。しかし魚雷の磁気信管が不調で爆発しなかった為、何らのダメージも与えられなかった。
 攻撃失敗の報をうけて、〈アーク・ロイアル〉では2次攻撃を準備し始めた。魚雷の信管は接触信管に取り替えることになった。今度こそ、と攻撃隊員は勇んだ。何としても〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の足を止めなければならない。このままではビスケー湾内に逃げ込まれてしまう。
 その〈アーク・ロイアル〉の作業を監視していたのがU556(ヴォールファルト)だった。U556は潜水艦隊司令デーニッツ提督の命で、通商破壊の後に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を支援に向かっていたのだ。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の進路に乗ったとき、フォースHが至近距離にやってきた。フォースHはU556の存在に気づいていない。
 U556には幸いなことに対艦攻撃用魚雷が1本だけ残っていた。U556は〈アーク・ロイアル〉へ雷撃をかけた。雷撃位置は〈アーク・ロイアル〉の正横という理想的な位置。見事に魚雷は〈アーク・ロイアル〉の艦腹をえぐり、〈アーク・ロイアル〉は浸水を起こして脱落していった。フォースHは空母を守りつつ引かざるを得なかった。
 夕刻、船団護衛についていた第4駆逐隊のヴァイアン大佐は、航空攻撃による〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の足止めが失敗に終わったことを知った。そして第4駆逐隊にフォースAへの合流命令が下ったことを知りつつも、自らが率いる駆逐隊でもって足止めをしようと図った。彼我の距離で最も近いのは第4駆逐隊なのだ。ヴァイアン大佐は〈コサック〉、〈マオリ〉、〈ズールー〉、〈シーク〉、〈ピオルン〉の種族(トライバル)級駆逐艦5隻でもって〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の追跡を開始した。
 しかしながら、彼らの努力は実らなかった。夜に入ったために雷撃の精度が落ちていたし、〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉が主砲を乱射して駆逐艦を近づけなかった為である。損傷しつつも第4駆逐隊は尚も接敵を続けていった。朝になればフォースA以下の主隊にドイツ艦隊を引き渡せる筈だった。
 5月27日。日本の暦では日本海海戦の勝利を記念した「海軍記念日」である。ジュットランド沖海戦もまた5月の下旬に起こっている。この記念すべき日に決着を付けるべく、日英艦隊の士気は揚がっていた。そこに情報が飛び込む。〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が払暁に出撃したとの報である。
 07時53分。〈矢野》ノーフォーク》真士〉は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉に9海里にまで接近した。射程距離に入ったにも関わらず、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は撃たない。そして遂に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はブレスト沖250マイル(400km)にまで達した。ここで、リュッチェンス提督は電波の発振を命じた。リンデマン艦長も減速を命じている。
 この〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の電波発振と減速に日英艦隊首脳部は驚愕した。無線封止をおこなったまま逃げるのが通商破壊艦であるのに、この振る舞いは何を意味するのか?〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉と合同して包囲網を突破しようとしているのでは、というのが参謀達の意見であった。となれば電波発振は会同を確実にするための物であろう。
 08時47分。トーヴィー提督は全艦突撃を命じた。併せて海軍省を通じて、空軍沿岸航空軍団(コースタル・コマンド)へ〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を攻撃するよう要請を入れる。仕留めきれない場合は彼らの雷撃に頼ることになる。フォースAの戦艦群は進出限界点に達していたのだ。それでも、ここでドイツの大型水上艦を「攻略」してしまえば英本土は安泰になる。斯くてフォースA、S、T、Zはジャガーノートのごとく突進する。
 旗艦〈キング・ジョージ浩ぁ咾遼し發開始された。1分後に〈アンソン〉、〈レゾリューション〉、〈宮内《阿蘇》あやめ〉、〈宮内《鞍馬》ジョージ〉が続き、さらに1分後、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉が応射した。
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は狙いを〈キング・ジョージ浩ぁ咾帽覆辰拭6畸董夾叉、遠弾。4斉射目で直撃が発生した。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の戦闘力はいささかも衰えていない。
 日英艦隊も負けじと打ち返している。〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が「ヘルプ」に入る前に何としてもケリをつけねばならない。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の周囲には巨弾が起こす水柱が次々と立ち上った。〈宮内《伊吹》レミイ〉級の18インチ砲16門の起こす水柱は一際大きい。
 しかし、まだ〈日野森《ビスマルク》あずさ〉への直撃は発生していない。一つの目標に対して砲を集中しすぎたため、どの水柱が自艦の撃ったものかが判別できず着弾観測がし難くなっていた。日英艦隊は焦りすぎていたのだ。
 フォースSの高速戦艦3隻は戦域を回り込み南方から包囲しようとしていた。同時にブレストからくるであろうドイツ艦2隻を迎撃する役目も担っている。しかし彼女らは役目を果たせなかった。なぜなら、ブレスト沖に何がひそんでいるかを失念していたのだから。

 見張員が絶叫したとき、トーヴィー提督は己らが「魔女の大釜」の中に入り込んだことに気づいた。最初に被雷したのは〈レゾリューション〉。続いて〈吉井《高雄》〉の舷側に水柱が立った。〈レゾリューション〉に4本、〈吉井《高雄》〉に1本。どちらも戦隊最後尾の艦だった。
 〈レゾリューション〉に魚雷を撃ち込んだのは「スカパフローの牡牛」ことU47(プリーン)だった。灰色狼たちは数日前からブレスト沖に潜んでいたのだ。ドイツ海軍潜水艦隊司令長官デーニッツ提督は、このUボート作戦を独自に「パウケンシュラーク作戦」と名付けていた。ティンパニーを叩くように波状攻撃をかけて英国と日本の艦隊主力を減殺させるのが目的だった。その為につぎ込んだUボートは、大西洋に展開中の32隻の内25隻に達する。それも5大エースを投入している。
 U47のギュンター・プリーン、U9のウォルフガング・リュート、U57のエーリッヒ・トップ、U99のオットー・クレッチマー、U100のヨアヒム・シェプケ、の5人である。彼らの撃沈トン数はいずれも10万トンを超えている。灰色狼たちは巨大な獲物に奮い立ち、その首筋に牙を突き立てるべく勇躍した。
 〈レゾリューション〉は急速に右舷に傾いていった。艦齢20年以上の老嬢は、艦首から艦尾までの水線下への魚雷4本の命中に耐えられなかった。〈レゾリューション〉艦長は総員退艦を命じた。〈吉井《高雄》〉の方は命中こそ1本きりだが致命傷というべきで、右舷のスクリュー軸付近を食い破られてしまった。結局、護衛の駆逐艦とともに撤退を命じられた。
 〈吉井《高雄》〉に雷撃を掛けたU100のシェプケは殺しの演出を楽しむように、浮上と潜航を繰り返してはフォースSを翻弄し、さらに〈岡田《赤城》〉と〈松本《愛宕》〉に魚雷を1本ずつ命中させている。抵抗力を減殺してから首を掻ききるのがシェプケのやり方だったが、今回は楽しみすぎてしまったようで、とどのつまり戦艦を喰うことはできなかった。フォースS所属の駆逐隊が奮戦し、ために駆逐艦1隻を撃沈しただけであった。
 トーヴィー提督は歯がみした。ここまでUボートとの接触が無かったのは伏撃のためだったのか。ヴァイアンの駆逐戦隊に対潜戦闘を命じたものの、砲撃戦の最中でどこまで対処できうるのか、また数の少ない駆逐艦でUボートを押さえ込めるのか、疑問を覚えつつもさらなる砲撃を命じた。ようやく〈キング・ジョージ浩ぁ咾直撃を出したのだ。
 Uボートの襲撃は続く。次に犠牲となったのはフォースTの〈千堂《鳥海》瞳〉だった。とどめの魚雷攻撃をおこなうため控えていたところを狙われた。狙ったのはU99、「沈黙のクレッチマー」。日本の条約型重巡の決定版として建造された彼女に魚雷が2本も命中した。条約失効後に水中弾対策のため装甲を強化していても限度はあり、大浸水を起こしてしまった。それでも機関部ではなく艦首と艦尾とに別れて命中したのは不幸中の幸いだった。人間に例えるなら肋骨を折られるような重傷をおった彼女は駆逐艦〈井上《雪風》ななか〉に付き添われて撤退していった。
 強硬な艦隊決戦主義者だった〈千堂《鳥海》瞳〉艦長が宗旨替えするのはこの海戦での体験によってである。彼は日本への帰国後に、かつてのフォースTの面々で海上護衛総隊に属して「ウィンド・ヒル」戦隊(またの名を「護身道」戦隊ともいう)を結成することになるが、これは余談。
 同じ頃、〈鷹城《摩耶》唯子〉もまた襲撃を受けていた。しかし魚雷が早発を起こしたため、至近距離での爆発による船体のゆがみとそれにともなう浸水があっただけであった。足をくじいた程度の軽傷といえる。第2次、第3次大戦をほぼ無傷で通した幸運艦〈井上《雪風》ななか〉は魚雷をかわすことに成功していた。
 日英艦隊は数の優位がありながら、それを生かせずに苦戦していた。直撃を数発出しているにもかかわらず、いっかな〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の戦闘力は落ちない。逆に旗艦〈キング・ジョージ浩ぁ咾炎上してしまっている始末だった。打撃力を期待されていた〈宮内《伊吹》レミイ〉級2隻は10回目の斉射でようやく〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を夾叉している。次こそ、と思ったもののUボートの雷撃で転舵してしまい、砲撃データを再び計算し直さねばならなかった。次から次へと襲撃してくるUボートに振り回されつつも、各艦の砲術長は罵声をあげながらデータ算出と砲撃を続行した。

 さらに日英艦隊の状況は悪化した。ブレスト戦隊の〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が遂に戦闘加入したのだ。28センチ砲弾18発が〈アンソン〉の周囲に落下して水柱を巻き起こした。彼女らを迎撃するはずだったフォースSはUボートの襲撃をかわすのに精一杯で対処できないでいる。
 「ヘルプ」に入った2艦は早いテンポで〈アンソン〉を狙い撃った。彼女らは〈日野森《ビスマルク》あずさ〉よりも早く就役しているために戦闘経験も豊富であり、また戦隊を組んでの行動が長いため息のあった攻撃を見せている。「ドイツ水上艦隊のエース」を謳われる〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉は巧妙な運動で確実に優位な位置を占めている。それに対して日英艦隊はコンビネーション攻撃に翻弄される一方だった。
 ブレスト戦隊は〈アンソン〉に対して最大有効射程に近い距離で撃っているため着弾位置がばらけてしまっているが、英国戦隊の砲撃を妨害する為なので構わずに継続している。そして10斉射目で直撃が発生した。一発がスーパーマリン・ウォルラス水上機をカタパルトごと粉砕し、もう一発が塗料保管庫で炸裂した。航空燃料と塗料に引火し、〈アンソン〉の上甲板は猛火に包まれた。さらに76ミリの水平装甲を貫通されて艦内にも被害が続出した。〈アンソン〉は鎮火できず最終的に味方駆逐艦により雷撃処分されることになる。
 ここまで直撃を出せないでいた〈宮内《阿蘇》あやめ〉が遂に命中弾を出した。ただし僥倖というべきものであったが。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の手前に落ちた主砲弾が水中弾となり、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の水線下に大穴を二つも開けた。これは水中弾が効果を発揮した数少ない例となっている。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は大浸水を起こし速力は大幅に落ちた。さらに〈宮内《鞍馬》ジョージ〉の斉射弾がA砲塔(アントン)とB砲塔(ベルタ)の前盾を貫通してのけた。〈キング・ジョージ浩ぁ咾鯊臟鳳蠑紊擦靴瓩殖械献札鵐阻ぃ缶腓亘づ磴瓦反瓩飛ばされてしまい沈黙した。18インチ砲がようやく凶暴きわまりない打撃力を発揮したのだ。「ハンター・モード」に入った〈宮内《阿蘇》あやめ〉と〈宮内《鞍馬》ジョージ〉は砲撃を続行して獲物を追いつめにかかった。
 戦闘力が50%に低下し動きも鈍った〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は危機に陥っていた。〈宮内《阿蘇》あやめ〉の砲撃により更なる直撃弾を受けている。このままではブレスト沖に沈んでいたかも知れない。しかし〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はどこまでも強運だった。英国本土を発した空軍攻撃隊が戦域に到着して突撃を開始したため、戦艦群の砲撃が手控えられたのだ。
 コーンウォールの基地を発した日英合同攻撃隊は突撃隊形を作った。ヴィッカース・ウェリントンとブリストル・ボーフォート、三菱1式陸攻の合わせて60機におよぶ大編隊であり、いずれも雷装している。船足の鈍った〈日野森《ビスマルク》あずさ〉など据え物切り同然の筈である。けれども彼ら攻撃隊が願っていた、航空機による戦艦の撃沈は叶わなかった。ドイツ空軍機が来襲したのだ。新鋭機フォッケウルフFw190Aの初陣である。
 来襲したのは掘殖複韮毅海裡恩鎮翅發世韻任呂△辰燭、攻撃隊を壊滅させるには十分であった。 空冷機特有の丸っこい機首を持つため、護衛の零戦と思いこんでしまっていたのだ。鉄十字のマークを持つことに気づいたときにはもう遅かった。増槽を切り離したFw190Aは急降下に入った。
 奇襲は完璧に決まった。急降下での一撃で1式陸攻の主翼は火を噴き、瞬く間に主翼全体に火が燃え移っていった。英国部隊もまた編隊を維持できずに右往左往してしまった。これでは雷撃などおぼつかない。1式陸攻隊の隊長である帆足少佐機が辛うじて射点についたが、Fw190の射撃をさけるために舵を切らねばならなくなり、魚雷は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉に命中しなかった。
 攻撃隊の緊急電を受け取った軽空母〈野々村《龍驤》小鳥〉が零戦を発艦させたが、時既に遅かった。60機の内、基地へ帰り着けたのは僅かに6機である。生還機の中には、後に「海軍中攻の神様」野中少佐と並び称される帆足少佐の機もあった。
 航空機による戦艦の撃沈が起こるのは、さらに1年半後のことである。撃沈された戦艦が〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の同級艦〈ティルピッツ〉なのは歴史の皮肉と言える。
 さらにドイツ軍機第2波が来た。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の発していた誘導電波を辿り、He111、Ju88と〈《B17》ガディム〉からなる爆撃隊100機(第1教導航空団(LG1)と第27爆撃航空団(KG27))が爆弾の雨を降らしに来たのだ。
 ここに「ローレライ作戦」は、空・海上・海中からなる罠の口を完全に閉じた。

 「ライン演習作戦」またの名を「ローレライ作戦」は、本来は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈ティルピッツ〉の2艦による純然たる通商破壊作戦であった。それが艦隊決戦へと変質したのは、ヒトラーが第2次「あしか(ゼーレーヴェ)作戦」の立案をOKWに命じたためだった。ヒトラーは英国の打倒を諦めていない。
 海峡上空の制空権を確保しきれないために中止になった第1次「あしか(ゼーレーヴェ)作戦」の不安点を考察するに、やはり英本土に侵攻するためには制海権の奪取は必要不可欠だった。しかし水上艦の正面戦力では圧倒的に不利である。F級戦艦〈ティルピッツ〉の竣工は大幅にずれ込んでいる。戦争遂行に資源を取られて、水上兵力整備計画(Z計画)の進行がほとんど止められているからだ。窮したレーダー提督に一人の参謀が奇策を提案した。水上艦を囮として敵艦を一定の海域に集め、敵が集結したところをUボートで襲撃するというのである。
 苦渋を隠しながらレーダーが提出した作戦案にゲーリングが横槍を入れた。第1次バトル・オブ・ブリテンに敗北を喫したゲーリングは、己の地位を再び確固たるものにすべく艦隊決戦に空軍を参入させようとしたのである。調整の結果、ブレスト沖200マイルから300マイルの海域が決戦海域となった。300マイル以遠ではFw190Aによる援護が出来なくなるからだ。
 つまるところ、空軍の都合で決戦海域が決められた。ブレスト沖に達した〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は味方を誘導するための電波を発振する事になる。ライン河の船乗りを破滅させた「ローレライの乙女」のように。

 爆撃隊にとって強敵となるべき零戦はFw190Aとの交戦に拘束されて爆撃隊に近寄れない。爆撃機邀撃用に開発された零戦ではあるが、1700hpの強馬力を発揮するBMW801を搭載したFw190Aのズーム・アンド・ダイブに翻弄され、零戦隊は爆撃機邀撃どころか水平格闘戦に持ち込めないでいる。為にドイツ空軍爆撃隊は爆撃に専念できた。
 まず〈岡田《赤城》〉がJu88四機の急降下爆撃を受けてPC500徹甲爆弾3発が命中し、甲板がめくれ上がった。海上に停止し炎上中の〈アンソン〉もまたSC500とSC250爆弾6発を受けてトドメをさされた。同じく炎上している〈キング・ジョージ浩ぁ咾鮗蕕襪戮、護衛の巡洋艦と駆逐艦が猛烈な対空砲火をドイツ爆撃隊に浴びせ、ために〈キング・ジョージ浩ぁ咾惑弾の直撃を免れた。重巡〈ドーセットシャー〉は数発が至近弾となり、爆弾の破片と水柱で機銃や操作要員を海中に持って行かれるなどのダメージを受けている。
 その他の大小の艦艇も空襲を回避するための運動に忙しく、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉への砲撃どころではない。この隙に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉と〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉は会同に成功した。 会同を阻まんと、数の減少した駆逐艦が突撃したが、〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉が健在な20センチ主砲でもって迎撃し、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉もまた両用砲と高角砲を乱射したため不首尾に終わってしまった。
 ドイツ空軍は爆弾を落とし終えると一目散にブルターニュへと帰投していった。燃料が限界にきていたFw190Aは零戦との空中戦を切り上げて爆撃隊よりも先に帰投している。
 取り残された格好の零戦隊は怒りにまかせて爆撃隊を追いかけ、後落しかかっている損傷機を襲い数機をたちまち血祭りにあげた。勝ち逃げを許すまいと、さらに先行する編隊に襲いかかったものの〈《B17》ガディム〉を外周に配した編隊の密集砲火に阻まれて、戦果をあげずに帰らざるを得なかった。
 空襲が終わった後、日英艦隊は尚もドイツ艦隊を追うべく集結を図った。損傷艦の数を数えるよりも、損傷していない艦を数えた方が早いという惨憺たる有様であったが、トーヴィー提督はまだ諦めていない。
 ドイツ艦隊は大破した〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の速度に合わせねばならず、それも10ノットが出しうる限度である。旗艦を〈ドーセットシャー〉に換え、〈キング・ジョージ浩ぁ咾函匍醗罅垤睛此奸咾亘楾颪鵬鷙劼掘健在な〈宮内《伊吹》レミイ〉級を主力にして追いかけるならば勝機は見いだせるのだ。もはや手が着けられないほどに延焼した〈アンソン〉の雷撃処分を決めた後、トーヴィー提督は艦隊再編に取りかかった。沿岸航空軍団にも、第2次攻撃隊を出すように要請した。
 けれども、その出鼻をくじくように〈ドーセットシャー〉の左舷に3本の水柱が立った。戦域に残っていたUボートの仕業であった。駆逐艦が爆雷を打ち出してUボートを仕留めたのが、わずかな慰めだった。重巡〈ドーセットシャー〉は魚雷3本の被雷に耐えきれず横転した。
 さらに空軍より、先の攻撃隊の被害に鑑み、戦闘機の護衛が無ければ攻撃隊は出せない、との応えが返ってきた。ラルウォース基地の零戦を出せば良いではないか、とトーヴィーは怒鳴ったが、ラル南空は朝からドイツ空軍との交戦で手一杯であり護衛に廻ることはできなかったのだ。
 そして海軍省より帰還命令が届いた。あまりの損害に、パウンド大将とチャーチルは戦機を失ったと判断したのだ。現場指揮への介入にトーヴィー提督は怒り、帰還命令を無視しての追撃を続行しようとした。英国海軍では、戦果を上げるも本国の指令に従わないことを理由に軍事裁判に掛けられた指揮官の例は数多い。かのネルソン提督にしても、その列に連なる。トーヴィーは勿論、裁判を覚悟した。しかし〈宮内《鞍馬》ジョージ〉の艦腹に魚雷が命中したことを示す水柱が立っては諦めざるを得なかった。
 悪い知らせはまだ続く。周囲を哨戒していた駆逐艦より、新たなUボート群の電波を探知したことが報ぜられた。まごまごしていては群狼の顎(あぎと)にかかってしまう。
 10時36分。トーヴィー提督は切歯扼腕しつつ撤退を命じざるを得なかった。
 斯くして、日英合同艦隊は英本国へ撤退していった。祝うべき日は災厄の日となり、ここに〈日野森《ビスマルク》あずさ〉攻略は「バッド・エンド」に終わった。「夏の想い出」は遙か彼方の幻影と化したのである。

 艦隊の本土帰還後、第一海軍卿(軍令部長)パウンド大将と本国艦隊司令長官トーヴィー大将は辞表を提出したが、チャーチルは受理せずに慰留している。二人に辞められては海軍大臣を兼任している自分まで辞任しなければならない、と冗談めかして語った。その後、すぐさま今後のことについて打ち合わせに入った。合衆国義勇艦隊の跳梁が予想されたからだ。ドイツ戦艦3隻は港を封鎖してしまえば無力化できるが、合衆国が北大西洋の通商路を攪乱しては封鎖すらもままならなくなる。堀悌吉遣英艦隊司令長官もまじえて義勇艦隊対策の為の作戦会議は続けられる。

 サン・ナゼールへのUボートの帰還をデーニッツは自ら出迎えた。紛れもなく灰色狼たちの勝利だからだ。作戦参加の25隻中、21隻が生還した。潜水艦の優位を確信したデーニッツは、Uボート建造を促進する為に資材を回してもらうことを総統に進言しようと決意していた。
 5人のエースは休暇を兼ねてドイツ国内を宣伝旅行して歩くことになった。〈ロイヤル・オーク〉に続いて、もう1隻のR級戦艦を撃沈したプリーンは、宣伝省の勧めに応じて2冊目の手記を書くことにした(ただしゴースト・ライターによるもの)。反対にクレッチマーは手記の執筆を断った。シェプケは楽しみすぎて大物喰いをし損ねたことを少し後悔している。リュートとトップも、それぞれのやり方で休暇を楽しむことにした。
 けれどもその前に内臓をアルコールで消毒しなければならない。斯くしてサン・ナゼールの歓楽街では、ボート乗組員の乱痴気騒ぎがそこかしこで繰り広げられたのだ。

 ドイツ空軍の損害は、Fw190Aについては喪失1機のみ、それも燃料不足で海岸に不時着したもの。爆撃隊は、100機中の喪失が14機。そのうちHe111が10機、Ju88が2機、〈《B17》ガディム〉が2機だった。高角砲による撃墜が4機で、あとは全て零戦隊によるものである。
 ゲーリングにとって勝利以外の何ものでもなかった。何しろ爆撃だけで戦艦2隻を「撃沈」してのけたのだ。
 空襲後に飛ばした偵察機が、戦艦2隻が沈没していることを報告している。ならば我が空軍爆撃隊が撃沈したに違いない。艦艇など空軍の攻撃力の前ではガラス細工にも等しい。これで一旦は損ねてしまった総統の寵も取り戻せるだろう。
 ゲーリングは勲章を奮発せねばなるまいと思っている。爆撃隊の示した破壊力に満足し、自然に笑み崩れるのだった。

 「ローレライ作戦」の成功は海軍総司令長官レーダー提督にとっても喜ばしいことだった。けれども、ゲーリングの得意然とした顔と、潜水艦屋のデーニッツがUボート建造の資材割り当ての増量を要求するであろうことを思うと、少々頭痛がした。ブレストに向かっている〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉の乗組員への叙勲の知らせを打電するように部下に命じながらも、水上艦が囮でしかなかったことに割り切れないものを感じていた。

 5月29日。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は空軍やUボートに護衛されつつサン・ナゼールへ入港し、レーダー提督も臨席した盛大な式典が執り行われた。リュッチェンス提督とリンデマン艦長はレーダー提督と握手を交わした。〈ロドネー〉を撃沈し、さらに英本国艦隊旗艦〈キング・ジョージ浩ぁ咾鯊臟砲擦靴瓩織轡絅淵ぅ澄舎そ冂垢砲狼鎧僚住章が贈られている。乗組員には鉄十字章が贈られた。
 そしてリンデマン艦長の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の損害報告に出席者の誰しもが息を呑んだ。水中弾2発による6千トンの浸水。A砲塔(アントン)とB砲塔(ベルタ)は跡形もなく粉砕され、バイタル・パートには5発もの貫通弾があった。艦上構造物も大半が屑鉄と化していた。
 〈宮内《伊吹》レミイ〉級の打撃力に驚嘆したドイツ海軍とヒトラーは、日本海軍の18インチ砲搭載戦艦を打倒するために巨大戦艦建造に取りかかることとなるが、それは独ソ戦が終結した1944年以降となる。

ドイツの誇り

 最終的に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を取り逃がしたことは日英海軍にとって一大痛恨事となった。50隻以上に上る大小の艦艇を動員して得たものは、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉を大破に追い込んで戦闘力を失わしめた事だけだった。そして少なすぎる戦果に対して、失ったものは余りにも大きかった。
 戦艦〈ロドネー〉、〈レゾリューション〉、〈アンソン〉の3隻と重巡〈ドーセットシャー〉を喪失。大破または中破した大型艦は6隻に上り、損傷した駆逐艦も多い。修理しなければならない艦で英国各地のドックは満杯になってしまい、海上にある艦艇の数は激減した。
 ドイツは日英艦隊主力の誘引撃滅、その結果としての哨戒網の破壊、有力な水上艦艇の大西洋側への配置という「ローレライ作戦」の諸目的を果たした。ゲッペルス率いる宣伝省は日英海軍恐れるに足らずと宣伝を開始し、英国が大西洋の制海権を確保しているというイメージが崩れた。そのため合衆国義勇艦隊の活動が激しくなり、俄然北大西洋の護衛戦は厳しい局面を迎えたのである。

 囮役を完遂して、生涯の華々しい戦歴の始めを飾った〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は、サン・ナゼールの巨大乾ドック、フォルム・エクルーゼに入渠して修理と大改装を受けていた。ブレスト沖での損害により、ドイツ戦艦の防御構造の古さが明らかとなったからである。退任したエーヴェルスの代役としてユルゲン・リリム・サトー造船官が改設計をおこない、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の装甲防御は水線甲帯方式から傾斜式インターナル・アーマーへと付け替えられた。この第1次近代化改装はOVA(オーベル・フェアベッセルング・アルムツァ)と呼称されている。そのほかにも高角砲の射撃指揮系など細々とした箇所の改修が行われた。
 英国はドイツの修理改装作業を妨害すべく爆撃隊を繰り出したが、総統命令で集中された空軍高射砲部隊の弾幕と迎撃機により却って大損害を被っている。さらにコマンドによる奇襲破壊作戦「チャリオット」も実行されたがドイツ軍防衛部隊の奮戦により失敗に終わったのである。
 日英のサン・ナゼール封鎖に遭ったため、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は1年に及ぶ修理改装が完了した後も、1942年8月に封鎖が解けるまで活動が制限された。しかし封鎖解除後は再び大西洋へと出て、英本土への艦砲射撃を行うなど主力艦として奮戦し、数多くの殊勲をあげた。ただ奮戦した分だけに損傷も多く、1942年9月のカレー沖海戦、1944年1月の第1次クレタ島沖海戦と二度にわたり損傷を被っている。
 カレー沖海戦(英側呼称ドーヴァー沖海戦)では僚艦〈ティルピッツ〉と共に〈《フッド》柳也〉級巡洋戦艦〈ハウ〉を撃沈し、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉を相手に「いちゃついていた」〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を「蹴り倒して」大破撤退に追い込み、ドイツ海軍勝利の因を成した。ただ、旗艦として16インチ砲などの敵弾多数を受けたため損害は大きく、再びの大破判定を受けている。
 このカレー沖海戦はドイツの辛勝だった。ドイツは〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉と〈ティルピッツ〉の戦艦2隻を失っている。しかも〈ティルピッツ〉は世界で初めて洋上行動中に航空攻撃で沈んだ戦艦になってしまったのだ。この事実に総統ヒトラーは怒り狂い、以後のドイツ戦艦の行動に制約が設けられることとなる。
 第1次クレタ島沖海戦では水雷艇〈神岸〉の襲撃に遭って被雷大破した。それ以来、小艦艇の肉迫攻撃には苦手意識を持ち、特に水雷艇を苦手とするようになった。逆に〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉が水雷艇狩りに力を発揮している。しかし第3次世界大戦末期、レイキャビク沖海戦では〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉が空母〈江藤《白鳳》結花〉搭載の水雷艇〈神岸〉に沈められ、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉が生き残るという皮肉な結果となった。
 しかしながら第2次大戦中の三度の大破した状況は、英国の旧式戦艦ならば確実に沈没しているような状況であり、その不沈ぶりは「攻略難度が高すぎる」と日英艦隊の将兵を嘆かせ、ドイツ建艦技術の高さを世界に轟かせたのである。

 英国本土陥落後、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は自沈したものを浮揚修理した〈KGV〉級戦艦〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉と戦隊を組むこととなった。ヒトラーのチャーチルに対する嫌がらせであったが、この両艦は互いにごちゃごちゃと言いつつも相性が良く、インド洋(1946年にゴアへ進駐、同年中に本国帰還)、大西洋、カリブ海を「接客に忙しいウェイトレスとウェイター」に喩えられる程に駆け回った。同じく捕獲された重巡〈矢野》ノーフォーク》真士〉もついて廻っている。
 1943年の「Z計画」再開始によりドイツ海軍最大艦艇の座を、H級戦艦さらにR級戦艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉に譲ったが、なおも艦隊主力として第3次世界大戦を戦い抜いた。
 ドイツ海軍最後の攻勢作戦「北の暴風」以後はバルト海に退避していたが、ゴーテンハーフェンにおいて、ポートサイドより飛来した全噴進式戦略爆撃機〈飛鳥〉の空襲に遭った。寄港中に港口を投下機雷で封鎖されてしまい、身動きがとれなくなってしまっていたのだ。
 この時、〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉は、ゴーテンハーフェンを封鎖していた機雷原に乗り込んで進路を啓開し、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉をリガへ脱出させている。そして触雷して行動が鈍った〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉は、対艦5.4トン(1万2千ポンド)爆弾の直撃弾3発と至近弾10発を受けて横転、沈没した。ここに〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉のアルバイト人生は終わりを告げたのだった。

 第3次世界大戦終結以後も〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は水上艦隊の女王(ヒロイン)の地位にあった。これにはドイツ海軍の台所事情も反映されている。戦後の復興のために軍縮政策が採られて海軍予算が締められたため、現存の艦艇を保守するだけで精一杯になったのである。
 さらに、戦艦よりも反応動力潜水艦の整備が優先されていた。日本の潜水艦主力が反応動力に切り替わりつつあったのに対して、潜水艦隊主力は未だヴァルター機関搭載潜水艦であった。まずはこのギャップを埋めなければならなかった。海洋帝国群の通商路を脅かす能力ならば、戦艦よりも潜水艦の有効性の方が高いのだ。
 しかし政治的効果は戦艦の方が高い。その為、ドイツ海軍では予算と政治的効果を案分して、7万トン近いH級戦艦〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉を保管艦状態とし、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の整備を優先することを決定した。保守管理費用と人員の節約、さらに〈日野森《ビスマルク》あずさ〉のドイツ国民の間での人気が高いことが理由であった。
 「戦艦の時代」は黄昏を通り越している。海軍の主戦力は航空母艦と誘導弾搭載駆逐艦、さらに反応動力潜水艦に移った。だが海上にある戦艦の威容は未だ他の艦船を圧して余りある。砲艦外交を行うには、強そうに見える外観が何よりも必要なのだ。付け加えるならば知名度の高い艦であればなお一層良い。 第1世界大戦中の参謀総長の名を持つ戦艦よりも、ドイツを統一した「鉄血宰相」の名を戴き、かつ華々しく戦い抜いた〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はまさに砲艦外交の主役に打ってつけであった。 斯くして〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は、同じく整備された〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と共に、長く海上にその威容を誇示し続けたのである。
 このことは、逆に見ればドイツ海軍が遂に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉以上の女王(ヒロイン)を生み出せなかった、ということでもある。ドイツ海軍としても象徴なるが故に退役させるにさせられない。結局、近代化改装を繰り返しつつ〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は女王(ヒロイン)であり続けねばならなかった。
 改装は現在までで5度にわたる。TB(射撃統制装置を電算機化)、SS(主機関の換装及びバナジウム・タングステン徹甲弾を使用するために揚弾機構を改装)、1+2+TB(戦闘指揮所の設置と射撃統制装置ほかを電子化及び装甲強化)、DX(主機関をガス・タービンに換装、VLS搭載に伴う電子機器改装と装甲にケブラー繊維を使用)と順次改装されていき、帝国崩壊以後に行われた最新バージョンの改装では、2.2+GB(電子機器の全面強化)と名付けられた。2001年には2.5DCと呼ばれる改装プランが予定されている。

 第4次世界大戦において、第2次ニューヨーク沖海戦で〈高瀬《大和》瑞希〉を含む日本艦隊と対艦ミサイルを撃ち合っても尚、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は海上にあった。長年にわたるコンビの〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉はミサイルの着弾に耐えきれずに沈んだが、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はミサイル迎撃に成功し、三度にわたる世界大戦を生き残った。このような戦艦は、他には日本の〈高瀬《大和》瑞希〉以外にはない(〈霧島《ローマ》佳乃〉は第4次世界大戦では交戦していない)。撃沈した艦の数も世界有数のものであり、その武勲は〈高瀬《大和》瑞希〉に勝るとも劣らない。
 〈高瀬《大和》瑞希〉が「日本の誇り」ならば、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉こそは「世界に冠たるドイツの誇り」なのだ。

 

要目

  • 全長     251メートル
  • 全幅     36メートル
  • 主機     ブローム・ウント・フォス式ギヤード・タービン3基3軸
  • 主缶     ワグナー高圧缶12基(58気圧450度C)
  • 機関出力  150000hp
  • 最大速力  30.8ノット
  • 基準排水量 42000トン

兵装

  • 主砲 47口径38センチ砲連装4基
  • 副砲 55口径15センチ砲連装6基
  • 高角砲 10.5センチ連装砲8基
  • 装甲
    • 舷側320ミリ
    • 甲板120ミリ
    • 砲塔360ミリ

同級艦