トップ 新規 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ PDF RSS ログイン

〈尼子崎《フーシェ》初子〉

ヘッドライン

最近の更新

各種艦艇 / 〈長岡《加賀》志保〉 / 大ドイツ連邦軍指揮体制私案(2015年) / 世界設定 / ヘーアに関する覚え書き / クリーグスマリーネに関する覚え書き / ルフトヴァッフェに関する覚え書き / 大ドイツ帝国の年代別状況 / その他兵器 / 日本帝国陸軍歩兵火器に関する設定案

〈尼子崎《フーシェ》初子〉 Monitorschiff Amakozaki-FOUCHE-Uiko,KM

Marron「秋桜の空に」尼子崎 初子

概要

 ドイツ海軍のモニター、〈メッテルニヒ〉級の三番艦。ヨーロッパの覇権を得た代償として長大な海岸線を有することになったドイツが、沿岸防衛用にと建造した。
 モニターは喫水の浅い船体に戦艦並の主砲を搭載した、沿岸目標に対する砲撃を専門とする艦である。沖合の射撃位置に停泊して砲撃することを主任務とするため、速力は低く、航洋性も低いのが一般ではあるが、ヒトラーの横槍によって〈メッテルニヒ〉級は無理やりに水上砲戦能力を持たせられてしまった。彼は合衆国での戦いに、航空機の攻撃に耐えられ、短時間ならば戦艦とすら戦える高速モニターが必要だと確信していたのである。
 その〈メッテルニヒ〉級は三隻が建造され、〈メッテルニヒ〉と〈タレイラン〉は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級と同じ38センチ連装砲1基をしている。しかし〈尼子崎《フーシェ》初子〉については再びヒトラーが口を挟んだ。砲撃能力が不足しているというのである。それならばもう1隻戦艦を建造すれば良さそうなものだが、ヒトラーは譲らず、「カエサル以来の名将」である総統の決定に異を唱える者もいなかった。カタログ・スペックにこだわるディレッタントの弊害だった。
 ために、〈尼子崎《フーシェ》初子〉はH44級戦艦に搭載するために開発中だった試製50.8センチ砲を装備することになった。さすがに連装砲塔は無理であるので単装となっている。その砲塔も新規開発している余裕がないために砲架を薄い装甲板で囲っただけであり、船体も拡幅して何とか搭載を可能とした。ともあれ試製50.8センチ砲による艦砲射撃の威力は凄まじく、ヒトラーは十分に満足したのであった。
 しかし船体に不釣り合いな主砲を搭載したことの悪影響は大きかった。巨大な主砲が発生させるヨー慣性モーメントによって回頭が大きくならざるを得ず、乗組員らは船体の激しいピッチングにも苦しめられている。さらに航行中に砲撃するや、船体鳴動、故障続発、進路がねじ曲げられるといった有様で、「無駄にでかい」と揶揄される所以となった。
 幸か不幸か、彼女が水上艦に向けて射撃したことは只一度であった。試験中に装甲巡洋艦〈新沢《シュレージェン》雅臣〉から「主砲が揺れることなんか気にするな!」と発光信号が送られたのに応じて一発をお見舞いしたのである。至近弾は〈新沢《シュレージェン》雅臣〉を大きく揺さぶり、失礼極まる信号を送らせた張本人たる艦長ウォルフガング・シュトラウス・レーンホルム大佐は頭部を羅針儀にぶつけて昏倒する羽目に陥った。露天艦橋にいた誰も、気絶した艦長を助けずに放り出したままにして置いたのだから、憎めないまでも周囲が彼の奇行にいかに悩まされていたかを物語る。つまりは自業自得なのであった。
 恐るべき事に、遙かに有益たりえる航空母艦A掘匱銚供團▲肇薀鵐謄カ》美樹子〉とA検劵僖轡侫カ〉の建造を遅らせてまでして、〈メッテルニヒ〉級の建造は優先されている。これに多少のメリットはあった。H級戦艦の主機関であるMAN製のMZ65/95ディーゼル・エンジンの信頼性が向上したことである。その代償として〈尼子崎《フーシェ》初子〉らはありとあらゆるエンジン・トラブルに見舞われ、本気で走ると転んでしまい(エンジンがぐずり)、高速モニターたる俊足を披露することはできなかった。

戦歴

 〈尼子崎《フーシェ》初子〉はパナマ運河を巡る一連の攻防で顕著な活躍を演じている。〈メッテルニヒ〉級三隻からなるローレンツ戦隊の一員として、ガツン湖タベリーニャ水路から、太平洋側のバルボア港にとりついた合衆国海兵隊の頭に向かって巨弾の雨を降らしたのである。
 その状況はドイツ太平洋艦隊と太平洋攻撃航空軍がほぼ壊滅したことによってもたらされたものだった。
 日英米枢軸軍がパナマに押し寄せたとき、太平洋艦隊の主力たるべき〈新沢《シュレージェン》雅臣〉は、水雷艇〈楠《T1》若菜〉(と他の艦艇)と手に手を取って満員の観客をかき分けて南方へと逃れ去っていたのである。南米諸国の大統領らを自艦に乗せて、諸国海軍艦艇と共同訓練の真っ最中に来られたのであるから、やむを得ない仕儀ではあった。
「汝こそ我が理解者、共に行こう!自由の大地へ!」
「…あ、あのバカ王子!」
 太平洋艦隊司令部にしてみれば、人魚姫の王子が隣国の王女との結婚をやめて村娘と駆け落ちしたような訳であり、地団駄を踏んでも軽巡〈小泉《アウグスブルク》鞠音〉の先導で逃げられている。斯くして事前の作戦計画(涙、戦慄、驚愕の三部構成)は第一部で破綻してしまい、アドリブで進めなければならない状況に追い込まれたのである。残された軽巡〈ケルン〉と若干の艦隊水雷艇は運河入り口で絶望的な抵抗を示し、最後には自沈して果てている。
 艦隊戦力の壊滅後から〈尼子崎《フーシェ》初子〉の活躍が始まる。ローレンツ戦隊の実質的な参謀長として〈尼子崎《フーシェ》初子〉艦長ノンネドルフ中佐は作戦を立案、主導していった。
 彼はシュレージエンのザルツラント地方出身で、実家は代々の司教を出している家柄だった。彼自身も司祭となることを義務づけられていたのだが、厳格な家風を嫌って海軍兵学校へ入った経歴の持ち主である。参謀としての作戦立案能力は極めて優秀なものの、あまりにも突飛な思考と、思いつきで騒動を起こす「問題児」であることから、OKMから〈尼子崎《フーシェ》初子〉の艦長へと飛ばされていたのだった。
 ノンネドルフの立てた作戦の下、ローレンツ戦隊は陸軍の出前の依頼に応じて攻撃したり、昼間に通常の砲撃位置(「学食」と呼称した)である水路から離れて砲撃したりと、陸軍やフランセ基地に拠る空軍残余と共同して猛烈な抵抗を示し、かなりの期間持久することに成功した。〈尼子崎《フーシェ》初子〉自身もコロン港にいる工作艦〈エノオ〉と実況解説のコンビを組んで大笑いしたり(宣伝省の部隊を同乗させた)、肝試しとしゃれ込んで夜間に擾乱射撃をおこなうなど、限られた時間を楽しむべく騒動の限りを尽くしている。
 枢軸軍にとっては非常ベルが鳴り出したり、暗い部屋に閉じこめられたところをのぞかれているようなもので、はた迷惑なことこの上なかった。
 かくも枢軸軍に相当な犠牲を強いたモニター艦戦隊ではあったが、制空権を奪われた状況では活動も限られ、順次息の根を止められていった。最後まで生き残った〈尼子崎《フーシェ》初子〉はガツン湖の入り江奥深くに身を隠し、夜の闇をぬってガツン・ダムの方向へと移動していった。ダムを破壊してでも、この閉じこめられた部屋からの脱出の途を探らねばならない。しかし日本海軍特務陸戦隊に居場所を探知されて航空攻撃を受け、燃料を流出させて炎上しながら浅瀬に乗り上げた。そして乗組員らは、生木を引き裂かれるような思いで脱出を果たしている。
 斯くして、〈尼子崎《フーシェ》初子〉ら〈メッテルニヒ〉級モニターは、モニターらしく戦い、沈んでいったのだった。

 以後、ノンネドルフと〈尼子崎《フーシェ》初子〉乗組員はガツン戦区で海軍歩兵として陸戦を戦い、最後にはホーン岬を回り込んできた「放蕩王子」〈新沢《シュレージェン》雅臣〉と「不良人魚」〈楠《T1》若菜〉、そして増援されてきた〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉に、ローレンツ戦隊の生存将兵と共に分乗してパナマからの脱出に成功している。
 北米本土に戻ったノンネドルフは北米艦隊付きとなり、大手術を終えた〈楠《T1》若菜〉と再会を果たしている。そして、「呪い」を被って危険な任務へと追いやられる〈新沢《シュレージェン》雅臣〉と、同郷の親友レーンホルム艦長の帰るべき場所を守るため、ノンネドルフは海軍歩兵連隊(懲罰であった)を率いて枢軸軍を相手に戦い抜いた。ミズーリ川とミシシッピ川で高速艇を駆使し、「オーバーロード」作戦以後かさに掛かって追撃してくる枢軸軍の6個師団を1個連隊で食い止めて突破を許さず、防御戦闘の達人として勇名を馳せている。海軍歩兵達は「青いSS」と呼ばれ、勇猛な戦いぶりと不屈の闘志は敵味方から敬意を評されたという。
 ウィリバルト・ノンネドルフの最終階級は海軍少将である。カソリックのアメリカ人女性との間に一女をもうけ、彼の娘が婿をとって実家を継いでいる。

要目

  • 全長 145メートル
  • 全幅 29メートル
  • 主機 MZ65/95ディーゼル4基1軸
  • 機関出力 40000hp
  • 最大速力 23.8kt
  • 基準排水量 8500トン

兵装

  • 主砲 47口径50.8センチ単装砲1基
  • 副砲 15センチ単装砲2基
  • 両用砲 10.5センチ連装砲2基

同級艦