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〈南条《ストラトジェット》紗也香〉

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合衆国空軍戦略爆撃機 ボーイングB−47〈南条《ストラトジェット》紗也香〉

元ネタ:Ripe「Private Emotion」 南条紗也香

概要

 建軍間もない頃の合衆国空軍が、将来を担う戦力として開発した史上初のジェット戦略爆撃機。美しさの中にも魔神の如き無骨さがあったB-29〈スーパー・フォートレス〉の後継機にふさわしく、極めて洗練された機体設計により、最大爆装状態で6500キロに達する航続距離と、980キロもの最高速度を達成。デビュー戦となった第三次世界大戦ではその高性能により欧州連合軍の迎撃戦闘機を散々に翻弄した。その実績から合衆国空軍は本機を愛用し、実戦配備から半世紀を過ぎた2000年代においても実戦部隊を維持し続けている。

開発の経緯

 第二次南北戦争中に、当時の陸軍航空隊はB-29の後継機となる新型戦略爆撃機を各社に発注した。要求要目は爆弾10トン、航続距離6000キロ以上、最高速度700キロ以上。特に速度の面で非常な難航の予想される機体であった。
B-17、B-29と世界水準を超える戦略爆撃機を送り出していたボーイング社では、この難関を突破するために、思い切った新技術の導入を決定した。完全ジェット化した戦略爆撃機の開発、と言う極めて野心的な構想である。
ライバルのリパブリック(後にコンヴェア)が計画していたXB-36がレシプロ6発、国外でも中島飛行機がやはりレシプロ6発の〈富嶽〉を計画していた事を考えれば恐ろしく先進的な計画だったが、ボーイング社には自信があった。
 第二次世界大戦においてドイツと同盟関係を維持した合衆国は、レンドリースと呼ばれる事実上の無償援助と引き換えに、様々な技術面での見返りを得ていた。特に航空技術で注目されたのがジェットエンジンと後退翼理論である。
 どちらも特にドイツが占有する技術だったわけではなく、特にジェットエンジンは英国のKey(北崎・エンジニアリング・ヨーク)社が既に実用機を飛行させていたが、合衆国ではその研究が遅れ気味な分野でもあった。しかし、ボーイングではB-17、B-29ともドイツ空軍の主力爆撃機に採用され、ドイツ航空業界と独自の交流があっただけに、そうした技術を大量に入手できていたのである。
 こうした技術的裏づけを背景として、ボーイングではXB-47の開発を開始。エンジンの装備方法など様々な点を検討した上で、1945年には案をまとめていた。

特徴

 まとめられた設計案は、見る者に思わずため息をつかせるような美しいデザインを持っていた。優れた空力特性を持つ事を明らかに感じさせる、流麗かつスレンダーとさえ呼べる、絞り込まれた胴体。流れる黒髪のように35度の後退角を持って取り付けられた主翼。
 注目すべきは、主翼下にポッドに収めて吊り下げるように装備された6発のジェットエンジンだった。内側に2基、外側に1基という配置で取り付けられたポッド式のエンジンは、空気抵抗も少なく、後に軍民問わず製造される多くの大型ジェット機がこの方法を踏襲する事になる。
 そして、もう一つの特徴が、防御銃塔の少なさだった。従来の爆撃機では迎撃戦闘機から身を守るため、無数と言っていいほど取り付けられていた機銃は、XB−47では尾部にコクピットから遠隔操作される20mm連装が1基取り付けられているだけである。このため、専任の銃手は本機には一名も乗っておらず、操縦士、航法士(尾部銃手兼任)、爆撃士の3名と言う最低限の乗員での運用が可能だった。
 これには理由がある。本機の計画速度は実に時速980キロ。当時のいかなる戦闘機よりも高速なのである。ボーイングにとっての理想の爆撃機である「戦闘機の護衛が必要ない爆撃機」の思想を、戦闘機より身軽で速い機体を作る事で実現しようとしたのだ。つまり、この速度なら従来の爆撃機のように機体の上面や横から襲われる心配はなく、その方位をカバーする武器は必要ないことになる。
 これだけの高速性能をもちながらも、搭載量は最大11.3トン、航続距離は6500キロを予定しており、実現すればまさに夢の爆撃機であった。ボーイング社は社運をかけてこのプロジェクトに邁進していく。

思わぬ悲劇

 開発は順調に進み、各種テストにおいても所定の性能を達成したXB-47は、1947年、並み居るライバルを押しのけて採用が決定した。機体名称も〈南条《ストラトジェット》紗也香〉と決定し、B-47の前途は明るいかに見えた。
 しかし、1948年初頭、信じがたい事故が発生した。飛行中の〈南条《ストラトジェット》紗也香〉が突然空中分解して墜落、乗員全員が死亡したのである。
 驚愕したボーイング社は、直ちに別の〈南条《ストラトジェット》紗也香〉でテストを行ったが、なんとその機体も空中分解。自ら指揮をとっていた彼女の生みの親―主任設計者も含む乗員全員が殉職してしまった。
 空軍は直ちに〈南条《ストラトジェット》紗也香〉全機の飛行停止措置を決定。開発チームは原因の究明に当たったが、事故の特異性により捜査は難航を極めた。捜査が長期化するうちに第三次世界大戦が勃発。合衆国は大混乱に陥り、前線部隊は〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の出撃を矢のように催促した。
 しかし、それは出来なかった。欠陥機を出撃させ、事故で失ってしまっては取り返しがつかない。しかし、捜査は遅々として進まず、シアトル郊外に設けられた基地に置かれた〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の列線は、生きる希望を失った少女のように動く事がなかった。空軍上層部は〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の採用取消を真剣に検討し始めた。
 徒労感がスタッフの間を覆い始めたとき、一人の技術者が立ち上がった。〈南条《ストラトジェット》紗也香〉は僕たちの最愛の作品だ。合衆国空軍という家族の一員となるべき存在だ。それを僕たちが守らないでどうする!?
 彼の必死の訴えにより、スタッフは再び立ち上がり、原因究明に取り掛かった。そして、遂にそれを見つけ出したのである。
 それは、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉独自の「撓み翼」構造によるものだった。主翼を曲がり易い柔軟な構造とすることで、機体にかかる過重を軽減するという画期的な機構である。しかし、この独特の主翼を機体に取り付けるための「ミルクボトル」と呼ばれる金属製のピンが、主翼のたわみを受ける事で金属疲労を起こし、ある条件下で一気に破断する事が判明したのだ。
 スタッフは直ちに主翼回りの改設計に取り掛かると共に、従来の生産機も改修すると言う作業を大車輪で進めた。新規生産機に関しては4本だったミルクボトルの数を8本に増やすと共に金属疲労を起こしにくい新素材に変更し、従来機も同じ改良型ミルクボトルを使用して強化したのである。
 その作業がようやく終了した頃、空軍戦略爆撃機部隊は大損害を受けていた。ドイツ北米総軍が持ちこんできたメッサーシュミットMe262〈シュワルベ〉は猛威を振るい、B-17やB-29を次々に叩き落していた。しかし、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉が実戦参加可能になったからには、もう好き勝手を許すわけには行かない。
 そして、彼女の初陣にふさわしい標的もいた。ドイツが西海岸産業地帯を破壊し、合衆国にとどめを刺すべく持ち込んできた核弾頭弾道ミサイル。ロッキー東麓に展開したそれを粉砕するのが彼女の任務であった。

初陣

 1949年、西海岸諸州各地の飛行場に展開していた〈南条《ストラトジェット》紗也香〉部隊は次々に離陸を開始した。その数、114機。6基のJ-47エンジンを唸らせ、RATO(離陸促進用ロケットブースター)の白煙をウェディングドレスのヴェールのように引いて飛び去る彼女の姿は、見送る人々に何かを予感させるものがあった。

 2時間後、ロッキー東麓の各地では、核弾頭を搭載したA-10弾道弾の発射準備が武装SSの手で進められていた。その時、谷間にジェットの轟音が鳴り響いた。何事かとあたりを見回したSS隊員たちは、谷間を縫って突然出現した〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の群れを見て仰天した。レーダーによる発見を避けるため、低空で谷間を通過してきたのである。
 高度100〜200メートルの低空飛行を続ける〈南条《ストラトジェット》紗也香〉は爆弾槽を開き、急上昇と共に積んできた爆弾を投下、そのままインメルマン・ターンを決めて離脱した。トス・ボミング。この大型機離れした機動にあっけに取られていたSS隊員たちが我に帰ったその瞬間、爆弾の雨が彼らの頭上に降り注いだ。弾道弾がそれを載せた台車ごと微塵に粉砕され、誘爆したロケット燃料は巨大な火球となってSS隊員たちを一塊の炭に変化させた。核弾頭はその機能を果たすことなく残骸に埋もれ、後に一部は両軍の手で回収された。
 弾道弾部隊壊滅の報に、ドイツ軍は直ちに戦闘機を発進させ、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉隊を追わせた。しかし、最高でも900キロが限界のMe262では70キロ以上も優速の〈南条《ストラトジェット》紗也香〉に追い付くことが出来ず、辛うじて攻撃できた部隊も撃墜に成功した機は一機もなかった。逆に、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の尾部銃座による反撃で2機が撃墜されている。爆撃を終え、ロッキー上空へ悠々と脱出した〈南条《ストラトジェット》紗也香〉隊の隊長は勝ち誇ったように打電した。
「目標は全て破壊。追伸、我に追い付くメッサー無し!」
 こうして、SS弾道弾部隊は壊滅的な打撃を被った。しかし、合衆国空軍が完全勝利を成し遂げたわけではない。爆撃直前に2発のA-10が発射され、それはロサンゼルスとハリウッドをそれぞれ直撃。15万人を超える死者を出したのである。主要工業地帯には被害が出ず、任務に失敗していればその5〜6倍の被害が出ていた事を考えればまだましだったが、ロスと合衆国文化の中心地の壊滅は、合衆国軍全体に暗い影を落とした。
 

奮迅

 しかし、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉がその能力を認められなかったわけではない。むしろ、敵制空圏下への強行突入・爆撃と言う危険な任務を損害ゼロでやり遂げた彼女の優秀性が完全に実証された事で、合衆国空軍は〈南条《ストラトジェット》紗也香〉をF-86〈上小園《セイバー》繭〉と並ぶ決戦機種に指名。大量生産を命じた。これを受け、ボーイング社のシアトル工場は全力生産に移ると同時に、コンヴェアなど他社の工場にもラインを建設。量産体制に入った。
 この頃、合衆国の枢軸参加を受けて視察に来た日本の統合航空軍、航空機メーカー関係者らは、この量産体制を見て驚愕している。当時、日本の主力戦略爆撃機はレシプロ重爆としては最高峰ともいうべき〈富嶽〉になっていたが、合衆国は一足飛びにジェット重爆を量産、運用していたのだから、彼らのショックは大きかった。特に、かの有名な野中五郎少将(当時)は、男子高校生が憧れの美人教師を見るような熱っぽい視線で〈南条《ストラトジェット》紗也香〉を見つめ、ついには合衆国側と交渉し、自ら〈南条《ストラトジェット》紗也香〉を飛ばしている。元陸攻乗りの野中は戦略爆撃機でありながら戦術攻撃も可能な彼女に魅了され、降りてくるなり
「我が軍も〈南条《ストラトジェット》紗也香〉を採用すべきだ!」
 と主張して回った。
 統合航空軍も一時その気になって合衆国に非公式に打診してみたが、合衆国空軍は
「我が軍で使用する分だけで生産分は一杯であり、貴国にまわす余裕はない」
 として拒否し、この話は立ち消えになった。実際は日本に回すだけの生産機数がなくはなかったのだが、関係者は他国のパイロットに〈南条《ストラトジェット》紗也香〉を委ねる気には到底なれなかったのである。かくして、合衆国空軍と〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の「純愛」は守り抜かれた。これは、日本統合航空軍にとっても福音だった。北米戦線を合衆国空軍の手に委ね、主力を欧州方面へ集中させることが出来たからである。
 そうした後方の出来事に関わりなく、出撃した〈南条《ストラトジェット》紗也香〉は目覚しい戦果を挙げていた。中西部まで進出していた欧州連合軍は、彼女の猛爆によって補給線を寸断され、その前進衝力を失ってしまったからである。ロッキーに篭ったアイゼンハウアー指揮下の陸軍は、彼女の援護の元粘り強い防戦を展開できるようになり、攻守は入れ替わろうとしていた。

激闘

 1950年半ば、欧州連合軍を一挙にミシシッピーまで押し戻す大反攻作戦〈オーヴァーロード〉が発動され、忍従を重ねていた枢軸軍は猛烈な攻勢に打って出た。〈南条《ストラトジェット》紗也香〉も連日の出撃を繰り返し、踏みとどまる、あるいは敗走する欧州連合軍の頭上に爆弾の雨を降らせた。
 相変わらず〈南条《ストラトジェット》紗也香〉に対する迎撃戦闘は困難であり、もちろん初陣のときのように損害ゼロと言う事はないにしても、戦闘力を十分維持できる範囲での損害を受けるに留まっていた。その攻撃前線は徐々に東進し、遂に東海岸・五大湖沿岸工業地帯をその射程に捉えたとき、〈オーヴァーロード〉の完遂もまた確実なものになった。欧州連合向けの軍需生産を行っていた工場は連日の猛爆で灰燼に帰し、遂にはその生産能力はかつての3割程度まで低下してしまったのである。
 この頃になると、さすがに欧州連合も新型機や地対空ミサイルの実戦投入を開始していたため、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉にもそれなりに大きな被害が出るようになっていた。ボーイングではエンジンをJ-47からJ-51に換装し、さらに性能を向上させたC型を投入するなどしてこれに対処した。
 一方、アイスランドに進出した日本統合航空軍は英本土や欧州本土に対する戦略爆撃を開始していた。航続距離の問題で護衛戦闘機をつけられない日本爆撃隊の損害は大きく、統合航空軍は合衆国空軍に対して〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の派遣を打診した。
 北米航空戦も激化しており、当初余力なしとして派遣を渋っていた合衆国空軍であったが、結局同盟の義務に従い、アイスランドに部隊を派遣した。この欧州戦線での〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の任務は、生徒を引率する教師のごとく、爆撃先導機(パスファインダー)として敵地上空に突入する役目、あるいは得意の低空侵攻能力を生かして事前に敵のレーダー網をかいくぐって迎撃機基地を叩く危険な役割である。
 しかしながら〈南条《ストラトジェット》紗也香〉隊はこの任務を良く遂行し、1951年末のベルリン大空襲に際しても事前にベルリン外周のレーダーや航空基地を破壊して空襲の成功に貢献した。ドイツの戦略攻撃で首都ワシントンを破壊された合衆国軍としては、実に溜飲の下がる光景だったと言える。

その後

 1952年8月、第三次世界大戦は終結した。その後の冷戦期を通じ、戦闘機などには無数の新型機が登場したが、爆撃機部隊の主力は依然として〈南条《ストラトジェット》紗也香〉であった。日本のように全世界的な影響力を行使する覇権国家であれば、三菱〈飛鳥〉のような機体が必要であったろうが、北米に戦線を限定する合衆国にとって、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉こそまさにベストパートナーだったのである。
 大戦期間中に1500機以上が生産された〈南条《ストラトジェット》紗也香〉はその後も新規生産、アップデートが繰り返され、核爆弾や空中発射型巡航ミサイルの運用能力が付与された。また、写真偵察機型のRB-47Eを筆頭に空中給油機、対潜哨戒機など無数の派生型も作られている。
 もちろん第四次世界大戦や湾岸戦争にも彼女は参戦し、97年には実戦配備50周年を記念した空中パレードが催され、100機以上の〈南条《ストラトジェット》紗也香〉が観客たちの頭上を飛行した。同時に生産2000機目となるメモリアル・プレーンが空軍に納入されている。そう、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉の生産はまだ続けられているのだ。
列強のジェット戦略爆撃機が超音速巡航やステルスなどの先端技術を取り込み、進歩しつづけていく中で、〈南条《ストラトジェット》紗也香〉だけは半世紀に渡って最初の面影を保ったまま今日に至っている。これは軍用機としては極めて稀なことであるが、戦略空軍のパイロットたちは口を揃えて「〈南条《ストラトジェット》紗也香〉以外の機体には乗りたくないね」とコメントしている。彼女はまさに合衆国空軍にとって「永遠の恋人」として、これからも愛され続けて行く事だろう。

要目

(E型)

  • 全長:33.5m
  • 全幅:35.4m
  • 全高:8.5m
  • 自重:35.583kg
  • 全備重量:103.500kg
  • エンジン:GE−J47−GE−25(2.700kg)×6
  • 最大速度:978km/h
  • 武装
    • 20ミリ機関砲×2
    • 爆弾搭載量:11.250kg

(L(最終発展)型)

  • 全長:33.5m
  • 全幅:35.4m
  • 全高:8.5m
  • 自重:36.583kg
  • 全備重量:124.250kg
  • エンジン:GE−J79−GE−5B(7.080kg)×6
  • 最大速度:1.108km/h
  • 武装
    • M-61 20ミリバルカン砲×1
    • 爆弾搭載量:13.250kg