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〈島津《ラ・サール》一葉〉

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〈島津《ラ・サール》一葉〉 Porte-avions PA-58 “La Salle”

カクテルソフト「univ〜恋・はじまるよっ〜」島津一葉

DGAのご令嬢

〈君影《シャンプレン》百合奈〉級の準同型艦で1946年度計画艦(計画番号PA-58)。設計は前2級とはうって代わってレジーゼ・ペイェルドが担当し、艦のエンブレムはひなぎくをモチーフにしている。
 船体を一回り大きくし、装甲と飛行甲板の大型化、そして新型航空機への対応を図ったがトップヘビーの元になる飛行甲板の装甲は最初から考慮されず、またエレベーターに関しても重くなった搭載機による着艦の衝撃をまともに受け止め、さらにその大きさで機体サイズを制限してしまう中央配置を止め、汎用性の高い舷側エレベーターのみとする設計は同盟国ドイツの空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉級とは対照的で、その概要はむしろ合衆国空母〈天都《イントレピッド》みちる〉の近代化改装後の姿に近い。
 9度のアングルド・デッキを持った飛行甲板、そして右舷中央のアイランドは煙突と一体化し、高い棒マストを装備した3層構造で、エレベーターはその前後に配置され、英国や合衆国から得た資料に基づいて製作された新型のカタパルトを艦首右舷部とアングルド・デッキ部に一基づつ装備。左右のスポンソンに新型のクルーゾ・ロワール社製10センチ単装高角砲と5.7センチ連装高角砲、IR(赤外線誘導式)艦対空ミサイル・R530〈マズルカ〉を搭載。試作空対空ミサイルを転用したフランス自慢の国産艦対空ミサイル〈マズルカ〉はドイツの同業者〈ゼー・シュワルベ〉と違って赤外線誘導式のために簡易で小型軽量なのが特徴だが、肝心の赤外線信管を冷却する装置を持たないフランスらしい落ち度のために妨害や太陽に弱く命中率もあまり高くなかった。
 主機は巡航時には蒸気タービン、ブースト時にはスイスのズルツァー社が開発、駆逐艦〈ファーブル・ディグランティーヌ〉で試験されたセミクローズド・ガスタービンを加えるCOSAG推進を採用、部分出力時には半端でなく悪く、「鬼だ」「ステーキをおごらされるようだ」と補給担当泣かせだったガスタービンの欠点をカバーし、必要なら蒸気圧を上げるのに時間がかかり、寝起きの悪い蒸気タービンに代わってガスタービンによる短時間稼動も可能でかつ機関部をコンパクトに造れる。
 なお、フランスは1950年にDGA(Delegation Generale pour L'Armement)を組織している。陸海空軍の装備を一括掌握する「装備軍」と日本では訳される第四の軍であり、この下部組織である艦船建造局DCN(Direction des Costructions Navales)が工廠を統括し、〈島津《ラ・サール》一葉〉はこの組織の下で建造された初の主力艦となった。彼女が「運用するためには大財閥の令嬢と付き合うくらいの覚悟がいる」と称されたのもここにある。ドイツ側としては彼女を機動部隊に組み入れることに躊躇気味だった。独自部分が多すぎるために(彼等から見れば)非常識としか思えない構造をそこかしこに見受けてはその気持ちもわからないでもなかったが。
 だがそれ故に彼女は過酷なWW3終盤を生き残り、戦後もGETTO戦略の一員を担うことになったのはある意味皮肉な結果とも言えるだろう。


遅れてきたお嬢様


 〈島津《ラ・サール》一葉〉が竣工したのは1951年9月30日。起工から5年近くが経っていた。空母が一隻でも欲しい戦局なのにこれでは遅すぎる。一部の資料だと彼女の前にブレスト工廠で建造された〈君影《シャンプレン》百合奈〉が進水時にドックの門扉を壊した事故を理由に上げているが、本当の理由はこれではなく設計変更だった。ガスタービンを積んだり対空砲の代わりにミサイル発射機を装備するなどによって竣工がここまでズレてしまったのだ。
 セミクローズドサイクル・ガスタービンは普通のガスタービン(正式にはオープンサイクル・ガスタービン)とイタリアが採用したクローズドサイクル・ガスタービンの併用で空気を低圧圧縮機から空気冷却機、高圧圧縮機と入った後、熱交換器を通る間に再生機、燃焼室と入ってタービンを回す空気とそれによって加熱されて空気タービンを回した後に熱交換器に戻る空気に分割されるシステムで、クローズドサイクルでの熱効率の高さと燃料の融通性、オープンサイクルでの取り扱いの良さを兼ね備えた機関である。欠点は文章説明をするのも大変なくらいの複雑な構造で、性能のよさから「まあ、そうなんですか?」とばかり安易に採用、更にはCOSAG推進化させて構造を複雑化させてはどうしようもない。結局全てが裏目に出て「完成した時にはそれどころではない」というフランスの悪い癖がそのまま出てしまった。
 「それどころではない」というのは戦局である。カリブ海からの消耗戦とそれに続く航空戦のおかけで空母はあっても載せる航空機がないという本末転倒状態を迎えていた。さらに航空機は造れても乗るべきパイロットがいない。もともと空母機パイロットは「制限された不時着」とまで呼ばれる程難しい着艦訓練を施さないと商売にならない存在。だが空母機パイロットはそれゆえに普通の作戦にも投入できる使い勝手のよい存在。その結果は消耗によって中堅搭乗員がごっそり消滅し、僅かな数のエースとろくに飛べない未熟練搭乗員が残るという結末が待っていた。
 1952年1月13日、〈君影《シャンプレン》百合奈〉〈御薗《デスタン》瑠璃子〉〈島津《ラ・サール》一葉〉の3隻と護衛艦からなるフランス機動部隊はリガに到着。見慣れた存在である〈君影《シャンプレン》百合奈〉級よりも一回り大きく装備も充実した〈島津《ラ・サール》一葉〉は傍目には有力な存在に見えたが肝心の載せる航空機がないのでは役には立たず、他艦へのタンカー代わりとしての存在でしかなかった。逆に言えば正規空母をタンカー代わりにせざるを得ないほど欧州連合にはタンカーが逼迫していた証明でもある。既に独仏の燃料事情はメタノールや微粉炭で燃料を賄っていたイタリアを笑えないどころか、石炭ボイラーの護衛艦を泥縄で建造する惨状にまで落ち込んでいたのだ。特に空母は高速艦艇のために燃料は別腹とばかりにバカ食いし、一回分の出撃が出来るかどうか怪しい。そうなると燃料にまだ融通性がある〈島津《ラ・サール》一葉〉を残して搭載機は他艦に譲るという考えが艦隊から出てきてもおかしくはない。
 もう一つ、機動部隊を束ねるノルトマンには〈島津《ラ・サール》一葉〉を扱いきれなかった。前年の9月に竣工したのはいいがフランス海軍上層部が彼女を箱入り娘のように扱って温存したため、艦の訓練が全く行き届いておらず艦隊行動すら危うい。
 結局、彼女はリガに残された。ノルトマンは自艦隊、特に空母の全滅を予期していたのだろうか。この戦いの損害によっては自由フランスと「正統」を争い、足元にも問題を抱えるヴィシー・フランス自体が寝返りかねない。そんなことは状況からして許されない。死ななければならない運命があるのなら、生きなければならない運命がある。彼女は生き残り、WW3の「続編」に繋げる運命を背負わされていたのである。
 そして、ノルウェー沖でノルトマンが率いた7隻の空母は全滅した。


第八の空母


 1952年1月26日昼、ノルトマン艦隊はトロンハイムに寄港しつつあった。いや、やっとの思いで辿り着いたというのが正しい。
 第一航空艦隊と名前はあるものの空母は全滅、ノルトマンは〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に将旗を移動したが当の〈桜塚《シュリーフェン》恋〉も浸水でかなり危ない情況。僚艦の〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉も被雷によってフラフラになっていた。
 結局浸水に耐えきれずトロンヘイムに両艦は着底。〈東雲《ギッシャン》深月〉に負傷者を託して艦長と対空要員は残った。動けなくなってもまだ砲撃は出来る。ノルトマンは〈ザールブリュッケン〉に移乗して彼女達と別れ、残存艦艇を連れてオスロに南下した。ノルウェー海を慎重に南下していくと上空に戦闘機隊の姿があった。
「驚いたな」
〈島津《ラ・サール》一葉〉からの戦闘機隊だ。戻ってきていた僅かな機体を集めたので仏独混成になっているのは仕方ない。だがそれよりも驚くのはスカラゲク海峡近くまで彼女が出向いていたことだ。欧州連合にはまともにジェット機を運用できる空母は文字通りたったの一隻。その一隻が動くことは恐ろしく危険な行動なのに。その一隻が沈めば欧州連合の未来すら左右するのに。
 オスロで〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉それぞれの艦長と再会した後、コペンハーゲンに到着した残存艦隊を〈島津《ラ・サール》一葉〉が迎えている。士官食堂に案内され、この時期としては非常識なほど豪華な料理を目にノルトマンは尋ねた。
「どうしてここまで来たんだ?」
「本艦も、第一航空艦隊所属ですから、お役に立ちたくて」
 確かにそうだ。行動自体は非常識のそしりを免れないがやっている事は正しい。ノルトマンや幕僚は苦笑するしかなかった。


続編へ


 枢軸側はアイスランド、更には奪回した英本土の飛行場から次々に爆撃機を繰り出して欧州本土に爆弾の雨を降らせていた。残存艦艇はリガ湾を始めとしてフィンランド湾やボスニア湾に逃げ込んではいたがどちらにしても爆撃から逃げるだけで精一杯。どこに逃げても枢軸軍の長距離偵察機に見つかって勲章の種にされてしまう。
 52年3月、この時点で生き残っている大型艦は何をしていたのか。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉、〈篠宮《アルザス》悠〉〈島津《ラ・サール》一葉〉4隻がバルト海のあちこちでひっそりと隠れていた。スウェーデンとの国境ギリギリにいる〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉、〈三好《ダンケルク》育〉を含めると意外にも数多く残っていたものである。だが彼女達は何も出来なかった。
 対して枢軸側は小生意気な〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉を手篭めにして意気を上げた空軍重爆部隊、更には所構わす空襲をかけられる機動部隊、他にも地中海から転戦してきた部隊も加わって強化されていた。立場は違えど彼等爆撃隊が狙うのはやはり艦船。都市や工場を爆撃するのも確かに重要だが、やはり爆撃機に乗って戦う以上、大型艦を自分の分身とも言える爆弾や魚雷、あるいはミサイルで沈めたいという願望を持つのは男の性(当たり前だが、搭乗員はごく少数を除いて男だ)。乗っているのが〈富嶽改〉、〈リンカーン〉、〈ストラスジェット〉という差はあれ、結局日英米の搭乗員達は同じことを考えていた。
 4月のゴーデンハーフェン封鎖作戦では触雷を覚悟で〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の活路を開いた〈前田《クロンプリンツ》耕治〉を横転させたように、枢軸機は機雷で港に追い詰め、じっくりと攻略する作戦を選んでいた。このあたりは地中海における英日の残存イタリア艦隊攻撃作戦である「Last regret II」がイタリアの艦艇陽動作戦「夢幻譜」によって達成半ば(英国は達成と豪語したが)で潰えたことに対する反省からであろう。外堀を埋めて攻略するのは大坂城以来の日本の伝統だという説もあるが。
 その攻略対象である〈島津《ラ・サール》一葉〉はこの頃、ゴーデンハーフェンよりも更に内側にあるピラウ港に停泊していた、だが対岸が機雷封鎖を受けたこともあり、5月上旬、フィンランド湾への回航が命じられる。5月22日、一緒にいた〈東雲《ギッシャン》深月〉と駆逐艦をともなってピラウを出港。雲を隠れ蓑に慎重に沿岸を航行し、メーメル沖に達した時逆探に敵機からの電波が反応した。やはり見つかったか!
 見つけた、雲の切れ目からアングルドデッキの空母が見受けられる、紛れもない。欧州連合唯一の正規空母の証だ。周囲からは対空砲が歓迎の祝辞を打ち上げているがパスファインダーを務める〈ストラスジェット〉にかかればこの程度は簡単なもの。後ろからついてくる爆撃隊に的確な指示を送り、それに基づいて〈飛鳥〉が爆撃コースに乗る。まだ敵戦闘機の報告は上がっていない。この機を逃さず第一中隊が爆弾を投下。命中こそしなかったもものの、至近弾となって〈島津《ラ・サール》一葉〉を傾斜させる。
 続けて第二中隊の出番だ。眼下には傾斜し、「さあ、沈めて下さい」といわんばかりの彼女、美味過ぎるシュチエーションではないか。後は爆撃隊が抱えた対艦爆弾を叩き込むだけ。第二中隊各機の〈飛鳥〉は定石通りの爆撃コースに入った。照準機がセットされ、爆弾倉が開き、止めの徹甲爆弾が顔を出す。
「そのくらいにしてもらいましょうか」
 刹那、恐ろしく冷静な通信とともに上空から爆撃機隊に襲い掛かる戦闘機の一隊。爆撃機隊にとってはまるで背後からピストルを突きつけられたようなものだった。完全な奇襲。「詐欺だ!卑怯だ!」
「寸止めだ!」
「こんなオチじゃ浮かばれん!」
 いかに枢軸軍最高性能の爆撃機と言えども戦闘機に背後から奇襲されてはかなわない。たちまち断末魔の悲鳴を残して撃墜され、残った機体も命からがら逃げるのが精一杯。奇襲とはいえ文字通りの完全勝利だった。敵爆撃機の三分の二を叩き落し、自らの損害は被弾機少々。この時期からすると奇跡に近い戦果である。
「・・・間に合ったか」
 今までの〈ミステール〉よりも更に後退翼を強め、みるからに高性能を思わせるその機体。その名前の通り〈ミステール〉を超えたもの、それが〈シュペル・ミステール〉。第三次大戦でヴィシー・フランスが送り出せた最強の戦闘機。その実力は戦後のテストで超音速を発揮できた程。だが余りにも遅すぎた。
 ゆっくりと〈島津《ラ・サール》一葉〉の上空を旋回しながら基地に戻っていく〈シュペル・ミステール〉。後半年、後半年これが早ければこういう結果にはならなかったはずだ。もっと早く量産できていれば。後からの愚痴はいくらでも言える。
「必要な時に必要なものがある」
 それがいかに当たり前で、いかに難しいことか。〈シュペル・ミステール〉の後ろから、錨を中心部にあしらい、縁取りしたラウンデルではなく白い縁取りの黒十字を翼につけた機体がバンクを送っている。ハインケルHe581。He481のエンジンを強化して戦闘力を格段に上げた機体だが、完成した時には空母はなく、地上配備の艦上戦闘機として日々を送る機体。いかにドイツが性能を言い張ろうとも、所詮は遅れてきた存在でしかなかった。載せる空母があるだけまだマシな〈シュペル・ミステール〉にしても戦争終結までに完成させた機体は二桁(約60機)にしか過ぎない。対して枢軸側が出した機体はどのくらいあったのか。この差が全てだった。


再出発


 1952年9月2日、スカパフロー。各国艦艇が一同に介していた。戦いは終わり平和の季節の到来を告げるかのような賑わい。だが沖合ではその季節は危ういバランスの上に立つかりそめのものだということが一目で判る情景が展開されていた。
西側には日米英の機動部隊が戦闘態勢で待機し、東側には上空に〈シュペル・ミステール〉、He581、G91Yを従えた欧州連合機動部隊・・・といってもたったの3隻だが・・・が待機している。
 その中で一際大きい〈島津《ラ・サール》一葉〉には二本の中将旗が掲げられていた。片方は第一航空艦隊司令ノルトマン中将の所在を意味している。式典に出向いても良かったのだが、彼は機動部隊の指揮をする事を選んだのだ。
「また、最初からやり直しになりそうですよ」
 結局ドイツが戦いを終えた時、残っていたのは何とも皮肉なことに彼が最初に過ごした懐かしの〈愛沢《ライン》ともみ〉だけだった。これから再びドイツ海軍が翼を得るには長い長い道のりが待っているだろう。
「嘆くな、我がフランスが(ドイツ機動部隊の)『お母さん』になってやろう」
ノルトマンは懐かしい、そして暖かい響きをまた聞いたような気がした。そしてもう一つの将旗の持ち主・・・マルザン中将と共に笑った。
 1952年9月2日、スカパフロー。フランス機動部隊の「お嬢様」は新しい話へと動き始めていた。

要目

  • 基準排水量 33307トン
  • 満載排水量 40780トン
  • 全長 268.3メートル
  • 全幅 31.7メートル
  • 喫水 9.2メートル
  • 飛行甲板 287.1メートル×58.5メートル(最大幅)
  • 格納庫/1段:199×27×7.6メートル(長さ×幅×天井高)
  • 主機 COSAG(DCNパーソンス・タービン4基+ズルツァー・セミクローズドサイクル・ガスタービン4基)/4軸
  • 主缶 アンドレ缶4基
  • 出力 180000馬力(蒸気タービン80000馬力+ガスタービン100000馬力)
  • 速力 32ノット
  • 航続力 18ノットで8000海里
  • 兵装
    • 55口径10センチ単装高角砲8基
    • 60口径5.7センチ連装高角砲12基
    • 70口径40ミリ連装機銃6基
    • 艦対空ミサイル〈マズルカ〉4基
  • 装甲
    • 艦橋90ミリ
    • 舷側95ミリ
  • 搭載機 60機

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