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〈早瀬《ウォーラス》霞〉

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スーパーマリン〈早瀬《ウォーラス》霞〉

Clear「Wing&Wind」早瀬 霞


 スピットファイアと同じ、レジナルド・ミッチェル技師の設計になる水陸両用の多用途機。カタパルト射出の艦載機であるが、空母からの発着艦も可能な設計になっている。水陸両用にして戦艦や巡洋艦のみならず空母でも使用可能であり、それでいて見かけは飛行艇という、訳の分からない存在であることから、「パチモン飛行機」「なんちゃって飛行機」「蝙蝠」などと愛情の裏返しというべき陰口を叩かれている。ちなみに日本では「馬鹿烏」と呼ばれていたりする。
 四人乗りの木金混成構造の複葉機。ブリストル・ペガサスの単発で、推進(プッシャー)式に配置されている。武装は機首と後部にルイス7.7ミリ機銃が2基あり、それぞれ副操縦士と偵察員が掛け持ちで銃手を努めた。
 原型機は1933年に初飛行し、1936年に艦隊航空隊(フリート・エア・アーム)に制式採用された。ほぼ同時に日本海軍にも採用され、愛知時計電気でライセンス生産された機体が愛知96式水上偵察機(E10A1)として海軍航空偵察部隊の一翼を担った。日本では中島飛行機の〈寿(ジュピター)〉エンジンを使用している。
 35年から36年まではソーンダーズ・ロウでMk.気216機生産され、その後はサローで42年夏までMk.兇300機近く生産されている。英本土陥落後は愛知時計電気に生産が全面的に移管されて1952年までに461機が生産された。
 戦艦、重巡洋艦、大型軽巡、空母(護衛空母含む)に搭載され、索敵・触接、弾着観測、連絡任務、対潜哨戒に活躍し、己の任務をきっちりと果たし続けた。日本海軍では電探や回転翼機の発達から本機の使用を46年には止めたが、英海軍は頑固なことに第3次世界大戦の終結まで用い続けている。

 本機を使用した沿岸航空軍団(コースタル・コマンド)の哨戒部隊は、不審な潜水艦を発見するやいなや直ちに爆雷を叩きつけるため、友軍の潜水艦部隊には相当な不評を買っていた。しかし哨戒部隊では「昆虫よりもバカな頭(十年一日のごとく通商破壊を行っていることを指すらしい)のキャベツ野郎に教育するため」として全く意に介していない。そのため喧嘩沙汰に発展することも珍しくなかったという。
 しかしながら、〈早瀬《ウォーラス》霞〉の哨戒活動によって船団襲撃の危険が西部近接海域司令部にいち早く報じられることにより危地を脱した船の多いことから、哨戒部隊は船舶会社からはいたく感謝されていた。もっとも、日本海軍の見解では「さぼって釣りでもしていたんだろう」ということで、評価は未だ低いままである(日本海軍は〈早瀬《ウォーラス》霞〉によって痛い目にあったことがあるらしい。ただし、事例の公表は今なおされていない)。

 〈早瀬《ウォーラス》霞〉は、人には知られていないながらも重要な任務に従事することが多々あり、その中には近年になってから情報公開された、1943年1月の東太平洋海戦(ハワイ沖夜戦)への「手伝い」こと極秘介入がある。
 この秘密作戦「ファイアワークス(花火)」に参加したのは英国東洋艦隊(ソマーヴィル)旗艦〈結城《ウォースパイト》紗夜〉、〈ダイドー〉級軽巡〈村上《ユリシーズ》若菜〉、駆逐艦A級、B級、C級各1隻の5隻からなる小艦隊だった。
 名目上の作戦目的は、同盟国自由フランスの依頼により、南太平洋のフランス海外植民地を平定するというものだった。そのために東洋艦隊は42年末から43年初頭にかけて、タヒチを中心としたソシエテ諸島を巡っている。
 同じ頃、パルミラ島とクリスマス島の近辺に終結し始めていた合衆国軍は英国東洋艦隊の動静に神経をとがらせていたが、英軍が赤道を越えていないことと日本軍が急速に迎撃態勢を整えつつあることから東洋艦隊を無視することにした。英国政府と合衆国との協定によれば、英国は合衆国と戦端を開かないことになっているのだから、東洋艦隊が動くはずもないのだ。合衆国軍が北方へだけ注意を向けたことを確認するやいなや、東洋艦隊は急速に北上していった。
 1943年1月30日深夜。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉から発進した〈早瀬《ウォーラス》霞〉4機編隊が、ハワイ諸島へ向けて進撃する合衆国太平洋艦隊本隊(インガソル)の上空にたどり着いた。〈早瀬《ウォーラス》霞〉がレーダーの覆域外となる低高度を進んでいたため、太平洋艦隊は気づくのが遅れてしまっていた。そして高度を取った〈早瀬《ウォーラス》霞〉が吊光弾を落としたとき、彼らは日本軍の夜間水偵に発見されたと誤認したのである。
 太平洋艦隊の反応は早かった。直ちに捜索及び射撃レーダーの回路を接続し、盛大に電波をまき散らして激烈な対空射撃を開始した。だが、このとき日本海軍第1艦隊(近藤)は捜索レーダーの探知距離範囲の外にいたのである。冷静さを取り戻した太平洋艦隊司令部が射撃を中止させたときには、第1艦隊は逆探知装置と電波管制機〈雪見〉の観測によって合衆国艦隊の位置を完全に把握しており、先手をとって優位に戦いを進めることになる。
 この「ファイアワークス」作戦によって、「ちょっとした貸し」を日本政府と海軍に作った英国は横須賀港を英国艦隊の母港として借り受け、様々な便宜を図ってもらうことになった。英国のしたたかさは健在、というべきだろう。
 後のことはともかく、無事に帰還してきた〈早瀬《ウォーラス》霞〉を収容した〈結城《ウォースパイト》紗夜〉らは全速で南方へ退避しながら、30日から31日にかけての水上夜戦を「花火見物」としゃれ込んだ。
 遠雷の如く砲声は響き、無数の色の光が瞬間その場を交錯する。夜空に描かれる光の絵画を見ながら、古参の下士官達は「中の下」と容赦ないランク付けをした(彼らの基準はジュットランド海戦である)。
 そして〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に将旗を掲げるソマーヴィル提督は、一抹の寂しさと苦い思いと共に「花火大会」を眺めていた。同盟国海軍と共に戦えないこと、本国を喪失した自分達とは無関係に盛大に海戦が行われること、そして自分達に再び海戦を挑む機会が与えられるだろうか、と。溜息をつきつつ、ソマーヴィルはシドニーへ向けての撤退を命じた。
 以上が、「ファイアワークス」作戦の顛末である。

 第3次世界大戦において、ソコトラ占領後の同島に本機部隊が展開して対空対潜哨戒、洋上救難にあたり、さらにはジェット機での迎撃が難しい、イタリア海軍の水偵〈ポテト〉による嫌がらせ攻撃への夜間迎撃任務についたことすらあった。ただし、〈ポテト〉〈早瀬《ウォーラス》霞〉の交戦は各種の事情により発生していない。
 この時はさすがに豆鉄砲のルイス機銃ではなく、「色艶がかかった芸術品」で「握ったときの固い感触」が感銘を与えるブローニング機銃へと換装している。おニューの機銃を与えられた迎撃哨戒部隊は大喜びだったという。
 第3次世界大戦終結以後も、民間に払い下げられた本機は長く使用され、北大西洋でサケ・マスの魚群捜索だけでなく、南氷洋での捕鯨船団でも用いられた。
 なお、英国には本機の飛行クラブも多数存在しており、艦隊への連絡任務に用いられることすらあるという。英国と〈早瀬《ウォーラス》霞〉とは、長い付き合いになっているのだ。

諸元(Mk.機

  • 全   幅 13.97メートル
  • 全   長 11.46メートル
  • 全   高 4.65メートル(地上姿勢)
  • 翼 面 積 56.7平方メートル
  • 全備重量 3,261キログラム
  • 最高速度 217キロメートル(高度1,450メートル)
  • 巡航速度 153キロメートル
  • 航続距離 965キロメートル
  • 武   装
    • ルイス7.7ミリ機銃2丁(ブローニング12.7ミリ機銃1丁)
    • 爆弾または爆雷340キログラム
  • 発 動 機 ブリストル・ペガサス 450hp (中島〈寿〉21型 580hp)
  • 乗   員 4名