〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉
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〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉 Schlachtschiff Hutaba-VON MOLTKE-Ryouko,KM
カクテル・ソフト「Piaキャロットへようこそ!2」双葉涼子
H42
ドイツのH級戦艦の第2シリーズに属する戦艦。仮称艦名はM。基準排水量6万5千トン。49口径42センチ砲連装4基8門。55口径15センチ両用砲連装6基12門。10.5センチ連装高角砲8基16門。全長282m、全幅39m。主機は全てディーゼルのH級に対して蒸気タービンも併用し、3軸で出力22万馬力を発揮した。最大速力は33.6ノット。同級艦に仮称艦名N、〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉がある。
設計はピンギン設計局(注)。〈高瀬《大和》瑞希〉級に対抗すべく、H級を強化したH42設計案に基づいて建造され、42センチ砲搭載戦艦として竣工した。将来には49口径46センチ砲の搭載が予定されており、ためにバーベット径は46センチ砲用に一回り大きなものとなっている。しかし砲の開発の遅延と戦局の悪化によって実現せず、替わりにR級戦艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉が本級用の46センチ砲を搭載して竣工することになる。
1948年10月20日の竣工後、〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉はドイツ北米艦隊に属し、全体に洒脱な雰囲気の北米艦隊の中にあって、一際謹直な仕事ぶりで知られた。北米艦隊の旗艦(マネージャー)として全体に目を配り、十二分にその役目を果たしている。鹵獲戦艦〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉の艦長が過労で倒れたところを気遣い、同じく鹵獲戦艦〈山名《ロードアイランド》春恵〉所属のヴォートOS2U〈山名《キングフィッシャー》かおる〉水上観測機が機位を失ったところを保護してもいる。
〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉艦長と〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の艦長は同期で仲も良かったが性格は正反対だった。快活で社交的な〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉艦長に対して、〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉艦長はチュートン的生真面目な性格であり、友人に少々コンプレックスを感じていたらしい。さらに自分自身の性格に嫌気が差しているようで、酒に酔っては泣いたり暴れたりと少々(どころでない)酒乱の気があった(ただし酔いから醒めた本人は、何をしたのかを覚えていない)。
〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は、北米艦隊の看板娘〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉がゴドフリート・ハイエ提督と共にバミューダ島沖に沈んだ後、オスカー・クメッツ提督のもとで再び北米艦隊旗艦となった。以後、ノース海峡に果てるまでその任を果たし続ける。
注:同級艦〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉は高海艦隊旗艦として本国に配備され、1950年末に46センチ砲へと換装している。けれどもヒトラーの「艦に大きな危険を犯させぬ命令」や主砲換装のための船渠入りによって戦力としての投入時期を逸してしまい、1952年1月のレイキャビク沖海戦まで46センチ砲の威力を発揮する機会に恵まれなかった。その主砲第1射は、レイキャビクへ退避しようとする空母に対するものだったが、敵艦撃沈はできなかった。なお、〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉には主砲換装にともなうバランス調整などの艦内改装が施され、ブリュッケ設計局(秘匿呼称〈FC02〉)が改設計を担当した。
夜戦
1952年1月、〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は、ドイツ海軍最後の攻勢作戦「北の暴風」に独仏合同艦隊旗艦として参加した。作戦目標はアイスランドのレイキャビクに集結している枢軸軍の船団。正規空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉と〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉を主力とする機動部隊が日本第2機動艦隊(大林)を引きつけている隙に、高海艦隊(チリアックス)と独仏合同艦隊(クメッツ)の水上砲戦部隊がレイキャビクへ遮二無二突入するのだ。作戦が成功すれば枢軸軍は英本土奪回を諦め、ドイツとの講和のテーブルにつく筈である。
1月18日、〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は北米艦隊主力を率いて、フィラデルフィアをひっそりと出航した。
当初の案では北大西洋を高速で横断し、アゾレス諸島で給油をおこない、スペインのオルテガル岬沖でヴィシー・フランス艦隊と合同した後、アイルランド島西方を通ってレイキャビクに突入する予定であった。しかしヴィシー・フランス艦隊が会同時間に遅れたこととアイスランド突入時間を調整するため、英本土とアイルランドを隔てるアイリッシュ海を突破することになった。現時点はアイリッシュ海入口のセント・ジョージズ海峡、1月24日23時。大西洋への出口、ノース海峡への到着予定時刻は翌25日、03時である。
月が雲に隠れた闇夜の中を、独仏合同艦隊はレーダーを一切使用しないまま進撃する。夜間監視員の肉眼と逆探知装置ローデ・ウント・シュバルツFuMB28〈ナウシカD〉だけが周囲を監視している。日本艦隊が存在することを示す電波の発振は確認されない。ただ上空に哨戒機とおぼしき大型機(九式長距離陸上警戒管制機/〈富嶽〉改造型)が海上を走査しているのが分かるだけである。その高度は1万3千メートル。このままノース海峡を突破できるかに見えた。
雲が風に吹かれ、月が姿を見せた。同時に哨戒機がレイキャビクに対して通信を開始した。電波の発振量が一気に増大する。
発見されたと確信したクメッツ提督は、艦隊左翼外周の護衛隊に速やかな撃墜を命じた。1個駆逐隊が方位測定用と角度測定用レーダー2基から電波を発振して大型機の追跡を開始した。対空射撃レーダーのパルス・ウェーブも発振され、対空射撃が開始された。短時間の電波発振ならば探知されまい、とクメッツは思っていた。
しかし、日本艦隊は合同艦隊が電波発振をおこなうのを待っていたのである。
03時20分。日本第1艦隊はベルファスト沖にいた。遊撃隊旗艦の装甲巡〈大庭《白根》詠美〉は、「女帝」然として22隻もの「したぼく」(〈千堂〉、〈九品仏〉、誘導弾搭載駆逐艦)の群を引き連れて、アイルランドの東海岸沿いに南下している。旗艦〈澤田《信濃》真紀子〉は主隊の戦艦5隻を率いて、ノース海峡を封鎖するように単縦陣で東へ向かっていた。
哨戒機よりドイツ艦隊がレーダーを作動させたとの報告を受けるや、〈大庭《白根》詠美〉に座乗する杉浦少将は「ポチ、打ち方始め!」と命令を下した。遊撃隊はアクティブ・レーダー・ホーミング型61センチ対艦誘導噴進弾(SSM)を概略方位へむけて一斉発射した。海戦史上初のミサイル戦である。彼我の距離は13海里(約24km)。
138発に及ぶ十式艦対艦誘導噴進弾が合同艦隊を襲った。正確に作動したのは101発である。集積回路採用以前の高度技術兵器としては十分な信頼性を発揮したと言える。北崎製のミサイル群は、カタログ通りの性能を発揮して音速に等しい速度で敵艦へ突進する。初期故障や、合同艦隊の弾幕、その他諸々の制約を突破し、最終的に命中した数は48発だった。
最初に被弾したのは護衛部隊の駆逐艦〈Z62〉だった。誘導噴進弾は音速に達した終末速度のまま〈Z62〉の舷側に衝突し、遅動信管を作動させた。トリニトロトルエンの1.5倍の威力を持つアマトール炸薬250kgの爆発による衝撃は駆逐艦の竜骨をブーメランのようにねじ曲げ、衝突した箇所より上の構造物を空に吹き上げた。〈Z62〉は一撃で戦闘能力を失い、急速に海中へ引き込まれていった。
戦艦で最初に被弾したのは戦艦〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉である。1発目の噴進弾は不発のまま調理室に飛び込み、さらに隣室のワイン貯蔵庫をも粉砕した。ひしゃげた弾体からは火が着いた固体ロケット燃料が撒き散らされ、調理用油にも着火してしまった。
艦内の可燃物、マホガニー製の机やテーブル、ドアなどの木製品に次々とロケット燃料の火が燃え移る。難燃対策を施した為にスパルタンな居住環境となった日独の艦艇に比べて、フランス海軍は戦闘航海時においても文化的な生活を過ごせることを重視していたのだ。
猛火に包まれた〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉にさらに2発の着弾が相次いだ。装甲の施されていない艦上構造物はぼろぼろになってしまった。
〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉にも噴進弾5発が着弾した。インターナル化された舷側装甲は破孔と火災の痕が残ったものの、噴進弾の直撃に耐え抜いた。噴進弾は多層構造になっている戦艦の装甲を完全に貫けず、ヴァイタル・パート内の心臓部に致命傷を与えることはできなかったのだ。
しかし爆発の衝撃波と破片の乱流によって艦上の脆弱物、特にレーダー・アンテナはことごとく破損してしまった。電子の眼は見えなくなり、艦隊は近視の女性が夜の露天風呂につかるような有様となった。敵が近づいていることに気づくのに遅れる結果となったのだ。
誘導噴進弾の攻撃による損害は、戦艦〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉中破炎上、巡洋艦〈ポンメルン〉沈没、〈明石《シャトールノー》達郎〉大破炎上、〈サン・ルイ〉、〈エミール・ベルタン〉大破、ドイツ駆逐艦1隻沈没、2隻大破、フランス駆逐艦3隻沈没というものだった。これだけの戦果を、わずか5分間で38発の誘導噴進弾は成し遂げた。
合同艦隊が火災に見舞われていることは、第1艦隊の遊撃隊と主隊からはっきりと見えた。月は完全に姿を顕わし、皓々と光を放っている。
03時30分、すでに敵艦隊は主砲の射程距離に入っていた。同航砲戦の態勢に入る。捜索レーダーによる射撃データは揃った。松田千秋第1艦隊司令長官は「打ち方始め」を下令した。
旗艦〈澤田《信濃》真紀子〉が50口径46センチ主砲12門を斉発する。旗艦に続けて6隻の戦艦、〈高瀬《大和》瑞希〉、〈宮内《伊吹》レミイ〉、〈宮内《鞍馬》ジョージ〉、〈神津《ニューハンプシャー》麻美〉、〈長谷部《高千穂》彩〉、〈新城《穂高》さおり〉がわずかな間隔を置いて順に発砲していった。
発砲の光が東から西へと連なっていく。しかしその光は弱い。発射火薬にFD4消焔火薬を用いて発砲炎すら小さくしているのだ。敵に与える情報は少なければ少ないほど良い。主砲弾はいずれも甲板への打撃力を増大させた超重量弾(SHS)を用いている。3万5千の距離ならば、堅い防御力を誇る独仏の戦艦に対してであっても、その防御甲板を貫通できる筈だった。
松田提督は、〈澤田《信濃》真紀子〉と〈高瀬《大和》瑞希〉が敵1番艦〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉を打ち、〈宮内《伊吹》レミイ〉、〈宮内《鞍馬》ジョージ〉が敵2番艦〈岩倉《ツォルンドルフ》夏姫〉を狙い、〈神津《ニューハンプシャー》麻美〉が敵3番艦〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉を、〈長谷部《高千穂》彩〉、〈新城《穂高》さおり〉が敵4番艦〈持田《ガスコーニュ》祥子〉を受け持つよう予め命令を下していた。担当を分けることで夜戦につきものの混乱をできるだけ少なくし、状況を把握できるようにしたのである。
周囲に水柱が林立しても、〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は未だ主砲を放っていない。射撃データが揃わないからだ。クメッツ提督は苛立ったがどうしようもない。日本艦隊は早くも2斉射目で〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉を夾叉してのけた。ようやくA砲塔(アントン)とB砲塔(ベルタ)が動き出し、敵艦隊を指向した。
遅い。このまま一方的に打たれるままでは、栄光あるドイツ海軍がイワンの農奴海軍と同じくみなされてしまう。それは恥だ。恥をかきたくない。
オスカー・クメッツが身の不運を嘆くと同時に、彼がいる夜戦艦橋に〈澤田《信濃》真紀子〉の46センチ砲弾が命中した。
合同艦隊は第1艦隊主隊と遊撃隊の砲撃に打ちのめされ、英本土エアシャーとマン島との間の海域(ソルウェイ湾)にその姿を沈めた。僅かな残存艦が英本土とアイルランドの港へ逃げ込んだ。日本艦隊に与えた損害は至近弾による損傷艦が幾つかある、という程度である。大ドイツ帝国は日本人に第二のロジェストヴェンスキー艦隊を贈呈してしまったのだ。
第3次世界大戦終結後のドイツでは、合同艦隊は第1艦隊の徹甲弾を射耗していたという説が大勢を占めた。ためにチリアックス艦隊がレイキャビク沖で反転せずに突入すれば枢軸軍奪還船団に大損害を与えられたのだと、指揮を執った高海艦隊司令長官オットー・チリアックスを非難する声が高い。第1艦隊以外に強力な砲戦部隊はおらず、戦果をあげる最大のチャンスだった、と。
であればこそ、というのは歴史のイフというべきものだった。独仏合同艦隊将兵の死が全くの無駄死にだったとは、ドイツ人は思いたくなかったのだ。
しかし近年の調査によれば、第1艦隊は保有する徹甲弾の内わずかな量を消耗したに過ぎなかったことが判明している。第1艦隊は合同艦隊が壊滅するまでに1隻あたり約100発を放ったという。つまり1門につき8斉射から12斉射をおこなったわけである。砲1門につき100発が用意されているから、多くて保有弾の十分の一を射耗しただけなのだ。保有弾の半分が榴弾として計算して、ようやく五分の一である。徹甲弾射耗説は全くの俗説なのである。
これではチリアックス艦隊と第1艦隊が交戦した場合、どう転ぶかわからない。しかもノース海峡では砲撃を行わなかった戦艦キラーの〈千堂〉と〈九品仏〉がいる。彼らは持てるタングステン弾芯特殊徹甲弾を全く消耗しておらず、ために全力発揮が可能だった。
漂流者の救助を終えて、ノース海峡から反転した第1艦隊がチリアックス艦隊を急追していたことから、水上砲戦部隊同士の交戦の可能性は高かったが、仮に交戦したとしても良くて相打ち、悪ければドイツ艦隊の一方的壊滅、最終的に日本とドイツは共に多数の戦艦を失っていたと考えられる。
日独の水上砲戦部隊が相打ちになった場合、ドイツではチリアックス艦隊を失えば大型水上艦が文字通り存在しなくなってしまうのに対して、日本軍は戦艦を失っても尚、正規空母12隻からなる2個機動艦隊を大西洋に展開することができる。枢軸軍の圧倒的な制海覇権は揺らがない。
そして、仮にチリアックス艦隊がレイキャビクへ突入したとしても、船団撃滅をなしえず全滅する可能性が高かった。レイキャビク泊地には、輸送船以外にも護衛部隊の戦艦群と護衛空母群もいたのである。地上攻撃用の護衛空母はともかく、戦艦群の主力は18インチ砲搭載の〈スフィー(Lv4)〉を始めとする英米の戦艦であり、彼らの戦意と戦力は侮れない。
さらにレイキャビクとは島をはさんで反対側のセイジス・フィヨルジルに、反応動力空母〈宮田《飛天》健太郎〉を中核とする『報復』作戦実行部隊こと第7航空艦隊がいた。この部隊の存在にドイツは気づいていない。彼らは〈小出《葛城》由美子〉級空母4隻とともに日本本土から来たのだ。
〈宮田《飛天》健太郎〉航空隊の所持する特殊徹甲爆弾「魔法の雷(マジカル・サンダー)」は、親衛隊の反応動力空母〈《インディカ》ユンナ〉の複合装甲を貫くために開発されたもの(40口径12.7センチ砲砲身を弾体としてタングステン弾頭をつけた)である。「魔法の雷」にかかれば、戦艦の水平装甲など紙のように貫通されていたであろうことは想像に難くない。しかもチリアックス艦隊に航空支援は無い。『報復』作戦の発動は遅れるものの、〈宮田《飛天》健太郎〉によってチリアックス艦隊は殲滅されていただろう、と或る軍事評論家は語っている。
艦橋への被弾で首脳部が消し飛んでも〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は尚も勇戦した。しかし砲側照準では命中弾をだすことはできなかった。第1艦隊主隊の射撃は艦の後半部に集中した。〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉が第1艦隊主隊に艦尾をむけるように転舵したためである。C砲塔(カエサル)とD砲塔(ドーラ)は瞬く間に破砕されて沈黙した。
03時48分。〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉は主砲弾火薬庫に引火し、艦中央から真っ二つに折れて沈没した。
生存者はいない。
要目
- 全長 282メートル
- 全幅 39メートル
- 主機
- ブラウン・ボベリー式ギヤード・タービン2基2軸
- MAN MZ65/95型ディーゼル4基1軸
- 主缶 ラ・モント高圧缶12基
- 機関出力 220000hp
- 最大速力 33.6ノット
- 基準排水量 65000トン
兵装
- 主 砲 47口径42センチ砲連装4基
- 副 砲 55口径15センチ砲連装6基
- 高角砲 10.5センチ連装砲8基
- 装 甲
- 舷側400ミリ
- 甲板250ミリ
- 砲塔450ミリ
同級艦
- 〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉 1948年竣工 1952年没
- 〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉 1948年竣工 1954年予備艦指定
- 〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉の要目(相違点のみ)
- 主機
- ゲルマニア式ギヤード・タービン2基2軸
- MAN MZ65/95型ディーゼル4基1軸
- 主缶 ワグナー高圧缶12基
- 最大速力 31.2ノット
- 基準排水量 69000トン
- 装甲
- 舷側400ミリ
- 甲板250ミリ
- 砲塔580ミリ
会議室を出る