〈川上《ケンタッキー》由里己〉
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合衆国海軍戦艦〈川上《ケンタッキー》由里己〉
元ネタ:戯画「Ripple〜ブルーシールへようこそっ〜」川上由里己
概要
合衆国史上最大にして最強の戦艦。基準排水量ではドイツの〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルグ》葵〉級に次ぐ世界第二位の巨大戦艦であり、同級艦が6隻建造されたと言う点は同クラスの戦艦では最多の量産記録である。
しかしながら、同級は武勲には恵まれず、6隻中2隻が戦没し、2隻は建造途上で破壊されている。そうした意味では、巨大な国力を持ちながら、皮肉な運命によって超大国の座を滑り落ちたアメリカ合衆国と言う存在を象徴する艦と言えるだろう。
建造の経緯
1938年にロング政権下で承認された第二次ヴィンソン・トランメル計画によって計画・建造されたポスト3年計画戦艦群の最終シリーズ。計画当初はパナマ運河通行を考慮した18インチ砲連装4基8門の6万トン級戦艦であったが、安定性に欠けること、日英が建造するであろう同クラスの戦艦群を確実に撃破できることを目指し、設計途中で大幅な変更が加えられた。
その結果、〈川上《ケンタッキー》由里己〉級は合衆国海軍史上、初めてパナマ運河通行を諦めた艦となった。主砲は1920年代に試作された18インチ砲Mk-0/1をリファインし、SHS(大重量砲弾)の使用に対応させた48口径18インチ砲、Mk-9を3連装3基、計9門搭載。SHS(1.7トン)を用いた斉射時の投射弾量は15.3トンにもなる。発射間隔は30秒。
主砲以外の武装としては、Mk-38 連装5インチ両用砲が片舷7基づつの14基28門。ボフォースを筆頭とする近接防空火器も豊富に装備されていた。
装甲は最も厚い主砲前盾で700ミリ、垂直装甲485ミリ、水平装甲280ミリと従来の合衆国戦艦を遥かに超える重装甲で、これにより、基準排水量は75,000トン、満載では80,000トンを軽く超える。艦の全長は288メートル、全幅は38メートルにも達した。
機関は前作〈桜庭ミズーリ香澄〉級のものを流用し、出力21万馬力。最高速力は28ノットを達成している。これにより、ポスト隆山条約艦は全艦28ノット以上の高速艦で構成される事になった。
配備
ネームシップ〈川上《ケンタッキー》由里己〉は1941年初頭にピュージェット・サウンド海軍工廠にて完成した。公試において所定の性能を発揮した彼女は、さっそく太平洋艦隊に配備され、ハワイ・真珠湾軍港に入港した。
太平洋艦隊司令長官キンメル大将は〈川上《ケンタッキー》由里己〉を大いに気に入り、さっそく艦隊旗艦とした。よほど気に入ったのか、太平洋艦隊司令部のビルには戻らず、艦内の司令公室に寝泊まりし、事務の決裁も全て艦内で行うほどである。司令長官がこれでは他のスタッフも〈川上《ケンタッキー》由里己〉に通うか、寝泊まりするしかなく、やがて太平洋艦隊司令部がまるごと艦内に引っ越してきたような状態となった。
ブイに繋がれた電話線はパンク寸前。無線からもひっきりなしに各地への連絡が飛び、〈川上《ケンタッキー》由里己〉は外洋へ出ていて直接連絡が取れない時でも、とりあえず現状の連絡先はわかると言うほど忙しい働きを見せていた。
一方、戦艦本来の仕事である砲撃に関しても、研鑚を決して怠ってはいなかった。合衆国戦艦の特徴として、主砲散布界の広さが挙げられる。これによる命中率の低下を補うために、射撃管制レーダーや装填システムの高度化による発射速度の向上が進められたのだが、〈川上《ケンタッキー》由里己〉は兵員自身の質の向上による、より高い命中精度を追求。連日猛烈な訓練を繰り広げた。
その結果、他の戦艦の散布界が800メートル近いのに対し、〈川上《ケンタッキー》由里己〉のそれは半分の400メートルから300メートルと言う格段の向上を見せていた。
〈川上《ケンタッキー》由里己〉を率いるモートン・ディヨー少将はこれに満足せず、他の戦艦にも自分と同等以上の技量を求める決意を見せ、援独義勇艦隊に所属して日英独三国の砲戦術を見てきた〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長をアシスタントとする砲戦技術向上プロジェクトを立ち上げた。
危惧
しかし、このプロジェクトに関する関心はどうも薄いものだった。理由は、この年に地中海で起きたテネロス岬沖海戦の結果を見たためである。
この海戦では、日本最新鋭のポスト隆山条約戦艦、〈高瀬《大和》瑞希〉と〈長谷部《高千穂》彩〉の2隻がイタリア海軍の主力〈霧島《ローマ》佳乃〉〈涼原《インペロ》千晴〉と激突し、敗退していた。18インチ砲装備・7万トンの大戦艦が「あの」イタリア海軍の4万トン戦艦に敗北を喫したのだ。これにより「日本恐るるに足らず」と言う奇妙な楽観論が合衆国海軍に蔓延していたのである。
この状況に、ディヨーは電話を握り潰したいほどの苛立ちを抱いていた。彼に言わせればテネロス岬沖の結果は当然のものだった。最新鋭=最精鋭ではない。完成したばかりの、乗員も熟練していないであろう艦が、英国との戦いで豊富な実戦経験を積んできた艦と戦ったのだ。いくら攻防の性能に差があっても勝てる戦ではない。
しかし、彼がいくらそう説いても、耳を傾ける人間は少数派だった。幸い、キンメルはその言葉に耳を傾け、日英が侮るべからざる強敵である事を艦隊に通達したが、その通達に文句を付けてきた人物がいた。
激怒
ヒューイ・ロング。合衆国大統領である。南部にルーツを持ち、南部連合との平和的統一を持論とする彼は、現在の南部にさえいないような熱烈な人種差別主義者でもある。ロングの世界観に従えば日本人は物真似しか取り柄のない二等民族でしかなく、テネロス岬の結果はその思い込みの補強材料だった。
それどころか、そんな劣等民族の海軍など鎧袖一触にして、アジアの市場を独占する事を彼は夢見ていた。〈高瀬《大和》瑞希〉が命中まで10斉射を要したと言う話と、訓練で〈森本オハイオ奈海〉が3斉射で命中弾を出したと言う話を聞き、「それなら我が合衆国戦艦の命中率はジャップの3倍と言う事だ」と言う能天気な発言までしている。
そんなロングに取り、彼の意に添う発言をしないキンメルは目障り以外の何者でもなかった。ロングは日本に対する戦争準備として、キンメルを更迭し、ロイヤル・インガソル大将を新たに太平洋艦隊司令長官に任じた。
インガソル自身は有能で良心的な将官だったが、かと言って大統領に真っ向立ち向かえるほどの人物でもなかった。それでも、彼自身はディヨーを信頼して旗艦を〈川上《ケンタッキー》由里己〉にする事で相談に乗ってもらおうとしたのだが、それをロングが送り込んできた一人の男が阻止した。
ダニエル・キャラハン少将。海軍士官学校を過去最高の成績で卒業し、末は合衆国艦隊司令長官か作戦部長とまで噂される逸材である。そればかりではなく、ロングの側近集団、通称「ロング・サークル」の有力メンバーでもあった。大統領のお気に入りである彼に正面切って逆らう事は非常に難しい。何しろ、将来の出世は確実な男だけに、下手に恨みを買えばあとで何をされるか知れたものではなかった。
キャラハンはさっそく「同じ艦に司令官職が二人乗るべきではない」と言う正論でインガソルの旗艦を〈森本《オハイオ》奈海〉に変更させた。続いて、彼はもう一人のうるさ屋であるディヨーの口を封じるべく〈川上《ケンタッキー》由里己〉に乗り込んできた。
「どうです?海軍省に戻ってきませんか?あなたに相応しいポストを開けて待っておりますぞ」
キャラハンはまず懐柔策に出てきた。無論、応じれば窓際の席だけが待っている。ディヨーは拒否した。キャラハンがどんなに甘い誘いをかけてきても無視した。
遂に焦れたキャラハンは、ディヨーが評価している〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長の名を出して恫喝に出てきた。ディヨー自身が駄目なら、周囲の人間を巻き込むと言うのである。その瞬間、ディヨーは凄まじい怒声を発した。
「黙れ!大統領のご機嫌取りしかできない能無しに何ができる!もし〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長に手を出してみろ。貴様など二度と這い上がれぬよう徹底的に叩き潰してくれるぞ!!」
そして、その迫力に呆然としているキャラハンに向かい、ことさら丁重な声で言った。
「視察ご苦労でした、キャラハン少将」
その瞬間、我に返ったキャラハンは憤然と去っていった。しかし、ディヨーに完全に気圧された彼には手を出す事はできなかった。
運命の海戦
こうして前線部隊とワシントンの間に大きな溝を生じたまま、42年に太平洋戦争が勃発した。当初、戦争は事前に楽観派が予測した通りに進んだ。空母部隊がミッドウェイで勝利を収め、その半年後には合衆国軍は日本本土を守る最後の砦とも言うべきマリアナに攻勢をかけるところまで進出していた。
しかし、ディヨーは順調すぎる事に不吉な予感を感じていた。それが現実のものとなったのは12月、日本海軍主力のハワイ侵攻だった。合衆国軍は一挙に補給線切断・包囲殲滅の危機に陥ったのである。
インガソルは即座に本土まで撤退し、捲土重来を期す決断を下したが、これをロング大統領の横槍が阻止した。彼は、速やかなるハワイ奪還を命じたのである。やむを得ず、インガソルはクリスマス島に全兵力を集結させ、一挙にハワイを目指した。むろん、 日本艦隊も迎撃に出撃する。1943年1月30日、太平洋戦争の帰趨を決した東太平洋海戦が始まった。
戦いは空母部隊同士の航空戦に始まった。合衆国の空母戦力は正規空母6、軽空母3、航空巡洋艦1。総搭載機数は820機。一方の日本海軍は正規空母9、軽空母3。搭載機数830機。戦力はほぼ拮抗していた。
そして、ほぼ同等戦力ならば技量に優れたものが有利となるのが道理であった。この日の戦闘で、合衆国軍は正規空母と軽空母を2隻ずつ失い、搭載機の7割を消耗。壊滅した。
一方、日本もほぼ同等の損害を被り、航空戦は一見引き分けに見えた。しかし、損害報告を受けたインガソルは蒼白になっていた。
日本軍の航空攻撃により、この後艦隊決戦の主役となるべき水上打撃戦部隊に深刻な被害が生じていたのだ。戦艦〈メリーランド〉〈モンタナ〉〈飯塚《メイン》カノコ〉、巡洋戦艦〈ユナイテッド・ステイツ〉大破後落。その他、巡洋艦3隻沈没2隻大破。駆逐艦の被害もばかにならない。損傷艦より、大破・沈没艦の救援に裂かれた数が痛かった。戦闘開始前の合衆国軍の打撃艦艇戦力は、戦艦24、重巡洋艦8、軽巡洋艦12、駆逐艦45。
これがそれぞれ20、7、8、32に減少したのだ。しかも、損傷艦の数もそれなりに多い。
対する日本軍はハルゼーの指示により空母部隊だけが攻撃を受けたため、水上打撃戦部隊は健在であった。戦力は戦艦17、装甲巡洋艦3、重巡洋艦4、軽巡洋艦6、駆逐艦36。ほぼ合衆国軍と同等である。
インガソルはハルゼーの空母部隊に連絡し、エスコート艦艇の回航を命じようとしたが、その前に悲報が飛び込んできた。ハルゼーが独断でエスコート艦艇を日本空母群に突撃させ、しかも敗北したのである。大型巡洋艦1、重巡3が無為に失われ、空母護衛部隊の水上打撃戦部隊編入は不可能となった。
「現有戦力で勝利するしかない」
インガソルは覚悟を決め、突撃を命じた。こうして31日払暁、両軍の戦艦部隊による決戦が始まった。
二対一の死闘
夜明けの光を浴び、両軍は真っ向から激突した。これまで地上への艦砲射撃などで「研修」を重ねてきた合衆国軍戦艦部隊は、これが初めての「本番」。一方、日本軍は既に実戦を潜ってきた猛者ぞろいである。「厳しい戦いになる」インガソルやディヨーはそう直感した。
果たして、海戦は凄まじい乱打戦となった。戦艦の巨砲が唸りを上げて砲弾を叩き出し、立ち込める砲煙と水柱を突いて水雷戦隊が疾駆する。
その中で、〈川上《ケンタッキー》由里己〉級2隻からなる第一戦艦戦隊は日本戦艦群と合い見えた。近代的な塔状艦橋に、3連装と連装の混在と言う特異な主砲配置。マストに翻る大将旗―藤堂GF長官座乗の日本艦隊総旗艦、戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉!
その後方に続くのは、特徴的な丈の高いパゴダ・マストから見て隆山条約時代最強の高速戦艦、〈宮内伊吹レミィ〉級だろう。両軍の有する18インチ砲戦艦が一堂に会したのだ。
「敵先頭艦は旗艦が相手取る。〈川上《ケンタッキー》由里己〉は敵二、三番艦に対処せよ」
旗艦〈森本《オハイオ》奈海〉より信号が送られる。ディヨーは「了解」の返信を送らせつつ、〈森本《オハイオ》奈海〉と〈高瀬《大和》瑞希〉を交互に観察する。2隻の戦艦はよく似ていた。やはり、同等の武装を持つ艦を同等の技術レベルで作れば似てくるものだ―
その時、両軍の旗艦は轟然と発砲した。引き続き、続航する各艦も射撃を開始。両軍合わせて60門の18インチ砲が咆哮した。
ディヨーの知らない事だったが、彼の乗る〈川上《ケンタッキー》由里己〉の相手はハンターこと〈宮内《伊吹》レミィ〉と〈宮内鞍馬ジョージ〉の2隻。同級4隻の中でも技量に優れた2隻だった。その射撃は正確を極め、第一斉射から〈川上《ケンタッキー》由里己〉を挟叉。続く第二斉射で16発中2発が直撃弾となって〈川上《ケンタッキー》由里己〉を襲った。
「やったぞ!」
大いに湧いた〈宮内《伊吹》レミィ〉と〈宮内《鞍馬》ジョージ〉の艦橋であったが、次の瞬間爆焔の中からほとんど無傷で姿を現した〈川上《ケンタッキー》由里己〉の姿に驚愕する。
「What!?」
英国派遣が長かったせいか、英語で驚く乗員たち。が、無理もない。〈川上《ケンタッキー》由里己〉は完全な18インチ砲戦艦として建造され、その主要防御区画は自艦の48口径18インチ砲、Mk-9から放たれる1.7トンのSHSに対応した防御力を持たされている。1.5トンの砲弾を放つ〈宮内《伊吹》レミィ〉級の45口径18インチ砲は、〈川上《ケンタッキー》由里己〉に対して一撃で致命傷を与えうるには無力ではなくとも非力だった。
そこへ、〈宮内《鞍馬》ジョージ〉に狙いを定めた〈川上《ケンタッキー》由里己〉が
「おっさん、ナメた事抜かしとったらイテまうど。ドタマかち割ってインド洋に沈めたろかコラ」
とばかりに斉射を浴びせた。このうち2発が直撃し、〈宮内《鞍馬》ジョージ〉のマストを叩き折り、右舷高角砲群を壊滅させた。さらに続く第三斉射は後部甲板を集中的に叩いて電路をずたずたに破壊し、後部砲塔群の旋回を不能にした。
それから30分後、11発の命中弾を叩き込まれた〈宮内《鞍馬》ジョージ〉は全ての砲塔が使用不能となり、前艦橋の上半分を爆砕され、不関旗を掲げて隊列を離脱。〈川上《ケンタッキー》由里己〉は第二砲塔の中央砲を損傷し、左舷両用砲群とカタパルトが消滅していたが、残る主砲8門を〈宮内《伊吹》レミィ〉に向けて砲戦を続行した。〈宮内《伊吹》レミィ〉ははるかにしぶとく、〈川上《ケンタッキー》由里己〉の急所を打ち抜くようにして大打撃を与えていく。
さらに30分後、第二、第三砲塔が消失し、残る砲塔も旋回不能になった〈宮内《伊吹》レミィ〉が離れて行った。が、〈川上《ケンタッキー》由里己〉の損害も甚大だった。お堅いスーツのような装甲は至る所に穴が空き、第一、第二砲塔は砲身を叩き折られて使用不能。速力も21ノットに落ちていた。
「なんとか追い払ったか…」
ディヨーが呟いた時、辛うじて機能を維持していた見張り台から悲報が飛び込んできた。
敗走
「旗艦、大火災!!傾斜中!!」
ディヨーが前方を見ると、〈森本《オハイオ》奈海〉が左舷に10度以上も傾き、艦首から艦尾まで炎に包まれているのが見えた。既に総員退去が命じられたのか、乗組員たちが次々に海へ飛び込んでいる。〈本多《コンステレーション》惣一〉が接近して彼らを救出しつつあった。
「何てことだ」
ディヨーはうめいた。この時までに、合衆国艦隊の敗勢は明らかになっていた。三年計画型戦艦からなる部隊は壊滅状態で、敵の突撃で隊列を分断されたところで各個撃破をくらい、サウスダコタ級は〈小野崎インディアナ清香〉を除き全滅。コロラド級も2隻が見えない。高速戦艦群は比較的互角に見えた…と思った瞬間、ウィリス・リーの旗艦〈ウィスコンシン〉が大爆発を起こして真っ二つに折れるのが見えた。一方、日本艦隊はそれほど目立った損害を受けているように見えない。炎上する艦も、致命傷ではないらしく、かえって手負いの獣のように荒れ狂っている。
その後、生き残りの最上級士官となっていた第12任務群のキンケイド中将の決断によって撤退に移る合衆国艦隊に対し、日本艦隊の追撃部隊が襲い掛かってきたが、殿軍に立った〈遠場《ニュージャージー》透〉、〈羽根井《コロラド》優希〉らの奮戦により、逆に〈佐藤《土佐》雅史〉など2隻を撃沈して追撃を阻止。辛うじて撤退は成功した。しかし、撤退途上に潜水艦の雷撃を受けた〈モンタナ〉を失っている。2日に及ぶ海戦で、太平洋艦隊は戦艦7、空母4、大巡1、その他多数の艦艇を喪失。事実上壊滅した。また、ハワイ諸島の奪還も失敗し、ここに太平洋戦争の天王山となった東太平洋海戦は合衆国の戦術・戦略両面における敗北により幕を閉じたのである。
第二次南北戦争
東太平洋海戦に敗北したとはいえ、合衆国が継戦能力まで失ったわけではなかった。本国の工廠では〈川上《ケンタッキー》”由里己〉級も含めて多数の艦艇が建造の途上にあり、1年も待てば捲土重来を期す事は十分に可能だった。
しかし、それを認識していたのは合衆国だけではない。分身である南部連合もそれは理解しており、しかもその事に恐怖を抱いていた。合衆国が日本を打倒する事を傍観していては、次は自分たちが呑み込まれる。生き残りのために南部連合は賭けに出た。
こうして第二次南北戦争が開始されたとき、〈川上《ケンタッキー》由里己〉はすぐにそれに対応できる状況に無かった。ロングビーチの工廠で海戦の傷を癒していたのである。
彼女が入渠している半年の間に合衆国は大西洋の制海権を喪失し、パナマを死守してカリブ海に侵攻した第37任務群が辛うじて足場を守っている段階だった。修理を完了した〈川上《ケンタッキー》由里己〉は直ちに増援部隊を率いて出撃。パナマを通過できない彼女はホーン岬経由でカリブ海へ向かった。
〈川上《ケンタッキー》由里己〉の到着により、戦艦では南部に傾いていた戦力の優位は逆転。その後頻発した水上打撃戦では常に合衆国軍が優位を保ち、南部連合海軍は追い詰められていった。切り札として南部連合が投入した彼らの最強戦艦〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉も、〈加藤《サラトガ》あおい〉をナンパしようとしてしたたかに逆襲を食らい、〈川上《ケンタッキー》由里己〉以下の合衆国戦艦群に袋叩きにされて沈没。結局、わずかな空母や未成艦を除いて南部連合海軍は壊滅した。
第三次世界大戦
第二次南北戦争は合衆国の勝利に終わり、〈川上《ケンタッキー》由里己〉は再び太平洋艦隊へ復帰した。南部連合が消え、大西洋正面では英本土が陥落して大西洋が米独伊同盟軍の内海と化している。残る敵は日本、そして太平洋地域の英連邦諸国であった。
ウィルキー政権は戦災で荒廃した東海岸、五大湖、南部諸州の再建に加え、将来の第二次対日戦を睨んだ軍備も行っていた。最盛期100万を超えた陸軍こそ40万にまで整理されたが、海軍はむしろ増強され、空軍も独立。新型機の開発も続けられていた。
こうした時代背景の元、海軍は太平洋艦隊を優先して増強されていたが、これが1948年の悲運を招き寄せたのかもしれない。同年5月、ワシントンとフィラデルフィアに打ち込まれた核弾頭弾道弾の炸裂を号砲として、第三次世界大戦が勃発。欧州連合を信頼できる同盟国と見なしていたウィルキー政権の失策により、合衆国は累卵の危機に瀕した。
ワシントン被爆による一時的な政府不在の影響により、太平洋艦隊は半月もの間何ら戦局に寄与することなく無為に過ごし、結果として大西洋とパナマの失陥を招くと言う最悪の事態が発生。合衆国は分裂した。パナマ失陥後、ようやく西海岸へ脱出してきたデューイ大統領代行が新政権を樹立。太平洋艦隊は行動を開始した。
まずは脱出してきた大西洋艦隊の収容と、パナマから現れるドイツ潜水艦の駆逐に全力を注ぐこととなったが、この戦闘には〈川上《ケンタッキー》由里己〉は参加していない。彼女が砲弾を叩き込むべき相手は未だ太平洋には現れていなかった。
ようやく出撃したのは、合衆国が日英枢軸に参加した後、翌49年に行われたパナマ奪還作戦である。ここで、彼女は地獄を見る事になる。
パナマ侵攻
1949年10月、日米英枢軸軍は空前の戦力を持ってパナマ運河地帯へ侵攻した。太平洋方面のドイツ太平洋艦隊はかなわじと悟って逃亡し、運河地帯に篭もるモニター艦戦隊や航空戦力、陸軍部隊を相手に激戦が開始された。
当初優勢に戦いを進めていた枢軸軍であったが、にわかに彼らを緊張させる出来事が起こった。ドイツ総統ヒトラーが運河地帯からの撤退を要求し、それが受け入れられなければあらゆる手段を用いて反撃すると通告してきたのである。
既に本土の3つの都市を「それ」によって破壊されていた合衆国艦隊には、ヒトラーの言う「あらゆる手段」が何かすぐにわかった。すなわち、核兵器の投入である。第13任務群に随行する電子作戦艦〈矢部《ノーザンプトン》真帆乃〉が直ちに総力をあげて情報の収拾と解析を開始。核兵器の所在を突き止めようとした。
ところが、彼女が所在を突き止めたときは、既に弾道弾は発射直前の状態にあったのである。警報を発した後、「あぁダメ。ボクは逃げるわ」とばかりに全力で逃走する〈矢部《ノーザンプトン》真帆乃〉。「ちょっと待ちなさい!」と後を追う〈川上《ケンタッキー》由里己〉。万一に備え、味方の救援のために前進する〈本多》《コンステレーション》惣一〉。第13任務群は大混乱に陥った。そして、第12任務群のいた方向で閃光がきらめいた。
阻止できなかった核爆発により、第12任務群は壊滅し、救援に向かった第11任務群もルフトヴァッフェの攻撃を受けて大打撃を被った。第11任務群にいた〈飯塚》メイン》カノコ〉も核爆発を受けて行動不能に陥ったところを集中攻撃を受けて撃沈され、〈川上《ケンタッキー》由里己〉はまたしても僚艦を失ってしまった。
崩壊した二つの任務群を統合し、その旗艦任務についた〈川上《ケンタッキー》由里己〉だったが、艦砲射撃による対地支援中に巨大な20インチ砲を装備するドイツのモニター艦〈尼子崎《フーシェ》初子〉の砲撃を受けた。上構中央部への直撃弾は、さすがの彼女の対18インチ砲防御にも防げず、砲弾は艦内深くまで貫通して爆発。機関が衝撃で大破し、とうとう離脱を余儀なくされた。常に前線に立ってきた彼女にとっては屈辱的な休暇を強いられたのである。
地中海戦線
パナマで損傷した彼女はサンディエゴの海軍工廠で後期型に準ずる新型機関の装備とレーダーの換装といった近代化改装を兼ねた修復を受け、50年半ばに戦線に復帰した。そこで彼女に与えられた新たな使命は、新編された地中海艦隊への参加である。
地中海戦線は英連邦軍を主体としていたが、イタリア及びフランスの本国軍と正面対決した場合、英連邦軍が圧倒的に劣勢だった。そのため、日本が派遣を決定した第二艦隊と共に、合衆国軍も増援部隊を出したのである。〈川上《ケンタッキー》由里己〉が選ばれたのは、英国艦隊にイタリアの〈多上《レジナ・マルゲリータ》愛姫〉やフランスの〈篠宮《アルザス》悠〉に対抗しうる大型戦艦が不足していたためだった。
戦力的には英連邦軍と同等のものを持っていた地中海派遣艦隊だが、任務は対地支援が主だった。イタリア海軍との艦隊決戦が行われたマルタ沖でも、空母艦載機は戦闘加入したものの、〈川上《ケンタッキー》由里己〉はマルタ島に篭もる敵軍に巨弾の雨を降らせて味方を支援し続けていた。イタリア軍は艦隊が大損害を受け、しかもマルタへの支援が途切れなかった事を考慮してマルタ救援を断念し、同島の攻防戦は枢軸軍の勝利に終わった。
やがてイタリアは戦争から事実上脱落し、地中海艦隊はジブラルタルまで打通。その後、英本土奪還戦にも参加している。
第四次世界大戦
戦後、〈川上《ケンタッキー》由里己〉は予備役に編入され、モスボール化した上でロングビーチに保管されていたが、80年代になってレーガン政権が成立すると、彼の掲げる「強い合衆国の復活」「60隻艦隊構想」を実現する上で重要な要素となり、修復と改装を受けて現役に復帰した。とは言っても、予算の制約などから対艦ミサイル、巡航ミサイルの発射機とCIWS(近接防空システム)の追加装備を行ったくらいで、艦容に大きな変化は無い。
その彼女に最後の晴れ舞台が回ってきたのは、1995年の第四次世界大戦である。この時の合衆国艦隊司令長官は、古風な航空主兵至上主義者のゲイリー・マクダニエル大将。現代の海戦を理解しているとは言い難い人物で、〈川上《ケンタッキー》由里己〉を指揮する人間としては不適格。結婚相手を少し間違えたというところだろう。
「戦艦など補助兵力に過ぎない」と妻は家庭に入るべし、と決め付けるときのような口調で断言していた彼だったが、日米合同艦隊の空母部隊は欧州連合より劣勢であり、航空戦を引き分けに持ち込むのが精一杯だった。このため、水上砲戦で雌雄を決する事になり、両軍合わせて8隻の大型戦艦による、史上最後の戦艦同士による艦隊決戦が始まった。
〈川上《ケンタッキー》由里己〉艦長ジャック・スコーラン大佐はマクダニエルの鼻がへし折れたことには愉快さを覚えていたものの、敵は容易ならざる相手だった。欧州最強戦艦〈篠宮《アルザス》悠〉に、〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉と18インチ砲戦艦が2隻揃っている。こちらにも日本艦隊の〈高瀬《大和》瑞希〉が加わって2隻の18インチ砲戦艦があるが、総合戦力では互角と見ていいだろう。
〈高瀬《大和》瑞希〉が〈篠宮《アルザス》悠〉を相手取る間に、〈川上《ケンタッキー》由里己〉は〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉と撃ち合うことになった。両軍あわせて38門の18インチ主砲が火を噴いた。
先に命中弾を与えたのは〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉であった。〈川上《ケンタッキー》由里己〉の中央部分に装備されたハープーン対艦ミサイルのランチャーがほうきで払ったように消し飛ぶ。すでに全弾を打ち尽くした後でなければ大損害を受けたところだ。
お返しとばかりに〈川上《ケンタッキー》由里己〉の砲撃が〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉に叩き込まれ、後甲板に大穴を開ける。〈高瀬《大和》瑞希〉や〈日野森《ビスマルク》あずさ〉のように徹底した近代化改修を受けておらず、悪く言えば婚期を逸した女性に例えられる2隻は互角の砲撃戦を展開した。
命中率は〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉の方が良く、9発もの命中弾を記録し〈川上《ケンタッキー》由里己〉に大損害を与えたが、その返礼に見舞われた6発の命中弾はうち4発が艦の後部に集中し、〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉を航行不能寸前の重傷に追い込んだ。
結局、この第二次ニューヨーク沖海戦は参加したすべての戦艦が大損害を受ける熾烈な消耗戦となったが、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉などを喪失した連合軍が撤退。凱歌は日米合同艦隊の側に挙がった。
その後
第二次ニューヨーク沖海戦で大破した〈川上《ケンタッキー》由里己〉はサンディエゴ海軍工廠で修復された後、再びモスボール状態でロングビーチ海軍基地に保管されることになった。予算難から廃艦も検討されたが、〈皆瀬》フォン・ヒンデンブルグ》葵〉亡き後、世界最大の戦艦である彼女を合衆国が保有していることの意味が重視されたのである。かつて合衆国が日本に並ぶ大海軍国だったことの証として、今も彼女はそこで長い待機を続けている。
要目
竣工時
- 基準排水量:74.980トン
- 満載排水量:81.600トン
- 全長:288.2メートル
- 全幅:38.1メートル
- 機関出力:210.000馬力
- 速力:28.2ノット
- 兵装
- 主砲Mk-9 48口径18インチ三連装砲3基
- 両用砲Mk-38 38口径5インチ連装砲14基
- 機関砲ボフォース40ミリ4連装 20基
- 同連装 16基
- 機銃ブローニングM-212.7ミリ98丁
- 搭載機6機
最終時
- 基準排水量:78.588トン
- 満載排水量:84.500トン
- 全長:266.5メートル
- 全幅:32.2メートル
- 機関出力:180.000馬力
- 速力:31.33ノット
- 兵装
- 主砲Mk-9 48口径18インチ三連装砲3基
- 副砲Mk-41 54口径5インチ砲4基
- 機関砲20ミリCIWS8基
- ミサイル
- ハープーン4連装発射機8基
- トマホーク4連装発射機16基
- Mk-25 シースパロー短SAM2基
- 搭載機ヘリコプター4機
同型艦
- 〈川上《ケンタッキー》由里己〉1941年就役1996年予備役編入
- 〈森本《オハイオ》奈海〉1941年就役1943年東太平洋海戦にて戦没
- 〈飯塚《メイン》カノコ〉1942年就役1949年パナマ湾にて戦没
- 〈ヴァーモント〉1941年起工1943年第二次南北戦争により建造中に爆破
- 〈オレゴン〉1946年起工1948年フィラデルフィア核攻撃により破壊
- 〈神津《ニューハンプシャー》麻美〉1948年就役2000年予備役編入
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