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〈千堂《鳥海》瞳〉

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〈千堂《鳥海》瞳〉 Heavy Cruiser Sendou-CHOKAI-Hitomi,IJN

jANIS・ivory「とらいあんぐるハート」千堂 瞳

概要

 〈千堂《鳥海》瞳〉級の1番艦。1932年6月30日に三菱長崎造船所で竣工した。2番艦〈鷹城《摩耶》唯子〉は政府の経済恐慌対策と、それに伴う予算の都合により工期が遅れ、ほぼ1年後に横須賀工廠で竣工している。
 排水量1万3千400トン。主機は艦本式タービン4軸、13万馬力。最大速力は35.5ノットに達する。主砲は50口径20.3(8インチ)砲連装5基で、3年式狭罍天針づ磴篭蝶傳沓暗戮泙任△欧襪海箸できたが、高角砲としての使用には装填速度の面から無理があった。他に単装12.7センチ高角砲4基を搭載した。雷装は連装発射管4基であるが、後に次発装填装置付きの4連装発射管へと換装された。

 本級の特徴は、「お姉ちゃん(艦隊旗艦)」として建造されたと言うことに尽きる。
 本級は漸減邀撃において水雷戦隊を敵艦隊へ誘導する役割を持たされていた。敵重巡の妨害を排除して、「後輩達」の特型駆逐艦らを敵の主隊へと導くのである。水雷戦隊の一大集団を統率するために艦隊指揮能力を持つ必要があり、その指揮装置を置いたことにより艦橋そのものが巨大化した。実に〈赤嶺《妙高》真理〉級の三倍の容積を持つ(注1)。また艦隊旗艦であるために軍楽隊もおかれた。ピアノも据え付けられており、GF長官の前で〈野々村《龍驤》小鳥〉の合唱隊との合奏が披露されたこともあった。それは見事なものだったと記録に残っている。
 日本型重巡の基本的な構造と武装はすでに〈赤嶺《妙高》真理〉級巡洋艦で確立されている。〈千堂《鳥海》瞳〉級は〈赤嶺《妙高》真理〉級の装甲を強化した艦と言って良く、その装甲は弾火薬庫で127ミリ、舷側は12度傾斜させて107ミリ、水平装甲は34ミリと、巡洋艦としてはもっとも装甲の厚い艦となった。但し、舷側装甲は20センチ砲弾に耐えられる厚さではなく、被害を局限することを主眼としている。つまり攻撃には強いが、防御にはもろい面を抱えていた。その象徴が天蓋、前面ともに25ミリの厚みしかない砲塔である。これでは弾片を防ぐ程度にしかならないが、日本海軍はそれを是とした。なんとなれば、ただ一度の洋上決戦しか想定していないからだ。
 もっとも代々の艦長は継戦能力の維持を考えて、主砲の速射訓練を随分とおこなっている。敵の内懐に素早く飛び込み、全砲門をあげて一撃で敵の戦闘力を奪う。そして次の敵へと向かう。そうでなければ数で勝る合衆国重巡群に押しつぶされるだけだからだった。その激しい訓練の成果として、〈千堂《鳥海》瞳〉は「秒殺の女王」の名をほしいままにすることになり、勇名は世界に轟くのである。
 艦種が異なるとはいえ、〈千堂《鳥海》瞳〉〈来栖川《紀伊》綾香〉の訓練における一騎打ちは壮絶極まりなかった。事実、おっとりしている〈来栖川《長門》芹香〉や騒々しいだけの〈長岡《加賀》志保〉では全く歯が立たず、〈保科《天城》智子〉は振り回す主砲の乱射をかいくぐられ、〈来栖川《紀伊》綾香〉〈坂下《尾張》好恵〉だけが、〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉の突進を食い止め得たのである。それはまさに「チャンピオン」同士の戦いだった。

 2番艦〈鷹城《摩耶》唯子〉の識別上のポイントは、1番砲塔の砲身に白色または銀色で描かれたリングである。強運の〈鷹城《摩耶》唯子〉の象徴として「フォーチュン・リング」と呼ばれた。
 さらに隊内無線において独特の変調が施される音声が流れた。鬼瓦の異名をとる小沢治三郎艦長の塩辛声が「ハチミツのガム・シロップ割り、黒蜜まぶし」といわれる甘い声になってしまい、長く聞いていると脳がとろける、とまで言われている。無線の通信障害を修正するために、後部マストを煙突直後から後部4番砲塔の直前に移設する工事がおこなわれたが、それでも直らなかった。
 恐ろしいことに変調された音声のまま、「海風ラヂオ」なる番組まで放送されている。これは聞き耳を立てていた合衆国艦隊将兵をもノックアウトしたとまで言われており、その余りのブレイン・ウォッシュぶりに病みつきになるものが続出したという。さらに通信障害修正の工事でちょっと音声が変わったのだが、物足りない、前の時の味はもう出ないのか、などと中立国の第二回線経由で合衆国側から文句が付けられたという。
 ちなみに、技の〈千堂《鳥海》瞳〉、パワー&スピードの〈鷹城《摩耶》唯子〉と呼ばれており、その実力は甲乙つけがたいものであったが、実績の面では〈鷹城《摩耶》唯子〉は生涯〈千堂《鳥海》瞳〉に一歩及ばないままであった。

 巡洋艦不足に悩む日本海軍にあって、両者共に主力重巡として長く奮戦を続けた。太平洋ばかりでなく、インド洋、地中海、大西洋にも彼女たちは足跡を残している。
 一回こっきりの艦隊決戦のために建造された彼女たちだったが、大西洋での経験は建造目的とは異なる生き方を〈千堂《鳥海》瞳〉級に与えた。護身道、すなわち海上護衛の達人としての生き方である。
 日本海軍の変貌と〈千堂《鳥海》瞳〉の歩みは軌を一にしている。気張った子供から余裕と力を秘めた大人、外洋海軍への成長となったのである。


注1:〈赤嶺《妙高》真理〉級は使用人達(軽巡と駆逐艦からなる水雷戦隊)の長となるべく造られた重巡洋艦である。英国スピットヘッドの観艦式において同級は「餓狼」と評されたが、他にも「厳格なメイド長」とも言われている。事実、〈赤嶺《妙高》真理〉は太平洋戦争において水雷戦隊を率いて縦横無尽に活躍した。姉妹艦に〈那智〉があるが、同艦は地中海で戦艦〈霧島〉と共に轟沈した。

オホーツク海戦

 1935年9月27日、北海道沖の太平洋を〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉は疾駆していた。九四式1号水偵6機を北方の哨戒に放っている。そして全艦総員直をとっていた。合衆国艦隊との交戦があり得るからである。

 昭和10年(1935年)は国際紛争の発生がささやかれた年であった。合衆国ルーズベルト政権が隆山海軍軍縮条約の脱退をほのめかし、ドイツはザールラントを併合して再軍備を宣言した。そして列強各国は中規模海軍戦力、すなわち巡洋艦戦力の増強に力を入れていた。軍縮条約はまだ効力を失っていなかったが、各国は条約の失効を見込んだ海軍力の整備計画に着手していたのだ。つまり無条約時代の建艦競争は開始されていたのである。その危うい均衡が保たれている中、中国東北部満州を巡る問題に日本も巻き込まれることになる。
 「満州国」即ち米領満州では在満米軍と抗米ゲリラとの抗争が激化していた。全体的には機械力に優れる在満米軍が圧倒的優勢を保っているが、都市部への浸透を続ける共産党、父張作霖を謀殺された上に満州南部を追い払われて失地奪回を図る張学良軍、黒竜江省軍の残党たる馬占山軍といった各勢力がそれぞれに蠢動を続けていた。それらの中でも馬占山軍が厄介な存在になっていた。馬占山軍の出撃根拠地がソヴィエト領内にあるため根絶できないのである。
 そして国民党政府が、国際連盟において満州国の存在否定と領土の返還を声高に主張し、それは連盟の決議をも得ていた。国際連盟に加盟していない合衆国は決議を無視しているものの、経済制裁を被り輸出産業に影響が出始めていた。連盟決議は日英やドイツを除く欧州諸国でおこなわれている合衆国製品の排他活動に正当性を与えていたのである。
 合衆国の満州支配は確固たるものとは言えず、ルーズベルト政権は失敗が表面化しつつあるニューディール政策と輸出不振と合わせて焦燥を強めていった。為に、なおのこと満州経営に注力していくが、それは日英陣営との対立を深める途だった。

 合衆国が満州経営にのめり込まざるをえないのは、諸国のブロック経済により排他された合衆国製品の輸出先を獲得するという国外要因と、大恐慌によって土地を失った農民や失業者の移出先を求めなければならないという国内要因に端を発していた。一向に出口の見えない不況により労働者の不満は高まり、貧富の格差は広がっていった。民主党内では有力対立候補にのし上がりつつあるヒューイ・ロングが政策批判を展開し、貧富格差の解消を訴えて相当な支持を集めている。さらにアメリカ共産党が勢力を拡大しつつあり、プロレタリアート革命が起きかねない有様だった。その不満のはけ口に満州が使われたのだ。
 けれども輸出先としての満州は実入りが良いとはいえなかった。現地の住人たちの購買力が低すぎたし、社会インフラの整備されていない地域で使うには、合衆国製品は高級に過ぎたのだ。電気の通っていない寒村にフレオン式の冷蔵庫を売り込んでも無駄である。そのため満州経営は開拓が主軸とされた。満州へは、土地を求めて農民が、開拓に伴うインフラ整備によって発生する職を求めて失業者が押し寄せた。斯くして合衆国にとって満州権益は不況脱出のために必要な生命線と化していった。ルーズベルトにとって、満州を失うことは政治生命を失うことと同義語だったのである。
 そのために中国東北部に住む、満州族を始めとするツングース系民族、漢民族は塗炭の苦しみを味わうことになった。肥沃な土地は合衆国農民に奪われ、山岳での狩猟も合衆国軍のおこなう狼狩りや鹿狩りによって獲物を奪われた。都市民は下層労働者として、合衆国本土では禁止されている劣悪な労働条件を強いられた。合衆国の満州政策は現地住民の犠牲の上に成り立っているのだ。
 ともあれ、満州国は短時日で社会インフラを整え、工業プラントを成立させていった。合衆国の巨大すぎる生産力がそれを成し遂げさせた。生産された工業製品は中国市場へと流れ込もうとしている。
 そして、満州国で生産された安価な合衆国製品の中国都市部への流入は中国民族資本の危機を招いた。中国製品よりも安価で、かつ高品質な合衆国製品が市場を席巻した。ようやく資本を蓄積し、経済的に飛躍への準備をしつつあったものの、未だ脆弱な基盤しか有さぬ中国民族資本にとっては致命的な一撃だった。たちまち倒産が相次ぎ、事態に驚愕した国民党政権は米貨排斥運動を開始させた。企業倒産の増加は共産党勢力の拡大を招きかねないのだ。
 ルーズベルトは米貨排斥運動の背後には英国と日本が存在するとにらんでいたが、その通りだった。中国資本を支えていたのは日英の金融資本なのである。英国はジュネーブで、合衆国の満州市場独占の不当を訴え、自国内では許さない劣悪な労働条件を満州国住民に強いる合衆国のダブル・スタンダードや、土地収奪の問題を国際連盟が取りあげるよう動議を出した。合衆国内でもルーズベルト批判が相次いだが、低所得者層を中心に政府支持は厚く、ルーズベルト政権は連盟の決議を無視した。ために日英と国民党政権の苛立ちは強まる。
 それは詰まるところ、ドルとポンドの通貨戦争だった。今や満州問題は、世界戦争への導火線になりつつあった。

 国際情勢が悪化する中、ルーズベルトは一つの賭に出た。満州国の戦備強化のため、駆逐艦をアムール川警備のためと称して遡航させようというのである。
 かつてロシア帝国と清朝との間で結ばれたアイグン条約では、アムール川(黒竜江)は両国のみに航行権があると明記されている。しかし現実にはロシア極東総督によって清国船の航行は禁じられていたのだが、ロシア革命時に中華民国の砲艦が河口のニコライエフスクまで航行している。
 ルーズベルトの論理の原点はそこだった。清朝と中華民国の権利を満州国が継承している。ならば満州国に河口からの航行権はあり、満州国の国防に合衆国が関与することが決まっているのであるから、合衆国艦艇がアムール川を遡航することは合法である、というのだった。
 恐ろしく面倒な話だったが、アムール川を押さえれば、厄介な存在と化している馬占山軍をソ連から物理的に切り離すことができる。満州国を安定させるため、ルーズベルトはシアトルから発した駆逐艦と輸送船団にアムール川を遡航させようとしていた。既成事実を作り上げようというのである。
 そしてそれを阻止せんと日本海軍艦艇が出動している。満州国の安定は大陸の市場に於いて日本の強大なライバルを作り上げることになる。日本は抗米ゲリラへの援助を密かにおこなっていた。

 船団阻止のために演習中の空母〈野々村《龍驤》小鳥〉、〈《鳳翔》マルチ〉、〈白露〉級駆逐艦からなる第四艦隊が派遣されていた。しかしながら、9月26日、彼らは三陸沖で予想針路をずれた台風によって損傷を被ってしまっていた。
 代わって第二艦隊第4戦隊の〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉と〈峯風〉級駆逐艦が第四艦隊に編入されて迎撃の任に就いた。最新鋭の特型駆逐艦が台風で大被害を受けたことから、荒れる北太平洋へ特型からなる駆逐戦隊を出せなくなったのである。
 25日にポート・アーサー(旅順)から合衆国アジア艦隊が出撃していた。〈オマハ〉級軽巡2隻と駆逐艦9隻からなる相当の戦力を持つ艦隊である。英海軍の鎮海基地からは、アジア艦隊が朝鮮海峡を通過したとの連絡が入った。日本海を北上し、輸送船団との会同を図るものと見られていた。第6戦隊の〈相川《古鷹》真一郎〉(機がアジア艦隊を追跡しており、彼らが日本海中部で油槽船から給油を受けているのが確認された。合衆国は本気なのである。
 しかしながら日本海軍の戦力配置は危機的なものだった。本来、アジア艦隊の触接は〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉がおこない、日本海から宗谷海峡までを封鎖する。津軽海峡を押さえるのは〈相川《古鷹》真一郎〉(機に〈青葉〉、〈大庭〉の役目である。この時〈赤嶺《妙高》真理〉級2隻は改装中で行動できない。最古参の重巡〈橋本〉があったならば遊撃として手薄な箇所に派遣されたはずだが、〈橋本〉は前年に通報艦〈長岡〉への誤射事件のあげくに転覆して果てている。どこまでも役に立たない先輩だった。
 巡洋戦艦を出すこともできない。軽巡相手に巡洋戦艦を持ち出すなど威信の面からできず、また出動可能な巡洋戦艦は〈保科《天城》智子〉だけであった。
 そこに第四艦隊事件である。シフトは変更され、最新型の水上機を持つ〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉は北太平洋に派遣された。そして〈相川《古鷹》真一郎〉(機が触接任務をおこない、〈青葉〉と〈大庭〉が宗谷海峡に張り付くことになった。津軽海峡は、アジア艦隊が既に北海道沖に達していることから通過しないものと思われ、監視をおこなわないままとされた。けれども、アジア艦隊は日本海軍の混乱を見澄ましたかのように転進して津軽海峡をすり抜けていた。海峡の太平洋側に駆逐艦1隻が控えており、大湊要港部が損傷艦艇の収容で大わらわな状況にあることを報じていたのである。
 事態は、〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉が船団を発見し阻止するのが早いか、アジア艦隊が船団と合同するのが早いかの、時間の勝負となっていた。

 北太平洋は濃霧に閉ざされていた。水上機6機による索敵もままならない。空母であればさらに二重三重に索敵機を放てるが、重巡2隻のみではこれが限界だった。
 北上してくるアジア艦隊と会同する前に、船団を臨検して押さえるべきなのだが、それができるかどうかはかなり疑問となさざるを得ない。霧が晴れる見込みはたたず、視界は終日にわたって500メートル程度だった。結局、重巡と水偵は晴れているやや南方に下がり、シアトルとニコライエフスクとを結ぶ、現在霧に包まれている経済航路は駆逐艦部隊に任せることを八木第四艦隊司令長官は決めた。翌日から捜索が本格的に始まる、その筈だった。
 9月28日早朝、〈相川《古鷹》真一郎〉(機から第四艦隊に至急電が発せられた。津軽海峡を30ノット超で突破したアジア艦隊が20ノットで千島列島線を北上しているとのことだった。続いて、哨戒線の北端、シムシュ島東方を哨戒していた〈峯風〉級駆逐艦〈沼風〉が船団を発見と報じてきたのだ。
 船団は〈沼風〉の攻撃をうけて濃霧帯へ逃げ込んでおり、ペトロパブロフスクへ向かうものと思われた。そして連合艦隊司令部はアジア艦隊の北上を阻止することを命じてきた。連合艦隊は船団よりも、津軽海峡を突破されたことを重視したのである。国際海峡とはいえ、領海内をすり抜けられたのでは面子がたたない、そういうことだった。
 〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉はアジア艦隊との衝突進路をとった。双方ともに現進路を維持するならば、昼過ぎにウルップ島沖でぶつかることになる。

 〈相川《古鷹》真一郎〉(機は釧路沖で、ようやくアジア艦隊を直接視認できる位置にまで追いついた。朝から九〇式水偵を射出して触接させていたことが功を奏したのである。東からは第四艦隊主力が西進し、宗谷海峡からは〈青葉〉と〈大庭〉が東進している。それらが一堂に会したならば、20センチ砲38門の大火力と片舷26射線の雷撃で敵艦隊を破砕できる。まさに〈千堂《鳥海》瞳〉艦長三川軍一大佐と〈相川《古鷹》真一郎〉(機艦長角田覚治大佐が誓い合った、「清く正しい艦隊決戦」の具現である。この両艦は主砲配置や艦橋の趣など遠目にはよく似ていて端からは姉弟と見られており、また乗組員らの仲も良かった。
 国後島を過ぎ、択捉島南端を見ようかという時、アジア艦隊が砲撃をおこなった。〈相川《古鷹》真一郎〉(機を転舵させ、第四艦隊との合同を遅らせようとの意図によるものらしかった。角田艦長は巧みに艦を運動させ、〈ラーレイ〉に肉薄して三連射撃で仕留めようとしたが、第四艦隊から合同を優先させる命令が届いては断念せざるを得なかった。この時、北方でまた情勢が変わっていたのである。〈沼風〉が(津軽海峡から先に北上していた)合衆国駆逐艦1隻と交戦し、その隙をついて船団はシムシュ海峡を通過するよう進路を変更していたのだ。
 〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉〈相川《古鷹》真一郎〉(機は択捉沖合で会同した。〈青葉〉と〈大庭〉は未だ到達していない。動き出していたソ連極東艦隊の動静監視をも兼ねているためだった。
 〈千堂《鳥海》瞳〉率いる艦隊は北上してオホーツク海中央で船団を捕捉しようとした。足の遅い輸送船ならば先回りは可能である。それをアジア艦隊は阻止しようとする。同航するまま択捉島東岸を北上していった。
 転機は午後遅くになってから訪れた。〈千堂《鳥海》瞳〉を先頭に単縦陣を組んだ第四艦隊が択捉北端の水道を強引に抜けようとしたのだ。アジア艦隊は事前に動きを察知し、阻止線を形成した。砲撃が始まった。
 狭義のオホーツク海戦の始まりである。

 20センチ砲艦3隻と15センチ砲艦2隻。日本海軍が圧倒的に有利の筈である。しかし、海戦は日本海軍の想定したようにはいかなかった。緒戦で〈鷹城《摩耶》唯子〉が雷撃を受けて脱落してしまったのである。後にソ連潜水艦の誤射(と主張している)によるものと判明したものの、〈鷹城《摩耶》唯子〉は回れ右で後退せざるを得なかった。後方で海戦の経過を連合艦隊に通報しているとはいえ、艦長小沢治三郎大佐は海戦を傍観していなければならなかった。
 〈鷹城《摩耶》唯子〉の脱落を受けて、〈相川《古鷹》真一郎〉(機〈千堂《鳥海》瞳〉との間隔を詰めて前進した。いまや砲戦はたけなわだが、両者ともに遠距離砲戦に徹しているためどちらも命中弾を得られないでいた。距離は2万メートルである。
 第四艦隊がウルップ水道を南から北へ抜けようとするのに対し、北方を占めるアジア艦隊は南西から北東に航行しながら砲撃している。射程距離の面では第四艦隊が有利なはずなのだが、いくら砲弾を送り込んでも敵の攻撃力は減殺されない。それどころか、アジア艦隊の方が積極的な動きを見せていた。主砲が15センチ砲のため肉薄せざるを得ないのだ。このため第四艦隊の進路は北東方向にそらされてしまい、同航砲戦になってしまっていた。その間、両者の距離は縮まっていない。相変わらず2万メートルのままである。そして、第四艦隊は海峡通過の機会を得られず、ウルップ島東岸にまで押し上げられてしまったのだ。
 この状況に三川艦長も角田艦長も苛立ちを強めていた。いくら具申しても、八木長官が接近砲戦を命じないのだ。敵駆逐艦が燃料不足のために積極的な運動をおこなっていないのが救いだったが、このままでは船団捕捉も敵艦隊撃破もできなくなる。
 角田艦長は独断で砲撃を停止させた。砲撃の効果が出ない上に砲撃速度が落ちていたからだ。〈相川《古鷹》真一郎〉(機は単装20センチ砲6門を備えているが、その給弾方式に些かの問題を抱えていた。弾火薬庫から中甲板にまで持ち上げた後、三基の各砲塔直下にまで移動させなければならないのだ。平賀譲造船大佐が大重量の揚弾機構を排除して軽量化を図った結果なのだが、台風一過後の海で艦が大きく動揺する中を、人力で装薬を運搬するのは大変な重労働だった。
 艦隊司令部からは射撃中止の理由を訊いてきたが、角田艦長は給弾装置の故障と伝えさせた。さらに、高角砲と機銃でもって肉薄攻撃を実施せんと付け加えた。それから砲塔内にできる限りの砲弾と装薬を運び込ませた。
 これに三川艦長が応じた。〈相川《古鷹》真一郎〉(機の動きを見て感づいたのである。〈千堂《鳥海》瞳〉もまた砲撃を停止し、増速してアジア艦隊との距離を詰め始めた。艦隊司令部が何事かと言ってきたが、給弾装置の故障です、と同じことを言って煙に巻いていた。
 仮に砲塔に直撃があった場合は大被害になるが、ここは危険性を語っている場合ではない。〈千堂《鳥海》瞳〉〈相川《古鷹》真一郎〉(機は急速に間合いを詰め、6千メートルを切るまでに踏み込んだとき、一気に全砲門が火を噴いた。
「せいっ!」
「このクソ野郎!」
 1分に1門あたり8発以上の急斉射。〈千堂《鳥海》瞳〉が襟をとって投げ飛ばすかのような勢いで砲弾を放ち、〈相川《古鷹》真一郎〉(機は右正拳、右ハイキック、左リバーブロー、左回し肘打ち、とどめの右スマッシュの5斉射で相手を仕留めた。
 〈オマハ〉と〈ラーレイ〉は合わせて120発近い砲弾を受け、直撃多数に耐えきれずに炎上し傾いていった。砲撃開始から45秒の早業。踏み込んで面を打つ、「覆い面」というところか。〈千堂《鳥海》瞳〉の「秒殺の女王」の異名はここに発するのである。

 海戦の後、〈千堂《鳥海》瞳〉〈相川《古鷹》真一郎〉(機は逃走を開始したアジア艦隊残存の駆逐艦を追わず、沈没した艦艇から脱出した将兵をすくい上げ、その後にオホーツク海中央部に進んだ。〈千堂《鳥海》瞳〉らが船団を視認したとき、船団は既にソ連極東艦隊に拿捕されていた。極東艦隊の後を〈青葉〉と〈大庭〉がつけている。大佐しか乗っていない戦隊では、将官のいる極東艦隊との交渉において下がらざるを得ないのだった。
 そして連合艦隊司令部からは帰還命令が達せられた。納得のいかない決着ではあったが、〈千堂《鳥海》瞳〉は同輩(重巡)や後輩(駆逐艦)をまとめて横須賀へと還っていった。

 千島列島沖での武力衝突が報じられるや、合衆国では対日開戦論が澎湃とわき起こった。
 ルーズベルトもまた、日本に対し厳重な抗議をおこない釈明を求める談話を発表した。ルーズベルトはこの機会を捕まえて海軍を増強し、かつ日本に対して経済的譲歩を強いることまで考えていた。現時点ならば強大な日本艦隊は半数以上が出動態勢にない。日本の経済力は全艦艇の稼働を許すほど強くないからだ。ならば太平洋艦隊だけでの圧力でも相当な成果が見込めよう。しかし10月になるや、ルーズベルトの強硬姿勢は急速にしぼんだ。
 ソ連は国際連盟において、拿捕した船団から武器弾薬が出てきたことと、ソ連に通告しないアムール川遡航計画を強く非難した。外相モロトフは、女学生をおいかける痴漢のような破廉恥極まりない犯罪と断じ、まさに堕落した資本主義者の陰謀と言うべき世も末な事件と論評した。痴漢は現行犯でなければ捕まえることができない。現場を押さえたソ連はどこまでも強気だった。
 もちろん、労働者の天国、地上の楽園たる我が祖国には痴漢などという存在はいませんが。おお、そういえばワシントン辺りには冬になるとコートをはだけ、女性に裸を見せつけて嫌がる様を喜ぶような輩が徘徊するそうですな。
 さらに英国海軍が18インチ砲戦艦〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉級の2隻を主力とする艦隊をバミューダに派遣していた。北米東岸全体を管制できる位置で英海軍に睨まれては、さしもの合衆国も黙さざるを得なかった。対独宥和を図るボールドウィン内閣を弱腰と誤判断してしまったのだ。
 そしてソ連本国ではスターリンがザバイカル地方に演習の名目で大軍を集中させ始めていた。満州国の安定を図らねばならないルーズベルトは、遺憾の意を表明して引き下がらざるを得なかった。
 ルーズベルトが方針転換したのを機に、政府支持率は急速に下がり始めた。軽巡2隻だけを派遣したのは、彼らを生け贄にして戦争を起こそうとした大統領の陰謀である、などとマスコミに報じられて、さらに支持率が下がった。これを盛り返すべく、ルーズベルト政権はスペイン内乱の隙をついたフィリピン独立紛争に介入して辛うじて再選できたものの、37年リセッションと呼ばれる恐慌で全く支持を失った。そして三選を狙った大統領予備選では、政敵ヒューイ・ロングに敗れるのである。

 ソ連を抱き込むことで戦術的戦略的に勝利を納めた日本だったが、海軍にとって看過し得ない問題が発生していた。アウトレンジ戦法の有効性が否定されてしまったのである。日本艦隊は終始押されまくっており、最終的に決着を付けたのは接近砲戦だった。
 このことは重大な問題を海軍に投げ掛けた。遠距離かつ大口径大威力の砲弾で勝利を収めるのが、大艦巨砲主義の根底条件である。それが否定されれば、これまで営々と建設してきた八八cm艦隊そのものが否定されてしまう。艦艇設計を受け持つ艦政第四部は大混乱に陥った。そして日本戦艦の決定版として登場するはずだったA−140(後の〈高瀬《大和》瑞希〉)の設計は一時中断になってしまったのである。結局は数ヶ月遅れで着工されるのだが。
 さらに戦場に想定していなかった北太平洋での戦闘で、見張り員の能力の限界も明らかになった。中部太平洋であれば闇夜を透かして15キロも先の艦艇を見つけられる夜間見張り員といえども、濃霧を透かして見張ることはできない。将来、北太平洋が戦場となった場合にどうすればよいか?
 日本海軍は訓練計画の見直しをおこない、英国が実験を繰り返していた電探の実用化に参画し、その活用を図ることになる。そして北太平洋における作戦計画も練られることになった。これらの準備は、後のアリューシャン攻防戦に大いに役立つことになるのである。
 なお、A−140の工期開始の遅れを利用して、第四部内の小艦艇担当者たちは呉のA−140建造に予定されているドックを用いて、2ヶ月半で艦を造り上げる急速造艦演習を行った。後の〈雛山〉級の原型艦〈浦科〉である。〈浦科〉は徹底した公試ののちに廃艦とされて中華民国へ売却され、河川砲艦〈禄剛〉として使われた。
 この急速造艦演習によって、ブロック工法の全面採用による工期短縮の経験と生産計画の研究が培われ、〈雛山〉級海防艦の300隻に及ぶ急速大量建造に結実することになる。

 オホーツク海における海戦は国際関係を揺さぶり、かつ日本海軍の今後に良い影響と悪しき教訓とを残した。アウトレンジ戦法に頼らない戦術の開発や北太平洋の研究など良い影響はあったが、海軍内に存在する対米強硬派を勢いづかせたのは悪しき教訓の最たるものだった。1942年に彼らがフィリピン沖での合衆国の挑発行動に応じたのは、オホーツク海戦の戦訓があったからである。国際情勢が1935年当時と1942年とでは、まるで違うことに気づいていなかったのだ。
 日本と合衆国との戦いはこれが最後でも終わりでもない。ただの始まりでしかない。そして、その決着は1943年1月についた。それは引き分けというべきものだったが、戦略的に日本は勝利を納めることができた。反対に合衆国は、21世紀中盤の接触戦争における消滅にいたるまでの間、日本の風下に立つこととなる。
 オホーツク海戦は以後100年に渡る、日米の激しい角逐の端緒にして、その象徴ともなったのだ。

護身道

 オホーツク海で力を発揮し、漸減邀撃の中核戦力と目された〈千堂《鳥海》瞳〉の鼻息は荒かった。代々の艦長も「清く正しい艦隊決戦」を信奉する者ばかりだった。その荒くれぶりは凄まじく、後年の落ち着いた姿しか知らない者達などは、「道場破り」も同然だったと聞かされて異口同音に信じられないと叫んだものである。
 しかし、その高慢さは、対ドイツ戦争で潰されることになった。第2次世界大戦の勃発により、〈千堂《鳥海》瞳〉は後輩らと共に第2次の遣英艦隊の一員として、意気揚々と大西洋へと渡った。世界最強を誇る英海軍に己の力を見せつけようと言うのである。そして1941年5月の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃戦で、「沈黙のクレッチマー」の〈U99〉によって沈没寸前にまで追い込まれたのだ。
 天狗の鼻をへし折られた〈千堂《鳥海》瞳〉のS堂艦長は懊悩した。道場破りの筈が反対に投げ飛ばされてしまった。それも日本海軍の全く想定していない戦い方で。長崎出身で海軍エリートを一直線に駆け上がり、伏見宮に愛されていた彼にとって大きな挫折だった。なお装甲巡洋艦〈千堂〉の名物艦長とは、同姓ながら全く縁戚関係はない。
 その懊悩を救ったのが、小沢遣英艦隊司令長官に依頼されて表敬訪問してきたティンドル提督である。「農夫ジャイルズ」という綽名の提督は、S堂大佐に訓練の積もりで自分の戦隊に加わることを依頼してきた。彼の戦隊はムルマンスクへの輸送船団を護衛するという。折しも、ドイツは120個師団300万の戦力でソ連領内へなだれ込んでいた。
 波濤と氷雪が荒れ狂う極北の海で、〈千堂《鳥海》瞳〉は英海軍の真の戦いを目の当たりにし、そして目が開いた。物資の不足に苦しむ英国の姿が日本に重なって見える。共にシーレーンに大きく依存している国家である。決戦決戦と高ぶるのは子供だ。商船を守ること、海上連絡線を護持することこそ、海軍の真の努め、大人の戦いなのだ。
 高ぶりが消えて、力んでいるところが無くなったS堂大佐は後輩らに海上護衛に尽力するよう説いて回った。「後輩」を思いやった小沢提督の思惑通りの仕儀だった。この時、海上護衛戦を「護身道」と言っているのが武道家らしさをうかがわせている。そしてティンドル提督とヴァレリー艦長に教えを請い、対空戦や海上護衛戦に関する最新のノウハウを吸収していったのである。
 このことは空母〈千鶴〉(初代)の沈没に起因して、1941年12月8日に発足したばかりの海上護衛総隊にとって、大いに益することになった。なにしろ海上護衛を知る者が海軍省にも軍令本部にもいない上に、艦艇の割り当てすらも無い、という無い無い尽くしで始めなければならないのである。
 実働部隊の長には、第1次大戦当時の第2特務戦隊で活躍した鳥羽退役大佐に再出馬を請い、日露戦争当時の装甲巡洋艦〈浅間〉を改装して再就役させた。護衛空母もまた商船改造で、96式や92式艦攻、ひどい時には13年式艦攻といった複葉機を乗せているような状態だった。〈ソードフィッシュ〉が対潜水艦戦で活躍しているのだから同様に使えるだろうとのことだが、あまりといえばあまりな状態である。〈雛山〉級海防艦や〈松〉級駆逐艦の急速建造が始まっていたが、それらが姿を現すのはまだ先の未来である。他にはモンテビデオ港で捕獲した〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉(装甲海防艦〈さくら〉と改名)があるばかり。制度上は連合艦隊に並ぶとはいえ海上護衛総隊の実態は、「士官も艦艇も骨董品」と連合艦隊から嘲られるような始末だった。
 そこに最新の技術を得て帰ってきた〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉と麾下の水雷戦隊が、海上護衛に協力を惜しまないと言明したのである。そして「護身道」の重要性を連合艦隊の諸艦艇に説き、他の巡洋艦が嫌がる護衛作戦にも積極的に参加している。「正義」を希求してやまない巡洋艦〈御影〉などは真っ先に参画し、船団襲撃後に水上航走で逃走を図った合衆国潜水艦〈ボムフィッシュ〉を必殺の「地龍走破」(全門斉発)で撃沈した。海上護衛総隊の協力要請に対しては商船護衛などまっぴらと言っていた艦長らも、S堂大佐の言葉には耳を傾けた。大西洋で修羅場をくぐった人物であるし、さらには伏見宮の寵愛が深い(つまり将来のGF長官の可能性が高い)とあっては、到底無視することなどできないのである。
 その結果、海上護衛についての意識改革は徐々に浸透していって、日本の通商路を切断しようとした〈ガトー〉級潜水艦の跳梁を押さえ込むことに、連合艦隊と海上護衛総隊は成功したのだった。
 だが、〈千堂《鳥海》瞳〉のS堂大佐が「護身道」について、楽しげに語ることを喜ばない人物がいた。
 帝国海軍ただ一人の元帥、伏見宮博恭王、その人である。

 伏見宮は帝国海軍を愛し、戦艦を愛していた。また勇敢な将兵も愛していた。であればこそ容姿端麗、成績優秀、勇猛果敢と非の打ち所のない〈千堂《鳥海》瞳〉艦長S堂大佐は伏見宮の眼鏡にかない、その寵愛は深かったのである。しかし大西洋から帰還したS堂は、伏見宮から見るに変貌していた。それも好ましくない方向へと。
 〈槙原《二式大艇》耕介〉試作機の乗組員などは、かつて〈千堂《鳥海》瞳〉に闇夜に急接近したこととDDWS試験機の故障によって誤撃墜された(1940年夏)ことがあるのだが、大西洋から帰ってきた彼女と再会して、その落ち着いた姿に驚いている。かつては背伸びの激しい子供のように感じられたものなのだ。
 けれども伏見宮には、そんなことは関係がない。寵愛しているS堂大佐は艦隊決戦よりも商船護衛の重要性を説き、栄えある帝国海軍の重巡洋艦が商船ごときの護衛に血道を上げている。年上の恋人が長身で白皙の美男子と楽しげに語らっているのを目の当たりにしたかのようで、全く不愉快であった。
 さらに帰朝報告の為に伏見宮が設けた宴において、S堂は(伏見宮から見て)悪びれずに海上護衛重視を直言した。伏見宮は不快極まり、席を蹴った。
 やましいところのないS堂にしてみれば訳が分からなかった。帝国海軍の為、伏見宮の為であればこそ、「強い海軍」へと至る最善の途を語ったのだった。それをいきなり怒られ、こちらの言うことも聞かずに去られたのである。伏見宮に対して甘い感情を持つS堂でもさすがに不愉快だった。
 この、S堂が伏見宮の勘気を被った事件は、たちまち連合艦隊内それも「盟約派(〈三笠〉に永遠を誓約した者達)」に広まった。なにしろ将来のGF長官の椅子を争う有力なライバルが自ら失点を作ったのである。彼らにすれば手を打って喜ぶべき事態だった。中には〈篠塚《金剛》弥生〉に将旗を掲げる徳田久栄少将のように、「盟約派」に通じつつ海軍指導部に「盟約派」の動静を報告する要領の良い将官すらもいた。しかし生真面目で不器用なS堂に、そのような真似が出来るはずもない。
 しかし、だからといってS堂の影響力が衰えたわけではなかった。〈千堂《鳥海》瞳〉ら「護身道」戦隊の技を受け入れなかった艦にボカ沈が相次いだのでは、その言うところを真剣に聞かざるを得ないのである。
 そして〈千堂《鳥海》瞳〉とS堂大佐は任務に精励し、北太平洋に蘭印航路に東太平洋にと獅子奮迅の戦いを続ける。それが帝国海軍の為、伏見宮の御為、いつかは勘気や誤解もとけるだろうと思いつつ。
 しかし、それを成し得ぬまま、第2次2.26事件の勃発を迎えることになった。

 1943年2月26日、雪のそぼ降る中、対米休戦を肯んじない強硬派が帝都東京の中枢を占拠した。陸軍部隊は三宅坂の陸軍省を押さえ、梅津参謀総長の身柄を拘束した。その時に実行部隊を率いているのが阿南陸相の他に、阿片事件で追い払われた辻、甘粕、各務といった旧東條派の元参謀達であるのが確認されている。首相官邸へは海軍「盟約派」の一部隊が押しいったが、米内首相を捕らえる事に失敗してしまった。米内夫人が山本五十六海相と共に横須賀鎮守府に向かったと語ったのを受け、反乱部隊はすぐさま豊田副武鎮守府長官ごと鎮守府を抑えたのだが、肝心の米内と山本は横須賀に現れなかったのである。
 クーデターの報はおよそ10時間の経過した後、オアフ島真珠湾に展開する連合艦隊主力に届いた。在ハワイ陸軍部隊(本間)はクーデターに同調せずに静謐を保ったものの、一方連合艦隊は混乱のさなかにあった。内地の反乱勢力に呼応した者達が一斉に摘発され、その対応で大わらわになっていたのだ。徳田少将の通報によって先手を打つことに成功したのである。
 反乱勢力に属する者の多くは大尉から中佐といった中堅指揮官だったが、中には一個戦隊の司令官や艦隊参謀までがおり、GF司令部の幕僚にも同調者がいて、藤堂長官を始めとするGF司令部を震撼させていた。
 周囲の騒ぎの中で、〈千堂《鳥海》瞳〉は一見静まり返っていた。S堂大佐の威令の行き届いた艦には同調者がいなかった。後の取り調べによれば、仮にS堂が計画を知った場合は直諫をおこなうであろうから計画が外部に漏れる可能性が高く、また武道家でもあるS堂を一撃で押さえ込める豪の者がいないことから、計画から外したとのことだったらしい。どのみち「盟約派」がGF司令部を抑えてしまえば、唯々諾々と従うだろうという読みだったのである。
 S堂の心中では嵐が巻いていた。伏見宮に見捨てられたという事実。宮への赤心。帝国海軍への想い。怒り、恥辱、絶望。ありとあらゆる感情が渦を巻き、S堂をがんじがらめにして離さない。S堂は副長に後を任せると、蒼惶としてGF司令部へ向かった。

 S堂が藤堂長官に面会を求めたと知ったGF司令部では緊張した。伏見宮にもっとも愛されていた士官がやってきたのである。もしやGF長官を自ら捕縛しようというのではないか。騒ぐ幕僚を抑えて、藤堂は面会を許可した。
 GF長官の面前で、自分は戦えない、どうすればよいか分からないと、S堂は語った。藤堂は前を向いたまま、無表情でつぶやいた。
「先程、衛兵を投げ飛ばしていたが、身体の動きが鈍かったね」
 司令部に向かおうとしたS堂を、気が立っていた衛兵が抑えようとして瞬時に投げられていたのを語っていた。見ていたらしい。
「あ、あれは…」
 それ以上言わなくても良いと、藤堂はうなずいた。貴族的な顔には何らの感情も浮かべられていない。それが、くすりと笑って相好をくずした。
「まだ仲直りしていなかったのかね?」
「…!」
 長く続いている痴話喧嘩に呆れているような調子だった。
「素直になりなさい。…どうなんだい、本心は」
「わ、わたしは……」どうしていいのか分からない。いや、分かっているのだが、それを言えない。
「まだまだこれから、なのだよ」
 藤堂の強い口調に顔を上げた。そうだった。ドイツや合衆国との戦争はまだ終結していない。それに、自分は何のために戦っていたのか。海上護衛重視を説いたのは何のためだったのか。それは祖国を守るため、「強い海軍」、「大人の海軍」を実現するためではなかったか。たとえ、いっとき殿下の意に沿わないものだったとしても、だ。
「これが最後でも終わりでもないのですね?ただの始まり、なのですね?」
 藤堂は微笑みつつうなずき、S堂もつられて笑みを洩らした。目頭の熱さを自覚していた。

 2月27日、伊豆大島沖で軽空母〈折原《吉野》浩平〉が反乱軍艦隊の追撃を開始した時から始まる、3月3日にかけての一連の海戦は「公称のない戦い」と呼ばれる。
 その最終局面のミッドウェー北方で、〈千堂《鳥海》瞳〉は僚艦〈鷹城《摩耶》唯子〉と共に反乱軍艦隊を迎撃した。敵空母部隊は〈折原《吉野》浩平〉を救おうとする第1機動艦隊に任せ、自らは水上砲戦部隊を相手取った。
 気力を取り戻したS堂と〈千堂《鳥海》瞳〉は猛然たる突進を見せ、得意技の「覆い面」で反乱軍艦艇を秒殺していく。〈鷹城《摩耶》唯子〉も負けじと「音速カウンター」を決め、さらに〈井上《雪風》ななか〉らもスピード豊かに切り込む。反乱軍水上砲戦部隊は「護身道」戦隊の突撃に陣形をくずされて四分五裂に陥った。あとは各個に戦うだけになってしまい、空母〈南条《応龍》沙江子〉と「孤独な狩猟者」〈柳川〉が沈んで、「公称のない戦い」は終結したのだった。

 帝都東京でも事件は終息に向かった。合衆国特使を沈めるべき艦隊は海に消えた。代わりに連合艦隊の戦艦が東京港に入り、その全砲門を東京の要所に向けた結果、反乱軍の意気は急速に萎え果てた。
 そして連合艦隊の入港から2時間後、皇居から反乱軍へ向けて「最後通牒」が発せられた。速やかに投降し、兵、下士官を原隊に復帰させなければ、天皇自ら近衛第1師団を指揮して、討伐する。
 この時同時に、宮城に米内総理大臣、山本海軍大臣らが退避していることも発表された。これは「君側の姦」を討つことを大義名分としていた反乱軍にとって大きな打撃となり、反乱軍は自壊を開始した。
 まず陸軍の阿南陸相が自決し、海軍側の首謀者永野前軍令部総長が「一身に責がある」と遺書を残して、これまた自決した。反乱軍に加わった少壮将校、海軍士官らにも自決が相次いだ。彼らは第1次2.26事件の首謀者達への銃殺刑執行が念頭にあり、罪科を課されるよりも自決によって満天下に己が正義を示そうとしたのだった。
 全てが終わった。休戦が正式に成立した後、人心の混乱を収拾するため皇族の東久邇宮が挙国一致内閣を組織した。その後は戦時が終了したことを示すため、政党政治家の国場義昭に大命が下った。彼は第1次世界大戦を、陸軍将校として北フランスの平原で体験した者だった。
 第一次国場内閣は井上成美海軍中将と組んで軍事戦略機構の改正を図った。それは軍令部と参謀本部の戦略指揮機能の完全な合体であり、さらには陸海軍基地航空隊の統合、統合航空軍の創設まで一気に押し進められた。
 指揮機構の改正作業は、御前会議で新戦争指導機構である国防軍令本部の開設と実働が承認された。国防軍令本部の本部長人事は、内閣の補弼により、天皇によっておこなわれる。これはつまり、内閣の指揮権が軍部に及ぶと言うことだった。統帥権条項は死文化し、文民統制が確立したのである。
 統合航空軍の成立については簡単だった。陸軍は航空隊創設にたずさわった堀丈夫予備役陸軍中将を中心に昭和15年頃から基地航空隊の統合について運動しており、さらに海軍独裁の結果が引き起こした事件で、海軍は天皇の信頼を徹底的に損ねていたからだ。国場は天皇の「お墨付き」を巧みに利用して海軍の執拗な反対を潰し、新軍の成立を成し遂げた。
 剛腕の宰相の前に、海軍基地航空隊を育て上げた山本五十六前海軍大臣も口を挟むことができなかった(というより親友の堀梯吉海軍大臣が抑えた)。身から出た錆とはいえ、国防軍令本部で海軍は、1対2の劣勢を強いられかねない羽目に陥ったのである。
 ここに日本は近代的な立憲君主制国家への脱皮を成し遂げた。そこに至る犠牲は、精神的物的両面に渡る巨大なものであった。

 そして海軍にも秘やかな変革があった。伏見宮が公的私的な影響力を行使しなくなったのである。海軍を「えいえん」へつなぎ止めようとしていた力は、完全に消滅したのだった。
 影響力を手放した伏見宮の元を訪れる海軍関係者はほとんど姿を絶った。全く機会主義の徒らしい態度であった。その数少ない例外が、S堂大佐である。二人の友誼は、伏見宮が昭和21(1945)年8月16日に逝去するまで続いた。
 遺書は8月24日に開封された。それには第2次2.26事件で死んでいった旧部下への悼みと遺族への悔やみ、彼らの罪を問わないことの当局への請願、そして天皇に対する詫びがしたためられていた。さらに末尾に、S堂大佐への謝罪が記されていた。
 S堂はあたりをはばからずに号泣した。

チャンピオンの系譜

 1951年3月。内地では卒業の季節である。空は高く、桃の木の薄紅色は目に眩しい。泣く者、笑顔の者。少し悲しく、そして誇らしい季節。講堂裏で喧嘩騒ぎを起こす者もいるかも知れないが。
 そんな時期、〈千堂《鳥海》瞳〉は大西洋にあってレイキャビク船団の間接護衛に従事していた。
 冬の余波で、今なお波頭は白く荒れている。

 〈千堂《鳥海》瞳〉の艦容は、幾度かの改装を経て相当に変わっていた。
 漫然としているだの、デッサンがおかしいのとイタリア人にケチを付けられていた艦橋は、羅針艦橋の上部を整理して端正さを増している。〈鷹城《摩耶》唯子〉は艦橋を小型化せずに背の高いままとしていた。収容能力の大きい艦橋は新型の管制機器などの増設によく耐え、DDWSも2型が装備されて、彼女の指揮能力を高い水準で維持させていた(後に〈鷹城《摩耶》唯子〉はDDWS3型まで装備する)。
 防具(武装)の変化は、外観の面で彼女の変容を強く印象づけていた。
 主武装たる主砲は、第3砲塔を撤去した後に艦橋構造を増築して射撃管制レーダーを装備している。半自動装填装置の採用で毎分8発の発射速度を得て、前後合わせて8門に減少してもなお砲戦能力を強化できた。その主砲からは対潜弾を放つことも可能である。わずか25ミリだった主砲の装甲も張り増しして、前面100ミリ、上部80ミリとした。
 対空武装については、長12.7センチ両用砲を8基16門、ボフォース40ミリ4連装機銃6基、同連装6基、エリコン20ミリ機銃30基とハリネズミのようになり、〈槙原《二式大艇》耕介〉試作機の誤撃墜以来苦手としていた航空機にも強力に対抗できた。航空兵装のカタパルトは撤去された。もはやフロート付きの水上機が活躍できる時代ではない。艦尾は爆雷投射機を増設して対潜作戦も可能である。
 通常ならば凶々しさすら感じさせるほどの武装だったが、不思議と〈千堂《鳥海》瞳〉に似合っていた。もちろん〈鷹城《摩耶》唯子〉にも。艶やかな髪をきりりと結い上げて背に垂らし、白の胴着に藍色の袴姿で防具に身を固めた女子学生のようだ、と絶賛されている。
 その〈千堂《鳥海》瞳〉で、S堂大佐は艦長職を務め続けている。一期上の村上武雄〈緒方《瑞鶴》理奈〉元艦長はすでに中将で、第1機動艦隊司令長官の任についている。S堂が一号生徒の時に三号生徒だった真田忠道〈綾瀬〉元艦長は少将に昇進しており、国防軍令本部総長付きとして戦争にまつわるあれこれについて指導と修正を図っていた。同期の面々もあちこちの要職に就いている。ハンモック・ナンバーでトップ・クラスだったS堂が未だ一介の大佐なのは、伏見宮に近すぎたからだった。
 第2次2.26事件が終結して海軍の中堅士官層には大きな穴が空いたのだが、それを埋めたのはそれまで冷や飯を食わされていた士官達であった。有能であるが主流派に対して批判的で(それゆえに畸人変人と呼ばれていた)あり、それゆえに閑職に回されていた連中が、海軍中央を占めたのである。彼らの伏見宮閥への復讐の念を充たすにはスケープ・ゴートが必要だった。それがS堂である。
 けれども有能なことでは海軍随一と評判を取る重巡の艦長を左遷するのは戦力的にまずいだろう。ならば、そのまま艦長をさせておけ。良い見せ物になってくれるだろうよ。
 それを知っていてもS堂の態度は変わらず、かえって喜んですらいた。海軍内の政治に巻き込まれるのは嫌だったし、海上の武人としての大成を目指すのに好都合だった。戦技はまだまだ研鑽が必要なのである。
 こうしてS堂大佐指揮の下、〈千堂《鳥海》瞳〉は転戦し続けて赫奕たる武功を掲げた。吸血鬼討伐では相当の被害を受けたものの最終的に勝利を納めることができた。水深の極度に浅いバハマ諸島海域でも「秒殺の女王」の名に違わぬ活躍を演じて、欧州連合の巡洋艦や駆逐艦を蹴散らかしている。
 そして3月14日、大西洋中央を行くレイキャビク船団SY22A(秘匿呼称「海外旅行」)の西方20海里を航行していた。
 ドイツ北米艦隊の有力な水上戦闘グループがノーフォークを出撃したことが、報じられている。

 敵戦闘グループは戦艦級の艦を主力としているらしかった。〈千堂《鳥海》瞳〉の羅針艦橋は緊張に包まれているが、S堂大佐(間接護衛隊司令兼任)は一人端然として艦長席に腰掛けていた。
 昼間砲戦では不利だが、すでに日が傾きかけ、日没が間近い。接触するのは完全に夜になってからになるだろう。敵側も航空機の飛ばない夜戦を望む筈。ならば近接砲雷戦でなんとかなる。
 S堂はちょっと考え、英海軍から連絡将校として派遣されてきたマーヴィン・ジャクソン大尉(S堂の首席幕僚でもある)に、船団直接護衛隊司令官と船団指揮官に注意を促すよう命じた。襲撃によって進路をねじまげさせ、その先ではUボートが牙を研いでいるかも知れないからだ。なお今回の護衛指揮権は英国側にある。ジャクソン大尉はすぐさま連絡をとった。了解、と直ちに返答が来た。
 22時08分、コッド岬から真西に線をのばしてアゾレス諸島に近い海域で、〈井上《雪風》ななか〉の水上捜索レーダーに輝点が現れた。それは30ノット近い速度で北北西から接近してくる。警報が発せられるや、全艦でも反応を確認した。〈千堂《鳥海》瞳〉は「突撃、我に続け」と信号を発し、「ウィンド・ヒル」戦隊を率いて敵の頭を抑えるべく増速した。
 彼我の形勢はT字を横倒しにした形になった。砲撃戦には理想の状態だったが、射程距離外であるためまだ発砲はできない。しかし既に電子戦では激しく干戈を交えていた。
 ドイツ艦が捜索レーダーや射撃管制レーダーへの攪乱を開始してきた。〈千堂《鳥海》瞳〉では周波数を切り替えて対抗し、こちらも負けじと相手の周波数をかき乱す。欺瞞紙も発射した。しかしながら「ウィンド・ヒル」戦隊側が押され気味であった。発電能力の差が出てきたのである。敵は力任せに〈千堂《鳥海》瞳〉らのジャミングを破りつつあった。そして先手を取ったのはドイツ側だった。電波妨害をかいくぐって砲撃できるだけのデータを、先に集積できたのだ。
「敵艦発砲!」
 見張り員が絶叫した。殷々と砲声が轟く。発砲炎に浮き上がった姿はP1級と呼ばれる装甲巡洋艦のものだった。〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉と〈新沢《シュレージェン》雅臣〉の「姉弟」である。
 28センチ砲弾が海面におちて水柱を上げた。海水が逆巻き、頂点に達してなだれ落ちる。敵弾は〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉の砲弾が〈千堂《鳥海》瞳〉〈鷹城《摩耶》唯子〉の間に落ちて、両艦の連携を分断した。〈新沢《シュレージェン》雅臣〉のそれは〈鷹城《摩耶》唯子〉の後に続く駆逐隊の周辺に落ちた。28センチ砲弾の重量は300キロ程度とはいえ、126キロの重量しかない20センチ砲弾や豆鉄砲の12.7センチ砲弾とでは破壊力に格段の違いがある。先輩をおいかける特型駆逐艦は激しくゆさぶられた。
 これで「ウィンド・ヒル」戦隊は出鼻を挫かれた。その隙をついてドイツ艦は左へ転舵し、さらに右へ舵を切って、〈千堂《鳥海》瞳〉の鼻先をかすめて船団への突入を図ってきた。
 〈千堂《鳥海》瞳〉は全速で追跡を開始した。同航砲戦に持ち込む。距離は1万。両用砲ですらも射程距離に納めている。猛烈な勢いで発砲を開始した。
 戦いは〈千堂《鳥海》瞳〉と〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉が単艦同士での砲戦、〈鷹城《摩耶》唯子〉と駆逐隊が〈新沢《シュレージェン》雅臣〉とドイツ駆逐隊を相手取るようになった。
 〈千堂《鳥海》瞳〉は転舵を小気味よくおこない、敵主砲弾を未だ一弾も受けずにいる。得意の「覆い面」で速射を浴びせて幾つか命中弾も得ていた。
 ドイツ海軍が「最強のだだ甘お姉ちゃん」として建造しただけあって、〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉は被弾に耐えて戦闘力を維持している。けれども踏んだ場数の違いもあって、今や圧倒されつつあるのは〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉の方であった。〈千堂《鳥海》瞳〉に圧迫されて襲撃航路をねじ曲げられつつあったのだ。いっぱいがんばらないといけないのに。〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉は半泣きになりつつあった。
 一方、「お姉ちゃん」同士の激しい叩き合いに置いてきぼりを喰らった〈鷹城《摩耶》唯子〉らだったが、こちらは彼女達優位で戦いが進んでいた。なんとなれば〈新沢《シュレージェン》雅臣〉の戦意が極度に低かったからだ。
 まるで幼い子供に戻ったように〈新沢《シュレージェン》雅臣〉は状況に戸惑っている。自分がどこにいるのか、あのお姉ちゃんは自分の何なのか、全ての記憶を喪失したように漂っていた。
 そんな隙を見逃す〈鷹城《摩耶》唯子〉ではない。一気に距離を詰めて20センチ砲弾をたっぷりと叩き込んだ。さらに魚雷も片舷斉射で放ち、これも命中を得た。〈新沢《シュレージェン》雅臣〉は大量の浸水と火災にのたうち回った。
 その光景に〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉は逆上した。泣き叫びながら主砲を振り回す。無闇に放たれる主砲弾のことごとくを〈千堂《鳥海》瞳〉はかわし続けた。しかし、テンポがずれて放たれたものを回避する事に失敗した。
 必殺の「おねえちゃんパンチ」が〈千堂《鳥海》瞳〉を捉えたのだ。

 直撃の瞬間、艦橋内の全員が跳ね飛ばされ、次いで叩きつけられ、S堂もまた椅子から転がり落ちた。とっさに受け身を取ってダメージを最小限にした。ジャクソン大尉も悲鳴をあげまいと踏ん張っている。
「後部指揮所に直撃弾!」
「3番砲塔に直撃!」
「応急作業、急げ!」
 被害報告が立て続けに入る。敵の新たな斉射が来る前に、〈千堂《鳥海》瞳〉は二度、斉射を放つ。3基6門に減った20センチ砲が吼え、〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉の周辺に水柱が巻き上がる。
 二度目の直撃が来た。二発が命中し、後部煙突と後部マストを破壊した。三度目の直撃は前部甲板と後部甲板。前部甲板に命中した一撃は錨鎖庫をぶち抜いて錨を海中に放り込んだ。後部甲板に命中した一発は4番砲塔を叩きつぶしてターレット・リングをゆがめた。
 〈千堂《鳥海》瞳〉は健在な前部主砲4門で応戦する。互いに危険なほどの距離で命中しているのだが、〈桜橋《ロートリンゲン》涼香〉は錯乱して痛みを感じないかのように振る舞っている。
 そして、四度目の直撃が発生した。三発が命中。28センチ砲弾は、隆山条約型重巡洋艦では耐えきれない威力を発揮した。
 一発は左舷中央の水線下を直撃し、舷側をたやすくぶち抜いて機関室で爆発した。ボイラー2基が爆砕され、火災が発生したところに海水が奔騰してなだれ込んだ。大量の水蒸気が発生した。
 次の一発は艦尾を襲い、舵をもぎ取って、左舷側の推進軸2本をへし折った。
 最後の一発は2番砲塔を正面からぶち抜き、放たれようとしていた20センチ砲弾を誘爆させた。砲塔は爆発に吹き飛ばされ、巨大な篝火が天に向かって噴き上げられた。
 艦橋のS堂には世界の全てが朱に染まったように見えた。続いての衝撃に意識を失った。
 主砲は全て沈黙し、火災による黒煙は随所から噴き上がっている。左舷水線下に開いた被弾孔からは海水が雪崩を打って奔入して、機関室から上をひたしつつあった。
 ここに「無敵のチャンピオン」、「秒殺の女王」と謳われた〈千堂《鳥海》瞳〉は、その動きを完全に止めたのだった。

 S堂は激しく揺り動かされて意識を取り戻した。脇腹に走る凄まじい激痛にうめき声を上げた。
「気がつかれましたか、司令?」
「君か……ジャクソン君。他の者は?」
「生存者は司令と私だけです」
「………そうか」息を吐くだけで痛みが走る。
「お掴まりください。本艦はもう保ちません」
「いや、いい。君一人で行け」
「そうは参りません。この場にいる者として、司令をお助けする義務があります」
「どのみち助からないよ。内臓までやられている。それよりも意見を聞きたい。船団は無事に逃れただろうか?」
「………」
「ジャクソン君!君は戦隊首席幕僚なのだ。疑問の余地がないほど明快に自分の所信を述べる。それが君の任務だ」
「ハッ!隊首席幕僚として意見具申いたします、司令。SY22A船団は無事であります。ウィンド・ヒル戦隊は敵水上艦の襲撃からの護衛の任務を完遂いたしました!」
「そうか……」心の奥底から満足感が込み上がる。そういえば本艦を叩いた敵艦はどうしたのだろうか。
「敵艦はどうした?」
「敵艦は僚艦の救助をおこなっています。曳航作業にかかっており、戦意はないようです」
「………」
 敵艦の気持ちが分かるような気がした。誰よりも大事な者を救おうと必死なのだ。その時、〈鷹城《摩耶》唯子〉から外部拡声器で無事を問う声が上がった。泣きわめく直前の声のように聞こえた。
「君から彼女らに伝えてくれ。しっかりするように、次の主将なのだからと」
「かしこまりました、司令」
 ジャクソンは立ち上がって敬礼し、立ち去る前にS堂の頭を持ち上げ、自分の軍衣を丸めて差し入れた。S堂はそっと両目を閉ざした。
 海の上でいろんな人に出会った。喧嘩した。大騒ぎした。たくさんの思い出があった。悲しいことも多くあった。けれども、なにより嬉しかったのは。
 商船護衛などお断りと言っていた海軍。それが今では、海軍の任務は第一に商船を守ることと、信じて疑わないまでになっている。
 今次大戦でも、商船を守ることで苦境を脱して、敵の攻勢を跳ね返すことができた。決戦をいとわなかったドイツや欧州の海軍の活動はひどく低調なものになっている。欧州連合の商船の喪失量からすれば、今後の敵の活動は著しく弱体化せざるを得ないだろう。「強い海軍」を作るために、海上護衛重視は間違いなかったのだ。
 泉下の宮様に胸を張って報告することができる。殿下の望まれた強い海軍は実現なりました。
 涙が一粒こぼれた時、意識が急速に遠のいた。いつのまにか桃の花びらがどこからか舞い上がっている。
 遠くから懐かしい声が聞こえてきた。S堂はそちらに向かって歩き出した。

 「麗しのお姉さま」としてファンの多い〈千堂《鳥海》瞳〉が戦没したことは大きく報じられた。大手マスコミでは「撃沈ではなく引退である」と表現している。
 海軍はこの海戦に「北大西洋海戦」といささか誇大な正式呼称を付けた。さらに功の多さに比して報いられることの少なかったS堂に対して、3月14日付けで少将へ昇進させ、翌々日に二階級特進で大将を贈った。これにより、昇進の遅れていたS堂が同期の中で真っ先に大将となったのだった。
 全くの偽善だったが、彼はそれだけのことを成したと誰もが納得した。

 本土の政治はともかく、残された〈鷹城《摩耶》唯子〉ら「ウィンド・ヒル」戦隊はなおも活躍を続けた。第3次世界大戦最後の海上決戦となったノルウェー沖海戦では、第2機動艦隊第22任務群の護衛をおこない、さらに水上打撃戦部隊として編成された第24任務群に組み入れられて、欧州連合の機動艦隊残余を追撃している。
 〈東雲《ギッシャン》深月〉のめちゃくちゃな攻撃には間合いが取れずに下がったものの、装甲巡〈椎名《浪速》ゆうひ〉と〈槙原《愛宕》愛〉が〈三好《ダンケルク》育〉の38センチ砲弾を喰らって後退した後は、〈鷹城《摩耶》唯子〉が任務部隊を率いて追撃を継続し、Z76〈フリューゲル〉を撃沈している。
 この後の英本土奪回でも活躍を演じた。夜間に乗じて友軍への補給を図るドイツ駆逐艦との小競り合いが多く生起したのである。
 しかしながら〈鷹城《摩耶》唯子〉の生涯の戦果は、遂に〈千堂《鳥海》瞳〉に及ばなかった。多少の苦みを感じつつ、〈鷹城《摩耶》唯子〉の艦長らは笑顔でその事実を受け入れている。
 世界大戦が終結した後、〈鷹城《摩耶》唯子〉は20年に及ぶ現役生活に終止符を打ち、第一線を離れることになった。新たな職業は練習艦隊。江田島に係留され、時には演習航海へと出かける。教師として次代の海軍将兵を育て上げるのは、大変にやり甲斐があった。
 武勲輝く艦であり、また生徒の自由意志を尊重している(というより管理がゆるい)ので、生徒の人気も高い。21世紀には台湾海軍のSTOL機運用空母〈蓮飛〉も預かり、彼女とミサイル駆逐艦〈晶風〉とが起こすあれこれの騒ぎに笑顔で対応している。


 1983年1月15日、横須賀工廠で1隻の艦が竣工した。基準排水量9450トン。満載では12000トン。ひときわ重厚な上部構造物が特徴的だった。
 その艦は画期的な防空システムを搭載することで知られている。ドイツ空海軍の航空機、水上艦、潜水艦から放たれる、長射程の対艦ミサイルによる飽和攻撃に対抗するためのものだった。
 その為に新しい艦種別も設けられている。防護巡洋艦。空母機動部隊を守り、かつ、再突入フェーズに入った大洋間弾道弾(IOBM)から日本を守るための巡洋艦なのである。修正された「10−4−10−10」計画に従い、彼女らは1994年までに12隻が建造されて、太平洋条約機構軍の一大海上戦力となった。
 その1番艦は〈鳥海〉と名付けられた。親に似て美人、と評判のフネである。

要目

  • 全長 203.76メートル
  • 全幅 19.0メートル
  • 主機 艦本式ギヤード・タービン4基4軸
  • 主缶 ロ号艦本式重油専焼缶12基
  • 機関出力 130000hp
  • 最大速力 35.5kt
  • 基準排水量  9850トン
  • 公験排水量 14067トン

兵装(新造時)

  • 主 砲 3年式狭罍横亜ィ灰札鵐創∩砲5基
  • 高角砲 10年式12センチ単装砲4基
  • 機 銃 毘式40ミリ単装2丁
  • 雷 装 89式61センチ魚雷発射管連装4基
  • 水上機 3機
  • 射出機 2基
  • 装甲
    • 舷側 107ミリ(傾斜12度)
    • 甲板 34ミリ
    • 主砲 25ミリ

同級艦

防護巡洋艦〈鳥海〉

要目

  • 全長 172メートル
  • 全幅 21メートル
  • 主機 ガスタービン4基2軸
  • 出力 120000馬力
  • 最大速力 30.8ノット
  • 基準排水量 9450トン
  • 満載排水量 12000トン