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〈千紗〉

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水上機母艦〈千紗〉 Seaplane Carrier CHISA,IJN

(こみっくパーティー/Leaf 塚本千紗)

水上機母艦<千紗>――最貧母艦列伝――

■ 遅れてきた母艦

 水上機母艦〈千紗〉――その生涯について語るとき、大日本帝国海軍の軍艦の中で、これほど栄光と挫折の両方に満ちた艦も珍しいであろう。
 〈千紗〉は、<千歳>級水上機母艦の3番艦として、シ艦計画で1隻だけ建造された水上機母艦である。このころ水上機母艦は、一部の航空主兵主義者たちから索敵専門艦として艦隊航空戦力の補助になると認識され、〈千紗〉の建造が認められたのであった。現に、太平洋戦争において〈千歳〉と同級2番艦〈小端《千代田》愛〉は艦隊索敵、航空隊誘導などに縦横無尽の活躍を見せ、機動部隊の補完という役割を見事に果たした。
 〈千紗〉にも姉たちと同じような役割を期待されたが、太平洋戦争勃発に伴い〈森川《雲龍》由綺〉級空母の建造が優先され、建造は遅れに遅れた。結局〈千紗〉が完成したのは戦争終結2年後の1947年であった。しかしこのころになると、艦載機に比べ低速で運用に制限がある水上機の価値は相対的に低下し、さらには回転翼機の登場によって〈千紗〉の水上機母艦としての役割はなくなってしまった。そのため〈千紗〉は本来の建造目的からおよそかけ離れた使われ方を余儀なくされたのであった。

■最初の失敗

 1947年、日本陸軍はこのときすでにカナダに駐留していた。連合艦隊に編入された〈千紗〉の最初の任務は、この陸軍カナダ派遣部隊の将兵のために娯楽用の雑誌を輸送することだった。しかし〈千紗〉は輸送艦ではない。そのため、水上機甲板に搭載機の代わりに雑誌を積みこんだコンテナを満載して運ぶこととなった。
 ハワイ近海を航行中、〈千紗〉は最初の挫折を経験する。〈千紗〉の甲板からコンテナが崩れ、海に転がり落ちてしまったのであった。原因は固定が不十分だったとも、固定用のワイヤーが切れたとも言われているが、ワイヤーそのものが沈んでしまった今となっては真相は不明である。しかし〈千紗〉は幸運だった。落下したコンテナは防水構造で沈むこともなければ中の雑誌が濡れることもなかった。そして〈千紗〉は偶然近海を航行中だった装甲巡洋艦〈千堂〉の協力もあり、落下したコンテナの全てを発見・回収することに成功した。もしこれが戦争中であったら、コンテナ回収中の〈千紗〉は潜水艦の雷撃を受けていたかもしれない。なお雑誌は無事カナダに届けられ、将兵たちの手に渡り、彼らの娯楽となっている。

■ 「借金取り」との死闘

 1948年5月、ドイツ北米総軍は大規模な軍事行動を開始した。第3次世界大戦の勃発である。<千紗>の開戦後初めての任務は、やはり水上機母艦とは関係のない輸送任務であった。行き先は戦前雑誌輸送で赴いたカナダ、現在はドイツ軍と日本・英国軍との激闘が繰り広げられていた。〈千紗〉の今回の積荷は印刷機であった。カナダの日本陸軍が、将兵たちへ配る機関紙を印刷するためのものである。
 開戦の報を西太平洋で受けた〈千紗〉は、途中ハワイに寄港、護衛の海防艦〈塚本《第一号》千紗〉と合流してバンクーバーへと向かった。戦争もまだ始まったばかり、航海は順調にいくと誰もが希望的観測を持っていた。
 しかし、ドイツ海軍の動きは迅速だった。このときすでにドイツ海軍は恐るべき潜水艦を(まだ少数とはいえ)北太平洋に配置していた。そして〈千紗〉と〈塚本《第一号》千紗〉はその哨戒網に進入した日本軍艦第一号となった。
 後の資料によると、彼女らを迎撃したのは「グロウビガー」戦隊である。この潜水戦隊は第3次大戦全般を通じて枢軸国船舶に多大な被害を与えている。その容赦ない船舶狩りぶりが悪徳な金融会社を連想させることから日本側の呼称は「借金取り」であった。そして〈千紗〉と「借金取り」との因縁はこの「バンクーバー沖海戦」から終戦近くまで続くことになる。
 このときの「グロウビガー」戦隊は6隻の長距離水中高速型Uボートで編成され、そしてその標的はわずか2隻と、普通に考えるならば日本艦2隻の撃沈は確実であった。しかし〈千紗〉と〈塚本《第一号》千紗〉の繰艦はあまりにも巧みであった。潜水艦6隻の波状雷撃をことごとく回避、ついには蓄電池の不足した「グロウビガー」を振り切ることに成功した。なおこの戦闘の最中、〈千紗〉艦長のT大佐は「本艦は布団も消火器もいらんぞ」と言いながら繰艦を指示していたというが、その本意は今だ不明である。
 その後〈千紗〉と〈塚本《第一号》千紗〉は無事バンクーバーへ入港、印刷機は守りぬかれたのである。

■ 最大の失敗

 先述した通り〈千紗〉は栄光と挫折に満ちた生涯を送ったが、1950年8月にその生涯の中で最大の挫折を味わった。
 メキシコ湾で発生した巨大ハリケーンに乗じて、グアンタナモ―レイキャヴィク間船団SY3を撃滅するためドイツ最強の戦艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉が出撃した。この報を受けた日本海軍第1戦隊の戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉〈来栖川《紀伊》綾香〉〈坂下《尾張》好恵〉と「ブラザー2」戦隊の装甲巡洋艦〈千堂〉(僚艦〈九品仏〉はハワイで整備中)はグアンタナモ港で出撃準備を急いでいた。
 これら戦艦の砲弾は〈千紗〉が運んできた。急いでいたため陸揚げはされず、〈千紗〉から直接戦艦に供給され、その作業も順調に進み〈千堂〉の弾薬を補給するだけとなった。 だがここで突然〈千紗〉の艦中央の構造物――機銃甲板と呼ばれる――付近で爆発が起き、火災が発生した。この原因は、本来水上機母艦である〈千紗〉には航空機用ガソリンが積まれており、何らかの理由でタンクから漏れ出したガソリンが気化、引火したためと後の調査で判明している。〈千紗〉艦長以下乗組員たちは決死の消火活動を行い、隣に位置する〈千堂〉からも放水が浴びせられたが火災は収まらず、艦上を舐める炎は他の可燃物に引火しながら艦尾へ――〈千堂〉の弾薬が積まれた場所――へと向かっていった。もしそれに引火すれば、〈千紗〉は瞬時に木端微塵になることは間違いない。
 そんな絶体絶命の状況の中、〈千堂〉から〈千紗〉へ信号が発せられた。「我ノ弾薬ヲ投棄セヨ」――。
 弾薬投棄後ほどなく火災は鎮火、〈千紗〉の損害は軽く、機関も全力運転が可能であった。しかし〈千堂〉の主砲、99式41センチ砲は口径減退砲という特殊なもので、その砲弾も専用の物が使われる。他艦の41センチ砲弾の流用はできない。その砲弾を投棄したことは〈千堂〉が戦力とならないことを意味していた。
 8月21日の「ニューヨーク沖海戦」において〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は撃沈、SY3船団の安全も保たれた。しかし枢軸側も〈高瀬《大和》瑞希〉〈来栖川《長門》芹香〉〈スフィー〉が大破、戦術的には辛勝といえるものだった。〈千堂〉は戦場へは同行したものの戦闘には直接参加せず、勝利にはなんら寄与することはできなかった。後に〈千堂〉艦長のS大佐はそのときの態度を「敢闘精神の不足」と痛烈に批判されたが、一切の弁明を行わず、ただ黙って批判を受け入れた。なお「もし〈千堂〉が戦闘に参加していれば〈高瀬《大和》瑞希〉が〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を牽制している間にそれに肉薄し、至近距離から放たれた大威力の41センチ口径減退砲(しかも改良により新造時のそれよりも威力が増大している)は〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の舷側装甲を撃ち破りそれを撃沈、〈高瀬《大和》瑞希〉も大破することはなかったであろう」というのが後世の戦史研究家たちのほぼ一致した見解である。
 日本艦隊がグアンタナモに帰還した直後、〈千堂〉艦長S大佐は〈千紗〉艦長T大佐のことが気がかりになり〈千紗〉の艦長室を訪れたが、ドアを開けた直後、恩賜の短剣(〈千紗〉艦長T大佐、はこれまでの実績からは信じられないが、海軍兵学校を首席で卒業した秀才であった)で今まさに切腹せんとするT大佐を発見、彼を強引に押しとどめた。そして自決に失敗したT大佐はS大佐に対し、号泣しながら詫びを入れたという。

■ 健気な奮闘

 この事件の後〈千紗〉は失態を挽回するかのごとく活動した。搭載機は相変わらず与えられなかった。しかし〈千紗〉艦長以下乗組員全員は一切不平を言わず、ただ己が責務を全うするため一層の努力を見せたのである。
 〈千紗〉にはさまざまな任務が与えられた。海上補給装置を取り付けられて艦隊随伴高速補給艦となったこともある。そもそも〈千歳〉級は最大で29ノットの高速を出す優秀艦であるので、このようなことも可能であったのだが。他艦に忙しく補給する姿を見た日本の将兵は彼女に「給使」のニックネームをつけた。英国将兵も彼女に同じような印象を抱いたらしく「ウェイトレス」と呼んだ。呼ばれ方はともかくも、〈千紗〉はこのような地道な働きにより将兵たちから信頼されるようになっていった。
 〈千紗〉は特殊任務すらもこなしたことがある。1951年12月、ノルウェーで活動する対独レジスタンスに武器を供給するため、北ノルウェー沿岸に接近、内火艇で武器を陸地に運び、無事レジスタンス組織に手渡した。しかしレイキャヴィクへの帰路、天候の予測を誤った〈千紗〉は、氷海に閉塞し、全く身動きが取れなくなってしまった。結局〈千紗〉は、この報を受けて砕氷艦でもないのに氷を割って閉塞場所に駆けつけた〈千堂〉によって救出されている。
 それ以外にも〈千紗〉は、商船と混じって戦争物資の輸送に従事したり、船団護衛艦隊に組み込まれたこともある。そしてその間、幾度も因縁のドイツ潜水戦隊「グロウビガー」と遭遇したが被雷することはなかった。〈千紗〉は不遇艦であると同時に幸運艦でもあったのである。

■ 引退の危機

 英本土奪還作戦<アーク・エンジェル>の準備が整いつつあり、第3次大戦もいよいよ枢軸側に有利となった1952年1月、大西洋で活動中であった〈千紗〉に、突如本国への回航命令が下された。急遽呉に帰港した〈千紗〉に下された新たな命令は「無期待機」であった。
 このころ連合艦隊司令部では、〈千紗〉は必ずしも必要ない、という議論が交わされていた。〈千紗〉は確かに優秀な性能を持ち、功績も大きい(失敗も多い)が、あらゆることで中途半端になっていたのだった。補給艦としては物資搭載量は少なく、護衛艦にしてはその大きさの割に武装が貧弱、特殊任務ならば潜水艦を用いた方が確実、というのが〈千紗〉無用論の根拠であった。それもある意味当然である。〈千紗〉は本来水上機母艦で、その真の能力は搭載機があってこそ発揮できるのだから。
 しかし、もはや水上機は海軍から消えつつあり、それに替わる回転翼機はどこの戦場・艦でも引っ張りだこであり、〈千紗〉に配備できる余裕はまずなかった。
 なお〈千紗〉無用論の中には、戦局が有利となりわざわざ〈千紗〉を使うこともないだろうという意見や、これまでの失態を問題にする意見もあった。
 これまでの奮闘も空しく〈千紗〉は活躍の場を失い、建造後6年という短い期間で予備役に編入されようとしていた。

■復活の<千紗>

 呉軍港において自らに下される処遇を待つ〈千紗〉。そのころ、装甲巡洋艦〈大庭《白根》詠美〉と軽巡洋艦〈猪名〉が呉に帰港した。〈大庭《白根》詠美〉は50口径41センチ砲を6門搭載し、艦隊決戦、船団護衛とあらゆる任務に活躍してきた艦であり(つい先日「ベルファスト沖海戦」でも大活躍を見せた)、〈猪名〉は対潜護衛戦隊「ハリセーン」に所属し、僚艦〈保科〉と共に潜水艦キラーとして敵味方に名をはせた艦である。両艦とも第2次大戦以来のベテランで、この2隻がそろって呉に帰ってきたのは、大規模なオーバーホールを受け、長年酷使した艦体を整備するためであった。
 〈大庭《白根》詠美〉艦長と〈猪名〉艦長は呉帰港の直後、連名で連合艦隊司令部に上申書を提出した。そしてその上申書は直ちに受理された。なおこの上申書については〈千紗〉となにかと関係の多い〈千堂〉艦長のS大佐も深く関わっていたと言われている。
 上申書の内容は「〈大庭《白根》詠美〉〈猪名〉の整備中、所属する対潜回転翼機部隊を〈千紗〉に転属させる」というものであった。〈千紗〉は水上機母艦、そして搭載すべき機体が確保されるとなれば――。
 〈千紗〉はついに本来の役割を得た。〈大庭《白根》詠美〉と〈猪名〉から転属した12機、そして〈千堂〉艦長S大佐が各所に根回しを行ってどうにか手配した5機、合計17機の対潜回転翼機を搭載した〈千紗〉は1952年3月、横浜――英国モレー湾間船団(英国本土に上陸した枢軸側の橋頭堡――このときすでに「アーク・エンジェル」作戦は発動していた)の護衛役として祖国に暫しの別れを告げた。
 そのおよそ1ヵ月後、中部大西洋において、ドイツ潜水戦隊「グロウビガー」は壊滅した。この歴戦のUボート戦隊に引導を渡したのは言うまでもなく〈千紗〉とその搭載機である。〈千紗〉が船団の露払いとして先行していたところ、「グロウビガー」戦隊が〈千紗〉を発見した。しかしいかにこのときの「グロウビガー」戦隊が最新のヴァルター艦10隻で編成されていても、〈千紗〉がいつものように輸送任務にあたっていると判断、油断して接近したところを〈千紗〉所属機のソノブイに補足され、対潜誘導魚雷を浴びせられたのではひとたまりもなかった。そして〈千紗〉の護衛する船団も無事で、目的地のモレー湾に1隻も欠けることなく入港し、英国陸軍軍楽隊のバグパイプ演奏に迎えられている。
 ついに〈千紗〉は「借金取り」の脅威を永久に排したのであった。

■凱旋とその後

 〈千紗〉が「回転翼機母艦」として大活躍したこの年、長きに渡った第3次世界大戦が終結した。〈千紗〉は戦争終結後もしばらく欧州にとどまり、搭載機を利用して、英国沿岸の機雷掃海任務になどにあたっていた。このころの〈千紗〉は、これまでの活躍が認められ「健気な可愛い妹」のような存在として支持されたという。
 その〈千紗〉が日本に帰還したのは、翌1953年の4月であった。祖国に戻ってきた殊勲艦を迎えたのは、国民の歓呼の声と満開の桜であった。
 その後〈千紗〉は同型艦の〈千歳〉〈小端《千代田》愛〉と共に回転翼機母艦として、戦後も長く日本と海軍に貢献した。1970年代に多くの海軍ファンから惜しまれつつも予備役に編入、そして解体されたが、1980年代に入り建造されたヘリコプター空母に〈千紗〉の名が受け継がれ、先代に負けず健気に頑張っている。

水上機母艦〈千紗〉〈千歳〉級3番艦)

[要目]

・ 基準排水量 11023トン
・ 全長 192,5メートル
・ 全幅 18,8メートル
・ 機関出力 58000馬力
・ 速力 29ノット
[兵装]・65口径10センチ高角砲 連装2基
[同型艦]
〈千歳〉
〈小端《千代田》愛〉
〈千紗〉