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〈水瀬《イカルス》伊月〉

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〈水瀬《イカルス》伊月〉 Destroyer Minase-ICARUS-Itsuki,RN

Circus「水夏〜SUIKA〜」水瀬 伊月

概要


 1935年計画艦で、H級駆逐艦の準同型艦。建造はジョン・ブラウン社。1936年3月16日に双子の姉妹艦〈水瀬《アイレクス》小夜〉と共に起工され、就役もまた翌年10月17日と同時であった。同級艦は8隻である。
 5連装魚雷発射管が本級の全艦に装備されたほか、〈風間《ヒーロー》彰〉で試験された新型艦橋の形態を踏襲した。また機雷60発を敷設することができた。これら水雷兵装強化に伴うトップウェイト増大の為、H級にも増して復元性に危惧の念が持たれている。
 第1次改装では76ミリ砲1門を後部魚雷発射管と換装し、エリコン20ミリ機銃を艦橋ウィングへ装備し、後部煙突の高さを減ずる工事が施された。1942年までには電探兵装として291型をマスト頂に設置し、HF/DFも装備した。12.7ミリ機関銃もエリコン2丁と換装され、重量軽減のために5連装発射管の中央管を撤去している。
 さらに〈水瀬《イカルス》伊月〉は護衛用の兵装改変として、Y砲を爆雷投射機に入れ替えて爆雷100発を携行し、76ミリ砲も陸揚げして探照灯台上にエリコン2丁を増設した。
 双子の姉妹の〈水瀬《アイレクス》小夜〉はA砲位置に6ポンド連装砲1基を搭載しており、砲身の長い方が〈水瀬《イカルス》伊月〉、短い方が〈水瀬《アイレクス》小夜〉という識別点となっている。
 本級からなる駆逐群は激戦の続く地中海と本国水域に投入された。そのため第2次世界大戦中に7隻が失われ、第3次世界大戦の終結までにさらに1隻が沈没している。戦後まで残存したのは只1隻だけであった。その艦の別称は「眠り姫」といい、クライド河口で擱座した後、英本土が奪回されるまで目覚めなかったことで知られる。

遠い約束


 紺碧が広がる水平線の向こうに、緑のぽこっとした島が見えてきた。海抜2256mのブルー・マウンテンをそびえさせるジャマイカ島である。英連邦カナダ海軍所属の駆逐艦〈風間《ショディエール》彰〉は、斥力すら感じさせる暑さにうだりつつもキングストンへ向かっていた。1945年以来、初めてホワイトエンサインが大西洋へと帰還したのだ。
 1949年10月中旬。日英米枢軸軍は、第1機動艦隊をカリブ海へと回航し終えていた。太平洋からインド洋、喜望峰を越えての大遠征である。主力部隊の大型空母〈長森《大鳳《瑞佳〉らはトリニダードを拠点とし、南方からカリブ戦線の焦点たるマルティニークへ航空支援を与えていた。
 対する欧州連合も、フランス戦艦〈ルミラ《ジャン・バール》〉を始めとする高速機動部隊「夜の鬼」を南大西洋に投入しての補給線破壊で対抗した。
 大西洋は、一挙に鉄火の坩堝と化そうとしていたのである。

 〈風間《ショディエール》彰〉は元の名を〈連城《ヒーロー》彰〉といった。就役は1936年の10月23日であるから、艦齢は14年になろうとしている。第2次大戦開戦当時、〈連城《ヒーロー》彰〉は地中海艦隊第2駆逐群に属しており、その後は南大西洋、ノルウェー、地中海と転戦し続けている。離婚前の夫婦が演じる修羅場のような英本土脱出に当たっては未成戦艦〈スフィー〉を護衛しつつカナダへと渡った。その後は再び地中海へ戻り、インド洋へ脱出したという歴戦の艦である。そして戦力の縮小集中を図った英海軍当局は〈連城《ヒーロー》彰〉をカナダ海軍に売却したのだった。
 そして今、〈風間《ショディエール》彰〉は第1機動艦隊に属する英軍空母部隊〈ハニー・ビー〉の護衛艦艇として、この大遠征に参加していた。バンクーバーを母港としているのだから地球をまる一周したようなものである。しかし疲労はあれど、乗組員らの表情は明るかった。
 これが攻勢に出ているのと、防御を強いられているとの違いだな、と駆逐戦隊司令ガイ・シャーブルック少将は思った。英本土脱出時には誰しもが眉間にしわを寄せ、歯を食いしばった表情をしていたものだ。それが今では、ちょっとどうかと思うほどにほがらかになっている。そういえばポーツマスの隣家のウッズ夫人がそうだった。苦虫をかみつぶした表情しか見たことがなかったのが、離婚が成立した途端に表情が明るくなった。そのようなものだろうか。
 シャーブルックは強い日光に目をすがめた。ひさしぶりのカリブ海だった。古き良き時代、新米士官の時に彼はカリブ海を地中海艦隊の一員として巡ったことがあるのだ。しかし郷愁に浸っているわけにはいかない。キングストン湾口のポート・ロイヤル基地の状況を確認する任務があるのである。さぞかし荒れ果てて、Uボートの基地になっているのではないかと思っていたが、それは裏切られた。敵潜水艦の姿などどこにもなく、望遠鏡で見る限り、基地は塵一つ無く掃除されているようだった。
 基地の入り口で、一隻の駆逐艦が対潜警戒運動をしているのが見えた。くるくると掃除をしているかのように動き、それに従ってホワイトエンサインが靡いている。しかし、パナマ運河経由でカリブ海に展開している第2機動艦隊に英連邦海軍艦艇が参加しているとは、シャーブルックは聞いていなかった。
 その駆逐艦はこちらに気づいたらしく近づいてきた。その艦番号(「D03」とあった)を見て、〈風間《ショディエール》彰〉の艦長ジョン・フレイジャーが呻いた。先任下士官の掌信号長も顔をこわばらせている。シャーブルックも気づいて眉間に立て皺が走った。
「信号を送れ。『本艦は英連邦カナダ海軍第2混成駆逐群〈風間《ショディエール》彰〉。貴艦の名と所属を明らかにせよ』」
「右舷接近中の駆逐艦より発光信号。『貴艦の到着を祝す。本艦は〈水瀬《イカルス》伊月〉。ポート・ロイヤル基地所属。失礼ながら、〈連城《ヒーロー》彰〉にあらざるや?』です」
「ジョン?」
「艦番号も合っていますし、兵装はダンケルク作戦の時のままです」フレイジャーの顔は極寒のノルウェー海で吹きさらされたように青ざめている。
「ええ、間違いありません。あれは〈水瀬《イカルス》伊月〉です」
「そういえば片割れはどうしたのだろう?掌信号長、信号を送ってくれ。『然り。再び貴艦と出会えしことに喜びを覚えん。ところで〈水瀬《アイレクス》小夜〉はいずこにありや?』だ」
「返信。『〈水瀬《アイレクス》小夜〉は事故で沈みたり』」
「沈没した!?」泣き崩れたような光の明滅だった。
 〈風間《ショディエール》彰〉と、かつて共に大西洋と地中海を駆けめぐった〈水瀬《イカルス》伊月〉とは、ここに再会を果たしたのである。
 その上空を「名無しの偵察機」が航過していた。

                            ◆

 〈水瀬《イカルス》伊月〉と〈風間《ヒーロー》彰〉の出会いは1940年の4月のノルウェー作戦である。ドイツと英国のどちらが早くノルウェーを占領するかどうかという時期であり、ドイツが僅差で勝利を納めたのだった。
 この時期、〈水瀬《イカルス》伊月〉は機雷敷設部隊である第20駆逐群に編入されていた。第1次大戦で動揺の任務で活躍して名を馳せた部隊の復活である。一方、〈風間《ヒーロー》彰〉は南大西洋から本国水域に召還されて、僚艦らと共にノルウェー作戦に充当されていた。

 ドイツの作戦は嵐を衝いて、ナルヴィク、トロンヘイム、ベルゲン、クリスチャンセン、オスロの5カ所同時に陸兵を送り込んで一挙にノルウェーの占領を図るもので、海軍戦力の劣勢を補う空軍部隊の投入を迅速におこなうために、空挺部隊による空軍基地の確保も同時におこなわれると言う、陸海空三軍が協力し合う立体作戦だった。
 極めて冒険的な作戦は成功を納めたが、その代償は高くついた。作戦二日目の4月10日、英軍は反撃に転じたのである。
 ベルゲンでは海岸砲台に痛めつけられていた軽巡〈ケーニヒスベルク〉が英空軍の急降下爆撃をうけて沈んだ。〈カールスルーエ〉はクリスチャンセンからの帰途、潜水艦〈トルーアント〉に雷撃され、三時間後に沈んでいる。
 すでに前日にはオスロ・フィヨルドで重巡〈ブリュッヒャー〉が大破し、装甲艦〈春原《リュッツォウ》七瀬〉が潜水艦〈スピアフィッシュ〉の雷撃で艦尾に大損害を受けていた。トロンヘイム沖では〈白河《アドミラル・ヒッパー》さやか〉が駆逐艦〈グローワーム〉の体当たりを喰らって小破しており、ナルヴィク沖では巡洋戦艦〈リナウン〉と〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が砲撃を交わした。ドイツの戦艦は若干の命中弾を喰らい、さらに波浪によってA砲塔が損傷してしまっていた。
 4月10日の早朝、B・A・W・ウォーバートン=リー大佐の第2駆逐群がナルヴィクのあるオフォト・フィヨルドに奇襲をかけ、輸送船6隻と駆逐艦Z21〈ヴィルヘルム・ハイドカンプ〉とZ22〈アントン・シュミット〉を沈めた。この時、フリードリヒ・ボンテ代将がZ21上で戦死している。その後、引き上げる途中で残りのドイツ駆逐艦8隻に退路をふさがれて旗艦〈ハーディー〉は南岸の岩礁に座礁し、ウォーバートン=リー大佐も戦死した。〈ハンター〉はフィヨルド中央部で沈み、〈ホットスパー〉、〈ハヴォック〉、〈ホスタイル〉は損傷を受けながらも逃走に成功したのだった。
 4月12日には空母〈八百比丘尼《フューリアス》〉から〈ソードフィッシュ〉2個編隊が放たれたが、低い雲と吹雪に阻まれて命中弾は無かった。
 本国艦隊司令長官フォーブス提督はナルヴィクに残ったドイツ駆逐艦を掃討すべく、本国艦隊と共にヴェスト・フィヨルド沖を哨戒していた〈結城《ウォースパイト》紗夜〉と10隻の駆逐艦に、ナルヴィクへの侵入を命じた。このフォースB(ホイットワース)に、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉、〈連城《ヒーロー》彰〉が編入されたのである。

 4月13日。北から〈水瀬《イカルス》伊月〉、〈連城《ヒーロー》彰〉、〈水瀬《アイレクス》小夜〉と並んでフォースBの先頭を占め、ドイツが敷設しているであろう機雷を排除すべくパラベインを用いつつ前進した。
 速度は22ノット。この海域を知っている〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉が先導する形となり、〈連城《ヒーロー》彰〉は迷子にならないようついていくのがやっとだった。〈連城《ヒーロー》彰〉は南大西洋から引っ越してきたばかりで、ノルウェー海域のことをまるで知らないのである。それでも、迷路のような水路をこのまま進むとブラジルに着いてしまう、などと冗談を言っている。それを〈水瀬《イカルス》伊月〉は真に受け、〈水瀬《アイレクス》小夜〉はつまらない冗談と取り合っていない。双子でも大きく性格が違うのだった。
 そして仮借無く前進したフォースBによってドイツ駆逐艦は最奥のロンバクス・フィヨルドにまで追い詰められ、青い夕闇が迫る前に8隻全てが撃沈または自沈して果てた。
 〈連城《ヒーロー》彰〉と〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉はフィヨルド内に潜むUボートを制圧して戦艦を守った。さらにはナルヴィク港にも砲撃を加え、港内で動けなくなっていたZ17〈ディーター・フォン・レーダー〉にとどめを差して自沈に追い込んでいる。
 二次に渡るナルヴィク戦が終了すると、ドイツの保有する駆逐艦はわずか10隻に減じていた。さらに、英海軍に打撃を与えようと沿岸に展開していたUボートが放った数十本の魚雷のことごとくが、不発または早発を起こしていた(原因は磁気信管の不調と判明した)。ドイツ海軍だけが大出血を起こしてしまったのだった。

 ナルヴィク戦の後、5月に第2駆逐群は地中海に戻ることになり、14日には〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉が地中海艦隊へと転属になった。そのため、夫婦喧嘩で物を投げ合った跡のように荒れ果てたダンケルク撤退に参加していないのは彼女らにとっては幸いだった。「ダイナモ」作戦には第20駆逐群の残りの艦が参加し、〈イントレピッド〉と〈アイヴァンホー〉が損傷を被っている。
 〈連城《ヒーロー》彰〉、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉は陽光溢れる地中海へとやってきた。風は早くも夏の匂いを漂わせている。そこでは輝かしき時間が待っていたのだ。

                            ◆

「ジョン・ブロードウッドか!?」
 ガイ・シャーブルックは思いがけない人物を見て大声を上げた。先導されてポート・ロイヤル基地に入港し、〈水瀬《イカルス》伊月〉の指揮官とようやく挨拶しようとしてのことだった。
 ジョン・ブロードウッドとはダートマスの同期で、シャーブルックは彼と、他に二人の新米士官と一緒に同じ巡洋戦艦に配属されたのである。その思い出深い巡洋戦艦はすでに本国艦隊にいない。英連邦と同盟している、かつての植民地に売却されていた。
「久しぶりだな、ガイ。ちょっとは塩水を飲んだようだな」
 敬礼を捧げつつ、ブロードウッド大佐はにやりと笑った。皮肉めいてはいるが豪放な性格と口のききかたは変わっていなかった。北海でドイツの空対艦誘導弾に乗艦の軽巡〈ナイジェリア〉を沈められたことを指摘している。
「ああ、北海の水を少しばかりな。それにしても、いつからここにいるんだ?駆逐隊司令になったとは聞いていたが」
「ん?………いつからだったかな…」
「どうした。カリブの太陽が頭に来たか?ぼけるにはまだ早いぞ」
「言うようになったな」苦笑していた。日焼けした肌と白い歯が対照的だった。
「まあ、司令とはいっても艦長がおらん。なので司令兼艦長といったところだ」
「どこも人手不足か。にしては基地も綺麗に掃除されているようだが?」
「見ての通り、辺鄙な基地だ。本来の司令官が職務をはたさんので、船舶の護衛や救助、対潜掃討のついでに預かっている、という訳だ」両手を広げて、しょうがないとばかりに語っている。
 基地司令官の名前を聞いて、シャーブルックもうなずいた。カリブ海植民地出身だが、曰く付きの人物で、英本国にいた時も良い噂を聞いたことがなかった。
「こっちでは情報がろくに入らん。スタッグやキャベンディッシュはどうしている?」
「…ああ、ヴィンセントとチャールズは、ドイツ人の下で働いている。本国に取り残されたんだ」
「そうか…」ブロードウッドは大きく息を吐いた。
「どうだ。一杯やらんか?」
「いや、遠慮する。またの機会に取っておこう。本隊のいるトリニダードに戻らねばならない。ドイツ人達が動き始めている。総攻撃が近い」
「おお、主よ。ねがわくば、われらが生涯に平和をたまわらんことを」まったくもって信じていないかのように言っていた。
「少々無理があるかな?だが、手伝ってもらえると有り難い」
 ブロードウッドは敬礼でもって応えたのだった。慌ただしく補給を済ませた〈風間《ショディエール》彰〉と〈水瀬《イカルス》伊月〉は、集結地のトリニダードへ向けて出発した。
 そしてトリニダードでは、〈ハニー・ビー〉戦隊司令官ヴァイアン少将が、シャーブルックの報告を受けて、首を傾げていた。〈水瀬《イカルス》伊月〉のことである。
 しかし疑問を解消する前に、10月25日未明、非常に有能なドイツ軍が防御ラインを突破して、ラマンタン基地の一角に旗を立てたとの報告が入った。この報告を受けて、独仏伊合同機動部隊(ズューデンヴォルケ)と水上砲戦部隊(ハイエ)が南下を開始していた。
 枢軸軍第1機動艦隊(柳本)はこれを迎撃すべく北上し、濃密な索敵線を張った。カリブ海戦線の前半戦、そのクライマックスたる中部大西洋海戦が始まろうとしていた。

                            ◆

 地中海もまた風雲急を告げていた。陽光きらめく夏は穏やかに過ぎたが、秋に入るや急にきな臭くなった。そして1940年10月28日、イタリアが英日に宣戦を布告し、ギリシャとエジプトへ進撃を開始したのである。
 久々に地中海に戻ってきた第2駆逐群には、〈連城《ヒーロー》彰〉、〈ヘイスティー〉、〈ハヴォック〉、〈ヒアワード〉、〈ホスタイル〉、〈ハイペリオン〉に、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉が名を連ねていた。同じクラスメイト同士、仲良く艦隊戦やマルタ向けコンボイの護衛をこなしていった。
 しかし熾烈な地中海の戦いがほぼ終わったとき、第2駆逐群の残存艦は僅かなものになっていた。〈ホスタイル〉はイタリア軍がボン岬沖に敷設した機雷にやられ、〈ハイペリオン〉は伊潜水艦〈セルペンテ〉の雷撃に見舞われ、〈ヒアワード〉はドイツ軍の急降下爆撃で沈み、〈ヘイスティー〉は伊の水雷艇に食われ、〈ハヴォック〉は座礁して失われていたのである。

 1941年11月19日。〈連城《ヒーロー》彰〉と〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉はエーゲ海ドデカネス諸島近辺を哨戒していた。交通線破壊をしかけたイタリア軍の潜水艦を捜索していたのだ。クレタ島スパダ岬の沖合である。そこにイタリア軍の軽巡2隻が、海上交通妨害にやってきた。冬に入りつつあるが陽光の明るいエーゲ海の波は穏やかで、視界も良好だった。為に、両者は同時に互いを発見したのだった。6時20分である。
 発見した当初はイタリア軍が有利に思われた。〈アルベルト・ディ・ジユッサーノ〉級軽巡〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉と〈バルトロメオ・コレオーニ〉の2隻からなる戦隊だったからだ。〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉とその取り巻きは、孤立していた〈水瀬《イカルス》伊月〉を包囲して潰そうと図った。15センチ砲の至近弾を与えて突き飛ばしたのである。〈水瀬《イカルス》伊月〉は、壁があったならば背にして倒れたようによろめいた。
 そこに〈連城《ヒーロー》彰〉が割って入り、〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉の前に立ちはだかった。〈水瀬《アイレクス》小夜〉もまた双子の姉妹を救うべく牽制攻撃を仕掛けている。とどめを差し損なった〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉は舌打ちして転舵し、態勢の立て直しを図った。しかし英軍に時間を与えたのは失策であった。英軍は味方のいる北方海域へ逃走し、合流までの時間を稼ぎ出したのである。
 1時間半の追いかけっこの後、〈連城《ヒーロー》彰〉らは駆けつけたオーストラリア軽巡〈シドニー〉と〈ハヴォック〉と合流することができた。こうなれば優劣は逆転する。イタリアの軽巡は実質的に大型駆逐艦で装甲は無きに等しかった。さらに2隻は包囲戦を企図していたため距離を広く取っていて相互支援もままならず、たちまち射すくめられていった。
 〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉を、〈シドニー〉と〈連城《ヒーロー》彰〉、〈水瀬《イカルス》伊月〉が相手取り、〈バルトロメオ・コレオーニ〉を〈水瀬《アイレクス》小夜〉と〈ハヴォック〉が追い詰めにかかった。
 こんな筈ではなかった、とイタリア軍指揮官は顔を真っ赤にしつつ悔しがったが、事実は変わらない。逃走ルートの選定に失敗したイタリア軍はスパダ岬に追い詰められた。〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉は〈シドニー〉の直撃弾を喰らってよろめいた。機関部に損害を受け、自慢の快速力も発揮できなくなった。「そ、それじゃ、お先に…」と〈バルトロメオ・コレオーニ〉はさっさと逃げにかかっている。
 味方を失った〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉はなおも、あんたなんか掃除でもしていればいいのよ、と〈水瀬《イカルス》伊月〉に向かって手を振り上げた。しかし〈水瀬《イカルス》伊月〉は凛然と「お断りします」と言ってのけた。自己主張が無さ過ぎると言われていた〈水瀬《イカルス》伊月〉だったが、〈連城《ヒーロー》彰〉のその名前の通りのヒーロー振りに感化されて勇気を振り絞ったのだ。そして絶句した〈小堺《ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ》〉にとどめの雷撃をかけ、海底へと葬り去ったのだった。

 以上をスパダ岬沖海戦と呼称するが、航空機の介入しない全くの昼間水上戦闘として希有の海戦となった。地中海戦線が勃発して以来、何かと歯車の噛み合わない英軍ではあったが、この海戦は大勝利として喧伝されることになった。ためにイタリア海軍は無力であるとの印象が広められたのだが、案に相違してイタリア海軍はしぶとく戦い続ける。地中海戦線は始まったばかりであった。
 スパダ岬沖以後も、〈連城《ヒーロー》彰〉、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉は仲良しトリオとして活動し続けた。しかし、その関係は徐々に変質してきていた。〈水瀬《アイレクス》小夜〉が、〈連城《ヒーロー》彰〉は〈水瀬《イカルス》伊月〉に構い過ぎだ、と不満を漏らしていたのである。

                            ◆

 欧州連合は10月22日をもって総攻撃をかける予定であった。しかしマルティニーク島にある第17軍団(フィールハイト)の攻撃開始位置への進出が遅れていたため、攻撃開始時期も随時延期となったのである。これには10月15日の揚陸失敗が尾を引いていた。重砲や装甲車両、各種燃料をサン・ピエールの海岸で枢軸軍航空機の攻撃にさらしてしまい、大量に失っていたのだ。
 この時、欧州連合は2個艦隊を出撃させていた。水上砲戦部隊であるハイエ艦隊は戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉、フランス空母〈君影《シャンプレン》百合奈〉を基幹とし、空母機動部隊のズューデンヴォルケ艦隊は〈高井《エーリヒ・レーヴェンハルト》さやか〉、〈篠原《アトランティカ》美樹子〉に、イタリア空母〈端本《チーニョ》久美子〉からなり、前衛部隊の〈桜塚《シュリーフェン》恋〉らを60海里前方に突出させていた。
 独仏伊の各海軍部隊はマルティニークの枢軸軍基地航空隊の哨戒圏外で待機し、第17軍団の総攻撃開始に呼応してマルティニーク近海へ進出することになっていた。しかし度々の攻撃延期に哨戒圏内外の南下と北上を強いられていた。これは欧州連合部隊に燃料を大量消費させることになり、艦隊首脳部は燃料の残量を絶えず気に掛けながら戦わねばならなかったのである。
 北米戦線にあっては、石油は第一に都市住民や産業用に回さねばならず、その次に北米に展開する陸空海のドイツ三軍と、欧州各国軍で分配しなければならなかった。その量は必ずしも満足のいくものではなかった。しかし、彼らはロシアで戦争をしているのではない。遊星上でもっとも高度に発達した文明地域で争奪戦を演じているのである。酒に呑まれて目を血走らせ、垢じみた服を着込んだ山賊のようなことをすればどのような結果を招くか、自明のことであった。為に、ニューヨークからカリブ海へと連なる長大な補給線の防衛と共に、燃料問題は常に欧州連合のアキレス腱となっていたのだった。

 対する日英米枢軸の状況も予断を許さなかった。柳本柳作中将の元に集結した部隊は正規空母だけでも13隻に達していたが、〈森川《雲龍》由綺〉級を主力とする第2機動艦隊はメキシコ湾海戦の痛手から回復しきっておらず、さらに装甲空母と軽空母の各1隻を「夜の鬼」対策のために南大西洋へ分派しなければならなかった。
 結局、10月時点で使えるのは〈長森《大鳳》瑞佳〉〈里村《海鳳》茜〉、〈リアン〉、〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉、〈ランドルフ〉の5隻だけだったのである。

 第17軍団の総攻撃は10月24日夜に決行された。しかし兵力2万3千に増強された枢軸軍地上部隊(ヴァンデグリフト)の防御陣地に阻まれて攻勢は頓挫し、さらには戦車部隊に後方を遮断されてしまい、ラマンタン飛行場占領は失敗に終わった。
 ハイエ艦隊とズューデンヴォルケ艦隊は総攻撃開始と共に南下を開始したが、飛行場未占領を確認したため南下を中止し、両艦隊は反転北上した。
 10月25日8時57分。ドイツ海軍総司令デーニッツはカリブ海支隊のハイエに、フランス空母〈君影《シャンプレン》百合奈〉〈御薗《デスタン》瑠璃子〉をもってマルティニークを空襲するよう命じた。さらに第17軍団は「25日19時に攻撃再開」を伝えてきていた。
 そして翌26日。欧州連合と日英米枢軸の空母から攻撃隊を放ち合っての決戦がおこなわれた。5隻対5隻の空母戦は、欧州連合の空母3隻が健在(2隻が大破)なのに対し、〈ランドルフ〉を喪失し、他の空母全ても損傷を被った枢軸軍の敗北に終わった。
 しかし欧州連合は、勝利と引き替えに熟練パイロット多数を「永遠の世界」に失っていたのである。ために以後、欧州連合は航空作戦の遂行能力を喪失し、欧州空母部隊のマルティニークへの脅威は終わりを告げたのだった。

 10月26日の海戦にも〈風間《ショディエール》彰〉と〈水瀬《イカルス》伊月〉は参加している。〈風間《ショディエール》彰〉がA砲塔とY砲塔(X砲塔は撤去してボフォース40ミリを積んだ)を日本製長12.7センチ単装両用砲にし、B砲塔をヘッジホッグに換装したのに対し、古式ゆかしい〈水瀬《イカルス》伊月〉は、ダンケルク作戦当時のままの平射砲に爆雷投射機を備えたままだった。それでは防空戦に使えるはずもないので〈風間《ショディエール》彰〉の側にいて近距離迎撃を担当している。しかし、やはり無理があり、直撃弾をくらって日射病患者のようによたついた〈リアン〉へ真っ先に駆けつけて放水消火作業をおこなっている最中にドイツ機の攻撃を受け、至近弾で右舷推進器を破壊されてしまったのだった。
 本人は大丈夫と言い張ったのだが、問答の末にバルバドスまで〈風間《ショディエール》彰〉が〈水瀬《イカルス》伊月〉を曳航することになった。〈水瀬《イカルス》伊月〉をおんぶしつつ、シャーブルックとフレイジャーは、こんなことが以前にもあったことを思い出していた。1942年の地中海。その時には〈水瀬《アイレクス》小夜〉もいたのだ。だが、彼女はすでに沈んでいる。〈水瀬《イカルス》伊月〉を一人にすまい、とシャーブルックは考えていた。
 バルバドスには合衆国海軍ハインライン少将のサービス部隊が待機しており、〈水瀬《イカルス》伊月〉は「皿にあけたジンジャーエールをなめる猫」をエンブレムとした工作艦〈ペトロニウス〉に引き渡された。そして翌日の昼に〈風間《ショディエール》彰〉が会いに行くと、すっかり直った姿を見せていた。〈風間《ショディエール》彰〉の乗組員らは戦友の無事な姿にすっかり喜び、再びポート・ロイヤルへと向かったのだった。
 彼らの背後では、〈ペトロニウス〉が首をひねっていた。昨日は被害調査をしただけであり、修理はこれからだったのだ。
 そして疑念を持っていたのは〈ペトロニウス〉ばかりではなかった。ガイ・シャーブルックもまた、元気に航走する〈水瀬《イカルス》伊月〉を疑いをもって見つめていた。なんとなれば、ヴァイアン少将に、英本土グリーノック基地に保管状態にある駆逐艦のことを告げられていたからだ。それにグリーノックに近いクライド河口の泥濘の中から、I級の駆逐艦が浚渫の邪魔になるとのことで引き上げられたという情報も入っていた。
 グリーノックで眠っている駆逐艦の名は、〈水瀬《イカルス》伊月〉といった。

 ポート・ロイヤルに着いたならば、あのスコットランド系カリブ海植民地出身者、錯乱している基地司令のマクビーから何としても事情を聞き出さねばならない。シャーブルックは決意を固めていた。

                            ◆

 スパダ岬沖での快勝があっても、英軍は微妙に狂った歯車を調整できず、地中海艦隊司令長官サー・アンドリュー・ブラウン・カニンガムは苦闘を続けていた。「地中海の心臓」マルタ島は封鎖に苦しみつつも活動を止めず、ロンメルへの補給路を断っていた。日英は「ハープーン」作戦、「ヴィガラス」作戦と、マルタの基地機能維持のために補給の努力を重ねている。
 イタリア軍は海上のゲリラ戦をしかけてマルタ島への増援を阻みにかかっている。その日英と独伊のせめぎ合いの絶頂が、1942年4月の「ペデスタル」船団を巡る戦いだった。
 日英共に投入できうる限りの直接間接の護衛戦力を地中海に持ち込み、鍵のかかった蔵を開けようとした。ドイツとイタリアは合計1000機に及ぶ航空機と水上艦艇、潜水艦をかき集めて、マルタへの物資搬入を妨害せんと「ヘラクレス」作戦を発動する。
 〈連城《ヒーロー》彰〉、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉も「ペデスタル」作戦に参加していた。この時期の第2駆逐群は彼ら三隻のみに減じている。「ヴィガラス」作戦で〈ヘイスティー〉が水雷艇によって沈められていたのである。開戦前からいるのはもはや〈連城《ヒーロー》彰〉だけで、彼が隊旗艦を努めていた。そしてジブラルタルから発して3日目の昼、空襲を受けて回避運動の最中に、〈水瀬《イカルス》伊月〉が至近弾を受けて右舷推進器を破壊されてしまったのだ。
 損傷した軽巡を護衛しつつ、〈連城《ヒーロー》彰〉は〈水瀬《イカルス》伊月〉を曳航してジブラルタルへと戻った。その周囲を巡りつつ、〈水瀬《アイレクス》小夜〉は不満そうにしていた。〈水瀬《イカルス》伊月〉の操艦ミスで大事な作戦にこれ以上参加できなくなった、というのだ。これに〈連城《ヒーロー》彰〉は反論した。元はといえば〈水瀬《アイレクス》小夜〉がいち早く防御陣から離れ、ために防御砲火網に穴が開いたせいである。でなければSM79の及び腰の水平爆撃如きに損傷する筈など無かったのだ。険悪な雰囲気になる両艦の間で、おんぶされている〈水瀬《イカルス》伊月〉はひたすらに謝るのみだった。それがさらに気に入らないらしく、〈水瀬《アイレクス》小夜〉は護衛を放り出して先に母港へと帰ってしまったのだった。

 1942年の夏に入ると、戦争の形勢はますます英国に不利となっていた。乏しい軍需物資を割いて援助したソ連は、ドイツに敗れて東方へ後退してしまった。同盟国である日本は合衆国の挑発に乗ってしまい、太平洋戦争を勃発させてしまっている。ヴィンセント・スタッグ海軍少将などの一部の軍人達は、ロシア人や日本人などと組んだチャーチルを罵倒していた。
 ドイツはいよいよ英国にトドメを刺すべく、第2次「ゼーレーヴェ」作戦を発動していた。さしずめ、英国は修復不可能なまでに壊れた家庭環境にあるようなもので、子供らは息を潜めて、両親の激しくなる一方の夫婦喧嘩を見ているより他はないのだ。
 第2駆逐群の三隻が、夏の光に満ちた地中海から本国へ召還されたのは、そんな時期である。第2駆逐群は解体再編されることになった。〈連城《ヒーロー》彰〉は新たにガイ・シャーブルック大佐を隊司令に迎えて、新編の駆逐隊を率いてD船団の護衛任務につき、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉はジョン・ブロードウッド大佐を司令として本国水域の警戒任務に当たることになった。事の理不尽さに憤っても、状況は駆逐艦程度でひっくり返せるものではない。会えなくなるわけではないのだからと、無理矢理に納得するより無かった。

 そして11月に入った。冬が間近く鬱陶しく、雨の続く季節である。それでもドイツ軍は弛まず前進している。リバプールとマンチェスターはドイツ軍の重囲下に落ち、スコットランドの空もルフトヴァッフェの演習空域と化しつつあった。最後の脱出拠点グラスゴーでは突貫工事の末に航行できるまでになった空母〈リアン〉と護衛艦艇が翌日の出港の時間を待ちわびていた。防衛線を張っている海兵隊が崩れ、ドイツ軍がグラスゴーに迫りつつあったのだ。
 夜が間近い時間、しのつく雨の中、クライド河口のグリーノック基地には、リヴァプールから脱出し損なったユダヤ系市民が救いを求めて押し掛けていた。彼らに対して英国海軍は最後の矜持を示そうとしていた。しかし〈水瀬《アイレクス》小夜〉は脱出を優先させるべきと主張し、〈水瀬《イカルス》伊月〉と口論を起こしていた。先行したD7船団との会合海域には〈連城《ヒーロー》彰〉がいるのである。彼とは共にカナダへ行くことを約束している。そこに基地司令マクビー大佐が転がり込んできた。
 レインコートから水滴を払いつつ、彼はブロードウッドに対し、ユダヤ人を捨て置いての緊急の出港を命じた。ブロードウッドはいかつい顔をしかめ、先任の大佐の命令を拒んだ。基地司令とは命令系統が違うし、救助を求める市民を捨てることなど海軍士官としてできるものではなかった。マクビーはブロードウッドに人払いを求めた。ブロードウッドは司令私室へと招き入れた。
 マクビーは後生大事に抱えていた旅行用革鞄を開けた。ブロードウッドにとっては、マクビーが旅行鞄を抱えていることが不愉快だった。おのれ一人ばかりが高飛びしようとしているように見えたのだ。意識しまいとはしているが、D8船団の脱出もそういう意味では同様だった。だからこそ少しでも良心を満足させるべく、偽善と知りつつもユダヤ人達を乗船させているのだが。
 ブロードウッドはマクビーが示した書類を見て、とまどった。それは数字と数式の羅列で、全く訳が分からない。マクビーは自分に対して軽蔑を隠さない士官が混乱していることに満足の笑みを見せた。
「これがありさえすれば、いくら衰亡しようとも、大英帝国は何度でもよみがえることが出来るのだ」
 カリブ海植民地出身ながらもグラスゴーなまりを身につけたマクビーは、ぎらぎらと膜の張ったような眼をしてブロードウッドに語った。必要以上に杓子定規なことで同僚に煙たがられている士官の態度ではなかった。
 ブロードウッドはさらに混乱した。この数字の列もさることながら、何故マクビーがそんな大事な書類を持っているのだ。英国の盛衰に関わるようなものならば、とっくの昔に運び出されているはずではなかったか。
 マクビーは鼻で笑い、語った。本物の書類はとうにカナダへ運ばれている。これは、そのカーボン・コピーなのだ。
「原子核の爆発反応についてドイツは強い興味を抱いている。だからこそ、デボンのブリングル・サンズを強襲したのだよ。あそこには陸軍の研究所があり、かなりの成果を上げていたのだ」
 要するに、書類の全てを完全に持ち出すことが出来ない場合は焼却処分するはずだったのだが、一部の学者が、研究成果が無に帰すことを怖れて複写したのである。それが巡り巡ってマクビーのところに転がり込んだ、というわけだった。
「理解できたかね、大佐。理解できたならば直ちに出港したまえ。あんたの艦はグリーノック基地に籍を置いている。ならば、君は私の命令に服する義務があるのだ」
 原子核の分裂反応を利用した強力な爆弾について、ブロードウッドはある程度の理解を持っていた。少年時代に呼んだ、ヴェルヌだったかウェルズだったか、空想科学小説にあった「ラジウム爆弾」のようなものだと思っていた。それは都市一つを丸ごと焼き払う最終兵器だったはずだ。それを実現しうる数式を書いた書類が目の前にある。目眩をおぼえた。雨の音なのか、耳がざあっと鳴って、うるさかった。
 ブロードウッドは暗澹としながらもうなずいた。私室を出て、露天艦橋へ上がり、市民の乗船を打ち切っての出港を命じた。いつのまにか雨が止んでいた。乗員は全て戦闘配置に着き、タービンの音が強くなった。
「そういえば、この艦は〈水瀬《イカルス》伊月〉かね。それとも〈水瀬《アイレクス》小夜〉かね。まあ、どちらでも一緒だが」
 マクビーの間抜けな質問に、ブロードウッドが答えようとしたとき、艦橋ウィングのエリコンが上空へ発砲した。
 〈水瀬《イカルス》伊月〉の頭上には、ルフトヴァッフェの急降下爆撃機が姿を見せていたのだ。

 いまや〈水瀬《イカルス》伊月〉の対空機関銃は全てが発砲していた。左舷前方に位置する〈水瀬《アイレクス》小夜〉も同様である。ドイツ機は猛烈な防御砲火に辟易したように見えたが、それでも果敢に突入を開始した。1機がポムポムの銃弾をまともに喰らいよたついた。歓声があがる。被弾した機は〈水瀬《イカルス》伊月〉の右舷に墜落して水柱をあげた。それが、双子の姉妹の運命を分けた。
 〈水瀬《イカルス》伊月〉の連管には魚雷が装填済みであり、なぜか左舷前方に向けられていた。そこを墜落機の巻き起こした波と機体の破片が覆い被さり、水兵を押し流すと同時に発射梃子を破片が直撃した。梃子はへし曲がりながらも魚雷発射の指示を気蓄筒へ出し、気蓄筒は高圧空気を放出して1番管から魚雷を押し出した。魚雷は信管を解除されて疾走し、そして〈水瀬《アイレクス》小夜〉に命中して爆発した。右舷艦橋下に大穴を開けられた〈水瀬《アイレクス》小夜〉は、急速に沈下していった。
 全ては一瞬。突如として爆発した〈水瀬《アイレクス》小夜〉を、ブロードウッドは呆然と見やった。〈水瀬《アイレクス》小夜〉から流出した重油が海面へと広がっていった。誰もが虚ろとなっている。その中でマクビーだけが鞄を抱えて機敏に動いていた。露天艦橋を降りて、短艇へと向かっている。
 ブロードウッドは空を見上げた。一度目の降下から態勢を立て直した逆ガル翼の機体が再度の急降下に入ったのが分かった。回避の指示を下そうとしたが、舌が凍り付いて口からは何も発声できなかった。できたのは、急降下する敵機を見詰め続けることだけ。雨のさなかにいるように、ざあっと耳元で音が鳴っている。それは敵機の巻き起こすサイレン音とエリコンの発射音なのだが、ブロードウッドはそれとは気づかなかった。
 ああ、と息が漏れた。500キロと思しき爆弾が、真円を描いて自分に向かってきていた。

 この日、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大尉の戦果に、駆逐艦1隻撃沈が付け加えられた。

                            ◆

 ざざあ、と波の音が聞こえていた。ポート・ロイヤル基地にある古いバーで、シャーブルックとブロードウッドは酒を飲んでいた。テーブルにはカードが散らばっている。ブロードウッドはカード・ゲームに滅法強く、シャーブルックは背中が煤けるほどに負けが込んでいた。
「相変わらず強いな」
「おまえが弱すぎるんだ」
 シャーブルックは一言もないので黙るより他はなかった。ホース・ネックを口に含む。バーテンダーは海軍の従兵だった男で、グラスになみなみとついだブランデーのジンジャーエール割をうやうやしい態度で給仕していた。
 シャーブルックは自分のグラスに目を落とした。中身は半分以下になっている。
「ジョン、確認したいことがある」声がこわばっていた。
 ざざあ…。波の音が強くなった。
「君のフネ、あれは、本当は〈水瀬《アイレクス》小夜〉じゃないのか?」
「なにを言いだすんだ?間違いなく〈水瀬《イカルス》伊月〉だ。それに〈水瀬《アイレクス》小夜〉は事故で沈んだんだ」
「わかっている。〈水瀬《アイレクス》小夜〉は本当に沈んでいる。クライド河口で残骸が発見された。落ち着いて話しを聞いてくれ。グリーノックにI級の駆逐艦が係留されている。その艦は〈水瀬《イカルス》伊月〉と言うんだ」
 ブロードウッドは何かを思いだそうとする表情になった。
「レジスタンスの情報では、42年末からずっと係留されている。艦腹の穴を塞いだ後、缶を焚こうにも圧が上がらないらしい」
「…それでは、ここにいるフネは?」
 シャーブルックは頭を振った。
「分からない。〈水瀬《アイレクス》小夜〉でなければ、I級のどれかを改名したのかもしれないと考えたが、艦内を見ると間違いなく〈水瀬《イカルス》伊月〉だ。それは間違いない」両手を広げ、大きく息を吐いた。
「非合理で片づけられればいいのだが、いくら何でも」
「……グリーノックで係留されているフネは、〈水瀬《アイレクス》小夜〉ではないのか」
 思い詰めたような感じで、ブロードウッドが言った。その強い光を浮かべる眼に、シャーブルックはたじろいだ。
「レジスタンスからの情報と、マクビーに訊いた結果だぞ?」
「だが、あの時マクビーは、〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉かどうか、区別が着いていなかったんだ」
「なに?いや、しかし…」
「そうか…〈水瀬《アイレクス》小夜〉は生きていたのか…」
 ブロードウッドはシャーブルックのとまどいを置き捨てて、一人で納得していた。
「おい、ジョン?」
「そうか、そうだったのか…」ひどく満足げにうなずいていた。
 ざざあ…。強くなった波の音に、シャーブルックは不安をかき立てられた。
「ジョン、頼むから分かるように説明してくれ」
「…グリーノックの駆逐艦は〈水瀬《アイレクス》小夜〉なんだ。そして沈んだのは、河口の泥中から引き上げられたのは、〈水瀬《イカルス》伊月〉の方だったんだ。」
「!」
 シャーブルックは慄然とした。ならば、目の前にいる人物は一体?ブロードウッドは時計に目をやった。
「出港の時間、だな。名残惜しいが、ガイ、君と再び酒が飲めて嬉しかったよ」立ち上がり、勘定を払うとバーを出た。
「ま、待ってくれ!どこに行くんだ!ジョン!」
 シャーブルックは金をテーブルに置いて駆け出し、後を追った。ブロードウッドは桟橋へと向かっていた。〈水瀬《イカルス》伊月〉の出港準備は整っており、あとは司令兼艦長を待つばかりだった。
「ジョン!」
 舷門を上がり終えたブロードウッドが振り返った。
「ガイ、ありがとう。海軍の行く末を確認したいという願いはかなったんだ。大丈夫、本土へ帰還できるよ」
「………」シャーブルックは何も言えなかった。ざざあ。波の音がひどく耳についた。
「今になってみると、もう少し……という、未練がある。しかし………、君たちの幸せを祈るよ。じゃあ、さよならだ」
 ブロードウッド大佐は見事な敬礼を、シャーブルックと彼の周りに集まってきた〈風間《ショディエール》彰〉の乗組員に送った。シャーブルックも返礼した。乗組員たちも。
 ガイ・シャーブルックは人目が無いならば泣きわめきたかった。スタッグとキャベンディッシュは本土に取り残されている。現今の情勢では、彼らは火星にいるようなものだった。会えることなどできるはずがない。そして今、ブロードウッドが行ってしまう。
 しかしシャーブルックは英連邦海軍の少将である。感情のままに動くことなど出来なかった。だから、ブロードウッドへ敬礼を返した。ブロードウッドの目尻に光るものがあることに気がついた。
 〈水瀬《イカルス》伊月〉は一際高く汽笛の音を響かせて出港した。その姿は沖へ進むに連れて薄くなり、最後には光の粒子となって消えた。
 光の粒子の、最後の一粒が消えるまで、シャーブルックと彼の部下達は敬礼をし続けた。その後、シャーブルックは〈風間《ショディエール》彰〉の司令私室に戻ってから、ようやく泣くことが出来た。四つん這いとなって一晩中泣き続けた。
 シャーブルック付きの従兵ドッジャー・ロングは、固く閉ざされた扉に向かって、敬愛する司令の魂の平安を祈って十字を切った。

 1952年、夏。英連邦は本土を奪還しつつあった。日英米枢軸軍地上部隊はテムズ川以南へとドイツ第32軍を押し込んでいる。しかし、地上部隊を援護する海軍部隊に、英連邦海軍艦艇の姿はあまり見られない。前年の夏、地中海で少なからぬ数の主力艦を失っていたのである。
 〈風間《ショディエール》彰〉は数々の激戦の渦中を生き延びた。いうなれば、どこまでも続く夏を歩んでいるようなものだった。そして今、クライド河口のグリーノックへと向かっている。
 混成駆逐戦隊司令ガイ・シャーブルックは露天艦橋に立って、懐かしいスコットランドの風を浴びて眼を細めていた。陸地には陽炎が立っているらしく、景色がぼやけていた。麗しき夏である。
 今朝方に、あのマクビーが自殺したという話を聞いたが、特に感想などはなかった。彼は当の昔に死んでいるべきだったのだから。マクビーが手に入れたブリングル・サンズの研究のカーボン・コピーは親衛隊の手に渡り、ドイツの反応弾開発を促していたのである。
 あの後カーボン・コピーは、爆発の衝撃で海面に投げ飛ばされたマクビーから有為変転を経てヴィンセント・スタッグの手に入り、スタッグはそれをドイツ当局に引き渡したのだ。
 ドイツは鷹揚に振る舞い、文民政府による自治や、小規模な陸海軍の存在まで認めた。ドイツ軍の監視付きなのは言うまでもないのだが。貨幣もポンドとライヒス・マルクの換算率が適正になるよう調整された。これにより英本土は賠償の苦しみが相当程度、軽減されている。
 ヒトラーが第3次大戦末期になるまで、英本土に対して奇妙に好意的だったのにはこのことがあったのである。ドイツ国内の物理学者達が完成までに10年はかかると明言していたのに対し、基礎データの入手によって反応弾開発の大幅な進展が見られたのだから、多少の飴はヒトラーにとって安いものだった。
 このブリングル・サンズの研究データの真物は日本にも引き渡され、日本はD計画の名の下に研究開発を続行している。つまり、反応弾を突きつけ合った日独の冷戦の発端は英国にあったのだ。
 マクビーが錯乱していたのは、ドイツに反応兵器の基礎データが渡ってしまった為となっているが、それだけだったろうか?彼はカリブ海植民地出身であり、ブードゥー教は身近にあった。幾たび殺しても沈めてもよみがえる駆逐艦に恐れを抱いたのでは無かろうか?
 シャーブルックは嘆息して、司令官席に座り直した。

「右舷接近中の駆逐艦より発光信号。『貴艦の到着を祝す。失礼ながら、〈連城《ヒーロー》彰〉にあらざるや?』です」
 ガイ・シャーブルックは接近してくる駆逐艦を見やった。懐かしむべきフネにそっくりだった。艦腹に真新しいペンキで『D61』とある。おそらく先に上がった連中が修理を施したのだろう。そうでなければレジスタンスに参加していた生き残りが動かしている筈だ。
「掌信号長。『汝は〈水瀬《アイレクス》小夜〉なりしや?』だ」カチカチと発光信号機が明滅した。
「然り。なにゆえ本艦の名を知るや?」
「グリーノックの眠り姫は全軍にその名を知られたり」
 赤面したのか、信号が送られてこない。シャーブルックは構わずに信号を送らせた。
「アラン島沖に海軍部隊あり。先導うけたまわれたし。我が名はその後で」
「…了解」
 〈風間《ショディエール》彰〉は、戸惑いつつもクライド湾口のアラン島へ向けて進む〈水瀬《アイレクス》小夜〉とすれ違い、夏の強い光の中をグリーノックへと遡上していった。

                            ◆

 〈連城《ヒーロー》彰〉に〈水瀬《イカルス》伊月〉からの通信が届いたのは、その日の昼だった。彼のいるD7船団はすでに本国水域を脱しつつあり、それを追ってD8船団も緊急出港している。そして艱難辛苦の末に、両船団は大西洋での会合を果たした。D8船団は燃料切れ寸前であり危ういところだったのだ。しかし、その中に〈水瀬《イカルス》伊月〉〈水瀬《アイレクス》小夜〉の姿は無かった。
「発信時間はいつなんだ?」
 ガイ・シャーブルック大佐は通信長に尋ねた。09時だという。ならば、今いないというのは何かあったのか?船団指揮官に問い合わせてみようか。うーん、まあ、いいか。
 遅れてやってくるのだろう、そう結論づけて、シャーブルックは通信文を頭から追い払い、海上に多数浮かぶ輸送船の方を見た。これから彼女らを護衛して、冬の海をカナダまで行かねばならない。なすべきことは数多くある。遅れてくる駆逐艦に時間を割いている余裕は無かった。

 〈水瀬《イカルス》伊月〉の通信文はごく短いものだった。
「約束を破ってしまい申し訳ない。貴君と酒を酌み交わして話をしたい。だから再び、めぐり合わんことを」

要目

  • 全長 98.45メートル
  • 全幅 10.05メートル
  • 主機 パーソンズ式ギヤード・タービン2基2軸
  • 主缶 標準型三胴缶3基
  • 機関出力 34000hp
  • 最大速力 36kt
  • 基準排水量 1370トン

兵装

  • 主砲 マーク酬殖隠押ィ轡札鵐礎荏砲4基
  • 機銃 12.7ミリ機関銃4連装2基
  • 雷装 53.3センチ魚雷発射管5連装2基
  • 機雷 60発

同級艦