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〈城宮《四万十》椛〉

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〈城宮《四万十》椛〉(Light Cruiser”Shimanto”.Ex CL-144 USS〈Worceter〉, … …Imperial Japanese Navy)

(元ネタ 「私、人形じゃありません」(ルネ)より もみじ)

■合衆国の落日

 1948年5月、第3次世界大戦勃発。開戦劈頭からアメリカ合衆国は窮地に立たされた。
 ドイツのA-10弾道弾――反応弾頭搭載――を首都のワシントンDCと大西洋艦隊の根拠地フィラデルフィアに撃ち込まれて国家首脳部と大西洋艦隊は壊滅、しかもカナダ・ケベック州からなだれ込んできたドイツ装甲軍団を合衆国陸軍は阻止できなかった。ファンディ湾で反撃に転じた大西洋艦隊の残存もドイツ・フランス連合艦隊に敗れ、世界最強の国家、合衆国の崩壊はもはや避けられないものとなってしまった。
 合衆国の凋落、それを我が身で示したような艦が大西洋にあった。
 軽巡洋艦〈城宮《ウースター》椛〉。1947年6月1日に完成した新鋭軽巡である。
 〈城宮《ウースター》椛〉級は太平洋戦争終結後、合衆国海軍が「防空艦も兼ねる軽巡洋艦」を望み、その要望に基づき計画、設計された。1943年に1隻、44年度にはさらに6隻分の建造予算が承認されている。
 主砲は47口径15.2センチ砲12門と、砲の口径、門数とも〈諏訪《クリーブランド》奈津子〉級と同じである。しかし砲弾装填作業を機械化した自動砲であるため発射速度は毎分12発と極めて高く、さらに装甲も厚く〈諏訪《クリーブランド》奈津子〉級を遥かに凌駕する。
 この高性能軽巡は、第三次世界大戦開戦時にはフィラデルフィアにあったが、被爆する直前に出港することができたので、反応弾の被害をかろうじて逃れた。しかし被爆の混乱がおさまらぬ中、フィラデルフィア沖に展開していたドイツUボートの雷撃を受け中破してしまった。それが元でファンディ湾沖海戦に参加できず、結果的に命長らえることができたのは皮肉なことだった。
 結果、〈城宮《ウースター》椛〉は傷ついた船体でどうにかパナマ運河を越え、太平洋側へと避難した。だが、彼女にはさらなる数奇な運命が待ち受けているのだった。

■新鋭軽巡の不満

 太平洋側へと逃げ延び、サンディエゴで修理を受けた〈城宮《ウースター》椛〉。しかし彼女はそのままサンディエゴで係留されたまま動くことはなかった。
 〈城宮《ウースター》椛〉が無聊を囲った理由はいくつかある。
 1つ目の理由は乗組員の不足。合衆国は大西洋で多数の艦を失ったが、それ以上に人員の消耗が激しかった。特にフィラデルフィアへの反応弾攻撃は致命的だった。訓練された、もしくは実戦を経験した貴重な人材を多く失い、または生き残った人材にしても放射線の影響で何かしらの障害を被っていたのでは、兵士として戦うことはできない。しかも〈城宮《ウースター》椛〉は1560名の乗員を必要とし、〈川中島《バルティモア》里美〉級や〈諏訪《クリーブランド》奈津子〉級よりも多いのである。
 2つ目の理由は、艦の性能に問題があることである。防空艦として建造された〈城宮《ウースター》椛〉級だったが、最大で165ミリの装甲を施し、なおかつ自動砲を採用した連装砲塔は重量がかさんで旋回速度が遅く、対空射撃にあまり向かないという欠点が存在した。
 最初は〈諏訪《クリーブランド》奈津子〉級のようの3連装砲塔を採用する予定だったが、それではあまりのも重くなり過ぎることは明白なので連装にしたという経緯がある。しかしそれでも〈城宮《ウースター》椛〉級の主砲塔は〈諏訪《クリーブランド》奈津子〉級の3連装砲塔よりも重くなってしまっている。旋回装置の強化などでどうにか対空射撃は可能なレベルの旋回速度を保っているが、相手の航空機がレシプロ機よりも速度の大きいジェット機になるとどこまで対応できるか疑問符が付かざるを得なかった。{{br}} しかもこの自動砲は毎分12発の素早い発射速度を実現する代わりに、構造が複雑で故障が多く「病弱」なものでもあった(幸運なことに彼女の戦歴で実戦中に故障したことは一度もなかったが)。
 となると、防空巡洋艦としては第2次世界大戦期に多数が建造された〈アトランタ〉級の方が有力で、水上砲戦に至ってはこれまた多数存在する〈川中島《バルティモア》里美〉級重巡の方が(主砲口径の差から)有力ということになり、〈城宮《ウースター》椛〉級は防空艦としても水上砲戦艦としても中途半端な存在になってしまっていた。
 そして3つ目の理由は、同型艦が存在しないということである。本来、〈城宮《ウースター》椛〉の妹として完成するはずだった〈穂永《ロアノーク》圭衣〉以下の同型艦は、方を54口径5インチ単装砲に改正した改〈城宮《ウースター》椛〉の〈穂永《ロアノーク》圭衣〉級として建造されており、見た目は似ていても砲熕兵器のシステムは「他人」そのものだった。
 まだ同型艦が存在していれば、その同型艦の部品を転用して自艦を整備するという、いわゆる「共食い」ができただろうが、もはやそれもかなわなかった。ましてや、砲戦型水上戦闘艦の意義たる砲熕兵装が全くの別物では。
 〈城宮《ウースター》椛〉をこのまま前線に出すとすれば「使い捨て」の艦と割り切るか、もしくは多大な手間をかけて維持しなければならない。大西洋側の造船施設を多数失い、さらに国力そのものを大きく低下させた合衆国にそのような贅沢は果たして許されるだろうか。
 これら3つの理由が重なって、サンディエゴに放置されたまま何もできない〈城宮《ウースター》椛〉。しかし、1949年1月1日に日本・英国との同盟が成立すると彼女を取り巻く環境もさらに大きく変化するのだった。

■売られた軽巡

 最新鋭軽巡を宝の持ち腐れとしていた合衆国に比べ、新たな同盟相手となった日本海軍は深刻な巡洋艦不足に悩んでいた。
 そもそも八八()艦隊で多数の戦艦――主力艦を揃えることを優先した日本海軍は。隆山条約の制限となによりも予算の問題上、巡洋艦、駆逐艦などの準主力艦が主力艦に比して少ないという性質を持っていた。そのような状況のまま第2次世界大戦が勃発、元々少ない巡洋艦は消耗によってますます少なくなってしまった。特に太平洋戦争、アッツ島を巡る幾度の海戦は熾烈なものがあり、その影響で東太平洋海線では〈篠塚《金剛》弥生〉や装甲巡洋艦を不足する巡洋艦の代わりとして運用したほどだった。
第2次大戦終結後、日本が就役させた砲戦型巡洋艦は〈江藤〉1隻のみで、あとは〈桜井〉級防空巡洋艦が多数と、「汎用性の高い」巡洋艦は数えるほどしか存在しない。もちろん日本海軍も無策ではなく新型巡洋艦の建造計画も進めてはいたが、それらが実際に形になって現れるのは暫く先のことだった。
 日英米による枢軸が成立すると同時に武器供与協定も成立した。これは主に、生産力を未だに保っている合衆国西海岸の造船所で対潜護衛艦や戦時標準船を建造し、それを日英が買い上げるという内容であったが、この中に1隻だけ例外があった。〈城宮《ウースター》椛〉である。
 日本も〈城宮《ウースター》椛〉を購入、海軍に編入するには運用上の問題が多々存在するだろうということはわかっていた。が、日本はあえてそれをした。砲戦型巡洋艦があまりにも少なくなりすぎてしまったという現実が日本に〈城宮《ウースター》椛〉を購入させたのだった。
 それに〈城宮《ウースター》椛〉は元々高性能な最新鋭軽巡洋艦、主砲の15.2センチ自動砲は防空用としてもとりあえずは使えるし、水上砲戦にも(発射速度が異様に高いので)大きな威力を発揮することが期待された。
 改装の内容は多岐に渡った。
 まず主砲口径が15.2センチなので、日本海軍の軽巡が使用する15.5センチ砲弾が使えない。そのため、結局彼女の47口径15.2センチ砲は砲身内部を削られて内径を15.5センチに広げられてしまった。まさに純潔を奪われたに等しい。
 それと同時に、電探や通信機、射撃式装置などを日本海軍の共用品に交換し、CICの内部も日本向けに手直しされた。そして艦首には日本軍艦の象徴ともいえる菊花紋章が取りつけられ改装は完了した。外見はマスト上の電探や高射装置などの細かい点以外は変化していない。連合艦隊に編入されたのは5月12日のことである。
 連合艦隊編入の際、〈城宮《ウースター》椛〉には新たに〈城宮《四万十》椛〉という艦名が与えられた。名の由来はもちろん、四国を流れる日本を代表する清流である。連装の主砲等を前部に3基、後部に3基とバランスよく配置し、構造物が中央に集中して全体からどことなく清楚な雰囲気を漂わせている彼女にふさわしい艦名であった。

■激闘の始まり

 〈城宮《ウースター》椛〉改め〈城宮《四万十》椛〉が乗組員の完熟訓練を終えた1949年中旬は、カリブ海の制海権を巡り枢軸と連合の機動艦隊や水上砲戦部隊が幾度となく激突を繰り返していた時期であった。〈城宮《四万十》椛〉はその激戦地の真っ只中にに身を投じることが求められた。
 〈城宮《四万十》椛〉の艦長に就任したのは御門大佐という人物で、日本でも有数の財閥家に生まれ、人間としても、また海軍軍人としてもエリートコースの一直線を歩んできたという経歴を持つ。将来の連合艦隊司令長官とも軍令部総長とも言われ、海軍内でも特に期待を寄せられていた。
 そんな御門大佐が〈城宮《ウースター》椛〉艦長に就任したのは本人がそれを希望したからである。彼は日米同盟締結の際、日本代表団に随行する形で渡米をしている。そしてサンディエゴで無聊を囲っていた〈城宮《ウースター》椛〉と出会ったのであった。御門大佐には〈城宮《ウースター》椛〉が、何故かはわからないが妙に気になり、これまで抱いたことのない不思議な感情を〈城宮《ウースター》椛〉に抱いたのである。
 しかし、この時点での御門大佐のはっきりとした思惑は、「たった1隻しかない合衆国からの購入艦で戦果を挙げて、今後の出世を有利にする」というぐらいのものに過ぎなかったのだが。
 〈城宮《四万十》椛〉は第2次世界大戦後、戦力が半減して解散に追い込まれた第10戦隊の再編に伴い、その旗艦になった。〈城宮《四万十》椛〉に従い第10戦隊を編成するのは〈赤嶺《妙高》真理〉と〈御門《足柄》静流〉の2隻の重巡洋艦である。
 〈赤嶺《妙高》真理〉。〈橋本〉、〈古鷹〉級、〈青葉〉級重巡洋艦に続く〈赤嶺《妙高》真理〉級のネームシップである。20.3センチ砲を連装5基搭載し、その後の日本条約型重巡の礎となると同時に、その高速と重武装から世界中を震撼させた。
 さらに彼女には1937年、英国国王ジョージ6世の戴冠式記念観艦式に参加した際、その精悍な外見から英国人に「餓狼」と称された逸話が残っている(英国人は武装にこだわりすぎて居住性を犠牲にしたことへの皮肉のつもりで言ったのだが、日本人はこれを褒め言葉として捉えた)。
 なお、2番艦の〈那智〉は1942年のマルタ沖海戦でイタリア海軍に撃沈されて、今はない。
 次に〈御門《足柄》静流〉だが、彼女も〈城宮《四万十》椛〉と同じく日本製ではない。実は彼女は、1942年12月8日、真珠湾を爆撃した後にオアフ島に上陸、そして占領した日本軍にほぼ無傷で奪取された元合衆国重巡洋艦〈オレゴン・シティ〉(〈川中島《ボルティモア》里美〉級の7番艦)である。
 自爆の機会も与えられずやすやすと鹵獲を許したのには、完成して間もなかったので練度も低く、さらに母港が滅茶苦茶に痛めつけられるのを見て、乗員達が戦意を喪失してしまったと言う理由があるのだが、ともかく日本側からすれば、これで敵の有力な新型重巡を手に入れたことになる。
 だから〈御門《足柄》静流〉は同じ合衆国出身の〈城宮《四万十》椛〉にとって「面倒見の良い先輩」のような存在だった。
 〈城宮《四万十》椛〉と編成が完了した第10戦隊は1949年11月、ついに初陣を迎えた。場所はかねてよりの激戦地、カリブ海である。

■カリブ海の戦い

 〈城宮《四万十》椛〉の初陣は1949年11月13日、第四次ウィンドワード海戦であった。カリブ海に浮かぶ無数の島のうちの1つ、小アンデル諸島マルティニーク島の攻防は過去3度、キューバ島とイスパニョーラ島の間に存在するウィンドワード海峡で海戦を発生させていた。
 この第4次ウィンドワード海戦はそれらの競り合いの集大成だった。が、日本、英国、合衆国、オランダ、自由フランス海軍vsイタリア、ヴィシー・フランス海軍というただでさえ訳のわからない組み合わせの上、通信や艦隊統一行動の乱れから互いが滅茶苦茶に戦い合い、戦史上まれに見る混戦となった。
 乱戦の最中、〈城宮《四万十》椛〉は僚艦と合同で駆逐艦数隻を撃沈したものの、地震も魚雷1発を喰らって速力が低下し、戦線を離脱した。応急修理は3日程度で終わったが、その時にはマルティニーク島攻防戦は枢軸の戦略的勝利となっていた(戦術的には辛勝、あるいは惜敗であったが)。
 この海戦後、〈城宮《四万十》椛〉はカリブ海でほんの少し休息を得ることができ、その中でもいろいろな出来事があった。合衆国の給糧艦からハンバーガーの差し入れを受けても御門艦長や乗組員は「まずい」という印象しか受けなかった(合衆国側も気を使ったらしく、ハンバーガーにしそと梅という和風の味付けをわざわざしたのだが、それがかえっていけなかったのかもしれない)ことや、合衆国艦が同じく合衆国のタンカーから燃料補給を受ける隣で、元合衆国艦の〈城宮《四万十》椛〉は日本海軍の補給艦から補給を受け、「あれがおふくろの味というものなのか」と合衆国艦を眺めたりと、ささやかだが彼女にとっては安らぎとなったに違いない。もっとも、落雷が〈城宮《四万十》椛〉を直撃してCICを暫く麻痺状態に陥れるというアクシデントも発生しているが。
 その休息が終わり彼女を待ち受けていたのは戦いだった。
 1950年8月、ニューヨーク沖で日独の最強戦艦が互いの名誉と尊厳、祖国の勝利を賭けて堂々たる砲戦を行った。この時の〈城宮《四万十》椛〉と第10戦隊は日本の〈高瀬《大和》瑞希〉などが守ろうとしていたSY3船団(「柿」船団)の護衛に参加していた。幸いにも日本艦隊はドイツ北米艦隊に対して勝利を収め、船団は危機を免れたが、その後SY3船団は大西洋上でドイツ空軍の爆撃を受けた。
 〈城宮《四万十》椛〉は通算24回目の主砲実戦射撃で、初めて航空機を目標とした。主砲の47口径15.5センチ自動砲の射程は長く、敵機の予想外の距離から対空砲弾を放つことに成功している。砲塔の旋回速度は遅かったが、目標が遠距離にいる限りはその欠点は問題になっていない。護衛空母の艦載機や防空艦の活躍もあり船団は無傷だった。
 1950年秋、〈城宮《四万十》椛〉はこれまででもっとも過酷な戦いを経験する。場所はメキシコ湾北部、任務はメキシコ湾北部の制海権を限定的に握るためにルイジアナと呼ばれる土地へ上陸する日本海軍陸戦隊と合衆国海兵隊、英国陸軍の支援である。

■「ワタシ…合衆国艦じゃありません…」

 ルイジアナ上陸作戦――「剣」号作戦は、情報収集の不足と作戦そのものに楽観的な想定を含んで開始された。上陸こそ思うままに進行したが、上陸地点の海岸からおよそ20キロ内陸に進んだ地点に布陣していた再編中のドイツ武装親衛隊装甲師団――枢軸軍の想定外の存在であったーーが行動を開始してから、作戦は一気に瓦解の方向へと転がり落ちた。{{br}} 上陸の翌日、海岸は前日とは全くの別世界と化していた。その光景は2年前の11月、ソコトラ島で展開された悲劇がまるで子供の児戯に感じられるほどの悲劇だった。
 海岸に降り注ぐ重砲弾、砲撃がやむとパンツァー・カイルを汲んで突撃してくる独機甲部隊。それを防ぐべき陸戦隊の戦車部隊は内陸に少し進んだ所で壊滅していた。もはやこの鉄の奔流を食い止める重装備や部隊はほとんど失われた。このドイツ軍に対抗し得るのは〈城宮《四万十》椛〉など軍艦の艦砲しか残されていなかった。
 上陸支援艦隊の援護射撃を受けて上陸部隊は撤退を開始したが、ドイツ軍の砲撃で海岸から揚陸艦へ引き返す大発や揚陸車両は次々と吹き飛ばされ、中空に軽々と舞い上がり、海水は赤く染まった。それでもどうにか兵力の大半を収容することはできたが、撤退援護戦闘を行っていた日本海軍陸戦隊のおよそ1000名が逃げ出す術を失って海岸に取り残されてしまった。
 〈城宮《四万十》椛〉は座礁寸前まで海岸に接近して戦った。主砲はもちろん、7.6センチ速射砲、発は20ミリ機関砲と文字通り全ての火力を動員し、また敵の重砲弾を身に浴びながら陸戦隊を助けようとしたが、彼らが弾薬を消耗し尽くした時、最期の通信がもたらされた。本当に単純で、だからこそ彼らの苦境と奮闘を明確に示すような1文だった。
 「俺たちを吹き飛ばせ」
〈城宮《四万十》椛〉は暫し躊躇した。本来ならば万難を排して救い出すべき友軍、それを助けるどころか、艦砲で殲滅しなければならないのだから無理もない。しかし死を待つ陸戦隊も洋上の艦隊もドイツの――とりわけゲシュタポという組織が「劣等人種」である日本人をどのように扱うかをある程度は予想していた。陸戦隊の立場からすれば、味方に吹き飛ばされることは慈悲であった。
 最期の時を待つ陸戦隊、そして友軍艦艇に対して〈城宮《四万十》椛〉が通信を発した。――「我は合衆国艦にあらず」――と。
 直後、俯角をかけた〈城宮《四万十》椛〉の15.5センチ主砲12門が火を吹き、ほぼ同時に海岸の友軍、それをまんべんなく覆い尽くすように爆炎が発生した。6秒後の第2斉射、さらにその6秒後の第3斉射も同じように弾着し、それで上陸部隊の残存1000名の介錯は終わった。その後は残弾のある限り、ドイツ軍の復讐に砲弾を放つだけだった。
 元は合衆国の軽巡〈城宮《四万十》椛〉は、助けるべき味方を撃つことで日本海軍の軍艦であることを証明したが、全く持って救いようのない悲しい戦闘であった。

大西洋の決戦

 1951年になった。カリブ海の制海権は枢軸側の手中となり、またドイツ北米艦隊もすでに壊滅したこの時期、戦闘の中心は英国が主導する地中海戦線と、日本統合航空軍が主導するドイツ本土・東欧油田地帯への航空戦へと移っていた。第三次世界大戦の推移そのものも枢軸側に有利となりつつあった。
 51年の初頭、〈城宮《四万十》椛〉ら第10戦隊は日本にあった。メキシコ湾での戦闘のの傷と疲れを癒すためである。この間、〈城宮《四万十》椛〉は国民へ艦の一般公開を行った。戦時下でもありこのような機会はここ数年少なくなっていたが、国民へ海軍の存在感をアピールするには有効なイベントである。
 一般公開は〈赤嶺《妙高》真理〉や〈御門《足柄》静流〉のベテラン艦は平時の海軍記念日などに行っていたが、なにぶんにも〈城宮《四万十》椛〉にとっては初めての経験である。〈御門《足柄》静流〉のこしらえた万国旗や飾りを借り受け、一般公開は大盛況で幕を閉じた。これには、海軍の報道部が合衆国で造られた彼女を「日米友好の証」としてかなり大々的に宣伝していたので訪れる人が多かったという理由もあるが、人々は皆この合衆国生まれの艦の流麗な姿に魅力を覚えた。との書くイベントは成功し、御門艦長も乗組員たちもこの「観覧」を大いに楽しんだという。ちなみに〈城宮《四万十》椛〉の一般公開は合計2回行われている。
 なお、〈赤嶺《妙高》真理〉と〈御門《足柄》静流〉は新規補充された乗組員の訓練や整備など「仕事」があったため一般公開は行っていない。〈御門《足柄》静流〉の方はどうしてもこれをやりたかったらしいが。
 日本本土で修理と休養を終えた〈城宮《四万十》椛〉の主な戦いの場はまたもや大西洋であった。7月には地中海の出口、ジブラルタルの奪回作戦が開始されたが、第10戦隊はその上陸部隊の護衛を務めていた。彼女達は船団に襲いかかるドイツ空軍機を撃退した。この戦闘で〈城宮《四万十》椛〉は防空重巡〈藤代《三原》綾音〉から対空砲弾――12.7センチ砲弾の誤射を受け小破している。誤射ではなく意図的なものだという噂も一部にはあるが、とにかく誤射として処理されている。
 上陸舞台の敵前上陸前には、ジブラルタルの砲台群や観測施設に艦砲射撃を浴びせて上陸部隊の安全を確保することに成功した。これには前年の「剣」号作戦の無残な失敗が第10戦隊の将兵に「もう2度とあの悲劇は繰り返させない」との闘志を燃え上がらせた末の結果でも会った。
 ジブラルタルは枢軸の元に戻り、地中海では英海軍が多大な損害を被りながらもマルタ島やシチリア島を攻略し、51年末までには地中海を巡る戦いは枢軸の勝利に終わっている。
 1952年に入ると戦況はもはや枢軸に圧倒的有利となり、追いつめられたドイツ海軍は一大反攻作戦を試みた。〈北の暴風〉作戦である。対する枢軸軍は満を持して英国本土奪回作戦〈アーク・エンジェル〉を実行しようとしていた。北大西洋で最後の決戦が火蓋を切って落とされたのである。
 〈城宮《四万十》椛〉と第10戦隊は第1艦隊の指揮下に入り、日独最後の大規模水上戦闘となったベルファスト沖海戦にその身を投じた。しかし、海戦そのものは新兵器の対艦誘導噴進弾が勝敗を決定づけ、その規模の割にはあっけなく終了してしまった。無論、枢軸海軍の大勝利で。第10戦隊は各艦わずか十数回の射撃をしたのみであった。〈北の暴風〉を撃退した後、〈アーク・エンジェル〉作戦はほぼ予定通りに推移し、〈城宮《四万十》椛〉らは地上支援の砲撃に専念する。
 このころ、ドイツ本土では枢軸との休戦をするかしないかで政治的ないざこざが発生し、結果、アドルフ・ヒトラー大ドイツ帝国総統は暗殺された。またその後にはヒトラー最期の命令を巡り、日独の反応動力潜水艦が北極の氷海下で死闘を繰り広げるのだが、それらはまた別の話である。

■海軍の至宝〈城宮《四万十》椛〉

 1952年8月、ついに第3次世界大戦は休戦を迎え、実質的に終了した。1949年の日本海軍編入以来、常に激戦地をくぐり抜けてきた〈城宮《四万十》椛〉も暫しの間、平穏を満喫する権利を得たのだった。
 休戦協定の施行直後、〈城宮《四万十》椛〉の艦上で、〈赤嶺《妙高》真理〉と〈御門《足柄》静流〉の乗員も交えて行われた休戦記念パーティーは、ささやかながらも平和を勝ち取った喜びに溢れ、たいへん盛り上がったと言う。
 それから少し後、〈城宮《四万十》椛〉は呉の海軍工廠ドックに入渠した。長年酷使した船体のオーバーホールと……新装備を搭載するためである。
 新装備とは、艦政本部第1部(砲熕技術の部署)によって1950年から開発が進められ、日独休戦の数ヶ月前に正式化された新型の15.5センチ砲で、正式名称は「一二式47口径15.5センチ砲」。日本海軍の砲熕技術、その総力を結集して造られた艦砲である。
 その性能は〈相田《最上》〉響子》級の初期搭載砲でもあった日本の傑作艦砲、三年式60口径15.5センチ砲を(47口径という短砲身でありながら)初速、砲身命数、砲弾重量など全ての面で凌駕する、まさに高性能砲だった。しかも驚くべきことに、この高性能砲は〈城宮《四万十》椛〉のために開発されたようなものだった。
 艦政本部第1部の技官達が熱意を込めて造り上げた一二式47口径15.5センチ砲。技官達はこの砲に「紅葉」というコードネームをつけ、寝食を忘れるほどに開発に没頭したのであった。
 改装を終え、瀬戸内海の穏やかな海にその身を再び浮かべた〈城宮《四万十》椛〉あたりは夕闇に包まれ、海も空も黄昏の赤に染められていた。もちろん〈城宮《四万十》椛〉も。その姿を、呉市のとある丘から見下ろすひとりの男がいた。彼女の艦長である御門大佐である。
 彼はこれまで〈城宮《四万十》椛〉と共に戦った日々を思い出していた。初めての戦いとなった第4次ウィンドワード海戦。カリブ海でのひととき。船団護衛で大西洋を往復し、過酷に過ぎた「剣」号作戦。そして最後の決戦……。それらの回想から導き出される結論は1つだった。
「俺は〈城宮《四万十》椛〉とずっと一緒に居たい……」
 御門大佐の目の中には、かつてサンディエゴで見かけた寂しく儚げな〈城宮《ウースター》椛〉の姿はなく、堂々たる14700トンの軽巡洋艦、幾多の武勲に飾られた美しい〈城宮《四万十》椛〉の姿があった。そしてそれこそが、御門大佐が心から愛する艦なのである。

軽巡洋艦〈城宮《四万十》椛〉【要目】

 基準排水量 14700トン
 全長    207.1メートル
 全幅    21.5メートル
 機関出力  120000馬力
 速力    33ノット
[兵装]
 47口径15.5センチ主砲(両用砲)
 50口径7.6センチ速射砲連装10基 同単装2基
[装甲]
 舷側 127ミリ
 甲板 89ミリ
 砲塔 165ミリ