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〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉

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〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉 Panzerschiff Haruhara-DEUTSCHLAND(LUTZOW)-Nanase,KM

jANIS・ivory「とらいあんぐるハート」春原 七瀬



 1929年に着工された本級は、1933年4月、A計画艦、新生ドイツ海軍初の主力艦として竣工した。新造艦艇の排水量が1万トンに制限されている中で、装甲を犠牲として砲戦力と速力・航続力を追求したのが本級である。
 前弩級戦艦〈プロイセン〉の代艦として建造された本級であるが、建造当初のコンセプトはバルト海の制海権を確保するためのものであった。つまりソ連海軍のみならず、北欧諸国の海防戦艦群に打ち勝ってオスト・プロイセンとの海上交通路を維持することを目的としており、本来ならば大西洋に打って出る性質のものではなかったのである。
 しかしながら、完成した艦の性能に諸国は瞠目した。1万トンの制限下で28センチ主砲を持ち、ディーゼル機関採用による優速と長い航続距離を持つのである。特にフランスは警戒し、本級がフランス本国と西アフリカ、西インド諸島(アンティル諸島)との連絡線を攪乱することを恐れた。これによりフランスは〈三好《ダンケルク》育〉級戦艦を建造し、それに対抗してドイツは〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉級を建造することになる。これら一連の競争の発端になるほど、本級の性能は優れていたのである。けれども、実際の戦争においてその性能に見合うだけの活躍が成されたかは疑問とせざるを得ない。
 そして、装甲艦建造の基本コンセプト自体は第2時世界大戦初期までは有効であったことは間違いがない。しかし日本海軍が隆山条約失効後のポスト条約型戦艦として高速戦艦〈長谷部《高千穂》彩〉、〈新城《穂高》さおり〉、〈高瀬《大和》瑞希〉を出現させるに及んで、完全に時代遅れのものとなってしまった。
 本級は平時に北欧諸国やフランスへの抑止力になることに、その意義があった。その能力は通商破壊すらも可能だったが、実際の通商破壊作戦は水上艦にとって困難な時代になっていたのである。詰まるところ、想定外の戦闘を強いられ続けたことが、本艦の悲劇の原因となった。

 兵装は28センチ(11インチ)主砲6門、三連装二基を前後に配置。副砲は15センチ単装8門、8.8センチ単装高角砲3門を搭載する。船体はリベット止めをやめて全面的に電気溶接を採用して重量軽減をはかり(約600トンの節約になった)、機関にMAN社製ディーゼル機関8基(最高出力4万8千馬力)を装備して二軸推進スクリューで最大26ノットを出す。燃費のよいディーゼル機関により長大な航続距離を実現した。ただ、クランクシャフトの破損が多発したため最大速力を出すことは希であったし、出撃時には予備のクランクシャフトを多数用意しなければならなかった。
 B計画艦〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉、C計画艦〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉と3隻が建造されたが、〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉は後の2隻とは艦橋の形状が違い、第1次大戦当時を思わせるようなオールド・ファッションとなっている。
 1937年5月20日、英国ポーツマス沖合スピット・ヘッド泊地でおこなわれたジョージ6世戴冠記念国際観艦式に参加している。ダイエットの必要がない理想的なスタイルに強力な砲力は参加各国を瞠目させ、敵手たる英国海軍に「ポケット戦艦」と言わしめた。
 その時、観艦式に参加していた日本海軍重巡洋艦〈赤嶺《妙高》真理〉の相川某という士官が〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉に見学を申し込んでいる。この頃の日本海軍とドイツ海軍は友好的だったこともあり(注1)、見学は許可された。問題になったのは艦内見学後である。案内した士官に「触り賃」ならぬ「見学料」を払うよう凄まれたのだ。「特別割引」とはいえ、いささかの問題ではある。表沙汰にはなっていないので記録には残っていないが、結局のところ日本海軍士官が金を払うことで事は収まったようだ。

 1939年9月、ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発した。〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉は通商破壊戦に出撃した。僚艦〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉はアイスランドの北側を回って南大西洋へ赴き、〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉はノルウェー海へ向かった。早速、英国にむかう商船1隻(米国籍シティ・オブ・フリント)を捕獲している。商船の船長は積み荷を隠そうとしたが提出せざるを得なかった。出し渋ったのは他でもない、男性向けの(ナチスいうところの)退廃芸術雑誌だったからである。さすがはビクトリア朝以来のエロ・マスターたる大英帝国の紳士たちであった(注3)。〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉艦長は箝口令をしいたが、結局乗組員の間で、「へー」「ほー」「ふー」「うわ」、と回し読みされたのであった。
 このときの獲物は前述の商船の他に2隻を撃沈する程度で終わった。南大西洋で大戦果を挙げた〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉、のちに大西洋、インド洋、カリブ海で暴れまくった〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉にくらべて運が無いと言うべきであろう。けれども南米ラプラタ河口で〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉と英日連合部隊「フォースG」が交戦し、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉が日本海軍第88駆逐隊に鹵獲されたことを思えば、まだしも幸運といえる。
 その〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉鹵獲事件で、ヒトラーは〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉から〈春原《リュッツォウ》七瀬〉への改名を命じている。万が一、ドイツ国名を冠した艦が鹵獲されたり撃沈されたりした場合のドイツ国内の士気への影響を考慮しての改名であった。
 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉はノルウェー海からバレンツ海にかけて出撃することが多く、日英からソ連への援助物資を積んだ船団を脅かした。商船員は「泣くほど怖い」と語り、歴戦の英国海軍士官でも「背筋が寒くなる」というほどの脅威を与えたが、戦果は僅少というべきだった。視界不良で索敵しづらく、ラダール・ゲレートFuMO22が故障がちなこともあり、またヒトラーが艦隊保全主義から積極的になることを許可しなかったからでもある。
 けれども運がない、というのが最大の理由かもしれない。事実、スペイン内乱時に地中海で爆弾2発を受けて乗組員22名が死亡しているし、ノルウェーの首都オスロ攻略では陸上砲台の砲撃が3発命中して主砲操作不能に陥った。その帰途で英国海軍S級潜水艦〈スピアフィッシュ〉の雷撃を艦尾に受けて行動不能となっている。
 第2次「ゼーレーヴェ」で英本土に艦砲射撃をかけるべく出撃したときには英駆逐艦〈セバスチャン〉(旧〈長瀬〉)の大喝を受けて被雷してしまい、早々にヴィルヘルムスハーフェンに戻らざるを得なかったのだから、〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の「運の無さ」は筋金入りであった。さらにバレンツ海では、援ソ船団が〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の目の前を抜ける航路をとっていても氷雪による視界不良で確認できず、みすみす見逃す結果となった。ある士官は「16才で恋も知らずに事故死した少女のようだ」と妙な比喩のしかたで「運の無さ」を嘆いている。
 自然、バルト海から外海に出ることは少なくなり、「バルト海の地縛霊」と言われるようになってしまった。出撃が少なくなってしまったのは〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉の運の無さもさることながら、ドイツ水上砲戦部隊の運用方法が変わりつつあったことも影響している。
 大ドイツ帝国の領土拡張に引きずられて、戦域が北海から大西洋、インド洋、太平洋と広がっていったことが最大の原因である。いうなれば、ドイツ海軍が沿岸防衛海軍から外洋海軍への変貌を余儀なくされたことで、装甲艦という艦種自体が中途半端になってしまったのだった。
 最大26ノットの速力では新世代の高速戦艦に追いつかれてしまうし、砲力と装甲でも隆山海軍軍縮条約失効以後の重巡洋艦や装甲巡洋艦に撃ち負けてしまう。設計当時の構想自体が古ぼけてしまったといえる。もっとも、1920年代当時のドイツ海軍に、後代の地球規模の戦域を抱えてしまうことや機動部隊決戦を想像せよというのは、酷であろう。
 ヨーロッパ本土と北米大陸とを結ぶ船団の護衛に使用したならば、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉のように活躍の機会は在ったかも知れないが、船団護衛は各国海軍で個々の船団を担当しており、その職分を犯すことははばかられたのである。それにドイツ艦艇を他国の海軍指揮下に置くなど、ヒトラーが許可するはずもなかった。
 結局、〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は竣工当時の栄光、新生ドイツ海軍の象徴としてあった過去にとらわれることとなってしまった。改装計画が持ち上がった時に、過去にいつまでもとらわれず前向きに未来を見つめて、高速巡洋艦に変貌していれば別な未来が開けたかもしれない。けれども、ヒトラーが海軍当局の出した〈春原《リュッツォウ》七瀬〉改装計画を否認した時に、悲劇へと突き進むことになった。
 かつての姉妹艦、今は宿敵となった日本海軍装甲海防艦〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉との対決を迎えることとなったのである。

 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉はグアンタナモとレイキャビクとを結ぶSY船団襲撃へ出発した。大西洋の制海権を喪失したドイツ海軍は、再び通商破壊戦略へと戻ってしまったのだ。そのため〈春原《リュッツォウ》七瀬〉に出撃の機会が来たのは皮肉といえる。
 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は月夜の中、逆探知装置ローデ・ウント・シュヴァルツFuMB28〈ナウシカD〉を駆使して枢軸側のレーダー哨戒網をかいくぐり、ノルウェー沿岸からヤンマイエン島北方を回ってグリーンランド(クリスチャン柔ぅ薀鵐鼻砲肪した。その複雑な航跡はまるでダンスを踊っているかのようであった。そして危険を犯して開氷面の縁ぎりぎりに潜伏した。12月のこの時期、デンマーク海峡の開氷面は30海里もない。
 厳冬期のノルウェー海は凄まじい冷気に覆われており、〈春原《リュッツォウ》七瀬〉もまた凍てつかんばかりの有様であった。氷雪を溶かして戦闘艦艇らしく振る舞うには膨大な熱量が必要であろう。その「熱」は、デンマーク海峡に流れ込むメキシコ湾流と共にSY44A船団がもたらした。
 1951年12月20日、荒天下、夜。〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は冷気を纏って船団への襲撃行動を開始した。レイキャビクに近い海域に達したことで気を抜いたであろう船団を襲うのである。成功率は高い筈であった。
 SY44A船団を護衛していたのは日本海軍トライアングル戦隊であった。旗艦は〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉、護衛空母に久々の海外遠征となった〈野々村《龍驤》小鳥〉と〈安土〉級護衛空母〈稲原〉、特型駆逐艦2隻、雛山級海防艦7隻という編成である。
 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉に最初に気づいたのは、船団右翼を哨戒していた外翼哨戒担当の特型駆逐艦であった。特型は敵味方識別符丁を発しながら、戦闘配置もとらず〈春原《リュッツォウ》七瀬〉に接近した。レイキャビク方向から接近してきたので、出迎えの艦艇と思いこんだのである。この隙を〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は見逃さなかった。28センチ砲弾を初弾から命中させ、たちまちの内に特型駆逐艦を撃沈した。そして砲撃を継続しながら機関全速で船団に突撃した。
 SY44A船団は大混乱に陥った。戦隊旗艦〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は次席指揮官〈野々村《龍驤》小鳥〉艦長に指揮権を委譲すると、〈野々村《龍驤》小鳥〉の止めるのも聞かずに敵艦〈春原《リュッツォウ》七瀬〉に向けて突撃を開始した(注3)。
 戦闘は同航戦となった。28センチ砲弾と15サンチ砲弾が飛び交い、かつての姉妹艦〈春原《リュッツォウ》七瀬〉と〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉とを互いに打ちのめそうとした。SY44A船団は戦闘から逃れるために面舵にとって、右回りに南下している。それを追って南下しようとする〈春原《リュッツォウ》七瀬〉を、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は身を挺して押しとどめた。
 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉はこれまでにない戦意でもって〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を圧倒した。今に至るまでの不遇な時期の汚辱を雪ぐため、是が非でもこの獲物を逃がすわけにはいかないのだ。防空指揮所で砲戦指揮を取っていた〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉艦長相川大佐は至近弾の起こした波を頭からかぶる羽目になってしまい、「魂が天上に持っていかれそうだった」と述懐している(注4)。
 遂に〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は、〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉の左舷に直撃弾を与えた。しかし〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は左舷に傾きながらも、12秒おきに6発を放って〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の艦上構造物に火災を発生せしめた。そして、〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の砲撃は止まった。発射速度の速さと弾数の多さで〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の指揮中枢もしくは電路を破壊できたのだ。
 〈春原《リュッツォウ》七瀬〉は大火災を起こしつつ、自沈していった。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉は〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の自沈を見送り、退艦した乗組員を救助したのだった。

 時は流れて1998年12月。大ドイツ帝国崩壊後、ドイツ連邦共和国海軍(ブンデス・マリーネ)初の1万トン級巡洋艦「仮称艦名A」は、〈ドイッチュラント〉と命名された。その竣工を祝う式典に、先代の自沈に立ち会った相川退役少将も賓客として招かれた。
 ここに〈春原《ドイッチュラント》七瀬〉は、再生したのである。


注1:ナチス・ドイツでは、ドイツに赴任した日本海軍士官にメイドの名目で女性をあてがっていた(もちろんゲシュタポの監視下にあった)。そのため「ゲルマンの美少女」に目がくらんだ輩が相次ぎ、海軍内にドイツ贔屓の派閥が発生して国家的美人局による情報漏洩が相次いだ。後世に言う「海軍メイドさん」事件である。この暴露により海軍は大いに面目を失っている。
注2:ヴィクトリア朝下のロンドンは写真や絵画などのポルノ発祥の地である。ちなみにこの時の雑誌類が当局に没収されたかどうかは不明である。
注3:〈野々村《龍驤》小鳥〉艦長は、戦闘はおこなわずにレイキャビクの管制圏内に逃げ込むことを進言している。しかし〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉艦長相川大佐は進言を黙殺して〈春原《リュッツォウ》七瀬〉との逢瀬ならぬ戦闘に向かっている。
注4:このデンマーク海峡海戦のあと、相川大佐は大風邪をひいて寝込んでしまった。しかし〈野々村《龍驤》小鳥〉艦長の桃缶のさしいれですぐさま立ち直っている。

要目

  • 全長     186.0メートル
  • 全幅     20.6メートル
  • 主機 MAN MZ42/58型ディーゼル8基2軸
  • 機関出力  48000hp
  • 最大速力  26ノット
  • 基準排水量 11700トン

兵装

  • 主砲 55口径28センチ砲3連装2基
  • 副砲 55口径15センチ砲単装8基
  • 高角砲 8.8センチ連装砲3基
  • 魚雷 53.3センチ4連装水上発射管2基
  • 装甲
    • 舷側60ミリ
    • 甲板40ミリ
    • 砲塔140ミリ

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