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〈七瀬《ハワイ》留美〉

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〈七瀬《ハワイ》留美〉級大型巡洋艦  Large Cruiser “Nanase HAWAI Rumi”Class USS

(元ネタ ONE〜輝く季節へ〜(Tactics)より七瀬 留美)

■中型巡戦ブーム

 〈七瀬《ハワイ》留美〉級大型巡洋艦(日本海軍の基準に照らし合わせると装甲巡洋艦に相当する)は、アメリカ合衆国海軍が1938年に立案した第二次ヴィンソン計画に基づき建造された艦である。
 この艦の建造の背景には、当時各国海軍でちょっとしたブームとなっていた排水量3万トン前後の巡洋戦艦の存在がある。ドイツが世界を驚かせた装甲艦(ポケット戦艦)に対抗すべくフランスが〈三好《ダンケルク》育〉級(フランス海軍における分類上は「戦列艦」)を建造したのが契機となって、ドイツも〈三好《ダンケルク》育〉級への対抗艦として〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉を生み出した。
 フランス・ドイツの動きと同じ頃、オランダも植民地防衛用に大型巡洋艦を計画(オランダは結局国産を諦め、計画された二隻のうち一隻を日本に発注した。しかし完成前に第二次世界大戦が勃発。オランダ本国が占領されてしまったため完成後は日本が買い取った。これが後の〈牧部《春日》なつみ〉である)していた。さらにろくな海軍を持たないソヴィエト連邦までもが似たような艦(〈江黒《クロンシュタット》弓子〉級)を計画していた。当時の欧州はこのように、31センチ前後の砲を搭載した艦が多数計画、建造されていた。
 転じて太平洋でも、合衆国が主敵と認める日本海軍は、水雷戦隊の旗艦用にいわゆる〈超甲巡〉(後の〈大庭《白根》詠美〉)級の計画を進め、そして実際に建造に着手していた。〈七瀬《ハワイ》留美〉級は、主にこの〈超甲巡〉に対抗すべく建造された艦となる。予定建造数は七隻、艦名は二番艦が〈オアフ〉、三番艦が〈カウアイ〉、四番艦〈マウイ〉、五番艦〈グァム〉、六番艦〈ジョンストン〉、七番艦〈ミッドウェイ〉と、全てに太平洋の合衆国領島の名が冠せられていたことから、同級が対日本を強く意識した艦ということがうかがえる。

■巡洋戦艦希望

 ネームシップの〈七瀬《ハワイ》留美〉は1941年中旬に完成し、即座に太平洋艦隊に配備された。シーアの大きい艦首を持つ平甲板の船体、前部に二基、後部に一基と背負い式に配置された30.5センチ連装砲塔、背の高い塔型の艦橋、そして大きな一本煙突と、彼女は見るからに強そうで気品に溢れた姿を持っていた。そのため、初めてパールハーバーに錨を降ろした彼女を、将兵たちはまるで美少女の転校生を迎えたハイスクールの男子のように盛大に歓迎したという。
 この時の〈七瀬《ハワイ》留美〉の艦長は自分の艦を「大型巡洋艦(Large Cruiser)ではなく「巡洋戦艦(Battle Cruiser)とみなしていた。それを示すのが彼の口癖だった。彼は訓練中によく
「31ノットの高速で荒波を微動だにせずに突き進む……巡洋戦艦にしかなし得ない技だ」
と語っていた。
 確かに「巡洋戦艦」といえなくもない。ドイツの〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉は「巡洋戦艦」を名乗っていたし、〈ダンケルク〉級も名目上は「戦列艦」だった。それに〈七瀬《ハワイ》留美〉は、主砲こそ30.5センチと小振りだが、装甲厚は〈レキシントン〉級巡洋戦艦よりも上だったのだから。
 太平洋を隔てて合衆国と向き合う日本も〈七瀬《ハワイ》留美〉急の太平洋配備に敏感に反応した。日本はこの艦の実態を掴むために努力を払い、その甲斐あってついにオアフ島に潜む諜報員から〈七瀬《ハワイ》留美〉の明確な写真がもたらされた。これは当然艦政本部や関係部署に送られ調査の対象となったが、これについては艦政本部の一部所で交わされた笑い話のような会話がある。

 艦政本部技官「背の高い艦橋だな。我が〈大庭《白根》詠美〉よりも大きいぞ」
 K大佐「いや、これの上半分はダミーだろう。本当はもっと低い。かつらを付けているようなもんだ」
 艦政本部技官「船体も長いな。それに装甲も厚そうだ」
 K大佐「いや、あの艦はせいぜい重巡程度の装甲しか持っていなくて弱いのさ」
 艦政本部技官「マストを見ろよ。電測兵器がびっしりと付いている。情報収集力は凄いだろうな」
 K大佐「いや、一見凄そうに見えるがあれらはドイツから払い下げられた中古品だよ」

 この「K大佐」とは後に軽空母〈折原《吉野》浩平〉――「ばかばか艦」として有名で、数々の戦功を上げた――の艦長になる人物でもある。日本人にしては珍しいほどのユーモアに溢れたこの人物はもちろん冗談のつもりで言ったのだが、この「〈七瀬《ハワイ》留美〉弱体説」は一時的に海軍中に広まって物議をかもし出したという。海軍はこの噂が根も葉もないことで〈七瀬《ハワイ》留美〉は決して弱い艦ではないことを通達したことにより噂は消えた。人騒がせなエピソードであった。

■忍耐のアッツ島沖

 1942年4月8日、日米戦争――太平洋戦争勃発。そして同年5月からは、北太平洋でアッツ島を巡り水上戦闘艦同士の激戦が始まった。それは9月頃まで展開されることになる。
 〈七瀬《ハワイ》留美〉は二番艦〈オアフ〉と共に、合衆国第4巡洋艦戦隊としてこの北太平洋戦線に投入された。そして8月末、第三次アッツ島沖海戦でついに実戦参加の機会を得た。
 しかし〈七瀬《ハワイ》留美〉の相手はあまりにも悪すぎた。日本海軍は北太平洋の度重なる激戦についに戦艦を投入してきたのだった。しかも、速力において〈七瀬《ハワイ》留美〉と互角の高速戦艦〈新城《穂高》さおり〉を。だが、彼女らはが相手が誰であろうと逃げるわけにいかなかった。かくして、距離約2万メートルを隔てて合衆国の大型巡洋艦対日本の高速戦艦が砲火を交えることとなった。
 〈新城《穂高》さおり〉から最初に狙われたのが〈七瀬《ハワイ》留美〉だった。当然彼女も反撃、〈新城《穂高》さおり〉に命中弾を与えるがあまり通用しない。逆に〈七瀬《ハワイ》留美〉が〈新城《穂高》さおり〉の41センチ砲を喰らい、第1砲塔が無残に粉砕された。さらに船体中央を直撃した一弾が彼女の主機の一部を破壊し、速力が大幅に低下してしまった。
 しかしそれが〈七瀬《ハワイ》留美〉を救った。〈七瀬《ハワイ》留美〉の速力低下を見て取った〈新城《穂高》さおり〉は「健全なものから先に叩く」という戦闘方針に沿って、その主砲を〈オアフ〉に向けたのだった。10分後、〈オアフ〉は沈んだ。〈オアフ〉に座上していた第4巡洋艦船体の司令、キャラガン少将の最期の言葉は
「〈ハワイ〉よりも〈ミズーリ〉を」{{r}}だったと伝えられている。
 海戦そのもの合衆国の敗北に終わりつつあった。速力の落ちた〈七瀬《ハワイ》留美〉は手負いの獲物を仕留めんと近付く日本の駆逐艦を追い払いつつ、どうにか撤退に成功している。なおこの間、破損した主機を懸命に操る機関科員たちは好きな食べ物の話をしながら任務をこなし、自分たちをリラックスさせたという逸話がある。しかしその主機も戦闘海域離脱後には完全に停止してしまい、〈七瀬《ハワイ》留美〉は曳航されてどうにかハワイまで帰りついた。
 アッツ島沖海戦における〈オアフ〉喪失を受け、合衆国は火力、装甲ともに中途半端で戦艦とは戦えない〈七瀬《ハワイ》留美〉級に見切りをつけて、以後は〈桜庭《ミズーリ》香澄〉級の建造を優先することとなる。結局〈七瀬《ハワイ》留美〉級の建造は当初の7隻から4隻にとどまった。そして〈七瀬《ハワイ》留美〉も艦隊決戦の主力には向かないと判断され、修理が完了した後はその快速を活かし、空母の護衛として東太平洋海戦を迎えることになる。

■猛牛の復讐

 1942年12月、合衆国が西太平洋から中部太平洋に戦力を展開していた隙を突き、日本軍がハワイ諸島を奇襲、これを占領した。合衆国は大西洋からも戦力をかき集めて、ハワイを奪回せんと日本に決戦を挑み1943年1月30日、機動部隊と基地航空隊を交えた大航空戦、東太平洋海戦が発生した。
 戦闘結果からいうと、日本も合衆国も互角の戦いを展開し、双方痛み分けとなった。両軍とも多数の艦載機を消耗し尽くして日没を迎え、これで合衆国機動部隊の誰もが、自分達の戦いはこれで終わったと考えた。
 しかし、諦めの悪い人物というのはいつでも存在する。
 ウィリアム・ハルゼー中将。合衆国きっての航空主兵主義者であり、また同時に合衆国海軍一の猛将でもある。彼は日本海軍にこれまで二度煮え湯を飲まされてきた。
 一度目は42年6月のウェーク沖海戦である。日本機動部隊の撃滅も、ごく少数の護衛を引き連れて行動していた日本戦艦(〈保科《天城》智子〉のこと)も撃沈できずに終わったばかりか、深追いしたところを「全世界は知らんと欲す」という電文を上層部から受けて引き返さなくてはならなかった。
 二度目は今回の戦いで、第3任務部隊の指揮(ハルゼー直率の第1航空戦隊と、スプルーアンス中将の第2航空戦隊で構成される)を任され、日本機動部隊に痛打を浴びせたものの、自身の部隊も日本のそれに負けず劣らずの損害を被ってしまった。
 このままでは腹の虫が収まらない。このときのハルゼーは日本軍はおろか、日本人の全てに憎悪を抱いていただろう。その極めて貴重な例外――ハルゼーが憎悪しない日本人は、日本の謀略放送「Heart to Heart」の司会を務めるいわゆる「東鳩ローズ」ぐらいであろうか。しかし彼はその「東鳩ローズ」がかつて彼に謀略放送で言ったアドバイス――短期を克服する冷静な思考――をすっかり失念していた。
 だからこそハルゼーは気づいた。「空母がなくとも、まだ巡洋艦と駆逐艦があるではないか」と。これらで水上戦闘に持ちこめばジャップの空母を地獄に叩き落せる。彼が日本軍に復讐するのはこの機会を置いて他になかった。
 スプルーアンスの第2航空戦隊からも護衛艦を(半ば強引に)借り受け、臨時の水上打撃艦隊を編成したハルゼーは、空母の護衛に就いていた艦の中でもっとも大きく強い〈七瀬《ハワイ》留美〉を旗艦に選んだ。そして彼女の三番艦〈カウアイ〉や多数の巡洋艦、駆逐艦を従えて、闇の彼方にいる日本機動部隊に突撃を開始した。合衆国の機動部隊も、日本の護衛部隊も航空戦の帰還と反復攻撃を容易にするため、互いに接近した形で日没を迎え航空戦が終了していたので、ハルゼーの艦隊はやがて日本空母群と接触することができた。
 ハルゼーは戦闘開始直前に、指揮下にある全艦へ檄文を発した。それはまことにハルゼーらしく、世界海戦史上もっとも激烈で下品な電文とされている。それは
「ジャップどもを100ぺん殺せ!蛆虫どもを肥溜めに叩き落せ!」
 という凄まじい文面だった。そしてこの電文が史上最大の艦隊決戦と後世の戦史に記される「ハワイ沖夜戦」の始まりを告げる合法ともなった。
 日本海軍第1機動艦隊を直衛する艦の中には〈篠塚《金剛》弥生〉と〈牧部《春日》なつみ〉の二隻の大型水上砲戦艦があった。〈七瀬《ハワイ》留美〉が〈篠塚《金剛》弥生〉に、〈カウアイ〉が〈牧部《春日》なつみ〉にそれぞれ狙いを付け、日米両艦隊はほぼ同時に主砲から火を放った。
 烈火の如き闘志の〈七瀬《ハワイ》留美〉と、氷の如き冷徹な〈篠塚《金剛》弥生〉は激しく撃ち合った。発射速度と門数に勝る〈七瀬《ハワイ》留美〉と、一発あたりの威力に勝る〈篠塚《金剛》弥生〉との戦いは、最初の時点では互角といえた。しかも〈篠塚《金剛》弥生〉はなんと探照灯を照射している。「闇夜に提灯」の言葉通り〈七瀬《ハワイ》留美〉にとってはこれほど狙いの付けやすい相手はなかった。
 しかしその〈篠塚《金剛》弥生〉に照らし出された巡洋艦群はただでは済まなかった。日本の巡洋艦群から正確無比な射撃を浴び、次々と戦闘力を喪失していったのだ。さらに〈篠塚《金剛》弥生〉も旧式艦とはいえ35.6センチ砲を持つ戦艦であり。幾度も改装を重ねて新造時より遥かに強化されている。まさに「古強者」だった。〈七瀬《ハワイ》留美〉も損傷を受け、戦況が不利になりつつある中、〈ヴィンセンス〉後落と〈アストリア〉轟沈の報が飛び込んだ。ついに意を決したレイトン参謀長がハルゼーに進言した。
「閣下、このままでは……!」
「駄目だ、ここで退くことはできん!」
「このままでは全滅します。ここは駆逐隊の健闘に期待しましょう。それにここで我々が壊滅しては誰が艦隊を護衛するというのです!?」
「この俺に、部下を見捨てて逃げろというのか!」
 しかし、そこへ決定的な事態が発生した。〈牧部《春日》なつみ〉と激しく撃ち合っていた〈カウアイ〉が大爆発しながら海底へ引きずり込まれていったのだった。〈七瀬《ハワイ》留美〉級は41センチクラスの砲を搭載する艦には勝てないかもしれないが、彼女がライバルとした日本の〈超甲巡〉レベルの相手には負けることはないとハルゼーもレイトンも信じていた。だがその自信が目の前で破られた。
「〈カウアイ〉が……」
「やむを得ん。撤退する」
 呆然自失となるレイトン参謀長と、悔しげに呟くハルゼー。ふたりは〈カウアイ〉の轟沈で完全に戦意を喪失していた。撤退命令を受け、大きく転舵する彼らの乗艦。しかしその瞬間、〈篠塚《金剛》弥生〉の主砲弾が〈七瀬《ハワイ》留美〉の司令塔を直撃した。だがハルゼーと彼の部下たちは彼女に救われた。269ミリの司令塔装甲は、弾着角度の浅かった35.6センチ砲弾を辛うじて防いだのである。これが重巡だったらおそらくハルゼーの命はなかったであろう。そして〈七瀬《ハワイ》留美〉は戦線を離脱した。その後,駆逐隊から敵空母の襲撃に成功したという連絡はなかった。
 この「猛牛の復讐」と呼ばれる戦いの直後、日本艦隊と合衆国艦隊は正面から激突、文字通り死闘を繰り広げた。しかし、合衆国艦隊は日本艦隊に敗北を喫し、ハワイ奪回という目標も達成できずにクリスマス島まで撤退せざるを得なくなった。そしてロング大統領は議会で弾劾・罷免され、約11ヶ月に渡って激戦が展開された太平洋戦争は、日本に有利な形で講和・終了したのだった。
 ハルゼーもこの戦いでの敗北の責任を取らされ解任・予備役に編入された。その後のハルゼーは以前のような短期や短絡的思考はなりを潜めたという。しかし1948年、第三次世界大戦が勃発し、海軍が再起不能な打撃を受けて極端な人材不足に陥ったために現役に復帰している。

■第三次世界大戦

 1948年5月の第三次世界大戦勃発は、合衆国にとって最大の悲劇と言えるだろう。海軍も開戦劈頭に、大西洋艦隊の根拠地であるフィラデルフィアにA10弾道弾を撃ち込まれて反応弾の業火に焼かれた。この一撃で大西洋艦隊はほぼ壊滅した。〈七瀬《ハワイ》留美〉級の四番艦〈マウイ〉もその反応弾に焼かれて沈んだ中の一隻である。
 〈七瀬《ハワイ》留美〉はこのときは大西洋艦隊に配属されていたが、当時ニューヨークに停泊していたため反応弾の難を逃れることができた。しかし、ファンディ湾沖海戦には参加できず、ドイツ北米艦隊に痛めつけられた友軍艦を目の当たりにした乗組員たちは、歯噛みをするほど悔しがったという。〈七瀬《ハワイ》留美〉はその後どうにか大西洋を脱出してサンディエゴにたどり着いたが、〈七瀬《ハワイ》留美〉の、いや、合衆国海軍の「時間」はこの時から止まったも同然になった。
 以前とは比べ物にならないほど弱体化した海軍、そして祖国。同型艦の3隻はすでに亡く、一隻残された〈七瀬《ハワイ》留美〉はそれでも戦った。1949年6月、彼女は東部太平洋で船団を護衛していた。だがこの船団もドイツ海軍の潜水艦隊に捕捉され、いまや貴重な合衆国船籍の商船とそれらが搭載している物資は危機に晒されることになった。無論、護衛艦は勇戦奮闘、商船の被害を最小限に抑えつつあったがその分損害も大きかった。彼女自身も魚雷二発を被雷し、船団も含めて絶体絶命の危機に陥りつつあった。
 その危機を救ったのは、かつての仇敵、日本海軍だった。近辺を航行中の船団護衛艦隊が空母〈折原《吉野》浩平〉から対潜哨戒機を救援に差し向け、その航空隊はドイツ潜水艦隊を撃退、合衆国船団は危機を脱した。この時の喜びを〈七瀬《ハワイ》留美〉艦長は「白馬に乗って現れた王子様に救われた」と表現している。そして彼女と海軍の「時間」もこの時から再び動き始めた。この日、合衆国第1海兵師団が枢軸のカリブ海進出の先陣としてグァンタナモに上陸を果たし、米英日枢軸が米大陸方面で反攻を開始したのだった。大西洋艦隊壊滅からおよそ一年が経過していた。
 その後、〈七瀬《ハワイ》留美〉はカリブ海の戦いを生き延び、大西洋に転戦しても奮闘し、1951年1月のベルファスト沖海戦では日本の装甲巡洋艦群に混じってドイツ艦隊相手に主砲を放つ機会も得た。〈七瀬《ハワイ》留美〉は合衆国海軍の意地を守りとおしたのだった。

■その後の〈七瀬《ハワイ》留美〉

 第三次世界大戦が終わると、日本海軍は巨大化した海軍の縮小を断行し、その最中で〈大庭《白根》詠美〉を始めとする装甲巡洋艦も予備艦状態に置かれたが、〈七瀬《ハワイ》留美〉はそうはならなかった。
 第三次大戦でも幾多の艦を沈められた合衆国には、排水量1万トン以上の大型艦は数えるほどしか存在しなくなっていたのだった。その中でも〈七瀬《ハワイ》留美〉は水上戦闘艦のでは数少ない戦艦に次ぐ大きさだったため、海軍のこれ以上の弱体化を防ぐためにも、現役にとどまることを求められた。
 〈七瀬《ハワイ》留美〉は60年代にはミサイル大型巡洋艦に艦種を変更され、80年代には延命化が図られた。そして第四次世界大戦でも生き延び、99年の湾岸戦争はイラクの地上部隊に対し主砲弾を浴びせるという働きもしている。そして2000年、59年間の現役を終えて引退。後にハワイで記念艦となった。
 この頃になると、彼女を「大型巡洋艦」と言う人は皆無になっていた。人々は合衆国海軍の矜持を永く守り続けた彼女に対し、敬意を込めて「巡洋戦艦」の称号で呼んだのだった。〈七瀬《ハワイ》留美〉の「真の巡洋戦艦」への夢は、ついに果たされた。

〈七瀬《ハワイ》留美〉級大型巡洋艦(新造時)

[要目]
基準排水量 27000トン
全長    246.4メートル
全幅    27.5メートル
機関出力  150000馬力
速力    33ノット

[兵装]
 50口径30.5センチ砲 三連装3基
 38口径12.7センチ両用砲 連装6基
[装甲]
 舷側 127ミリ
 甲板 102ミリ
 砲塔 325ミリ

同型艦

CB-7 〈七瀬《ハワイ》留美〉
CB-8 〈オアフ〉(1942年戦没)
CB-9 〈カウアイ〉(1943年戦没)
CB-10〈マウイ〉(1948年戦没)
CB-11〈グァム〉(建造中止)
CB-12〈ジョンストン〉(建造中止)
CB-13〈ミッドウェイ〉(建造中止)