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〈桜塚《シュリーフェン》恋〉

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〈桜塚《シュリーフェン》恋〉 Schwere Kreuzer Sakuraduka-VON SCHLIEFFEN-Ren,KM

カクテル・ソフト「CANVAS〜セピア色のモチーフ〜」桜塚 恋&鷺ノ宮 藍

概要



 1938年に開始されたドイツの艦隊拡張計画、Z計画によって建造された巡洋戦艦だが、実質的には高速戦艦である。タイプシップ〈ガディム《バルバロッサ》〉の仮称艦名からO級と呼ばれる。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は仮称艦名P、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は仮称艦名Qである。
 全長257メートル、全幅32メートル、機関はディーゼルと蒸気タービンの併用で、出力は3軸合計19万8000馬力(ディーゼル11万馬力、タービン8万8000)。最大速力は33.8ノットを発揮。基準排水量3万6500トン。
 原設計では〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉の設計をベースとした通商破壊専用艦であった。そのため38センチ砲連装3基6門という強力な主兵装を持ちながらも、水平110ミリ垂直180ミリの薄い装甲しか持たず戦艦同士の撃ち合いには耐えられなかったのだが、その能力はドイツ海軍の基本戦略である通商破壊戦に合致するものであった。
 ゆえにH級戦艦よりも早期に完成する予定であったものの、艦隊整備の完了を待たずに開始された第2次世界大戦により起工が一度中止され、1943年の計画再開を待たねばならなかった。
 そして英国海軍の衰退に伴い、新たな仮想敵国として日本と合衆国とが選択されたことが本級の設計に大きな影響を与えることとなる。通商破壊艦から高速戦艦への変更である。正面から艦隊決戦を挑める戦艦を必要とする段階にドイツ海軍が至ったのだ。
 それは〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の損害調査に基づく、設計変更と装甲強化を取り入れたものであった。

 1941年5月に行われた「ローレライ作戦」は成功を収め、F級戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はサン・ナゼールの乾船渠フォルム・エクルーゼに入渠することが出来た。しかし作戦成功の代償たる〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の損傷はドイツ海軍の肝を冷やすものだった。
 A砲塔ならびにB砲塔は粉砕されて跡形もなく、ヴァイタル・パートへは5発もの18インチ砲弾が食い込み、砲弾炸裂による艦内部の損害には凄まじいものがあった。電路切断、缶の破損、その他ありとあらゆるものが傷つき、無事なものを数えた方が早いありさまである。艦内部の傾斜甲板で損害の限定に成功していたものの、判定大破どころか浮いているのが不思議とされる程の損害だった。調査団員はおぞ気を振るった。劣等人種の戦艦に「ドイツの誇り」を砕かれかねなかったのだ。
 とりわけ損害調査で注目されたのが、水中弾の効果だった。〈宮内《阿蘇》あやめ〉の放った18インチ砲弾は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の水線部装甲帯の下をかいくぐって艦の下腹をえぐり、6千トンもの浸水を発生させていた。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は水線下部の艦内部に45ミリの装甲を施している以外、全くの無防備だったのである。
 調査の結果は、ドイツ海軍に己らの艦艇設計が古いこと、特に第一次世界大戦で用いられた水線部に分厚い装甲帯を貼り付ける方式では18インチ砲に太刀打ちできないことを知らしめたのである。
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉は総統命令による最優先の修理と装甲強化が施されることとなった。従来は水線部にのみ施されていた装甲を、バルジを貫通する形で傾斜させて取り付け、水中弾対策(魚雷対策の意味もある)として100ミリの装甲が艦底部に達するようになった。
 主砲塔もまた、従来の前面360ミリ、天蓋130ミリを、前面は400ミリ、天蓋180ミリと増厚している。ブレスト沖で主砲塔天蓋を貫通されたことへの対策である。
 1年に及ぶ突貫工事の末の、新造と言っても差し支えないほどの大改造だったが、以後の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の戦いに大いに益するところとなる。ドーバー海峡の制海権を巡って海峡から北海にかけて戦われたカレー沖海戦(英側呼称ドーバー沖海戦)で、16インチ砲戦艦の〈KGV〉級〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉との近距離での撃ち合いに耐え、〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は大破撤退に追い込んでいる(注1)。
 この戦果は装甲強化の方針が誤っていないことをドイツ海軍に伝え、イタリア海軍が〈高瀬《大和》瑞希〉、〈長谷部《高千穂》彩〉との交戦から得たデータと合わせて、新造されるH級戦艦とO級巡洋戦艦の設計に取り入れられることとなった。

 1943年早期に起工されることとなったO級巡洋戦艦の改設計はガヤロー設計局(秘匿呼称FC01)が担当した(注2)。主力護衛艦F1型〈フィーリア〉級を設計して名を揚げた彼等が初めて設計する大艦であった。「プラーン・ベルク(山企画)」との秘匿呼称を与えられた改設計は、装甲強化と機関の変更が主な目的となっている。新進気鋭のメイン・デザイナー、シュテルン・ガヤロー設計官を始めとする設計陣は勇躍して取り組み、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉から得られたデータとイタリア海軍からもたらされた資料を積極的に取り込んで、ドイツ主力艦の新たなスタンダードを打ちたてんとし、そしてそれに成功した。
 新しいO級は、水平170ミリ、舷側320ミリへと装甲厚を大幅に増やしていた。これだけならば〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と変わるところはないが、艦内部の装甲の取り付け方式が大きく変わったのである。
 〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉の舷側装甲は舷側に垂直に張られたものであり、水平装甲の120ミリという数値は最上甲板と中甲板、2枚の装甲の合計値である。このため、それぞれの厚み以上の抗堪力を有しない。
 ガヤロー設計局はこれを改め、舷側装甲は艦内部に傾斜させて取り付け、その外側をバルジとして重油タンクや水密鋼管を充填して魚雷・水中弾対策とした。水平装甲も舷側装甲の頂部と連結させて1枚で170ミリ厚としている。これによりO級巡洋戦艦は、日本と合衆国の主力である16インチ砲戦艦と正面から殴り合える能力を手に入れたのだ。
 機関出力も原設計の16万5千馬力から19万8千馬力へと増大した。このため初期段階での19ノットで1万4千海里という航続力は1万海里へと大きく減少した(10ノットならば1万5千海里)。このことからドイツ海軍は本級の有効性に疑問を抱いたが、本級の第3次世界大戦での活躍により批判の口は閉じられることになる。
 1943年1月、O級巡洋戦艦3隻は同時に起工された。仮称艦名Oがヴィルヘルムス・ハーフェン工廠で、Pがキールのドイチェ・ヴェルケ、Qが同じくキールのゲルマニア・ヴェルフトである(注3)。最優先指定を受けた突貫工事の末の1945年1月、3隻の巡洋戦艦は相次いで竣工した。
 彼女らは海洋を制するべく生まれた、新世代のドイツ戦艦であった。英海軍の目を盗んで通商破壊をおこなうのではなく、大西洋の制海権を得るべく雌雄を決する戦いを挑む存在なのである。ここにいたり、ドイツ海軍は外洋海軍へと変貌しようとしていた。3隻のO級巡洋戦艦はその象徴と言うべきものだった。
 しかし、それ故に以後のドイツ海軍の栄光と凋落、勝利と敗北を体現するものとなった。外洋海軍への変貌、大艦巨砲から航空機への海上主戦力の変遷、対艦誘導噴進弾技術の進歩。第3次世界大戦の僅かな年月の間に激烈に変化していく環境にあわせ、O級巡洋戦艦は艦隊決戦、通商破壊、機動部隊護衛の仕事をこなしていく。ドイツ海軍が作戦を発起するとき、そこには必ず本級の姿があった。カボット海峡、ファンディ湾の勝利からノルウェー沖の敗北まで、全てを体験したのだ。
 彼女らは巡洋戦艦に分類されることから主力艦の「妹」に見られがちだったが、彼女らが「ヒロイン」と呼ぶにふさわしい存在であろうことは間違いがない。そして第三次世界大戦の最中、〈ガディム《バルバロッサ》〉、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の三隻は全て海没することとなった。
 まさしく彼女らは「ヒロイン」の名にふさわしく戦い、沈んでいったのである。


注1:カレー沖はドイツ側の辛勝というべきだった。英独双方の高速戦艦戦力全てをぶつけ合い、戦艦の数に劣るドイツが包囲されまいとしたため激しい運動戦になった。転舵を繰り返す主隊とは別に遅れてやってきた〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉がドーバーへの突破を図り、それを阻止すべく〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が分派された。〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉は〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉との撃ち合いで中破して戦列を離れたところを英駆逐艦の雷撃で沈められてしまった。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉はまず〈《フッド》柳也〉級巡洋戦艦〈ハウ〉を片づけた後に、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉と「いちゃついていた」〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を叩きのめし、〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉のA砲塔はまるで蹴り飛ばされたかのように宙を舞った。高速戦艦部隊を囮にして巡洋艦部隊のドーバー海域への突入を図る作戦が、ドイツ海軍航空艦隊の奮戦によって失敗に終わったことを知った英艦隊は煙幕を張りつつローサイスへ撤退していった。その後の〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は、損傷を癒す時間がないことからローサイスで自沈させられたが、ヒトラーの命により浮揚修理が施され、ドイツ海軍の戦艦としてアルバイト人生を送ることになった。
注2:ガヤロー設計局は小艦艇を得意としており、ガヤロー造船官みずから手がけたF1級や15センチ単装自動砲4基を搭載したZ75級(別名〈カノーネ〉級)など傑作艦をものしている。T級水雷艇やM級軽巡もガヤロー設計局に属するフェルゼンブルク造船官の作品である。なおガヤロー造船官は正規空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉級も手がけている。
注3:同じ頃、ハンブルクのブローム・ウント・フォスではH級一番艦〈横蔵院《フリードリヒ・デア・グロッセ》蔕麿〉の竜骨が据えられようとしていた。H級の設計もまた改められ、従前にも増して装甲厚が増している。その結果として打撃への抗堪力は「分厚い脂肪を身にまとった」が如く、凄まじいものとなった。


疾風のように〜第1次ウィンドワード海戦〜


 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は大西洋上を疾駆していた。日英米枢軸軍がウィンドワード諸島のマルティニーク島に上陸したとの報に接し、マイアミから急遽抜錨したのである。後続する艦艇は〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉〈柴崎《ルクレツィア・ロマーニ》彩音〉〈鳥海《フィレンツェ》千紗都〉〈進藤《ド・グラース》むつき〉、〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉、〈片瀬《コマンダン・テスト》雪希〉という、独仏伊の混成戦隊だった。
 指揮するはドイツ北米艦隊カリブ海支隊司令官ゴドフリート・ハイエ少将である。彼がカリブ海支隊の指揮権を発動したのが1949年7月27日、当面の根拠地マイアミに着任したのが7月30日だった。その一週間後、枢軸軍がマルティニーク島に押し寄せたのである。ハイエ提督は「ヒマそうに見える」艦艇をかき集めて戦隊を編成し、揚陸作業中の敵輸送船団を撃滅すべく出撃した(注4)。
 合同訓練をおこなったことが無く、またスクリューの回転整合の測定もされていない寄せ集めの戦隊であったことから、複雑な艦隊陣形は避けて単縦陣の一航過をおこない、そして夜明けまでに敵空母の攻撃圏外への離脱を図ることになった。というより、それしか方策がなかった。
 それでも混成戦隊の士気は高く、ハイエ提督ら司令部の意気は揚々としていた。パナマ陥落以後、急速に戦局の焦点になりつつあるカリブ海に派遣された艦艇群だけあって、その錬度はいずれも高かったのだ。
 なかでも旗艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は若々しく、華やぎすらハイエ提督に感じさせた。それもその筈、両艦の艦長は大佐待遇の中佐にして、30才になったばかりである。よって士官達もまた一様に若く、新進の気風に溢れていた。重厚な気風のドイツ戦艦にあっては極めて異例なものだった。それでも雰囲気が浮ついたものになっていないことは、艦長の統率の非凡さをハイエ提督に感じさせた。
 先代の艦長レヴィンスキー大佐が少尉候補生時代にジュットランド海戦に参加した経験を持つ古参の艦長だったのに比べるといささか極端に過ぎる人事ではないか、とハイエは思ったが、オットー・レニ・キルシェバウム艦長の溌剌とした姿を見て、今次大戦には老練さよりも、この若さが必要なのだと考え直した。
 ある意味、異常きわまりない人事が実現したのには、ドイツ海軍を率いるデーニッツ元帥の苦慮があったのである。

 ファンディ湾海戦時、レヴィンスキー艦長のもとで、英国製のブリキの「ゴミ缶」(巡洋戦艦は一般に装甲が薄かった)と同じと思うなよとばかりに、合衆国戦艦群を蹴り飛ばした〈桜塚《シュリーフェン》恋〉だったが、代償として主砲2門を残して中破という惨状を呈した。
 海軍総司令デーニッツは、この戦意溢れる艦長を竣工が近いR級戦艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の艤装委員長に任じたが、問題は次の〈桜塚《シュリーフェン》恋〉艦長を誰にするか、ということだった。有り体に言って、デーニッツは戦艦の艦長達に不満を感じていたのである。余りにも艦を大事にしすぎているのではないか、と。
 ベルサイユ条約の制限により小規模な海軍だったことから戦艦の比重が大きいとはいえ、潜水艦隊司令としての目で見ても戦艦は消極的でありすぎた。激しい運動戦になったカレー沖はともかく、この度のファンディ湾を見ても、合衆国海軍の旺盛な戦意にドイツ戦艦は押される傾向があったのだ。
 荒療治をデーニッツは決意した。戦艦群全ての艦長を入れ替えることはできないが、多様な任務を要求され、戦時には突撃の前衛となる巡洋戦艦の艦長を一際若い者にしよう。潜水艦の艦長達もまた若い大尉達がつとめているのだ。水上艦でできない訳はない。かくて白羽の矢が立ったのが、キルシェバウムと彼の大親友ライヒャーシュロスという次第であった(注5)。
 この二人はファンディ湾で〈Z62〉と〈Z59〉を指揮しており、果敢な操艦と見事なコンビネーション攻撃で合衆国駆逐隊を翻弄していたのである。大尉から少佐に昇進し、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の修理が完了する頃には中佐となっていた。この大抜擢人事にキルシェバウムは呆然としていたが(ライヒャーシュロスは笑顔でいたが驚いていた)、同期生からもみくちゃにされたり頭をなでられたりといった祝福を受けて悪い気はしなかったようだ。もっとも良いことばかりではなく、「チヤホヤされて、いい気になっているんじゃない」と北米艦隊司令部や海軍総司令部で面と向かって叩かれることもママあった。そんな場面に、後に彼の義兄となったノルトマンが出くわしたこともあったりするのである。

 1949年8月6日未明、日英米枢軸軍は「ジョゼフィーヌ(皇后)」作戦の名の下に、ヴィシー政府から海外植民地を奪取すべくウィンドワード諸島マルティニークに殺到した。首邑フォール・ド・フランスの守備隊はフラマン湾に突き出したサン・ルイ砦に立てこもって抗戦したものの降伏を余儀なくされた。
 この事実は守備隊と、ヴィシー側についた農場主達の緊急電によりフランス西インド警備艦隊司令部に報じられ、さらにドイツ北米艦隊カリブ海支隊に伝達された。ハイエ提督は着任したばかりであったが、午前5時30分にマイアミに停泊していた諸艦艇に出撃準備を下令し、午前には大挙出撃したのである。
 慌ただしく出撃した寄せ集めの戦隊ではあるもののハイエ提督は抜かりなく手を打っていた。選んだ艦艇は比較的長い航続力を持つモノばかりであり、それでも帰路には燃料が不足するであろうから、給油艦をリーワード諸島沖に遊弋させるよう指示を出しておいたのである(注6)。ただし現地の情報については農場主の無線以外には、空軍の長距離偵察機か水上機母艦〈片瀬《コマンダン・テスト》雪希〉に頼る他はなかったのだが。
 マイアミを出航後はグアンタナモからの触接を避けるために大西洋に出て、20ノットの巡航速度で突っ走り、8月8日午前4時には早くもリーワード(風下)諸島英領アンギラの北西アネガダ水道に達した。ここでハイエは〈片瀬《コマンダン・テスト》雪希〉の水上機4機を偵察に出した。各機の情報を総合すると、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦9、輸送船15と判明した。ハイエが何よりも知りたいと思った敵機動部隊の動静であるが、少なくともマルティニークの250海里圏内にはいないと断定することが出来た。ここに、ハイエは泊地突入の決意を固めたのである。
 午前9時10分、北米艦隊司令部と海軍総司令部宛に突入を打電した。
「飛行機収容次第うぃんどわーど諸島沖ヲ南下、まりー・ぎゃらん島、どみにか島間ヲ高速ニテ突破二〇三〇頃まるてぃにーく泊地ニ殺到、奇襲ヲ加エタル後急速避退セントス」
 この頃にはオーストラリア軍の偵察機に発見されていたハイエ戦隊だったが、偵察機は無線封止を守っていたために6時間もの間、通報されないという僥倖を得ていた。ハイエ戦隊はこの戦いの最中、常に幸運に恵まれ続けることになる。
 午前11時、荒事には全く向かない〈片瀬《コマンダン・テスト》雪希〉を帰してハイエ戦隊は行動を開始し、16ノットで午後1時にアンティグア・バーブーダ沖を通過、グアドループの東北海域で時間調整をおこなった後、待望の日没が来た。午後5時40分、ハイエはドミニカ水道への突入を下令した。参加艦艇は単縦陣の突撃隊形をとって、26ノットに増速した。

 枢軸軍艦艇の主力は日本軍と自由フランス軍で、それに合衆国軍と英連邦軍(オーストラリア)が加わっている。旗艦は自由フランス軍の戦艦〈氷室《リシュリュー》微〉であり、日本からは「太平洋の女帝」の異名をとった装甲巡洋艦〈大庭《白根》詠美〉が参加していた。
 そして上陸部隊を支援していた空母機動部隊であるが、これは西方へ急速退避を続けていたのである。メキシコ湾海戦の傷も癒えず、またフランス領西インド諸島を拠点としたドイツ空軍の爆撃を恐れたためであった。この時期、ドイツ空軍はグアドループには進出しておらず、まったくの長距離偵察だけをおこなっていたのだが、偵察機が行きがけの駄賃とばかりに50キロ爆弾を落としていったことに過剰反応を示したのである。
 枢軸軍は、ドミニカを警戒する北方部隊、マルティニーク水道を警戒する東方部隊、セント・ルシア方面を警戒する南方部隊と三方に配置していた。しかし、この時全部隊を束ねるフランス軍のブロウ提督が上陸部隊との打ち合わせのためにフォール・ド・フランスに上がっていた。そして直率の北方部隊を除く各部隊はそのことを知らなかったのである。短時間で戻ってくるため、特に知らせる必要を感じなかったらしい。このため枢軸軍は指揮の混乱をきたす羽目に陥る。

 ハイエ戦隊はレーダーより電波を放たず、ドイツのイノヴェルチ社が開発した赤外線探知システム〈ヴァムパイア〉で前方を探索しつつドミニカ島西岸を28ノットで南下した。そして午後10時43分と50分に枢軸軍の哨戒駆逐艦に遭遇したものの、逆探知と〈ヴァムパイア〉で気取られる前に発見する事ができ、ドミニカ島を背後に置いてレーダーの探知をやり過ごすことができた。敵哨戒線の突破に成功したのである。
 午後11時30分、ハイエは遂に「全軍突撃」を下令した。旗艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉から殿艦〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉までの距離はほぼ5千メートル。空にはまだ月は出ておらず、全くの闇夜であった。

 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は猛然と突進した。「全軍突撃」が出された直後、左117度方向に艦影を発見したが〈ヴァムパイア〉で駆逐艦と判明し、雷撃の姿勢も見せていないので無視した。つまり枢軸軍は未だ敵襲に気づいていないのだ。
 午後11時38分。マルティニークのサン・ピエールの西北地点。右120度から117度方向に数隻の艦影を認めた。目指すべき輸送船団の護衛部隊と遭遇したことに間違いがない。ハイエは躊躇無く〈ヴァムパイア〉の赤外線照射を命じた。闇夜に人には見えない光が発せられ、照らされた艦は受像器にその姿をはっきりと映し出した。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は発見艦影を戦艦〈氷室《リシュリュー》微〉と断定した。赤外線受像器には特徴的な主砲配置が映っている。キルシェバウムは僚艦〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉と統制魚雷戦を行うことにした。O級巡洋戦艦は第2煙突の前に左右合わせて6本の固定式533ミリ魚雷発射管を持つ。敵がまだこちらに気づいていないのならば、その時間を最大限用いるべきなのだ。
 午後11時47分。照準距離3700メートルで〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は右舷の水上魚雷発射管から3本の魚雷を発射した。続いて〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉も魚雷を放つ。魚雷は白い気泡をあげつつ疾走し、〈氷室《リシュリュー》微〉の艦腹を抉った。
 2本の水柱が上がるやいなや、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は砲門を開いた。とうに照準済みである。
「チェスト――――――――――!」
 キルシェバウムは主砲射撃指揮所につながる高声電話の送受話器をつかみ、裂帛の気合いを込めて砲撃開始を命じた(注7)。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の47口径38センチ主砲6門は直ちに火を吐いた。重量800キロの主砲弾が敵艦へ向けて突進する。敵艦をかすめるような高度で海面へ着弾。僅かに高い。
「全て遠。主砲、下げ二つ!」
 砲術長ヘンリヒ・マイヤーは俯角をさらに強めての砲撃を命じた。そして〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の砲撃準備が完成し射撃管制盤の引き金が引かれるより早く、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の初弾が〈氷室《リシュリュー》微〉に命中した。
「さっすが、大天才」
 キルシェバウムは親友の砲撃の手腕を褒め称えた。砲術科で最優秀の成績を持つライヒャーシュロスは、砲術のみならず航海、水雷とありとあらゆる科目で優れた成績をあげている。それでいて傲り高ぶらず、さらなる研鑽を惜しまないのである。これを大天才と言わずして何と言おう。
「ヘンリヒ、こちらも負けるな!」
「ヤー!」
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は轟然と第2斉射を放った。今度は艦腹に命中。フランス戦艦の分厚い装甲を貫いて遅動信管付き砲弾が炸裂した。
 〈氷室《リシュリュー》微〉はたちまち2隻の巡洋戦艦に射すくめられて大浸水を起こし傾斜していった。ブロウ提督の留守を預かるサカーズ艦長はウォーター・スライダーのような事態の急展開についていけずに目を回していた。
 後続の艦艇も次々に火蓋を切った。〈柴崎《ルクレツィア・ロマーニ》彩音〉は、〈ヴァムパイア〉で左10度と右5度の遠距離に反転する駆逐艦と巡洋艦各1隻を認めた。この頃には枢軸軍も敵襲に気づき、あわてふためいて動き出していた。
 〈柴崎《ルクレツィア・ロマーニ》彩音〉は妖艶な笑みを浮かべつつ、かわいらしい獲物に砲撃を開始する。〈鳥海《フィレンツェ》千紗都〉も「姉様」の指示する方向にむかって魚雷を片舷3射線で放った。「姉妹」合わせての砲雷撃は凄まじいものとなった。魚雷は1本が自由フランス軍駆逐艦〈エーグル〉に命中した。駆逐艦を始末した後は重巡に15センチ砲弾を大量に浴びせかけ、豪州軍〈ケント〉級重巡〈キャンベラ〉に大炎上を起こさせた。
 戦隊最後尾に位置する〈進藤《ド・グラース》むつき〉、〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉も次々に魚雷を発射、さらに砲撃を加えていった。しかし炎上しながらも動いている〈氷室《リシュリュー》微〉との衝突を避けるべく〈進藤《ド・グラース》むつき〉が左に転舵したことから、この2隻は前を行く〈鳥海《フィレンツェ》千紗都〉を見失ってしまい、単独で進撃せざるを得なくなっていた。
 奇襲は完璧に決まり、ハイエ戦隊は一方的に敵を蹴散らした。しかも敵弾は一発も被っていない。わずか6分間の出来事だった。このまま南下すればフォール・ド・フランス湾に停泊する輸送船団を叩く事が出来る。彼らを護衛するのは〈雛山〉級海防艦に、回転翼機母艦となった〈千歳〉に〈小端《千代田》愛〉である。剥き身も同然だった。しかしハイエは、マルティニーク水道を通っての脱出を命じた。

 突入直後、海軍総司令部より発せられた緊急電が入電していたのである。それによれば空母〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉が近海で活動中とのことだった。哨戒任務のUボートが空母を発見していたのだ(注8)。
 キルシェバウム艦長は泊地への突入をハイエに進言した。ここまで来たならば突入すべきである。船団を蹂躙し退避する時間は十分にある。夜が明ける前に30ノット全速で北方へ突破すれば良いだけなのだ。
 ハイエはうなずかなかった。ここまで僥倖の連続だった。航空機の援護のない丸裸の混成戦隊が単縦陣で敵陣に飛び込むということ自体が無謀極まりない。偵察機に発見されていたにもかかわらず敵はおざなりの警戒で済ましていた。さらに一弾すらも当たっていない。あまりにもツキ過ぎている。であれば、幸運の尽きる前に敵空母の攻撃圏内から戦隊を無事に脱出させることが何より大事なのだった。この無謀な作戦で同盟国の艦艇を空襲で失うわけにはいかないのだ。
 さらに補給船団の進出が遅れていることが分かった。全速での長時間の退避などしようものなら燃料切れをおこす艦が出てくることは必定だった。
 ならば〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉から供給してやれば良い、とキルシェバウムは食い下がった。それこそ訓練もしていないのに手早く洋上給油ができるとは思えない、手間取っている内に空襲を受けかねないとハイエに言われてはうなずかざるを得なかった。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は左舷への回頭を続け、北東のマルティニーク水道へと向かった。そこでは〈大庭《白根》詠美〉が状況不明なことに困惑しながらも警戒を続けていた。
 第2夜戦が始まろうとしている。

 〈大庭《白根》詠美〉と彼女の「したぼく」の群からなる東方部隊は戸惑っていた。東方部隊はマルティニーク・ドミニカ間の水道の、ドミニカ寄りの海域にいた。
 いきなり砲雷撃の音が南西から響き、照明弾が雨あられと打ち上げられている。敵襲との無線も発せられたが、同時に味方撃ちを告げる無線も入っている。旗艦に問い合わせても返答はない。戦隊指揮官を兼任する〈大庭《白根》詠美〉艦長は決断した。北太平洋の経験に照らし、おそらく敵襲があったものと見なして合戦準備を命じたのである。
 しかし僅かに遅かった。その時にはすでにハイエ戦隊が目前に迫っていた。マルティニーク島にレーダー電波が遮られており、〈大庭《白根》詠美〉は敵部隊の接近に気づいていなかったのである。

 島陰から飛び出したハイエ戦隊(後続するのは3隻)の先頭を驀進する〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は、前方に敵部隊がいることを逆探で感知していた。彼我の距離はおよそ150ヘクトメートル(15000)にまで縮まった。
 主導権を握るためハイエはキルシェバウムに探照灯照射を命じた。強力な光で猫目をくらまそうというのである。果たせるかな、夜戦に馴れている筈の〈大庭《白根》詠美〉は夜間見張り員の目を潰されてしまい、まったくの無防備になってしまった。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の主砲が左舷へ向けて火を噴くや、後続の艦艇も火蓋を切った。前動艦を見失っていた〈進藤《ド・グラース》むつき〉と〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉も偶然に東方部隊を挟む位置にあり、主隊が探照灯照射に続いて砲雷撃を始めると直ちに戦闘に加入した。〈進藤《ド・グラース》むつき〉はやかましいほどの騒がしさで、〈佐々井《マルセイエーズ》朝奈〉は料理店で皿を割るかのような勢いで撃ちまくる。ハイエ戦隊の各艦はレーダーに回路を接続し、その射撃は精密さを増していった。
 南北から十字砲火を浴びた東方部隊は大混乱に陥った。それでも〈大庭《白根》詠美〉は果敢に反撃する。その砲撃は偶然にも2番艦の〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉のA砲塔前楯に命中した。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉が敵弾を受けたことにキルシェバウムは怒髪天を衝いた。
「アイ!怪我はないか!」
「ええ、敵弾は弾かれました。おかげさまで大丈夫ですよ、レニ」アイゼンバルト・フォン・ライヒャーシュロスの笑みを含んだような声が無線電話で返ってくる。
「ああっ、〈ビューロー〉に傷が付いたじゃないか!ヘンリヒ!害虫を叩きつぶせ!」
「ヤヴォール。害虫ごと壁を叩くと手を痛めますよ、艦長?」猫の毛アレルギーで猫嫌いのマイヤー砲術長がとぼけた口調で軽口を叩いた。
「ふん、痛がるのは日本人だ、構うものか。いいから、とっとと打て」
「ヤー」
 気の抜けた返答と同時に主砲が発射される。距離6000の水平弾道で放たれた主砲弾は〈大庭《白根》詠美〉の1番砲塔の台座に命中し、バーベットを歪めて砲塔を動けなくしたばかりか砲身も爆発でへし折ってのけた。まるで痴漢をはたらいた相手に蹴られたように〈大庭《白根》詠美〉はよたついた。
「通信長、敵艦に危ないから避けるよう、通報してください」
 ライヒャーシュロス艦長は誰に対しても丁寧な言葉遣いで接する。やんちゃなキルシェバウムとは正反対ながら、二人は気が合うのだった。育ちの良い彼は人間の行うあらゆる事象について物怖じすることが無い。彼の怖れることは、友人を悲しませる事態がありはすまいかということだけだった。
「………よろしいのですか」艦長よりも年長の通信長は首を傾げる。戦闘中に、敵に逃げろと言うとは彼の常識の範疇を超えすぎていた。
「ええ、レニはとても怒っています。彼が怒ったら、それはもう大変なんです」ライヒャーシュロスは、大変という言葉を強調したが、彼のおっとりした口調ではどれほど大変なのか、今ひとつ分からない。
「かしこまりました」
「お願いします。…でも、遅かったみたいですね」
 その頃には〈大庭《白根》詠美〉〈桜塚《シュリーフェン》恋〉にぶちのめされ蹴り倒されていた。彼女は大火災を起こし、舷側や構造物は穴だらけとなっているのだった。

 〈大庭《白根》詠美〉以外にも重巡〈ヴィンセンス〉が、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉隊の左舷雷撃による魚雷3本と〈進藤《ド・グラース》むつき〉隊の魚雷1本が命中し、弾火薬庫に火が回り爆沈した。〈初春〉級駆逐艦の〈有明〉、〈夕暮〉は被弾多数ながらも何とか逃走に成功している。
 こうしてハイエ戦隊はのたうち回る敵の艦列を通り過ぎた。午前零時23分、ハイエ提督は「全軍引け」続いて「戦隊、30ノットとなせ」を下令し、戦場から急速離脱していった。
 ここに欧州連合軍は第1次ウィンドワード海戦に完勝を納めた。この勝利をゲッベルスは大々的に報じ、欧州では沸きに沸いた(注9)。しかし、船団撃滅をしなかったことはマルティニークを巡る戦闘に巨大な禍根を残した。枢軸軍が占拠したラマンタン空港は航空基地として稼働を開始し、東カリブ海の制空権は枢軸軍の手に落ちたのだ。
 マイアミに帰還したハイエ戦隊は、大量の勲章と褒詞を抱えたヒトラーの使者とゲッベルスの派遣した報道官の群に迎えられてもみくちゃにされている。ハイエには剣柏葉付き騎士十字章が、キルシェバウムとライヒャーシュロスには柏葉付き騎士十字章が贈られた。参加艦艇の艦長達にもヒトラーの褒詞付きで騎士十字章が授与されている。ドイツ海軍も「マルティニーク従軍シールド章」を制定して乗組員らを表彰した。欧州連合の前途は輝きに満ちているかに思われたのだった。しかし、それは地獄のような戦いの始まりに過ぎなかったのである。

 沈没、重巡〈キャンベラ〉、〈ヴィンセンス〉、駆逐艦〈バークレー〉。大破、戦艦〈氷室《リシュリュー》微〉、装甲巡〈大庭《白根》詠美〉。中破、駆逐艦〈有明〉、〈夕暮〉。
 完敗を喫した枢軸軍、中でも水雷夜襲戦に絶対の自信を抱いていた日本海軍は自信を根こそぎ崩された。期待をかけていた「女帝」は「張り子の虎」に成り下がってしまったのだ。復仇をなすべく、日本海軍は敵艦に探知されても安全なレーダーの使用方法の開発(早期警戒機など)や艦対艦誘導弾の開発などの努力を傾けることになる。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の活躍は日本海軍に一際強い印象を与えた。良くも悪くも大評判となり、本来のメインヒロインでないにも関わらず、そう見なされるほどの絶大な人気を博したのである。為に彼女らは攻略を図る日本軍に執拗に狙われ、そのナンパ攻勢やストーカー的行動に悩まされることになる。
 今や〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は戦艦群の「妹」どころか、攻略最優先指定を受けてしまったのだった(注10)。


注4:「ところで、ヒマかな?ヒマだね?いかにもヒマそうにしているし、絶対ヒマに決まっているね」といって艦艇をかき集めた、との風聞である。
注5:二人はキンダーガルテンで出会って以来の親友で、互いの家を行ったり来たりしたり泊まったりするほど仲が良かった。そのために同性愛者の噂が立ってしまい、ゲシュタポの調査が入ったりもしたのだが事実無根であった。男爵フォン・ライヒャーシュロス家はヘッセンの名家で、玩具の製造販売を中心に財閥を形成している。
注6:イスパニョーラ島東方モナ水道に補給用の会合海域「鶏の尾」を設ける端緒になった。なお、ハイエはフランス・イタリアの艦艇を指揮する際には英語を用いている。
注7:日本で生まれ、3才で父を亡くすまで海辺の街、神戸にいたキルシェバウムは、ドイツ海軍内では知る人ぞ知る日本海軍のファンで、親友ライヒャーシュロスから誕生日にプレゼントされたウミスズメダイ2匹に「ヤマト」と「ムサシ」と名付けるほどだった。
注8:〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉は退避中だったのだが、彼女を発見したUボートは(対潜運動で)東に走っているところを目撃し、その後護衛部隊に爆雷を放り込まれたために〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉の行方を確認できていなかった。
注9:この海戦の映画が欧州各地で公開されたが、その原本となったのはライヒャーシュロスが自費で編成していた撮影隊によるものだった。彼は〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の活動風景の撮影記録を収集する趣味を持っていたのである。そのため〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の写真や動画が多く残存しているのに対し、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は残されている画像記録が極めて少ない。
注10:この恩恵もしくは災厄を受けたのがM級軽巡である。〈佐久間《マインツ》晴姫〉をタイプ・シップとするドイツの新型軽巡は〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に艦容が酷似しており、M級が姿を見せると、枢軸軍は〈桜塚《シュリーフェン》恋〉が現れたと思いこんで逃げるか、または遮二無二の突撃にかかったのである。そのために一層、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉が暴れ回っているという印象を日本に与えた。


迅雷の如くに〜グアンタナモ強襲〜


 カリブ海戦の緒戦に勝利を得た欧州連合だったが、その後は芳しいものでは無かった。マルティニーク島周辺海域の制空権を得られず、輸送船団の物資揚陸に難渋することになった。ためにマルティニーク奪回を目指すドイツ・フランス連合軍は補給の少なさに苦しみ、敗北を喫することになる。
 さらにニューヨークからカリブへと続く連絡線を枢軸軍の潜水艦に断たれ、補給海域「鶏の尾」(イタリアは「屋台」と呼んだ)や各海域で輸送船の喪失が相次いだ(注11)。欧州は軍をささえる血液を失っていったのである。
 そういう状況下でも〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は活躍を続けた。戦艦が威信喪失を恐れるヒトラーの「政治的判断」によって出撃許可が出ない中、「大巡洋艦」に分類されるO級は言い逃れが効くことから次々と作戦に投入されたのである。

 1950年10月。幾多の海戦の末に、欧州連合はカリブ海を喪失しつつあった。北米大陸でも枢軸軍が攻勢に転移してドイツ軍は後退に次ぐ後退に陥っていた。ドイツ北米艦隊も旗艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を艦隊司令長官ハイエ中将ごとニューヨーク沖海戦で失い、水上打撃戦力は巨大なダメージを受けた。
 後任となったオスカー・クメッツ大将は士気を盛り上げるべく、レイキャビク船団への襲撃作戦を立案させた。さらにハリケーンの発生が予報されたので、それをも活用して泊地砲撃も行うことになった。主力は〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉にフランス機動部隊である。
 同時にロンドン民政府管区への艦艇派遣がベルリンより要求された。大西洋の制海権をドイツが失った、という枢軸軍の宣伝により大規模な騒擾が起きる予兆があるというのである。それを抑えるため、「事実」を突きつけるべきというのがヒトラーの判断だった。北米艦隊の艦艇が英本土に姿を現せば、英国人の目も醒めるだろう。
 かくして「オクトバーフェスト」作戦は三つの作戦が二段階に分けて実施されることになった。第1段階の船団襲撃が「シュールフェスト」、その後のグアンタナモ泊地攻撃が「シュトゥルム」、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の英本土派遣が「ヴィオリン」となる。指揮官にはフランス艦隊との調整が必要になったため、フォン・ネーベル航空艦隊司令長官の下で不遇を囲っていた首席参謀ノルトマン大佐があてられた。旗艦は〈君影《シャンプレン》百合奈〉である。
 北大西洋を舞台に、「祭り」の幕が開こうとしていた。

 10月16日午前。臨時編成ノルトマン戦闘グループは枢軸軍の「学園祭」A船団を襲った。まず〈君影《シャンプレン》百合奈〉がダッソー・ウーラガン戦闘機を放って制空権を奪い、そこに〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉が突入する。経験則から船団を中規模の船団二つに割り、最初に行くA船団に強力な護衛をつけないという、枢軸軍の護衛作戦が裏目に出たのである。
「いやー、こんなにご馳走になっちゃって悪いねえー」キルシェバウムは上機嫌だった。目の前に広がる輸送船の群。まさに通商破壊の醍醐味である。
「さあ、遠慮なく食いまくるか!」
 部下達のヤー!という声とは別に、指揮官ノルトマン大佐が隊内電話で注意してきた。
「いい加減にしとかないとブクブク太るぞ」
「はっはっはっは。本艦の黄金のプロポーションは簡単には崩れないって」
「どこが黄金なんだか……ほら、日本軍の護衛艦が寄ってきているぞ」
「ふふん、はっきり言って本艦はモテるからね。うざったいけど、こっちは大丈夫。それより〈ビューロー〉の虫除けはまかせた」
「はいはい」
「先に言っておくけれど、〈ビューロー〉に傷を付けさせたりしたら殺す」
「…わかってるって」
「それではエスコートをお願いいたします。ノルトマン大佐」ライヒャーシュロス艦長も隊内電話に割り込んできた。年齢の近い彼らはそれなりに仲が良いのである。
「了解いたしました」
 ノルトマンはウーラガン隊に護衛駆逐艦を攻撃するよう指示を出した。ウーラガンの銃撃やロケット弾攻撃を喰らい、O級巡洋戦艦に群がろうとしたナンパ男(護衛駆逐艦)どもは散り散りになっている。そして〈桜塚《シュリーフェン》恋〉はあれこれと騒ぎながら砲撃、雷撃を加えて輸送船を沈め、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は冷静に一つずつ確実に沈めていった。「学園祭」A船団は逃走に成功した2隻を除いて壊滅したのである。
 「オクトバーフェスト」作戦の第1段階は大成功に終わったのだった

 輸送船団を食いまくって満腹になった後は、作戦の第2段階である。
 10月16日夜。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は単艦で英本土へ、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈君影《シャンプレン》百合奈〉に、ダカールから出撃してきた〈篠宮《アルザス》悠〉を加えてグアンタナモ泊地へ向かう。
 戦闘グループより分離した〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は大役に心細そうであったが、ノルトマンの励ましで気を取り直して英本土へ向かった(注12)。
 10月17日早朝、「シュトゥルム」作戦実行部隊はキューバへ向けて南下したのだが、〈君影《シャンプレン》百合奈〉が機関故障を起こしてしまい、彼女は〈篠宮《アルザス》悠〉に付き添われてノーフォークへ戻っていってしまったのである。本来ならば作戦中止もやむなしというべきなのだが、キューバ南方でのハリケーンの発生が報じられている。大西洋の気象も荒れてきており、グアンタナモからの哨戒機も姿を見せていない。
 ならばというわけで、移乗したノルトマンと共に〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は大波に荒れるウィンドワード水道に乗り入れた。午後8時である。波浪は荒れ狂い、鋭いアトランティック・バウで切り裂いても波は艦首を越えて艦橋にぶつかり砕けた。灯火管制を布いている航海艦橋の窓ガラスは破られそうになって震えている。それでも猛烈な風雨のさなかを〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は目的地へ向けて全速でひた走った。
 午後10時少し前。激しい雨にうたれながらも〈桜塚《シュリーフェン》恋〉はグアンタナモ湾の入り口に達した。湾口は狭く、湾はキューバ島に20キロ以上も深く切れ込んでいる。船団の動揺を避ける為なのか、嵐の中では空襲も無いと考えたのか、煌々と灯りを点けているのが遠目にも見えた。しかも哨戒艇すらも湾内に引き上げている。
 まさに千載一遇の機会だった。キルシェバウム艦長は戦闘グループ指揮官ノルトマン大佐を見やった。彼はうなずいた。
「戦闘準備!ラダール・ゲレートを作動させよ!」レーダーの測定値は直ちに火器管制部へ伝達された。
「手前より叩く。斉射毎に10ヘクトメートルずつ延伸させよ」
「目標45度。アントン及びブルーノ、榴散弾装填!」マイヤー砲術長が砲術将校に命令を下す。
「アントン、ブルーノ砲塔砲戦準備よし」
「打ち方始め!」キルシェバウムは砲戦の開始を命じた。
「ヤー!アントン及びブルーノ、斉射!」マイヤーが照準手へつながるマイクに叫んだ。
 午後10時08分、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の前部主砲塔2基が轟然と砲弾を放った。湾内水面に着弾。水柱が上がる。そして斉射の度に着弾位置は湾奥へ延びていき、第4斉射で弾薬輸送船に命中して凄まじい爆発が起きた。ようやく枢軸軍は砲撃されていることに気づいて動き出した。しかし主砲6門全てを用いての〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の砲撃の前にただ混乱するばかりだったのである。
 湾口の要塞砲群が〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に向かって砲撃を加えたが、激浪に上下する目標を捉えられず、むなしくウィンドワード水道の海面に飛沫を上げるばかりだった。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は15センチ副砲で要塞砲群に反撃を加え、なおも航過を繰り返して砲撃を続行した。
 10月18日午前0時20分、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は最後の砲撃を終え、ウィンドワード水道を来たときとは逆に東へ向けて脱出していった。じつに主砲弾薬庫が空になるほどに打ちまくったのである。ハリケーンの荒れ狂う中を航行しなければならないが、そんなことは気にもならないほど艦内の士気は高まっていた。「海軍に不可能なし」というドイツ海軍のモットーの体現そのものであった。

 一夜明けたグアンタナモでは、被害甚大なことに呻いていた。湾内にいた輸送船団はあらかた損傷を被っている。油槽船から漏れた重油に弾薬輸送船の爆発による火がついており、延焼を食い止めるのに精一杯でもある。中にはまるで焼き魚のように焼け焦げている駆逐艦すらもあった。
 陸側にも被害が相次いでいた。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は砲撃が陸地に達したとみるや、徹甲榴弾を片っ端から撃ち込んでいたのである。ために滑走路の25%が破壊されてしまっていた。グアンタナモの基地機能は、ただ一艦によって大きく損なわれたのである。
 唯一の救いは、「学園祭」B船団の三分の一が120キロ西方のサンティアゴ・デ・キューバ湾にいたことだった。大西洋艦隊司令長官草鹿大将は、ただちにB船団の残りを十分な護衛を付けて送り出すことにし、さらに襲撃艦の捕捉撃滅を命じた。
 しかしハリケーンを隠れ蓑に北上する〈桜塚《シュリーフェン》恋〉を見つけることは、遂に出来なかったのである。

 「オクトバーフェスト」作戦を成す三つの作戦全てが成功裏に終わることが出来た。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉もまたリバプールで起きた騒擾に対して、その姿を見せることで圧力をかけ、鎮圧の一助を成した。さらにアイゼンバルト・フォン・ライヒャーシュロス艦長がロンドンでの弦楽演奏会でヴァイオリンの独奏を披露するに至り、ドイツの制海権喪失という噂は打ち消されてしまったのである(注13)。
 これらの作戦成果についてはゲッベルスが世界中に報道し、ために日本軍の一層の切歯扼腕を誘った。
「チヤホヤされて、精々いい気になってるがいいさ。ブスが!」
 負け犬の遠吠えのように叫ぶしかなかったのが、当時の日本軍の実状だったのである。


注11:スペイン領プエルト・リコを補給用の根拠地とすべくドイツは外交努力を傾けたが、スペインの総統フランコは言を左右にし、ついに言質をリッペントロップ外相に与えなかった。またドイツも事後通告でハバナに上陸したこともあり、これ以上のスペイン領西インド諸島占拠は親独中立のスペインを枢軸側に押しやるだけとの「政治的判断」で強く出られなかった。
注12:ライヒャーシュロス艦長は総統ヒトラーによる騒擾鎮圧の大任に、期待に応えられなかったらどうすればよいのか、と懊悩していた。それに対してノルトマンは、自分とオットー・レニの二人しかいないと思えばいいよ、と励ましている。
注13:弦楽演奏会には、英本土に残ったブルーム伯爵ウィリアム・ベリンジャーなどの英国貴族ばかりでなく、ロンドン民政府首脳、果てはドイツ本土からナチ党上層部までが集まっていた。想像していたよりも大規模になった演奏会にライヒャーシュロスは震えたものの、ノルトマンの忠告を思い出して見事に演奏を乗り切った。


心の赴くままに〜北の暴風〜


 「オクトバーフェスト」作戦をおこなってもドイツ北米艦隊の現況は好転しなかった。枢軸軍が直ちに反撃を開始し、北米艦隊を封じ込めるべくバミューダ島の攻略にかかったのである。
 1950年11月30日、北米艦隊は〈高井《エーリヒ・レーヴェンハルト》さやか〉を始めとする機動部隊を繰り出したが決戦に破れ、大西洋の制海権を完全に喪失した(注14)。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉も前衛部隊としてフランス戦隊を護衛したものの、本隊が敵潜水艦の襲撃で大被害をうけたのでは引き下がらざるを得なかったのである。
 そして枢軸軍第1機動艦隊が放った攻撃隊により〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は損傷を被り、本国へ改装を受けるために帰還することになった。その本国では、〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉と共に新編の第1航空艦隊への編入が決められた。第1航空艦隊の司令長官は、ゲオルク・ジークフリート・ノルトマン少将である。
 その頃、オットー・レニ・キルシェバウム艦長の母が再婚している(注15)。彼女はレニ・リーフェンシュタールの秘書兼助手を永く勤めた女性であり、かなり気が強い性格で、富裕階級が入るキンダーガルテンに息子を放り込むような人物だった。そのお陰でアイゼンバルトと親友になれたのだが。
 彼女の再婚相手はゲッチンゲン大学の地理学者で、第1航空艦隊ノルトマン少将の父親である。突然の出来事にノルトマンとキルシェバウムは共に唖然とし、とはいえ、ぎくしゃくしながらも何とか兄弟らしくなりつつあった。

 本国での改装工事(ナックト・ブラウ改装)は対空防御力の向上を目的としたものだった。固定式水上魚雷発射管と艦載機カタパルトは撤去されて、その跡には長射程艦対空誘導弾〈グレイブ〉が誘導装置ごと設置された。高角砲や機銃も増強されて、15センチ副砲を両用砲化しただけでなく、10.5ンチ高角砲を連装8基、37ミリ連装機関砲を20基、20ミリ連装機関砲が32基と針鼠のようになった。
 改装後は第1航空艦隊の訓練において洋上襲撃の標的となったりするなど、忙しい日々を送っている。航空艦隊を率いるノルトマンにしてみれば、「苦労のかけ通し」な日々だった。航空艦隊の「特待生」として訓練計画の策定や作戦を主導した経験を持っていても、実際の指揮官ともなればまた別である。はっきり言えば、補佐してくれるキルシェバウムらに苦労を掛けるばかりだったのである。
 しかし〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は嫌な顔一つ見せずに訓練に精励している。あれこれ言われることの多かった北米艦隊に比べ、第1航空艦隊は年代が同じくらいであり、すこぶるやりがいがあったのだ。
 そして航空艦隊は少しずつ形を成していき、秋にはある程度の作戦を実行できるまでに錬度を上げることができた。もっとも、それも「タイフーン」作戦に航空隊を引き抜かれて、一からのやり直しになってしまったのだが。

 1952年初頭、「北の暴風」作戦の骨子がまとまったとき、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉に高海艦隊へのスカウト話が持ち上がった。レイキャビク泊地へ突入しなければならない高海艦隊としては、少しでも多くの水上砲戦力を必要としていたのである。
 高海艦隊の意向を、デーニッツ海軍総司令を通じて伝えられたノルトマンが移籍について持ちかけたとき、キルシェバウムはすぐさま断った。自分にはそんな積もりは無い、と。
 ノルトマンとしては、囮部隊の一員としてすり潰されるよりも戦艦として戦った方が良いのではないか、と考えていただけに相当に驚かされ、問いたださずに入られなかった。
「私は私の意志で決めたんです。確かにレイキャビク泊地への突入に興味が無いわけじゃないけれど」キルシェバウムは義兄を見ながら、すこし言葉を切った。
「泊地突入なんて、運が良ければどんな艦艇にだって出来るんです。私は〈シュリーフェン〉にしか出来ないことに興味があります」
 そういうものがあるのか、とノルトマンは首を傾げた。
「あります。世界中で〈シュリーフェン〉と〈ビューロー〉にしかできないことが。それも艦の運命を掛けるに値するものが」
「何かな?」ノルトマンは本気で頭をひねっていた。
「鈍感ですねえ………第1航空艦隊の護衛艦としての任務じゃないですか」本気で呆れている。
「ええっ?」
「とにかく、私はそう決めたんです。アイはどうかな?」
「ええ、わたくしもレニと同じですよ。少将閣下」
「………なんというか、その、ありがとう」
 言葉に詰まったノルトマンは、それ以上何も言えなかったのである。

 1952年1月18日夕刻。フランス機動部隊も含めた作戦打ち合わせの際、フランス第31戦隊のド・ラフォンド少将が「ひとつ、壮烈にやりますか」と言った後、キルシェバウムが「我が心の赴くままに」と続けた。 フランス人指揮官は不敵な面構えを崩さず、しかし目は軽く笑みを含んで、大きくうなずいた。

                                       ◆

 1月26日昼。打ちのめされたノルトマン艦隊の残存艦艇は、トロンヘイムによろばいながら辿り着いた。リガを発した時の威風堂々たる大機動部隊の面影は、もはや無い。
 旗艦を〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に移し、他には〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉〈三好《ダンケルク》育〉、軽巡〈ザールブリュッケン〉、〈東雲《ギッシャン》深月〉、駆逐艦〈Z78〉、〈Z80〉、〈Z81〉、〈前田《ル・テリブル》健一〉、〈セリシア〉、〈コスモス〉だけだった。いずれの艦も兵員を鈴なりに詰め込んでいる。トロムセ沖より南下する際には〈シュテッチン〉と〈Z76〉もいたのだが、〈シュテッチン〉は合衆国潜〈ジャラオ〉の雷撃を受け、〈Z76〉は枢軸軍第24任務群の重巡と交戦して沈んでいた。他には駆逐艦〈ナイアド〉がノールラン地方ベーガ島の海岸に乗り上げて沈没を免れている。
 トロンヘイム港内に入った時、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は力尽きて着底した。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉も同じく、港内通交の邪魔にならない箇所にまで移動して着底している。彼女らはノルウェー沖海戦において激しく対空砲火を打ち上げ、魚雷回避に意を尽くしたが、完全に避けきることは出来なかったのである。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉は艦底付近で魚雷2発が爆発して水圧で竜骨が折れかけていた。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は1発目が艦体と艦尾の接合部付近に命中し、その時は内部装甲を破られることはなかったものの、運悪く2発目が同一の箇所に命中して、左舷より艦尾全体に海水の侵入を許してしまっていたのである。
 そして、安寧の時は与えられなかった。1月27日、ようやく晴天になりつつあったとき、アイスランドより〈富嶽〉偵察機改造型が飛来したのである。
 空襲の危険を見て取ったノルトマンは艦艇の固有乗員以外の者は鉄道でオスロに向かうよう指示を下した。鉄道輸送については、ノルウェー方面海軍司令部(日本海軍の鎮守府に相当する)のクランケ大将に掛け合って手配を依頼している。そして自らは軽巡〈ザールブリュッケン〉に司令部を移し、残存艦艇を率いてオスロ回航の指揮をとった。行動不能となった〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は放棄するしかなかったのである。
 けれどもキルシェバウムとライヒャーシュロスは艦を放棄しなかった。彼らに選択肢は無い。自分達は艦長なのだから。もはや1メートルも動くことが出来ないとは言え、まだ戦うことは出来る。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は最後の戦闘準備を整え、枢軸軍を待ち受けた。

 アイスランドの枢軸軍ではトロンヘイム偵察の結果に欣喜雀躍していた。散々手こずらされた巡洋戦艦2隻が港内に着底している。この機会を逃してなるものか。小生意気な娘どもを手込めにしてくれよう。思いがけない獲物に舌なめずりせんばかりにして、1万2千ポンド(5.4トン)対艦徹甲爆弾2発ずつを積み込んだ〈富嶽改〉の集団がノルウェー海を押し渡った。
 1月28日午後12時30分。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は生涯最後の戦闘を開始した。共に主砲を除けば、高角砲が3基に2基、機関砲が9基と10基ばかりという淋しい有様であった。しかし闘志は衰えていない。
「日本人は人間のクズだ!」
「ダメ(劣等)人種め!」
「ファーター、ムッター、ごめんなさい!」
 仰角47度でC(カエサル)砲塔より対空榴散弾を放ったのを皮切りに、ありとあらゆる罵詈雑言と共に兵士達は激しく砲火を打ち上げる。そして〈桜塚《シュリーフェン》恋〉の高角砲が梯団の先頭機を撃墜してのけた。
 しかし、彼女達の抵抗はそこまでだった。わずか数機の戦闘機の迎撃をはねのけて爆撃点についた〈富嶽改〉は対艦徹甲爆弾を次々に落としていった。港内海底への着弾の衝撃は〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉を大きく揺すぶり、そして直撃が発生した。
 〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に、A砲塔前の甲板を破って1発が、艦尾に2発が命中し、露天艦橋で防空戦の指揮をとっていたキルシェバウムは衝撃で海へ放り出された。〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は艦首に1発、第1煙突に1発、C砲塔天蓋に1発、左舷艦尾に1発と満遍なく命中した。一気に艦は横転し、露天艦橋にいたライヒャーシュロスを海へ振り落とした。
 ここに、本来のヒロインたる戦艦達をも凌駕した「妹」達は、波瀾万丈の生涯を閉じたのである。

 両艦の艦長達は生還した。ノルウェー方面海軍司令部の出した救助艇にすくい上げられ、治療の後オスロへと送られて、1月30日にノルトマンと再会を果たしている。
 その後の彼ら、ノルトマンとキルシェバウムはドイツ海軍の再建に意を尽くし、キルシェバウムは義兄の女房役として活躍した。そして二人共に要職を歴任した後、1960年代後半にノルトマンが海軍総司令となった。空軍参謀総長となったシェーンハイトとの友誼も続いており、海軍と空軍の確執もそれなりに融けている。71年に空海軍共同演習「オゼアン71」をおこない、長射程対艦誘導弾による飽和攻撃で敵機動部隊撃破の判定を得た。「オゼアン」演習の結果に日本海軍の首脳は震え上がり、誘導弾の飽和攻撃への対抗策を考え出す必要に迫られた。ドイツ海軍の牙は失われていないのだ。
 72年にはノルトマンの心臓発作に伴う引退を受けて、高海艦隊司令長官だったキルシェバウムが82年まで海軍総司令の座についた(注16)。二人の最終階級は元帥である。
 アイゼンバルト・フォン・ライヒャーシュロスは1958年にドイツ海軍を中将で退役した。同期の出世頭とはいえ、キルシェバウムと席次を争うのは本意ではないからだ。「また、かばうようなことをして」とキルシェバウムはお冠であったものの、親友の新たな人生に惜しみなく賛辞を贈っている。 実家の事業を手伝った後、1961年にフランクフルト・アム・マインでハーゲン・ダック社を起こした。その高級アイスクリームは本格的な味わいで大評判となり、欧州全土や北米東部に事業を拡大して、84年には日本にまで支社を作っている。
 そしてアイゼンバルトは、30歳以上の年齢差があるとはいえ、53年に生まれたキルシェバウムの長女エリーゼと71年に結婚し、仲むつまじく暮らしている。キルシェバウムとライヒャーシュロスは「本当の家族」になったのだ。


注14:フォン・ネーベル司令長官は大遠距離先制攻撃(アウトレンジ戦法)を主張したが、首席参謀ノルトマンはパイロットの錬度不足を基に反駁している。しかしアウトレンジ戦法は中部大西洋海戦でノルトマンが実施させたものであり、前提条件が違うというノルトマンの反論は通らなかった。
注15:キルシェバウムの母はガラパゴス諸島から電話をかけてきていた(中立国の船舶で行った)。ノルトマン博士の地理調査に付き合ってのことである。その後すぐにチベットへ入国している。
注16:海軍総司令としてのノルトマンは総統ハイドリヒ相手の(苦手とする)政治的折衝に心臓を痛めたらしい。海軍を引退した彼は故郷ゲッチンゲンに帰り、趣味の絵を描いて余生を過ごしている。キルシェバウムは引退後にバルト海の島に移住して、波の音に耳を傾ける日々を送っている。

要目

兵装

  • 主砲 47口径38センチ砲連装3基
  • 副砲 55口径15センチ砲連装3基
  • 装甲
    • 舷側 320ミリ
    • 甲板 170ミリ
    • 砲塔 380ミリ

同級艦