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〈佐伯《Su−152》つぐみ〉

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ロシア陸軍重突撃砲〈佐伯《Su−152》つぐみ〉

元ネタ:Studio Mebius「SNOW」「友達以上 恋人未満」佐伯つぐみ

解説

 戦車開発能力の低下したロシア連邦軍が、機甲戦力の不足を補う目的で開発した大型突撃砲。シャシーに〈出雲《T−62》彼方(子供時代)〉と共通のものを使用しているが、正式化は〈佐伯《Su−152》つぐみ〉の方が早く、いわば従姉のお姉さん的存在である。
 極度に傾斜した重装甲の戦闘室に、152mmという破格の大口径カノン榴弾砲を固定装備。その破壊力は一撃で敵戦車を解体された魚のように粉砕するほどで、熟練した兵士が操る〈佐伯《Su−152》つぐみ〉は戦場におけるあらゆる敵を掃除する無敵の存在だった。
 主力戦車〈出雲《T−80》彼方〉登場まで、ロシアの対独戦線を要となって守り抜いた、女将さんとも言うべき車輌である。


開発の経緯

 第二次世界大戦に敗北し、シベリアに押し込められたロシアにとって、ウラル以西の奪回は宿願である。しかし、敗北と共に工業基盤の大半を失ったロシアにとって、それに必要な戦力を整備する事は至難の業だった。
 特に戦車はその傾向が著しく、〈若生《T−34/76》白桜〉を最後としてロシア純正戦車の開発能力は失われていた。
 そうした中で機甲戦力の主力を担ったのが、〈若生《Su−85》鳳仙〉から〈橘《Su−122》芽依子〉へと発展した突撃砲の系譜である。安価で製造の手間が要らず、上手く戦えば戦車にも対抗可能な突撃砲は、ウラルに押し込められ守勢を余儀なくされたロシアにはうってつけの兵器だった。
 しかし、いくら傑作とはいえ、〈橘《Su−122》芽依子〉は原型が生産されたのが1936年。シャシー強度や容積の面から言っても、早晩発展が頭打ちになるのは明白であり(注)、ロシア軍は新たな突撃砲を模索し始めた。
 そこへ、各軍閥が共同開発する新型戦車(〈出雲《T−62》彼方(子供時代)〉)の情報が入ると、自走砲開発チームはさっそくこれに飛びつく。戦車用の頑強なシャシーは反動の強い新型砲を載せるのに十分な強度を持つ。内部容積の少なさも、戦闘室を設けて補えばよい。
 主砲は手に入る最大の威力のものを探した結果、野砲として使用されている152mm榴弾砲を改造して使用する事にした。戦車砲は大口径化するよりも、軽量の砲弾を高初速で発射した方が威力が高くなるが、当時のロシアでは軽量砲弾に十分な威力を与える素材であるタングステンや劣化ウランの入手が難しく、また軽量砲弾が風の影響などで命中率が低下しやすい事が嫌われたのである。
 採用された152mmカノン榴弾砲は、通常の榴弾の他に、新開発の徹甲弾と粘着榴弾を使用でき、砲弾重量は平均して40kgを超える。人力装填が難しいため、新しく半自動装填機構が開発され、採用された。それでも連射は難しく、発射速度は1分間に3発前後。熟練兵でも5発が限界だった。
 しかしその威力は凄まじく、命中すれば貫通はしなくとも、衝撃だけで敵戦車内部に手酷い損害を与える事が可能だった。命中すると中の機材や装甲板が剥離して飛び散り、乗員は大損害を被る。特に粘着榴弾の威力は絶大だった。
 この砲を収める戦闘室はシャシー上に設けられ、前面は実に42度と極度に傾斜した500mm以上の均質圧延鋼板と、徹甲弾の威力を減殺するためのコンクリート・パネルを組み合わせ、実質7〜800mmに近い装甲強度を誇っていた。側面・背面は流石にそこまで強力ではないが、それでも〈《マルダー》レン〉などが装備する25〜35mm級の機関砲弾なら十分耐える。後には反応装甲が採用され、さらに防御が固められる事となった。
 そして、砲弾を確実に命中させるため、車体上部前縁には蟹眼鏡のようなV字型に飛び出した測距装置が設けられ、敵車輌との距離を精密に測る。この装置は「アホ毛」とも呼ばれ、後にレーザー測距機兼通信機に交換された。
 こうした豪華な装備を盛り込んだ結果、重量は60トン近くに達し、機動力は著しく低いものとなってしまったが、前面を向けている限りは攻撃力・防御力とも最強レベル。防衛戦に使うには最適の兵器だった。しかし、遠目には決して悪目立ちする外見ではなく、むしろ落ち着いた大人の雰囲気を漂わせていた。
 ただ、欠点ももちろんある。機動性の低さは既に述べたが、砲の大口径化に伴って砲弾搭載量も減少し、携行弾数はわずか28発。燃費も悪く、航続距離は300キロに届かない。実質的に防衛戦専門の兵器とはいえ、非常に補給の効率が悪いのは否めない事実だ。
 そのためか、弾薬補給をはじめとする戦闘支援を広く担当する〈橘《MT-LB》誠史郎〉とは非常に仲が良く、一緒にいるところがしばしば見られた。


運用実績

〈佐伯《Su−152》つぐみ〉の初陣となったのは、1965年の冬季大攻勢である。当初は〈出雲《T−62》彼方(子供時代)〉を先頭に立てて快進撃を行ったロシア軍だったが、混乱から立ち直ったドイツ軍の反撃により、ロシア軍は総崩れ。撤退……と言うより潰走するロシア軍を追って、ドイツ軍はウラル山脈に分け入った。
 これを迎撃したのが、機動力の低さから後詰の役を担っていた〈佐伯《Su−152》つぐみ〉の戦列だった。旅館の玄関で客を出迎えるように、堂々と姿を晒して待っていた〈佐伯《Su−152》つぐみ〉は「いらっしゃいませ〜」とばかりにその巨砲を唸らせ、たちまち追撃してきたドイツ軍の先鋒部隊を粉砕した。
 この常識外れの敵を相手に、ドイツ戦車も必殺の距離から砲撃を打ち込む。手練れのパンツァーリッターたちが放った砲撃は〈佐伯《Su−152》つぐみ〉を確実に捉えたが、〈佐伯《Su−152》つぐみ〉は「あら、やーん!」とばかりに余裕で砲弾を弾き返し、丁寧な照準と共に反撃する。
 砲弾を使い切った〈佐伯《Su−152》つぐみ〉が「今日の営業は終了」とばかりに引き上げを開始した時には、粉々にされた〈レオパルト〉など無数のドイツ戦車が、自ら燃える熱で作り出した雪解けの泥濘の中に、温泉の湯治客のように沈みこんでいたという。


その後

 ドイツ戦車に対抗可能な数少ない戦闘車両となった〈佐伯《Su−152》つぐみ〉は、その後内戦に投入される事も少なく、リュージン・ツィタデル戦区などの重要拠点の防衛に集中配備され、攻めて来るドイツ軍を「おもてなし」し続けた。
 そんな〈佐伯《Su−152》つぐみ〉も、90年代に入ると流石に進歩した欧州戦車相手には分が悪くなってきた事もあり、〈出雲《T−80》彼方〉に機甲戦力の主力兵器としての座を明け渡す事になる。
 だが、それは〈佐伯《Su−152》つぐみ〉の退役を意味するものではなかった。陳腐化した砲と過剰な装甲を外し、〈橘《MT-LB》誠史郎〉と共に行動する各種の支援車輌に転用されたのだ。スノーモビルを装備した強襲偵察隊の移動基地となったり、中には病院車輌になったものもあると言う。
 最高の女将から、よき母親へ――〈佐伯《Su−152》つぐみ〉のロシア陸軍に対する貢献はまだまだ続いて行くのだ。


(注)実際には技術革新によってさらに改良が進み、21世紀まで現役で生産・運用される事になるが、この当時はそう思われていた。

要目

  • 全長:9.75m
  • 全幅:3.3m
  • 全高:2.3m
  • 全備重量:58.7t
  • 乗員:5名
  • エンジン:V-55U 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル(660hp/2,000rpm)
  • 最大速度: 45km/h
  • 航続距離: 280km
  • 武装
    • 152mmカノン榴弾砲2A33-A(L45)×1
    • 12.7mm機関銃DShK×1
    • 7.62mm機関銃PKT×1