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〈広場《プリンストン》ひなた〉

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合衆国海軍航空母艦〈広場《プリンストン》ひなた〉

(元ネタ:Active「ねがぽじ〜お兄ちゃんと呼ばないでっ!!」より広場ひなた)

 合衆国海軍が〈アンティータム〉級や〈エセックス〉級空母の補助として、〈クリーヴランド〉級軽巡洋艦の艦体を利用して建造した〈インディペンデンス〉級軽空母の一隻。「合衆国海軍きっての不愛想艦」、あるいは「大食い艦」として、また合衆国海軍の名物艦〈広場《バンカーヒル》まひる〉と常に行動を共にし、彼女の「妹分」としても知られた艦でもある。

 彼女の誕生は1941年、ニューヨーク海軍工廠の一角であった。このドックは「姉」である〈広場《ヘパイストス》まひる〉が建造されたドックで、それが後に〈広場《プリンストン》ひなた〉が「妹」と呼ばれるようになるきっかけともなるのだが、この頃はごく普通の軽空母であり、 のちに「不愛想」と呼ばれる兆候は何も見せていなかった。むしろ、その積極的かつ元気な行動ぶりが話題となっていた。
 彼女の評価が一変するのは太平洋戦争中期、トラックへの輸送船団に混じって飛行機運搬任務に就いた時の事である。当時トラック−マリアナ間で展開されていた日米の洋上航空戦は激烈を極め、輸送路破壊戦の効果もあいまって、前線の航空機の損耗は護衛空母を輸送に充てるだけでは回復できないレベルに達していた。正規空母の〈ワスプ〉でさえ輸送任務に就いた事もあるほどである。
 〈広場《プリンストン》ひなた〉はこの「おつかい」任務で陸軍航空隊向けのP-38ライトニング多数を積載してトラックへ向かっていた。しかし、これを襲ったのがマリアナに展開中の日本海軍基地航空隊台南空に所属する陸攻部隊である。
 この空襲で〈広場《プリンストン》ひなた〉はP-38を満載した飛行甲板に爆弾の直撃を受けた。被害は小さな少女がグリズリーの爪で背中を引き裂かれたような破滅的なものだった。搭載機が次々に誘爆し、燃え盛る炎はこの小さな空母を焼き尽くした。必死の応急作業と、生き残った幹部乗員の決死の操艦により辛うじてトラックへの入港を果たしたものの、誰がどう見ても廃艦は免れないと思われたほどの打撃である。もし、そこに「彼女」がいなければ。
「彼女」――そう、合衆国最大の工作艦〈広場《ヘパイストス》まひる〉である。〈広場《プリンストン》ひなた〉に横付けした〈広場《ヘパイストス》まひる〉は鉄の爪のような工作機械のアームを繰り出し、〈広場《プリンストン》ひなた〉の修理を開始した。「沈没以外のどんな損傷でも修理してみせる」と呼ばれた〈広場《ヘパイストス》まひる〉の実力は伊達ではなかった。飛行甲板を引き剥がし、残骸を撤去して再び張り直すと言う大規模な工事を一ヶ月でやってのけたのである。内部の修理も並行して行われ、修理が完了した時、〈広場《プリンストン》ひなた〉は損傷前と全く変わらない姿をトラックに浮かべていた。

 しかし、〈広場《プリンストン》ひなた〉は変わった。艦の雰囲気が、である。上部構造物内の乗員の大半が焼死すると言うあまりにも凄惨な被害を受けた同艦は、以前のような明るさと元気さを失ってしまった。乗員たちは寡黙になり、修理してくれた恩人である〈広場《ヘパイストス》まひる〉にも無愛想になった。外洋から帰港した時、水道近くで訓練していて迎えに来た〈広場《ヘパイストス》まひる〉に対して、「寒いんだから、早く入れて」と無愛想な一言で応じ、〈広場《ヘパイストス》まひる〉艦長を困惑させている。
 それには修理の際に受けたある工事も原因があったかもしれない。〈広場《ヘパイストス》まひる〉は〈広場《プリンストン》ひなた〉の空調施設を修理する際に、手持ちの正規の冷媒ガスが切れていた事からバーナー用のガスで代用したのだが、この冷房は強力に過ぎ、そんなに調整しても艦内が寒くなるほどの威力を発揮した。余りに寒いので、「艦を外部から触ってもその冷たさがわかる」とまで言われたほどである。
 また、どういうわけか修理後に彼女の燃費は急に悪化。大量の燃料を必要とするようになった。機関には異常がなく、燃料制御機構も正常で、原因はいくら調べても不明だった。太平洋艦隊司令部は彼女を扱いかねてか、サービス部隊の専任防空空母に指定して行動範囲をトラック近海に限定している。彼女の評判が悪い事を気にした〈広場《ヘパイストス》まひる〉艦長が「前線で味方が苦戦している時に、安全な後方にいる事で何か言われていないか?」と心配したが、〈広場《プリンストン》ひなた〉艦長の方は「関係ない」の一言で突っぱねている。
 しかし、態度は無愛想でも行動を見ると意外に親切な面も見られた。工作艦の割には万事におおらかでアバウトな決算をしている〈広場《ヘパイストス》まひる〉を見かねてか、〈広場《プリンストン》ひなた〉の主計長がきっちりした食事のメニューを作ってやったり、補給物資の綿密な発注リストを作成してやったり、様々に便宜を図っている。〈広場《ヘパイストス》まひる〉が礼を言ったり、「何でそこまでしてくれるの?」と言う質問をしても、やはり無愛想な返事しかよこさなかったが、だらしのない姉を心配する妹にも似たそのやり取りに、周囲の「姉妹艦だから」と言う感想が高まったのは言うまでもない。ただ、その時の〈広場《プリンストン》ひなた〉艦長の一言は決まって「あんなの姉でも兄でもない」だったが…

 1948年、第三次世界大戦の直前に対日戦終結5周年の観艦式が実施される運びとなった時、太平洋艦隊にも参加艦艇を派遣するよう要請が来たが、その時に派遣部隊に選ばれたのはカノー・レイノルズ少将率いる〈桜庭《ミズーリ》香澄〉〈遠場《ニュージャージー》透〉と共に〈広場《プリンストン》ひなた〉であった。戦艦2隻はハワイ沖夜戦で日本戦艦のレーダーを規則を無視して持ち込んだ榴弾で吹き飛ばして盲目に追い込んだり、ジョンストン殴り込みで悪名を轟かせた問題児。〈広場《プリンストン》ひなた〉もまた問題を抱えた艦であり、良い機会だから厄介払いしてやれ、と言う悪意が感じられなくもない選抜だった。
 大西洋に到着し、ノーフォークに入港した〈広場《プリンストン》ひなた〉艦長が「姉」〈広場《バンカーヒル》まひる〉との再会を期待していたかどうかは不明だが、〈広場《バンカーヒル》まひる〉は演習中の事故で送水パイプを吹き飛ばした事で司令部の勘気を被り、フロリダ沖へ演習に出ていた。いわば、入れ違いになったわけである。そして、第三次世界大戦勃発により、それどころではない騒ぎになった。
 〈広場《プリンストン》ひなた〉艦長はもとは欧州連合の海戦思想を研究していた関係で、意見を求められた。彼は苦戦を予期していたのか、「一生眠れない夜が続いても知りませんよ」と前置きして意見を述べた。彼は、欧州連合が合衆国商船を捕獲したら容赦なく幹部乗員を首にして自陣営商船団再編の「母体」にするだろうと予想し、商船を保護するためにも決戦を主張する。まさか、大西洋における唯一の稼動空母になってしまうとは思っても見なかったが…
 ファンディ湾海戦では前哨戦の航空戦で活躍し、水上打撃戦部隊の撤退援護でも、追撃してきた駆逐艦一隻を撃沈する戦果を上げているが、敗北を止める事はできなかった。軽空母で、しかも防空・対潜任務に特化していた為、〈広場《バンカーヒル》まひる〉ほどの航空打撃力は持ちようもなかったと言える。

カリブ海撤退戦

 キューバのグアンタナモまで撤退していた大西洋艦隊は、司令長官代行のカノー少将の決断により、太平洋撤退を決意。迫り来る欧州連合艦隊を阻止して撤退までの時間を稼ぐ為、<広場”バンカーヒル”まひる>は出撃した。出撃に当たり、〈広場《バンカーヒル》まひる〉は翼―搭載機の半分を〈広場《プリンストン》ひなた〉に託している。万が一に備えての措置だった。〈広場《プリンストン》ひなた〉は戦闘機や哨戒機を飛ばし、パナマへ急ぐ味方を上空から援護する。〈夕凪《ミネソタ》美奈萌〉や〈七瀬《ハワイ》留美〉がパナマを抜けていく中、〈広場《プリンストン》ひなた〉艦長は決意していた。やはり、「姉」を見捨てることはできないと。遠くで囮として戦う〈広場《バンカーヒル》まひる〉を救わねばならないと。
 殿の〈桜庭《ミズーリ》香澄〉の運河侵入を見届けると、〈広場《プリンストン》ひなた〉は艦首を返し、全力で〈広場《バンカーヒル》まひる〉のいる方角へ向けて航行を開始した。
 はたして、ドイツ駆逐艦隊に囲まれた〈広場《バンカーヒル》まひる〉は絶体絶命の危機に陥っていた。放たれる無数の小口径砲弾が〈広場《バンカーヒル》まひる〉の船体を貫く。〈広場《プリンストン》ひなた〉の艦載機は直ちにこれに襲いかかり、ドイツ駆逐艦隊を続けざまに撃破して「姉」の危機を救った。
 しかし、この時点でパナマは既に上陸部隊に襲われており、もう使うことはできない。二隻は決死の南米周りでの脱出を試みる。欧州連合軍を呼び寄せないように無電を封鎖し、二隻はマゼラン海峡に向けての逃避行を開始した。

 カリブ海脱出時に搭載機の大半を失った二隻だったが、大西洋に脱出して南米大陸沿岸を南下する航路に乗って以降は、時々Uボートが襲ってくる程度で、これも〈広場《プリンストン》ひなた〉のTBFアヴェンジャーの攻撃で撃退し、なんとか太平洋に脱出。〈広場《バンカーヒル》まひる〉から燃料の補給を受けつつ北上した。パナマから出撃するUボートを警戒しながら、遂にハワイへ到着したのはカリブ撤退戦から2ヶ月後の1948年7月末のことである。

【要目】
   

 基準排水量 10.662トン
 全長 189.47メートル
 全幅 33.27メートル
 速力 31.6ノット

 

【兵装】

機関砲 ボフォース40ミリ4連装 2基
            連装 8基
ブローニング12.7ミリ単装 22基

搭載機 45機