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〈結城《ウォースパイト》紗夜〉

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〈結城《ウォースパイト》紗夜〉 Battleship Yuuki-WARSPITE-Saya,RN

Clear「Wing&Wind」結城 紗夜

V・E・タラント著/井原裕司訳「戦艦ウォースパイト」元就出版社

概要


 1912年度計画の〈クィーン・エリザベス〉級2番艦にして、その名を戴く艦艇としては七代目になる。
 艦徽章はキツツキ。「ウォースパイト(戦争を軽蔑して扱う)」の「スパイト」とは、エリザベス1世時代にヨーロッパアオゲラの口語体を意味していたためである。
 三次に渡る世界大戦を、満身創痍となりながらも戦い抜いた殊勲の戦艦として英国では名高い。日本においても、某地方ではその地域の不老長寿の女神と同一視して神社に祀ってもいる。しかし、彼女は故郷の英国を離れて流浪の人生を送らねばならなかった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を始めとして、〈クィーン・エリザベス〉級は全部で5隻が建造され、長く英海軍の中核戦力を占め続けた(注1)。そして彼女を除く全艦が第2次世界大戦で戦没している。
 ただ、死なないだけ。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は只の戦艦だと云う。
 だが、非凡な戦歴を持ち、さそり座に赤く輝く主星から発した光が地上に届く、と言われるほどの歳月を過ごした戦艦だからこその言葉であった。

 1912年。超ド級戦艦の建造でドイツ海軍に差をつけることに成功した英海軍は、超ド級戦艦を上回る戦艦を建造することによって、ドイツを突き放そうとした。それが〈クィーン・エリザベス〉級戦艦である。
 大口径砲、重装甲、高速力の三拍子が揃った高速戦艦であり、本級の示した顕著な活躍は後のエクストリーム理論の発生を促した。英国建艦技術の一つの頂点である。
 本級の建造が開始された頃、日米の超ド級戦艦はすでに14インチ砲を搭載しており、いずれはドイツも同口径砲を採用することは明白だった。そのことを危惧した海軍大臣ウィンストン・チャーチルは、第一海軍卿サー・ジョン・フィッシャーの応援を得て、〈クィーン・エリザベス〉級に試作段階だった15インチ砲を搭載することを決定した。
 この巨大な砲を〈アイアン・デューク〉級と同じく連装5基とすると、艦の大型化を招いてしまう。そのため砲塔を1基減らし、艦の前後に振り分けた。船体中央の砲塔を除くことでスペースと重量に余裕が生じ、缶を増やすことができたのである。その結果、従来の戦艦を数ノット凌ぐ速度を出せるようになった。高速の発揮には新機軸の重油専焼缶の採用も大きい。
 重油は石炭よりも遙かに効率のよい燃料で、同じ搭載量で40%も航続力が延長できる。また石炭を使用する艦船では乗組員が積み込み作業に疲弊したが、重油専焼の艦船では燃料パイプを岸壁かタンカーにつなぐだけで十分であった。機関員もずっと少なくて済んでいる。この重油専焼缶の採用も、海相ウィンストン・チャーチルの意見によるものであった。
 これによって後続のR級戦艦よりも優速となり、第2次世界大戦においても〈クィーン・エリザベス〉級が英国グランド・フリートの中核として活動し続ける原動力となっている。反対にR級は近代化改装も施されず、船団護衛などの二戦級任務に投入された。
 〈クィーン・エリザベス〉級の5隻が完成したとき、彼女ら兄弟姉妹は世界中で最も早く、最も強力な戦艦だった。主砲、装甲(注2)、速度においては、既存のどの戦艦よりも優越している。匹敵するのはドイツが建造を開始していた15インチ砲搭載の〈バイエルン〉級戦艦くらいのものであったが、ドイツの燃料事情から石炭を主燃料とせねばならず(炭油混焼)、機関出力、速度ともにライバルに及ばなかったのである。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の艦容は、主砲塔を上部構造の前に2基、後甲板に2基配置した事によりバランスと均整が取れている。さらにボート・デッキの後方に高い主檣を持つよう設計された、当時英国で唯一の戦艦だった。このマストは艦型に計り知れないバランス感覚を付け加えている。これらは彼女をして、ご御領主の姫君を思わせる上品で清楚な艦影、と評判を取る所以となったのだ。
 しかしながら実際には豪快な性格をしており、弟の〈結城《ヴァリアント》貴之〉に衝角攻撃をかましてしまうなど、随分とおてんば振りを発揮している。とはいえ、〈結城《ヴァリアント》貴之〉とは仲の良い姉弟であった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は戦間期に二度に渡る改装を受けた。二つの煙突は集合式の1本の煙突に変わり、また艦橋は堅固で水密性のある箱形になるなど、艦容が大きく変貌している。それに加えて古い形のかさばる三脚マストは撤去され、もっと軽い1本の棒マストへと付け替えられた。
 機関もヤーロー缶とダイレクトドライブ方式タービンの組み合わせから、ホワイト・フォスターの三胴缶とウェスティングハウス製ギヤード・タービンに換装されている。このW2機関は高温高圧による大出力と極めつけの頑丈さ、そして部品の長寿命を特長としており、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は通常の戦艦よりも遙かに長い寿命を享受したのである。しかし、それは彼女が時の流れに一人取り残されることを意味していた。
 これらの近代化は彼女の力を損なうことなく、優雅さと最新式の艦容を与えることになった。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はその長い活動歴の間に、和服から洋服へと着替えたように様々に姿を変じたが、上品で優美な外観をいつも保持している。

 兄弟姉妹が没して後、ただ1隻残った〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は、長きに渡って英連邦海軍の若き艦艇らを、時に手伝い、時には見守り続けた。それは楽しいことが沢山あった日々であった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉、彼女の流浪の生涯は英連邦海軍の苦難の軌跡と一致している。
 戦いのあるところ、かならず〈結城《ウォースパイト》紗夜〉あり。
 彼女はそこにいた。


注1:1914年度予算で計画された6隻目の〈エジンコート〉は大戦勃発でキャンセルされた。
注2:完全な意味での対15インチ砲防御ではなかったが、舷側330ミリと同時代で最大級を誇る。

死の20分〜第1次ジュットランド海戦〜


 大英帝国グランド・フリートのレゾンデートルは三つ。一つ敵の侵攻からブリテン諸島を守ること、二つ英国にとって死活的な大西洋の貿易航路を寸断しようとするドイツ艦艇の出撃を阻止すること、三つ目はドイツにとっても重要な海上貿易を遮断する事で経済的圧迫をドイツに加えることである。

 ドイツはオークニー諸島からノルウェーへと延びる線とドーバー海峡とで北海を封鎖され、経済は逼迫していった。ドイツで自給できる資源は鉄と石炭のみである。工業は原材料を輸入に依存し、農業は輸入された肥料に頼り切っていた。だがドイツ海軍は現存艦隊主義に徹し、自国商船の航路保護をしようとはしなかった。皇帝ヴィルヘルム2世が、「いとしい艦船」が砲火を浴びて砕け散り、海神への供物となる姿を想像するに忍びなかったためである。地上戦でシュリーフェン・プランに基づいて40日以内に勝利できると確信していたドイツ首脳は、海軍が危険を犯す必要を認めなかったのだ。
 しかしマルヌ河畔でドイツの攻勢能力は限界に達し、戦争は予想もしていなかった長期戦となってしまった。ためにドイツ海軍首脳はグランド・フリートによる鉄のくびきをはずすべく、極めて大胆な作戦を取らざるを得なくなっていた。彼我の戦力比は、英国ド級戦艦と巡洋戦艦が37にドイツが21、軽艦艇では105対76にまで広がっていた。
 さらに1916年2月21日から、ドイツ陸軍はフランスのヴェルダン要塞に対する攻勢を発起していた。ヴェルダン要塞を巡る攻防は同年12月まで続き、独仏両軍72万人という膨大な死傷者を出す。ドイツ海軍は、西部戦線の膠着を打開すべく開始された攻勢の援護も求められていたのである。

 高海艦隊司令長官ラインハルト・シェア中将は、グランド・フリートを主要基地沖合に潜ませたUボートの伏撃に誘い込むことで、戦力比をドイツに有利なように持っていこうと考えていた。英海軍をおびき出すために、シェアはローサイス近郊のサンダーランドを急襲するよう高海艦隊の出撃を計画した。ノーフォークのローストフトとグレート・ヤーマスに巡洋戦艦で艦砲射撃をかけた4月24日の作戦よりも遙かに冒険的である。このために17隻のUボートが5月の中頃までに配置についた。グランド・フリートに退路を絶たれないために、飛行船部隊を艦隊側翼の偵察に当たらせることも計画した。
 しかし、触雷した巡洋戦艦〈ザイドリッツ〉の修理によって出撃は延期され、5月末まで高海艦隊は出撃できず、しかも天候が悪化して飛行船の活動が困難な状況となっていた。
 作戦の発動をこれ以上、遅らせることはできない。しかし飛行船の偵察による後背の安全の確保もなしにサンダーランド攻撃に出撃するのは、あまりにも無謀であった。30日朝になっても天候は回復せず、シェアはサンダーランド攻撃を放棄して、掃討のためにスカゲラック海峡へ出撃することを決めた。
 09時48分、彼は麾下の各戦隊にイェーデ湾の掃海水路出口へ1900時までに集結することを命じた。15時40分、高海艦隊全艦にスカゲラック海峡への出撃が暗号で通達された。

 英国海軍省は午前の内にドイツ艦隊の動きを無線傍受と暗号解読で察知し、17時16分にジェリコーとビーティに対して通信を発した。
「作戦は5月31日から6月1日にかけて展開されるように思われる。貴官は起こりうる事態に備えてロング・フォーティーズの東方に艦隊を集結せしむべし」
 この時、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉と兄弟姉妹からなる第5戦艦戦隊(エヴァン=トマス)は、ビーティ指揮下の巡洋戦艦艦隊と共にフォース湾のローサイスに錨を下ろしていた。旗艦は〈バーラム〉で、〈クィーン・エリザベス〉は修理のために乾ドックに入っていた。代わりに極東の同盟国から派遣されてきた世界最大の戦艦が組み入れられている。
 さらに同盟国の巡洋戦艦4隻(英国製1隻とその複製3隻)がビーティの戦隊に追加されたのだが、傲岸不遜な彼は海軍省による戦力強化を不要とみなしていた。黄色人種が世界最大の戦艦を保有すること自体が気に入らなかったし、ドッガー・バンク海戦の経験から麾下の巡洋戦艦だけでドイツ海軍を叩けると考えていたのである。
 ビーティ戦隊は22ノットを出すために18時に汽醸を始め、22時に行動を開始した。戦隊主力は旗艦〈ライオン〉、〈プリンセス・ロイヤル〉、〈クィーン・メリー〉、〈タイガー〉、〈ニュージーランド〉、〈インディファティガブル〉である。その後方に第5戦艦戦隊が続き、最後を同盟国4隻が占めた。 北の方スカパ・フローでは、ジェリコー大将が〈アイアン・デューク〉に将旗を掲げ、グランド・フリート主力を率いて東方へ出撃した。21時30分である。
 これらに対し、各基地沖合に展開したドイツのUボートが攻撃を仕掛けたものの、逆に制圧されてしまい、本国への敵出撃の連絡も遅れることになった。この時、高海艦隊は未だイェーデ湾の掃海水路をゆっくりと進んでいた。
 会合時間は5月31日14時30分。全部で161隻の艦艇と6万人の将兵(同盟国軍を含む)からなる、史上最大の艦隊であった。対するドイツ高海艦隊は99隻に及ぶ。260隻もの艦艇がぶつかり合う未曾有の大海戦が生起しようとしている。

 5月31日、午後。ビーティは予定進出点に達したが、霧の中に敵影は見あたらなかった。ために予定通りに主力と会合すべく、14時15分に北への変針の信号を発した。その時、グランド・フリート主力は北北西に105キロのところである。
 ただし第1軽巡洋艦戦隊のみは東南東の水平線に見つけた国籍不明の汽船を監視すべく、そちらの方へ向かった。そして軽巡〈ガラテア〉がドイツの軽艦艇のマストと煙突を視認した。〈ガラテア〉はすぐさま帆桁に信号「敵艦見ゆ」を掲げた。
 同じく、ドイツ軽巡〈エルビンク〉も「敵装甲巡洋艦北西に見ゆ」とヒッパーの偵察部隊へ無線を発している。高海艦隊主力は、ヒッパーの後方81キロにいたのだった。
 14時32分、ビーティは〈ガラテア〉の信号を受け取った。敵の退路を絶つべく南南東への回頭を旗旒信号で発し、巡洋戦艦戦隊は全速力で突っ走り始めた。
 不運にもビーティの信号は〈バーラム〉のエヴァン=トマスに受け取られず(海戦後に発光信号で伝えるべきだったと批判している)、第5戦艦戦隊と同盟国巡洋戦艦戦隊は14時39分まで北へと進み続けた。その結果、エヴァン=トマス隊とビーティ隊の間隔は8キロから16キロにも開いてしまい、近接援護距離を越えてしまっている。船同士の距離があって広がっていたことと、また全速を出していた巡洋戦艦(炭油混焼)の煤煙によって旗旒信号が識別できなかったのだ。
 15時25分、英国、ドイツ双方共にほぼ同時に敵の姿を確認した。〈ライオン〉から前方に22キロの距離に、北西に向かって縦列を組んで進んでいるドイツ偵察部隊5隻を視認した。ビーティは15時40分に東南東に変針して戦闘隊列を組んだ。
 ドイツの偵察部隊は旗艦〈リュッツォウ〉、〈デアフリンガー〉、〈ザイドリッツ〉、〈モルトケ〉、〈フォン・デア・タン〉から成っている。各個撃破の好機と見たヒッパーはシェアの主力部隊の前へ引きずり出すべく、順に変針して同航戦の態勢をとった。
 15時48分、ヒッパーは射撃開始を命じ、1分後、ビーティ戦隊も砲撃を始めた。遂に第1次ジュットランド海戦の幕が開いたのだった。

 ビーティとヒッパーの間で砲火が交わされた時、エヴァン=トマス隊は水平線の向こうにおり、続く18分間もドイツ艦隊の射程外にいた。
 エヴァン=トマスが砲火に気づいて変針し、援護に向かうまでの間、ビーティの戦隊はドイツ艦隊の砲撃に苦しめられていた。風は西風で、英艦は自らの排気煙と砲煙とに射線を妨害されている。対するにドイツ艦隊は、夕陽に浮かび上がる敵影に優秀な射撃指揮装置でもって正確な砲撃を叩き込んだ。
 まず〈モルトケ〉が、わずか数分の間に〈タイガー〉に8発近くを続けざまに命中させ、船体中央部と煙突を破壊した。〈デアフリンガー〉も〈プリンセス・ロイヤル〉に多数の命中弾を与え、前部砲塔や上部構造物に大損害を与えている。
 16時00分、ヒッパーの旗艦〈リュッツォウ〉が、ビーティの旗艦〈ライオン〉の砲塔を撃ち抜き、弾火薬庫誘爆の危機に陥れている。しかし〈ライオン〉は致命傷を追いつつも注水した乗員によって辛うじて爆沈を回避した。
 16時05分。今度は〈フォン・デア・タン〉による最大射程距離からの砲撃が〈インディファティガブル〉の砲塔天蓋を貫通し、これを轟沈せしめた。
 ドイツ艦隊も無傷とはいかず、〈クィーン・メアリ〉によって〈ザイドリッツ〉の砲塔が破壊されている。しかし英艦隊よりも進歩していた応急システムによって大被害を免れていた。
 局面はドイツ優位に進んでいる。

 ビーティの戦隊は窮地に陥った。戦隊は半壊しつつあり、与えた損害は軽微で敵の砲火は衰えない。今さら砲撃から足抜けする事もできず、しかもどうやら敵本隊へと誘引されつつある。ただひたすらに砲撃を続けるより、現状を打開する手段はなかった。
 そこに北方から殷々と砲声が轟き、ドイツ艦隊の向こう側に巨大な水煙が立ち上った。頂点に達した水煙がドイツ艦隊の上に雪崩落ちる。あれほど旺盛だったドイツ艦隊の砲撃が弱まった。
 エヴァン=トマス隊に付けられていた同盟国の巡洋戦艦戦隊、日本帝国海軍の〈篠塚《金剛》弥生〉、〈比叡〉、〈榛名〉、〈霧島〉が14インチ砲32門による統一射撃を開始したのだ。16時06分である。

 〈篠塚《金剛》弥生〉ら4隻の巡洋戦艦は、同じく派遣されてきた超ド級戦艦〈扶桑〉と共に日本帝国海軍の切り札というべき存在だった。何しろ彼女達以外は前ド級または準ド級戦艦ばかりである(開戦時には〈篠塚《金剛》弥生〉と〈比叡〉が竣工したばかりだった)。本来ならば本国に温存しておきたい戦力であった。
 しかし日露戦争で大陸から叩き出された日本は、軍事的にも経済的にも英国の庇護を受けなければ立ちゆかない立場だった。ロシアが朝鮮半島全ての領有を目論まないのは、皇帝ニコライ2世が英国との戦争を望まなかったからである。日露交渉の舞台となったポーツマスで、妥協を拒むウィッテ伯爵を交渉妥結へ追いやったのは、英国が韓帝国南半部を保護領とすることを通告したからだった。
 結果、朝鮮半島北半部がロシア領となった代わりに日本は危機を脱し、日英同盟は双務的攻守同盟へと切り替えられた。第1次世界大戦においては第二次日英同盟に基づき、日本は陸軍部隊を北フランスへ展開し、大陸方面ではドイツの策源地青島を占領した。陸軍の素早い動きに対して、海軍の動きは鈍かった。英国から〈篠塚《金剛》弥生〉級の派遣を求められていたからである。
 海軍では駆逐艦の派遣でお茶を濁すべきではないかという意見が出て収拾がつかず、初動が遅れた結果、大失態をしでかした。膠州湾にいたドイツ東洋艦隊主力(グラーフ・フォン・シュペー)を取り逃がしてしまったのである。同じ頃、英国地中海艦隊がドイツ巡洋戦艦〈ゲーベン〉の捕捉に失敗して黒海へ逃げ込まれていた。日本海軍は準ド級巡洋戦艦の〈筑波〉や〈鞍馬〉をシュペーの脱出先の南洋諸島へ追撃に差し向けたものの、そこもすでにもぬけの殻であった。
 装甲巡洋艦〈シャルンホルスト〉、〈グナイゼナウ〉は太平洋へ脱出を果たし、軽巡〈ニュルンベルク〉、〈エムデン〉らと、8月12日マリアナ諸島パガン島沖に集結を果たした。彼らは通商破壊戦を繰り広げつつ南米周りで本国へ帰還しようとし、その際にチリのコロネル港沖、フォークランド沖で海戦が生起している。軽巡〈エムデン〉はインド洋で大規模な通商破壊をおこなった。最終的にドイツ東洋艦隊を全滅させたものの、英国海軍はドイツ東洋艦隊に対して相当規模の戦力を割かねばならなかったのである。
 このことで日本帝国海軍の面目は潰れるに至った。かくして日本帝国海軍は自らの失態を償うため、最新鋭の戦艦群を大西洋へと派遣する羽目に陥ったのだった。

 最高速の27ノットで突撃してきた〈篠塚《金剛》弥生〉の砲撃は、氷の如く冷静で、機械のように精密だった。初弾こそ遠弾だったが、二弾目には弾着を修正して挟叉弾を出している。〈篠塚《金剛》弥生〉は圧倒的な力でヒッパー戦隊を蹂躙しにかかった。
 優柔不断で決断力のない男では決してないヒッパーだが、彼の戦隊は〈篠塚《金剛》弥生〉に抵抗することも出来ずに翻弄された。ヒッパー戦隊の最後尾に位置する〈フォン・デァ・タン〉の艦尾に直撃が発生し、彼女は戦列の外へと脱落せしめられた。
 日本艦隊の砲撃でビーティ戦隊は危地を脱することができた。日本海海戦以来の正確極まりない砲撃に感嘆すらしている。この時間を使ってビーティは戦列の再編に取りかかった。
 そこへ遂にエヴァン=トマス隊が参入した。16時09分、距離1万7千で砲撃を開始する。15インチ砲32門の大砲撃だった。やや遅れて〈扶桑〉も14インチ砲12門による全力射撃を開始した。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は初の戦艦に対する砲撃を放った。彼女の初弾は16時01分、軽巡〈ピラウ〉に対するもので、いきなり挟叉弾を出している。〈ピラウ〉は戦艦に狙われていることを知るや、素早くカルシウム入りの発煙箱を落として逃れ去っていた。
 〈モルトケ〉に対するそれは、〈ピラウ〉に送り込んだ砲弾に勝るとも劣らなかった。距離1万7千で〈モルトケ〉のごく手前に落ちて、14インチ弾を上回る巨大な水煙を上げたのである。
 それからは一気に乱戦となった。ドイツ艦隊も負けじと打ち返し、たちまち〈バーラム〉を挟叉してのけた。
 ご領主の姫といえども、お家の危機とあらば刀槍をとって戦わねばならない。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は猛然と、主砲ばかりでなく副砲からも砲弾を敵艦へと叩き込み、標的とした〈デアフリンガー〉のA砲塔を一撃で砕いてのけた。
 この時〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の放った5インチ副砲弾が、〈デアフリンガー〉の砕かれた砲塔の状況を確認に向かったフォン・レヴィンスキー少尉候補生に瀕死の重傷を負わせている。生還したフォン・レヴィンスキーは後に戦艦の艦長を歴任し、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉艦長時代には合衆国大西洋艦隊を敗走させ、最後に世界最大の戦艦〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を率いている。海中に没したとはいえ、相手の最強戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉を相打ちに限りなく近い状態に追い込んだのである。

 英国前衛部隊にとって戦況は好転したものの決して良いとは言えなかった。15時47分から、砲撃を停止する16時36分までの50分の間に、44個の命中弾を受けていた。そのうち42個が巡洋戦艦戦隊に、2個が〈バーラム〉に命中している。
 一方、英国側はお返しにたった19発の命中弾を与えただけだった。内訳は5発が巡洋戦艦戦隊、8発が〈篠塚《金剛》弥生〉隊から、6発が第5戦艦戦隊からのものだった。砲撃を集中したことにより、どの水柱がどの艦から放たれた砲弾によるものなのか、判別つけ難くなり弾着修正がままならなくなったためであった。この戦訓から日本海軍は主砲弾に染料を詰めて、弾着修正に用いることになる。
 さらに、それら命中弾が出ても、ドイツ艦への効果は少なかった。英国製の徹甲弾の70%が不発弾だったのである。さらに日本の徹甲弾も、鋭敏な伊集院信管によって装甲を貫徹する前に炸裂してしまっていたのだ。これに対してドイツは信管をよく調整し、英艦へ甚大な損害を与えている。
 16時26分には、〈クィーン・メリー〉が〈デアフリンガー〉の二つの砲弾によって砲塔天蓋を貫通されて轟沈してしまった。英国の巡洋戦艦はドイツ人に、蹴られるばかりの「ブリキ製ゴミ缶」と嘲られた。

 遺憾なく砲撃の技量と強固な防御力を発揮したドイツ艦隊だが、戦力比1対3の劣勢では如何ともしがたい。ヒッパーは水雷戦隊の援護のもと、東へ撤退のやむなきに至った。
 そして〈クィーン・メリー〉轟沈の4分後、戦略的立場が突然に入れ替わった。〈ライオン〉の前方5キロを偵察していた軽巡〈サザンプトン〉が、高海艦隊主力が北方へと進撃してくるのを発見したからである。
 新たなドイツ艦隊は、16隻のド級または超ド級戦艦、6隻の前ド級戦艦、6隻の軽巡洋艦、31隻の駆逐艦からなる大艦隊だった。
 16時46分、ビーティは巡洋戦艦戦隊を北西に転進させ、ドイツ艦隊を北西100キロにいるグランド・フリートの前面へ引きだそうとした。
 海戦は新たな局面へと入った。

 ビーティの戦隊が変針した時、第5戦艦戦隊はまだ13キロ離れたところにいた。〈サザンプトン〉の報告を受け取っておらず、変針を命じるビーティの旗旒信号がまたもや見えなかったため、エヴァン=トマスは南方への進撃を継続した。この辺り、ヒッパーとシェアの息のあった戦いぶりにくらべ、英国側の提督に反目、独断、独善の傾向が強い。
 第5戦艦戦隊が北進しているビーティ戦隊とすれ違いそうになったとき、ビーティはようやく信号が届いていなかったことに気づき、直接エヴァン=トマスへ向けて信号旗を掲げて(距離750メートルまで接近していた)、縦列のまま右舷への180度回頭するよう命じた。
 もしこの時、ビーティが一斉回頭を命じていたなら、速やかなターンが可能だったろう。しかし逐次回頭を命じられたため、16時58分から5隻の戦艦が同じ地点で回頭することになった。ドイツ艦隊に「転回点」への砲火集中の機会を提供してしまったのである。
 反対に、ビーティとエヴァン=トマスとの中間位置にいた〈篠塚《金剛》弥生〉ら4隻の日本巡洋戦艦戦隊は一斉回頭をおこない、素早くターンを終えて全速でビーティ戦隊を追って北進を開始している。日本海海戦(対馬沖海戦)の経験から、敵前の逐次回頭は危険が大きいと悟っていたからである。
 縦列を維持したまま回頭したため、第5戦艦戦隊はドイツ艦隊の先頭艦へ2万1千メートルまで接近してしまった。その報いは直ちにやってきた。高海艦隊の先頭部隊、〈ケーニヒ〉と〈グローサー・クルフュルスト〉、総旗艦〈フリードリヒ・デァ・グロッセ〉、〈マルクグラーフ〉の猛射を浴びたのだ。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は3発の命中弾を被り、弟の〈結城《ヴァリアント》貴之〉はなんとか無傷で逃れた。〈バーラム〉と〈マレーヤ〉に〈扶桑〉も損害を受けている。
 第5戦艦戦隊も打たれるばかりでなく、全速で砲塔を旋回させて反撃を開始する。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は〈グローサー・クルフュルスト〉と〈マルクグラーフ〉に命中弾を与え、〈結城《ヴァリアント》貴之〉は姉が叩いた〈デアフリンガー〉にさらなる打撃を与えた。
 17時35分。ビーティは進路を北西から北北東に転じ、エヴァン=トマス戦隊もこれに倣った。
 英艦隊の変針に対応して、ヒッパーとシェアも針路を北へと転じ、隊形を6列縦陣から単縦陣に変更した。英艦隊に大打撃を与える好機なのだ。ドイツ艦隊優位に進んでいる。取り逃がすわけにはいかない。
 以後は北へ走りながら砲撃戦が18時まで続いた。殿軍として第5戦艦戦隊は優勢なドイツ艦隊を相手に果敢に戦い、とくにヒッパーの戦隊に痛撃を喰らわしている。〈ザイドリッツ〉は実に20発もの命中弾と魚雷1発によって全砲塔を損壊し、ほぼ戦闘能力を喪失してしまった。ただ反撃も凄まじく、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉にはさらに6発の敵弾が命中している。
 そして18時00分。ビーティとエヴァン=トマスは、遂にジェリコー率いるグランド・フリートを視認した。それは超ド級戦艦24隻、巡洋戦艦3隻を擁する圧倒的な戦力である。
 シェアは、自らが罠にはまったことを知った。

 グランド・フリート主力はフッド少将の巡洋戦艦戦隊を前衛として、6列縦陣の索敵隊形で南東へ進撃していた。これを単縦陣に組み直して戦闘態勢を取る必要がある。しかし、敵はグランド・フリートのどちらから現れるのか。右か、左か。ビーティとエヴァン=トマスから敵位置の通報があったが、その針路が依然として不明だった。
 ジェリコーはきっかり1分間の黙考で決断した。艦隊は左(東側)に展開する。グランド・フリートは、艦隊の一番北の戦列を先頭に単縦陣を組み始めた。
 ビーティ戦隊は艦隊の先頭の位置を占めるために、グランド・フリートの戦列の前を横切るべく全速で進んだ。エヴァン=トマス戦隊はビーティに続くには速度が足りないため、代わりに取りうる位置、艦隊の後方を占めようと、18時18分に左舷へ変針して北向きのコースをとり、一番南の戦列の艦尾に隊列を作った。
 この間、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は激しい砲撃にさらされ続け、そして舵が故障した。

 18時20分、左へ舵を切り、変針したので右へあて舵を取ったとき、それは起きた。舵が右に固定されたまま動かなくなったのである。全速で進んでいたため、前を行っていた〈結城《ヴァリアント》貴之〉に衝突しそうになっている。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉をよけるために後続の〈マレーヤ〉は左へ舵を切って難を逃れた。
 フィルポッツ艦長は舵が利かないならばと、機関の加減によって隊列へ戻ろうとした務めた。だが、これによってできたことは、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が速度を落としながら敵の戦艦群へ向かって前進するということだった。ドイツ艦隊は魅力的な姫を仕留めるために、その主砲と副砲を集中した。
 それからの20分間は、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉にとって死の時間だった。副長ハンフリー・ウォールウィン中佐は「20年間の座敷牢への幽閉」に等しい時間、と手記に残している。
 主観時間としては正しいだろう。この20分間、二度時計回りに円を描いている内に、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は20発もの砲弾(内9発以上が主砲弾)を艦全体に満遍なく被ったのである。
 艦内各所は火災や爆発で地獄の光景となった。下甲板では真水と燃料のタンクが破壊されて、ありとあらゆるものが重油とゴミにまみれている。乗組員がハンモックで穴を塞ごうとしても、海水や重油が彼らを押し流す。機関室の通風筒も穴だらけとなって、海水が機関室へ雪崩れ落ちる。右舷の第6副砲では装填作業の最中、炸裂した砲弾の破片が火薬箱に命中して砲手らを吹き飛ばした。
 激しい砲撃のうなり声が響き、水平線の向こうが砲火のオレンジ色の閃光で輝いている。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は気も狂わんばかりに悶え苦しんだ。死のうにも死ねない。ブリキの巡洋戦艦と違い、彼女には打撃に耐えられるだけの装甲が適切に施されているからだ。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の最初の右への円運動は18時20分に始まり、18時30分に終わった。二度目の円運動では〈扶桑〉も付き合うことになってしまった。
 2ノット近くも遅い〈扶桑〉はエヴァン=トマス戦隊に遅れてしまい、さらに煤煙と砲煙に前動艦の〈マレーヤ〉を見失って、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を〈マレーヤ〉と見誤ってしまったのである。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が最初の円を描き終えてグランド・フリートの最後尾に付けているかに見えたことも、勘違いを増幅させてしまっていた。
 かくして、ドイツ艦隊は巨艦2隻の獲物に対して雨あられと巨弾を撃ち込んだ。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉と〈扶桑〉はドイツ艦隊に8千メートルにまで接近してしまい、至近弾の上げる林立する水柱に包まれた。船に何トンもの海水と砲弾の破片が降り注ぐ。
 そして破局は来た。〈フリードリヒ・デァ・グロッセ〉の主砲弾が〈扶桑〉の前部煙突を貫通して中央缶室へ飛び込んだ。ボイラーを爆砕された〈扶桑〉は白い蒸気を噴出させて身震いし、傾斜した。そして〈オストフリースラント〉が放った主砲弾が、前部煙突直下の、艦の傾斜で砲弾に対して深い角度となった64ミリの甲板装甲を貫徹し、弾火薬庫隔壁をも貫いて炸裂した。
 一瞬に〈扶桑〉の上甲板がめくり上がり、次の瞬間には強烈な光で海を照らし上げた。轟沈。〈扶桑〉は真っ二つとなった。ドイツ艦隊では「フラー!」と叫びを上げている。〈扶桑〉の乗員の9割以上が死亡し、駆逐艦〈楓〉に救助された者は僅かな数だった。
 その頃には〈結城《ヴァリアント》貴之〉が姉の危機を救うべくドイツ艦隊に砲撃を叩き込み、グランド・フリートも高海艦隊に対してT字を描いて集中砲撃を開始した。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は爆沈した〈扶桑〉の上げる煙と、〈結城《ヴァリアント》貴之〉の砲撃に隠れるようにして、S字を描いて進路からそれていった。ドイツ艦隊の砲撃は煙に覆い隠された彼女を追っては来なかった。ようやく座敷牢を脱したのである。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉からは第5戦艦戦隊とグランド・フリートの両者とも、東方の煙と霧の中へ見えなくなってしまっていた。遠くに、松明の群のように閃光が見える。さて、迷ってしまった、どうすべきか。
 円運動のときに彼女に接近していた、小さい装甲巡洋艦〈ウォリアー〉は先に帰って見えなくなっている。日没の20時19分頃になっても第5戦艦戦隊との接触を回復できなかった。致し方なく、無線通信で戦隊司令部に報告を入れた。戦隊の位置を請い、〈扶桑〉の沈没と被害の概略を伝えた。
 この無線を〈結城《ヴァリアント》貴之〉が受け取り、〈バーラム〉の戦隊司令部へ転送した。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉と戦隊とは、すでに50キロも離れてしまっている。エヴァン=トマスは21時07分にローサイスへの帰還を命じた。
 海戦の状況はすでに英艦隊優勢の下、追撃戦へと変わっている。高海艦隊はイェーデ湾へ避退すべく南方への反転を開始し、グランド・フリートはドイツ艦隊とイェーデ湾の間に割って入るべく、ドイツ艦隊の東方を占拠しつつ南下した。霧と煙と黄昏の中、ジェリコーはシェアを見失った。そして高海艦隊はグランド・フリートと短時間交戦した後、夜の闇の中でグランド・フリート後方の水雷戦隊の戦列を突破して、イェーデ湾への退却路を安全なものとしたのである。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はローサイスへと進路を取った。フォース湾の基地へと辿り着いたのは6月1日の15時30分であった。直ちに修理のために第1ドックへと入渠した。

 このジュットランド海戦は戦術的にドイツの勝利とされているが、海戦以後も英独の戦略的状況に変化はなかった。ジェリコーは北海封鎖を続行し、シェアはグランド・フリートのくびきを外すことはかなわなかったのである。となれば、勝者がいずれかは明らかであった。
 ヒッパーとシェアに痛めつけられたビーティは、〈篠塚《金剛》弥生〉らの助けが無くとも苦境を脱しえたと主張し続けた。しかし、彼が日本海軍に対して便宜を図り続けたことが、真実がいづこにあったかを物語っている。
 そして日本海軍は最新鋭戦艦〈扶桑〉の喪失を嘆いていた。ドイツ東洋艦隊の捕捉に失敗したことと、戦力出し惜しみのツケは余りにも高くつきすぎた。
 このことから、日本海軍は第2次大戦においてドイツ海軍侮りがたしと積極的に高速戦艦を英国へ派遣するのだが、今度は戦果が少ない居候として英国保有の重油を食いつぶす結果となってチャーチルに皮肉られてしまう。鬼門という他はなかった。
 その短い生涯を閉じた〈扶桑〉の生存者に、磯貝幸太郎という少尉がいる。彼は〈楓〉に救助された後、第2特務艦隊の〈樅〉級駆逐艦に中尉として乗艦し、今度は地中海でド・ラ・ペリエールのU35に撃沈されることになる。荒天下で乗員の7割が沈んだ中、強運の持ち主たる磯貝中尉は今度も助けられている。以後も艦長をつとめた駆逐艦〈水無月〉が軽巡〈天龍〉と衝突して沈没するなど、乗艦のことごとくが沈没する憂き目にあってしまっている。「死に神」磯貝が、その因縁を何とか払拭するのは、1939年12月にドイツ装甲艦〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を捕獲してからとなった。もっとも装甲艦捕獲の際に、第88駆逐隊の旗艦とした〈春雨〉(無線符丁はサクラ)を失っているのだが。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉がスカパ・フローの第5戦艦戦隊へと復帰したのは7月23日だった。わずか7週間ばかりの修理期間だったが、表面上何らの損傷も認められないまでに修理されていた。異常なほどの回復力だったが、実は損傷後に板金をかぶせた程度で済まされていたのである。恒久的な修理はほぼ20年後の改装まで待たねばならなかった。

 ジュットランドの海戦以後、ドイツ高海艦隊が出撃することは4度のみだった。最後の出撃は1918年10月28日。第2次ジュットランド海戦である。
 この時、英国は戦争の行方を打開すべく、北ドイツのシュレスヴィヒ・ホルシュタインに上陸して新たな戦線を構築しようとしていた。西部戦線はドイツの第3次皇帝攻勢が開始されており、浸透戦術によってパリ正面のフランス軍戦線が大きく凹んでいる。
 フランスが首都陥落の危機を脱したのは、日本軍と南部連合軍がドイツ軍の突出陣地へ浸透攻撃をかけて、ドイツ軍補給路を遮断したことによる効果が大きい。この反撃で、世忍大尉のA7Vとジョージ・S・パットン中佐のマーク犬ドイツ軍陣地を蹂躙してのけている。
 ドイツ軍はパリまで指呼の距離に達したが、補給難から兵が疲れ切り、本国の経済状況も悪化して自壊した。ただしそれは1919年になってからである。10月末の段階では、英国首脳は狼狽しきっており、捨て去られた筈のバルト海侵攻作戦を引っぱり出して改変を加え、北部戦線を構築すべく将兵を輸送船に乗せて北ドイツへ送り出したのである。
 シェアの後任として高海艦隊司令長官となっていたヒッパーは、艦隊に全力出撃を命じた。軽快艦艇や潜水艦に優良な士官を引き抜かれて士気の落ちていた戦艦部隊だったが、本土侵攻の危機に士気が甦っている。
 かくしてホーン・リーフ沖でグランド・フリートと高海艦隊は衝突し、高海艦隊は半壊するに至った。彼我の戦力比に前回以上の大差がついていたのだ。ジェリコーの後任となった猛将ビーティは敗走する高海艦隊をヘルゴランド湾まで追撃している。しかし旗艦〈クィーン・エリザベス〉が触雷して撤退のやむなきに至ったのでは、猪突の批判を免れない。
 この第2次ジュットランド海戦で、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は日本陸軍第13師団、長野県松本の第50連隊を乗せた〈早瀬丸〉の危機を救った。ドイツ水雷戦隊の山崩れのような一斉雷撃に身を挺して庇い、魚雷2本が命中しながらも主砲と副砲を乱射して敵を撃退している。敗走する敵の追撃は〈篠塚《金剛》弥生〉らに任せるよりなかったが、このことで〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は日本陸軍からいたく感謝され、長野県では山崩れから赤子を救った姫神と同一視されて神社に祀られるほどであった。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は以後の長い人生において、日本では常に歓迎されることになる。
 実のところ、北ドイツ上陸作戦はヴェルヘルムスハーフェンに籠もっている高海艦隊を引きずり出して大打撃を与えるための作戦であった。要するに輸送船は囮だったのである。
 ために事情を知る〈篠塚《金剛》弥生〉は、輸送船団から護衛に感謝されて困惑を隠し切れていない。彼女にしてみれば、いまや何が嘘で、どれが嘘でないのか、分からなくなっていた。輸送船団旗艦に対して「嘘ですよ」と信号を送ったものの、輸送船団司令から分かっていると返信されて、さらに困惑を深めるのだった。

 かくしてドイツ艦隊は基地に逼塞して無力となり、北海は英国が完全に制圧するところとなった。西部戦線でもドイツ軍はパリ前面まで達したが日本軍と南部連合軍の連絡線遮断によって進撃を断念しなければならなかった。
 1919年春には、ヒッパーが状況を打開するために艦隊出撃を命じたが水兵達は反乱を起こし、ドイツに革命が起きる。皇帝は亡命し、ドイツは休戦を申し出た。
 ここに未曾有の戦禍をもたらした世界大戦は終結した。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はフォース湾にて休戦を知らされた。ビーティは全艦隊にラム酒の特配を命じ、この知らせを祝っている。
 その後、ドイツ艦隊のインチキース沖での降伏、スカパ・フローでの一斉自沈を、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は見届けることになる。
 今や全ては、歴史となった。

暑月薄暮、秋霜の時〜第2次世界大戦〜


 1943年秋のアラビア海、アッズ環礁沖合い。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は英国東洋艦隊(ソマーヴィル)の旗艦として、スエズ運河または喜望峰経由で落ち延びてくる艨艟の群を出迎えた。損傷の無い艦艇は無いと云っても差し支えない。乗組員らも眉間にしわを刻んだ厳しい表情をしている。さもなければ呆けたようになっていた。
 英海軍は大西洋の制海権を失い、あげくに本土も喪失した。地中海もまた統領ムッソリーニが「我らの海」と呼号するにふさわしい状況へと陥っている。
 ソマーヴィルは〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の前に集合した全艦艇に向かって信号を発した。
 今生きている。それが大事なことと思われるが、如何。

                                  ◆

 1939年9月にドイツ軍がポーランドへ電撃戦をかけた時、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は地中海艦隊所属であり、司令長官サー・アンドリュー・ブラウン・カニンガム提督の旗艦を勤めていた。
 地中海における英国の潜在的な敵はイタリアである。かの国は地中海を「我らの海」と呼んでローマ帝国の栄光の再現を目論んでいた。さらにドイツと結んでもいる。しかし、イタリアはドイツと歩調を合わせての宣戦布告はしていない。戦争準備が全く整っていないからだ。イタリアが参戦するのは翌年の10月28日となる。
 イタリアがだんまりを決め込んでいるとはいえ、警戒を怠るわけにはいかない。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は搭載機〈早瀬《ウォーラス》霞〉と共に東部地中海をパトロールし、アレクサンドリアの艦隊基地の沖で演習をおこなっている。
 そこに本国水域への帰還命令が入った。10月14日に戦艦〈ロイヤル・オーク〉がスカパ・フローでギュンター・プリーンのU47に沈められ、その代わりを勤めるよう命令が下ったのである。
 これが、駅前の小さな食堂に中間テスト明けの学生が打ち上げになだれ込んで、その応対に忙しいウェイトレス(というより食堂のお姉さんと言うべきか)のように〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が東奔西走する端緒となった。

 10月27日にアレクサンドリアを出発し、翌月6日にジブラルタルに到着。すると今度はハリファックスへ向かい、商船30隻からなるHX9船団の護衛をおこなうよう命令が来た。大西洋の風浪が激しかったため、14日にようやくハリファックスへ到着した。その後、船団と共に東へ向かう過程は順調で、大西洋を何事もなく航行している。そして24日の午後、海軍省から船団と別れてデンマーク海峡へ急行するよう命令が下ったのだった。
 この緊急命令は、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉が23日に仮装巡洋艦〈ラワルピンディ〉を沈め、アイスランドとフェロー諸島間の海域に姿を現したからである。もしドイツ巡洋戦艦が北大西洋への突破を図るならばデンマーク海峡を通る可能性は高く、そうであれば〈結城《ウォースパイト》紗夜〉がドイツ艦の海峡通過を防ぐ事になるはずだった。
 激しい風浪をついて〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は25日にデンマーク海峡に入り、直ちに搭載機を放って広範囲の航空偵察を実施している。しかし、その頃にはマルシャル大将率いるドイツ艦隊はノルウェー沿岸に戻っており、悪化した気象のおかげで英国本国艦隊の警戒網をすり抜けてドイツへの帰還を果たしたのである。
 その後の4ヶ月間、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は本国艦隊に加わって北方水域の哨戒や、ノルウェーの船団、カナダからの軍事輸送船団の護衛に従事するなど、北極からの厳しい寒さの中で大西洋を東西に駆け回っている。そして4月には暖かい地中海に戻ることとなり、乗組員らは大喜びした。誰しもが異常なほどにしつこかった寒さにうんざりしていた。
 しかしクライドを出たところで、その命令は覆された。1940年4月7日、ドイツ海軍に異常な動きが見られていた為、スカパ・フローから本国艦隊が出動した。翌日、嵐を衝いてドイツ軍は「ヴェーゼル演習」作戦を実行したのである。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は急ぎ、フォーブス提督の本国艦隊に合流した。
 4月9日にドイツ軍は、ナルヴィク、トロンヘイム、ベルゲン、クリスチャンセン、オスロの5カ所同時の占拠に成功した。ドイツ海陸空の三軍による立体作戦という賭けは成功したかに見えた。
 英軍は反撃を開始した。その焦点は鉄鉱石の積出港のナルヴィクである。スウェーデン、キルナ鉱山の優良な鉄鉱石をドイツに渡すわけにはいかない。フォーブスはウォーバートン=リー大佐の第2駆逐群にフィヨルド内のドイツ艦船攻撃を命じた。
 10日の夜明け、第2駆逐群は5隻の駆逐艦で奇襲をしかけ、6隻の輸送船と2隻の駆逐艦をナルヴィク湾に沈めた。しかし引き上げる途中でドイツ軍の反撃を受けてウォーバートン=リー大佐は戦死している。
 さらなる攻撃を英軍は企図して、空母〈八百比丘尼《フューリアス》〉から〈ソードフィッシュ〉2個編隊を放ったものの、低い雲高と吹雪に阻まれて命中弾は無かった。
 海軍本部は戦艦を用いての敵海上戦力の撃滅を命じ、フォーブスはその任務を〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に割り当てた。なぜ彼女かというと、潰しの利く戦艦だからという訳だった。他の本国艦隊主力はドイツ巡洋戦艦を追う必要性から高速力を維持する必要があり、ためにフィヨルド侵入という危険な任務には使えないのだ。
 いささか〈結城《ウォースパイト》紗夜〉には失礼な理由ではあったものの、世の中の酸いも甘いも知り尽くしている彼女は「OK〜」と気軽に返答した。正確に危険性を見積もり、あえて受け入れたのである。そして結果はめざましい成功だった。艦船を沈められたドイツ軍はナルヴィクに孤立してしまったのである。
 10隻の駆逐艦と共に〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は22ノットでオフォト・フィヨルドへ侵入し、ドイツ駆逐艦を順次追い詰め、夕方までに8隻のドイツ駆逐艦全てを撃沈または自沈へと追い込んでいった。搭載機〈早瀬《ウォーラス》霞〉もフィヨルドの、まるで鬱蒼と茂った森のような狭い空を飛び回って警戒にあたり、U64を爆弾で仕留めている。
 昆虫のようにバカなドイツ人は爆弾で頭をひっぱたくのが一番、と息を巻く〈早瀬《ウォーラス》霞〉を、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は「そんな風にいうものじゃないよ」と軽くたしなめる程に、余裕の仕事ぶりだったのだ。

 ナルヴィクで大いに武名を掲げた〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は主砲射撃で壊れた甲板と上部構造物を修理し、常夏の地中海へと帰還した。それが5月10日で、同時にドイツ軍の西方電撃戦が開始された。
 フランス戦役はわずか2週間で勝敗がついてしまい、英仏連合軍はダンケルクへと追い詰められる。ダンケルクからの撤退は英国海運力の総力を上げて5月26日から6月4日の10日間に断行された。そして、6月22日にフランス共和国は降伏したのだった。
 ここで問題となったのが、フランス艦隊の処遇である。ペタン元帥を立てて発足したヴィシー政府は艦隊をフランス海軍の支配下に留め、ドイツに引き渡さないことを休戦条約に明記した。ヒトラーもまたフランス艦隊を自国艦隊に組み入れないことを明言した。しかし内容保証能力を持たない傀儡政府や、これまで散々前言をひるがえしてきたヒトラーの言葉を信ずるほど英国はお人好しではない。
 英国はジブラルタル部隊を中心にフォースH(ソマーヴィル)を編成し、これに〈結城《ウォースパイト》紗夜〉も〈結城《ヴァリアント》貴之〉と共に加わった。さらに日本の遣英艦隊から〈保科《天城》智子〉が参加している。
 6月27日。英国はメルス・エル・ケビル港に停泊するフランス地中海艦隊に5個の選択肢からなる最後通牒を突きつけた。それによれば、英国側につく、英国の港に艦艇を預ける、西インド諸島に移動して武装解除する、6時間以内の自沈、戦う、のいずれかを選ばねばならないのである。
 現地時間の9時から交渉が開始されたが、フランス艦隊のジャンスール中将の態度はなかなか決まらなかった。懊悩するフランス艦隊に対し、日本艦隊から仏印カムラン湾に移動してはどうかといった提案がされたものの、東洋人の世話にはならぬと、にべもなく拒否されている。日本としては、昨日の友は今日の敵という余りにもえぐい英国の態度に、かつての「魔物」な姿を思い起こして辟易していたが故だったのだが。
 そうこうしている内に返答の期限は過ぎ去った。ソマーヴィルは戦闘を命じ、となれば対英追従を国是とする日本の艦隊も付き合わざるを得ない。
 17時54分、H部隊は旗艦〈レゾリューション〉の砲撃を合図に攻撃を開始した。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉も無惨とは思いつつ、戦乱の時代であるからには戦わなければならなかった。
 フランス艦隊は応戦の準備が全く整っておらず、戦艦〈デュケーヌ〉は爆沈し、〈リール〉と〈トゥールビル〉が大破着底した。逃れ得たのは〈ル・ファンタスク〉級大型駆逐艦数隻のみである。それをも英国は許さず、〈保科《天城》智子〉に追撃を命じたが、「英国者のやり方はスカン」と中途半端な追撃に終わっている。ために駆逐艦らはツーロンへの脱出に成功したのだった。
 かくして英国は損害を受けずにフランス地中海艦隊の無力化に成功した。さらにポーツマスに滞在していた〈氷室《リシュリュー》微〉と〈斉藤《ノルマンディー》 倫子〉を接収して、自由フランスへ譲渡した。これらの事件に激怒したヴィシー政府は英国と断交し、ドイツへと傾斜することとなる。ドイツもまたゲッベルスが英国の蛮行を盛んに宣伝し、ヒトラーの親書を携えてリッベントロップがヴィシーへ赴くなど、ヴィシー政府がドイツにつくよう策動している。
 そして英日の蛮行に激怒したのはフランスばかりではない。独立当時からフランスびいきの傾向が強いアメリカ合衆国では、新聞が反英日な記事を書き立て、ラジオは事件を非難するニュースを流しまくる。ドイツ系市民の多い中西部では北米ナチスが急速な党勢の拡大を見ていた。
 これらの流れの上に、民主党のヒューイ・ロングは大統領予備選を制し、さらには局外中立を訴える共和党ウェンデル・ウィルキーに対して本選挙を優位に進めることになる。その果ては、合衆国のドイツへの武器供与や高品質石油製品の供給だった。それは第2次バトル・オブ・ブリテンで決定的な影響を及ぼすのである。

 英国は次にダカールへ目を付けた。ここにも、ブレストを脱出してきた〈ルミラ《ジャン・バール》〉と〈アレイ〉を始めとした10隻あまりのフランス艦隊がいる。味方にならぬなら叩きのめすべきである。ダカールを通商破壊の拠点とされた場合、英国にとって重大な脅威となる。さらに自由フランス委員会も自らの手でダカールを占領し、そこを拠点に植民地軍を自陣営に引き入れようとした。ここに「メナス」作戦が発動される。
 実行部隊はカニンガム提督の下、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉、空母〈アーク・ロイヤル〉、巡洋艦3隻、駆逐艦10隻、自由フランス部隊の輸送船6隻である。日本艦隊は参加していない。前回に引き続いての、後味の悪い作戦を嫌ったのだ。
 9月23日、英艦隊はダカールに接近し、降伏交渉が開始された。しかしセネガル総督府はメルス・エル・ケビルでの英国の行動を知っており、英国の要求に応じる筈もなかった。
 そして返答としてダカール側は〈スクア〉爆撃機を高射砲で撃墜し、かくしてダカールの攻防が始まったのだが、英国と自由フランスの目論見通りとはいかなかったのである。
 駆逐艦と砲台との砲撃戦、ダカールからの潜水艦による襲撃、全ては濃霧の中で埒が明かず、上陸船団も引き返す羽目となった。翌24日には戦艦を持ち出して砲撃を開始したが、〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉に〈ルミラ《ジャン・バール》〉の主砲弾が2発命中して中破、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉には潜水艦〈ペヴジェジール〉の魚雷が命中して小破してしまった。
 魚雷は左舷前部缶室近辺に命中し、バルジに浸水して缶室でも衝撃でボヤが発生したが瞬く間に食い止めている。
 25日にも攻撃を再開してみたが効果はなく、どうにも上手くいかないことだけが判明するばかりである。3日を費やしても成果が上がらぬ為、カニンガムは9時30分に全作戦の打ち切りとフリータウンへの引き揚げを命令し、本国も追って承認した。
 思わぬ敗北を喫したカニンガムと地中海艦隊は、いくさ勘と運を微妙に狂わすことになった。それは対イタリア戦に重大な影響を及ぼすことになる。

 1940年10月28日。イタリアが遂にドイツ側に立って参戦した。その海上戦力には侮れないものがある。
 そのイタリア海軍の主力艦は、近代化改装を済ませた〈河田《フランチェスコ・カラッチョロ》穂鳥〉級4隻に、この夏、新造艦〈ヴィットリオ・ヴェネト〉と〈リットリオ〉が加わった大戦力だった。イタリア艦隊は、数の上では英仏の両地中海艦隊を合わせたものよりも劣勢だったが、個別では優位に立っていたのである。ただし燃料の備蓄が少ないことと、稼働率が高くないことが欠点といえた。
 フランスの降伏とメルス・エル・ケビル海戦は英軍に不利をもたらし、カニンガムは劣勢の艦隊でもって地中海の制海権を争うことを強いられた。英本国でも地中海の劣勢を憂い、N3級戦艦1隻を増援として送り込む。低速だが18インチ砲の威力は強大な筈である。
 戦意に不足のないカニンガムは、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉、〈マレーヤ〉、〈ラミリーズ〉、〈ロイヤル・ソブリン〉、〈高槻《セント・デイビット》梢〉に空母〈イーグル〉で戦いを挑んだ。長年鍛え上げた術力を発揮するのは、この時のため。イタリア人、何する者ぞ。
 しかし、ダカール沖で狂った歯車を修正する時間を与えられなかったことが不利をもたらす。

 地中海争覇の第1回戦は11月9日のカラブリア沖海戦である。前々日の7日にカニンガムはマルタ島の島民を疎開させるために輸送船団を率いて中部地中海へと出撃し、これを察知したイタリア海軍はベンガジへの輸送船団を護送した艦隊を迎撃に差し向けた。
 迎撃艦隊の接近を、マルタ島からの通報で知ったカニンガムは積極的に砲撃戦を挑むことにした。戦艦戦力は2対3であり、さらにN3級がいるので優位としても、巡洋艦で16対5、駆逐艦では32対17と英艦隊が劣位にある。しかし勝負は数量だけで決まるものではない。ダカール以来の妙な空気を断ち切るためにも勝利しなければ。英艦隊はイタリア艦隊のタラントへの退路をさえぎるべく、北西へと進んだ。
 14時47分、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の前方16キロにいた巡洋艦〈オリオン〉がイタリア艦隊の煙を発見し、さらに5分後、〈ネプチューン〉が敵艦2隻を発見して「敵艦見ゆ」と打電した。1798年のアブキール湾海戦の前に、〈ゼラス〉からネルソン提督に「フランス艦隊見ゆ」と信号が送られてから142年目のことである。

 15時14分、イタリアの重巡が距離21600で英巡洋艦戦隊に砲火を開いたことで、カラブリア沖の戦いが始まった。太陽を背にしている有利さから、当初はイタリア艦隊が優勢だった。しかし15時22分に4隻の英巡洋艦が突撃を開始すると、目に見えて砲撃がぶれ始めている。それでもイタリア軍は数で4倍と圧倒しており、英軍の不利は否めない。しかも英軍は巡洋艦〈水島《グロスター》新太郎〉が前日の爆撃で損傷し後退しているのである。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は巡洋艦戦隊を援護するため、最大速度の25ノットで驀進した。15時26分に距離24100で発砲を開始し、10回の斉射弾を送り込んだ。夾叉されたイタリア巡洋艦は煙幕を張って射程外に逃れ去った。その後、小康状態が続き、15時48分に〈真田《クリストフォロ・コロンボ》恭子〉、〈河田《フランチェスコ・カラッチョロ》穂鳥〉が、射程限界ぎりぎりから38センチ砲16門を放ってきた。
 多くの砲弾は〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の900メートル以内に落下し、夾叉弾もあった。その後の5分間、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は打たれっぱなしだったが命中弾は無い。ジュットランド海戦時のドイツ艦隊よりも明らかにイタリア艦隊は砲撃の技量に劣っていた。そして〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は返礼を送った。距離23700で発砲を開始し、16時00分、カンピオーニ大将が座乗する〈真田《クリストフォロ・コロンボ》恭子〉の煙突基部に38センチ砲弾が命中して炸裂した。
 距離21000で命中した一弾は〈真田《クリストフォロ・コロンボ》恭子〉のボイラー6個を破壊し、その速度を18ノットにまで低下させた。カンピオーニは怯んだがこらえ、さらなる砲撃の続行を命じた。速度こそ落ちたものの、隻数は2対1で主砲口径は同等、砲身長では勝っている。命中率が悪くとも、手数で勝負できる筈である。
 退かないイタリア艦隊に激しく打ち返しながら、カニンガムは低速戦艦部隊の到着を待ちわびていた。さらに〈河田《フランチェスコ・カラッチョロ》穂鳥〉に命中弾を与えているとはいえ、このままでは分が悪すぎる。2対1ということで数を恃んできたか。単艦での突撃をすべきではなかったのかもしれない。
 カニンガムが舌打ちしているとき、待望の〈高槻《セント・デイビット》梢〉が追いついてきて、おずおずと砲撃を開始した。もう一隻の〈マレーヤ〉は機関の調子が悪く、とうとう追いつけなかったが、18インチ砲9門は不在の〈マレーヤ〉を補って余りある。熱血で大剣を振り回す〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉と違って控えめな〈高槻《セント・デイビット》梢〉は、竹箒で庭を掃くように淡々と仕事をこなしていく。
 18インチ砲弾が巻き起こす巨大な水柱の飛沫を雨のように浴びて、カンピオーニは卒倒しかねない程に驚愕した。そそり立つ水柱は、15インチ砲弾のそれとは全く桁が違う。
 しかも〈高槻《セント・デイビット》梢〉は2斉射目で夾叉を出している。理数系を得意とする〈高槻《セント・デイビット》梢〉は高い命中率と優秀な成績を誇っているのだ。
 交戦意欲がくじけたカンピオーニは退避と煙幕の展張を命じた。しかし、イタリア艦隊が回頭にかかる直前の斉射弾が〈高槻《セント・デイビット》梢〉に命中した。
 命中弾は一発のみ。〈真田《クリストフォロ・コロンボ》恭子〉の放った砲弾は手前に落ちて水中弾となり、艦腹を抉って大浸水を発生させている。確率の起こした「魔弾」だった。やはり「猫が箱の中にいるかどうか」は、箱を開けてみなければ分からないのだ。
 強力な攻撃力を持つN3級戦艦は防御力に大きな弱点を抱えていた。舷側装甲は380ミリと比類無い強固さを誇っていたが、装甲板の高さが小さく、しかもその下方に装甲を全く持っていなかったのである。〈高槻《セント・デイビット》梢〉の速度はがくりと落ち、傾斜して砲撃もできなくなってしまった。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉仕込みの応急措置で浸水を止めたとはいえ、アレクサンドリアのドックに入れなければならなくなった。
 カニンガムはやむなく煙幕の展張と退避を命じた。切歯扼腕するが、これ以上の戦闘はもはや無理であった。
 英、伊の両艦隊がそれぞれ退避し始めたとき、今度はイタリア空軍が押っ取り刀でやってきて爆撃を開始している。サヴォイア・マルケッティSM79の爆撃の大多数は当てずっぽうで、しかも敵味方に均等にばらまかれていた。合同訓練などしたことがないため敵味方の区別がつかないのだ。カンピオーニは怒り狂った通信を送り、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉ではそれを解読して苦笑した。
 こうしてイタリア空軍によって水が差された海戦は、英国とイタリア双方の痛み分けとなった。しかし痛み分けと考えたのは英国だけで、イタリアでは18インチ砲戦艦に痛撃を浴びせて撃退しことで、お祭り騒ぎになっていた。となればノリ始めるのがラテン気質である。
 もしかしてやれるのでは?いや、やれるだろう!艦隊保全のために及び腰だった海軍上層部も俄然やる気を出し始めた。かくてイタリア海軍は英地中海艦隊を相手取って一歩も退かない戦いを展開する。
 イタリア人のうぬぼれを第一撃で木っ端微塵にしようと考えたカニンガムの思惑は、たった一発の砲弾によって外されたのだ。

 以後も英軍とイタリア軍の一進一退の攻防が続く。英軍はスパダ岬沖で快勝を納めたが、今度はルフトヴァッフェが地中海に展開し、英軍の連絡線を脅かし始めた。さらにイタリアは〈涼原《インペロ》千晴〉と〈霧島《ローマ》佳乃〉を1941年早期に竣工させて、戦力を強大なものとしている。
 それに対して英国はドイツの戦艦に備えて高速戦艦を本国水域に集中せねばならず、さらに増強著しい合衆国艦隊と、〈倉田《フェルナンド・マガリャンイス》佐祐理〉を始めとした強力なスペイン艦隊にも備えなければならなかった。しかもスペインの首邑リスボンは、合衆国からドイツへ送られる戦略物資の中継地にもなっている。ジブラルタル部隊による監視は欠かせないのだ。英国は苦闘を続けるカニンガムへの増援もままならず、ために地中海の天秤はイタリア側に徐々に傾き始めた。
 陸上ではイタリアのエジプト侵攻軍を撃退して中東第8軍がリビアへ逆侵攻しているが、エルヴィン・ロンメルがトリポリに着任し、4月2日にはエル・アゲイラを奇襲して2週間で第8軍をエジプトへ押し戻してのけている。押し戻すばかりでなく、DAKはスエズ攻略の為に港湾都市トブルクの奪取にかかった。
 そんな中を〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は船団護衛に地上部隊援護の艦砲射撃にと、地中海を東奔西走していた。1940年12月9日にはバルディアを砲撃してフォート・カプッツォの物資集積所を破壊し、ロンメルの攻勢が始まった後の4月20日にはトリポリに艦砲射撃をかけた。
 1941年5月5日のタラント空襲は空振りに終わったが、代わりにリビアへの輸送船団を航空攻撃で壊滅させている。ためにロンメルは麾下の軍団を停止させざるを得ず、その時間を使って中東第8軍はトブルクとエル・アラメインの防備を固めることに成功した。
 6月27日の第1次マタパン岬沖海戦では、地中海艦隊は〈ラミリーズ〉を失い、〈クィーン・エリザベス〉が大破という大敗北を喫した。先月5月27日の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃戦の最終局面ブレスト沖で、〈KGV〉を始めとした主力艦に損傷を被った英国にはさらなる打撃である。独ソ戦も始まっており、ドイツ軍は快調な進撃を継続していた。
 しかも新鋭〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉が夏の地中海へやってきたとはいえ、竣工したばかりで訓練不足の文無し状態にして、受けない、オチない、才能がないという悲惨さである。放浪者としては大先輩の〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が、主力を務めねばならない状況には変わりがないのだ。
 そして7月22日には、その新世代の主人公たるべき〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉が、パンテレリア島沖で〈霧島《ローマ》佳乃〉にX砲塔を飛ばされてしまっている。若い者の軟弱さを嘆くより他にない。
 結構遠い「隣り街」のジブラルタルを経由して本国へ〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉が旅立った後、今や老武者というべき〈結城《ヴァリアント》貴之〉がアレクサンドリアへと来て、姉弟水入らずの日々を過ごした。
 それもつかの間、8月22日に〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はクレタ島沖キティラ海峡で3機編隊のJu87の爆撃を受けて右舷前部を損傷した。応急処置で航海には影響ないようにしたが、PC500爆弾は船首楼甲板を広範囲に渡って破壊し、これ以上損傷を広げないために前部主砲は射撃を禁じられた。
 アレクサンドリアのドックに入ったが追い打ちをかけるように独伊軍の空襲が始められ、さらにバルジへの浸水を被っている。これではおちおち修理もできず、日本の工廠に向かうことになったのである。
 8月26日に出港して三週間の航海で横須賀へ到着した。爆弾の傷跡も生々しい〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の姿は、日本海軍ばかりでなく取材に来た記者達に、進行中の戦争の酷烈さを教えている。
 日本海軍は〈結城《ウォースパイト》紗夜〉のために呉のドックを用意していた。そのドックは現在急ピッチで艤装が進められている〈高瀬《大和》瑞希〉を建造したドックで、当初海軍は貸し出すつもりはなかったのだが、北アフリカで戦っている日本陸軍からの強い要請があったことと、さらに「ローレライ」作戦で損傷した戦艦群を英国のドックにいれて修理して貰っていることから断ることができなかったのである。
 こうして〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は一号ドックに間借りすることになり、9月11日に入渠した。長い禁欲生活を強いられていた乗組員らは、呉で大歓迎を受けて、そのもてなしを満喫している。

 呉では損傷箇所の修理の他に、主にRDFの設置と対空装備の強化がおこなわれている。水上捜索、対空捜索、水上射撃RDF管制システムを装備した。
 これによりマタパン岬沖でのような、水上夜戦で不覚をとることは少なくとも無くなったはずである。あれは「まぐれ」だという報告は遣英艦隊から届いていたが、マタパン岬に続いてパンテレリア島と、二度も英艦隊が夜戦で敗れたことが日本海軍の注意を引いていた。かつて濃霧の北太平洋で合衆国の満州への武器輸送船団を取り逃がしかけたことと合わせて、レーダーの必要性を強く印象づけたのだ。日本海軍は主要な艦艇にレーダーを設置することになる。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が改装されている間、フィッシャー艦長は英国の戦争努力に関して日本国内を講演して回った。長野県からも招待を受けて、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を合祀している小諸の神社に詣でている。ネッド副長は35才で、当時英海軍で最年少の副長だったが、艦長不在の間、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の指揮所に残っていた。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の改装は時間がかかった。レーダーの装備と対空装備の増強以外にも、命数を使い切りかけていた主砲の換装をおこなわねばならなかったためである。そのために砲塔運搬艦〈牧村〉が15インチ砲身を持って、英国から里帰りするのを待つ必要があった。英国では〈牧村〉に15インチ砲多数や各種機材など、多くの土産を持たせて送り返している。密かに英本土脱出計画、つまりは「引っ越し」計画が実働していたのである。
 12月8日、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の改装はようやく終了して、フィッシャー艦長の下で再就役した。そうのんびりはできないが、訓練をしながら地中海へ戻るばかりである。しかし地中海の事態は風雲急を告げていた。
 12月18日、イタリア海軍第10MAS隊が人間魚雷〈マイアーレ〉でもってアレクサンドリア軍港を襲撃し、戦艦〈クィーン・エリザベス〉、〈結城《ヴァリアント》貴之〉を大破せしめたのである。これにより英地中海艦隊は、主力艦が〈高槻《セント・デイビット》梢〉ただ1隻という状態に追い込まれたのだった。

 軍港襲撃を知った〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は急ぎ地中海へ戻った。彼女が戻る前に、英国はマルタ島への補給作戦、「ヴィガラス」と「ハープーン」を1942年1月10日に発動させている。マルタ島は激化する空爆に瀕死の状態となりつつあった。アレクサンドリアを発した「ヴィガラス」船団は戦艦を含むイタリア艦隊の襲撃を受けて引き返さなければならなくなり、一方ジブラルタルからの「ハープーン」船団がマルタに物資を届けることに成功した。
 食料、燃料、弾薬を得たマルタ島は息を吹き返したものの、運び込んだ物資は1万5千トンに過ぎず、25万人の市民も含めて、4月の終わりまで食いつなぐのが精一杯である。このため再度の補給作戦を実施しなければならない。こうして「ペデスタル」作戦が発起される。
 1月の「ヴィガラス」、「ハープーン」両船団の結果を踏まえ、東西から船団を発すると同時に、護衛部隊を増強して水上と航空の両方の攻撃に備えることになった。
 これまで地中海の戦いを傍観していた日本海軍も遂に本気で参画することになった。艦隊夜襲の中核として期待をかけていた重雷装艦からなるJB戦隊を、ゴゾ島沖海戦で壊滅させられていたのである。それは雷撃に特化しすぎていたが故の悲劇だったが、日本海軍上層部はイタリア人に舐められっぱなしというのが我慢できなかった。
 さらにチャーチル首相からも、本作戦は地中海の命運を決する決戦である、と云ってきている。日本海軍は期待に応えるために、就役したばかりの〈高瀬《大和》瑞希〉をも投入することを決した。
 この補給作戦をドイツとイタリアは迎え撃つ。彼らは、この戦いの勝敗が地中海全域の覇権を左右することになるのは十分に理解していた。ルフトヴァッフェ第2航空艦隊司令長官のケッセルリンクは船団に関する情報の収拾に全力を尽くし、900機近くの航空機に、潜水艦、魚雷艇もかき集めて船団阻止を図った。
 ここに地中海争覇は絶頂を迎える。

 1942年4月7日にクライド湾から輸送船団が発し、9日にジブラルタルで護衛部隊が勢揃いした。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉〈高槻《セント・デイビット》梢〉はフォースFの間接護衛隊に参加している。遠目には姉妹にも見える彼女らの周囲を防空巡洋艦〈村上《ユリシーズ》若菜〉が巡っていた。フォースJ参加のアレクサンドリア部隊も含めて、英国地中海艦隊の全力出撃である。
 4月10日にアレクサンドリアから発するフォースJを構成するのは、戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉に〈長谷部《高千穂》彩〉、〈霧島〉、空母〈千鶴(供法咫〈梓丸〉、重巡〈那智〉、〈赤嶺《妙高》真理〉、軽巡4隻に駆逐艦15隻である。フォースJに護衛される輸送船5隻は前回の「ヴィガラス」の生き残りだった。
 実のところ、〈高瀬《大和》瑞希〉の高柳艦長は、艦の初陣がイタリア人相手というのが不満な上に船団護衛任務を嫌っていた。〈高瀬《大和》瑞希〉は青空の下で正々堂々、来寇する合衆国艦隊と艦隊決戦を戦うために建造されたのだ。それなのに、清潔なテニスウェアのような連合艦隊所属を示す白線を消し、薄汚れた迷彩を施しての商船護衛任務とは情けない。英国の制海覇権を覆そうとする、ドイツ人とイタリア人のような海軍不適応の連中の相手をすることはない。たかが商船ごときの護衛など、日本海軍にとっては裏街道なのだ。
 空母〈千鶴〉喪失によって海上護衛総隊が創設され、それは日々拡充をみていたが、艦隊決戦指向は日本海軍の抜きがたい宿痾だったのである。
 かような憤懣が、高柳艦長を始めとして〈高瀬《大和》瑞希〉艦内では渦を巻いていた。彼らがもし、遣英艦隊付きの井上成美提督がチャーチル首相に語った言葉を知ればとんでもない騒ぎになったかもしれない。井上は、戦艦は囮に過ぎないと明言したのである。
「〈高瀬《大和》瑞希〉は18インチ砲しか取り柄がありません。完成したばかりですが、そんな戦艦で宜しければ、どうぞ使ってください。あれの巨砲と頑丈な装甲は客寄せに役立つでしょう」
 常備排水量で7万トンを超える巨大戦艦を囮と言い切る井上に、チャーチルは得たりとばかりに笑み崩れた。チャーチルの語った「決戦」という言葉は日本海軍から戦力を引き出す口実であり、井上はそれを正確に読みとって返したのだ。そして井上は遣英艦隊司令部の「意見」として〈高瀬《大和》瑞希〉の派遣を海軍軍令部に具申し、それは実現したのである。
 そんな裏事情を知る由もない高柳艦長の慨嘆をよそに、〈高瀬《大和》瑞希〉は機動部隊護衛や船団護衛といった「裏街道」にずぶずぶとはまっていくことになる。それは攻撃力、防御力、機動力を高次元で融合させた万能戦艦なるが故の順応性のためであった。
 4月13日、マルタ沖で日英艦隊とイタリア艦隊は激突した。イタリア艦隊は全力を上げて「ペデスタル」の護衛部隊に向かって突撃をかけたのである。確かに巨砲と装甲は見事な「客寄せ」となった。とはいえ、日英の首脳は艦隊が敗北するとまでは予想していなかった筈である。
 〈涼原《インペロ》千晴〉と〈霧島《ローマ》佳乃〉を先頭に立てたイタリア艦隊東部部隊(イアッチーノ)は手強く、先行していた〈霧島〉、〈那智〉を瞬時に撃沈してのけた。遅れてやってきた〈高瀬《大和》瑞希〉は夾叉に10斉射もかかり、〈長谷部《高千穂》彩〉は砲塔故障を起こしてしまっている。
 この太平洋からやってきた世界最大の戦艦を見て、イタリア水雷艇隊は鼻息を荒くした。何しろ7万トンもの戦艦などレアである。欧州には存在しない上に、合衆国で建造中の〈川上《ケンタッキー》由里己〉級戦艦は未だ海上に姿を現していない。レア物を撃破することは、例え将棋倒しになって潰されたとしても水雷艇の本懐である。かくて頭に血の上った〈オタク《MAS》ヨコ〉、〈オタク《レモ》タテ〉は、シャッターが上がるやいなや我先に突撃を敢行するのであった。
 そして〈高瀬《大和》瑞希〉と〈長谷部《高千穂》彩〉は押し寄せる人津波に茫然自失して、駆逐艦に守られながら撤退するに至ったのである。

 〈オタク《レモ》タテ〉、〈オタク《MAS》ヨコ〉どもの突撃に〈高瀬《大和》瑞希〉は悲鳴を上げたが、「食堂のお姉さん」こと〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は、イタリア西部部隊(ベルガミーニ)の殺到するお客さんを手際よく片づけていった。長年の知恵と経験は伊達ではない。
 〈マーカントニオ・コロンナ〉を第3斉射で挟叉し、第6斉射で敵艦の薄い甲板装甲を叩き割って爆沈せしめた。続いて、苦戦している〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉の後ろにつき、再び〈真田《クリストフォロ・コロンボ》恭子〉、〈河田《フランチェスコ・カラッチョロ》穂鳥〉と撃ち合っている。最終的には〈フランチェスコ・モロシーニ〉を沈没に追い込み、船団攻撃に向かう巡洋艦部隊の〈ボルツァーノ〉、〈ゴリツィア〉、〈鳥海《フィレンツェ》千紗都〉、〈鳥海《ヴェネツィア》空〉は取り逃がしたが、〈マコティーニ〉に対しては幼子をあやすようにして撃退した。
 注目を浴びることの苦手な〈高槻《セント・デイビット》梢〉は逃げ腰で命中弾はなく、かえって〈河田《フランチェスコ・カラッチョロ》穂鳥〉の激しい反撃を浴びてしまっている。〈村上《ユリシーズ》若菜〉は短距離走のように戦場を突っ切って親友〈高槻《セント・デイビット》梢〉の援護に駆けつけ、雷撃を見舞いに来た〈モンテクッコリ〉と〈エウジェニオ〉に砲撃を叩き込んだ。
 大混乱となったマルタ沖はフォースF、フォースJ共に日英艦隊の後退で終わった。しかしイタリア艦隊もまた主力艦の半数となる4隻を失い、残存艦艇も大小の損傷をうけて、以後大戦力での出撃ができなくなっていたのである。そしてドイツ、イタリア空軍の絶え間ない空襲に耐えて、油槽船〈オハイオ〉を含む商船4隻がマルタ島のヴァレッタに辿り着いた。
 「ペデスタル」作戦は成功を収め、マルタ島は機能を回復した。しかし、それはマルタの息の根を止めるべく上陸作戦が敢行されるまでの短い期間に過ぎなかったのだった。

 4月以後、欧州の戦況は英国にとって悪化の一途を辿っていた。
 太平洋では合衆国の挑発に日本海軍が応じてしまって戦争が起こり、遣英艦隊が本国へ帰還してしまっている。ためにドイツとヴィシー・フランスへ海上からかける圧力は減じていた。
 大西洋は相変わらずドイツのUボート(相当数が供与された〈ガトー〉級潜水艦)と合衆国義勇艦隊が跳梁しており、英国の通商路は遮断されかかっている。
 僅かな救いは、合衆国が英国との密約で、その巨大な海軍戦力を英国相手に向けないことだった。
 合衆国は、日本を打倒して満州の安定を図ることと、中国大陸市場の獲得を最優先事項としていた。無論、宿敵たる南部連合を倒しての統一合衆国再現は忘れていない。しかし、南部人の後ろ盾である英国がドイツによって倒れてしまえば、後は熟柿も同然で鎧袖一触。旧世界も英国とドイツが共倒れに近い状況となろう。介入はそれからでよい。疲弊し尽くした旧世界は統一合衆国の軍門に下ることになるだろう。かくてワシントンDCは新たなるエルサレムにして、カプトゥ・ムンディ(世界の首都)となる。おお、星条旗よ永遠なれ。
 新大陸の連中の思惑はどうであれ、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はなおも東奔西走している。英国海軍は減少した戦力で商船を守り、それでいてドイツとフランスも睨まねばならない。高速戦艦はスカパ・フローに集中されねばならず、船団護衛に地上部隊援護任務は旧式戦艦が担っている。その中でも最も状態の良好な〈結城《ウォースパイト》紗夜〉には次から次へと仕事が押しつけられたのである。
 そんな中でも嬉しいことに、弟〈結城《ヴァリアント》貴之〉が修理を完了して、その姿を海上に見せた。しかし〈結城《ヴァリアント》貴之〉は既に老人としか云いようがなかった。人間魚雷によって折られた竜骨は完治せず、機関もまた酷使されてR級ほどの速度しか出せない。艦上には爆撃痕が老人性色斑のように付いていた。全くと言って良いほど年を取っていない〈結城《ウォースパイト》紗夜〉と比較すれば、その差は歴然である。今では姉弟というよりも、老いた領主と妾腹の娘が並んだようにしか見えなかった。
 それでも、〈結城《ヴァリアント》貴之〉は〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の大事な弟である。〈クィーン・エリザベス〉はアレクサンドリアのドックで半ば放棄され、〈バーラム〉は地中海でUボートによって沈められ、生き残っている〈マレーヤ〉は改装を受けることが出来ぬままだった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は老いた弟に寄り添い、イタリア軍の戦力が枯渇した為に多少は平穏になった7月の地中海から本国へと戻った。

 そして、9月。ドイツ軍は鋼鉄の奔流となって、遂に英本土に雪崩れ込んだ。スカパ・フローの本家である高速戦艦戦隊が北海へ出撃し、離れにひっそりと住まっていた〈結城《ウォースパイト》紗夜〉も出撃した。バートラム・ラムゼイ提督は〈結城《ヴァリアント》貴之〉に将旗を掲げ、ノース海峡を抜けて英仏海峡西部へ向かう。
 ドイツの高速戦艦部隊はグランド・フリート主力が北海中央部へ引きずり出すことになっている。その間隙を衝いて、海峡の東からはピゼイ大佐の駆逐隊を先頭に軽快艦艇部隊が高速と雷装を武器に突入し、西部は低速戦艦部隊が金床となって、ドイツ軍の船列を破壊するのである。
 高速戦艦を囮とした作戦は上手くいくかに思えた。実際、ピゼイ隊が船列に突入して2個師団を海峡へと打ち沈めている。しかし、続行する筈の巡洋艦部隊がドイツ海軍航空艦隊と空軍対艦攻撃隊によって打撃を受け、遂に突入を果たせなかったのである。
 そして西部では、メルス・エル・ケビルの復讐戦を望むジャンスール提督率いるヴィシー・フランス艦隊が立ちふさがった。このランズ・エンド岬沖海戦で〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は奮戦したが戦勢に利なく、撤退のやむなきに至る。そして殿となった〈結城《ヴァリアント》貴之〉は、姉を守るために40発もの砲弾を受けて黄泉路を下った。
 その最後の言葉は、「ソーリー(すまない)」だった。

 老武者〈結城《ヴァリアント》貴之〉の沈没を見ても、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は涙を流さなかった。あまりにも悲しいときは、かえって涙を流せないものかもしれなかった。彼女は決意を固めていた。かつて弟は自分を護ってくれた。ならば、今度は自分が弟の家族、本土から脱出する人々や海軍、名誉と云った諸々を護る。
 弟は命を懸けて自分を護ってくれたのだから。

 英本土攻防戦は熾烈さを増していった。英軍は遅滞戦闘を繰り返してドイツ軍におびただしい出血を強要している。しかし制空権はRAFになく、ブリテン島の上空をドイツ製(と合衆国製)の爆撃機が跳梁して片っ端から破壊して回った。海上ではドーバー海峡を渡る輸送船団への襲撃が度々実施されて相当の戦果を上げたが、それだけで押しとどめられるものではなかった。地上では正規軍だけでなく民兵も加わって必死に抵抗したが、東部戦線の鉄火で鍛え上げられたドイツ軍に対するには非力に過ぎた。先祖伝来の本拠地ブルームを含むヨーク一帯を死守しているベリンジャー一族や、ハイマンション・ファミリー(実態はハイマンション基地を拠点とする日英寄せ集めの部隊)らの奮戦はあったが、英軍はじりじりと追い込まれていったのである。
 海峡西部への突入作戦で只一隻生き残った〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はD船団のカナダへの護衛を命じられ、幾度も大西洋を往復した。そしてハリファックスへの途上でマルタ島陥落の報を、陸上から飛んできた〈早瀬《ウォーラス》霞〉に知らされたのだった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は慟哭した。マルタは、老いた帝国本土とアジアの植民地とを結ぶ大事な拠点だった。そして地中海の戦いは、大英帝国の帝国たるべき威厳を護るための戦い、であった。一片の意地を護るためにどれ程の血が流されたのだろうか。英軍ばかりでなく島民もまた大量の血を流している。そして自らは故郷とも呼べる地中海で何も成し得ず、死ぬこともできずに生きながらえている。
 ひたすらに謝りつつ〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は大西洋を渡り、次いで喜望峰経由でシンガポールへと向かった。本国艦隊の引っ越しの準備をして置かねばならないからである。
 1942年の年末には東洋艦隊の旗艦となって、オーストラリアのシドニーに常駐した。オーストラリアは主力の巡洋戦艦〈《フッド》柳也〉を本国艦隊に差し出している。そのようなときに合衆国の中部太平洋侵攻が始まった。そして、ようやく戻ってきた〈《フッド》柳也〉は「翼人」〈《イリジスティヴル》神奈〉の護衛作戦において二度と戦えないほどの重傷を負っていた。合衆国海軍は中部太平洋を制圧してパラオにまで進出している。主力艦を失ったオーストラリアとしては合衆国の動きに神経質にならざるを得ず、危機感はいや増していたのである。為に〈結城《ウォースパイト》紗夜〉〈高槻《セント・デイビット》梢〉〈村上《ユリシーズ》若菜〉が、南太平洋へと派遣されたのである。
 オーストラリア常駐は1943年半ばまで続いている。その間に日本海軍が投機的なハワイ占領作戦を実施して成功させ、奪回を図る合衆国海軍との間に「史上最大」と冠される東太平洋海戦が戦われている。それに〈結城《ウォースパイト》紗夜〉ら東洋艦隊が関与したのではないか、との噂が根強くあるが詳細は明らかとなっていない。
 ともあれ、太平洋戦争は休戦となった。大西洋での戦いも休止となり、両大洋は静かさを取り戻した。戦争は北アフリカと北米大陸で続行されているが、地球規模では概ね終わったと云うべきだった。

                                  ◆

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉から発せられた信号に、艦艇らはとまどった。だが、徐々に意味が染み通っていった。
 今生きている。それが大事なことと思われるが、如何。
 そう、我らは今現在、生きている。生きている限り、成すべき事がある。
 英海軍生き残りの艦艇から自然と「ルール・ブリタニカ」の歌唱が湧き起こった。アンドリューズ(海軍将兵)は決意を新たにした。
 我らは必ずや本土へと戻る。
 ここに英海軍は本土奪回への長い途の入り口に立った。アッズ環礁こそは、帝国時代との別れと終焉を知った場所となった。

そして、彼女はそこにいた


 かの「山崩れ」こと英本土失陥から、ほぼ3年が立った。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は鎮海湾の波に艦影を映していた。彼女は近い将来に大韓民国として独立することになった英領コリアに売却されたのである(注3)。
 英本国艦隊はシンガポールのセレター軍港に拠点を移していた。その艦艇数は大幅に減じている。空母機動部隊中心の艦隊編成へ移行したことと、予算の制約が厳しいことから、旧式の艦艇を抱える余裕を英海軍は失っていたのだ。ために旧式駆逐艦や巡洋艦はかつての植民地、現在は英国王ジョージ6世を元首とする英連邦諸国へと売却されており、戦艦もその例外ではなかった。18インチ砲戦艦〈ジャネット《セント・アンドリュー》バンロック〉は南アフリカへ、〈高槻《セント・デイビット》梢〉はインドへと売却されている。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に与えられた艦名は〈広開土大王(クァンゲトデワン)〉。4世紀末に半島へ侵入した倭人の軍勢を大いに破って領土を広げた高句麗王で、好太王とも呼ばれている。自治政府の李承晩主席が日本へのライバル心から、そう名付けたのだった。同じく売却されてきた〈川口《リナウン》茂美〉は〈太宗武烈王(テジョンムリョルワン)〉と命名されているが、こちらは半島統一を成し遂げた新羅王で、白村江で百済救援の日本軍を(唐の水軍が)壊滅させた故事に倣ったのである。
 命名の由来を知っても日本政府は苦笑するに留めた。日本にとっての最大の関心事は英領コリア軍が英連邦軍の一員として行動するか否やであった。海空の戦力に手を抜くわけに行かない日本にとって、陸上戦力の大規模な建設は人的資源の量からいってできるものではなく、その分を韓国やインドが肩代わりしてもらうことが望ましかった(注4)。
 とはいえ、韓国人のエベレストよりも高い自尊心は日本人の指揮を受け入れるものではなかった。しかし必ず英国人を間に入れる、ということで日本は間接的に指揮権を獲得している。
 そして、〈広開土大王〉と改名されても、日本にとっては〈結城《ウォースパイト》紗夜〉〈結城《ウォースパイト》紗夜〉以外の何者でもなく、彼女の帰るべき場所を準備する人々は数多くいたのである。
 韓国においても〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は人気があった。威圧的なデザインの日本戦艦に比して、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は清楚でありながらも豊艶な感じを与えている。それでいて「じゃーん、浴衣だよー」と、(雰囲気ぶちこわしではあったが)ざっくばらんで温かい人間性を感じさせるが故であった。
 ともあれ、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は韓国の人々に受け入れられたのだった。

 第3次世界大戦が勃発し、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉も鎮海湾で臨戦態勢に入った。艦長は19代目艦長ヴィクター・クラッチレーの親戚のアダム・マスター・クラッチレー大佐だった。ミドルネームのマスターと呼ばれることの多い彼は、初代艦長フィルポッツとも親族関係にあって、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉にまつわる因縁を知る立場にあった。なお、彼の旧友かつライバルに、グルカ兵部隊を率いるストアマスター大佐なる人物がいる。
 韓国海軍としては大型艦の艦長職を自国軍人で占めたかったのだが経験不足であり、駆逐艦以上は英国人に頼らねばならなかったのである。しかしながらマスターは韓国海軍から一種畏敬の念を持たれていた。彼は狩猟を趣味としており、山に籠もっては解体するのに一日がかりという大型獣を単身で仕留めて見せたのだ。禁猟期にやったのはまずかったのだが、海軍では皆が知らぬふりという「大人の対応」を取っていた。
 そしてマスターと〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は一致協力して、韓国海軍という小さな食堂を繁盛させることになる(注5)。
 英連邦海軍の後方支援優先という指示に従って船団護衛に従事し、パナマ奪回後のカリブ海戦線では船団護衛と上陸支援を手際よくこなしていった。昔取った杵柄というものだろう。
 カリブ海の戦いに〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が参加したのは、李承晩の指示によるものだった。黄海艦隊の旗艦である巡洋戦艦〈川口《リナウン》茂美〉の方はインド洋に展開する英連邦海軍部隊に差し出しており、鎮海艦隊旗艦〈結城《ウォースパイト》紗夜〉については指揮権維持を望んでいたのである。ために〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は、李承晩の日本への対抗心から、主戦線(と韓国政府では見ていた)であるカリブ海へと派遣されたのだった。そして〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はキューバ諸島のロマノ島沖で、ドイツ戦艦〈白河《プロイセン》律〉(旧合衆国戦艦〈オクラホマ〉)を撃沈する活躍を演じた。
 韓国では〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が敵戦艦撃沈という功績を上げたことに国を挙げて喜んだ。何しろ日本海軍は第1次ウィンドワードで戦艦級の艦艇を大破せしめられ、その後も一進一退で戦況ははかばかしくないのだ。そこに韓国海軍が大功を上げたのだから、鼻も高くなろうというものだった。
 マルティニークが敵味方共に主力を叩きつけ合う戦線の焦点であり、キューバは後方戦線に等しいということは無視して、李承晩はご満悦だった。そして機嫌が良かったために英連邦軍の依頼を受けて、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を英連邦艦隊へと差し出したのである。
 彼女はインド洋、そして懐かしの地中海を西へと向かうことになる。

 なお、キューバ海域で旧式とはいえ戦艦が沈んだことにヒトラーが過敏な反応を示し、以後のドイツ戦艦の行動に厳重な制約がかけられることになった。ために本土との折衝に時間をとられ、ドイツ北米艦隊は幾度かのチャンスを見逃す結果となる。

 英連邦軍のスエズ奪回以後は、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は地中海へと転進した。マルタ島奪回後は、艦長以下乗組員総出でマルタ島住民の墓に献花して許しを請い願った。
 1951年7月17日にはシチリア島へ艦砲射撃をかけた。このシチリア上陸作戦ではシチリア島南東のパセロ岬沖で警戒に当たることになっていたのだが、マスター艦長が地中海艦隊司令長官リーチ提督に直訴して支援任務に参加を認めさせたのだ。
 カターニャを砲撃することになったのだが、マルタのマルサシュロック湾からシチリア東岸までの距離など、かつての彼女であれば汗の一つもかかずに進んだ距離だった。しかし今では最高で22.5ノットしか出せない状態となっている。玉のような汗を流しつつ、彼女は突き進んだ。
 マルサシュロックに戻ってきたマスター艦長に、リーチ提督は発光信号を送った。
「作戦は成功した。オールド・レディもスカートを上げれば走ることができる」
 この信号の結果、以後〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は「オールド・レディ」として人口に膾炙することになった。彼女に乗り組んでいた退役軍人達のつくった協会は、その名を「グランド・オールド・レディ」と言うのである。
 そして、7月30日の夜。〈ドレッドノート〉の最後の末裔〈KGV〉と〈国崎《デューク・オブ・ヨーク》往人〉は、タラントから出撃したイタリア艦隊主力と激突し、光と共に消滅した。

 地中海最後の艦隊決戦を〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は遠く、シチリア島北部バルチェローナ沖から傍観していた。遠雷の如く砲声は響き、無数の色の光が瞬間その場を交錯する。命令を伝える無電が飛び交い、歓声罵声とともに砲弾が放たれた。砲戦はいつ果てるとも知れずに続いている。
 あの光の下には、故郷を同じくするフネがいる。しかし、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の居場所は無い。時の流れから切り離された彼女にとって、それは余りにも遠い光だった。
 光は唐突に止んだ。英艦隊の周波数で状況を報告する無電が聞こえてきた。イタリア艦隊は退避したらしい。海戦は終了したのだ。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は夜の闇の中を、狭いメッシナ海峡を抜けてマルタへと向かった。

 地中海の制海権は完全に枢軸軍の手に帰した。イタリア海軍は主力の大半に打撃を受け、燃料も底をつき、港湾に逼塞せざるを得なかった。英軍は第2次マルタ沖海戦の「英雄」フィリップス提督に続けと、イタリア本土に戦略爆撃をかけまくっている。そして〈結城《ウォースパイト》紗夜〉もシチリア島が陥落してからは、イオニア海とティレニア海を往復してイタリア南部のあちこちに艦砲射撃を実施していた。
 9月16日。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はサレルノ沖を遊弋していた。〈村上《ユリシーズ》若菜〉、〈ウィンター〉級駆逐艦数隻と共にパトロールを実施している。イタリア軍は枢軸軍への挑戦をしようにもできないまでに追い込まれていたが、それでも安全確認のための監視は欠かせないのだ。危ない箇所へは土嚢を積んで置かなければ行けない。
 14時過ぎに〈村上《ユリシーズ》若菜〉の対空監視RDFから警報が発せられた。高度6千に敵大型機が存在しており、フライパスするかのようである。偵察機と思われたので、〈村上《ユリシーズ》若菜〉座乗のネッド司令は高角砲で追い払う事を命じた。〈村上《ユリシーズ》若菜〉の長12.7センチ連装砲4基が旋回して敵機を指向し、〈ウィンター〉級もまたそれに続いた。
 その時、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の高角砲が水平射撃を開始し、ネッドは泡を食った。彼女の射撃方向を見ると、RDFの電波覆域下の超低空を攻撃機が向かってくるのが見えた。〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の高いマストでの目視監視が功を奏したのだ。ネッドは射撃目標の変更を伝え、近接信管付き砲弾が炸裂し始めるや、敵機は対艦誘導弾〈ドライザック機咾鮴擇衫イ靴篤杼を開始した。誘導されることなく放たれた〈ドライザック機咾倭潅討外れ弾となった。しかし、この攻撃は陽動だったのである。
 上空の大型機から三つの黒い物体が切り離され、尾部より長大な炎を吐きながら〈結城《ウォースパイト》紗夜〉へ向けて突進を開始した。

 ドイツ軍の大型爆撃機ボーイングBo445(注6)が放った物体は、〈ペーターX〉ことルールシュタールX2、制式名称SD2000Xだった。第2次大戦の自然休止によって開発中止となった滑空誘導爆弾〈フリッツX〉の後継である。弾頭はPC2000を用い、ヴァルター・ロケットモーターによってマッハ0.95にまで加速して、特殊なジャイロによって垂直突入すらも可能とする。装甲空母〈長森《大鳳》瑞佳〉の「打たれ強さ」に業を煮やしたルフトヴァッフェが、ルールシュタールに開発させた、対大型艦用誘導弾であった。
 〈ペーターX〉の赤外線シーカーは、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の煙突に向かって自らを誘導し、そして突入に成功した。
 最初の一発は煙突のすぐ後ろのボート甲板に命中し、左舷の各階層と第4缶室をも突破して、二重底の予備給水タンクで爆発した。この爆発で外側の底には長さ6メートル以上、幅4メートルの大穴が開き、内側の底は上方の遠くへ吹き飛ばされた。
 二つ目は右舷第5缶室の2メートル横、バルジ下端で爆発した。艦底の内外に大きく皺がより、バルジも大きく歪んだ。三つ目は右舷後部の海に落ちて爆発したが、損傷はなかった。
 直撃弾と至近弾によって〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は崖から転げ落ちたような有様となった。おにただしい量の血(燃料)が流れだし、海と艦腹を汚している。缶室も第1缶室を除く全てが浸水して、浸水量は5000トンに達した。
 ネッドの見るところ、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の立場は絶望的だった。航空攻撃が加えられる恐れがある上に、アンテナの喪失と衝撃でRDFは作動しなくなっている。幸いにも継続した攻撃はなく、2基のディーゼル発電機は健在で対空砲座と無線は保持されていた。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉では「注射が嫌いだから病院はイヤだよ」と冗談を云ったものの、これまでのようにはいかなかった。瞬く間の応急修理で浸水は抑えたが傾斜を復旧するのに相当の時間が必要であった。永い時間で艦全体が疲弊し、さしものW2機関も変質し始めていたのだ。
 結局、猫柳組に曳航を依頼するより他はなく、〈鷹丸〉に曳かれながら10ノットで撤退した。潮流の不安定なメッシナ海峡では〈大島丸〉と〈早坂丸〉に両舷を挟まれて通過を果たしている。
 戦死者を深海に葬って、疲れ切った水兵が甲板に整列し、楽隊が演奏する中、1951年9月19日朝8時に、「オールド・レディ」はマルタのグランド・ハーバーに入港した。

 サレルノ沖で〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に与えた打撃にヒトラーは満足し、〈ペーターX〉の量産と部隊配備を命じた。そして海空の航空戦力を集結させての海上邀撃作戦へとつながったのである。
 そのアイルランド沖での航空戦は延べ1200機で枢軸軍第1機動艦隊へ夜間襲撃を仕掛け、わずかな戦果と引き替えにドイツとフランスの航空戦力は枯渇するに至った。

 応急修理は行われたが、より高度な修理には乾ドックが必要で、ジブラルタルへと曳航されて入渠した。それが10月8日で、12月9日に「オールド・レディ」はジブラルタルを出港した。
 完治はせず、第4缶室は稼働しないままだった。誘導弾がその下で炸裂して完全に破壊されたボイラー室の修理は放棄され、二重底の穴にケーソンを敷き詰める以外は何もされていない。
 ジブラルタル海峡で〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はアイスランド行きの輸送船団24隻と合流した。船団指揮官は彼女の実情を知らず、見た目にも頼もしい戦艦の護衛がついたことを喜んでいた。事実は輸送船団が〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を護衛しているといった状況だったのだが。12月16日23時にレイキャビクに錨を下ろした。
 レイキャビクでは揚陸支援任務群に組み込まれ、合衆国軍アーレイ・バーク中将の指揮下に入った。15インチ主砲の一つX砲塔は作動しないままで、第4缶室は稼働せず、船底の穴には大きなケーソンを差し込んでいるにもかかわらず、「オールド・レディ」はなおも最高21ノットを発揮することができている。〈篠塚《金剛》弥生〉を除けば現役最高齢の戦艦でありながらも矍鑠たるものであった。
 そしてレイキャビクを巡る艦隊決戦でも「オールド・レディ」は、いち早く蒸気圧を上げて湾外へ出撃した。もっとも、既に高海艦隊はレイキャビク突入を止めて変針していたので、彼女に交戦の機会は無かった。
 その後は英本土上陸を支援して、ブリテン島のあちこちに姿を現している。スコットランドを始めとして英本土住民は、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を見て歓喜した。グランド・フリート華やかなりし頃を彷彿とさせる戦艦が無事に故郷へと戻ってきたのだ。たとえマストにひらめく旗がホワイト・エンサインでなくとも嬉しいものであり、レジスタンスの士気は向上したのである。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の主砲が敵に向かって火を噴いた最後は「インファチュエイト」作戦である。ドーバー海峡に追い詰められたドイツ第32軍への輸送支援を継続しているワルヘレン島基地への砲撃任務だった。
 1952年7月1日、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉〈高槻《セント・デイビット》梢〉と共にウェスト・カペラ砲台の西16キロの砲撃地点で停止し、17時23分に砲撃を終えるまでに353発の15インチ砲弾を放った。そして主砲は沈黙した。最早、彼女が戦う必要はどこにも無かった。
 戦争の帰趨は決まっていたのだ。

 8月25日、休戦条約調印式を見届けることもなく、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は足早に故郷を立ち去った。故郷に長くいるわけにはいかない。生まれ故郷ではあるが、ここは既に新たなフネの住まうべき場所なのだ。
 彼女の旅立ちを見送ったのはポーツマスに住む一人の少年である。彼(名前は伝わっていない)は駆逐艦に護衛されながら去る〈結城《ウォースパイト》紗夜〉を、ポーツマス郊外の崖の上から敬礼で見送った。その光景は少年の父によって撮影され、デイリー・ミラー紙の一面を飾った。
「戦いのあるところ、かならず〈結城《ウォースパイト》紗夜〉ありと海軍では言われている」
 全くの誇張ではなく、そう語られるにふさわしい、平凡な、しかし有能で幸福な艦であった。

 大戦集結の一年後、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉は解体されることになった。建造後38年も経過し、その間ほぼ常に第一線を駆け回っていた彼女は、人間に例えるならば600年もの齢を重ねたようなものである。主砲も機関も疲弊し尽くし、損傷を受けての修理箇所も相当なものであって、この上さらに戦争に貢献するには長くコストのかかる改装が必要だった。そして、工業化への離陸を開始した韓国には資金の余裕がなかったのである。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉が屑鉄回収場行きと決まったことが世間一般に知られると、英連邦と日本から記念艦として保管しようという声が上がった。しかし李承晩政権は反対運動を黙殺し、主砲身や幾つかの備品を日本と英国に引き渡して、彼女を解体業者に売却した。
 これで良かったのかも知れない。時の流れに置き捨てられていた女性が、ようやく時の流れの中に戻って安寧の時を得たのだから。
 曳航中に漂流して座礁した巨済島沖の岩礁の上で、完全に解体が終わるには1963年までかかった。
 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の遺品の幾つかは、英デヴォンポート、日本の呉、そして長野県小諸佐久地方の神社に展示されている。


注3:大英帝国が半島の経営を本格的に開始するのは、革命によって倒れたロシア帝国領の北コリアを占領してからである。ロシアが沿海州の延長として都市建設と経営に注力していたのに対し、英国は漢城と仁川、釜山に鉄道を引いた以外は放置も同然の状態であった。インドに比べて実入りが少なかったためである。
注4:白頭山を拠点とする共産ゲリラとの死闘を経て、英連邦軍においてコリア歩兵は精強ぶりを謳われていた。なお共産ゲリラは後ろ盾のソ連邦が崩壊したことから40年代末には屈服し、「白頭山の虎」こと金聖柱もろともに降っている。余談だが、金聖柱の長子は後年にアジア映画に欠かせない人材となる。
注5:しかしながら韓国の海軍組織はまだまだ弱体で、戦艦では大尉以上の幹部士官と、下士官は英海軍出身者で占められているのが実情だった。
注6:ボーイングBo345(B―29)のライトR−3350発動機を、BMW028Bターボプロップ(7000hp)に換装した機体である。爆撃や洋上哨戒、輸送にと幅広い用途で使用された。後に主翼を後退翼とし、機体を50mまで延長させて、海洋勢力に対する邀撃戦力の一翼を担い続けた。

要目 括弧内は第2次改装後

  • 全長 196.8メートル
  • 全幅 27.6メートル(31.7メートル)
  • 主機 ダイレクトドライブ方式タービン4基4軸(ウェスティングハウス式タービン4軸)
  • 主缶 ヤーロー缶24基(ホワイト・フォスター三胴缶6基)
  • 機関出力  75000hp(80000hp)
  • 最大速力  24ノット(23.5ノット)
  • 基準排水量 27500トン(32700トン)

兵装(竣工時)

  • 主砲 42口径38センチ砲連装4基
  • 副砲 45口径15センチ砲単装12基
  • 高角砲 7.6センチ単装砲2基
  • 魚雷 53.3センチ水中発射管4門
  • 装甲
    • 舷側330ミリ
    • 甲板76ミリ
    • 砲塔330ミリ

兵装(1939年以後)

  • 主砲 42口径38センチ砲連装4基(6crh弾を使用)
  • 副砲 45口径15センチ砲単装8基
  • 高角砲 11.3センチ連装両用砲10基
  • 機銃 2ポンド8連装ポムポム砲4基
  • 搭載機 スーパーマリン・ウォーラス水陸両用機4機
  • 装甲
    • 舷側330ミリ
    • 甲板89ミリ
    • 砲塔330ミリ

同級艦

  • 〈クィーン・エリザベス〉     1915年竣工 1943年アレクサンドリアで大破着底
  • 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉 1915年竣工 1963年解体
  • 〈結城《ヴァリアント》貴之〉   1915年竣工 1942年9月8日戦没(ランズエンド岬沖)
  • 〈バーラム〉            1915年竣工 1941年地中海で被雷沈没
  • 〈マレーヤ〉            1916年竣工 1943年戦没(アブキール湾)