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〈京谷《オルデンブルク》透子〉

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〈京谷《オルデンブルク》透子〉 Leichte Kreuzer Kyouya-OLDENBURG-Touko,KM

Circus「水夏〜SUIKA〜」京谷 透子

概要


 KH1級と呼ばれる、ドイツの軽巡洋艦。同級艦にKH2〈トリール〉(旧名〈エーンドラハト〉)がある。
 元は〈デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン〉として1939年に起工されたオランダ海軍の艦艇である。〈ジャワ〉級軽巡の代艦として建造され、東洋艦隊に配備される予定であった。しかしドイツのオランダ占領後に、ドイツ海軍の手によってM級軽巡などの武装を流用して1944年12月19日に完成された。
 竣工後は主に哨戒任務に用いられ、枢軸軍のカリブ海攻勢では船団護衛に投入されている。KH1〈京谷《オルデンブルク》透子〉は1949年10月に戦没したが、KH2〈トリール〉は長く使用され、1970年代に解体された。

暗い炎


 笑うことなどできはしない。
 チャールズ・キャヴェンディッシュ大佐は暗い海面に向かってつぶやいた。
 〈京谷《オルデンブルク》透子〉のことを下士官達が、男の顔をうかがってばかりで、男の望んだ通りに染まる女性に例えていたのを小耳に挟んだのである。彼らの想像によれば、長髪のブルネットで清楚な美人、というものだった。
 〈京谷《オルデンブルク》透子〉はオランダ海軍が建造を進めていた軽巡洋艦で、造船所で捕獲された後に巡洋艦戦力の不足をかこつドイツ海軍によって完成されていた。つまりこの時点でドイツの色がついた訳である。その後、ドイツより「自由イギリス義勇艦隊」に貸与され、今度は英国人にとって使いやすいように改修されている。キャヴェンディッシュがいる露天艦橋やヘッジホッグなどの対潜装備がそうだった。
 成る程、確かに事実だった。〈京谷《オルデンブルク》透子〉は素直な操作特性を持っており、キャヴェンディッシュにとって極めて扱いやすい艦だった。まさに英国人の望むままの色に染まった訳である。
 だからといって、主体性に欠ける女性に例えて笑うことは出来ない。ヒトラーに諾々と従っている自分達は一体なんだというのか。
 1949年10月14日、星明かりの夜。ホワイトエンサインの右下に鉄十字を組み合わせた旗を掲げた艦艇の群は、補給物資を満載した船舶6隻を囲みつつアンティル諸島線沿いに大西洋を南下している。すでにドミニカにさしかかっていた。予定通りならば22時にはサン・ピエールに接岸できる。
 ウィンドワード諸島フランス領マルティニーク島を巡る戦いは、佳境を迎えようとしていた。

                            ◆

 チャールズ・キャヴェンディッシュは英国海軍の士官だった。英本土攻防戦が開始なった時には、四本線を巻いた39才の大佐として巡洋戦艦〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を指揮していた。その〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉は霧深い北海での高海艦隊主力との砲撃戦において、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉のきつい一撃を浴びて大破したのである。
 しかし彼にはその時の記憶が無い。連続砲撃でRDFが故障して敵情が掴めなくなった中、霧の幕を突き破って現れた〈日野森《ビスマルク》あずさ〉の至近からの斉射を喰らったとき、キャヴェンディッシュは艦橋の壁に叩き付けられ昏倒したのである。そしてリース基地の海軍病院のベッドで目を覚ましたとき、すでに英本土はドイツの軍靴に蹂躙されていた。頭部を打って目覚めない士官を連れて脱出する余裕など英国には無かったのだ。とどのつまりはドイツ軍の尋問を受けた後に現地除隊となった。
 郷里のサリー州に帰ってからも彼の不運は続いた。家屋こそ戦災を免れたが年金が出るはずもなく、結婚時に買った愛車アームストロング・シダリーや書籍を売って糊口を凌ぐ有様である。浪費家の傾向のある妻ジェーンと口論の絶えない日々だった。そしてようやくのことで大学の事務職を得たところで、英本土駐留親衛隊(SS−GB)の紳士達の訪問を受けた。そして連れられていった先はホワイト・ホールだった。そこでは、かつての同期にして上官のヴィンセント・スタッグが待っていた。

                            ◆

 マルティニークを巡る戦いは一進一退を続けている。海戦においてはほぼ互角の形勢であったものの、陸上においてはドイツとフランスは不利を強いられていた。全ては初動の見積もりが甘かったことに起因する。帝国軍総司令部では偵察部隊の上陸と見ていた上に、ヴィシー・フランスが自由フランス(サイゴン政府)に対抗するために大げさに騒いでいると考えていたのである。
 とはいえ、マルティニークから出撃したとおぼしき潜水艦による商船の損失が出始めている。欧州連合軍の攻勢を斥けた枢軸軍部隊に対して帝国軍総司令部はようやく認識を改め、10月に大攻勢をかけることを決めた。グアンタナモ攻略を進めていた第17軍団(フィールハイト中将)の主力を司令部毎差し向けたのである。
 司令部は駆逐艦に便乗して10月9日にマルティニークに上陸して現地部隊と合流、その後に軍団主力となる歩兵第2師団が高速輸送船団で送られることになった(後に歩兵第37師団も続けて送られる)。
 自由イギリス義勇艦隊が護衛している船団は、師団重砲などの重火器弾薬及び糧食を満載している。兵員輸送にはドイツ海軍が護衛する5万総トン級客船〈ブレーメン〉が充てられていた。その輸送を援護するために、北米艦隊カリブ海支隊は13日深夜から14日にかけて戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と〈前田《クロンプリンツ》耕治〉らによるラマンタン飛行場への制圧射撃を実施し、焼夷榴散弾で全島を焼き払うかのような戦果を上げていた。
 枢軸軍の混乱の隙を突いて、船団がサン・ピエールへの揚陸に成功したならば、マルティニークの枢軸軍はカリブ海に追い落とされるはずである。

                            ◆

 自由イギリス義勇艦隊とは英本土に残った(または残された)海軍軍人らの活用を図るものだった。ドイツ海軍の手薄な哨戒や護衛任務を肩代わりさせようというものである。本土でレジスタンス活動などおこさないよう元軍人らを一所に纏めての監視の意味もあった。
 その彼らがカリブ海へ投入されたのは、今やホワイトホールの主となったヴィンセント・スタッグ中将(自分で少将から昇進させた)の関与によるものだった。

 ドイツ陸軍の混成軍楽隊がホワイトホールの街路を行進し、金属製の楽器ばかりでなく馬の尾の毛をなびかせた振鈴楽器(シェルレンバウム)をがちゃがちゃと鳴らしながら「グリーンスリーヴズ」を演奏している。ドイツ人は軍隊式の音楽を巧みに利用して、被征服国民を畏怖させると同時に慰撫することにつとめているのである。
 再会の挨拶もそこそこに、軍楽隊の奏でる音色をBGMにして、スタッグは自分が何故ここにいるかを説明し始めた。いついかなる時でも自分自身を優先させる男なのである。キャヴェンディッシュが昏倒した後、副長も戦死していたため異例ながら自分が〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉の指揮を執ってローサイスへ戻ったこと、その後は駆逐隊司令としてドーバー海峡への襲撃を行っていたこと、艦が損傷して脱出に間に合わなかったこと、そしてリース基地でドイツの捕虜になったこと、など様々なことを喋った。
 元から無口な質のキャヴェンディッシュは口を挟まずに聞いていた。スタッグが喋らなかったことにも気づいていたが、それに触れるつもりはなかった。
 そしてスタッグは大声を張り上げてドイツの待遇の良さを語り、キャヴェンディッシュを抱くようにして、その耳に口を寄せた。
「全ては生残性を確保するためだ」
 その囁きだけでキャヴェンディッシュはスタッグの狙いが分かった。脱出組が祖国に帰還できない可能性に備えて英国海軍の根を残す、というのである。
 スタッグの身体を押し戻すようにしてキャヴェンディッシュははっきりと語った。聞き耳を立てているドイツ人の副官にも聞こえるように。
「わかったよ、ヴィンセント。私も微力を尽くそう」
「君の助力があれば百人力というものだ」
 スタッグはキャヴェンディッシュの手を取ってぶんぶんと振り回し始めていた。何事も大げさな男と思わせているらしい。キャヴェンディッシュは、ふ、と息を抜いた。スタッグの別の狙いにも気づいている。彼はがつがつと戦功をかせいで立身出世したがる男だった。何しろ「ネルソン提督以来、もっとも若くして少将になった」男である。「士官服を着た女みたいな年寄り」のいなくなった海軍を切り回すことこそが目的なのだった。
 建物の外では軍楽隊が英国の民謡「ジョン・ピールを知ってるかい」を演奏し始めていた。
「どうだ、久しぶりにホース・ネックをやらないか?」スタッグはブランデーとジンジャー・エールに、グラスを用意させようとしていた。
「いや、いい。一旦家に戻って私物を取ってくるよ」
「そうか、ジェーンによろしく、と言っておいてくれ」
「ああ」
 スタッグの唇が奇妙な形に歪んだのをキャヴェンディッシュは見逃さなかった。彼はジェーンとスタッグの関係に気づいていた。こちらがジェーンの事を話題にしないのに、向こうからわざわざ触れてきたことがその証左だった。
 サリーの家に戻って、ジェーンに別れを告げることはできなかった。キャヴェンディッシュがロンドンに連行されている間に家を出ていったらしかったのだ。離婚届を置いて。
 今では分かっている。キャヴェンディッシュの居場所をスタッグに知らせたのもジェーンだった。それでどれだけの金を得たかなど知りたくもなかった。慰謝料を請求されないだけマシか、と思った。
 要するに自分は金銭に置き換えることが出来る程度のモノだったわけだ。キャヴェンディッシュは低い声で笑った。今頃は高級住宅街メイフェアのどこかにある、スタッグのタウンハウスにでもいるのだろう。
「さようなら、ジェーン」もう会うことはないだろう。
 キャヴェンディッシュは離婚届にサインし、それを町役場に届けるべく家を出た。そして、二度とサリーの家に戻ることはなかった。

 キャヴェンディッシュに預けられた軽巡〈京谷《オルデンブルク》透子〉は素晴らしい女性だった。
 舵の利きは抜群で、キャヴェンディッシュの意のままに右に左に自在に疾走する。多少無理かと思われるような操艦でも、「あなたの喜びこそが私の喜び」とばかりに嬉々として尽くしている。彼女の艦長に内定していたドイツ人士官に対して冷淡な態度を示していたというのが嘘のようだった。
 乗組員達も英本土中から経験者がかり集められている。ドイツ海軍の指導を受けるというのは気に入らないが、海上にあれば血が沸き立つのを抑えられる者などいなかった。自由イギリス義勇艦隊は徐々に形を成していった。
 キャヴェンディッシュは〈京谷》オルデンブルク》透子〉に常宿するようになった。陸には事務的な事を除けば、もはや会うべき友人達もいないし、酒を飲みに行くしか用はなかった。女もこりごりだった。というより、ジェーンの裏切りを知ってからはできなくなっていた。挿入しようとしても勃たないのだ。オーラルならば射精までできたが、売春婦相手といっても背徳感があるので気が引けた。
 〈京谷《オルデンブルク》透子〉を旗艦とし、〈ハント〉級駆逐艦や〈リヴァー〉級フリゲイトからなる自由イギリス義勇艦隊は哨戒に北大西洋の船団護衛を着実にこなしていった。ホワイトエンサインに鉄十字を組み合わせた、みっともない旗(鉤十字をつけるという案は猛反発されたので立ち消えた)とはいえ、大西洋に英国海軍の旗がひるがえる姿は旧英国海軍士官達の胸を熱くしていた。今や彼らを除いて、大西洋上には英国の旗などどこにも存在しない。
 そして、存在を誇示することに熱中するスタッグ中将が、護衛艦艇のやりくりに悩むデーニッツに話を持ち込んだ結果として、キャヴェンディッシュらがカリブ海にいるのである。

                            ◆

 〈京谷《オルデンブルク》透子〉は通信符号で〈デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン〉と名乗り、護衛隊の旗艦を勤めていた。少しでも枢軸軍を迷わせようという、ドイツ側の考えによるものだった。

 〈ブレーメン〉の護衛隊を率いる〈若林《Z53》鏡太郎〉はドミニカ島の陰に潜む敵艦を〈ヴァムパイア〉で発見していたが、それを自由イギリス義勇艦隊に伝えたりはしなかった。命令系統が違うのだから通報の義務など無いし、さらに艦長エゴン・ユングゲヘルツ中佐はキャヴェンディッシュを個人的に嫌っていたからだ。
 ユングゲヘルツはチャールズ・キャヴェンディッシュを憎悪していた。キャヴェンディッシュが現れなければ、彼が〈京谷《オルデンブルク》透子〉の艦長になっていた筈だったからだ。
 チャールズ・キャヴェンディッシュ。
 唐突に割って入ってきた陰鬱な英国人。始めから嫌な奴だと思っていた。何故、俺ではなく奴なのだ。
 それは狂おしい煩悶だった。彼よりも年少の者がO級巡洋戦艦の艦長職を射止める中で、駆逐艦の艦長でしかない自分に身悶えしている。元がオランダ艦とはいえ、軽巡の艦長になることは立身出世への途につながっていた。
 しかし、試験航海において彼の操艦に〈京谷《オルデンブルク》透子〉ははかばかしい反応を返さなかったのだ。まるで路傍の石であるかのように黙殺された。なのにキャヴェンディッシュに対しては恋情を示すかのように軽やかに反応している。
 やはり、お前は死ぬべきだ。キャヴェンディッシュ。そちらは信頼関係を結んでいると思っているのだろうが、俺は貴様が大嫌いだ。〈京谷《オルデンブルク》透子〉のことなど、もうどうでもいい。
 エゴン・ユングゲヘルツはドイツ人にしては細い目に嘲笑の光を浮かべ、唇をねじ曲げた。それは邪悪な印象を人に与える笑みだった。
 ユングゲヘルツは、チャールズ・キャヴェンディッシュを間の抜けた奴と断定しながらも、その対潜戦闘指揮や操艦の冴えを認めていた。昼間の空襲(手ひどく叩かれても枢軸軍は〈流星〉や〈雛岸《スカイレイダー》希〉数機を送り出していた)を撃退した後の潜水艦襲撃をも追い払い続けている。デュラル・アタックで敵潜の浸透を阻み、時には〈京谷《オルデンブルク》透子〉でもって魚雷を弾いてすらいる。満載で1万トンになろうかという軽巡をまるで駆逐艦のように操っている。英海軍は戦艦を駆逐艦のように扱うと言われるだけのことはあった。
 しかし、やはり間が抜けている。奴がねばればねばるほど潜水艦が集中してくる。であれば、〈ブレーメン〉は安全になる。精々囮としてがんばって貰おうか。それにだ、奴は頑張りどころを間違えている。襲撃艦は正真正銘の英海軍の潜水艦かもしれない。かつての味方を相手に奮闘するとはご苦労なことだ。努力するならば、北海ですれば良かったのだよ。ふん、やはり奴は北海で死んでいるべきだったのだ。
 だから、彼にはキャヴェンディッシュに知らせる義務などなかったのだ。

 ドイツ人の艦長以外にも、〈京谷《オルデンブルク》透子〉に対して執着している人物が枢軸軍にもいた。オランダ海軍のデ・ボーア大佐である。彼は本国にいた時に〈デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン〉の艤装員長となっていたのである。そして1949年現在では自由オランダ(バタヴィア政府)海軍の、駆逐艦〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉だけからなる駆逐隊の司令だった。失われた過去に執着するだけの理由はあったのだ。
 〈デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン〉と名乗る艦がカリブ海に現れたと聞いた彼は、彼女を己の手に取り戻そうと上級司令部にあれこれ上申していた。接舷切り込みまで考えたという。しかし客船の事務員あがりのファン・ヒューリック艦長としては、司令の過剰な闘争心は迷惑この上なかった。今更過去を塗り替えることなど出来るはずもないからだ。出来うるのは、現在と未来を書き進めることだけである。ために、デ・ボーアが第3次ウィンドワード海戦(マルティニーク水道夜戦)で昏倒して病院船〈氷川丸〉に収容されたとき、にんじん色の頭をした艦長は感謝の祈りを捧げたものだった。すぐさま不謹慎なことに気づいて神に謝罪したのだが。
 しかしながら罰があたったというべきかもしれない。第3次ウィンドワード海戦で〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は右舷に被弾してしまい、バルバドスにまで下がって工作艦〈ペトロニウス〉の修理を受けていた。サービス部隊指揮官R・A・ハインライン少将の手配と、前の戦争(第一次世界大戦のこと)にも参加したという二宮機関大佐のおかげで傷はすぐに癒えたとはいえ、13日から14日にかけての艦砲射撃を輸送作戦の前触れと見たマルティニーク島司令部によって警戒艦として派遣されていたのだから。
 ドミニカ島の陰に潜んでいた〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は、水平線上の星を隠して進む船団に気づいた。水柱も上がっている。護衛部隊は潜水艦を押さえ込むのに懸命らしい。
 〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は司令部へ直ちに通報すると同時に、秘やかに襲撃行動を開始した。

 この時、キャヴェンディッシュと〈京谷《オルデンブルク》透子〉は敵潜を追い払うことに熱中しすぎていた。昼間は〈流星〉攻撃機の襲撃を受けたが、ごく少数なので対空砲火で追い払うことができた。ドイツのグロスブルネン大佐らの努力によって磁気式近接信管を少量ながらも搭載していたためである。しかし彼らの船団は進路を通報され、日が落ちると今度は潜水艦が接近してきた。
 キャヴェンディッシュは撃沈ではなくアスディックの探信音による牽制でもって潜水艦の頭を押さえつけるようにした。大事なのは船団を守ることである。大音量の探信音で牽制し、爆雷で威嚇して浸透を阻み、魚雷の射点につかせない。数時間におよぶ死闘だったが、高速輸送船6隻は全て無事であり、護衛艦は1隻が魚雷をくらって沈んだだけである。マルティニーク水道を渡りきれば、キャヴェンディッシュと〈京谷《オルデンブルク》透子〉の勝利となるだろう。
 しかし、そこに闖入者が現れた。〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉である。ユングゲヘルツならば言ったであろう。彼女はジョーカーだと。
 事実、〈京谷《オルデンブルク》透子〉は〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉の接近に気づくのが遅れた。気づいた時にはすでに53.3センチ魚雷6本が放たれていた。輸送船を守るためにも魚雷回避のための回頭は出来ない。キャヴェンディッシュはマイクに向かって叫んだ。
「総員、対衝撃防御姿勢をとれ!」
 〈京谷《オルデンブルク》透子〉の右舷に、100メートルにもなろうかという水柱2本が立った。

 〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は日本から自由オランダ海軍に貸与された〈松〉級駆逐艦だった。〈松〉級の中では中期型に位置し、基準排水量は1800トンになる。
 〈松〉級は海上護衛用の駆逐艦と言われることが多いが、その実は艦隊型駆逐艦としての性格が濃かった。特型と同じ61センチ四連装魚雷発射管1基を持つのが、その証拠である。要するに海上護衛もできる戦時急造の艦隊型駆逐艦だったのだ。そして対ドイツ、対合衆国戦で急速に消耗していった特型、甲型駆逐艦の穴を埋めきった。建造は第2次大戦中期から第3次大戦末期まで続き、最終的に300隻あまりの数となっている。
 日本海軍ではすでに雷装を撤去している〈松〉級駆逐艦だったが、元から水上戦闘艦艇の少ない自由オランダ海軍では53.3センチ六連装管に取り替えて対艦戦闘能力の維持を図っていた。
 今、〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は艦隊型駆逐艦として元来の性質に従っている。その性質は変えようがない。2万4千馬力の出力を振り絞って30ノット近い全速で突進する。目標は船団の右脇にいる大型艦である。どうやら護衛部隊旗艦らしいが援護のために定位置を離れているらしい。孤立しており単艦襲撃の目標として申し分がなかった。
 〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は面舵に切り、左舷へ向けて全射線を放った。星の光を受けて銀に光る魚雷6本が次々に海中に躍り込んだ。魚雷は2本が目標に命中し、残りは船団の方へ走っていった。遠くで1本が命中したらしく、水柱に続いて巨大な火球が発生した。弾薬輸送船に命中したのだ。

 被雷の衝撃を、キャヴェンディッシュは露天艦橋にある艦長席にしがみつくことで何とかやりすごした。すぐさま被害報告を求めたが報告が返ってくるより先に、艦橋より前方の船体が轟音を立てて千切れようとしている光景を見ることになった。右舷への傾斜も急速に増している。推進力も失われて惰性だけで艦が進んでいた。機関部もやられたらしい。
 キャヴェンディッシュは総員退艦を命じようとしたが、その言葉を発する前に、彼の身体を灼熱の固まりが貫いた。不運な艦長はぼろ切れのようになって艦橋の床に崩れ落ちた。そこに12.7センチ砲弾が命中し、露天艦橋を消し飛ばした。

 魚雷を放った後も〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は攻撃を継続していた。艦の前後に位置する60口径12.7センチ単装両用砲2基だけでなく、ボフォース40ミリ、エリコン20ミリ機銃からも銃弾を放っている。砲術科出身のファン・ヒューリック艦長は全火力を艦橋に集中させ、そこが壊滅したと見るや船体にも砲弾を叩き込ませた。
 敵艦が沈下し始めると、三十六計逃げるに布かずとばかりに一目散に逃走を開始した。復讐の念に固まったフリゲイト艦らに袋叩きにされてはかなわない。

 艦長戦死の報を誰が発したかは分からない。しかし、その報が艦内の生き残っている全部署に知らされた直後、〈京谷《オルデンブルク》透子〉は急速に沈下し始めた。それはまるでキャヴェンディッシュと世界にただ二人だけでいることを、彼女が望んでいるかのようであった。
 〈京谷《オルデンブルク》透子〉は真っ二つに折れて海底に沈んでいった。余りにも急な沈没であったため、生存者はわずか20名ばかりである。

                            ◆

 翌日、10月15日。マルティニーク島サン・ピエールの港は、3隻の輸送船から立ち上る煙に覆われていた。上空を〈流星〉攻撃機や〈綾火改〉戦闘機が乱舞している。銃撃、爆撃、ロケット弾攻撃など、ありとあらゆる攻撃が行われていた。
 欧州連合のマルティニークへの強行輸送は最終段階で失敗に終わった。自由イギリス義勇艦隊の6隻が見守る中、5隻となった輸送船が埠頭につこうとしたが、〈ブレーメン〉からの歩兵第2師団上陸が優先された。兵員を下ろした〈ブレーメン〉は疾く去っていったが、その頃には空が明るみ始めている。枢軸軍の航空隊も活動を開始し、波状攻撃をかけてきた。自由イギリス義勇艦隊は対空砲火を放ちつつ援護したが多勢に無勢であり、さらにどのフリゲイト艦も近接信管を搭載していなかった。
 弾雨を押して揚陸作業が続行されたが、サン・ピエールの荷揚げ能力は低くてはかどらず、ついには高速輸送船3隻が炎上喪失した。上陸した第2師団も揚陸を手伝ったものの空から銃撃を受けては、身一つで市街の残骸や山岳地帯に逃れざるを得なかった。
 結局、揚陸出来た物資はごく僅かであり、奪回に必要な量にはほど遠いものであった。燃料事情の悪いことから、揚陸した物資を内陸に運ぶトラックが殆ど無かったことも物資喪失に拍車を掛けていた。フランス人農場主らの物資提供にも限界はある。政治的にも彼らに負担を掛けすぎる訳にはいかなかった。
 艦砲射撃を喰らった枢軸軍の状況は危機的なものであったが、欧州連合は勝機を生かせず、総攻撃までに10日ほどの時間を必要としていた。対するに枢軸軍はハルゼー合衆国艦隊司令長官を先頭に、マルティニークへの補給に一段と力を入れた。
 斯くして、欧州連合の10月攻勢の失敗はほぼ確定的となっていた。しかし失敗が確定するまでに海と陸とで、さらなる鉄血が失われることになる。

 〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉のファン・ヒューリック艦長(司令代行兼任)は青く高い空を眺めていた。現時点での彼の最大の関心事は、〈氷川丸〉で出会ったN大尉という魅力的な日本人女性についてだった。
 真実の愛、などという奇形的なことは言わない。二人を一つの器に納めようなどとも思わない。ただ、朝目覚めたときに彼女が隣にいて、さらに野菜入りオムレツを作ってくれたなら、この世は天国なのだが。
 それこそが世界でもっとも難しいことなのかも知れない。にんじん色の頭を掻きつつ、ファン・ヒューリックは前司令の見舞いがてら、彼女に声をかけようと決めた。
 どこまでも青く高い空の下、「夏への扉」を求める必要のない常夏の海を、〈柾木《ティエルク・ヒッデス》茜〉は補給のためにバルバドスへ向けて南下していった。
 ファン・ヒューリックのナンパが成功したかどうかは、定かでない。

要目

  • 全長 187.3メートル
  • 全幅 17.25メートル
  • 主機 パーソンズ式ギヤード・タービン2基2軸
  • 主缶 ヤーロー缶8基
  • 機関出力 78000hp
  • 最大速力 32kt
  • 基準排水量 8350トン

兵装

  • 主砲 55口径15センチ砲連装4基
  • 機銃 37ミリ機関砲連装6基
  • 雷装 53.3センチ魚雷発射管3連装2基
  • 航空 水偵2機

装甲

  • 舷側 100ミリ
  • 主砲 80ミリ

同級艦