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〈弓塚《M46》さつき〉

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〈弓塚《M46》さつき〉

TYPE−MOON「月姫」弓塚 さつき


 東西に分裂した合衆国の一方、太平洋岸からミシシッピ西岸までを領域とする合衆国の戦車。持てる戦闘力のポテンシャルは高く、〈八車《七式中戦車》文乃〉に匹敵するほどであったが、正統合衆国戦車としては〈弓塚《M46》さつき〉は最後の戦車となった。
 〈弓塚《M46》さつき〉の原型は日本の〈三式中戦車チハヤ〉と、ソ連のT−34/76に対抗すべく開発されたM26重戦車である。M26は第2次世界大戦に間に合わず、先行量産型60両が第2次南北戦争に参戦しただけであった。もっとも、南部連合の奇襲北進に端を発する第2次南北戦争においてM26は高い戦闘力を発揮し、テネシー州オールド・ストアハウスの戦いでは殲滅を図った南軍部隊の包囲網を切り破って敗走させている。
 南軍はジョージ・S・パットン将軍麾下の戦車軍団(〈クロムウェル〉にボフォース75ミリ砲を搭載したM42〈フォレスト〉を主力とした)が獅子奮迅の戦いを見せたものの敗勢を覆すことはできず、1945年5月7日に南部連合は圧倒的な物量と工業生産力を誇る北部の前に膝を屈することとなった。
 その後、合衆国は南部連合の吸収再編に時間と資材を費やし、対日英の軍備蓄積は緩やかなペースとなった。M26もその例にもれず、装甲師団への配備スケジュールは大幅に遅れ、1948年時点では全体の40パーセント程度がM4からM26に替わったばかりだった。
 しかしながら、ドイツ北米総軍の猛攻の前にM26は立ちふさがり、奮戦することになる。その戦闘ポテンシャルの高さにドイツ軍は注目し、合衆国東部をあらかた占領し終えた後、デトロイトのフィッシャー戦車工廠やリマ戦車工廠にドイツ軍仕様のM26(a)を発注して大いに活用したのである。なお、M26用の90ミリ砲を搭載したM4(a)も大量に使用され、数量上の北米総軍の主力となっている。

 ようやく日本の〈三式中戦車チハヤ〉を撃破可能なM26重戦車を実戦化させた合衆国ではあったが、日本が〈三式中戦車チハヤ〉の後継主力戦車として〈オニ〉と〈オド〉を開発していることを察知した。ヨシノ機関がM26用トランスミッションの現物や治具を極秘に持ち出したことをFBIが探り当てたのである。合衆国は最大の仮想敵国日本(次点は満州共和国と国境を接するソ連)に対抗すべく直ちにM26の改良計画を開始した。
 主な改良点は機関系と砲塔関係である。470hpと同世代の重戦車と比較して非力なフォードGAFから、1943年より次世代エンジンとして開発されていたコンチネンタルAV1790−1(740hp)へと換装した。エンジンの換装にともない、機関室上面が変更され、リア・パネルも垂直に改められている。主砲は高初速の新型90ミリ砲T54を搭載する予定だったが予算の都合で見送られ、従来の50口径90ミリ砲M3の改良型M3A1が装備された。当時の合衆国陸軍は、日本戦車が長砲身化した88ミリ砲を搭載するものと思っており、90ミリ砲で対抗可能と見なしていたのである。砲塔もまた鋳造式のお椀型(亀甲型)となり、「ぷにぷに」したくなるような丸みを帯びている。また、最終転輪と誘導輪の間に小さなテンション誘導輪が新設された。
 試作車両は1947年5月に完成し、1947年度予算で10両の試作車両が発注された。この時点での名称はT40である。そして同年7月30日、〈弓塚《M46》さつき〉として制式化され、生産発注が下された。〈弓塚《M46》さつき〉は合衆国陸軍の「アイドル」となったのである。しかし1948年5月にドイツ軍が合衆国への侵攻を開始したため、〈弓塚《M46》さつき〉を主力戦車にするという合衆国陸軍の願いは叶わない結果となった。
 生産総数は100両弱。資料散逸のため詳しい数量は不明である。M26からの改修型も計画されたが、デトロイトをドイツに占領されたため実行されなかった。
 生産された〈弓塚《M46》さつき〉は、主に南部と中西部で再編中の装甲師団に配備され、その為にドイツ軍の手に落ちることを免れている。行方不明となっていた〈弓塚《M46》さつき〉部隊が第1軍に合流したとき、ドワイト・D・アイゼンハウアー大将はひどくよろんだという。その後、〈弓塚《M46》さつき〉はミズーリ州における機動防御の主力として、両手を血で染めて戦い続けることになる。

 日英と同盟を結んだことで合衆国は抗戦体制を整えることが出来たが、〈パンテル供咾紡亶海任る数少ない戦車として防御戦の主力となっていた〈弓塚《M46》さつき〉にとっては最悪の事態となった。日本が〈弓塚《M46》さつき〉の(ドイツにとっては)吸血鬼の如き奮迅ぶりと、その戦闘ポテンシャルの高さを知ったのである。
 〈弓塚《M46》さつき〉にとっては悪い条件が揃っていた。生産が開始されたばかりで数量は少なく、生産地はドイツ占領下にある。太平洋岸の戦車工場はパシフィック・カー・アンド・ファウンドリーのみ。太平洋岸での砲弾生産量もまた前線での消費量に全く追いつかず、日本に供給を仰がざるを得なかった。そして日本では、90ミリ戦車砲弾は生産されていない。生産する予定もない。日本はこの機会を利用して、日本製品を北米市場に最大限に売り込むべく努力を開始した。合衆国製戦車に世界市場を取られるわけには行かない。
 かくして〈弓塚《M46》さつき〉の退場はあっさりと決定された。「一人前の戦車」になることは出来なかったのだ。生き残りの〈弓塚《M46》さつき〉は州軍などの後方部隊に配備され、以後前線に出ることはなくなった。
 〈弓塚《M46》さつき〉の後釜には、〈オド〉こと日本製〈八車《七式中戦車》文乃〉が送り込まれた。1950年以降には〈《十式中戦車》ヤマノカミ〉が〈イタカ〉の名で合衆国陸軍の装備となっている。以後は恐竜的進化を遂げていく日本製戦車が合衆国陸軍を支えていく。デトロイトを失った合衆国に新たな戦車を開発する能力は残されていなかった。〈弓塚《M46》さつき〉を最後に、合衆国戦車は世界を広げることなく、子孫を残すこともできずに滅びたのである。
 〈弓塚《M46》さつき〉は州軍で細々と存在していた。砲弾や補修部品が少ないため稼働することは希である。合衆国市民の間では、最後の合衆国戦車として人気もそれなりに高い。大西洋、太平洋の両洋を制すべき大国となる「明白な運命」の証であったからだ。

要目

  • 全長 8.47m
  • 全高 3.12m
  • 全幅 3.51m
  • 戦闘重量 42トン
  • 発動機 コンチネンタルAV1790−1 空冷V型12気筒ガソリン・エンジン
    • 出力 740hp
  • 最高速度 48km/h
  • 航続距離 128km
  • 懸架方式 トーションバー
  • 武装
    • 火砲 90ミリ・ライフル砲×1(L50)
    • 銃器
      • 12.7ミリ重機関銃×1
      • 7.62ミリ機関銃×2
  • 乗員 5名